向こう - みる会図書館


検索対象: 超バカの壁
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1. 超バカの壁

多くの人が一元論にはまらなければ、そもそもテロを起こそうなどという極端な方向 へは向かわない。しかし、それで「テロが防げた」とは思わないわけです。なぜなら起 こらなかったことを防げたというふうに人は思わないからです。多くの人が「防げた」 と思、つのは、飛行機に爆弾を持って乗り込む寸前の犯人を取り押さえたというようなケ ースでしよう。しかし、それはその事件を防いだということに過ぎないのです。 本当に大切なのは予防です。そして予防できれば、実は悪いことは起こらない。した がって予防の効果があったかどうかはわからない。 常に言っている一元論への批判は、 テロリストにならないようにしておくための考え方なのです。 こういってもなかなか納得していただけないかもしれません。テロが起こったのは向 こうの考え方が悪い 、思想に問題がある、それを予防するには相手の考えを変えさせて しまえ、と、すぐそのまま反応する。そうなると向こうを攻撃してしまう。それがテロ の応酬です。 保守の意味

2. 超バカの壁

自分の判断でしたのですから遺族とトラブルになってぶん殴られても、だれにも文句 は = 一一口えません。結局、その田舎の親族がやってきたときには実際に殴られました。しか しそれで向こうを追い返すことができた。それでこちらも、そこまでやれば向こうは帰 るものなんだなとい、つことがわかった。 向こうも文句を言って気が済めばそれでよかったのです。そういう事実が残れば彼ら メンツ それでこっちが別 の面子は立つ。東大の医者を殴ってやったよ、と田舎で一一一一口えばいい。 に損するわけではありません。解剖はきちんと進むし、仕事のほうも順調にいくわけで す。丸く収まれば献体を了承してくれた遺族も助かる。 もちろん、抗議を受けているときにそんなことをいちいち考えて出ていったわけでは ありません。しかしこちらが本気でやれば、自然に一番いい解決の方向に動くのです。 抛本気でやるべきときに、逃げるのが一番駄目です。面倒なことにも直面するのです。 の 本 面倒から逃げない これは若い人にはなかなかピンと来ないかもしれません。要領よくしたほうがいいの 181

3. 超バカの壁

それは科学的にいえばお互いに忌避物質を出している可能性があります。人間が大勢 集まると実際に臭くなるのです。「おまえら、あっち行け」という信号が身体から出ま す。人間の鼻はさほど性能がよくないので意識では気がっかないだけです。 動物を怖がる人がよ この物質はフェロモンの逆みたいな作用をすると考えればいい。 く動物に襲われるのはなぜか。それは動物に対して「おまえら、あっち行け」という信 号をいきなり出すからです。 動物からすれば、俺のほうに勝手に近づいてきて、この人、感じ悪いなあと思う。だ から怒るわけです。動物を怖がっていない人間のほうが平気なのはそういう物質を出さ ないからです。小さな子がアフリカ象のそばへ寄っても、象のほうは何とも思わない。 子供が怖がっていないから象のほうも危険を感じるわけがない。 もちろん大に追いかけられる人の中には、単になめられている場合もあるのでしよう 題 か、自分から「おまえら、あっち行け」という信号を出している場合もあるのです。現 代の大ですから、もしかすると向こうは向こうでストレスを抱えてイライラしているの 1 かもしれませんが。

4. 超バカの壁

テロとは戦うべきか 『バカの壁』で、テロや戦争がなくならない理由は一元論であると書きました。自分の 頭の中に「バカの壁」を築き、その向こう側のことなど想像もしない。起きている自分 の意識だけが世界のすべてだと思ってしまう。そうした考え方が悪い形で出たものが、 テロや戦争であるということです。 テロ対策として、アメリカのように「テロとの戦い」を唱えて「敵」の根城を攻撃す るというのは、彼らなりの具体的な手法なのでしよう。しかし、それでテロをなくすこ とができるかというと疑わしい。その路線を進めていくと最後は自分がテロリストにな 3 テロの問題

5. 超バカの壁

中国、韓国は放っておく 靖国神社への参拝に反対している人は、中国や韓国の気持ちはどうなるのかとおっし やるかもしれません。しかし靖国問題について彼らがいろいろというのは、実は害がな いからだろ、つと思います。 彼らとしてはこの件で文句をいうのが一番都合がいい。もしも日本にまじめに抗議し て、東芝は出ていけなどと言って、本当にそうなったら彼らも困るわけです。中国のほ うが損をする。一番実害がないのがこの問題なのです。 それで彼らは日本に文句を言える。日本人も、向こうは害がないから言っているんだ ろうとニコニコして聞き流せばいいのです。それをまじめに相手にする人がいるからや やこしくなる。余計なお世話です。放っておけばいい。 だれも損をするわけでもあるまいし、得をするわけでもない もしも首相が靖国神社に行ったから損をした、という人が日本にいるとすれば、そん な商売はするなと言いたい 716

6. 超バカの壁

つかず離れずがいい イライラしている年寄りや、宅間ほど極端な人ではなくても困った人というのは一定 数います。東大にもいました。こういう人との接し方というのは、つかず離れずという ことです。 あまりまともに付き合って向こうの世界に巻き込まれたらえらいことになってしまい ます。相手が頼ってきたりもします。あの人はみんなから浮いていてかわいそうだから などと余計なことを思うと駄目です。 その一方で完全に突き放すと今度はやけを起こす。その辺の距離感が難しい。そうい う人はわがままだから、自分の陣地を広げようとする。それをどうやって最低限で抑え 9 ておくかというあたりが一番難しかった。 間そのときによく人はドミノ理論をもとに考えてしまいます。つまり厄介な人に対して 人 ここで譲ると、またどんなわがままを言ってくるかわからない、 ドミノ倒しになる。だ 1 から強硬姿勢に出ないとだめだという考え方です。

7. 超バカの壁

その文句を保育園に直接 = = ロうのではなく市に言ってきました。そこで今度は市から保 育園に指導が来た。 しかし子供中心に考えたら、お母さんの弁当が月に一回でも少ないのではないかとい う気もします。実際に子供がお母さんの弁当を食いたいと思っているか、食いたくない と思っているかは別の問題です。お弁当の日は一種の精神運動のようなものですから。 結局、市役所側の判断として、現状と要望を足して二で割ったような結論になりまし た。つまりお弁当の日は二カ月に一日ということになったのです。ここでも大人の都合 が優先されています。議論の焦点がずれたまま折り合っているのです。 子供には手入れ 子供を大事にするというのはどういうことか。それは「手入れ」の問題だと思います。 供自然のものというのは、根本的にはこっちが向こうの仕組みを全部理解しているわけ 子 ではありません。車の修理ならば全部どうすればいいかわかりますが、自然の場合はそ うはいかないのです。

8. 超バカの壁

よま まり「バカの壁」にまれて、その向こう側のことを想像しない。それ以外の考え方を 考慮しない。こ、つなるとアクセルしか踏まなくなるのです。 だから私はいつも「あんたの考えが一〇〇パーセント正しいということはないだろう。 せいぜい六〇パ 1 セントか七〇パーセントだろう」と言っているのです。その程度に思 っていれば、まさか爆弾を抱えて突っ込まないだろうということです。日本の場合も、 あそこまで戦争を続ける必要はなかった。もっと前に降伏することができたはずです。 自分の考えがせいぜい六〇—七〇パーセントだと思っていれば、六〇—七〇パ 1 セン ト負けたところで白旗をあげられた。それが一〇〇パーセント正しいと思っていたもの だから、途中でやめられなかったのです。九九パーセント負けるところまで粘ったあげ くに原爆が二発落とされてしまった。 抛それで取り返しのつかないくらい大きな損害をこうむったのです。それは自分が一〇 の 〇パーセントと思、つところから始まっている。 ロ テ

9. 超バカの壁

国人の反応と同じだったのです。彼らは戦争で懲りていないということでしよう。実は 日本人は懲りていて、懲りていないのは向こうだったのです。 北京政府を相手にせず もう一つ、中国を見るときに気をつけなくてはいけないことは、北京政府だけを見る なということです。日本政府は必ず北京政府だけを相手にしてしまう。 しかし中国は北京政府だけではありません。毛沢東は「中国は点と線ではない いました。点は都会で線は交通路のことです。人口の八割を占める農民は点と線の外に いるということです。だから毛沢東は農村から蜂起したのです。 題今もその状態に変りはありません。結局、中国の人件費が安いのは、農村に膨大な人 のロを抱えているからです。そこから余剰人口が都市に来て、低賃金で働くから安い。 だからといって日本が経済進出をする際に、人件費が安いということだけを理由にし て中国でものをつくるという考え方は、実は毛沢東以前に行われていた農村に対する搾 しゅ 取と大差ありません。それは本来やってはいけないことです。

10. 超バカの壁

それと同じでファンレターに書かれた個人的な事情も、まともに読むとこちらが手紙 に影響されるのです。そ、つなると無視しよ、つとしてもどこかで気になる。すると仕事の 妨害になる。だから私の本で、もしも間違っているところや、気に入らないところがあ るのならば墨で塗ってくれとい、つことです。 気に入らないところは消してくれて構いません。こっちは小学校二年生のときから教 科書に墨を塗っていたのです。 そういう立場でなければ言論の自由なんて成り立ちません。私はオ 1 プンに書いてい るのですから、向こうがオープンな場で反論すればオープンに返事をすることもあり得 るでしよ、つ。しかしオ】ブンに一言っていることに手紙とい、つ形でプライベートで反論し てくるのは変だと思うのです。 9 経験的によくわかっているのは、一回返事を書き、その相手がそれで「わかりまし 間た」となって終わりになるということはないということです。昔、「神の存在の科学的 証明」というようなパンフレットを送ってきた人がいました。それに対して、科学的に 3 証明された神なんか意味がないという返事をうつかり書いてしまった。そんなもの、面