たくさん - みる会図書館


検索対象: 哀しい予感
21件見つかりました。

1. 哀しい予感

158 どうしてこんな所を家族でおとすれようと思ったのだろう。すべてが不思議な光景だっ た。異世界へ迷い込んだようだ。果てしない立体にそびえる丘には、たくさんの地蔵が立 そとば ち、甘い青をしたタ空にくつきりと浮かびあがっていた。無数の卒塔婆が揺れ、カラスが 舞い、荒涼とした白い溶岩の草もない地面に、イオウの匂いが強く漂っていた。 ふいにめぐりあえたおばが横にいることが、まだ信じられなかった。ただ私達は歩き、 無数の像に出会った。人はまばらで、遠くをゆく人影は岩にまぎれておもちゃのように小 しくつものお堂が、広大な荒れた大地に影を落としていた。道にかがみこむ さく見えた。、 ようにしてある地蔵には、たくさんの色とりどりのポロきれのようなものが巻いてあり、 人間のように見えた。あちこちに不自然な形で小石が積まれて、すべてが妙にしんとして いる。何もかもが夢の中のようだ。振り向くと背には緑の山々がそびえていた。あちこち に蒸気が吹き出す、灰色のごっごっした岩の中を登っていった。景色は登るにつれて開け、 ☆

2. 哀しい予感

「ううん、内緒で来たから、もう帰らなくちゃいけないの。」 と私は言った。 「そうね。」 おばはうなすいた。 「駅までの道、わかる ? 私、ねまきだから出られない。」 「うん、大丈夫。」 私は立ち上がった。廊下に出て、階段を降りてゆくと冷気はあまりにもきびしく、体に 食いこんでくるようだった。 と私は靴をはいた。本当よ云えこ、 をイナしことがたくさんあったはずなのに、いざ、やつばり 家にいたひとりきりのおばを前にしてみたら何も一一一一口えなかったことがひどく悲しく思えた。 でもその時、私にはそれが精一杯だったのだ。 玄関を 1 歩出た時、おばが私を呼び止めた。 し「弥生。」 静かな声だった。余韻があった。私は振り向き、おばを見た。これからまた暗い部屋へ 戻って夜を明かすのだろう。自分が来たせいで、その後の時間をかえってひとり・ほっちに

3. 哀しい予感

164 うち 「旅だったね。」おばは言った。 , 「私は、もう大丈夫。だから弥生、もう、お家へお帰り。」 「うん。」 私は答えた。家へ帰るのだ。厄介なことはまだ何も片づいていないし、むしろこれから、 たくさんの大変なことが待ちうけている。それを、ひとつひとつ、私が、そして哲生が乗 りこえていかなくてはいけない。それは不可能なほど重々しいことに違いない。それでも 私の帰るところはあの家以外にないのだ。運命、というものを私はこの目で見てしまった。 でも何も減ってはいない。増えてゆくばかりだ。私はおばと弟を失ったのではなくて、こ の手足で姉と恋人を発掘した。 風が強くなった。まるでビロードの幕がゆっくりと降りてくるように、空がだんたん暗 くなり、星がひとつ、またひとっと浮かび上がる。 まるで失われた家族の淡い面影がさまようのを捜すように、私とおばはしばらくそのま ま無言で、暗い湖をのそんで立ちつくしていた。

4. 哀しい予感

空も次第に暮れていった。小さな山のてつべんの、背の高い地蔵の足元に、おばは腰を降 ろした。 「どこにでもすわっちゃうのね、いつも。」 私は言って地蔵によりかかった。話すことはもっと他にたくさんあったはずだったが、 何たかもうどうでもよかった。たた 2 人並んで遠近を失ったグレーの景色を見つめ、涼し い風に吹かれていることだけが幸福なことに思えた。 「そうよ。すわるのが好きなの。楽たから。」 おばは言った。風でむき出しになった額が幼い頃の顔立ちを思い出させた。 「私、お父さんとお母さんの顔、思い出したよ。」 私は言った。 「 : : : そう。」 おばは言った。優しい瞳をしていた。カラスが黒い翼を広げて、ゆっくりと飛んでゆく 感 予 のを見ていた。 哀「弟もいっしょに来るかと思ったわ。」 おばは言った。 「やはりここには、血族だけで来なくてはね。」私は笑った。「でも、さっきまでいっしょ

5. 哀しい予感

その大粒のチェリーを食べながら、おばは言った。 「そうね、たんばく質を取らないと。」 「ふふ。」おばは笑った。「そういう言い方、育てのお母さんによく似ているね。幸福に育 ったのに、思い出してしまって、それは悲しいことかもしれないね。知ってる ? あの人 達も、もちろん死んだおじいちゃんも、私達と何の血のつながりもないのよ。私達の本当 の両親ととても仲が良かったというだけで引きとってくれたの。あんな善良な人達、いな 、。あの、男の子も。」 「哲生 ? 」 「そう。」おばはうなずいた。「いい子じゃない。自分が知っていると思っていることより、 すっとたくさんのことをわかっている子だわ。」 「そうかもしれない。」 私は言った。今はそれどころではなかった。 「ねえ、私また本当に何もちゃんと思い出せていないのよ。どうして両親は死んじゃった の ? なんで、私、覚えてないのフ おばは少し、苦しそうに眉をひそめた表情で言った。 「 : : : 家族、最後の旅行になった。」

6. 哀しい予感

やっ 数日後の夜のことだ。私はよく冷やした日本酒のいい奴をちょっとずつ、ちょっとずつ 飲みながら気持ちよくべランダにすわっていた。梅雨の晴れ間で、星がたくさん見えた。 私の新しい部屋には、わずかな空間だったがべランダがついたので、そのことたけはか なり嬉しく思っていた。夏であろうと、冬であろうと、私は野外が大好きなのだ。 しかし、あまりのせまさに私は「ぎっしりすわっているかっこうになっていた。自分 を固定するために窓をきっちり閉め、両足をェアコンの装置に乗せ、コンクリの壁にきっ くもたれて、身動きひとつできない苦しい感じで高い柵の向こうの星空を見ていた。冷ん やりした風がほほに心地良かった。私は爪の先まで 6 月の甘い冷気の底に沈み込んでいっ れた。呼吸する空気は、そのままうっとりと眠ってしまいそうに澄んでいた。星はひとつひ とつ、ちかちかとまたたいていた。 私は迷っていた。 ☆

7. 哀しい予感

おばの家で過ごしたほんのひとときの不思議な印象は、私の胸に深くしまいこまれた。 あの独特な色をした空気、おばのいる空間では過ぎてゆく時間さえ足を遅くするように思 えたこと。奇妙になっかしく胸に迫ってきたあのひとときの印象が胸に焼きついた。 やがて、木々の間におばの家の白い壁が現れ、その。ほっりと明かりのついた窓が見えた 時、私はほっとした。やはりおばはいたのだ。家の前に立ち、きらきらと暗く光る水滴を たくさんのせた錆びついた門をきい、と開き、ドアチャイムを押した。少し緊張して待っ ていた私の耳に、やがて奥の方からゆっくりと足音が近づいてくるのが聞こえた。おばは 感 予ドアの向こうに立ち、 し 「どちら様ですかあ。」 と一一一口った。 「私、弥生。」 ☆

8. 哀しい予感

このまま健康さえ上手くいけば、けっこう沢山小説が書けそうです。もちろん、脳の方 の健康も含めてなので、ちょっと危い気もしますが、そのスリルが作家を走らせるのだ。 そしてどうせなら、自分の中にあるものを全て送り出してあげたいと思います。そうい う意味で、この小説は私の中の「ある方向性」の卵だと思います。今はまだ、何が何だか 形になっていないけれども、後で振りかえると、この作品は未熟すぎるけれどきっと大切 で、愛しいものになると確信しています。しかも私は昔から角川映画が大好きで、「読物」 しよろ・じん なので、精進を誓い にあこがれているので舞台も完璧です。足りないのは実力だけだー ます。 それから、私はこの仕事でかけがえのない友人をたくさん得ました。この場を借りてそ あの人達にお礼を言います。 力、、 ハーイラストを描いて下さったことが、まだ夢のように思えます。敬愛する音楽家、 原マスミさん。 亠めとが」

9. 哀しい予感

と言った。彼女はたくさん氷を入れたグラスにウイスキーをどんどん注ぎ込んた。それ を映す床の上の影が、触れ合う氷のかちかちいう音と共にゆっくり満ちてゆくのをくりか えし見ていた。〃 この人も決して危うくないわけではないのだ、ひとりきりで、決してこ こで面白おかしく暮らしているわけではない ? そして私が来て、乱されているんだ〃とい うことがそれを見ていてわかってきた。 「あの子、弥生のこと好きなのね。」 と言って、おばは少し微笑んだ。投げ出した足の、爪の形を見ていた。 「あの子って、哲生 ? 」 私は言った。 「そう、血のつながってない弟。」おばは平然と言った。 もう、隠されているものは何も残っていなかった。その瞬間、ライトが照らす具合や、 窓の外の夜の色が、一滴すっ落ちる貴重な時のしずくと共にとても光って見えた。 今た、と思った。今しかない。 哀私は静かにたすねた。 「私達のお父さんとお母さんは、どんな人達だったの ? 」 おばはすらりと口にした。今までも別に、隠してなんかいなかったみたいに。

10. 哀しい予感

その夢の中で私は他人になって赤ん坊を殺していた。ああ、今もはっきりとあの、いや な感じを思い出すことができる。それはあくまで断片だったが、現実の匂いがした。 真夏の真昼、暑くまぶしい陽射しの入ってくるあの風呂場に私は立っていた。窓ガラス もタイルも、私の知っている状態よりも新品に見えた。私はスリツ。ハをはいていて、その スリッパには全く見覚えがなかった。チェックの、いやらしい配色をしていた。すのこに そのスリツ。、、、、。 / 力へたべた触れる感しが、そっとするほどリアルだった。私は首すじに冷た ートカットだった。そして泣きわ い汗をたくさんかいていて、今までしたことのないショ めく赤ん坊をこの両手で水風呂の浴槽に夢中で沈めていたのだ。 その重み、弱い抵抗、こちらを見上げる目。私は一生忘れられないだろう。口が乾き、 目まいがした。陽がぎらぎらと射し、低い水音が響いていた。そして、気づいた。足元に 置いてある小さな洗面器の中、陽にさらされててかてか光る、アヒルのおもちゃがあった そこで、目が覚めた。