あります。ときには、それに気を取られない訓練が必要なほど です ( 笑 ) 。 0 O のイヴォンでさえ個室は持っていません。私たちスタ ッフの間に、まったく同じようにポンと席があるんです。です から知らない人は、彼がだなんて気づかないでしようね ( 笑 ) 。そこにイヴォンがいれば、私は自分の席に座ったまま彼 ( 二ⅱしかけられるくらいです 私たちは、チャイルドケアをはじめ、ジョブ・シェアリング や在宅勤務など、フレキシプルワ 1 クに関する様々な制度も用 意してきました。そうですね。いろんな意味で、お互いを信用 していることが私たちらしさかもしれません。 ニ〇〇八年現在、イヴォン・ シュイナード氏は会長兼オー ナーである。 1 0 2 1 : 働き方がちがうから結果もちがう
そして自らの仕事を外に託して人生を空洞化させている私と、 そこから切り出されたどこかの誰かのための仕事をこなしてい る私は、同一人物だ。蛇が自分の尻尾をくわえているようなこ の堂々めぐりは、一体何なのだろう。 デザイナ 1 も企業人も、根本的には何よりも前に一人の生活 者だ。本当に必要なものは何か、自分にとって大切なものは何 なのか。それを捉え判断していく、ごく当たり前のセンスが、 モノをつくる人に強く求められている。 「大袈裟な話ではないんです。ただ、バランスの取れていない ものが多いので、私はそれにできるだけ参加したくない。それ だけのことなんですー 1 9 7 ヨーガン・レールさんのモノづくりを訪ねる
で働いています。各自のデスクやミーティングルームのあるエ リアが建物の半分を占めていて、残りの半分はワークショップ ( 工房 ) になっていますね。プロトタイプやモックアップをつ くるための作業所です。私たちのモノづくりは、プロトタイピ ング・カルチャーと言ってもよいでしよ、つ。 たとえばデザイナ 1 、マ 1 ケッタ 1 、プランナ 1 など、様々 な職種の人が集まって、商品開発のミ 1 ティングを持っとしま すね。私たちのミ 1 ティングは、出来るだけ異なる職能の人材 を交えて行うようにしています。三〇分ほど過ぎて、もしディ スカッションが平行状態に陥りミーティングが停滞したら、私 たちはその場で一度休憩を入れます。そしてその間に、デザイ ナーがワークショップの機材で簡単な立体模型をつくってみる。 デ 1 タから削りだしたごく簡単な樹脂模型ですが、具体 的なモノを手にしてミーティングを再開すると、言葉上の水掛 け論はなくなって、より具体的で前向きなアイデアが出てくる よ、つになります。 私たちは、小さな失敗を出来るだけ多く、具体的に重ねるこ 0 8 3 ー D E 0 のポイルさんをパロアルトに訪ねる
まえかき 目の前の机も、その上のコップも、耳にとどく音楽も、ペン も紙も、すべて誰かがつくったものだ。街路樹のような自然物 でさえ、人の仕事の結果としてそこに生えている。 教育機関卒業後の私たちは、生きている時間の大半をなんら かの形で仕事に費やし、その累積が社会を形成している。私た ちは、数え切れない他人の「仕事」に囲まれて日々生きている わけだが、ではそれらの仕事は私たちになにを与え、伝えてい るのだろう。 たとえば安売り家具屋の店頭に並ぶ、カラ 1 ポックスのよう な本棚。化粧板の仕上げは側面まで、裏面はべニア貼りの彼ら は、「裏は見えないからいいでしょ ? とい、つメッセ 1 ジを、 語るともなく語っている。建売住宅の扉は、開け閉めのたびに 薄い音を立てながら、それをつくった人たちの「こんなもんで しいでしょ ? 」という腹のうちを伝える。 0 0 9 まえがき
はそれを手に入れられないことにある。 先にも触れたとおり、仕事は自分を社会と関係づける重要な メディアである。日本のような企業社会では、「仕事」という 資源はとくに会社に集まっている。私たちは野菜や食料を買う ために、ス 1 ーマ 1 ケットへ出かける。それと同じく、会社 とは、「仕事ーという商品の在庫をかかえたス 1 パーマーケッ トのようなものだと考えてみる。小さな会社は、商品 ( 仕事 ) の品揃えが少ない。大きな会社は売り場面積も広く、商品 ( 仕 事 ) の品揃えや種類も豊富だ。 自宅に畑があり、近隣であらゆる食材が手に入るとしたら、 ーパ 1 には通わない。少なくとも依存的にはならないだろう。 しかし私たちは通う。自給自足する手段を持っていないからだ。 ワ 1 カーが能力を売っているというより、会社が「仕事を売っ て」いるのである。 ところで、私たちが会社から仕事を買っているとしたら、そ こで支払っている対価はなんだろう。 2 6 8 3 : 「ワーク・デザイン」の発見
れ出るように表されていた。 最終日のプレゼンテ 1 ションも終わり、提示されたデザイン のいくつかは、アレッシ 1 の商品として検討されることになっ た。一週間ほど間をおいて参加者にインタビュ 1 を行ったとこ ろ、みな口を揃えて「ラウラに力を引き出されてしまった ! ーと 言う。もちろん力を出し切った人たちの、満足気な笑顔付きで。 彼女は、彼らのエネルギ 1 をどのように引き出したのだろう。 最終日のプレゼンテ 1 ション直後、すこし高揚気味のラウラ・ ボウリノにインタビュ 1 してみた。 ボウリノこのワ 1 クショップの目的は、あたらしいリサ 1 チ の境界線の開拓と、若い才能の発掘にあります。ですから私は、 学生だろうと企業のデザイナーであろうと、一切の区別をして いません。 どんな状況や背景の中にいる人からも、クリエイティビティ を引き出せることが私の方法論のいいところです。私には、人 ドラフトの宮田識さんを東京・恵比寿に訪ねる
の才能を引き出す才能があることを自負しています。 アレッシ 1 への作品の売り込みは沢山あると思います。そ れに加えてこのワ 1 クショップを開催する意図は ? ボウリノ確かに沢山あります。郵送物も電話も多い。でもそ ういうのには興味がありません。彼らは自分が良いと思った、 完成したデザインを提示してくる。でも私は惹かれないの。私 は自分の欲しい方向性で、若い才能を結集したい。まだなんの 色にも染まっていない人たちとワ 1 クしたいのです。 あなたが、 人の創造性を引き出す自分の力に気づいたのは、 いっ頃ですか ? ボウリノいっ気づいたのかはわからない ( 笑 ) 。アレッシ 1 で働く前に一〇年間、劇場でも仕事をしてきたんです。現代舞 踏をやっていて、女優を演じたこともある。衣装も振り付け師 1 2 2 1 : 働き方がちがうから結果もちがう
どんなスタッフが働いているのかが、ノ ェッセンスになるわけですね。 セトニカええ、そうですね。ごく自然な成り行きですが、こ こで働く人たちはアウトドアが好きです。そして会社に何かを 期待している。パタゴニアで働きたいと言ってくれる方は大勢 いますが、それはこの会社がしようとしていることを、皆が信 じているからだと私は思います。 ワ 1 クスタイル上の特徴も考えてみましようか。例えばここ で働く人の多くは、その業務に関する経験の有無を問われるこ とがありません。それぞれの興味に応じて、ほかの部署の仕事 に移ることも多いのです。私はサンプルづくりや裁縫の仕事に ついて、その詳細も厳しさも知りません。が、仕事をかえるこ とを希望できます。異動先の上司がを出してくれれば、そ れを引き留める要素は基本的にありません。 このような機会があるのは、スタッフが成長していくうえで 、タゴニアの商品の 0 9 5 パタゴニア社をベンチュラに訪ねる
アの総売上の 1 % から金銭的援助を受けている世界中約五〇〇 のグループ。社内向けのパンフレットには「才能とエネルギ 1 を、あなたが信じることに使おう」と書かれ、このプログラム が個人の成長と経験の蓄積に対する投資であることを強調して いた ) こうした経験は、彼らがパタゴニアに戻ってからもいい方向 に働くはすですよね。 信じられない ! 個人に対する大変な投資ですね。 セトニカそういう人の存在も、内面に蓄積された経験も、ど ちらも会社にとって素晴らしいリソ 1 スだと思いませんか。そ れに、私たちは人を雇用するけれど、その人の人生まで雇い上 げているわけではありません。 スタッフ自身がアウトドアに出かけていく時間も大切です。 ここでは自分の仕事に籍を残したまま、四カ月ほど仕事を離れ ることも可能です。アウトドアに熱中する時間は、私たちの仕 0 9 9 パタゴニア社をベンチュラに訪ねる
り出すシンポル的な存在だった。しかし今はどうだろう。 多くのデザイナー、あるいは何らかのモノづくりを志す人々 は、「本当に必要なモノはなんだろう ? , という問いに、あら ためて引っかかりを感じているのではないか。 美意識としての環境問題 色と手ざわりのどちらを大切にしているか、という質問を投 げると、次のような言葉が返ってきた。 「色や触感がどうということより、そのモノ自身がク大事クか ク大事じゃないみかということの方を、私はずっと気にしてい ます。 私のすべての仕事において、モノをつくることの大事さ以外 は、まったく些細なことなんです。気になることじゃあない 丸いのかいいとか四角いのがいいとか、この色はきれいだとか この色は醜いとか、そういうことは全部勝手な決めかたで、理 由なんて何にもないと思う。ほんとうにそれは趣味に過ぎませ Photo 【 SAKANO Jun ヨーガン・レールさんのモノづくりを訪ねる