老子は、もちろん空の理論家てはない。 これは老子だけの話てはない。 戦国時代の諸子 百家は、自分の学説が実際に中国各地に勢力を張っている諸王侯国において活用されるこ とを願っていた。春秋末期の孔子がいうように、 ただぶら下がったままの瓜ては困る、や はり食用に供されて、人の腹の足しになる学間てなければならないと考えていた。 む しぜん もうしじゅんし 無為自然をとなえ、ほとんど弟子らしい弟子をもたなかった老子は、孟子や荀子、ある かんびし そんし いは韓非子、孫子などの諸子百家と多少はちがい、現実参加の姿勢を異にするが、いたず かくらん らに虚空の理論を弄して、人々の心を攪乱しようとしたのてはない。タオのおのずからな る万物創造の原理を活かして、人間いかにあるべきかを問いカけ、人間がてきるだけ ' 驀 しに争わないて、平和に暮らしていけるように、心から願望し、ことばを尽くして、道を = = いたのてある この章ては、『老子』のことばの面白さと、その逆説の説得力に光をあてながら、老子 の田 5 想の核むにふれてゆくことにする。 こうかいよひやくこくおうた 〇海は能く百谷の王為り ( 第六十六章 ) 0 8
現を多用したのてある。 既成の価値観を否定し、その価値観を転倒させてみせることて、人間が今まて忘れ去っ ていたものに、新しい価値を見出させるための逆説てあった。具体的にいえば、「信実」 「質朴」「訥」「無知」「無欲」「慈」「柔弱」は、人間の進化を促進する人間の欲望文化の方 向とは逆向きの価値てはあるが、それは人間本来の自然のありように根ざした価値てあ り、それをもう一度人間は取り戻し、人間を見直してみる必要があると、老子は考えたの てある。欲望文化のなかて、人間が忘れ去っていた自然という心と力に、新しい価値を見 出すことて、人間が失いかけていた人間らしさを回復し、そこから人間社会のあり方を再 構築しようとしたのが、老子のタオ哲学の展開てあった。 老子の「無為」の哲学は、「無為にして為さざるは莫し」にあるといわれる。その表現 自体が逆説的てあるが、「無為」は作為の否定概念てある。老子は、人間があらゆること に作為的てなくなったとき、人間はいろんな場面て自然にむをはたらかせることがてきる と考える。人間が自然にむをはたらかせることがてきるから、その精神の動きに、とらわ かったっ れることのない自在さと闊達さをみせることがてきる。それが、心の「為さざるは莫き」 状態てある。 老子の逆説は、つねに否定的発想から始まっている。世間て「有為」だと考えられてい 128
う」とは、なんとも美しいひびきをもっことばてはないか。 それに「正言は反の如し」を直訳すれば、正しいことばは、真実とは反するように聞こ えるものだということになるがいかにも逆説家老子ならてはのフレーズてある。この章 は「上善如水」の徳といっこうに矛盾していない。一国の汚辱を一身に引き受け、天下の 不幸を一身に背負う、それてこそ、慈しみに満ちた国主たりうるし、天下の王者たりうる のだ。老子はいたずらに逆説を弄しているのてはなく、逆説てしか、真理に到達する道は ないと考えていたのてあろう。 孔子の「仁」、老子の「慈」 老子は、孔子のように「仁」について語らないが、「慈」については語っている。タオ のはたらきを会得することがてきるほどの者てあれば、その人は三つの宝を身につけるこ とがてきるというのだ。その宝のうちて、まっ先にあげるのが「慈」てある。慈しみと は、深い隣れみと愛に満ちた心といってよい。人が他者にたいして慈しむ心が「慈」てあ る。二つ目の宝としてあげるのは「倹」てある。「倹」は倹約の心といってよい。自分に たいして慎ましくあること、言い換えれば、いつも控え目に生きる心といってよい。三つ さき あえ 目にあげる宝は、人として「敢て天下の先と為らざる」の心て、他者を押しのけて人の先 つつ タオの聖人
ごと ごと 〇大巧は拙なるが若く、大弁は訥なるが若し ( 第四 + 五章 ) この章句もまた、老子の得意な逆説的表現て貫かれている。老子は逆説的表現を使うこ とて、考え抜いた思想の真実なるものの表現に到達しようと試みて、成功した数少ない思 想家の一人てある。その思想の真実なるもののおおもとにあるのは、タオてある。タオか らみれば、世の中の価値観は、すべて相対的なものてあるにすぎない。だから、その世俗 的な価値観をまず否定してかかる必要がある。そこに老子の発言が、逆説的表現をとらな ければならぬ理由がある。 この章句の「大巧は拙なるが若く」は、ほんとうに巧みなものは、かえって拙なるよう とつべん に見え、「大弁は訥なるが若し」は、真に雄弁なるものは、かえって訥弁に見える、とい うほどの意味てあるが、なるほど考えてみれば老子のいうとおりてある。ほんとうにすぐ れた芸術品に接すると、完璧に美しいというよりも、どこか童心のひびきを残した、稚拙 な部分があって、それが作品の美しさを際立たせているところがある。ほんとうに雄弁な りゅうちょう とっとっ るものは、流暢なおしゃべりよりも、どこか、ロごもるように訥々と語られて、それが かえって強い説力を発揮するようなところがある。これがこの二句の一般的な意味てあ たいこうせつ たいべんとっ 114
にいたって老子の逆説はおと この章旬は、『老子』道徳経の最終章にあたるが、この章一 ろ - んるじ」ころかい っそうの冴えをみせている。「信言は美ならず」「美言は信ならす」 ひろ つづいて、「善者は弁ならず」「弁者は善ならず」「知る者は博からず」「博き者は知らず」 た、 「天の道は利して害せず」「聖人の道は為して争わず」と、とどまるところを知らない。 こと′」とも の間にも、「聖人は積まず。既く以って人の為にす」という句も入っている。「積まず」の 旬は、自分のために欲張って蓄えることをしないて、人のために分かち与えること。「リ して害せず」という句は、万物に恵みを与えて、損なうようなことはしないというもの。 「為して争わず」という句は、人のために尽くして、他者と争わないという意味てある。 ここて老子の意識のなかには、「美」にたいして「信実」「質朴」が、「弁」にたいして せき とっ 「訥」が、「博」にこいして「無知」か、「積」にたいして「無欲」が、「害」にこいして 「慈」が、「争」にたいして「柔弱」が、反対概念として対置されていた。ここては使われ ていないが、「有為」にたいして「無用」か、「巧」にたいして「拙」が、反対もしくは否 定概念として想定されている。これは、従来世間て価値あるものとみなされてきた価値概 念を否認するために、老子が「道」の思索のなかて紡いだ逆説的な概念の使用てあった。 ふっしよく 老子は既成の価値観を払拭するために必要な手続きとして、思いきり断定的に逆説的表 0 ゅうい べん ため タオのことば 127
るものが、人間にとってほんとうに「有為」なのか、世の中の人が「有用」だ考えている ものが、人間にとってほんとうに「有用」なのか。老子はそこから考えはじめる。老子の いっさいの根源となってい 逆説はその疑問から発せられる。乱世を乱世たらしめている、 る既成の価値観を否定するために、『老子』の逆説は思想的にも文脈的にも有効な武器て あった。 信実のあることばには飾りがない。飾り気の多いことばはまことがない。立派な人間 は多弁てはない。 多弁な人間はほんものてはない。明知の人はもの知りてはない。 ことごとく人のオ の知りは明知に欠けている。タオを会得した聖人は貯めこまない。 めに分かち与えることて、自分はいよいよ豊かになる。天の道はすべてのものを利し て、損なうことはない。タオを会得した聖人の生き方は人のために尽くして、人と争 信言は美ならず。美言は信ならず。善なる者は弁ならず。弁ずる者は善ならず。知る ため こと′」とも ひろ ひろ 者は博からず。博き者は知らず。聖人は積まず。既く以って人の為にして、己愈い よ多し。天の道は利して害せず。聖人の道は為して争わず。 おのれいよ タオのことば 129
権を競って中国全土が戦場と化した時代てある。 『老子』の思想の中核的な要素が、老子という人物によって著述されたことは間違いない が、その書全体が老子一人の作になるとは考えられぬ。老子の説を信奉する人々の手が一 時代を超えて加わっているとみるのが自然てある。 老子は春秋時代の人とも戦国時代の人ともいわれているが、やはりこの書物が形成され た戦国時代の思想家て、諸子百家の一人とみてよいのてはないか。春秋・戦国のいずれの 時代にしても、時は乱世てある。この乱世のなかて、老子はいかなる生涯をすごしたの か、どのような契機があって、彼独特の否定と逆説に満ちた思想をあみ出したのか、その 手がかりをつかむ史料は何も残っていない。 も これお しかしながら、「戦いに勝つも、喪礼を以って之に処る」、戦さは、たとえ勝利しても、 いたましい不幸をもたらすだけだといった、短いかそれだけに鋭い逆説的な警句を吐け どんらん るのは、おそらくこざかしい人間の知恵や貪婪な欲望がたがいに衝突して、限りなく抗争 を生み出していく人間模様の思かしさに、ほとほとあきれ、絶望した者のさめた心のいと なみとしか考えられないてあろう。 かかる絶望者のさめた心をとらえて離さなかったものがあるとすれば、それは時空を超 えて、限りなく万物を生成させている大自然の霊妙ないとなみ以外にはなかったてあろ 今なぜタオーーー老子なのか
ようてい のが、道の要諦だとみる。 上喩と 「無為にして、而も為さざるは莫し」という大自然のいとなみを、事物のなかに、ヒく してとら - んるさいに、 老子が持ち出してみせるのは、水の様態てある。 ′」と じようぜん 老子は「上善は水の若し」ということばを語っているが、上善、つまり老子流の道、 タオに近いのは、水のようなあり方だとみているのてある。「上善は水の若し。水は善く ゆえ にく ちか 万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し」というのが、それてある。水 うるお はよく万物を潤して育てながら、高きより低きに流れて先を競い争うことはしない。 てなお多くの人々が嫌う低湿の地に、その身を置いて流れる。こうした水のありさまが し」い - フの - 十′ 無限に「道」のあり方に近し 『老子』の書は、ほとんど逆説から成立している。水の様態を語るさいも、けっして例外 まさ じゅうじゃく しかけんきよう これよ てはない。「天下は水より柔弱なるは莫し。而も堅強を攻むるに、之 ( ム月く勝る莫し」 という周知のフレーズも、逆説てある。つづいて「弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下 に知らざる莫きも、能く行なうこと莫し」というのは二重の否定句て結ばれている。天下 この・小 には、ほど柔弱なものはない。 しかも堅強、たとえば、岩石土山を攻めるのに、 に勝るものはない。弱が強に勝ち、柔が剛を制することを、人々はみな知っているはずな のに、誰一人として、それを実行てきないている。人間が水のように柔弱てありながら、 今なぜタオーー老子なのか
『老子』は、中国古代の思想家の箴言集てあるが、韻文的要素が強いというのが、もつば らの見方てある。たしかに『老子』の文脈はふんだんに逆説を使い、時として韻をふみ、 ルフラン 畳句をたばさみ、珠玉のような警句を吐くところに特色がある。 詩人というものは、ことばについては錬金術師てなければならぬが、それて終わるもの てはない。韻をそろえて美しいことばを奏て、人の心の奧底におのれの感情のひびきをと どけねばならぬが、それだけては、本質的に詩人てあるとはいえないてあろう。 詩人は古いことばの因襲を破って、心の革新を歌わねばならぬ。より根源的ないのちの 核心に触れる創造的なことばをつむがねばならぬ。その意味ていえば、老子は本質的に詩 人てある。 こくしん げんびん 『老子』第六章て、老子は、「谷神は死せず。これを玄牝と謂う」といったことばを、ま ことに無造作に吐いている。まるて常識的なことばの因襲を吹きちぎるような奇想の切り ロて、語り出した文句てある。 谷神とは、谷間という場所にたちこめている神秘な自然のいとなみを指しているてあろ あか、 208
〇兵は不祥の器にして、子の器にあらず も これお 軟いに勝つも、喪礼を以ってえに処る ( 第三 + 一章 ) 兵は、兵隊、兵士の意味てはなく、武器を指す。老子は武器を不祥の器、つまりめてた くない不吉な凶器というのてある。それは、だから君子が取り扱う道具てはないとみる。 老子は、戦国乱世に生きた思想家てある。乱世を乱世たらしめているのは、あくなき国 はんと 盗りの私欲てある。土地をむさばり、版図を広め、自国だけを富まそうとする野心、野望 てある。そのために、戦さはくり返され、そのたびにまことにおびただしい血が流されて 。だから、老子はいうオ 。ことえ戦さに勝ったとしても、喪礼をもって、これに対処せ ねばならぬと。 くり返しいえば、老子は戦国乱世の思想家てある。乱世の渦中にあって、彼独特の逆説 的な思想の文脈をつむぎ出した哲学者てある。老子は、人が利欲に走り、その結果として 戦さが拡大されている現実情況に身を置いて、武器否定論を展開したのてある。老子の思 想の一つの文脈となっている武器否定論は、どこか現実感覚が欠落した平和時の非戦論者 の武器否定論とは、異なっている。 タオのことば 101