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検索対象: 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)
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1. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

= ※以下のアイのせりふおよびワ キと応対のせりふは、山本東本によ 里 塚 候。やがて御帰り候へ。 女「 ( 行きかけて立ちどまり ) いや。 ( 祐慶に ) も シテ「さらばやがて帰り候ふべし。 ( 立って常座へ行きかかる ) うし、わたくしが帰るまで、この閨の中 をごらんなさいますな。 シテ「や、 ( 立ち止まってワキへ向き ) いかに申し候。わらはが帰ら 祐慶「承知いたしました。見るようなことは ねゃうち ごらん いたしますまい。お心安くお思いなさっ んまでこの閨の内ばし御覧じ候ふな。 てください。 おんこころやす ワキ「心得申し候。見申す事はあるまじく候。御心安くお・ほし女「ああうれしいことであります。け 0 して ごらんなさいますな。こちらにおいでの めされ候へ。 方もごらんなさいますな。 ざうらふ シテ「あら嬉しゃ候。かまへて御覧じ候ふな。 ( ワキツレヘ向き ) 同行の山伏「承知いたしました。 こなたの客僧も御覧じ候ふな。 ワキツレ「む得申し候。 ( シテは静かに一ノ松まで行ぎ、足を留め、そし のうりき 祐慶の供をしている能力が、閨の内をの て足早に中入する ) ぞく気を起こす。祐慶に許可を求めるが 許されない。祐慶の寝入ったすきを見て アイの能力が出て常座に立ち、閨の内が見たいと述べて、中央 立とうとするが、一一度、祐慶に咎められ、 へ行ぎ、着座してワキへ声をかけ、問答となる。ワキに禁ぜら 三度目にやっと抜け出て閨の内をのぞく。 れたにもかかわらず、アイは閨の内を見て驚ぎ、その有様をワ そこには人の死骸か山と積まれてあった。 キに告げ、先へ行き宿を取ろうと述べ、足早に退場する。 能力はびつくりして、祐慶に報告する。 アイ「 ( 常座に立ち ) さてもさても、この陸奥の奥の、人倫絶えたる所に住みながらも、主の情深き事は、奇 やチう 特にお宿を申され、いかに夜寒なればとて、女の身として、夜中山へ分け入り、薪を取り火に焚いて こころざし ものすごてい あて申さんとの志、またとあるまじき人にて候。さりながら余の女に変り、何とやらん物凄き体に て候ふ間、よくよく心を付けて見て候へば、案のごとく、山へ参りさまに立ち戻り、わらはが閨の内 を御覧候ふなと申したが、人にこそよれ、阿闍梨などに向って申さう事にてはござない。まづこのよ ねや みちのく あじゃり じんりん あるじなさけふか とが

2. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

あちらの里をあまのの里と申し、かの明 ワキ「さてその玉の名をば何と申しけるそ。 珠を取りあげた海人の住んでおられた村 ぎよくチうしやか シテ「玉中に釈迦の像まします。いづ方より拝み奉れども、同里であります。またこちらの島を新珠島 たま おもて そむ めんかうふはい と申します。かの珠を取りあげて、初め じ面なるによって、面を向ふに背かずと書いて、面向不背 て人々がその珠を見たことによって、新 五※下掛系は「何として」。 しい珠の島と書いて、新珠島と申します。 の玉と申し候。 六漢土、すなわち中国の朝廷。 従者「さて、その玉の名をなんと申したのか。 かんてう 七藤原不比等 ( 六五九 ~ 七一一 9 の諡跿。 しやかによらい ワキかほどの宝を何とてか、漢朝よりも渡しけるそ。 不比等は房前の父。右大臣となる。 女「玉の中に釈迦如来の像がおわしまし、ど 優れた行政能力をもって律令制度を ぎさき だいじんたんかいこうおんニもうと もろこしかうそう の方角からお拝み申しあげても、同じお 確立する一方、後代の藤原氏興隆のシテ「今の大臣淡海公の御妹は、唐土高宗皇帝の后に立たせ給 顔であるがゆえに、『面を向かうに背か 基を築いた。 おんヌぢでら こうぶくじ ^ 唐の第三代の皇帝。藤原不比等のふ。さればその御氏寺なればとて、興福寺へ三つの宝を渡ず』と書いて、面向不背の玉と申します。 もろこし 妹がその后となったという伝説は史 きゃうちゃく 従者「これほどの宝を、どうして唐土の朝廷 くわげんけいしびんせき 実にはない。 さるる。華原磬泗浜石、面向不背の玉、二つの宝は京着 より日本へ渡したりしたのか。 九平安時代、氏族が一門の冥福と興 リ、つ / 、、つ 隆とを祈願するために建立し、代々 女「今の大臣淡海公の御妹は、唐土の高宗 きさき し、明珠はこの沖にて龍宮へ取られしを、大臣御身をやっ 帰依した寺。 皇帝のお后にお立ちになりました。それ 一 0 奈良市登大路町にある。藤原氏 し、この浦に下り給ひ、賤しき海人乙女と契りをこめ、ひで、そのお后のお家、藤原氏の氏寺であ の氏寺。 るからとて、興福寺へ三つの宝をお渡し ふさざき = 中国陝西省の華原産の石で作っ かげんけい た磬。磬は打楽器の一種。現在、唐とりの御子を儲く。今の房前の大臣これなり。 なさる。すなわち、華原磬・泗浜石、面 代の物が興福寺に伝存する。 向不背の玉であるが、この三つのうち、 三中国の泗水のほとりに産する石。子方「 ( シテヘ向いて ) ゃあいかにこれこそ房前の大臣よ。あらな 二つの宝は都に着き、面向不背の玉とい 磬や硯を作るのに用いられる。参考 びと う明珠は、この沖で海底の龍宮へ取られ 「華原磬与泗浜石、清濁両声誰得つかしのあま人や、なほなほ語り候へ ( ワキは子方へ向き膝をつ レ知」 ( 白氏文集 ) 。 たのである。そのため、淡海公はお忍び 一三淡海公。 いて礼をする ) 。 の姿でこの浦にお下りになって、賤しい 一四ここでは、当惑の意を示す。 海人乙女と契りを結んで、一人の御子を 一五思いもかけなかったことで、結 シテ「あら何ともなや ( ワキは着座する ) 、今まではよその事とこ 果において、この場にふさわしくな 儲けられた。今の房前の大臣がその方で うへ ことを言ってしまった、の意。 そ思ひつるに、さては御身の上にて御座候ふそや ( シテは中ある。 「便なし」は、都合が悪い。 房前「やあ、なにを言うのだ、自分こそ房前 , 流儀によっては、シテは中央に着 びんざうらふ 座してシオリをする。 央へ行く ) 、あら便なや候 ( 着座する ) 。 の大臣である。ああなっかしい海人であ 四七九 海人 おんこ まう 五※ なに あまをとめ かた 一三おんみ ひざ おもて しひんせき そむ

3. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

追手乙「 ( 甲へ向き ) ただし耳が遠いかも知れぬ。今度はちと高ら追手甲「承知した。 追手甲「やい老人、浄御原の天皇の行く先を かに問うてみさしめ。 知らないか、やい 追手甲「心得た。 きよみばらてん / うゆくへ 老翁「なんだって、浄御原の天皇だって。天 追手甲「 ( シテヘ向き ) いかに老人、浄御原の天皇の行方をば知らぬ 皇であろうとだれであろうと、どうして 、かい、い ここまでやって来ようそ。浄御原とは、 なに ああ聞きなれぬ人の名であること。だい シテ「 ( 追手の一一人へ向き ) 何浄御原の天皇とや。天皇にてもただ人 たいこの山は、兜率天の内院にもたとえ 一「 ( これまで ) 来」と掛詞。 られ、 にても、何しにこれまで浄御原、あら聞き馴れずの人の名 もとごだいさんしようりよう ニ欲界六天の一つである兜率天には、 三※ 姥「あるいはまた、日の本の五台山清涼 とそっないるん もろこし 内外一一院があり、内院は弥勒菩薩の 山といって、唐土の地までも、 住む所とされる。吉野山は弥勒の住ゃ。総じてこの山は、兜率の内院ともたとへ、 もろこし ごだいさんしゃうりゃう・せん む所と考えられていた。参考「み吉 老翁「遠く続いている奥深い吉野山であって、 ツレ气または五台山清涼山とて唐土までも、 野や、御嶽精進の御声にて、南無当 隠れ場の多い所。いったいどこまでおた 来導師、弥勒仏とぞ唱へける」 ( 謡曲 「半蔀」 ) 。↓田三一一八ハー。 シテ「遠く続ける吉野山、隠れ処多き所なり、いづくまで尋ねずねなさるおつもりか。もはやこれまで 三※現行金春流は「内院にもたとへ」。 ではないか、早く帰られよ。 四※現行観世流は「また五台山 : ・」。 給ふべき。はやこれまでそ疾う帰らしめ。 追手甲「いやもうし、まことにあの老人の言 五中国山西省五台県にあって、峨眉 われるとおり、どこといってあてもなく、 山・天台山とともに山国仏教三大霊 追手甲「 ( 乙へ向き ) いやなうなう、まことにあの老人の言はるる むやみにたずねることもできまい。さあ 場の一。清涼山はその別称。吉野山 六 まら・りやら・ / は、その奥が深く、唐土まで続くと し。いざ戻らう。 通り、どこ方量もなう尋ねられもすま、 もどろう。 考えられていた。 追手乙「それがよかろう。 追手乙「 ( 甲へ向き ) それがよからう。 ( 追手の二人は行ぎかかる ) 六どこといってあてもなくむやみに。 追手甲「こちらへ来なされ。 「方量」は、限度の意。 追手甲「こちへおりやれ。 追手乙「承知した。 追手乙「心得た。 一一人はその場を立ち去りかけたが、 追手甲「 ( 舟を見つけて、乙へ向き ) いやなうなう。 舟を見つけて立ちもどる。 追手乙「 ( 甲へ向き ) 何事ちゃ。 がてん 追手甲「いやもうし。 追手甲「見ればあれに舟がうつむけてある。あの下が合点が行か追手乙「何事そ。 ぬ。尋ねて見う。 追手甲「見れば、あそこに舟がうつむけて置 いてある。あの下がどうもおかしい。尋 追手乙「それがよからう。 謡曲集 四※ びと とそってん

4. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

四※このアイのせりふは、山本東本 による。 なにつかまっ その好意を受けて、一行は女の庵へ赴く 暮れて候ふよ。さて何と仕り候ふべき。 三※ たびびと 所の者「どうです、先ほど申したよりも険し 三※下掛系は「なうなうお宿参らせシテ气なうなう旅人お宿参らせうなう。 ( ツレ・ワキ・アイはシテ い道ではありませんか。 うなう」。 従者「いやまことに、お聞き申したよりは険 のほうを見る ) しいことであります。 所の者「このようでありますので、お乗り物 アイ「や、 ( ワキへ向き ) お宿参らせうずるよし申し候。 ( アイは狂 などは利用できないと申したのでありま 言座に退く ) す。おや、どうしたのか、日が暮れるよ あげろ うになりました。 シテ「これは上路の山とて人里遠き所なり。日の暮れて候 従者「ほんとうに、急に日が暮れるようであ いほり へばわらはが庵にて一夜を明かさせ給ひ候へ ( 三ノ松に立ります。このあたりに宿はありませんか。 所の者「いや、宿はないあたりであります。 っ ) 。 従者「ああふしぎなこと、まだ暮れないはず ざうらふ の日中でありますのに、急に日が暮れた ワキ「あらうれしゃ候。俄に日の暮れ前後を忘じて候。や ことであります。さてどうしたらよいで がて参らうずるにて候 ( ワキは地謡座前へ行く。シテは舞台へ入ありましようそ。 山の女『もうし旅人、お宿申しましよう。 る ) 。 所の者「おや、お宿申しましようと申します。 山の女「ここは上路の山といって、人里離れ シテは大妓の前に立つ。シテ・ツレ・ワキは着座し、問答とな た所である。日が暮れましたので、わた る。地謡となると、シテは立ち、中入する。 くしの庵室で一夜をお明かしなさいませ。 従者「ああうれしいことであります。急に日 こよひ シテ ( ツレヘ向き ) 今宵のお宿参らする事、とりわき思ふ子細が暮れて、途方にくれておりました。で やまンば ひとふし としつぎ は参ることにいたします。 五田舎住みの者にとって、忘れがた あり。「山姥の歌の一節謡ひて聞かさせ給へ。年月の望み い思い出として、後々において偲ぶ 山の女は遊女に「山姥の曲舞」を所望す ひな よすがとすることにしよう、の意。 る。そして名を尋ねられて、山姥である 六本来はまだ日中なのに、日を暮れなり、鄙の思ひ出と思ふべし。气 ( 正面を向き ) その為にこそ させて、の意。 ことを名のり、夜になったら真の姿を現 セ※ 七※下掛系は「謡はせ給へ」。 日を暮らし、御宿をも参らせて候へ。いかさまにも謡はせ わして移り舞を舞おうと言って姿を消す。 山姥 五〇七 , シテが、大鼓の前ではなく、中央 に着座する演出もある。 四※ いちゃあ あんじっ くせま、 いおりおもむ

5. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

七乾かしている舟。 ^ 「オノキャレ」と発音する。 九乱暴者。 一 0 「オシャル」と発音する。おっし やる。 国栖 追手甲「 ( シテヘ向き ) いかに老人、その舟は何とてうつむけては置ねてみよう。 追手乙「それがよかろう。 かれたるそ。その下が合点が行かぬ。捜いて見う。 追手甲「やい老人、その舟はどうしてうつむ けにして置かれているのか。その下が、 シテ「何とこの舟を捜さうずると申すか。 どうも怪しい。捜してみよう。 追手甲「なかなかの事。 老翁「なんだって、この舟の下を捜そうと申 すのか。 シテ「これは干す舟そとよ。 追手甲「もちろんのこと。 老翁「これは乾かしている舟なのだ。 追手甲「干す舟なりとも合点が行かぬ。そこをお退きやれ。 ( 足拍 追手甲「乾かしている舟であっても、その下 子を踏み、甲は鉾をかまえ、乙は弓に矢をつがえる ) がどうも気にかかる。そこをお退きなさ 追手甲「舟捜さう。 ( シテに向かって踏み込む ) れ、 追手甲「舟の下を捜すことにしよう。 シテ「この所にて漁をして世を渡る者そとよ。漁師の身にては 老翁「この老人は、この所で漁をして暮らし ている者であるそ。漁師の身にとっては、 舟捜されたるも家を捜されたるも同じ事。身こそ賤しう思 舟の中を捜されるということも、家捜し にツく ふとも、この所にては憎い者そとよ ( 立 3 。孫もあり曾孫をされるということも、まったく同じこ たにだに と。舟を捜そうと言うのなら、こちらに もあり ( 左手の指を折って数える ) 、あの谷々峰々より出で合ひ も覚悟がある。そなたたちは、この老人 九 て ( 左右をさし、見まわす ) 、かの狼藉人を討ち留め候へ、討ちを賤しい者と思うであろうが、この所で は人に恐れられている者であるのだそ。 留め候へ ( 両手を打ち合わせる ) 。 孫もあるし曾孫もある。さあ皆の者、あ こわだか ちらの谷々やこちらの峰々より出て来て、 追手甲「ああそのやうに声高うおしやるな。追手の武士ははや戻 あの乱暴者を討ち留めなさい、討ち留め るそ。 なさい。 追手甲「 ( 乙へ向き ) いやなうなう。 追手甲「ああそのように声高に物をおっしゃ るな、われわれはもはやもどることにす 追手乙「 ( 甲へ向き ) 何事ちゃ。 る。 追手甲「このやうな所に長居は無用、いざ戻らう。 なに おッて やさ

6. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

里の男「これは錦木といって、色どり飾って の木を錦木といへることは、高麗鉾もなくよそまでは、聞きも及ばせ給はぬよなう。 ) 3 の竿のやうにまだらに彩りて立 ある木である。そのどちらも当地の名物、 おんことわり つればいふなりと、とく知りたりとシテ「いやいやそれも御理、その道々に縁なき事をば、何とて どうそお買いなさいませ。 おばしき人は申せど、まことにはさ 旅僧「いかにも、錦木細布のことはわたくし もせぬにや。あらてくむといへる五 しろしめさるべき。 文字は : ・ ( 略 ) 。 どもも聞き及んでいる名物である。さて 錦木は立てながらこそ朽ちにけれシテ气 ( シテ・ツレは向かい合。て ) 見奉れば世を捨人の、恋慕の道どのようないわれのある名物であります けふの細布胸合はじとや 九※ のかしら。 ことわり みちのくのけふの細布程狭み胸 の色に染む、この錦木や細布の、しろしめさぬは理なり。 合ひがたぎ恋もするかな 里の女「なさけないことをおっしゃいますこ このけふの細布といへるは、これも こひち と。当地では有名な錦木細布ながら、そ みちのくにに鳥の毛して織りける布ワキ气あら面白の返答ゃな。さてさて錦木細布とは、恋路に のかいもなくてほかの土地までは知られ なり。多からぬものして織りける布 ず、お聞き及びもなさらぬのですね。 なれば、はたばりも狭く尋も短けよりたる謂れよなう。 れば、上に着ることはなくて、小袖 里の男「いやいや、それもごもっともなこと。 かず などのやうに下に着るなり。さればシテ「 ( ワキへ向き ) なかなかの事三年まで、立て置く数の錦木を、 その道その道で縁のないことを、どうし 背中なばかりを隠して、胸まではか ちつか てご存じなさることがあろうそ。 からぬよしをよむなり。 日ごとに立てて千束とも詠み、 三前注のほかに、「思ひかね今日立 里の男「お見受け申したところ世を捨てたお はたばりせば て初そむる錦木の千束も待たで逢ふ ツレ气 ( ワキへ向き ) また細布は幅狭くて、さながら身をも隠人、そのような方が恋慕の道に色深く染 よしもがな」 ( 詞花・恋上大江匡房 ) 、 められた、この錦木や細布のことを、ご むねあ 「いたづらに千東朽ちにし錦木をま さねば、胸合ひがたき恋とも詠みて、 存じにならぬのはもっともなことである。 たこりずまに思ひ立つかな」 ( 詞花・ 恋上藤原永実 ) などの例もある。 旅僧「ああ面白い返事であること。さてそれ 〈上歌〉の初めに、ツレ・ワキがとシテ气みにも寄せ、 では錦木細布というのは、恋の道にかか もに着座する演出もあり、また、 わるいわれがあるのですね。 〈上歌〉の終りに、ツレ・ワキが着座ツレ气名をも立てて、 する演出もある。 里の男「もちろんのこと、三年間も立てて置 たね 一三注一一の『俊頼髄脳』にもみえるが、 シテ气逢はぬを種と、 く習いという多くの錦木を、毎日毎日、 『後拾遺集』恋一に能因の歌として存 思いをかけた女の家の門に立てて、『錦 する。歌意は、錦木を毎日女の門ロ ツレ气詠む歌の ( シテはワキへ一歩出る ) 、 に立てたのに、取り入れてくれない 木は千束になりぬ』などとも歌に詠み、 ものだからそのまま朽ちてしまった。 里の女「また細布は幅が狭くて、からだ全体 地謡气〈上歌〉錦木は、立てながらこそ朽ちにけれ、 ( ツレは笛座 女は、細布の胸が合わないように、 を隠すこともないので、『胸合ひがたき わたくしに逢うまいというのであろ 前へ行き、ワキは着座する ) 立てながらこそ朽ちにけれ、狭布の 恋もするかな』などとも詠んで、 錦木 あ へんたふ みとせ 一 0 ※ なに ちつか

7. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

三※以下のアイのせりふは、大蔵流 ( 山本家 ) による。なお、上下二段に 組んだ部分では、能力甲・乙が互い に関係なく、同時並行にせりふを言 一三雷鳴の時、落雷を避けるまじな いのこ A 」、は。 一四「減却する」は、死ぬこと。 一五「キャッ」と発音する。あいつ。 一六地震をとめるまじないのことば。 一七這いまわって。 入「ワゴリョ」と発音する。相手を 親しんでいう、対称の代名詞。そな ニ 0 「オリャレ」と発音する。おいで なさい。「おりやる」は「お入りある」 の約 ~ まったことば。 三これは大変だ。驚いたり、失敗 したりした時に発することば。 一九いろいろと考えてみるに。 道成寺 し、能力甲はワキに鐘の落ちたことを伝えて揚幕に走り入る。 なほ 一ニ※くワばらくワばらくワばらくワばら 能力甲「 ( ころげまわって ) ああ桑原桑原、桑原桑原。能力乙「 ( ころげまわって ) ああ揺り直せ揺り直せ、揺 ( 常座に立ち ) さてもさてもおびただしい鳴りやり直せ揺り直せ。 ( 三ノ松に立ち ) さてもさてもし 一四めプをやく うかな。それがしはすでに滅却いたすかと存たたかな鳴りゃうであった。それがしは地震か いちにん じた。ああさて、いま一人の者は何としたか知と思うて、揺り直せ揺り直せと言うて這ひ廻う て逃げた。いま一人の者は何としたか知らぬ。 らぬ。ぎやつも胆をつぶいたでござらう。 能力乙「 ( 二ノ松に立ち ) えい、わごりよか。 能力甲「 ( 一ノ松に立ち ) えい、そなたか。さて今のはおびただしい鳴りゃうではなかったか。 なに 能力乙「したたかな鳴りゃうであった。まづわごりよは何であらうと思ふそ。 くアばらくワばらイ かみなり 能力甲「それがしは雷であらうと思うて、桑原桑原と言うて這ひ廻うて逃げた。 ぢひび 能力乙「いやいや雷ではあるまい。 ことのほか地響きがしたによって、みどもは地震かと思うて、揺り直 せ揺り直せと言うた事ちゃ。 能力甲「やうやう思ふに、今のは地震でも雷でもあるまい。鐘楼のあたりがおびただしう鳴ったによって、 てんゅ 合点が行かぬ。行て見て参らう。 能力乙「よいところへ心が付いた。急いで見て参らう。 能力甲「さあさあおりやれおりやれ。 能力乙「参る参る。 ( 二人は舞台へ入る ) 能力甲「何事もなければよいが。 能力乙「おしやる通り、何事もなければよいが。 ニ一なむさん・はう 能力甲「 ( 脇正面で鐘へ向き ) 南無三宝。 なに 能力乙「 ( 常座で能力甲へ向き ) 何とした。 能力甲「鐘が落ちてある。 能力乙「 ( 鐘へ向き ) まことに落ちてある。 能力甲「随分念を入れて吊ったによって、落つるはずはないが。 一九 なに しゅろう いちにん

8. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

をしかふ 水嵩の増さった川音はどこであろうか、 詞。一六「サンニヤ」と発音する。 ワキツレ「〈上歌〉牡鹿臥すなる春日山、牡鹿臥すなる春日山、 「露」の縁語。なお現行観世流は それは吉野川。花の名所吉野山は、たと おと はるさめ みかさま 「分け行く道の果までも」。一 ^ 「 ( 身水嵩そ増さる春雨の、音はいづくそ吉野川、よしやしばし えしばらくの間こそ花曇りであろうが、 を ) 飽き」と掛詞。奈良県宇陀郡に地 はなぐも 春の夜の月はやがて雲間に輝くもの。そ 名として存する。一九「 ( 世の中の ) こそ、花曇りなれ春の夜の、月は雲居に帰るべし、頼みを のようにしばらくは不遇でも、やがては 憂うさ」と掛詞。奈良県宇陀郡にあっ た猟場。ニ 0 「御狩場」の縁語。「臥ニ六 都にお帰りになることであろう。希望を かけよ玉の輿、頼みをかけよ玉の輿。 みこし すなる」までが「春日山」の序。 もって、天皇の御輿をかつぐことにしょ ニセ※ 三奈良市春日野町、春日神社の東 ワキ「〈着キゼリフ〉いづくとも知らぬ山中に御着きにて候。 ( 子方 う、前途に望みをもって、御輿をかつぐ 方にある山。ニニ「三笠」 ( 春日山の 一峰 ) に音が通じ、「春日山」の縁語。 へ向き ) しばらくこの所に御座を据ゑられうずるにて候。 ことにしようではないか ニ三紀伊山脈に源を発し、吉野山中 侍臣「どこともわからぬ山の中にお着きであ を流れ、和歌山県に入って紀ノ川と 後見が舟の作リ物を脇正面に置く。〔アシライ〕の囃子で姥の ります。しばらくこの所にお休みなさい なる。参考「ながれては妹背の山の 姿のツレと老翁の姿のシテとが登場し、舟に乗る。シテは棹を つりざお ますよう。 なかに落つる吉野の川のよしや世の 持ち、ツレは釣竿を右肩に担げる。シテ・ツレの問答があって、 中」 ( 古今・恋五読人知らず ) 。 川舟に乗った老人夫婦は、わが家のほう 掛合いの謡となるとシテ・ツレは舟より下りる。地謡に続き、 ニ四「花」は「吉野」と縁語。ニ五「月」 に星が輝き、紫雲のたなびいているのを に託して、天皇がやがて都に帰るこ シテは中央、ツレは角に着座する。 とを予言した表現。なお現行観世流 見て漕ぎもどり、高貴な人がおいでにな は「月は雲居に帰らめや」。ニ六「 ( 頼 っているのを発見する。 〔アシライ〕 みを ) 懸けよ」と「 ( 舁けよ ) 玉の輿」と 老翁「姥よ、見なさい。 の上下に掛かる。ニ七※以下二行、 シテ「 ( ツレヘ向き ) 姥や給へ。 下掛宝生流による。 姥「何事でありますか。 流儀によっては、舟を一ノ松へ出 老翁「この老人のあばらやの上のあたりに、 す演出もある。 ツレ「 ( シテヘ向き ) 何事にて候ふそ。 いつもは見たこともない星が輝いておい 三 0 ニ ^ 「見給へ」の意。ニ九老翁。この 場合は、自称。 = 0 低くてみすほらシテ「おほちが伏屋の上に当って、客星の御立ちありたるをでだ、あれを拝みなさ 0 たか。 しい家。三一彗星や新星など、一時 姥「どのあたりでありますそ。 こずえ 老翁「あの森の梢のところに見えております。 的に現われる星。恒星の対語。瑞祥ば拝まい給うたか。 ・異変などの前兆。三ニ「拝ま 姥「なるほどそのあたり紫の雲がたなびき、 い」は「拝ませ」の転か。あるいは「拝 ツレ「いづくの程にて候ふそ。 ただごとでない雲の様子であること。 まふ」 ( 「拝む」と同意 ) の連用形か。 こずゑ なお底本の表記は「おかまひ給ふた 老翁「そのとおり、ただごとでない雲のたた シテ「あの森の梢に見えて候 ( 脇柱のほうへ向く ) 。 か」。三三めでたいしるしとされる ずまいであります。それにしても、天子 しうん 雲。 のおいでになる所に紫の雲は立つものと ツレ「 ( 脇柱のほうへ向き ) げにげにあたりに紫雲たなびき、ただな 国栖 にど ニ 0 かすがやま さんチう みずかさ

9. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

^ ※以下四行、下掛宝生流による。 とま なみち 七「浦」は「裏」に音が通じ、「重なり」り舟出して、波路はるかの旅衣、浦々泊り重なりて、行け阿闍梨「急ぎましたので、ここはもはや佐渡 とともに「衣」の縁語。 の島、その佐渡の島に着いたのでありま ば沖にも里見ゆる、佐渡の島にも着きにけり、佐渡の島に す。この所で囚人の係りをしている者は 本間とか申します。さっそく案内を申す も着きにけり。 ことにいたします。まずこちらへおいで 八※ なさいませ。 ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これははや佐渡の島に着き めンうとぶぎゃう 帥の阿闍梨は本間の館で案内を乞い、本 て候。この所にて囚人の奉行をば、本間とやらん申し候。や 間の従者を通じて、本間と対面すること がて案内を申さうずるにて候。 ( 子方へ向き ) まづこなたへ御 になる。 入り候へ。 阿闍梨「もうし、この内へ案内申します。 従者「案内とはどなたでいらっしゃいますか。 ワキが案内を乞うと、従者が舞台口に立って応対し、本間に取 阿闍梨「本間殿のお屋敷はここでありますか。 り次ぐ。従者はふたたび舞台ロへもどり、ワキに本間のことば 従者「はい ここは本間殿の屋敷であります。 を伝え、狂言座に退く。子方・ワキは舞台へ入る。 どのような御用でありますか。 九※ 阿闍梨「わたくしは都東山今熊野の梛の木の ワキ「いかにこの内へ案内申し候。 坊において、帥の阿闍梨と申す山伏であ 従者「 ( 舞台口に立ち ) 案内とは誰にてわたり候ふそ。 ほんま ります。ここにおいでになりますのは、 ワキ「本間殿の御館はこれにて候ふか。 資朝の卿のご子息でありますが、本間殿 従者「さん候本間殿の館にて候。何の御用にて候ふそ。 にお逢い申したいことがありまして、こ ワキ「これは都東山今熊野梛の木の坊に、帥の阿闍梨と申す客僧 こまではるばると参ったのであります。 このことを申しあげてくださいませ。 にて候。 ( 子方へ向き ) これにわたり候ふは、資朝の卿の御子息 にて候ふが、 ( 従者〈向き ) 本間殿の御目にかかり申したき子従者「そのことでありますが、囚人の縁者な どにご対面なさることはかたく禁ぜられ 細の候ひて、これまではるばる参りて候。このよし御申しあ ておりますので、かないますまい。 って賜り候へ。 阿闍梨「はるばるのところをここまでお供申 きん、 ごたいめんナ ざうらふめンうと 従者「さん候囚人のゆかりの者などに御対面は、かたく禁制に しましたことゆえ、格別のお計らいとし て候ふ間、かなひ候ふまじ。 て、お引き合わせくださいませ。 ワキ「はるばるの所これまで御供申して候ふほどに、御心得をも従者「まことにはるばるのおいでと申し、ま 三四五 九※以下の従者と応対のワキのせり ふは、下掛宝生流による。 一 0 ※以下のワキおよび本間と応対 の従者のせりふは、山本東本による。 = 山伏の異称。本来は他の者が山 伏をよぶのに用いたことばであるが、 この場合のように自称にも用いる。 檀風 ふなで ざうらふ 一 0 ※ なに おんこころえ やかた

10. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

三五〇 こにいる人のことであります。 ツレ「 ( 本間へ向き ) 御不審もっともにて候。かの者の親もわれら るにん 本間「ああふしぎなこと、ご子息ではないと ごときの流人にて候はんが、配所を聞き違へ来りたるかと、 おっしゃいましたのに、どうして涙をお しんヂうふびん らくるいっかまっ 落しになりますそ。 かの者の心中不便に存じ、さて落涙仕りて候。 資朝「不審にお思いになるのはもっともであ ります。あの者の親もわたくしのような 本間「さあらば追っ返し申し候ふべし。 流人でありましよう。配所を聞き違えて おんかへ ツレ「急いで御帰し候へ。 ここへ来たのかと、あの者の心のうちが しようぎ かわいそうに思われ、それで涙を落した 本間「心得申し候。 ( ツレは床几に腰をかける ) のであります。 本間「それなら追い返すことにいたしましょ 本間は地謡座前でワキに声をかけて問答となる。本間が着座す ると、ワキが子方に声をかけ、ツレ・子方の掛合いの謡があっ 資朝「急いでお帰しください。 て、地謡に続く。地謡がすむと、子方・ワキは一ノ松へ行き、 本間「心得申しました。 舞台へ向いて立つ。 本間は帥の阿闍梨に資朝のことばを伝え 本間「最前の客僧はいづくにわたり候ふそ。 る。梅若・資朝は、それぞれ別々に思い を述べて涙を流す。 ワキ「これに候。 本間「先ほどの山伏は、どこにおいでであり すけともきゃう ますか。 本間「仰せの通りを資朝の卿に申して候へば、総じて資朝の卿 阿闍梨「ここにおります - 。 おんこ れうじ に御子はござなきよし仰せられ候。何とて聊爾なる事をば本間「あなたのおことばのとおりを資朝の卿 に申しあげましたところ、そもそも資朝 承り候ふそ。 の卿にはお子さまをおもちでないとおっ 一驚いた時や激しく相手を咎める時 しゃいます。どうしていいかげんなこと に、感動詞のように用いられること ワキ「あらふしぎや、それがしが申しつる通り仰せ候はば、や をおっしやるのですか。 ニ強調の働きをもっ連体修飾語。な 阿闍梨「これはふしぎなこと、わたくしの申 はかさやうには仰せられ候ふまじ。 んともまあ。はなはだしい。 したとおりお話しくださったのなら、よ 三軍神である八幡に対して弓矢にか ごんごだうだんニ くちを けて誓う、の意。武士の用いる誓言。本間「言語道断、かかる口惜しき事を承り候ふものかな。弓矢もや資朝の卿はそのようにはおっしゃい 謡曲集 ごふしんッ ちが ゆみや