自律反応のコントロール 私たちは通常、自分の心臓の拍動を自由に変化させることはできない。また、血圧が高いか ら、低いからといって、自分の意図で、下げたり上げたりすることはできない。いつも不安状 態にある人が、「えい」とか「やっ」などというかけ声や気合いで、すっと安定した気持ちに なってしまうとは、とても信じられない。 心臓の拍動は、直接的には心筋という特別な筋肉によって自動的に拍動を続けるようにでき ていて、私たちの意志による影響を直接に受けるような神経の仕組みにはなっていない。 しかし、血圧や血流量が、感情や情動、外的環境によって、私たちの意識とはあまり関係な く影響を受けて変化するのは、自律神経の中の交感神経によって、中枢あるいは末梢の血管運 動が直接支配されているからである。 末梢の血流量や皮膚温が交感神経の影響を受けることは知られているが、同時に、ある科学 リ東こよっては、この血流量などの変化も自分の意志や意識によって制御されうることは、 的 ~ いくつかの実験研究から指摘されている。 それでは、どうしたら、このような、初めは自分の意志、意図、努力によって制御を受けな 8
オフィ ード・ハック訓練法」の章でくわしく述べる。 身体弛緩を媒介とするコントロール 自分の骨格筋を自分の意志のままに動かしたり、身体運動が自由にできても、それは、行動 療法・行動変容の理論的枠内では、セルフコントロールとはいわない。また、学習、記憶、知 覚、イメージなどがどんなに意図的にできても、それがセルフコントロールによるものである とはいわない。 行動療法・行動変容理論では、自律反応や不随意的心身反応を自分の意志や意図のもとに随 コントロール 意的に制御できたり、変容できたりする技法をセルフコントロールといっている。とくに随 意的制御というのは、他者の働きかけ、外からの手段を直接借りたり、利用することなく、自 分の意図や意志によって心身反応を制御できることをいう チッグ、車酔い、不安・恐怖反応、強迫的行為などは、いずれも自分の意志・意図によって 直接に矯正・変容・除去することはできない。ある一定の手続き、訓練の下に、自らの意図で 行動障害の矯正・除去を図る技法がセルフコントロールである。 また、歪んだ自己概念の変容は、行動障害や不安反応そのものの軽減や除去でなく、最終的
ー弛緩の落差が大きいことは、筋緊張と弛緩の意識がない恐怖症、強迫行為をもっグライエン トには、その意識をもたらし、あるいは呼びもどす働きがある。 筋弛緩と心的弛緩の融合 ジェイコプソンの筋弛緩訓練法は、セルフコントロールの訓練法として、確かに自分で自分 を制御する方法であるが、かなり身体弛緩に重みがかかり、心理的弛緩の効果については、多 くの研究結果は疑問を呈している。逆に、シュルツの自律訓練法は、心理的弛緩のセルフコン トロールにやや偏りすぎているきらいがある ( なお、この自律訓練法の概略は前述の自己暗示訓練法 と同じものとみて差しつかえない ) 。 そこで、ジェイコプソンの筋弛緩法とシュルツの自律訓練法のそれぞれの短所・欠点を捨 て、長所を採用した方法はないものかと考え、模索し、長年の臨床的研究・実験を経て、筆者 が創り出したものが、自己弛緩訓練法である。 自己弛緩訓練法は、文字どおり自分で自分の心身反応を制御する技法であるが、自律訓練法 がそうであるように、最初からこの訓練法を使いこなすことは、ほとんど不可能である。そこ で、この訓練に習熟するために二つの方法がとられる。その一つは、最初、他者 ( 心理治療者
重要な番人である。 ところが、こんなに重要な働きをする神経であるのに、この神経の働きをわれわれは直接意 識して、さまざまな働きをするよう命じることができない。自分の心臓を速くしようと努力し てもまず不可能である。お腹の調子が悪いので、お腹の付近にある血管を広げて、血液量を多 あたた くし、温めようとしても、これもまずできない。冷や汗などかこうとしても、かけるものではな いが、教室で思いがけないときに当てられたり、そっとするようなことに出くわせば、冷や汗 が出ないように努めても自然に出てしまう。 その上、自律神経の働きそのものにはちっとも気づかない。人前で失敗をしたり、身の毛の よだっ思いをしたりすると、自律神経の働きで、血管が収縮し、血液量が減少する。そのため、 毛穴が収縮して、そのあと冷ややかな感じと、毛穴が狭くなった知覚が身の毛がよだっと感ず るのである。いずれにしても、われわれは自分の意志で、自律神経の働きをコントロールする ことができないのと同時に、自律神経の働きそのものを直接意識することができないのである。 その上、感情や情緒の大部分は、意識でコントロールできない自律神経と密接に関係してい ることが、いろいろな研究から確かめられている。心に悩みや葛藤がある人、あるいはノイロ ーゼになっている人は、不安や恐怖が強く、緊張が高いこともよく知られている。それゆえ、 なか
はじめに 今日の世の中では、人は上からの専制的権力や金力によって一方的に身を縛られることはほ とんどない。また、こと志と違って、義理や人情に屈しなければならなくなることも、ごく例 外のできごとであろう。それほど、私たちの日常生活での行動はいたって自由で、誰はばかる ことなく振る舞、つことができるよ、フに見一んる。 しかし、私たちの周囲を見渡すと、子どもは親にべったり、中学生は教師に依存し、老人は 社会にもたれ生活している。共存共栄、相互扶助というにはやや片寄った共生である。高校 生、大学生も外国の彼らに比べ、親や教師への依存度がけたはずれに高いように思える。 こうした人々の他人への依存度が高いことは、実はそれだけ自らの自由を失い、自縄自縛に 陥っていることである。ところが、私たちを取りまく社会のもろもろの条件は、きわめて徐々 にではあるが、個人個人に自立と自律の心と態度を持つよう求めつつある。私たちは誰でも、 天は自ら助けるものを助けるというより、助ける努力をする者しか助けないのだという、きび しい自助論の現実に直面しつつある、といえるのではないだろうか。 3 はじめに
ともいわれて、すっかり、気がめいってしまった。 大学に入った次の年、二年生の五月ごろ、 0 君はなんとなくやる気をなくし、勉強が身に入ら ない、だからといって友だちとパッと遊びまわることもない。ゅううっというほどではない が、頭がすっきりしない。家庭医学書をこっそり読んでみて、どうもうつ病ではないかと自分 で確信してしまった。大学の診療所で診てもらったら、うつ病ではないといわれた。 O 君のそ の気分はいわゆる不定愁訴と呼ばれ、自律神経のパランスが若干くずれているためだといわれ た。そうかといえば、排便したい気持ちにかられることがときどきある。だがトイレヘ行って も、出ないことが多い このように、自律神経失調症の症状は、どれもこれも自分の意志で、コントロールできない 自律神経に支配されている点で、その治療が大変やっかいである。 悩みと身体症状の悪循環 心身症といわれるものには、二つの側面がある。 一つは心の悩みや葛藤、欲求不満が、その形を変えて、身体の障害となって現われてくる病 気である。もう一つは、外からの強い有害刺激が身体に影響を与え、その衝激が感覚器官から
セルフコントロールの意図実現の第一ステップは、ある随意的身体反応をしようと〃思う〃 こと、ある心理状態になろうと〃努める〃ことである。ここでの " 思う〃ことは、自己確信と しての自信や確信ではない。 第二ステップは、〃思う〃意図を心身反応の誘導など他の心的ストラティジを用いつつ自己 確信に移行させる段階である。この自己確信は意志の実現目標であり、同時に心身反応を実現 する手段、媒体である。一般にこの自己確信は、自己暗示、受動的注意集中、瞑 ( 黙 ) 想などと 呼ばれる。したがって、この自己確信の過程は、一方では意図、意志、努力による随意的心身 反応を引き起こす過程と、他方では受動的弛緩状態、脳波の安静化、自律反応の安定など不随 意反応の弛緩状態との間に介在する媒体あるいはストラティジである。それゆえ、パイオフィ ード・ハッグ技法の基礎過程の一つとされる自律反応のオペラント条件づけ ( 自律反応である血圧 が下がったら、金銭の報酬が与えられるという手続き ) では、このような媒体もしくはストラティジ は実験操作や臨床的実践の中に入ってこない。 これに対し、〃田 5 う〃〃しようと努める〃ことで、骨格筋反応を随意的に制御できる。たとえ ば、呼吸調整によって身体的弛緩をもたらし、その結果、心理的弛緩をひき起こすことができ る。また、″田 5 う〃ことから〃自己確信〃に移ると、直接随意的に制御できない各種の自律反
間のある特定の条件下の実験を除いて、一般的にいえば、人間の自律反応あるいは不随意反応 のパイオフィードバッグによる行動変容では、①心的ストラティジが必要であること、②フィ ード・ハッグ情報ないし、強化刺激について被験者はその意味、方向性を知っていること、③動 機づけ要因、教示は行動変容にはパイオフィード・ハック情報と相乗効果がある点を明らかにし ている。 意図的関与の効果 行動療法の実践で、四肢の力を抜く、呼吸調整をする、イメージを思い浮かべるなどは自分 の意図や意志で随意的に制御できる機能である。また、受動的注意集中、四肢の重感、温感な どの自己確信、自己暗示は、自律反応や脳波などの不随意反応に変化をひき起こす。この際、 生体の変化は外受容性感覚情報信号に変換され、生体にフィード・ハッグされる。 それでは、く ノイオフィード・ハック技法では、生体の意志、意図、自己確信などの心的ストラ ティジはどんな役割を果たしているか、生体反応の外的フィードバッグは、パイオフィー クの効果にとって必要条件であるか。筆者がすでに指摘しているように、人間の・ハイオフィー ド・ハッグは、動物の自律反応のオペラント条件づけほど、簡単なメカニズムでは説明できない
下しているので、トイレでおしつこをすること が自分の行動として習慣化しにくい。だからと いって、意識がはっきりしている昼の間、「も う今晩からおねしよなんかしないね。約束する ね、〇〇ちゃん」といい聞かせて、子どもが 一「うん、うん」とうなずいたとしても、安心す る親はいないだろうし、そんな指示で夜尿が治 企療できる可能性はほとんどないといってよい。 三とくに、夜尿に関係する膀胱の弛緩、収縮など 器は、自律神経に支配される反応で、指しゃぶ り、爪かみ、チックなど、自分の意志で制御で法 きない習慣反応などと同様、意識がはっきりし 示 ている時のほうが治療、変容、除去が困難であ暗 むしろ、不随意反応は意識水準が若干低下し
するのはやはり自分であるという考え方がぜひ必要である。 中・高校生や大学生が、自分の性格がいやでいやでたまらず、催眠術で一気に改造したいの で、なんとか催眠にかけてほしいと、一年に二、三人は、必ずといってよいくらい筆者の所へや ってくる。自分の性格に対し自己嫌悪に陥るのは、青年特有の心理で、別に異常でもなんでも 。しかし催眠術で性格を一度に変えられると信じるのは、街の催眠術家の宣伝のためであ るように思われる。あるいは、悩みがかなり深刻で、ありうべからざることが起こる催眠現象 に、ワラをもっかみたい心理が働いているのかも知れない。 オカ、彼らの強い願いにもかかわらず、催眠術で、性格を一気に改善することなどできるわ けがない。催眠中に人格変換や感覚脱出が起こるのは、それは催眠中だけの一時的現象であっ て、それが永続することはほとんどないといってよい。むしろ、催眠暗示で性格を変えたい青ル 年の心には、自分自身で自分の性格を変えようとする自律心が乏しく、他者依存の気持ちを強ロ く読みとることができる。やはり、心の病気では、ほかの手立てがあるにしても、まず自分でン の 治すという気力がなければならない。 体