るこし」に亠のる 今日ても、われわれ人間の棲息している宇宙の諸現象を見るに、そこには、恒常的て変 わることのない一定の法則がはたらいている。たとえば春夏秋冬といった四季の移り変わ そのなか りを見るかよい 日月星辰の運行を見るがよい。昼夜朝夕の交替を見るがよい に宇宙の諸現象を貫き、支えている一定の法則がはたらいていて、かたときもゆるがせに しない動きをみせている。天地の間におけるありとあらゆる生物の動静にも、同じことが いえそうてある。人間を含めて万物がこの地上に生まれ落ち、それが成長繁茂して、やが て枯れ朽ちて死滅していくが、また新しい生命がはぐくまれ、同じ道をたどってい 太古の昔から今日まてつづいている造化の不思議なはたらきがある。これは天地 が崩壊するといった異常な事態が生じないかぎり、止むことなく持続してゆくいとなみて ある。 ようのない造化のいと この宇宙の諸現象を貫き支えているはたらき、不思議としかいい にすぎない こうした造化のエネルギー なみを、老子は仮に、タオ、道と名づけオオ を、老子はおのずからそうなっている、自然なるいとなみとしてとらえている。この宇宙 の」 , 」カ に、申だとか、造物主だとかが存在して、彼らがそうしたはたらきゃいとなみの エネルギーをつかさどっていると、老子はみていない。老子は、むしろこの宇宙を支配し
春と夏に、万物の活動を衰えさせ、秋と冬に、万物の活動を活発にさせるように、自 太陽が朝に出 然のいとなみを逆転させようとしても、それはてきることてはない。 て、タに没するのは、人間が求めて得られるものてはなく、天道の自然のはたらきて ある。 この自然のいとなみ、春夏秋冬、太陽の出没、昼夜の交替、四季のうつろいと万物の生 成と枯死のいとなみこそが、老子のタオがおのずからそうさせているものてある。この自 然のいとなみ、天道のはたらきは、人間が求めて得られるものてはなく、むしろ人間はそ のいとなみ、そのはたらきのなかから、おのずと生死にかかわる知恵を汲み取るべきだと するのが、老子の思想てある。司馬遷の「素王妙論」はその基本をしつかりおさえた発一言 てあった。 げ・いもんるいじゅう 『芸文類聚』に収める司馬遷の「士の不遇を悲しむの賦」を見ると、老子の道の哲学が、 そのまま彼の人生観として語られている。 わざわ はじ ふくさきな 禍いの始めに触るるなく、これを自然に委せ、ついに 福の先を造すなく、 ふ うた まか いっき 一に帰せん。 タオに生きた人々 1 5 ろ
そん こくしん これげんびん 谷神は死せす。是を玄牝と謂う。玄牝の門、是を天地の根と謂う。綿綿として存する ごと つか が若く、之を用いて勤れず。 ごというのてある。これを言い換えると、 谷神死せずとは、谷間に宿る神は永遠に不滅だ 玄妙不思議な生殖力をもっ女生の陰門、「玄牝の門」といえる。これこそが、生命の根源 てある。それは止むことなくはたらきつづけながら、しかも疲れを知らぬ、不死身の存在 てある。 「玄牝の門」は、天地万物を生み出したタオの門に似ている。「谷神死せず」 とは、いつまても尽きることのない、タオのはたらきに似ている。 「谷神死せず」から始まるこの章のことばは、詩的なひびきをもっ言語空間を構成してい る。しかも、第一章の「玄の又た玄、衆妙の門」という詩的言語と対応している。天地万 物を生み出す造化の根源に、名など無かったというのが老子てある。仮に、それをタオと 呼んだにすぎない。第六章て、ひとことも道ということばを使うことのなかった老子は、 疲れることのない、尽きることのないタオの霊妙なはたらきへの賛歌を、生命を産み出す 「玄牝の門」に託して、みごとに歌い上げているのてある。 これ こん めんめん 老子のタオとは何か
タオ哲学にも循環の思想 この第二十五章句のなかて重要なのは、タオのはたらきについて述べた部分、「大なれ ば日に逝き、逝けば日に遠く 遠ければ日に反る」のくだりてある。「逝く」は、往くて かえ あり、「反る」は、復るてある。往復運動が、タオのはたらきのなかにあるというのてあ る。「遠く」とは、タオのはたらきがはるかに広いことを表現したものてある。 これを言い換えれば、『易』の陰と陽の思想といってもよい。一種の循環の思想てある。 中国人の生活観のなかに、今が幸福だからといって有項天になってはいけな、 いっかは 不幸に堕ちることがあるのだからといましめ、現在が不幸だからといって、これがいつま てもつづくものてはなく、またいつの日かかならず順風満帆の時が戻ってくるという考え わざわ 方がある。陽が転じて禍いとなり、陰が転じて福となる。これがあるから、陽のときはお ごらず、陰のときはじっと耐え忍ぶべきだという考え方てある。陰があれば陽がある。陽 かえ は陰に往き、陰はまた陽に復るという循環の思想を、タオのはたらきのなかにあるとみ て、老子が説いたのかこのくだりのことばてある。道のはたらきは、はるかに広く行き獲 っているが、つねに往復運動をつづけている。「反」を前提として「逝」があると考える ろ - フ。 はん
そなおたくやく 天地の間は、其れ猶稾籥のごとき平。虚にして屈せず。動きて愈いよ出づ。多聞なれ きゅう しか ば愈いよ窮す。中を守るに如ず。 「稾籥」は、鋳かけするときに使うふいごてある。鞴とも書す。天地大自然の造化のはた らき、つまり道のはたらきを鋳物作業にかかせないふいごにたとえたのてある。 天地の間は、ふいごにたとえることがてきる。うつろ、虚てあるが、そのはたらきは 尽きることはない。中はからつばだが、動けば動くほど、ふいごは力を発揮する。こ こたいして、人間は多く聞けば聞くほど、しばしばゆきづまり、動きがとれなくな る。だからこそ、作為なるものを捨てて、中は虚むに徹すべきてある。 老子は、うつろ、虚を大切にし、重視する。うつろなるものの効用を説いている。うつ ろのなかにこそ、無限の可能をひめている。たとえば、第四十五章て、「ほんとうに充 きわ 実しているものは、どこかうつろなように見える。だからはたらきは窮まることがない」 というのも、それからきている。今日ても、虚心とか無心とかいうことばが使われている が、どんな事態にても自在に対応てきる心の状態といえば、やはり虚心てあり、無心てあ なか かきょ たぶん 老子像と「老子」道徳経
かいしゃ ざとして、人口に膾炙しているのは、そういう意味においててある。 「天網」とは、天の裁きと言い換えてもよい。天の道、つまり天のおのずからなるはたら きのなかには、この地上における人間の善悪の行為を見届け、それに反応する力があると いう前提に立って、「天網」ということばが出てきたのてある。その意味ては、天のはた らきは儒教のいわゆる天道に近いが、異なるところは、そのはたらきを、おのずからなる はたらきとして、老子がとらえているところにある。この章ても、老子は、天道のはたら きが実に自然てあることを説いている。つまり、争わなくともうまく勝ち、ものいわなく ともうまく対応し、招かなくとも自然にやってくるのが、天道のはたらきだと語って、 しばせん ぜひ 先に司馬遷が『史記』の伯夷伝て、「天道は是か非か」と問いかけたことにふれた。人 間の善悪に対応するとみられた天の存在が疑問視された発問てあった。当時は、漢の武帝 の時代て、それまての漢王朝に支配的てあった道家の「無為にして化す」の統治思想に代 , 、し中 / の一カ わって、儒教が国教として指導的役割を果たすようになっていた。その中むこ、こ てんじんそうかんせつ とうちゅうじよ くようがく 武帝の信任厚い董仲舒てあった。董仲舒は、春秋公羊学を修めた学者て、天人相関説を 唱えて、天子の治世の善悪にたいして、天道がさまざまな反応をみせると説いたのてあ る。司馬遷は若き日に、この董仲舒に学んている。だからといって、司馬遷が伯夷伝のな タオのことば 105
も そみようみ 故に常に無欲にして、以って其の妙を観、常に有欲にして、以って其の徼を観る。 道には、天地を創生し、万物を生成する霊妙なはたらきがあるが、この霊妙な道のはた らきの実相を見極めることがてきるのは、つねに無欲な人間てある。つねに欲望にとらわ れている人間は、この霊妙な道のはたらきの、ほんの現象面を見るだけにとどまってしま う。「徼」ということばは、あきらかに目に見える形而下的世界、現象世界を指していう。 それは玄妙だとか、霊妙だとかという意味をもつ「妙」の形而上的世界、本質実相の世界 と対立する。つまり、道の本質に参入てきる人間は、つねに無欲てある。道の現象面にふ れるだけて、それにふりまわされる人間は、つねに欲望に執着している。かくみる老子 は、『老子』第一章をつぎのことばて結んている。 老子の女性賛歌 ところて、老子はここて一転して、道と人間の関係に視点を移して、こうことばをつづ けている。 ゆえ ゅうよく きよう 老子のタオとは何か
のてある。 春夏秋冬の四季の変転も、冬が終わると春へと循環運動をつづけている。草木は、春が 来て芽吹き、夏が来て繁茂し、秋が来てしばみ、冬が来て枯死に向かう。しかし、やがて また春を迎え、息を吹き返す。人間の生死についても同じことがいえる。幼年期、青年 期、壮年期、そして晩年期があって、この世に生まれ来る者は青春に出会い、人生の活躍 を終えると、いっしか死に向かって枯れしばんてゆく。しかも人間の生命はどこかてつね はぐくまれ、成長をとげている。ありとあらゆるこの地上の生物は、天地自然のなかに その生命をさずかり、そのなかて風化してゆくことを、くり返している。それを「逝く」 と「反る」の往復としてとらえ、その往復運動を行なわしめているはたらきそのものを、 老子は、タオとみている。 人は大地を規範とし、地は天を規範とし、天は道を規範とし、道は自然を規範としてい るとする老子の宇宙観は壮大てあり、理にかなっている。タオのはたらきのなかに、往復 運動の法則があり、その法則のなかに循環の思想があるとみて、老子はタオ哲学の基本的 性格として、それを取り入れたのてある。 そもそも循環の思想は、老子の哲学に限ったものてはなく、儒教、とりわけ易の思想の なかにも存在している。いわば中国人の普遍的なものの考え方、把え方のなかにひそむ思 かえ とら 老子のタオとは何か
しゅうみよう 此の両者は同出にして、名異なるも、同じく之を玄と謂う。玄の又た玄、衆妙の門。 この両者とは、天地創造のエネルギー源てある、名の無い「道」と、万物の母なる、名 を有する「天地」の二つを指すものとみたし この両者はさかのばれば同じ根源から発 し、ただ名を異にしているだけて、両者ともに、玄妙、霊妙なはたらきをすることては、 同じてある。かかる道と天地は「玄の又た玄」といった名状しがたい霊妙なはたらきて、 つぎつぎに万物を生み出していく衆妙の門、神秘な出口となる。 「衆妙の門」と同じような意味て、老子は『老子』第六章て、「玄牝の門」ということば を使っている。これは、玄妙て不思議な生殖力をもっ女性の陰門を意味する。老子はしば しば女性の存在を称賛している。控え目な態度て、無限の生命力を宿している女性に、限 りない生命の根源を老子はみて、天地をはじめいろいろなものを生み出していくタオ、道 と重ねみたのてある。女性の生殖能力、女性の私欲を捨て慈愛をかける養育心、女性の一 見柔弱てあるが、なかなか芯の強い生活態度を、老子はたたえ、それから学ばうとしてい る。おそらく老子は女性崇拝者てあり、母なるものにあこがれをもっ思想家てあったにち カ十ノー、 これげん げんびん
殖生長し、生物が蠢いているか ら、これを地と呼んているだけ てあって、日月の世界から地球 を見れば、位置は逆転し、この 地が天に見えるはずてある。天 というが、実はその名 は便宜的なものてある。本来、 名というものはそうしたものて あるが、とにかくはじめて名というものがついた天地が生じると、あらゆるものが天地の 間にあらわれてきた。人類をはじめとして、禽獣草木の類いにいたるまて、万物のいっさ いかその間に生まれ、は ぐくまれてきた。だから老子は、「名有り、万物の母には」と いうのてある。もちろん、天地が万物を生み出す母とみてのことてある。 これを要するに、天地がいまだ分化しない混とした状態を、「道」というか、その道 逆 には、天地を創生し、その天地から万物を生ぜしめる霊妙なはたらきが存在していた。 万物は天地の交合調和によって生じるが、その天地を交合調和させる霊妙なは たらきを可能にする存在が、タオ、道てある。 老子画像 たぐ うごめ