はじめに 今日の世の中では、人は上からの専制的権力や金力によって一方的に身を縛られることはほ とんどない。また、こと志と違って、義理や人情に屈しなければならなくなることも、ごく例 外のできごとであろう。それほど、私たちの日常生活での行動はいたって自由で、誰はばかる ことなく振る舞、つことができるよ、フに見一んる。 しかし、私たちの周囲を見渡すと、子どもは親にべったり、中学生は教師に依存し、老人は 社会にもたれ生活している。共存共栄、相互扶助というにはやや片寄った共生である。高校 生、大学生も外国の彼らに比べ、親や教師への依存度がけたはずれに高いように思える。 こうした人々の他人への依存度が高いことは、実はそれだけ自らの自由を失い、自縄自縛に 陥っていることである。ところが、私たちを取りまく社会のもろもろの条件は、きわめて徐々 にではあるが、個人個人に自立と自律の心と態度を持つよう求めつつある。私たちは誰でも、 天は自ら助けるものを助けるというより、助ける努力をする者しか助けないのだという、きび しい自助論の現実に直面しつつある、といえるのではないだろうか。 3 はじめに
自律反応のコントロール 私たちは通常、自分の心臓の拍動を自由に変化させることはできない。また、血圧が高いか ら、低いからといって、自分の意図で、下げたり上げたりすることはできない。いつも不安状 態にある人が、「えい」とか「やっ」などというかけ声や気合いで、すっと安定した気持ちに なってしまうとは、とても信じられない。 心臓の拍動は、直接的には心筋という特別な筋肉によって自動的に拍動を続けるようにでき ていて、私たちの意志による影響を直接に受けるような神経の仕組みにはなっていない。 しかし、血圧や血流量が、感情や情動、外的環境によって、私たちの意識とはあまり関係な く影響を受けて変化するのは、自律神経の中の交感神経によって、中枢あるいは末梢の血管運 動が直接支配されているからである。 末梢の血流量や皮膚温が交感神経の影響を受けることは知られているが、同時に、ある科学 リ東こよっては、この血流量などの変化も自分の意志や意識によって制御されうることは、 的 ~ いくつかの実験研究から指摘されている。 それでは、どうしたら、このような、初めは自分の意志、意図、努力によって制御を受けな 8
暗示に適した意識水準 私たちは、現実性の乏しい夢か現実かはっきりしない話や考えに、しばしば「夢うつつ」と いうラベルをはる。また、子どもが眠りから醒めて、ごはん粒をこばしながらの食事の所作を 見て、「夢うつつなんだわ」と目覚めの悪さをおとなは笑ったりする。 夢うつつはいつも人に嫌われたり、まったく困った状態だといわれるどころか、なんとか夢 うつつの状態を作り出したいとあれこれ思案し、模索している人もいる。 心理学者は、この夢うつつの状態をちょっと耳慣れない言葉で「意識水準がある段階まで低 下した状態」といい 、生理学者はこれを覚醒水準に関係させて説明する。意識水準といっても 覚醒水準といっても、その内容にそんなに変わりはない。私たちは幼いころから、いつもたえ ず物事に注意し、それを意識して心に留めて置くことが重要である、と口をすつばく教えられ てきた。先生が面積の公式を板書しているとき、ついついばんやりしていたり、窓の外を見て いたりすると、理解できないまま講義は終わって、後で悔いることがよくある。 だが、よく考えてみると、私たちの生活のすべての面で、頭をはっきりさせ、ほかのものに 注意を配ることに神経質にならなければいけないかというと、必ずしもそうではない。 むしろ、外からの刺激を取捨選択して、頭の大脳皮質に入れないようにしたり、入ってもそ
しかし、すでに述べたように、私たちの心理的な働きと肉体的、身体的運動・表出とは密接 な関係があり、別々のものとしては考えられない間柄である。その上、一瞬のカの入れ具合や 根性や頑張り、恐怖などは、肉体の運動や筋肉・骨格の動きと分離してはとうてい考えられな 頭を横切る瞬時の気のゆるみ、気になることが頭に浮き沈みする、ゆううつな気分、意欲の 減退などが、どんなにスポーツの勝負に影響するかは、誰でも体験していることである。 身体を動かさないゲーム、たとえば将棋・囲碁・連珠・マージャンなどでも、その本質はス ポーツの試合とまったく同じである。見知らぬ人はもちろん、知っていても初めての相手とか 上司、あるいは強いのではないかと恐怖を抱くような相手には、たいていあがりが出る。 私たちは、自分の子どもや、グラスの生徒・学生に対しては、ロだけで「他人も君と同じだ から、平気にしていなさい」「心を落ちつけて、平静な気持ちになりなさい」「あせらないで、 自分のペースでやりなさい」「他人などいないと思って、・ へストをつくしなさい」とい、つよ、フ なことを簡単にいう。もちろん、こうした言葉をそのまま受け取って、テストや試合時に生か す人もいないではない。 だが、心を落ちつけること、平静な気持ちになること、あせらないこと、どれをとっても、自 33 心の悩みとセルフコントロール
亠めとがき いつの時代でもいわれることであるが、人文・社会科学系の研究者、とくに大学に在職する 学者が行なった研究成果と社会が当面する社会問題の解決のため求められる知見とには、かよ り大きなギャップがあるように思われる。筆者の研究領域が教育や医学に比較的近いところか ら、登校拒否症の効果的治療法になにかよい方法がないものか、校内暴力生徒の矯正指導法と して適切な方法がないものかとよく尋ねられる。そんな時、筆者の研究とこうした社会的要請 とにギャップがそうあるとは思えない。それは著者の専攻領域が純粋に人文・社会科学系とは いえないためかも知れない。もちろん、今現在の社会的要請に十分応えられる指導法や治療法 が確立し、それを駆使できる状態にあるかどうかは別の問題である。ギャップがそう大きくな いといえるのは、私が、一方では研究室で臨床心理学の基礎研究を進めると同時に、教育相談き 部でその研究成果を応用できる心理臨床やカウンセリングの実践に従事できる、いくらか恵ま あ れた条件下に置かれているためかもしれない。 ところで、私の専攻である臨床心理学に比較的近い医学、その実践である医療では、ある人
0 / ク ノ ⑤瞬時的脱カ 全身に力が入り、緊張し、固い状態になって いる。ここで全身に触れて、緊張していること を確認するとよい。この状態では心理的にもか なり緊張感が強くなっているはずである。 カここから一気に、瞬時的に脱力する。弛緩訓 的練ではもっとも重要なステップである。 瞬「はーい。背中、首、肩、両腕、両ひざ、両脚、 両手と全身に力が入っています。とても緊張し て固くなっています。今から私が左 ( 右 ) の肩 を軽くたたきます。そうすると、背中、両ひざ、 両脚、両腕、肩、首からいっぺんに力が抜け て、とても楽に軽くなってしまいます。」 ここで軽く左 ( 右 ) 肩をたたく。
キャリアウーマンの痛み 先年、国際婦人年があった。ゥーマンリプやウーマン。ハワーによって、世の男性はたんに性 という肉体的側面からばかりでなく、社会的、政治的サイドからも、女性の底力をおおいに見 せつけられた。 しかし、外見上強く見えたり、また強がりとも見える人々の行動も、一皮剥いだ内側にある 心の世界は必ずしも行動の表面とは一致しない。むしろ私たち心理学を学んでいる者の眼から みれば、行動という表層の皮の下にある心こそ、人そのものを正直に表わしているのではない かと思われる。 このような見方、考え方に立って女性の行動を観察してみると、女性の心はまだまだ強くは なっていないようで、もっともっと強くなってほしい。それはなにも筆者が他の男性にくら べ、特別フ = ミニストであるというのでも、また、女性におもねなければならない理由がある からでもない。 しかし、次のような女性が筆者の相談室を訪ねてきて、なんとかしてほしいと訴え、その苦 衷を聞いたとき、やはり女性に真底からもう少し強くなってほしいという筆者の希望は正しか
れ、何か行なった後の結果が、心身の変化としての感覚情報としてわれわれの五感にフィード ・ハッグされることが、自己暗示訓練効果を倍加、促進するものであることが、最近の研究によ って明らかにされている。 私たちがある行動や反応をして、それがなんらの報酬を受けないときは、その行動はやがて 消滅してしまう。ところが、ある行動をしたら ( ネズミが e 迷路で右側の箱に向かって直行したら ) そこで報酬 ( 飢えたネズミでは餌が与えられる ) が与えられれば、ますますその行動は強化、反復 して起こる ( ネズミは右側のポックスに向かって走る行動を着実に反復する ) 。これが、いわゆるオペ ラント条件づけの学習である。 「涙を流すから悲しい」 今から一世紀ほど前、ジェームスとランゲという二人の学者が、ほとんど同時に、人はなぜ 悲しむのだろうか、どうして恐ろしい気持ちにかられるのだろうか、といろいろ思案した結果、 大変おもしろい説を立てた。それは今日、ジェームス・ランゲ説と呼ばれている感情・情緒の 理論である。 今、大変悲しい知らせを読んだり、聞いたりしたとしよう。そのニュースは眼や耳から図の
メンタルリ、 ーサルは動きがあるため、きわめて現実に近い。さればといって、現実にはと ーサルでは想像でき、感情、情緒の表現が自由にで ても起こりんないことでも、メンタルリハ きる。 方法は、イメージ練習とほとんど同じで、情景というより、状況として想像するので、そこ ーサルの課題が、抽象的であって にさまざまな現実に似た条件をいれやすい。メンタルリハ も、練習では、現実の状況の再演として想像してみる。 また、イメージ練習と同じように、単なる空想、深刻な感情、ショックを伴うこと、白昼夢 に陥ることなどは避けたい。 「人前で、話す」では、まず朝、家族と食事をし、新聞の話題を話し、会社で部下と朝の雑 談、仕事の打ち合わせ、上司に報告するなどに進む状況を思い浮かべるがよい。 ステップ瞑想練習 瞑想とまでいかなくても、まず眼をつぶってみよう。外界はしゃ断され、物は見えない。私 たちがもっている視覚は五感覚のうちでは、もっともその働きが活発で、鋭敏性において圧倒 的に他の感覚より優れている。
アメリカ人を被験者とする研究では、元来ネズミなどの動物実験から出発したためか、被験 者に対し、ある心理状態を作る意図的努力の教示をほとんどしていない。アメリカ人が禅やヨ ガ、瞑想訓練、自律訓練に弱いのは、案外このような主体の心理的訓練を無視する研究者の態 度が影響しているのかも知れない。 自己暗示の集約としての禅は、生理的変化の感覚的フィード・ハッグも報酬もないのに、脳波 の波制御 ( 安静状態 ) に成功している。この事実は、自己暗示のみによっても、身体的生理状 態の変容に導くことができることを臨床的に実証するものである。 意志による変容 このように、自分の心身の状態を、自分の感覚器官を通じて知りうると、元来制御できない はずの心身の変化が、自分の意志で制御できるようになるというのがパイオフィードバックと いう行動変容技法である。 しかし、それよりもこの技法からわかった重要な発見は、私たち以外の人や機械によって、 これが自分の心身の変化だと指示されれば、つまり暗示内容を与えられれば、その方向に心身 の変化が生じてしまう事実である。 ードバック訓練法 143 パイオフィ