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検索対象: 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)
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1. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

ささら ワキは立ってシテに声をかけて問答となる。シテは簓について 奏した。 を龍頭鷁首と申すのも、この御代より起 語り、地謡となると、地謡に合わせて舞う。ワキは着座する。 こったことなのである。 シテは中央で膝をついてワキへ合掌して留める。 = 「君の御座舟を : ・」とわれたの 人商人は「龍頭鷁首」ということばを喜 おんニは ささら で、そのことばを祝言として受け取ワキ「 び、さらに簓の舞を所望する。自然居士 いかに申し候。われらが舟を龍頭鷁首と御祝ひ候ふ事過 じゅず って述べた。 は簓の起りを述べつつ、扇と数珠とで簓 ささらすッ ぶん 三楽器の名。右手に持った「ささら 分に存じ候。とてもの事に簓を擦って御見せ候へ。 を擦るまねをして、手を擦り合わせて頼 竹」 ( 先を細かく割った竹 ) で、左手 むのだから女児を返してくれと言う。 の「ささらこ」 ( ぎざぎざをつけた細 シテ「さらば竹を賜り候へ。 い棒 ) を擦って音を出す。「ささら」 人商人甲「もうし、われわれの舟を龍頭鷁首 の名はその音に基づくという。中世 をりふしせんチう とお祝いくださいまして、身にあまるし にこの楽器を用いて舞うことが流行ワキ「折節船中に竹が候はぬよ。 一四※ あわせに存じます。いっそのこと引き続 した。 ほとけ いッさいしゅじゃう 一三釈迦如来をさす。 シテ「苦しからず候。かの仏の難行苦行し給ひしも、一切衆生 いて簓を擦ってお見せください。 一四※現行観世流は「一切の衆生を」。 こツか 自然居士「それでは竹をくださいませ。 一五現在ただいまにおいて、の意。 を助けんためそかし。居士もまたそのごとく、身を刻下に 人商人甲「今は船中で、竹がないのですが。 ささら 一六以下の簓の起源説は典拠不明。 自然居士「それではけっこうであります。あ しやかさま 砕きても、かの者を助けんためなり ( 子方を見やる ) 。それ簓 おそらく付会であろう。 のお釈迦様が難行苦行なさいましたのも、 おんそう ひがしやま 一七ささらこ。 一切の衆生を助けるためであった。わた 一〈人間の眼・耳・鼻・舌・身・意の起りを尋ぬるに、東山にある御僧の、扇の上に木の葉の くしもそのように、わが身を現在ただい じゅず の六根に宿る百八種の煩悩になぞら 掛りしを ( 扇を見つめる ) 、持ちたる数珠にてさらりさらりと えて、百八個の珠を連ねた数珠。 まにおいて打ち砕くようなことがあって 一九ささら竹。 も、それはあの者を助けるためなのだか ニ 0 「押っ取り」と「取り合せ」とを重払ひしより ( 数珠で扇を払う ) 、簓といふ事始まりたり。居士 ら、すこしも厭うことではない。そもそ ねた。 十〔中ノ舞〕〔曲舞〕、「簓」のまね、 もまたそのごとく、簓の子には百八の数珠 ( 数珠を見る ) 、簓も簓の起源を調べてみると、東山で、あ そして「羯鼓」のまねと、「芸づくし」 るお僧が、扇の上に木の葉が散りかかっ す おッと あは が展開されている。説経者は、「話 の竹には扇の骨 ( 扇を見る ) 、押っ取り合せこれを擦る ( 扇を数てきた時に、持っていた数珠でそれを、 芸」はもとより、これらの芸能の持 さらりさらりと払い落したところから、 主でもあった。そして、この場面が 珠で擦る ) 、气所は志賀の浦なれば、 観客への見せ場になっている。 簓ということが始まったのである。わた 一 = 「志賀」の枕詞。 くしもそのように、簓の子としては百八 地謡气ささ波や、ささ波や、志賀辛崎の ( 足拍子を踏む ) 、松の上 ↓一一七ハー注六。 の数珠、簓の竹としては扇の骨、それそ ニ三「ささ波」「さらりさらりと」と頭 を、さらりさらりと、簓のまねを ( 扇を数珠で擦りつつ右へまれ手に取って取り合わせ、これを擦るこ 自然居士 韻。 カカ こかた くわ りようとうげきしゅ

2. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

一現行観世流は「守護神は」。 三仏法守護の八大龍王。 四人間を襲う恐ろしい魚。 く ( 正面先へ出て下を見つめる ) 、ほとりも知らぬ海底に ( まわって女「それではちょっと、その時の有様を再現 じんべんナ ふちゃう してお目にかけることにしましよう。 一人智では及び得ぬような変化 ( ~ を常座〈行く ) 、そも神変はいさ知らず、取り得ん事は不定な女「玉を取り返すようにと淡海公が頼んだ リう・き、う・ キうチう 「取り得ん事は不定なり」で、シテ その時に、かの海人が申すには、『もし り ( 足拍子を踏む ) 。かくて龍宮に至りて ( 地謡座前へ行く ) 、宮中 がシオリをする演出もある。 この玉を取ることができたなら、この御 さんジふちゃうぎよくたふ を見ればその高さ ( 右上を見あげる ) 、三十丈の玉塔に ( 目付柱へ子を藤原家の跡継ぎの地位につけてくだ さいませ』と申したところ、異論ないこ かうげそなしゅごじん 向く ) 、かの玉を込め置き、香華を供へ守護神に ( 角へ出る ) 、 ととご承知になる。それではわが子のた 四 はちリうな あく めに捨てる命、ちっとも惜しくはあるま ちひろ 八龍並み居たり ( 舞台を大きくまわって常座へ行く ) 、そのほか悪 いと思い、千尋の繩を腰に結びつけ、 ぎよわに のが おんナい いのち ふるさとかた 魚鰐のロ、遁れがたしやわが命、さすが恩愛の、古里の方『もしこの玉を取ることができたなら、 この繩を動かすことにしよう。その時は そ恋しき ( 面を伏せる ) 。あの波のあなたにそ ( 脇正面へ向く ) 、 皆々で力を合わせて、わたくしを引きあ ちちだいじん げてください』と約束し、一つの利剣を わが子はあるらん ( 数歩出る ) 、父大臣もおはすらん、さるに 抜いて手に持って、 てもこのままに ( シオリをする ) 、別れ果てなん悲しさよと ( ま 地「あの海中深く飛び入ったのである。空 なみだ の雲も海の波も一つにつながる水平線の、 わって常座へ行く ) 、涙ぐみて立ちしが ( 脇正面へ出る ) 、また思 煙っている波濤の下をくぐりつつ、漫々 あは しどじ くわん たる海中深く分け入って、この真下であ 五「薩埋」は「菩薩」に同じ。志度寺のひ切りて手を合せ ( 下がりつつ合掌をする ) 、南無や志度寺の観 っこうに底 , も、な′ v' 深 ) ろうと見るが、い 本尊は十一面観世音菩薩である。 ノんさッた 六観音の大慈悲心の加わった利剣。 音薩垣の、力を合せて賜び給へとて ( 足拍子を踏み続ける ) 、尢て、ど一」が海底ともわからぬ有様、いや 人智を超えた神力でならともかく、人の ひ りけんノひたひ リうき、らノ . はか 七「不レ宿二死屍こ ( 涅槃経 ) 、「不レ受一一 悲の利剣を額に当て ( 扇を額に当てる ) 、龍宮の中に飛び入れ力では取り得るかどうか決められないこ 死屍こ ( 華厳経 ) などに基づき、龍宮 では死人を忌み嫌うとした。 とである。それでもどうにか龍宮に到着 ば ( 角へ出て膝をつく ) 、左右へばっとそ退いたりける ( 立 3 、 ^ 「玉」と「あま ( 人 ) 」は脚韻。 し、宮殿の中を見ると、高さ三十丈の玉 ひまほうじゅ 九体が切り裂かれていて、赤く血に 染まっている。 その隙に宝珠を盗み取って ( 正面先〈行き、膝をつき、扇で玉をすをちりばめた塔の中に、問題の玉を納め 置き、香や花を供え、守護するものとし 一 0 ※下掛系は「母も空しくなり給ふ しゅ・こじんノッ と」。 くい取る ) 、逃げんとすれば守護神追っかく ( 脇正面へ行き、正面て八大龍王が並んですわっている。その 謡曲集 の 力してい

3. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 るという指摘にすぎない。また「すさまし」「すさまじ」、「法界」「法界」の程度の差異は、校異を省略した。なお以上の場合 は三※のように注番号に※を付した。ただし、語釈の項と合わせてその末尾に校異を記した場合は、注番号に※をつけなかった。 4 鑑賞の一助となるようなことどもの注記には十を冠した。これは紙面の制約もあり、必ずしも十分とはいえない。またそのよ うな内容を、便宜にしたがって語釈などの項に合わせ記した場合もある。 一、ロ語訳はなるべく原文に即して行ない、語序も変えないようにつとめた。 敬語や過去形・現在形などの時制も可能な限り原文の表現にしたがうようにしたが、文語文・ロ語文の差があるゆえ、必ずし もそのとおりにはなっていない。 2 繰返しの部分は言い替えたことが多い。ロ語文での繰返しは落ち着かぬ場合が多いからである。 3 当然のことながら、序・縁語・掛詞の類はそのままを移し得ていない。原文を味わっていただきたいと思う。 4 時にややくだけた表現をとったほうがその場においては適切と考えられる場合があっても、全体との調和を考えて、なるべく その種の表現を避けた。 従僧「 . 地謡「 : : : や、 ・のように記したのは、文意を括弧内のごとく廷臣・小町の立場のことばと解したことを示す。も ( 廷臣 ) ( 小町 ) とより便宜的処置であって、他の解し方の存する場合もあり、混在していることもあるし、後半から他の立場に変わっているこ のように〈〉を用いたのは、舞台に登場していない人 ともある。本文と比較して、適宜判断していただきたい。将〉・ 物である少将の立場のことばと解したことを示したものである。 一、各曲の初めに、作者・主題・人物・備考の項を設けて、きわめて簡単ながら参考に供することとし、また一葉の舞台写真を入れ ひためん ふんそう 言オカシテ・ツレについては最初に面を記し、面を用いない場合は直面とした。ワキ・ワキツレは常 た。人物の項に扮装を略己しこ、 に直面であるので、その記載を省略した。アイも、直面の場合はその記載を省いた。 ほ、小・かい

4. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

, ワキ・ワキツレは、大小前に着座合わせ、棹を捨てる ) 。 痛い目にあわせ申すぞ。 すると、肩脱ぎしていた右の袖をも 自然居士「痛い目にあうというのは、われら とに直す。 ワキ「なうわたり候ふか ( ワキ・ワキツレは大小前へ行く ) 。 の修行、捨身の行と同じこと。 ワキが「まづかうかう御座候へ」と 人商人甲「命を取るそ。 ワキツレヘ声をかけてから大小前へ ワキツレ「何事にて候ふそ。 行き、着座して袖を直し、あらため 自然居士「たとえそなたがわたくしの命を取 つかまっ て問答をする演出もある。 ろうと、絶対に下りるまい ワキ「 ( 向かい合って着座して ) さてこれは何と仕り候ふべき。 ^ ※下掛系は、「なうわたり候ふか」 人商人甲「なに、命を取ろうとあっても絶対 以下のワキ・ワキツレの問答がなく、 前行のワキの独白が「とにかくにこ ワキツレ「これは御返しなうてはかなひ候ふまじ。よくよく物に下りるまいというのでありますか。 の自然居士にはったともてあっかう ひとあきびと 自然居士「もちろんのこと。 て候。さんざんになぶって返し候ふを案じ候ふに、奥より人商人の都に上り、人に買ひかねて、 人商人甲「いや、この自然居士の扱いには、 べし」 ( 現行喜多流 ) となって、すぐ、 せッぎゃうじゃ 「いかに居士舟より御上ナがり侯へ」 自然居士と申す説経者を買ひ取り下りたるなんどと申し候ほとほと困りはてたことであります。 ( 現行喜多流 ) というシテヘの呼びか 人商人甲「もうし、おいででありますか。 けに続く。 はば、一大事にて候ふほどに、御返しなうてはかなひ候ふ 人商人乙「何事でありますそ。 人商人甲「さて、これはどういたすべきであ まじ。 りましようか。 ワキ「われらもさやうに存じ候さりながら、ただ返せば無念に人商人乙「これはお返しにならなくてはなり のち ますまい。よくよく考えますと、奥州よ 候ふほどに、いろいろになぶってその後返さうずるにて候。 り人商人が都に上って、人を買うことが うまくゆかなくて、その結果、自然居士 ワキツレ「もっともしかるべう候。 ( ワキは脇正面へ行き、ワキツレは と申す説経者を買い取って下った、など 脇座へもどり着座する ) と人が申すようなことになりましては、 われらにとって容易ならぬことでありま ワキは脇正面に立ってシテに声をかけ、問答となる。問答をし すから、お返しにならなくてはいけませ つつシテは立って常座へ行き、ワキは地謡座前へ行く。問答の えぼし んでしよう。 終りに、ワキはシテヘ寄り、膝をついて鳥帽子を渡す。ワキへ 人商人甲「わたくしもそのように思います。 一歩出て膝をついて鳥帽子を受け取ったシテは、そのまま〔物 しかし、ただ返すというのは残念であり 着〕をする。 ますので、いろいろと慰みものにして、 おんナ 九※ ワキ「なうなう自然居士急いで舟より御上がり候へ。 その後に返すことにしましよう。 九※現行観世流では、次に、 シテ「いやいや聊爾には下りまじく 候。 ワキ「何の聊爾の候ふべき。ただ御 上ナがり候へ。 の応対があって、シテの「ああ船頭 殿の」に続く。現行下掛諸流もほぼ 同様である。 十「船頭殿のお顔の色こそ : こには、 相手に対して余裕たつぶりである自 然居士の態度がうかがわれる。 自然居士 のぼ

5. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

四〇八 激して声を上げて泣く。 ワキ「今宵のお宿返す返すもありがたうこそ候へ。 ( 枠輪を見 なに 祐慶「今宵のお宿、まことにありがたいこと 一糸を巻ぎ取る道具。糸繰り車。 て ) またあれなる物は見馴れ申さぬ物にて候。これは何と であります。またあそこにある物は、わ ニ※下掛系は「恥かしや旅人の」。 三※下掛系は「いっとなく」。 たくしの見たことのない物であります。 申したる物にて候ふそ。 四「 ( 情 ) 深き」と「深き ( 夜 ) 」との上下 これはなんと申す物でありますか。 ざうらふ わくかせわ にカる いとなわざ シテ「さん候これは枠槞輪とて、いやしき賤の女の営む業にて女「さよう、これは枠朴輪といって、しい 五美しい麻。「真」は美称。「麻そ」も 「苧」も麻「真麻ごの延音かもしれ 女がする仕事であります。 ない。なお底本の表記は「麻草」。 祐慶「それは面白いこと、では夜もすがら使 マ《長糸之伝》の場合は、シテが〈次 いとな ってお見せください。 第〉で糸を繰りはじめ、「世渡る業こワキ「あら面白や、さらば夜もすがら営うで御見せ候へ。〔ア 女「まことに恥ずかしいこと、旅のお方が見 そもの憂けれ」で手を下ろす。〈ク セ〉となるとふたたび糸を繰り、〈ク ているのに恥じもしないで、いっという シライ〕 ( シテは立って枠輪の前へ行き、着座する ) セ〉の末尾で手を下ろしシオリをす こともなくっとめる賤しい仕事。ほんと ニ※は・つ たびびと る。〈ロンギ〉となると、また糸を繰 シテ「げに恥かしや旅人の、見る目も恥ちずいっとなき、賤 うにつらいこと。 り、「泣ぎ明かす」 ( 四一〇ハー九行目 ) で手を下ろし、シオリをする。この 祐慶「今宵泊まることになったこの宿の、主 なさけ が業こそもの憂けれ。 間、たびたび手をとめて、糸を見、 人は情が深くて、深夜に、 と・と やど あるじなさけ 輪を見るところがある。 慶 ) 「月の光も差し込んで来る、 ワキ气今宵留まるこの宿の、主の情深き夜の、 六「いにしへのしづのをだまきくり 祐慶「閨の中において、 かへし昔を今になすよしもがな」 ( 伊 勢物語三十一 l) に基づく。 シテ气月もさし入る ( 月を見あげる ) 、 地謡「枠輪を使って麻の糸を繰り返し、繰 七麻を細く引ぎ裂き撚り合わせた糸。 ねゃうち り返す。ーーそして女はつぶやく、でき ^ 「撚よる」 ( ねじり合わせる ) に音がワキ气閨の内に、 ることなら、はなやかな昔を今に返した 通じ、「績麻」の縁語。 まそを 九「夜」と頭韻。 いものと。 地謡气〈次第〉真麻苧の糸を繰り返し ( 左手で糸を取り、右手で糸を繰 一 0 十界の一。人間世界。 女「賤しい身で、こうして夜までも麻の糸を = ※下掛系は「つたなき世に生れ」。 る ) 、真麻苧の糸を繰り返し、昔を今になさばや ( 糸を見つめ撚り合わせる、 三※現行観世流は「便りもあれ」ま 地謡「世渡りの仕事をするとは、まことにつ でワキの謡の続きで、「かかる憂き る ) 。 世に」以下が、地謡。 らいことだ。 うみそよる 一三※下掛系は「身なれども」。 女「あさましいこと、せつかく人間として生 典拠不明の歌「心だにまことの道シテ气 ( 手を下ろして ) 賤が績麻の夜までも、 まれながら、このようなつらい境涯に明 にかなひなば祈らずとても神やまも かし暮らして、わが身を苦しめるとは悲 らむ」 ( 『謡言粗志』には、「金玉集 = 地謡世渡る業こそもの憂けれ。 謡曲集 候。 こよひ かへがヘ しづめ 三※ おんみ

6. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

一公社の事においても、いくらかは 私情を交じえることができるもので ある、という意のことわざ。参考 「小大進泣々申すやう、公の中の私 と申すはこれなり。今三日の暇をた べ」 ( 古今著聞集巻五 ) 。 ニ薩摩半島をさす。 三※下掛系は「打たんとすれば」。 六「 ( せん方 ) 無み」と掛詞。 七肥前国 ( 佐賀県 ) 松浦の東方に住ん でいたという女性。大伴狭手比古は でが朝命で任那鎮定に赴く時、 これと契ったが、彼が松浦潟より舟 出したので、姫は山に登って領巾 2 を振り、いつまでも別れを惜しんだ という ( 万葉一詞書 ) 。 二五八 ことがあるのだから、せめて薩摩の地ま ワキ僧都は舟にかなふましと、さもあらけなく言ひければ、 なさけ おほやけわたくしイ ででも、どうか情をかけて乗せてくださ シテ「うたてやな公の私といふ事のあれば、せめては向ひの いませ。 ち なさけ 赦免使「こちらは情もなにも知らぬ舟人と 地までなりとも ( 揚幕のほうをさす ) 、情に乗せて賜び給へ。 て、艪や櫂を振りあげて俊寛を打とうと ろ力い ふなこ 三※ ワキ气情も知らぬ舟子ども、艪櫂を振り上げ打たんとす ( ワキする。 俊寛「さすがに命が惜しいので、またもとへ は右肩を脱ぎ、棹を振りあげる。康幀は舟に乗る ) 。 もどってそれではと、出ようとする舟の ともづなに取り付き、引き留めようとす シテ气さすが命の悲しさに、また立ち帰り出舟の ( 面を伏せて中 る。 四 とも・つな 五※と 赦免使「舟人はともづなを押し切って、舟を 四艫」 ( 船尾 ) にあ 0 て、舟をつなぎ央へ行き、舟を見る ) 、「艫綱に取り付き引き留むる ( 常座へ行き とめる綱。 深い所へと押し出たす。 五※下掛系は「揺られゆけば」。 ともづなを両手で持って引く ) 。 俊寛「しかたなくて、海に入って波に揺られ ふなびとともづな ながら、ただ手を合わせて、『舟よ、 ワキ「舟人艫綱押し切って ( ワキはともづなを切る。シテはどうと膝を「赦免使「舟よ、待て』と言うけれど、乗せて くれないので、 いて座す ) 、舟を深みに押し出す。 俊寛「カ及ばず、俊寛は、 シテ气せん方波に揺られながら、たた手を合せて舟よなう ( 居地謡「もとの波打際にひれ伏して、あの領巾 まつらさよ を振って夫との別れを惜しんだ松浦佐用 立ち、舟のほうへ合掌する ) 。 姫の嘆きも、今のわが身の嘆きにはよも やまさることあるまいと、声も惜しまず ワキ气舟よと言へど乗せざれば、 に泣していた。 しゅんくわんナ シテ气カ及ばず俊寛は、 舟からは、「やがて必す帰洛の時があろ なぎさ まつらさよひめ う、それまで待て」と声々にカづける。 地謡气もとの渚にひれ伏して、松浦佐用姫も、わが身にはよ それにかすかな希望を託して、「頼むぞ」 と返事をするが、舟からの声も人の姿も も増さじと、声も惜しまず泣きゐたり ( シオリをする ) 。 しだいに遠ざかり、ついに舟影も見えな くなってしまったのであった。 掛合いの謡があって、地謡となると、ツレ二人・ワキは退場す 謡曲集 そうづ かた六 さお いでぶね ひめ なみうちぎわ ふなびと

7. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

四七二 ちまた 巷となりぬらん ( 大小前で正面を向く ) 。 ら、なんとまあふしぎなことにも、雲の 中から、邪法をとなえる声がするではな 一魔も仏も、その本性は一体である、地謡气ふしぎや雲の、うちよりも、ふしぎや雲の、うちより いか。しかしながらもちろん、魔も仏も の意。参考「魔界即仏界」 ( 摩訶止観 巻八下 ) 。 一体であって、凡人も聖人もその本性は も ( 足拍子を踏む ) 、邪法を唱ふる、声すなり ( 正面へ数歩出る ) 、 ニ凡人も聖人もその本性は同じもの 同じである。物それ自体の本性は清浄で まぶつ いちによ ぽんしゃうふに である、の意。「凡聖不二、一切円 もとより魔仏、一如にして ( 右のほうへ出かかる ) 、凡聖不二なあり、自然のままおよそ動くことがない。 満」 ( 宝蔵論 ) 。 四 じしゃうしゃうじゃうてんねん それゆえにこれを不動と名づけたのであ 三物それ自体の本性は清浄であるこ り ( 正面を向き、一歩下がる ) 、自性清浄、天然動きなき、これる。 善界坊は〔イロエ〕を舞い、車の長 四自然のまま。 を不動と、名付けたり ( 常座へ行き、小さくまわって正面を向く ) 。 柄をつかんで、僧正を威圧しようと する。 《黒頭》の場合は、〔イロエ〕がはぶ 〔イロエ〕 こんがら 僧正は不動明王に祈る。明王は矜羯羅・ ワキが祈りはじめると、シテは長柄を放し、下がって安座する。 制多迦の一一童子や十二天をしたがえて現 地謡となるとシテは立ち、常座へ行き、続いて〔舞働〕を舞い 常座で留める。 われたもうたので、善界坊はこれらに立 ち向かう。 ちゃうがせッしやとくだいちゑ ちょうがせっしやとくだいちえ ワキ气 ( 合掌して ) 聴我説者得大智慧、うんたらたかんまん ( シテ 五不動明王の衆生を救う誓いの偈。 僧正「『聴我説者得大智慧、うんたらたかん ↓「黒塚」四一六ハー。 まん』、 は中央に下がって安座する ) 。 六不動明王の慈救偈。明王に祈る時 地謡「その時僧正のお声とともに、その時僧 に用いる。↓四一六ハー。 みこゑ した 正のお祈りにつれて、不動明王は出現ま 地謡その時御声の、下よりも、その時御声の、下よりも、 しましたので、矜羯羅・制多迦の二童子 こんがらせいたか ←不動尊明王。 明王あらはれ、出で給へば ( 見あげて居立 3 、矜羯羅制多迦や、梵天・地天など十一一天が、それそれ ^ 不動尊明王の左右に侍する一一童子。 ジふにてん 悪魔降伏のために力を合わせて、明王の 九梵天 ( 上方 ) 、地天 ( 下方 ) 、日天 ( 立ち、正面へ出かかる ) 、十二天 ( 右へまわって常座へ行く ) 、各降 先駆となって、前方をはらい清めておい ( 日 ) 、月天 ( 月 ) 、帝釈天 ( 東方 ) 、烙 あは みさき 摩天 ( 南方 ) 、水天 ( 西方 ) 、毘沙門天魔の、力を合せて ( 常座で小さくまわ「て正面を向く ) 、御先を払でになる。 ( 北方 ) 、火天 ( 東南 ) 、羅刹天 ( 西南 ) 、 善界坊は〔舞働〕を舞って、不動明 そで 風天 ( 西北 ) 、伊舎那天 ( 東北 ) の十一一 って、おはします ( 左袖をかすき、飛びあがり、足拍子を踏む ) 。 王以下に立ち向かう。 の守護神。 〔舞働〕 かれる。 謡曲集 じやほふ ながえ おのおのがう せいたか

8. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

さい、と、 地謡「西に向かって手を合わせ、西方極楽浄 なむあみだぶ 土に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏 と声高らかにおとなえになったところ、 おんくび はかなくも御首は前に落ちた、資朝の卿 の御首は前に落ちたのであった。 ワキは常座へ出る。本間はワキに声をかけ問答となる。問答が みす すむと、本間は地謡座前に着座する。ワキは後見座へ行き、水 本間の許しを得て、帥の阿闍梨は資朝の ) 」ろも むじのしめ 衣の肩を上げる。後見は無地熨斗目を正面先に出す。ワキは静 遺骸を弔う。本間は私宅へ帰って休む。 かに立って熨斗目の前へ行き、膝をついて熨斗目を見わたし、 本間「もうし、山伏へ申しあげます。資朝の 掛絡を取って見入り、熨斗目の袖で掛絡を包み、裾を折り返し 卿のことは、囚人でございましたのでな た後、その熨斗目を両手でかかえ持って立ち、後見座へ行く。 んともいたし方ないことでありました。 本間は立ち、常座へ出た従者に命じて退場する。従者は常座で 梅若子のことは、資朝の卿のご遺言のと 触れた後、退場する。 おりに、明日お舟を用意するよう申しつ めシうと すけとも け、都へお送り申すことにいたします。 + 『太平記』では、僧によって葬礼が本間「いかに客僧へ申し候。資朝の卿の御事は、囚人にて御座 ご安心くださいますよう。 形のごとく営まれた後に、遺骨が阿 ンめわかご ごゆいごん 新に渡され、阿新は、中間にこれを候ふ間力なき事にて候。梅若子の御事は、御遺言のごとく阿闍梨「ご懇切なおぼしめしをうかがい、あ 持たせて先に都へ帰し、みずからは みやうにちおんふね おんこころやす りがたいことであります。明日都へお送 しばらく本間の館に留まる。そして 明日御舟を申し付け、都へ送り申し候ふべし。御心安く りくださるようよろしくお頼み申します。 敵討ちの行なわれるのは、四五日後 となっている。 また資朝の卿の御死骸をくださいませ。 おぼしめされ候へ。 お弔い申したいのであります。 おん / く 本間「それはもとよりのこと、どうそお心静 ワキ「ねんごろに承りありがたう候。明日都へ御送り頼み申し かにご供養なさいませ。わたくしは自宅 おんしがい けうやう 三亡ぎ親を弔うこと。転じて、一般候。また御死骸を賜り候へ孝養申したく候。 に帰ることにいたします。梅若子をお連 に死者の後世を弔うこと。 ごけうやう したく れになって、やがておいでなされますよ 0 本間「なかなかの事御心静かに御孝養候へ。われらは私宅に帰 おんニ 阿闍梨「心得申しました。 り候ふべし。梅若子を御供あって、やがて御出であらうず 阿闍梨は資朝の卿の遺骸を丁重に扱 るにて候。 って処理をすませる。 三五五 太刀をおさめた本間が脇座に着座 する演出もある。 , 流儀によっては、本間がワキへ声 をかける前に熨斗目を正面先へ出す。 檀風 くび 首は前に落ちにけり、御首は前に落ちにけり ( ツレは掛絡をま るめて前に置き、切戸口より退場する。本間は太刀をおさめて地謡座前に 立 3 。 ンめわかご ッ すそ

9. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 四四八 じゅず なぎなた くらみ、心も乱れ、どうしてよいかわか 一以下、密教で信奉する五大尊明王さらと、押し揉んで ( ワキは数珠を揉んで祈る。シテは長刀を振りあ ( 不動明王を中央に、四方に鎮座す とうばうがうざんぜなんばうぐだりやしゃ らず、手をこまねいているばかりである。 る忿怒神 ) に助力を乞う祈疇の文句。 げて子方の前へ出る ) 、東方降三世、南方軍荼利夜叉 ( 大小前へ下 亡霊は〔舞働〕を舞い、長刀を振り 「葵上」 ( ↓一一三二ハー ) など参照。 さいはうだいゐとくほッばうこんがう みやうわう ニ不動明王の持っ繩。 まわして義経一行に襲いかかる。 がる ) 、西方大威徳、北方金剛、夜叉明王 ( 長刀を振りあげて子方 , 《前後之替》《重キ前後之替》の場 チうあうだいしゃうふどう 義経は亡霊と刀で戦うが、弁慶は押し隔 合は、「祈り祈られ」以下、緩急の変 じゅずも の前へ出る ) 、中央大聖、不動明王の、索にかけて ( 長刀を持っ 化をつけて謡い、シテの動きもそれ てて、数珠を揉んで不動明王その他に祈 あくりゃう に伴う。 る。祈られて知盛の亡霊はしだいに遠ざ 手を下ろし、面を伏せて大小前に下がる ) 、祈り祈られ、悪霊次第 三※このあたりで、地謡が謡われて かり、ついに見えなくなってしまう。 あは三※ ワキ「船頭精を出 3 し候へ。 に、遠ざかれば ( 三ノ松〈行く ) 、弁慶舟子に、力を合せ ( アイは義経「その時義経はすこしも動ぜず、 アイ「畏って候。えいえい 地謡「その時義経はすこしも騒がないで、刀 みぎは ( 下掛宝生流・山本東本による ) 舟を漕ぐ。シテは舟を見つめる ) 、お舟を漕ぎ退け、汀に寄すれを抜いて持ち、生きた人に立ち向かうよ かわ という問答が交される。 をんりゃう きた ことばを交して戦いなさったので、 四以下の主語は、知盛の亡霊。 ば、なほ怨霊は、慕ひ来るを ( 長刀を捨て、太刀を抜いて舞台へ走 弁慶は義経と亡霊との間を押し隔て、刀 五「 ( 跡 ) 知らず」と掛詞。 の ッばら , 流儀によっては、シテは留拍子を で戦うのではうまくはゆくまい、刀の通 り入り、子方の前へ行く ) 、追っ払ひ祈り退け ( 子方と斬り合わせる。 踏まない。 用する相手ではないのだと、数珠をさら とうぼうごうざんぜ なんばう , 《前後之替》《重キ前後之替》《後 さらと押し揉んで、『東方降三世、南方 ワキは数珠でシテを払いのける ) 、また引く汐に、揺られ流れ ( そり 之出留之伝》《替之伝》《白波之伝》 ぐんだりやしやさいほうだいい とくほっぱうこんごうやしゃ 軍荼利夜叉、西方大威徳、北方金剛夜叉 の場合は、シテは地謡のうちに揚幕 みようおうちゅうおうだいしようふどケ 返って太刀を肩にかけてまわり、膝をつく ) 、また引く汐に ( 立ち、橋 へ退場する。 明王、中央大聖不動明王』と、不動明 さくなわ , 《白波之伝》の場合は、「跡白波と 王の索の繩に頼みをかけて祈ると、この ぞ、なりにける」が繰り返される。 がかりへ行く ) 、揺られ流れて、跡白波とそ、なりにける ( 三ノ ように祈られたため悪霊はしだいに遠ざ 《重キ前後之替》の場合は「残リ留」 である。 松で飛び返って膝をつき、立って留拍子を踏む ) 。 かって行く。それで弁慶は舟子と力を合 《後之出留之伝》の場合は、シテが わせて、お舟を懸命に漕いでその場から おんりよう 揚幕の内へ入るといったん揚幕を下 離れ、岸辺に寄せたところ、なおも怨霊 ろし、地謡が終わるとふたたび揚幕 は後から追いすがって来る。それを追い を上げてシテのうしろ姿を見せ、 「残リ留」の囃子が終わると揚幕を下 払い、祈り払っていると、怨霊は折から ひきしお ろす。 の引潮に揺られ流れ、引潮に揺られ流れ て行って、行くえがわからなくなり、海面 には白波があるだけとなったのであった。 ペんけいふなこ しほ さッく の ゅ

10. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

まゆ している。「敦盛」では、秋の草花を插す演類を用いずに白鉢巻をする。その場合は眉の は行 出もある。なお、同種のものに「木賊」で用上に鉢巻を結ぶ。 はうちわ ぜがい くらまてんぐ ぎんらん しゆすじ そで 羽団扇 ( 作 ) 「善界」「鞍馬天狗」の後シテのよ いる挾木賊がある。 法被 ( 装 ) 繻子地の金襴を用い、袖は一一幅の広 おおべし あかがしらおおときん はしとみや うな大痣見の面に赤頭で大兜巾をいた天狗半蔀屋 ( 作 ) 三尺 ( 九一 ) 四方の四角の台輪に袖で、前身頃と後身頃は離れていて、身頃の すそらん あわせ の持つもの。鷹の羽で作ってある。 四本の柱を立て、上部に竹のを渡して柱を裾の襴でつないでいる。袷である。装東のな はぎこや 萩小屋 ( 作 ) 三尺 ( 九一代 ' ) 四方の四角の台輪に固定し、前面の上部に竹で荒く編んだ蔀戸をかでも、法被の用途は多種に渡っている。脇 四本の柱を立て、上部に竹のを渡して柱をつけたもの。台輪と柱の下半分を白布で巻き、能の後シテで黒髭の面をかけて〔舞働〕を舞 ひさ′」 固定したもの。台輪と柱の下半分を白布で巻柱と蔀戸にタ顔をからませ、花と瓢をつけた う龍神、修羅物の後シテで平太の面をかける き、三方に萩柴をつけ、前面に同じく萩柴をもので、「半蔀」のみに用い、曲の途中で蔀壮年の武将、あるいは頼政・実盛といった老 ひばりやま はんぎり つけた戸を設けたもの。「黒塚」「雲雀山」な 戸を上げたり下ろしたりする。また、この作武者が半切の上にはおり、腰帯をしめ、右の わらやね しまがき しようくんぬえ もみじ どで用いる。なお、この萩小屋に藁屋根を葺 リ物の前面のみを作り、藁屋根を葺き、柴垣肩を脱ぐ。また、切能の「昭君」「鵺」「紅葉 うめがえ っちぐも しやっきようまくらじどう いたものを萩藁屋といし 、「蝉丸」「梅枝」なを両側につけたものを半蔀門といし 小書演狩」「土蜘蛛」「石橋」「枕慈童」などの鬼神 へんげ どで用いる。流儀によっては、「雲雀山」の出の場合に用いることがある。なお、流儀にや変化の者たち、それに「舟弁慶」の後シテ とももり くまさか 場合は萩藁屋にする。また、流儀によっては、 よっては、半蔀屋に藁屋根を葺いて用いる。 の知盛の霊、あるいは「熊坂」のシテの怪盗 「梅枝」では作リ物を用いない。 鉢巻 ( 装 ) 紅色の色鉢巻と白無地の白鉢巻とが 熊坂なども半切をはいた上にはおって腰帯を はぎぼうき ひためんとうかんむり 萩箒 ( 作 ) 萩柴を束ねて作った箒。「嵐山」 ある。色鉢巻は中国の皇帝など直面で唐冠をしめる。「石橋」のように袖を内側へ折り返 かすがりゅうじん しようくん たすき 「田村」「大仏供養」「春日龍神」「昭君」などっける場合に用いる。なお、シテが唐冠をつ したり、「熊坂」のように襷で袖をたくしあ いろなし で用いる。宮人が持っ場合が多い。 ける「鶴亀」などでは、無紅の鉢巻を用いるげたりするが、これらの曲では右の肩を脱ぐ あやかし にし、きぎ 運歩 ( 型 ) 能では、腰を据えて、驪の裏をす場合もある。白鉢巻は軍装の場合に用いる。 ことはない。怪士の面をかける「錦木」「舟 なしうちえばし って歩む。一足ごとに、足を止める前に軽く梨打烏帽子をつける時には必ず用い、修羅物橋」などの後シテは、法被をつけた上に白の よれみずごろも 爪先を上げ、止めると同時に下ろす。このよのシテの場合は、面の額のところにある鉢巻縷水衣をはおるという異装で登場する。怪し うにして歩むことを運歩という。 どめにかけて用いるが、直面の場合は、梨打 い者の激しさと里人の霊とを合わせ表現しょ はさみぐさ さむらいえ・ほし 挾草 ( 作 ) しやがの葉を細い竹を割ってはさ烏帽子を巻くようにして結ぶ。また侍烏帽子うとしているのかもしれない。なお、これら あつもり んだもの。「敦盛」では草刈男の刈った草ををつけていた者が戦いの場にのそむ時、ある怪士の面をかける曲では、法被たけ、あるい あしかり 表わし、「蘆刈」では蘆売りの売る蘆を表わ いは下級の武士の軍装姿などでは、烏帽子の は縷水衣だけを用いる演出もある。法被は軍 は - 」し 謡曲集 せみまる ふ はちまき わらやね とくさ はっぴ 五六四