番助かったのは、もうこれ以上患者が死なないということ。その点だけは絶対安心でし た。人殺しをする心配がないからです。しかし患者さんを診るという行為から逃げ出し ても、遺族の面倒だとか何とか実はもっと大変なことがありました。 社会、仕事というのはこういうものです。いいところもあれば、悪いところもある。 患者の面倒の代わりに遺族の面倒を見る。全部合わせてゼロになればよしとする。 あとは目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと 思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿な考え方をする必要もないはずで 】マンも、入社当初から大志を抱い す。 Z の「プロジェクト」に登場するサラリ ていた人ばかりではないでしよう。 合うとか合わないとかいうよりも大切なのは、いったん引き受けたら半端仕事をして はいけないということです。一から十までやらなくてはいけない。それをやっていくう ちに自分の考えが変わっていく。自分自身が育っていく。そういうふうに仕事をやりな さいよということが結論です。 最近は、穴を埋めるのではなく、地面の上に余計な山を作ることが仕事だと思ってい
それは科学的にいえばお互いに忌避物質を出している可能性があります。人間が大勢 集まると実際に臭くなるのです。「おまえら、あっち行け」という信号が身体から出ま す。人間の鼻はさほど性能がよくないので意識では気がっかないだけです。 動物を怖がる人がよ この物質はフェロモンの逆みたいな作用をすると考えればいい。 く動物に襲われるのはなぜか。それは動物に対して「おまえら、あっち行け」という信 号をいきなり出すからです。 動物からすれば、俺のほうに勝手に近づいてきて、この人、感じ悪いなあと思う。だ から怒るわけです。動物を怖がっていない人間のほうが平気なのはそういう物質を出さ ないからです。小さな子がアフリカ象のそばへ寄っても、象のほうは何とも思わない。 子供が怖がっていないから象のほうも危険を感じるわけがない。 もちろん大に追いかけられる人の中には、単になめられている場合もあるのでしよう 題 か、自分から「おまえら、あっち行け」という信号を出している場合もあるのです。現 代の大ですから、もしかすると向こうは向こうでストレスを抱えてイライラしているの 1 かもしれませんが。
れこれ理屈を言っても女のほうは内部的な安定性をはっきり持ってしまっているからび くともしない。 「どんなに言われても、私はこうなのよ」と自信がある。それが頑固さ につながっているのです。 もしも女性の方が社会的に低い評価を受けるとすれば、それはそういう安定性を低く 評価する文化があるからでしよう。女は頑固だ、というときには明らかに安定性を悪く 言っている。しかし私はむしろ女性の安定性を高く評価すべきだと思っています。 もちろんこの安定性には欠点もあります。安定しているのはあくまでも自分です。と いうことは他人から見れば自分勝手だということにもなる。社会性が低いとも思われる。 あくまでも個体としての安定性を持っているわけですから、そういう人とはっき合いづ らいと思われるでしよう。 抛そういう一対一の対人関係の場面では、勘弁してくれよというふうに男側が思うこと 女も多いでしよう。でも、もっと大きなスケールで考えると、人間である以上は極端まで 男 いったってたかが知れている。極端に手のひらが大きくて空を羽ばたけるなんて人はい ません。どうせ真ん中に戻ってくるなら、それが社会の安定平衡点になる。人間の常識
す。要するに自分が負い目を感じていたくない。自分が潔白でありたいというのが、結 構日本人に根強い感覚です。 初めから人間は罪を背負っているものである、気がついていなくても何らかの罪を背 ししことだ 負っている、とい、つことを意識していない。腹に一物もないとい、つことは、 ) ) と思っている人が多い。そういう後ろめたさのない政治家は布い。 その後ろめたさとずっと暮らしていく、つき合っていくというのが大人なのです。私 そ、つし が憲法九条改正に反対する理由もそれです。九条はそのままにしておいていい。 ておけば、軍隊を動かすのは何となく後ろめたいから、いろいろと論争が起こるでしょ う。それでいいと思っています。 題後ろめたさもなく軍隊を動かされてたまるかと思うのです。「これは実は悪いことを のしているんだよ」という気持ちがあって、はじめてああいうものが許される。正々堂々 争と人殺しをしていいと思われたら困る。 別に「日本の理想は無抵抗主義だ」と言っているわけではありません。状況によって 3 は、実際に自衛隊を動かす局面があっても、それは仕方ありません。現実には対応しな
ように、単純に経済面を見れば生活も大変です。しかし、そ、ついうデメリットがあって も、もっといいことがある。そう思う人が増えれば少子化の問題は自然に解決するので はないでしよ、つか テロの問題と同様に、多くの人が物事を一元的に考えなくなってくれば、自然に解決 に向かうはずです。それが本当の解決でしよう。 昨今は同じ原因で起こっている現象の一つ一つを取り上げて問題にする癖がある。で も結果のあらわれ方は様々でも根は一つなのです。託児所がないとか仕事が大変だとか いうことは、当事者にとってはそれぞれ大きな問題です。しかしいずれも子供に価値を 置いていないところから生まれているのです。少子化対策で、予算を増やしたり、援助 したりというのは悪いことではないけれども小手先のことで、あまり意味がない。 抛むしろ問題は人々の考え方のほうにあります。より大きな視点で見れば、こんなに多 供くの人が都会に住む必要がそもそもあるのだろうかということは考えたほうかいいと思 います。
と、死体の展示はとんでもないというのとはまったく別次元の話です。大体、そう言っ ている人も皆死ぬのですから。彼らは死んだときの自分はこうなるということを受けい れていない。自分を受け入れていない人にあれこれいう権利はないのです。 雑用のすすめ 抗議の相手のような仕事を、人によっては雑用と呼ぶのでしよう。それを雑用だと思 うのは、自分で考えた自分の筋というものがあるからです。しかし自分の筋があるとい ししことでもあるけれど、悪いことでもあるのです。 とりあえず一度は雑用をやってみたほうがいいと思います。若いときにはいろんなこ とをやってみることを勧める。ただし、それを雑用だと軽く見て半端にやってはいけな い。それでは薬にならないから。 それは仕事の選択そのものについてもそうです。失敗しても、 しいと思って仕事をして はいけないのです。だから、逆に嫌な仕事をやるわけです。そもそもやりたくないこと だから、モチベーションを強くしなければやれないはずです。 184
けんかしても何にもならないけれども、ただ仲よくしましよ、つと言っても意味があり ません。友好というときは、自分のためにもなることをしないと続かない。必然性がな くては意味がない。 中国の首相もそんなことがわかっていないほど馬鹿ではないと思います。反日は政策 の一環としてやっているわけです。中国共産党というのは結局革命で、武力で天下をと った。正当性は腕力にしかないというのが彼らの根本にあるわけで、その点には十分注 意する必要があります。 むしろ北京政府の正当性とは何かということについては、日本政府は絶えず意地悪く 尋ねてみるべきでしよう。直接そう聞かなくて回りくどい言い方でもいいのです。新し 抛く誕生した中国共産党だと主張しているけれど、それならばなぜ清朝の歴代の皇帝が住 のんでいた紫禁城に幹部が巣くっているのか聞いてみればいいのです。 争第一、日本は中国共産党政府に対して一切借金を負っていません。別に今の共産党が 戦 支配している統一中国と戦争をしたわけではないのです。 東京外国語大学の学長をやっていた中国の専門家、中嶋嶺雄さんにこんな話を聞いた
震災と戦争の ( 心的外傷後ストレス傷害 ) という一言葉が入ってきて特に、いのケアというよノ うな考え方が広がった。ある人が、神戸の地震とこの前の戦争とでほとんど同じような 災害をこうむっているが、今度の震災のほうが心の傷が重かったと述べていました。戦 争はだれかのせいに出来た、東条が悪い、アメリカが悪いと一一一一口えたわけだけれども、震 災はだれのせいにもできない、それが逆に心の傷につながるのだと書いていた。怒りの やり場がないから傷が残るという説です。 これを読んで違和感を覚えました。日本人は、阪神淡路大震災以前にも頻繁に地震や 噴火の被害を受けてきました。そこから「仕方がない」と諦めて「水に流す . というこ とを覚えたのです。 仮に戦争よりも阪神淡路大震災のときの方が被害者の心の傷が大きかったとしたら、 そういう伝統的な考え方が変わってきたのかもしれません。それはつまり都市化が進ん だことと関係があります。都市の人間は、物事を人のせいにしなくてはおさまらないも のなのです。都市は人間が作ったものですから、そこで具合が悪いことが起これば、だ
的な前提の上で客観的な真実があるという形で物を論じてきた。しかしどうやら現実は そうではない。こういう単純な距離という問題、線の長さというような問題でも、客観 的な長さなんてものは実は存在しないということがわかってくる。それは「アンチ客観 主義」といってもいいでしよう。カオス理論もフラクタル理論もそうです。 世間の人は科学的な結論というのは一義的に定まっていて、正しい答えがあるとどこ かで信じている。それは既に時代おくれだよということを優秀な科学者はすでに言って いたのです。 話をテレビに戻せば、社会の問題でも同じことが言えるわけです。暴力番組を見せた ら子供に悪い影響があるというような単純な因果関係で論じることが困難になってきた。 単純な是非を論じることが難しくなった。別に、何もわからないから何でもありだとい うことを言っているのではありません。 金をかけて調査をしたうえで、テレビの視聴時間や内容が子供に与える影響があると いう積極的な答えを要求しているのは、現時点の人間の考えです。しかし実はそういう 研究でそれがわかってくるとは限らない。 162
る人が多い。社会が必要としているかどうかという視点がないからです。余計な橋や建 物を作るのはまさにそ、ついう余計な山を作るような仕事です。もしかすると、本人は穴 を埋めているつもりでも実は山を作っているだけということも多いのかもしれません。 しかし実は穴を埋めたほうが、山を作るより楽です。労力がかかりません。 普通の人はそう思っていたほうがいいのではないかと思います。俺が埋めた分だけは、 世の中が平らになったと。平らになったということは、要するに、歩きやすいというこ とです。山というのはしばしば邪魔になります。見通しが悪くなる。別の言い方をすれ ば仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです。 △聰「汁は社〈につら一つ 「会社が面白くない」というのはなぜか。それは要す 若い人が「仕事がつまらない、 者るに、自分のやることを人が与えてくれると思っているからです。でも会社が自分にあ 若 った仕事をくれるわけではありません。会社は全体として社会の中の穴を埋めているの です。その中で本気で働けば目の前に自分が埋めるべき穴は見つかるのです。 2