ことがその背景にある。この国の企業の大半は家族経営だ。国 営企業のよ、つに大きいフィアットやオリべッティなどを例外に、 社員数が三〇〇人を越える企業はめずらしく、ほとんどの会社 は社員五名とか、多くても数十名の中小企業。世界的に有名な 照明器具メーカ 1 が、わずか一五名で運営されていたりする。 社長以下、セ 1 ルスプロモーションと在庫管理、そして小規模 な製造ないしアッセンプル部門で構成されるイタリアのメ 1 カ 1 は、ほば例外なく社内にデザイン部門を持っていない。商品 計画は、契約を交わした外部のアートディレクターを中心に進 められ、デザイナーは各企業とプロジェクト単位で仕事をする。 このような背景もあって、イタリアのデザイナ 1 の大半は、 大学を卒業した瞬間からフリ 1 ランスとなる。ほとんどの企業 は専属のデザイナーを雇わないし、有名なデザイン事務所の席 にも限りがあるからだ。従って彼らは常に、自分のデザイン提 案を企業あるいはア 1 トディレクタ 1 に持ち込んで、仕事のチ ャンスを自らっくり出す。 建築を頂点とするイタリアのデザインの伝統もあって、提案 2 3 5 頼まれもしないのにする仕事
選ぶことは、同時に捨てることでもある。自分がつくり上 げてきたものに固執せす、捨てられるのは何故でしよう ? 馬場それしか残された可能性はないと思うから。東京ではけ つきよく消耗してー・ーー東京という言い方はよくないのですが そういう社会のなかで、消費されて消耗して生きていく のか。自分の理想に適うものを、理想的な場所を見つけてつく っていくのか。僕の中では、もうそれしかチョイスがないわけ です。 三〇代中頃までは、東京の事務所で企業の 0—や新事業の立 ち上げとか、代理店の仕事もしていました。やりたくてやって いたというより、食べるためにそうなっていた。でも企業との 仕事は、自分の性格からいっても限界だなと思ったわけです。 日本ではいろいろな仕事が、企業を通じて流通しすぎてい るよ、つに思います。 馬場浩史さんを益子に訪ねる
いため、全面ガラス張りの新しい外観をつくり出すことができ る。カーテンウォールという名前で呼ばれたこれらの建築物は、 モダニズムの象徴となった。 オフィス・ランドスケ 1 プは、ヨ 1 ロッパとアメリカで一時 期プレイクし、家具メ 1 カ 1 もそのアイデアに沿った商品開発 を推し進めた。現在のオフィスでも多く見られるパーテーショ ン型のプ 1 スシステムは、この動きの中から生まれたものだ。 しかし企業組織の規模が大きくなり、ワンフロア 1 内の処理能 力を越えてしまったこと、あるいは頻繁なレイアウト変更が求 められるようになって、コミュニケーション解析の作業がビジ ネスの実態に追いつけなくなったことなどにより、オフィス・ ランドスケ 1 プの手法は下火となっていった。 クイックポナー社は、オフィス・デザインではなくビジネス コンサルティングの会社だった。企業のコンサルテーションを 通じて、組織間の断絶が企業活動に負荷を与えることを痛感し 2 4 4 3 : 「ワーク・デサイン」の発見
後先を考えない人は「馬鹿」と称されやすい。しかし未来は、 今この瞬間の累積以外の何ものでもない。最も退屈な馬鹿とは、 いますぐに始めれば、 しいことを、「明日から , 「来年からは」と 先送りにする人を指すのだと思う。いま現在の充実を積み重ね ることが何よりも大事であるのに、私たちは様々なことを先送 りにしやすい。今この瞬間の幸せよりも、将来の幸せの方に重 心を置きやすい心性がある。 臨床哲学を提唱する鷲田清一氏は、近代の産業主義的な価値 観の特徴を、常に前向きのパースペクテイプを持っ時間感覚と して説明している。 「たとえば企業での仕事を考えてみよう。ある事業 ( プロジェ クト ) を立ち上げるときに、ます利益 ( プロフィット ) の見込 み ( プロスペクト ) を考える。その見通しが立ったなら、計画 ( プログラム ) 作りに入る。そしていよいよ生産 ( プロダクシ ョン ) にとりかかり、販売がうまくいけば約東手形 ( プロミッ ノ 1 ト ) で支払を受ける。そしてこの事業が全体とし て会社の前進 ( プログレス ) に寄与したことが明らかになれば、 2 3 0 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
テム。デスクトップ機の拡張性と、ラップトップ機としての可 搬性。ビデオテ 1 プのように本体を吸い込むフロントロー ディングのメカニズム。今ではほとんど見かけられなくなった 小さなトラックボ 1 ルの使いやすさとそのデザインなど、すべ てが愛らしく、かつ高度な機能性をともなってまとめ上げられ ていた。 プロダクト・デザインのプロセスは、技術面をつかさどるエ ンジニアリングと、造形面をつかさどるデザイニングという一一 つの職能の協働作業を通じて進められる。 本来この二つは、分離できる仕事ではない。にもかかわらす、 企業におけるモノづくりでは、不可分なこの領域にキッチリと 部門間の縦線がひかれていることが多い デザインしなければならないのは、モノそのものではなく、 それを通じて得られる経験だ。長い期間その人気を保つカメラ には、シャッターの感触が心地よいものが多い ト型 9-:0 のキータッチはユ 1 ザ 1 の間では熱く語り合われる有 0 7 6 1 : 働き方がちがうから結果もちがう
にくくなった現在、どのような形でそれを再提供できるかとい う事例と考察をまとめている。一〇〇人を超えるサンプルに、 「あなたはどんなときに生き生きと働くことが出来ているか . をヒャリングした結果から編み出されたというこの冊子は、モ チベーションの源泉を再考するに十分な要素を含んでいた。 たとえば、お客を降ろす時に車を停める場所や、ちょっとし た車体の揺れに対する気遣いを重ねることで、いつの間にか一 年間のスケジュ 1 ルが予約で埋まるようになったタクシー・ド ライバーの話。そこには、「人の役に立ち、評価されている , という、力強いモチベーション・リソ 1 スがある。 大手企業の経理事務、ロッジの手伝い、プログラマ 1 、営業 と様々な職種を経験してきたが、もっとも生き生きと楽しく仕 1 のレジ打ちだった、と語る女性も登場 事が出来たのはス 1 パ こ感じられ、短大まで出た私が する。最初のうちは仕事が単調。 なせレジなのかと不満に思っていた彼女が、いつも見かけるお 客さんには「今日は〇〇ですか」と声をかけてみたり、お年寄 ワークデサイン研究室との出会い
1 サ 1 著作集にも、マルセル・プロイヤーのワシリ 1 チェアに も、イ 1 ムズの 0 ( 椅子 ) にも、クライアントは存在しな これらの仕事において、デザインとは極めて個人的なアイデ アを、具体的な形で世の中に提案する仕事だった。企業の依頼 をうけてその経済活動を美的側面から支援するというデザイナ 1 の仕事は、おもに大戦以降、資本主義経済が発展してゆく過 程で形成された、わずか約半世紀間のデザイナ 1 像に過ぎない。 そのスタイルが最も極端化した国が日本。そして同じく近代 デザインを発展させながら、日本の対角線上に位置しているの が、僕の知る限りイタリアという国である。 企業社会のあり方をめぐる日本とイタリアの違いは実に好対 照で、デザイン・プロダクトをめぐる差異の多くも、間違いな くそこに起因している。 イタリアは、無数の中小企業で構成された社会だ。もともと が共和国制で、ひとつひとつの市場規模が小さく保たれていた 2 3 4 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
点に考え、イメ 1 ジし、それを具体化する仕事を楽しみ始めて いる。フリ 1 エージェントという考え方も、その一つの象徴だ ろう。不況による企業の新入社員雇用数の減少と、カフェづく りのプームが時期的に重なったことも興味深い。メーカーポジ ションで、自ら商品を製造するデザイナ 1 も徐々に増えている。 デザインの分野に限らず、私たちは企業という母体からの乳 離れを始めているのかもしれない。の数値が、豊かさの 実感や人生の充実感に直結するわけではないことは、既に知っ ている。自分を満たす、自分事としての仕事。 もちろん、会社で働くことと個人で働くことを、対立的に捉 える必要はない。要は、仕事の起点がどこにあるか、にある。 私たちはなせ、誰のために働くのか。そしてどう働くのか 「頼まれもしないのにする仕事」には、そのヒントが含まれて いると思、つ。 2 3 8 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
か。「創造的であれーとか「主体的であれーと言っても、それ はあくまでほどほどに。本当に主体的な人はコントロ 1 ルしき れないし、本当に創造的だと、いっ会社を辞めてしまうかわか らない。 以前の日本企業は一生涯をともにする村社会で、会社は人材 を所有することを是としていた。が、こうした時期も終わりつ つある。雇用調整を行わずに、ビジネス環境の激しい変化に対 応してゆくのは至難の業だ。同時に社会の価値観は、所有価値 から使用価値・共有価値へと動いている。社員という労働資源 についても、常に多くの人材を企業が抱えてそれを維持するの ではなく、必要に応じて雇用するプロジェクト型・契約型の就 労制度に変わってゆくだろう。併行して、ワーカ 1 側の労働観 も変わってゆくはすだ。 いつでも、どこでも、誰とでも働くことの自由を、自分自身 のカで獲得すること。 2 7 0 3 : 「ワーク・デザイン」の発見
ークは、空間のデザインから「ワークスタイルのデザイン」と いう観点へ僕を移してくれた。そして興味は、組織論やマネー ジメント論へ移りはじめた。 勤続年数に応じて幾何級数的に給料を上げる旧来の日本の給 与体系が、高度成長期のピラミッド型の人口分布や、終身雇用 という生涯契約型雇用が可能とした一種の後払いのシステムで あること。欧米企業の給与体系では、このような仮しのぎ的な システムは採択されていないこと。 もともとは「所」という字を充てていた「一所懸命」という 言葉が、終身雇用制の価値観の中で、生涯をかけて行う「一生 懸命」という文字に置きかえられていった話。 日本企業の経営者が自社を「うち」と呼ぶ時、そこには都市 部への集団就職によって地縁社会から切り離された人々を、あ らたに取り込む共同体としての、疑似家族的なイメージ操作が 見られることなど。 生物学の分野にも、組織論に興味深い視点を投げかける研究 2 5 2 3 : 「ワーク・デサイン」の発見