る人が多い。社会が必要としているかどうかという視点がないからです。余計な橋や建 物を作るのはまさにそ、ついう余計な山を作るような仕事です。もしかすると、本人は穴 を埋めているつもりでも実は山を作っているだけということも多いのかもしれません。 しかし実は穴を埋めたほうが、山を作るより楽です。労力がかかりません。 普通の人はそう思っていたほうがいいのではないかと思います。俺が埋めた分だけは、 世の中が平らになったと。平らになったということは、要するに、歩きやすいというこ とです。山というのはしばしば邪魔になります。見通しが悪くなる。別の言い方をすれ ば仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです。 △聰「汁は社〈につら一つ 「会社が面白くない」というのはなぜか。それは要す 若い人が「仕事がつまらない、 者るに、自分のやることを人が与えてくれると思っているからです。でも会社が自分にあ 若 った仕事をくれるわけではありません。会社は全体として社会の中の穴を埋めているの です。その中で本気で働けば目の前に自分が埋めるべき穴は見つかるのです。 2
だってあるでしよう。向き不向きがありますからそれは仕方がありません。そういう場 合はきっと体調がおかしくなるとか、何か形として出てくるでしよう。 でも、実社会で本気で働けば、穴が空いている場所はわかるはずです。ちゃんと目を あけて歩いていたら、だれにでも見えます。私は学生時代アルバイトで家庭教師をやっ ていました。その当時は進学率がどんどん上がっていたのに、今のように予備校はなか ったからかなり稼げました。これも一種の穴を見つけたから出来たことです。あのころ の調子でそのまま続けていれば、今頃は養老ゼミナールの経営者として大もうけできて いたかもしれません。 ニートに感謝する 話をニートに戻せば、そういう存在を全部否定することはできないと思います。ジャ 者ーナリズムが心配だと騒ぐのは、いずれ後になったら、こっちにおんぶに抱っこでゾン 若 ビみたいに乗っかって来るやつが増えるのが怖いということでしよう。別にニートその もののことなんか、死のうがどうしようが、本当はどうだっていいと思っているに違い
なものなのです。赤ん坊は人間社会のルールはまだ全くわからないし、その社会に入っ てきていない 次第に言葉を教えて、それから社会のル】ルに慣らしていく。赤ん坊はそれ以前の過 程の存在なのです。自然なのです。ところが意識中心の社会の考え方では、自然それ自 体に価値があるという考え方は消えてしまう。 自然保護、環境保護と、子供保護というのは同じことです。もちろん、子供が純真で 天使のような存在だというつもりはありません。とんでもないガキというのもいます。 しかし、自然は自然として認めて抱えていかなくてはいけないのです。大人にも当然 自然の要素はたくさん残っている。現に身体は自然です。ただ子供のほうがより自然度 か高いということです。 自然保護に異を唱える人は少ない。山をどんどん切り開き、裸にしていく様を見れば、 こんなに壊すことはないだろうと感じる。それと同じことで、子供をこんなに無視する ことはないだろうと思うべきなのです。 昔に比べれば子供は大事にされているというのは嘘です。それは甘やかしていること
昔の人の方が意外にそういう「起こらなかったことの重要性ーを知っていたように います。社会について考えるときには、実はそ、つい、つことが理解されることのほうが大 切なのだという気がするのです。 保守的というのは実はそういうことなのです。日々平穏というのは日常どおりのこと をやっていて何も起こらないということです。それが実は予防ということです。 それは現代の普通の人の考え方とは違うかもしれません。多くの人は社会が進歩する というのは、どんどん変わっていくということだと捉えがちです。 でも、そうではなくて社会が本当に進歩するというのは、どんどん変化するのではな く日々平穏になっていくことなのではないでしようか。つまり、我々が今防げない危険 をだんだん封じ込めていけるようになることが進歩しているということになる。 それが根本的な意味で発展していることだと思うのです。その逆をやって不安だ不安 ロだと言っているのが現代人です。起こる原因のほうは放置しておいて、結果のほうだけ テ 何とかしよ、つとしているよ、つに私には見、んます。
システムの中での因果関係というのは非常に捉えづらいものなのです。例えばネット のせいで犯罪が増えていると言われます。ネットが犯罪の道具として使われる場合があ るのは間違いありません。ネットがなければそういう犯罪は起こらなかったということ は一一一一口えます。江戸時代にはそういう犯罪はなかった。そのとおりです。でも江戸時代に は江戸時代の犯罪があった。今よりも刀で斬られて死ぬ人が多かったのは間違いない。 これがシステムの厄介なところです。ところが科学技術が与えた錯覚では、社会シス テムすら、「ああすればこうなる」式のいわゆる科学的な論理で割り切れるというふう にどこかで思ってしまう。それでスペースシャトルやロケットのことが新聞の大きな記 事になる。実はそれは過去の夢なのです。 今の時代になって問題になっているのが社会システム、たとえば郵政のような行政の システムだとします。それについて考えるときに、そういう「ああすればこうなる」式 の考え方の半分くらいは捨ててもらわなくてはいけないと思うのです。 おそらくカオス理論にしてもフラクタル理論にしても、社会がある方向に行ってしま って発生した穴を埋めるために生まれた理論です。 ノ 66
はあまり政治に関、いを持たないでしよう。昔から、女は政治にあまりかかわっていない その原因を社会構造や差別に結びつけるのはフェミニズムの発想で、実際にはおそらく 関係ありません。 テストステロンがあまり活発に分泌されるとどうしても乱暴になってくる。男性の殺 人犯の数は、女性の約十倍といわれています。その原因もテストステロンの分泌にある と考えられています。 テストステロンが活発に分泌されるのは思春期です。そのころに暴力傾向が強くなり ます。若気の至りで酒に酔って相手を殺してしまったりする。これもそれが原因です。 こういうことを考えずに、男女の違いを社会構造や差別にのみ求めていく一時期のフ エミニズム ( 今でもありますが ) は、本当に異常だと思います。 実際の社会の中心には普通のその辺のおばさんの常識みたいなものが居座っている。 女それでいいという気がします。 男 安定性といっても女のほうが、男よりもいろいろ目に見えて体が変化するじゃないか そうおっしやるかもしれません。たしかに生理もあれば妊娠、出産もあります。しかし、
れこれ理屈を言っても女のほうは内部的な安定性をはっきり持ってしまっているからび くともしない。 「どんなに言われても、私はこうなのよ」と自信がある。それが頑固さ につながっているのです。 もしも女性の方が社会的に低い評価を受けるとすれば、それはそういう安定性を低く 評価する文化があるからでしよう。女は頑固だ、というときには明らかに安定性を悪く 言っている。しかし私はむしろ女性の安定性を高く評価すべきだと思っています。 もちろんこの安定性には欠点もあります。安定しているのはあくまでも自分です。と いうことは他人から見れば自分勝手だということにもなる。社会性が低いとも思われる。 あくまでも個体としての安定性を持っているわけですから、そういう人とはっき合いづ らいと思われるでしよう。 抛そういう一対一の対人関係の場面では、勘弁してくれよというふうに男側が思うこと 女も多いでしよう。でも、もっと大きなスケールで考えると、人間である以上は極端まで 男 いったってたかが知れている。極端に手のひらが大きくて空を羽ばたけるなんて人はい ません。どうせ真ん中に戻ってくるなら、それが社会の安定平衡点になる。人間の常識
がわかった。それは意味のあることではないでしようか。 実はどんな社会を作っても、何らかの意味ではみ出てしまう人は出てくるのです。江 戸時代にも木枯し紋次郎のようなアウトロ】が出るわけでしよう。つまり全員丸もうけ のよ、つなことにはならないのです。 丸もうけというのは、みんなが一〇〇パーセントオ 1 ケーということです。頭の中だ けで考えたいいことを実現すれば、社会がいい方向に向かうとみんな思うでしよう。ま あその提案者の機嫌もとらなくてはいけないから表向きはみんな賛成します。 でもそれは絶対に一筋縄ではいかないということをみんながまず認識しなくてはいけ ない。一元論的なというか、ある原則をきちんと貫徹すれば、それがよくなる道だと思 っている人が非常に多い。でもモーゼの十戒をみんながちゃんと守るかといったら、も のう何千年も守っていない。まじめなクリスチャンすら守っていません。つまりそれは簡 テ 単には実現できない理想だということがわかるでしよう。 ス シ 171
丸も一つけは無理 まずカラスが多いという現実はとりあえず認めざるを得ません。それが邪魔だ、危険 不愉央だという現実も認めなくてはいけない。それではカラスをコントロールする にはど、つするかということを考えなくてはいけない。そのときに、カラスを抹殺してし まえという論理では恐らく駄目なのです。 そうするとかえって困る可能性がある。人間はある程度無秩序な状態を容認するしか ないのです。だから社会は「自由ーを重要なものとしているわけです。 経済学は現実には役に立たないということがよく指摘されるようになりました。それ は当然のことで、極めて複雑な社会システムを扱う際に、学問のわかりやすい原理を導 入して予測がつくと思っているのが間違いだったということです。少なくともそのこと を経済学は証明してくれている。の調査について述べたことと同じなのはおわか り・でしよ、つ。 ここで、経済学をやっても意味がないと考えてはいけないのです。こんなに一生懸命 やったのに、やつばり答えが出ないとい、つことがわかった。よくわからないとい、つこと
11 システムの問題 何でも科学理論で説明できると思っていたけど、話が全然違うじゃないか。社会が起 承転結でちゃんと流れているという前提でやっているけども、実は当てはまらないこと だらけじゃないか。それを発見したとい、つことです。 とい、つことです。な もっと一般論でいえば、「理路整然とした話くらいうそはないー ぜならば、自然や人間社会が理路整然としているはずがないからです。 理路整然ということは秩序がきちんと立っているということです。でもそれだけでは 済まないということは物理でもはっきりわかっている。ここに理路整然とした秩序が立 てられたとしたら、そのときには別なところへ無秩序が引っ越している。ごく単純化し ていえば、こうして無秩序が増えることを「エントロピーが増大する」というのです。 エントロピーとカラス エントロピーの法則が唱えられたのは十九世紀ですが、その本当の意味が今の人にど こまで理解されているか。おそらく九割九分は理解されていません。その証拠に、都会 ではカラスが邪魔だから片付けろと言っています。これでカラスを片付けたらハトがの 167