= ※以下のアイのせりふおよびワ キと応対のせりふは、山本東本によ 里 塚 候。やがて御帰り候へ。 女「 ( 行きかけて立ちどまり ) いや。 ( 祐慶に ) も シテ「さらばやがて帰り候ふべし。 ( 立って常座へ行きかかる ) うし、わたくしが帰るまで、この閨の中 をごらんなさいますな。 シテ「や、 ( 立ち止まってワキへ向き ) いかに申し候。わらはが帰ら 祐慶「承知いたしました。見るようなことは ねゃうち ごらん いたしますまい。お心安くお思いなさっ んまでこの閨の内ばし御覧じ候ふな。 てください。 おんこころやす ワキ「心得申し候。見申す事はあるまじく候。御心安くお・ほし女「ああうれしいことであります。け 0 して ごらんなさいますな。こちらにおいでの めされ候へ。 方もごらんなさいますな。 ざうらふ シテ「あら嬉しゃ候。かまへて御覧じ候ふな。 ( ワキツレヘ向き ) 同行の山伏「承知いたしました。 こなたの客僧も御覧じ候ふな。 ワキツレ「む得申し候。 ( シテは静かに一ノ松まで行ぎ、足を留め、そし のうりき 祐慶の供をしている能力が、閨の内をの て足早に中入する ) ぞく気を起こす。祐慶に許可を求めるが 許されない。祐慶の寝入ったすきを見て アイの能力が出て常座に立ち、閨の内が見たいと述べて、中央 立とうとするが、一一度、祐慶に咎められ、 へ行ぎ、着座してワキへ声をかけ、問答となる。ワキに禁ぜら 三度目にやっと抜け出て閨の内をのぞく。 れたにもかかわらず、アイは閨の内を見て驚ぎ、その有様をワ そこには人の死骸か山と積まれてあった。 キに告げ、先へ行き宿を取ろうと述べ、足早に退場する。 能力はびつくりして、祐慶に報告する。 アイ「 ( 常座に立ち ) さてもさても、この陸奥の奥の、人倫絶えたる所に住みながらも、主の情深き事は、奇 やチう 特にお宿を申され、いかに夜寒なればとて、女の身として、夜中山へ分け入り、薪を取り火に焚いて こころざし ものすごてい あて申さんとの志、またとあるまじき人にて候。さりながら余の女に変り、何とやらん物凄き体に て候ふ間、よくよく心を付けて見て候へば、案のごとく、山へ参りさまに立ち戻り、わらはが閨の内 を御覧候ふなと申したが、人にこそよれ、阿闍梨などに向って申さう事にてはござない。まづこのよ ねや みちのく あじゃり じんりん あるじなさけふか とが
あちらの里をあまのの里と申し、かの明 ワキ「さてその玉の名をば何と申しけるそ。 珠を取りあげた海人の住んでおられた村 ぎよくチうしやか シテ「玉中に釈迦の像まします。いづ方より拝み奉れども、同里であります。またこちらの島を新珠島 たま おもて そむ めんかうふはい と申します。かの珠を取りあげて、初め じ面なるによって、面を向ふに背かずと書いて、面向不背 て人々がその珠を見たことによって、新 五※下掛系は「何として」。 しい珠の島と書いて、新珠島と申します。 の玉と申し候。 六漢土、すなわち中国の朝廷。 従者「さて、その玉の名をなんと申したのか。 かんてう 七藤原不比等 ( 六五九 ~ 七一一 9 の諡跿。 しやかによらい ワキかほどの宝を何とてか、漢朝よりも渡しけるそ。 不比等は房前の父。右大臣となる。 女「玉の中に釈迦如来の像がおわしまし、ど 優れた行政能力をもって律令制度を ぎさき だいじんたんかいこうおんニもうと もろこしかうそう の方角からお拝み申しあげても、同じお 確立する一方、後代の藤原氏興隆のシテ「今の大臣淡海公の御妹は、唐土高宗皇帝の后に立たせ給 顔であるがゆえに、『面を向かうに背か 基を築いた。 おんヌぢでら こうぶくじ ^ 唐の第三代の皇帝。藤原不比等のふ。さればその御氏寺なればとて、興福寺へ三つの宝を渡ず』と書いて、面向不背の玉と申します。 もろこし 妹がその后となったという伝説は史 きゃうちゃく 従者「これほどの宝を、どうして唐土の朝廷 くわげんけいしびんせき 実にはない。 さるる。華原磬泗浜石、面向不背の玉、二つの宝は京着 より日本へ渡したりしたのか。 九平安時代、氏族が一門の冥福と興 リ、つ / 、、つ 隆とを祈願するために建立し、代々 女「今の大臣淡海公の御妹は、唐土の高宗 きさき し、明珠はこの沖にて龍宮へ取られしを、大臣御身をやっ 帰依した寺。 皇帝のお后にお立ちになりました。それ 一 0 奈良市登大路町にある。藤原氏 し、この浦に下り給ひ、賤しき海人乙女と契りをこめ、ひで、そのお后のお家、藤原氏の氏寺であ の氏寺。 るからとて、興福寺へ三つの宝をお渡し ふさざき = 中国陝西省の華原産の石で作っ かげんけい た磬。磬は打楽器の一種。現在、唐とりの御子を儲く。今の房前の大臣これなり。 なさる。すなわち、華原磬・泗浜石、面 代の物が興福寺に伝存する。 向不背の玉であるが、この三つのうち、 三中国の泗水のほとりに産する石。子方「 ( シテヘ向いて ) ゃあいかにこれこそ房前の大臣よ。あらな 二つの宝は都に着き、面向不背の玉とい 磬や硯を作るのに用いられる。参考 びと う明珠は、この沖で海底の龍宮へ取られ 「華原磬与泗浜石、清濁両声誰得つかしのあま人や、なほなほ語り候へ ( ワキは子方へ向き膝をつ レ知」 ( 白氏文集 ) 。 たのである。そのため、淡海公はお忍び 一三淡海公。 いて礼をする ) 。 の姿でこの浦にお下りになって、賤しい 一四ここでは、当惑の意を示す。 海人乙女と契りを結んで、一人の御子を 一五思いもかけなかったことで、結 シテ「あら何ともなや ( ワキは着座する ) 、今まではよその事とこ 果において、この場にふさわしくな 儲けられた。今の房前の大臣がその方で うへ ことを言ってしまった、の意。 そ思ひつるに、さては御身の上にて御座候ふそや ( シテは中ある。 「便なし」は、都合が悪い。 房前「やあ、なにを言うのだ、自分こそ房前 , 流儀によっては、シテは中央に着 びんざうらふ 座してシオリをする。 央へ行く ) 、あら便なや候 ( 着座する ) 。 の大臣である。ああなっかしい海人であ 四七九 海人 おんこ まう 五※ なに あまをとめ かた 一三おんみ ひざ おもて しひんせき そむ
追手乙「 ( 甲へ向き ) ただし耳が遠いかも知れぬ。今度はちと高ら追手甲「承知した。 追手甲「やい老人、浄御原の天皇の行く先を かに問うてみさしめ。 知らないか、やい 追手甲「心得た。 きよみばらてん / うゆくへ 老翁「なんだって、浄御原の天皇だって。天 追手甲「 ( シテヘ向き ) いかに老人、浄御原の天皇の行方をば知らぬ 皇であろうとだれであろうと、どうして 、かい、い ここまでやって来ようそ。浄御原とは、 なに ああ聞きなれぬ人の名であること。だい シテ「 ( 追手の一一人へ向き ) 何浄御原の天皇とや。天皇にてもただ人 たいこの山は、兜率天の内院にもたとえ 一「 ( これまで ) 来」と掛詞。 られ、 にても、何しにこれまで浄御原、あら聞き馴れずの人の名 もとごだいさんしようりよう ニ欲界六天の一つである兜率天には、 三※ 姥「あるいはまた、日の本の五台山清涼 とそっないるん もろこし 内外一一院があり、内院は弥勒菩薩の 山といって、唐土の地までも、 住む所とされる。吉野山は弥勒の住ゃ。総じてこの山は、兜率の内院ともたとへ、 もろこし ごだいさんしゃうりゃう・せん む所と考えられていた。参考「み吉 老翁「遠く続いている奥深い吉野山であって、 ツレ气または五台山清涼山とて唐土までも、 野や、御嶽精進の御声にて、南無当 隠れ場の多い所。いったいどこまでおた 来導師、弥勒仏とぞ唱へける」 ( 謡曲 「半蔀」 ) 。↓田三一一八ハー。 シテ「遠く続ける吉野山、隠れ処多き所なり、いづくまで尋ねずねなさるおつもりか。もはやこれまで 三※現行金春流は「内院にもたとへ」。 ではないか、早く帰られよ。 四※現行観世流は「また五台山 : ・」。 給ふべき。はやこれまでそ疾う帰らしめ。 追手甲「いやもうし、まことにあの老人の言 五中国山西省五台県にあって、峨眉 われるとおり、どこといってあてもなく、 山・天台山とともに山国仏教三大霊 追手甲「 ( 乙へ向き ) いやなうなう、まことにあの老人の言はるる むやみにたずねることもできまい。さあ 場の一。清涼山はその別称。吉野山 六 まら・りやら・ / は、その奥が深く、唐土まで続くと し。いざ戻らう。 通り、どこ方量もなう尋ねられもすま、 もどろう。 考えられていた。 追手乙「それがよかろう。 追手乙「 ( 甲へ向き ) それがよからう。 ( 追手の二人は行ぎかかる ) 六どこといってあてもなくむやみに。 追手甲「こちらへ来なされ。 「方量」は、限度の意。 追手甲「こちへおりやれ。 追手乙「承知した。 追手乙「心得た。 一一人はその場を立ち去りかけたが、 追手甲「 ( 舟を見つけて、乙へ向き ) いやなうなう。 舟を見つけて立ちもどる。 追手乙「 ( 甲へ向き ) 何事ちゃ。 がてん 追手甲「いやもうし。 追手甲「見ればあれに舟がうつむけてある。あの下が合点が行か追手乙「何事そ。 ぬ。尋ねて見う。 追手甲「見れば、あそこに舟がうつむけて置 いてある。あの下がどうもおかしい。尋 追手乙「それがよからう。 謡曲集 四※ びと とそってん
四※このアイのせりふは、山本東本 による。 なにつかまっ その好意を受けて、一行は女の庵へ赴く 暮れて候ふよ。さて何と仕り候ふべき。 三※ たびびと 所の者「どうです、先ほど申したよりも険し 三※下掛系は「なうなうお宿参らせシテ气なうなう旅人お宿参らせうなう。 ( ツレ・ワキ・アイはシテ い道ではありませんか。 うなう」。 従者「いやまことに、お聞き申したよりは険 のほうを見る ) しいことであります。 所の者「このようでありますので、お乗り物 アイ「や、 ( ワキへ向き ) お宿参らせうずるよし申し候。 ( アイは狂 などは利用できないと申したのでありま 言座に退く ) す。おや、どうしたのか、日が暮れるよ あげろ うになりました。 シテ「これは上路の山とて人里遠き所なり。日の暮れて候 従者「ほんとうに、急に日が暮れるようであ いほり へばわらはが庵にて一夜を明かさせ給ひ候へ ( 三ノ松に立ります。このあたりに宿はありませんか。 所の者「いや、宿はないあたりであります。 っ ) 。 従者「ああふしぎなこと、まだ暮れないはず ざうらふ の日中でありますのに、急に日が暮れた ワキ「あらうれしゃ候。俄に日の暮れ前後を忘じて候。や ことであります。さてどうしたらよいで がて参らうずるにて候 ( ワキは地謡座前へ行く。シテは舞台へ入ありましようそ。 山の女『もうし旅人、お宿申しましよう。 る ) 。 所の者「おや、お宿申しましようと申します。 山の女「ここは上路の山といって、人里離れ シテは大妓の前に立つ。シテ・ツレ・ワキは着座し、問答とな た所である。日が暮れましたので、わた る。地謡となると、シテは立ち、中入する。 くしの庵室で一夜をお明かしなさいませ。 従者「ああうれしいことであります。急に日 こよひ シテ ( ツレヘ向き ) 今宵のお宿参らする事、とりわき思ふ子細が暮れて、途方にくれておりました。で やまンば ひとふし としつぎ は参ることにいたします。 五田舎住みの者にとって、忘れがた あり。「山姥の歌の一節謡ひて聞かさせ給へ。年月の望み い思い出として、後々において偲ぶ 山の女は遊女に「山姥の曲舞」を所望す ひな よすがとすることにしよう、の意。 る。そして名を尋ねられて、山姥である 六本来はまだ日中なのに、日を暮れなり、鄙の思ひ出と思ふべし。气 ( 正面を向き ) その為にこそ させて、の意。 ことを名のり、夜になったら真の姿を現 セ※ 七※下掛系は「謡はせ給へ」。 日を暮らし、御宿をも参らせて候へ。いかさまにも謡はせ わして移り舞を舞おうと言って姿を消す。 山姥 五〇七 , シテが、大鼓の前ではなく、中央 に着座する演出もある。 四※ いちゃあ あんじっ くせま、 いおりおもむ
七乾かしている舟。 ^ 「オノキャレ」と発音する。 九乱暴者。 一 0 「オシャル」と発音する。おっし やる。 国栖 追手甲「 ( シテヘ向き ) いかに老人、その舟は何とてうつむけては置ねてみよう。 追手乙「それがよかろう。 かれたるそ。その下が合点が行かぬ。捜いて見う。 追手甲「やい老人、その舟はどうしてうつむ けにして置かれているのか。その下が、 シテ「何とこの舟を捜さうずると申すか。 どうも怪しい。捜してみよう。 追手甲「なかなかの事。 老翁「なんだって、この舟の下を捜そうと申 すのか。 シテ「これは干す舟そとよ。 追手甲「もちろんのこと。 老翁「これは乾かしている舟なのだ。 追手甲「干す舟なりとも合点が行かぬ。そこをお退きやれ。 ( 足拍 追手甲「乾かしている舟であっても、その下 子を踏み、甲は鉾をかまえ、乙は弓に矢をつがえる ) がどうも気にかかる。そこをお退きなさ 追手甲「舟捜さう。 ( シテに向かって踏み込む ) れ、 追手甲「舟の下を捜すことにしよう。 シテ「この所にて漁をして世を渡る者そとよ。漁師の身にては 老翁「この老人は、この所で漁をして暮らし ている者であるそ。漁師の身にとっては、 舟捜されたるも家を捜されたるも同じ事。身こそ賤しう思 舟の中を捜されるということも、家捜し にツく ふとも、この所にては憎い者そとよ ( 立 3 。孫もあり曾孫をされるということも、まったく同じこ たにだに と。舟を捜そうと言うのなら、こちらに もあり ( 左手の指を折って数える ) 、あの谷々峰々より出で合ひ も覚悟がある。そなたたちは、この老人 九 て ( 左右をさし、見まわす ) 、かの狼藉人を討ち留め候へ、討ちを賤しい者と思うであろうが、この所で は人に恐れられている者であるのだそ。 留め候へ ( 両手を打ち合わせる ) 。 孫もあるし曾孫もある。さあ皆の者、あ こわだか ちらの谷々やこちらの峰々より出て来て、 追手甲「ああそのやうに声高うおしやるな。追手の武士ははや戻 あの乱暴者を討ち留めなさい、討ち留め るそ。 なさい。 追手甲「 ( 乙へ向き ) いやなうなう。 追手甲「ああそのように声高に物をおっしゃ るな、われわれはもはやもどることにす 追手乙「 ( 甲へ向き ) 何事ちゃ。 る。 追手甲「このやうな所に長居は無用、いざ戻らう。 なに おッて やさ
里の男「これは錦木といって、色どり飾って の木を錦木といへることは、高麗鉾もなくよそまでは、聞きも及ばせ給はぬよなう。 ) 3 の竿のやうにまだらに彩りて立 ある木である。そのどちらも当地の名物、 おんことわり つればいふなりと、とく知りたりとシテ「いやいやそれも御理、その道々に縁なき事をば、何とて どうそお買いなさいませ。 おばしき人は申せど、まことにはさ 旅僧「いかにも、錦木細布のことはわたくし もせぬにや。あらてくむといへる五 しろしめさるべき。 文字は : ・ ( 略 ) 。 どもも聞き及んでいる名物である。さて 錦木は立てながらこそ朽ちにけれシテ气 ( シテ・ツレは向かい合。て ) 見奉れば世を捨人の、恋慕の道どのようないわれのある名物であります けふの細布胸合はじとや 九※ のかしら。 ことわり みちのくのけふの細布程狭み胸 の色に染む、この錦木や細布の、しろしめさぬは理なり。 合ひがたぎ恋もするかな 里の女「なさけないことをおっしゃいますこ このけふの細布といへるは、これも こひち と。当地では有名な錦木細布ながら、そ みちのくにに鳥の毛して織りける布ワキ气あら面白の返答ゃな。さてさて錦木細布とは、恋路に のかいもなくてほかの土地までは知られ なり。多からぬものして織りける布 ず、お聞き及びもなさらぬのですね。 なれば、はたばりも狭く尋も短けよりたる謂れよなう。 れば、上に着ることはなくて、小袖 里の男「いやいや、それもごもっともなこと。 かず などのやうに下に着るなり。さればシテ「 ( ワキへ向き ) なかなかの事三年まで、立て置く数の錦木を、 その道その道で縁のないことを、どうし 背中なばかりを隠して、胸まではか ちつか てご存じなさることがあろうそ。 からぬよしをよむなり。 日ごとに立てて千束とも詠み、 三前注のほかに、「思ひかね今日立 里の男「お見受け申したところ世を捨てたお はたばりせば て初そむる錦木の千束も待たで逢ふ ツレ气 ( ワキへ向き ) また細布は幅狭くて、さながら身をも隠人、そのような方が恋慕の道に色深く染 よしもがな」 ( 詞花・恋上大江匡房 ) 、 められた、この錦木や細布のことを、ご むねあ 「いたづらに千東朽ちにし錦木をま さねば、胸合ひがたき恋とも詠みて、 存じにならぬのはもっともなことである。 たこりずまに思ひ立つかな」 ( 詞花・ 恋上藤原永実 ) などの例もある。 旅僧「ああ面白い返事であること。さてそれ 〈上歌〉の初めに、ツレ・ワキがとシテ气みにも寄せ、 では錦木細布というのは、恋の道にかか もに着座する演出もあり、また、 わるいわれがあるのですね。 〈上歌〉の終りに、ツレ・ワキが着座ツレ气名をも立てて、 する演出もある。 里の男「もちろんのこと、三年間も立てて置 たね 一三注一一の『俊頼髄脳』にもみえるが、 シテ气逢はぬを種と、 く習いという多くの錦木を、毎日毎日、 『後拾遺集』恋一に能因の歌として存 思いをかけた女の家の門に立てて、『錦 する。歌意は、錦木を毎日女の門ロ ツレ气詠む歌の ( シテはワキへ一歩出る ) 、 に立てたのに、取り入れてくれない 木は千束になりぬ』などとも歌に詠み、 ものだからそのまま朽ちてしまった。 里の女「また細布は幅が狭くて、からだ全体 地謡气〈上歌〉錦木は、立てながらこそ朽ちにけれ、 ( ツレは笛座 女は、細布の胸が合わないように、 を隠すこともないので、『胸合ひがたき わたくしに逢うまいというのであろ 前へ行き、ワキは着座する ) 立てながらこそ朽ちにけれ、狭布の 恋もするかな』などとも詠んで、 錦木 あ へんたふ みとせ 一 0 ※ なに ちつか
三※以下のアイのせりふは、大蔵流 ( 山本家 ) による。なお、上下二段に 組んだ部分では、能力甲・乙が互い に関係なく、同時並行にせりふを言 一三雷鳴の時、落雷を避けるまじな いのこ A 」、は。 一四「減却する」は、死ぬこと。 一五「キャッ」と発音する。あいつ。 一六地震をとめるまじないのことば。 一七這いまわって。 入「ワゴリョ」と発音する。相手を 親しんでいう、対称の代名詞。そな ニ 0 「オリャレ」と発音する。おいで なさい。「おりやる」は「お入りある」 の約 ~ まったことば。 三これは大変だ。驚いたり、失敗 したりした時に発することば。 一九いろいろと考えてみるに。 道成寺 し、能力甲はワキに鐘の落ちたことを伝えて揚幕に走り入る。 なほ 一ニ※くワばらくワばらくワばらくワばら 能力甲「 ( ころげまわって ) ああ桑原桑原、桑原桑原。能力乙「 ( ころげまわって ) ああ揺り直せ揺り直せ、揺 ( 常座に立ち ) さてもさてもおびただしい鳴りやり直せ揺り直せ。 ( 三ノ松に立ち ) さてもさてもし 一四めプをやく うかな。それがしはすでに滅却いたすかと存たたかな鳴りゃうであった。それがしは地震か いちにん じた。ああさて、いま一人の者は何としたか知と思うて、揺り直せ揺り直せと言うて這ひ廻う て逃げた。いま一人の者は何としたか知らぬ。 らぬ。ぎやつも胆をつぶいたでござらう。 能力乙「 ( 二ノ松に立ち ) えい、わごりよか。 能力甲「 ( 一ノ松に立ち ) えい、そなたか。さて今のはおびただしい鳴りゃうではなかったか。 なに 能力乙「したたかな鳴りゃうであった。まづわごりよは何であらうと思ふそ。 くアばらくワばらイ かみなり 能力甲「それがしは雷であらうと思うて、桑原桑原と言うて這ひ廻うて逃げた。 ぢひび 能力乙「いやいや雷ではあるまい。 ことのほか地響きがしたによって、みどもは地震かと思うて、揺り直 せ揺り直せと言うた事ちゃ。 能力甲「やうやう思ふに、今のは地震でも雷でもあるまい。鐘楼のあたりがおびただしう鳴ったによって、 てんゅ 合点が行かぬ。行て見て参らう。 能力乙「よいところへ心が付いた。急いで見て参らう。 能力甲「さあさあおりやれおりやれ。 能力乙「参る参る。 ( 二人は舞台へ入る ) 能力甲「何事もなければよいが。 能力乙「おしやる通り、何事もなければよいが。 ニ一なむさん・はう 能力甲「 ( 脇正面で鐘へ向き ) 南無三宝。 なに 能力乙「 ( 常座で能力甲へ向き ) 何とした。 能力甲「鐘が落ちてある。 能力乙「 ( 鐘へ向き ) まことに落ちてある。 能力甲「随分念を入れて吊ったによって、落つるはずはないが。 一九 なに しゅろう いちにん
をしかふ 水嵩の増さった川音はどこであろうか、 詞。一六「サンニヤ」と発音する。 ワキツレ「〈上歌〉牡鹿臥すなる春日山、牡鹿臥すなる春日山、 「露」の縁語。なお現行観世流は それは吉野川。花の名所吉野山は、たと おと はるさめ みかさま 「分け行く道の果までも」。一 ^ 「 ( 身水嵩そ増さる春雨の、音はいづくそ吉野川、よしやしばし えしばらくの間こそ花曇りであろうが、 を ) 飽き」と掛詞。奈良県宇陀郡に地 はなぐも 春の夜の月はやがて雲間に輝くもの。そ 名として存する。一九「 ( 世の中の ) こそ、花曇りなれ春の夜の、月は雲居に帰るべし、頼みを のようにしばらくは不遇でも、やがては 憂うさ」と掛詞。奈良県宇陀郡にあっ た猟場。ニ 0 「御狩場」の縁語。「臥ニ六 都にお帰りになることであろう。希望を かけよ玉の輿、頼みをかけよ玉の輿。 みこし すなる」までが「春日山」の序。 もって、天皇の御輿をかつぐことにしょ ニセ※ 三奈良市春日野町、春日神社の東 ワキ「〈着キゼリフ〉いづくとも知らぬ山中に御着きにて候。 ( 子方 う、前途に望みをもって、御輿をかつぐ 方にある山。ニニ「三笠」 ( 春日山の 一峰 ) に音が通じ、「春日山」の縁語。 へ向き ) しばらくこの所に御座を据ゑられうずるにて候。 ことにしようではないか ニ三紀伊山脈に源を発し、吉野山中 侍臣「どこともわからぬ山の中にお着きであ を流れ、和歌山県に入って紀ノ川と 後見が舟の作リ物を脇正面に置く。〔アシライ〕の囃子で姥の ります。しばらくこの所にお休みなさい なる。参考「ながれては妹背の山の 姿のツレと老翁の姿のシテとが登場し、舟に乗る。シテは棹を つりざお ますよう。 なかに落つる吉野の川のよしや世の 持ち、ツレは釣竿を右肩に担げる。シテ・ツレの問答があって、 中」 ( 古今・恋五読人知らず ) 。 川舟に乗った老人夫婦は、わが家のほう 掛合いの謡となるとシテ・ツレは舟より下りる。地謡に続き、 ニ四「花」は「吉野」と縁語。ニ五「月」 に星が輝き、紫雲のたなびいているのを に託して、天皇がやがて都に帰るこ シテは中央、ツレは角に着座する。 とを予言した表現。なお現行観世流 見て漕ぎもどり、高貴な人がおいでにな は「月は雲居に帰らめや」。ニ六「 ( 頼 っているのを発見する。 〔アシライ〕 みを ) 懸けよ」と「 ( 舁けよ ) 玉の輿」と 老翁「姥よ、見なさい。 の上下に掛かる。ニ七※以下二行、 シテ「 ( ツレヘ向き ) 姥や給へ。 下掛宝生流による。 姥「何事でありますか。 流儀によっては、舟を一ノ松へ出 老翁「この老人のあばらやの上のあたりに、 す演出もある。 ツレ「 ( シテヘ向き ) 何事にて候ふそ。 いつもは見たこともない星が輝いておい 三 0 ニ ^ 「見給へ」の意。ニ九老翁。この 場合は、自称。 = 0 低くてみすほらシテ「おほちが伏屋の上に当って、客星の御立ちありたるをでだ、あれを拝みなさ 0 たか。 しい家。三一彗星や新星など、一時 姥「どのあたりでありますそ。 こずえ 老翁「あの森の梢のところに見えております。 的に現われる星。恒星の対語。瑞祥ば拝まい給うたか。 ・異変などの前兆。三ニ「拝ま 姥「なるほどそのあたり紫の雲がたなびき、 い」は「拝ませ」の転か。あるいは「拝 ツレ「いづくの程にて候ふそ。 ただごとでない雲の様子であること。 まふ」 ( 「拝む」と同意 ) の連用形か。 こずゑ なお底本の表記は「おかまひ給ふた 老翁「そのとおり、ただごとでない雲のたた シテ「あの森の梢に見えて候 ( 脇柱のほうへ向く ) 。 か」。三三めでたいしるしとされる ずまいであります。それにしても、天子 しうん 雲。 のおいでになる所に紫の雲は立つものと ツレ「 ( 脇柱のほうへ向き ) げにげにあたりに紫雲たなびき、ただな 国栖 にど ニ 0 かすがやま さんチう みずかさ
^ ※以下四行、下掛宝生流による。 とま なみち 七「浦」は「裏」に音が通じ、「重なり」り舟出して、波路はるかの旅衣、浦々泊り重なりて、行け阿闍梨「急ぎましたので、ここはもはや佐渡 とともに「衣」の縁語。 の島、その佐渡の島に着いたのでありま ば沖にも里見ゆる、佐渡の島にも着きにけり、佐渡の島に す。この所で囚人の係りをしている者は 本間とか申します。さっそく案内を申す も着きにけり。 ことにいたします。まずこちらへおいで 八※ なさいませ。 ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これははや佐渡の島に着き めンうとぶぎゃう 帥の阿闍梨は本間の館で案内を乞い、本 て候。この所にて囚人の奉行をば、本間とやらん申し候。や 間の従者を通じて、本間と対面すること がて案内を申さうずるにて候。 ( 子方へ向き ) まづこなたへ御 になる。 入り候へ。 阿闍梨「もうし、この内へ案内申します。 従者「案内とはどなたでいらっしゃいますか。 ワキが案内を乞うと、従者が舞台口に立って応対し、本間に取 阿闍梨「本間殿のお屋敷はここでありますか。 り次ぐ。従者はふたたび舞台ロへもどり、ワキに本間のことば 従者「はい ここは本間殿の屋敷であります。 を伝え、狂言座に退く。子方・ワキは舞台へ入る。 どのような御用でありますか。 九※ 阿闍梨「わたくしは都東山今熊野の梛の木の ワキ「いかにこの内へ案内申し候。 坊において、帥の阿闍梨と申す山伏であ 従者「 ( 舞台口に立ち ) 案内とは誰にてわたり候ふそ。 ほんま ります。ここにおいでになりますのは、 ワキ「本間殿の御館はこれにて候ふか。 資朝の卿のご子息でありますが、本間殿 従者「さん候本間殿の館にて候。何の御用にて候ふそ。 にお逢い申したいことがありまして、こ ワキ「これは都東山今熊野梛の木の坊に、帥の阿闍梨と申す客僧 こまではるばると参ったのであります。 このことを申しあげてくださいませ。 にて候。 ( 子方へ向き ) これにわたり候ふは、資朝の卿の御子息 にて候ふが、 ( 従者〈向き ) 本間殿の御目にかかり申したき子従者「そのことでありますが、囚人の縁者な どにご対面なさることはかたく禁ぜられ 細の候ひて、これまではるばる参りて候。このよし御申しあ ておりますので、かないますまい。 って賜り候へ。 阿闍梨「はるばるのところをここまでお供申 きん、 ごたいめんナ ざうらふめンうと 従者「さん候囚人のゆかりの者などに御対面は、かたく禁制に しましたことゆえ、格別のお計らいとし て候ふ間、かなひ候ふまじ。 て、お引き合わせくださいませ。 ワキ「はるばるの所これまで御供申して候ふほどに、御心得をも従者「まことにはるばるのおいでと申し、ま 三四五 九※以下の従者と応対のワキのせり ふは、下掛宝生流による。 一 0 ※以下のワキおよび本間と応対 の従者のせりふは、山本東本による。 = 山伏の異称。本来は他の者が山 伏をよぶのに用いたことばであるが、 この場合のように自称にも用いる。 檀風 ふなで ざうらふ 一 0 ※ なに おんこころえ やかた
三五〇 こにいる人のことであります。 ツレ「 ( 本間へ向き ) 御不審もっともにて候。かの者の親もわれら るにん 本間「ああふしぎなこと、ご子息ではないと ごときの流人にて候はんが、配所を聞き違へ来りたるかと、 おっしゃいましたのに、どうして涙をお しんヂうふびん らくるいっかまっ 落しになりますそ。 かの者の心中不便に存じ、さて落涙仕りて候。 資朝「不審にお思いになるのはもっともであ ります。あの者の親もわたくしのような 本間「さあらば追っ返し申し候ふべし。 流人でありましよう。配所を聞き違えて おんかへ ツレ「急いで御帰し候へ。 ここへ来たのかと、あの者の心のうちが しようぎ かわいそうに思われ、それで涙を落した 本間「心得申し候。 ( ツレは床几に腰をかける ) のであります。 本間「それなら追い返すことにいたしましょ 本間は地謡座前でワキに声をかけて問答となる。本間が着座す ると、ワキが子方に声をかけ、ツレ・子方の掛合いの謡があっ 資朝「急いでお帰しください。 て、地謡に続く。地謡がすむと、子方・ワキは一ノ松へ行き、 本間「心得申しました。 舞台へ向いて立つ。 本間は帥の阿闍梨に資朝のことばを伝え 本間「最前の客僧はいづくにわたり候ふそ。 る。梅若・資朝は、それぞれ別々に思い を述べて涙を流す。 ワキ「これに候。 本間「先ほどの山伏は、どこにおいでであり すけともきゃう ますか。 本間「仰せの通りを資朝の卿に申して候へば、総じて資朝の卿 阿闍梨「ここにおります - 。 おんこ れうじ に御子はござなきよし仰せられ候。何とて聊爾なる事をば本間「あなたのおことばのとおりを資朝の卿 に申しあげましたところ、そもそも資朝 承り候ふそ。 の卿にはお子さまをおもちでないとおっ 一驚いた時や激しく相手を咎める時 しゃいます。どうしていいかげんなこと に、感動詞のように用いられること ワキ「あらふしぎや、それがしが申しつる通り仰せ候はば、や をおっしやるのですか。 ニ強調の働きをもっ連体修飾語。な 阿闍梨「これはふしぎなこと、わたくしの申 はかさやうには仰せられ候ふまじ。 んともまあ。はなはだしい。 したとおりお話しくださったのなら、よ 三軍神である八幡に対して弓矢にか ごんごだうだんニ くちを けて誓う、の意。武士の用いる誓言。本間「言語道断、かかる口惜しき事を承り候ふものかな。弓矢もや資朝の卿はそのようにはおっしゃい 謡曲集 ごふしんッ ちが ゆみや