研究 - みる会図書館


検索対象: 超バカの壁
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1. 超バカの壁

8 金の問題 てしまうと、偏った人が出来る。宗教は常にそれを訂正する役目をになっているわけで す。だから、宗教の勢いが弱くなったことと、こういう人が出てくることとは、無関係 ではありません。 研究は金で買えるか これについては大学の研究費のことにからめて何度か書いたことがあります。嫌みな 言い方ですが、潤沢な研究費があってした仕事は、研究費がした仕事であって、おまえ がした仕事ではないだろうということです。 ほば同程度の能力なら、金を与えたやつのほうがいい仕事をするに決まっている。そ うなると金で研究はある程度買えることになる。すると買えない研究とは何かという問 題に突き当たる。 ) こぶつかるはずです。お前しか 別の言い方をすれば、本当の価値とは何かというしし 生み出すことができないものは何だということです。 こういう疑問は、人間は何のために生きるのかということと直結しています。自分の 123

2. 超バカの壁

う研究はその意味で重要なのです。これだけ一般化したテレビというものについての、 そ、つい、つ研究がなかったこと自体が信じられないくらいです。 すでにテレビが登場して五十年です。影響ということでいえば、俗悪番組が悪い、暴 カ描写が悪いといったことはよく言われています。しかし、実証的なデータがありませ これが悪いと言ったところでそんなも んし、基礎研究もなかった。それであれが悪い、 のは印象批評に過ぎません。まったく実証的ではない。 ではこれを実証的に調査しようとすると何がわかるか。その研究には莫大なお金と手 間かかかって大変だということがすぐにわかる。 一種の社会システムにかかわる研究です。システムをまともに研究しようとすると大 題変なことになる。きちんとデータを取ろうとすると要素が多過ぎる。調査といっても子 の供のいる家庭に、何時間、どんな番組を見ているかということや、その他の生活習慣な テ どを細かく継続的に聞いていくだけです。それを長期間、同じ子供について調査する。 ス シ こういう研究をするというと、お金も手間もかかるからきちんとした結論が出なくて 5 は役に立ちませんよというのが一般的な意見です。たとえばテレビを長時間見ている子

3. 超バカの壁

っとしたらそんなことはないんじゃないかと思っている。 テレビの暴力番組と子供の行動には何の因果関係もないという結論になるかもしれな跖 、 0 しかし、そういう結論が出た場合、その研究が無駄だったかというとそうではない と思、つのです。 もしかするとこちらが予想もしていなかった、より高い次元でのルールが発見される かもしれない。人間は絶えすそういうことで発見をしてきたような気がする。 もしくはもっと素朴なことがわかる可能性もある。単に視聴時間と何かの関係がわか ることもあるかもしれない。暴力番組だろうが教育番組だろうが、内容と関係なく長く 見たぶんだけ影響されるということがわかるかもしれません。 もちろん研究に対して何か結論を要求すること自体は仕方ないことなのです。天気の 話にしても、「数字の取り方で結果が正反対になるから明日の天気はわかりません」と 言ったら、「経験でわかるだろう」と言われるわけです。だから現実の場面では「雨で すーというのではなくて、降水確率が xx パーセントですという。 それが長期の予報になると、とても見当がっかないという話になる。それでも長期の

4. 超バカの壁

国境の物差しの例をテレビに当てはめて考えてみましよう。例えば暴力番組という物 差しをどうとるかということです。例えば暴力番組をジャンル分けしていくと、勧善懲 悪の暴力ものと、やくざが暴れるものがあって、それもアメリカ物と日本物で細かく分 けていくと、結論が変わってくる可能性が十分あるわけです。 どこかで線を引いて暴力番組というものを決めて、何らかの結論が出せた気がしても、 それにどこまで意味があるのかがわからない 。とりあえず、調べた側とそのニーズがあ る側が落ちつくとい、つ意味しかないかもしれない。 わからないことの価値 題現に、の研究にあたって、「そういう研究をするのならば、子供がテレビをど ののくらい見たら、その子供はこういうふうに変わるというふうな、そ、ついう結果がちゃ テ んと出るような仕事をすべきだ」という意見が出たわけです。この意見の前提にはやは ス シ り「ああすればこうなる」式の考え方があります。 あらゆることに関して因果関係が成り立っという前提に立っている。でも、私はひょ 163

5. 超バカの壁

7 金の問題 金で買えないものはないか金への恨み金で買えない死体研究は金で 買えるか 5 一 9 心の問題 心の傷は治すべきか震災と戦争のイライラする匂いヤコプ ソン器官連続殺人犯の脳 7 川人間関係の問題 なぜイライラする人が増えているのか老人文化の必要性つかず離れずが ファンレターの返事原則を持っ職業倫理のない人 5- システムの問題 活字離れは問題なのか ネットとメールも活字文化 テレビの影響力カ オス理論フラクタル理論結論は物差し次第わからないことの価値

6. 超バカの壁

と見ていない子との間に統計的に有意な差のある結果が出ないと駄目だというような意 見がの調査の際にも出ました。 その議論の場に私もいました。私は「それはその通りなのですが、もう一つ大切なこ ともある」と申し上げました。つまりこれだけ手間とお金をかけて研究しても、結論が 出ないということがわかればそれも非常に大切なのです。 たとえば暴力番組の是非というテーマで調査をするときには、番組と子供の行動との 間に因果関係が何かっかめるはずだという前提がすでにある。しかしその前提があれば 大体、悪影響があるという方向の結論しか導かれないでしよう。暴力番組を見ていた子 供の方が元気でよろしいというような結論はおそらく出ない。 しかし、いずれにせよ、こういう調査をしてもはっきりした結論が出ないということ がわかればそれはそれで非常に大切なことなのです。システムにおいて因果関係という のはそう簡単に証明できるものではない。「よくわからない」ということがよくわかり ましたとい、つことでもいいのです。 156

7. 超バカの壁

的な前提の上で客観的な真実があるという形で物を論じてきた。しかしどうやら現実は そうではない。こういう単純な距離という問題、線の長さというような問題でも、客観 的な長さなんてものは実は存在しないということがわかってくる。それは「アンチ客観 主義」といってもいいでしよう。カオス理論もフラクタル理論もそうです。 世間の人は科学的な結論というのは一義的に定まっていて、正しい答えがあるとどこ かで信じている。それは既に時代おくれだよということを優秀な科学者はすでに言って いたのです。 話をテレビに戻せば、社会の問題でも同じことが言えるわけです。暴力番組を見せた ら子供に悪い影響があるというような単純な因果関係で論じることが困難になってきた。 単純な是非を論じることが難しくなった。別に、何もわからないから何でもありだとい うことを言っているのではありません。 金をかけて調査をしたうえで、テレビの視聴時間や内容が子供に与える影響があると いう積極的な答えを要求しているのは、現時点の人間の考えです。しかし実はそういう 研究でそれがわかってくるとは限らない。 162

8. 超バカの壁

カオス理論 何だか屁理屈を言っているように思われるかもしれません。しかし科学理論の世界で いうところの「カオス理論」はこういう考え方に近いのです。カオス理論というのは 『複雑系』 ( ・ミッチェル・ワールドロップ著・新潮文庫 ) という本で一時期プームにもな ったので聞いたことがある方も多いでしよう。 カオス理論というのは次のような考え方です。天気を例にとってみましよう。研究が 進んだおかげで様々なことを数式で説明することができます。だから予測もできるわけ です。 この物理式には定数が入っています。ごく簡単にいえば、たとえば、明日の天気Ⅱ 抛 ( 今日の気温 X< ) + ( 今日の気圧 xga ) + ( 今日の風の強さ xo ) というような式が のあったとします ( 実際にはもっと複雑な式です ) 。このときの、 pa 、 o は定数、決ま テ った数です。そこに今日の気温や気圧などのデータを入れて予測をするわけです。 ス シ そんなふうに今日のデータを入力すれば明日の天気が予測できる。天気といっても物 理現象の一種ですから理論上はこういう方程式が作れるのです。 757

9. 超バカの壁

つほなのです。 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくと みんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕 事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考 えるんじゃない、と一一 = ロいたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃 の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部 含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしようか。そんなことに合ってい る人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません。 そうではなくて、解剖という仕事が社会に必要である。ともかくそういう穴がある。 しんき 抛だからそれを埋めたということです。何でこんなしんどい、辛気臭いことをやらなきや 者いけないのかと思うこともあるけれど、それをやっていれば給料をもらえた。それは社 若 会が大学を通して給料を私にくれたわけです。 生きている患者さんを診なくていいというのも、解剖に向かった大きな理由です。一

10. 超バカの壁

えの仕事だよという決まりがあった。 そのかわり、江戸の人はそれをきちっとやったからこそ公と私の区別もできた。本居 宣長の本業は医者だけれども、二階の四畳半にこもっている間は、国学の研究を自由に していました。家の中にいる間は「私」なのだからおれの勝手だろうということです。 伊勢松坂の医者としての本居宣長と、国学者としての本居宣長は別人です。そこにき ちんと線引きが出来ていました。 本居宣長が自己だとか何とかを意識していたわけではないでしよう。自分で、こっち とこっちは別人だと思っていたわけではない。しかし、当時の社会システムによって 「私」としての本居宣長と、「公」としての本居宣長がきれいに分けられていたのです。 小林秀雄の『本居宣長』によると、宣長は異常なほど細かい遺言を残していたそうで す。葬列の順序から、だれがお棺を担ぐか、いつの時間に出発して、墓はこんなふうに 分と、そこまで全部指示していた。 それは当時としては異例のことなので、宣長の死後、遺族がお伺いをたてました。こ ういう葬儀を出していいのでしようかと。