個人を掘り下げることで、ある種の普遍性に到達すること。 自分の底の方の壁を抜けて、他の人にも価値のある何かを伝え ることは、表現に関わる人すべての課題だ。 余所でなくこの足もとに積み上げる 「自分の身体により近い足下の場所で、いろんなものを積み上 げていくことが大事なんだと思う。いまの社会は全員が余所の もので余所のことをやっていて、その結果誰も幸せになってい ない感じがするんだな。 僕の理想は、人間が一日で歩ける半径四〇キロくらいの範囲 で野菜や水など必要なものが手に入り、その地域のなかで循環 できること。足下の衣食住のような、ごく小さなことの紡ぎ上 げが文化だと思うんです。生活様式はどんどん変化していくし、 使う道具も変わっていく。しかし少なくとも、その場所、その フィールドで考えることがすごく重要ですよ。ここは、ようや 2 1 0 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
「自分がとことん馬鹿になれることを、忘れないことです。馬 鹿をやれることを大事にする。もちろん自分だけでなく、馬鹿 をやれる人についてもですよ」 馬鹿という言葉こク、、 ( しし意味でツという注釈はナンセンスか もしれないが、失礼を承知で確かに森本氏は「馬鹿ーかもしれ ない。彼が手がけるアニメ 1 ションは、意味や機能を越えた動 きの魅力に溢れている。映像の内容より、動きそのものの気持 ちよさに意識がさらわれてしまうほど、細部へのこだわりに満 ちている。 馬鹿がする仕事の素晴らしさは、それが無償のものであるこ とに尽きる。そこには自己証明すらない。 この章のタイトルで もある「自分の仕事」という言葉からは、自我の確立や自己実 現といったテ 1 マが連想されやすいかもしれないが、ある意味 では自我や自己など、小さな切れ目のようなものに過ぎない。 章の冒頭で触れた佐藤雅彦氏や宮田識氏のエピソードは、個人 的な気づきをきっかけに、自分を越える大きな全体へ繋がって 2 2 8 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
馬場うーん。ないんでしようね。だからね、他人の仕事はあ まり受けたくない。仕事にしてはいけないんじゃないかと思う。 たとえば、店舗のプロデュースにしても、外側だけ作っても 仕方がない。一年ぐらい経過して訪ねてみると、がっかりする ことも時にはあるんです。そんな経験を何度か重ねていると、 中身まで自分でみれないものはやってはいけないなと。やって ますがね。やってますが、今はかなり近い関係の人の仕事に限 っている。 「自分」の切り売りになってしまうような仕事は、すごく辛い ことですよね。 東京で事務所をひらいていた時代、企業から頼まれる仕事に は、時代を先取りしたエコ関連のものも多かった。自然が大事 だとか、ロ 1 マテリアルが大事だとか、手仕事が大事だとか、 そういうことを考えて関わるわけですが、けつきよくは消費さ れて、消耗して終わってしまう。それは「自分ーの切り売りで すよね。 どういうことがテ 1 マであれ、これは一緒だなと思ったんで 2 8 9 馬場浩史さんを益子に訪ねる
後先を考えない人は「馬鹿」と称されやすい。しかし未来は、 今この瞬間の累積以外の何ものでもない。最も退屈な馬鹿とは、 いますぐに始めれば、 しいことを、「明日から , 「来年からは」と 先送りにする人を指すのだと思う。いま現在の充実を積み重ね ることが何よりも大事であるのに、私たちは様々なことを先送 りにしやすい。今この瞬間の幸せよりも、将来の幸せの方に重 心を置きやすい心性がある。 臨床哲学を提唱する鷲田清一氏は、近代の産業主義的な価値 観の特徴を、常に前向きのパースペクテイプを持っ時間感覚と して説明している。 「たとえば企業での仕事を考えてみよう。ある事業 ( プロジェ クト ) を立ち上げるときに、ます利益 ( プロフィット ) の見込 み ( プロスペクト ) を考える。その見通しが立ったなら、計画 ( プログラム ) 作りに入る。そしていよいよ生産 ( プロダクシ ョン ) にとりかかり、販売がうまくいけば約東手形 ( プロミッ ノ 1 ト ) で支払を受ける。そしてこの事業が全体とし て会社の前進 ( プログレス ) に寄与したことが明らかになれば、 2 3 0 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
浮かぶような状況に持っていくためには、いろいろやらなき ゃいけない。山小屋に入ることもあるし、ある舞台の演出スト 1 をつくった時は、タイの小さな島に入りました。海際に ハンガロ 1 を借りて、そこに二週間くらい滞在した。最初の一 週間は、毎日島の男の子にココナツツを二つずつ運んでもらっ て、ストロ 1 を入れて飲む。食べるものはそれだけっていう、 ちょっとした断食です。別に空腹感もないし、三日くらいする と身体の中がものすごくキレイに洗われて、完璧に波の音にチ ューニングされていくんですね。そうすると、自分がも、つクた だいるツっていう感じになってくるんです。 そんな中で夢想していくと、いろんな記憶が開いていく。ス ケッチブックを身近に置いて、テラスに出てはそういう風景を チョロチョロと描き続けるんです。そういうものをスクラップ が出来てくる。そ して持ち帰り、再編集して一つのスト 1 リ 1 んな作り方をしているんです。 雑木山を歩くようなことも、とても大事なんじゃないか。今 の僕にとっては、すごくそうです。風がプワ 1 ッと吹いて来る 2 0 6 2 : 他人事の仕事と「自分の仕事」
り出すシンポル的な存在だった。しかし今はどうだろう。 多くのデザイナー、あるいは何らかのモノづくりを志す人々 は、「本当に必要なモノはなんだろう ? , という問いに、あら ためて引っかかりを感じているのではないか。 美意識としての環境問題 色と手ざわりのどちらを大切にしているか、という質問を投 げると、次のような言葉が返ってきた。 「色や触感がどうということより、そのモノ自身がク大事クか ク大事じゃないみかということの方を、私はずっと気にしてい ます。 私のすべての仕事において、モノをつくることの大事さ以外 は、まったく些細なことなんです。気になることじゃあない 丸いのかいいとか四角いのがいいとか、この色はきれいだとか この色は醜いとか、そういうことは全部勝手な決めかたで、理 由なんて何にもないと思う。ほんとうにそれは趣味に過ぎませ Photo 【 SAKANO Jun ヨーガン・レールさんのモノづくりを訪ねる
影響力を持っ仕事は多いが、中でもデザイナーは情感性の高い 表現物を扱っているので、その社会的な影響力を思うと、事態 はかなり深刻かもしれない。 そんなことを考えていたある日、僕は柳宗理氏によるコーヒ 1 カップを手に入れた ( 一〇頁参照 ) 。 ポ 1 ンチャイナの白い食器は、「これはとても丁寧に作られ ている」「これは大事に使わなければいけない」と思わせるも のを、強く内包していた。手にとった瞬間、モノを通じて自分 が大事にされていることが感じられるデザイン。こうした仕事 ーいまや希少だ。 この食器はどんな現場から生まれたのだろう。彼の設計室は、 四谷駅にほど近い小路の行き止まり。前川国男建築設計事務所 の半地下にあった。事務所の名称は「柳工業デザイン研究会」 という。一九五〇年代、第一回工業デザインコンク 1 ルで賞を 受けた柳氏は、賞金として一〇〇万円を受け取った。しかし、 本人いわく「棚から牡丹餅のような気がして」、そのうち五〇 槨宗理 1915 年生まれ。 日本のデザインの歴史そのも のを自ら歩んできた工業デザ イナー。代表作としてバタフ ライスツールが有名。東京湾 横断道路のゲートデザインな ども手がけている。現在は柳 デサインの他、東京・駒場に ある日本民藝館の館長も務め る。 http://www.japon.net/ yanagi/ をーに 0 5 8 1 : 働き方がちがうから結果もちがう
ヨーガン・レールさんのモノづくりを訪ねる【 19 9 9 年・春】 「自分のつくるものが " 大事 4 か″大事じゃな し 4 かということを、私は気にしています 一九九八年の二月、福岡と神戸にヨ 1 ガンレ 1 ルの新しいシ ョップがオ 1 プンした。服だけではなく、木工家具や食器をも 扱う店だ。これらの家具は、それまでも雑誌などで、彼の住ま いを写した写真の片隅に見かけることが出来た。手ざわりの良 さそうな木のスツールたち、そして仕事場でも日常的に使われ ていると聞いていた木や陶磁の食器類。 とても繊細で、本人の立ち姿の印象と重なるヨ 1 ガンレール の商品群は、どのような考え方や働き方の中から生まれている のだろう。 「これまでもお店のディスプレイ用に、テ 1 プルやスツール、 物入れなどをつくってきました。でも、今回はお店に合わせる のではなく、どこにでも使えそうな家具をつくりたかった。家 ヨーガン・レールさんのモノづくりを訪ねる
取材を終えて報告に来る西村さんの話が、毎回、楽しみだった。取材先で見たもの、聞 いた話について、西村さんは興奮気味に話す。仕事場でこんなふうに仕事をしていた、こ んなものを見せてくれた、スタッフは食事をこんなふうにとっていた、それにはこんな考 えがあるからなんだそうだーーー「なるほどー 、、、ハッとさせられることが多々あっ と田心し た。取材直後の生な興奮と「気づき」をそのまま聞けるのだから、漁師が獲った魚をその 場でさばいて刺身でいただくようなものだった。 この本を読まれた方も、登場する人々の仕事ぶりや考え方にしばしば「なるほど ! 」と 〕じ、ハッとさせられたことと思う。じゃあ、なぜそう感じるかというと、意外なことや 難しい理論を知ったからではないだろう。少なくともわたしは違う。 ここに取り上げられた人々は、実物で試行錯誤する ( わたしたちは得てして頭の中だけ で考え、錯誤だけしてしまう ) 、体験して感じ取った何かを大切にする、自分がほしいと 思うものを作る、自発的に仕事をする、など、むしろ、「当たり前のこと」を大事にして いる。彼らの仕事のやり方は、実はわかりやすいのである。 そうして、わたしたちもこれまで生きてきたなかで、そうした「当たり前のことーのよ さ、大切さをどこかで知っている。しかし、世間で通用している働き方のパターンに慣れ、 また根本的なことを問い直すのはしんどいものだから、何となく惰性で仕事をしてしまう。 、ハッとさせられる だからこそ、当たり前のことを当たり前にやっている人たちを知ると 3 2 9 解説
のだと思う。繰り返すが、わたしたちは本当はすでに知っているのだ。 もうひとつ。先ほど、「日本ではお金を出す側が何となくエラい」と書いたが、仕事を する側とお金を出す側は、本質的には互恵的な関係だろうと思う。少なくともそうであっ てもおかしくない こっちでやろう、こっちで出そう、という関係でもいい。 しかるに、なぜかわが国では、仕事をする側が卑屈になってしまうのだ。話がしばし 脇にそれて申し訳ないが、メーカーや銀行が顧客に対して「お客様」という一言葉を使う。 使ったっていいが、やたらとへりくだる ( 本心からかどうかは別として ) 。お客様第一主 義 ! 仕事をする側が「しもべ」的態度を取ってしまうのである。 ホテルマンや英国の執事のように、しもべ的な態度が相手を心地よくし、そのことに本 人が意義を感じる職種もある。しかし、そうではない職種で無用にしもべ的な態度を取る ことは、自分の仕事のうえでもっと考えるべきことを、考えられなくしかねない。西村さ んの一一一一口う「他人事の仕事。になりやすいのだ。しもべのように仕える、アナタ方ハソレデ イイノデショウカ ? この本に登場する人々にしもべ的な態度はない。かといって、傲慢でもない。彼らはシ ンプルに相手と向き合う。そうして、相手 ( や周り、あるいは知らない誰か ) に何をして あげられるかを考える。どういうふうに人と関わるかについて、彼らはそれぞれ自分の形 を持っているように見受けられる。その、人と関わる結び目にあるのが、仕事だ。 3 3 0