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検索対象: 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)
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1. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

, 山の作リ物は、一畳台の向かって 右のほうに寄せて置く。 大 楽 舞 数人の若い女が山深く紅葉をたずね、と 後見が一畳台を大小前に置き、その上に紅葉を插した山の作リ はやし ある山陰にやすらう。 物を置く。〔次第〕の囃子で若い女の姿のシテと、同装のツレ しぐれぬ 数人と、その侍女のアイとが登場。侍女は狂言座に着座する。 女「時雨に濡れて色づくことを急ぐ紅 正面先に向かい合ったシテ・ツレは〈次第〉を謡う。シテは正 葉、時雨で早く色づこうとしている紅葉 面を向き〈サシ〉を謡い出し、「げにゃながらへて」以下ふた を見るために、山路深くたずねて行くこ たび向かい合って謡う。〈上歌〉の末尾でシテ・ツレは謡いな しようぎ とにしよう。 がら脇座へ行き、シテは床几に腰をかけ、ツレは着座する。侍 女「わたくしはこのあたりに住む女であり 女は常座に立ち、せりふを述べた後、笛座前に着座する。 ます。 女「まことに、生き長らえてこの憂き 同行の女 〔次第〕 一時雨を受けて色づくことを急いで 世に住む身、このように住んでいても今 いる紅葉、その紅葉を見るために、 しぐれ 山路深くたすねて行こう、の意。参シテ气〈次第〉時雨を急ぐ紅葉狩、時雨を急ぐ紅葉狩、深き山ははや、だれがそのことを知ろうそ。八 考「立田姫今はのころの秋風に時雨 重葎の茂っているこの寂しい宿に、およ をいそぐ人の袖かな」 ( 新古今・秋下路を尋ねん。 そたずねる人とてないが、人の目にこそ 藤原良経 ) 。 見えないけれども秋のけはいがしのびよ ニ※底本の役名表記は「ツレ女同」。 シテ气 ( 正面を向き ) 〈サシ〉これはこのあたりに住む女にて候。 三 って来て、庭の白菊は色あせてうつろい 現行観世流によってシテ・ツレの謡 たれしらくも ニ※ とした。 ノテ气げにゃながらへて憂き世に住むとも今ははや、誰白雲ゆく。その様子も、つらい境遇のわたく 三「 ( 誰 ) 知らん」と掛詞。「八重」の序。ツレ し同様と、あわれに思われることである。 やど やヘむぐら 四「八重葎茂れる宿の寂しきに人こ の八重葎、茂れる宿のさびしきに、人こそ見えね秋の来て、女「あまりにも寂しいタ暮れに、しぐれて そ見えね秋は来にけり」 ( 拾遺・秋 しらぎく 恵慶法師 ) に基づく。「八重葎」は幾六 いる空を眺めていて、あたりの山々の木 こずえ 重にも茂 0 ている蔓草。歌では荒れ庭の白菊うつろふ色も、憂き身の類とあはれなり。 木の梢の色づくさまも、なっかしく思い た家の景物である。 やられるので、 五※下掛系は「知らね秋の来て」。 シテ气あまりさびしき夕まぐれ ( 正面を向く ) 、しぐるる空を眺 六「月ならで移ろふ色も見えぬかな 敵何の女「連れ立って出かけたところ、道の こずゑ 霜より先の庭の白菊」 ( 続後拾遺・秋めつつ、四方の梢もなっかしさに ( ツレと向かい合う ) 、 べの草葉の色も、日に日に色づいていて、 したえだ 下藤原為子 ) に基づく くさば 行の女「木々の下枝の紅葉はあざやかであ 「下紅葉夜の間の露や染めつらんシテ气〈下歌〉伴ひ出づる道のべの、草葉の色も日に添ひて、 る。これは夜の間の露が染めたのであろ あしたの原のきのふより濃き」 ( 土御ツレ したもみちょ 門院御集 ) に基づく。 うか、夜の間に露が下枝の葉を染めたの 《大和の歌枕であるが、ここではをレ气〈上歌〉下紅葉、夜の間の露や染めつらん、夜の間の露 であろうか。朝の野原は、昨日より紅の あした くれなゐ ぎのふ 「朝の野原」の意に用いて、「夜」「昨 や染めつらん、朝の原は昨日より、色深き紅を、分け行く色が深く、その紅葉の中を分けて行けば、 日」と関連させた。 四一九 紅葉狩 山 イふ もみちがり たぐひ 五※ やま なが えむぐら

2. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

という古歌があるが、わが君の住む都も 一四「君がゆく越の白山しらねどもゆシテ气飛び立つばかりの心かな ( まわ 0 て常座にもどる ) 。 きのまにまにあとは尋ねむ」 ( 古今・ こししらやま どんな所かわからない。けれども行って 離別藤原兼輔 ) に基づく。一 = 加シテ气〈サシ〉君が住む越の白山知らねども、行きてや見まし みたいもの、 賀の白山 ( 石川・岐阜両県の境を あしびき なす山。富士山・立山とともに日本 照日「その大和はどこかしら。『よそにのみ、 たかま 足引の ( ツレは中央へ出る ) 、 三霊山の一 ) のこと。「知らねども」 見てややみなん』と詠まれた高間の峰の の序となる。一〈「山」の枕詞。「大シテ气 9 テ・ツ」は向かい合 0 て ) 大和はいづく白雲の、高間の峰白雲のように、わたくしにと 0 てはかけ 離れて及びないことながら、君の御座所 くもゐ 〈か〉知らず」と掛詞。なお、以下は 「よそにのみ見てややみなん葛城やのよそにのみ、見てややみなん及びなき、雲居はいづく御はどこかしら、君はどこにおいでなのだ 高間の山の峰の白雲」 ( 新古今・恋一 かげやま みやこ ろう。君の御光の差す日の本は大和、そ 読人知らず ) に基づく。一 ^ ※現行上影山、日の本なれや大和なる、玉穂の都に急ぐなり ( ツレは の大和の国の玉穂の都にと急ぎ行くので 掛一一流および喜多流は「山のよそに ある。 のみ」。一九「 ( 雲居は ) いづく」「い 大小前にもどる。一一人は正面を向く ) 。 おうみうみ づく ( 御影山 ) 」と上下に掛かる。 地謡「ここは近江の湖なのだ、・、、 カわたく あふみうみ = 0 「御影」は、君のお姿、の意で前地謡气〈下歌〉ここは近江の湖なれや、みづからよしなくも、 しは逢う身ではなく、はかないことにも 句を受け、君の威光、の意で後句に うきふね 及びもっかぬ恋に浮かれて、 続く。これを「山」にたとえたことば。 及ばぬ恋に浮舟の、 三「逢ふ身」の意を含む。ニニ「水」 地【「思い焦がれ行く旅の身。忍の摺衣を しのぶすりごろも に音が通じ、「湖」の縁語。ニ三「 ( 及 地謡气〈上歌〉焦がれ行く、旅を忍の摺衣 ( 足拍子を踏む ) 、旅を忍着て、忍の摺衣を旅衣として、涙にも色 ばぬ恋に ) 憂き」と掛詞。「漕ぐ」に音 があるのか衣は黒ずみ、飽ぎもせぬ仲で なみだ くろかみ あ の通ずる「焦がれ行く」の序。 わかぢ 「及ばぬ恋に浮舟の」で、ツレが大の摺衣、涙も色か黒髪の、飽かざりし別れ路の ( 正面へ数歩あったのに別れてしまい、それから心が ニセ 小前にもどる演出もある。 しかおきふし 浮かれてしまって、寝ても覚めても君を ニ四「 ( 旅を ) し」と掛詞。陸奥国信夫出る ) 、跡に心の浮かれ来て、鹿の起臥堪へかねて ( あたりを 思って、その思いに堪えかねながら、秋 郡で産出した忍草を染料として摺 「た衣。 = = 涙も色があるのか、衣見まわす ) 、なほ通ひ行く秋草の、野暮れ山暮れ露分けて ( 正草の野をなおもず 0 と慕 0 て行く。野山 は黒ずみ、の意であろう。ニ六「 ( 涙 に日を暮らしつつ露を分けて、玉穂の宮 たまほ みや に到着した、玉穂の宮に着いたのであっ も色か ) 黒し」と掛詞。「飽か」が「赤」面〈少し出て左〈まわる ) 、玉穂の宮に着きにけり ( 常座でツレと向 と同音なので、「飽かざりし」の序に なる。ニ七「起臥」の序。「鹿」は「浮 かい合う ) 、玉穂の宮に着きにけり ( シテ・ツレは橋がかりへ行く ) 。 かれ」「通ひ行く」と縁語。夭「秋 行列の前方へ出て制止され、花籠を打ち 草」「玉穂」と縁語。 落された照日の前は、狂乱状態で廷臣に ワキは立って謡い出す。ツレが常座に入ると、ワキはツレヘ寄 流儀によっては、「玉穂の宮に着 これが君のお花籠であることを訴え、恋 って、ツレの持った花筐を打ち落す。シテも舞台へ入り、 きにけり」で、シテ・ツレは大小前 に立つ。 しい君に逢えないことを嘆ぎ悲しむ。 答・掛合いの謡があって、〈上歌〉となると、ツレは笛座前、 花筐 三九 たまほ み しのぶすりごろも

3. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 三〇四 一※下掛系は「如月や」。繰返しも同雪の、越路の春に急ぐなり。 月、その如月の十日の夜に、月の都を立 じ。 きさらぎ ち出でて、『これやこの、行くも帰るも = 『吾妻鏡』によれば文治三年一一月十シテ气〈上歌〉時しも頃は如月の、時しも頃は如月の、如月の 別れては、知るも知らぬも、逢坂の関』 日。『義経記』では文治一一年一一月一一日立衆 とをか とする。 と詠まれた、行く者も帰る者もここで別 十日の夜、月の都を立ち出でて、これやこの、行くも帰る 三「都」の美称。「月」は「如月」「夜」 れ、知る者も知らぬ者もここで行き逢う と縁語。 という、その逢坂の関に着いたところ、 も別れては、行くも帰るも別れては、知るも知らぬも、逢 四「これやこの行くも帰るも別れて 山を春の霞が隠して都のあたりが見えな は知るも知らぬも逢坂の関」 ( 後撰・ かすみ 雑一蝉丸 ) に基づく。 。恨めしいのは霞、霞のかかる春とい 坂の山隠す、霞そ春は恨めしき、霞そ春は恨めしき。 五「山かくす春の霞ぞうらめしきい なみち う季節の恨めしいこと。 づれ都 0 さかひなるらむ」 ( 古今・羇テ气〈下歌〉波路はるかに行く舟の、波路はるかに行く舟の、弁「やがて舟に乗れば、琵琶湖上をは かい・つ あさぢ るかかなたにと舟が行き、波の上をはる 六琵琶湖上の舟の道。 海津の浦に着きにけり。しののめ早く明け行けば、浅茅色 七「櫂」に音が通するので、「舟の」を ばると舟が進み、海津の浦に着いたので あらちゃま 受ける。琵琶湖北岸、滋賀県高島郡 あった。それから、明け方早くに立って づく愛発山。 にある。北陸道の宿駅で、ここから 旅を続けて行くと、浅茅の色づく愛発山。 みやゐ かみがき 一ニぎのめやま 愛発山を越えて越前敦賀へ出る道がシテ あった。 立衆气〈上歌〉気比の海、宮居久しき神垣や、松の木芽山、な弁臣敦の海辺に出て、久しい昔より ^ 「矢田の野に浅茅色づく有乳山峰 そまやまびといたどり一五 あさふづ 祭られている気比の宮の前を通り、木の の淡雪寒くぞあるらし」 ( 新古今・冬 ほ行く先に見えたるは、杣山人の板取、川瀬の水の麻生津 芽峠に着けば、なおその行く先に杣山が 一九 柿本人麿。原歌は、万葉一一三三一、初 みくに あししのワら なび はげ 句「八田の野の」、末句「寒く降るらや、末は三国の港なる、蘆の篠原波寄せて、靡く嵐の烈し見えており、やがて板取、川の水も浅瀬 し」 ) に基づく。「浅茅」は、一面に低 を流れる麻生津、その流れの末の三国の あたか く生えているちがや。なお「浅」は、 きは、花の安宅に着きにけり、花の安宅に着きにけり。 港へ出て、波の打ち寄せる篠原のあたり 「朝」に音が通じ、「しののめ」「明け」 を過ぎ、蘆をなびかせて吹く風は激しく、 おんニそ と縁語。 九福井県敦賀市疋田。敦賀市の南部、 シテ「〈着キゼリフ〉御急ぎ候ふほどに、これははや安宅の港に御それは花にとっては仇であるが、花の咲 滋賀県との県境近くにある。有乳 着きにて候。 く安宅に着いた、花の咲き満ちた安宅に 山・荒血山とも書く。 着いたのであった。 一 0 敦賀湾の海。 シテ「 ( 子方へ向いて ) いかに申し上げ候。しばらくこの所に御休弁慶「お急ぎになりましたので、ここはもは , 「気比の海」以下の〈上歌〉を、立衆 , 「安宅」でテが演ずる道行の態はみあらうずるにて候。 ( 子ガは床几に腰をかけ、立衆は着座すゑ強や安宅の港、安宅の地にお着きにな 0 た のであります。 特殊なもので、正面へ二歩出てから 力は狂言座へ行く ) 左へまわって中央で留める。なお、 弁慶「 ( 義経に ) 申しあげます。しばらくの間、 さか義 りき こしぢ 一 0 三 あふ 、たどり しのはら そまやま あらちゃま

4. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

くや の悔しさを嘆く。 〔次第〕の囃子で里の女の姿のツレと里の男の姿のシテとが登 である」の意。一三「海人の刈る藻 にしきぎ に住む虫のわれからと音をこそ泣か 場。ツレは左腕に細布をかけ、シテは右手に錦木を持つ。ツレ 里の狭布の細布を織り、また折々錦木を め世をば恨みじ」 ( 古今・恋五藤原 は中央、シテは常座に立ち、向かい合って〈次第〉を謡う。続 立てる、狭布の細布を織ったり折々錦木 直子、伊勢物語六十五 ) に基づく。 いて〈サシ〉〈下歌〉〈上歌〉を謡う。〈上歌〉の終りに、シテ を立てたりすることが、世の評判になる 一四「いっか」の序。「いつまで草」は は中央へ、ツレは角へ謡いながら行く。 木蔦いづの古名。「草」は「干す」の縁語。 ことだ。 一五「森の下露」までが、「置き」に音 里の男「『陸奥の信夫もちずり誰ゅゑに、乱 〔次第〕 の通ずる「起き」の序。「干す」の縁語 にしきぎ れ初めにしわれならなくに』という古歌 ほそぬのをりをり 「衣」から、山城の歌枕「衣手の森」シテ 气〈次第〉狭布の細布折々の、狭布の細布折々の、錦木や があるが、いったいだれによって乱れそ 「森の下露」と続けた。一六「起きもツレ なた せす寝もせで夜をあかしては春のも めたかといえば、それは実は自分自身か のとてながめ暮らしつ」 ( 古今・恋一一一名立てなるらん。 ( シテ・ツレは正面を向く ) らであると、 業平、伊勢物語一 l) に基づく たれ 一 = 里の男「藻に住む虫のように声立てて泣き、 一七「ゆく水に数書くよりもはかなシテ气〈サシ〉陸奥の信夫もちずり誰ゅゑに、乱れ初めにしわ里の女 きは思はぬ人を思ふなりけり」 ( 古 さていつになったら物思いの涙を乾かす 今・恋一読人知らす、伊勢物語五れからと、 ( シテ・ツレは向かい合う ) ことがで、ようか。起きていること 1 もせ 十 ) に基づく。一 ^ 「君やこし我やゅ ぐさ ね ず、また寝ることもしないで、夜を明か きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかシテ 藻に住む虫の音に泣きて、いつまで草のいっかさて、 覚めてか」 ( 古今・恋三読人知らず、ツレ すというのでは、この春の趣のある眺め ころもで したっゅ一六 伊勢物語六十九 ) に基づく。一九次 もなんの役に立っことであろうそ。 思ひを干さん衣手の、森の下露起きもせず、寝もせで夜半 に示す歌の上句に基づく表現。すぐ 里の男「あさましいことだ、いったいこの後 あ なが 次に「月日」が出て来るので、「過ぐ どれだけ生きられる身であるからとて、 いたづを明かしては、春の眺めもいかならん。 る心」としたものであろう。「 らに過ぐる月日はおもほえで花見て 里の「なおもなにを期待するのであろう。 暮らす春ぞすくなき」 ( 古今・賀藤シテ气あさましやそも幾程の身にしあれば、 いかにもなにかを待つような様子で、自 原興風 ) 。なお、第三句「多かれど」 がほ 分を思ってくれない人を思って寝るが、 の形の本もあり、また、「多けれど」 うつつ た气なほ待つ事のあり顔にて、思はぬ人を思ひ寝の、夢か これは夢なのか現なのか、寝ているのか 「多かれど」の形で『和漢朗詠集』暮春 うつつ れんぽ 覚めているのか。これが恋慕の常なので に採られている。 = 0 「 ( なす事は ) 現か寝てか覚めてか、これや恋慕の習ひなる。 無し」と掛詞。三「昨日といひ今日 あろうか。 一九 と暮らしてあすか川流れてはやき月シテ 〈下歌〉いたづらに、過ぐる心は多けれど、身になす事里の男「自分は無為に過ごしている、と心の 日なりけり」 ( 古今・冬春道列樹 ) にツレ つきひ なみだがはニ一 基つく。一 = 一「ながれては妹背の山 中では十分に反省しているのだが、わが は涙川、流れて早き月日かな、流れて早き月日かな。 のなかに落つる吉野の川のよしや世 身になにもなすことなく、涙は川のよう いもせなか の中」 ( 古今・恋五読人知らず ) に基 に流れるのみで、月日は早く過ぎて行く、 シテ气〈上歌〉げにや流れては、妹背の中の川と聞く、妹背の づく。 錦木 しのぶ ほそぬの そ

5. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

けしき , 《酌之舞貰》《遊曲き》の場合は、 浦は、あたり一面ものさびた様子である。 たる気色かな ( 田子の緒を放す ) 。 〈サシ〉〈下歌〉〈上歌〉をはぶく。 老人「陸奥において、他の所はともかく、こ みちのく 《「陸奥はいづくはあれど塩竈の浦シテ气〈サシ〉陸奥はいづくはあれど塩竈の、恨みて渡る老が こ塩釜の浦は趣深いが、この地で世を恨 漕ぐ舟の綱手かなしも」 ( 古今・東歌 ) みつつ暮らす老いの身は、定まったたよ に基づく 身の、よるべもいさや定めなき、心も澄める水の面に、照 九「浦見て」の意をも含む。 り所とてもなく、定めなき心ながら、水 一 0 池の中心の意をも含む。 る月なみを数ふれば、今宵そ秋の最中なる。げにや移せば面に澄む月を見れば心も澄むようだ。水 = 「水の面に照る月なみを数ふれば 面に映る月影を見て、日数を数えてみる まなか 今宵ぞ秋の最中なりける」 ( 拾遺・秋 もなか と、今宵こそ秋の真中、仲秋の名月であ 源順、和漢朗詠集・十五夜 ) に基づく。 塩竈の、月も都の最中かな。 三月齢。「月波」に音が通じ、「水の いや、また、塩釜の浦をここに移 もろしらが 一四なか 面」と縁語。 シテ气〈下歌〉秋は半ば身はすでに、老い重なりて諸白髪。 したのだから、塩釜の月も、また、都の 一三「映せば」の意をも含む。 真中に照っていることになるのだ。 一四「秋」は、「人生の秋」の意を含む シテ气〈上歌〉雪とのみ、積りそ来ぬる年月の、積りそ来ぬる ゆえに、「老い重なりて」と意味の上 老人「秋は半ばであり、わが身はすでに老い で通い合う。 を重ねて、頭はすっかり白髪となってし 年月の、春を迎へ秋を添へ、しぐるる松の風までも、わが 一五総白髪。 まった。 うらわ しなれごろもそで 一六「諸白髪」を受け、「積り」の序。 老人「ひたひたと雪の降り積もるように、積 身の上と汲みて知る、汐馴衣袖寒き、浦曲の秋のタかな、 一セ「汐」と縁語。 一 ^ 潮のしみ込んだ衣。 もり積もってきた年月、長く積み重ねら イふペニ 0 ※ 一九海辺の曲がって入り込んだ所。浦曲の秋のタかな ( 脇正面へ出て、田子を下に置き、常座にもどる ) 。 れてきた年月、その間に春を迎え秋を添 「裏」に音が通じ、「衣」「袖」と縁語。 え加えることを繰り返したわたくしは、 ニ 0 ※金剛・喜多流では、この次に ワキは脇座に立ち、シテに問いかけて問答となる。掛合いの謡 時雨のけはいを含む松吹く風を聞くにつ 「しばらく休まばやと思ひ候」という があって、地謡となると、シテは舞台をまわる。 せりふがある。 けても涙ぐんで、わが身の上のことかと じようどのおんみ 察し知るのである。潮のしみ込んだ衣の 一 = 老翁。 ワキ「いかにこれなる尉殿、御身はこのあたりの人か。 袖は寒く、まことに心にしみ入るこの浦 しほくみ ざうらふ の秋の夕方である、この浦の秋の夕方は シテ「さん候この所の汐汲にて候。 身にしみることだ。 ワキ「ふしぎやここは海辺にてもなきに、汐汲とは誤りたるか 僧は老人に問いかけ、河原の院が塩釜の 浦を模したものであることを知る。折し 尉殿。 も月が出て、ともどもに、しみじみとこ なが の致景を眺める。 シテ「あら何ともなや、さてここをばいづくとしろしめされて ニニああなんとも言いようのないこ とだ、の意。失望・落胆の気持を表 わす。 融 かいへん としつき イふべ しぐれ みちのく 四八九

6. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 紀伊国の旅路でにわかに馬が煩い、 シテ・ワキは着座のまま、ふたたび問答となる。掛合いの謡が 宮守は相手が貫之であることを知り、神 道行く人からここが蟻通の神の社地 あって、地謡に続く。〈クセ〉の終りに、ワキは立って、馬を立 に対して歌を詠み奉れと言う。貫之は心 であることを聞いてこの歌を詠み奉 たせてみた後、両手をついて拝礼する。 をこめて「雨雲の立ち重なれる夜半なれ ったところ、馬の病気が直った、と ば : : : 」と詠む。宮守はその歌に感じ入 いう長文の詞書とともに記されて シ・テ「 いかに申すべき事の候。 る。歌のめでたいいわれが述べられ、宮 いる、「かき曇りあやめも知らぬ大 空にありとほしをば思ふべしやは」 守が馬を引き立ててみると、馬は起きあ ワキ「何事にて候ふそ。 に基づく歌。七歌のよしあしを聞 がりいななく。和歌が神慮に通じたので き知ることのできない者。 ^ 気づ たれ あった。 かないでおかしたあやまち。九※下シテ「さて御身は誰にてわたり候ふそ。 宮守「もうし、申しあげたいことがあります。 掛系は「などか納受なかるべきと」。 きつらゆき すみよしたまっしま 貫之「何事でありますか。 一 0 「雨雲」に「数多 ' あれど」の意をワキ「これは紀の貫之にて候ふが、住吉玉津島に参り候。 こめ、歌のことばにはさまざまある しんりよ 宮守「あなたはどなたでありますか。 が、 0 意か。そして、数多く 0 = と〉 , 「貫之にてましまさば、歌を詠うで神慮をすずしめ御申し貫之「わたくしは紀の貫之でありますが、住 詠んだと続くのであろう。なお、掛 吉・玉津島に参詣するところであります。 合いの謡の末尾では、主語がシテに 宮守「貫之でいらっしやるのなら、歌を詠ん なる。 = 以下、前記の歌の変形。 ワキ「これは仰せにて候へども、それは得たらん人にこそあれ、で神の御心をお慰め申しなさい。 三『詩経』大序にある詩の六義 ( 風・ ことばすゑ 賦・比・興・雅・頌 ) に即して『古今四 貫之「これは仰せでありますが、そのような 集』仮名序に立てた六種の和歌の詠われらが今の言葉の末、いかで神慮にかなふべきと、思ひ ことは達人であってこそできること。わ みぶり。そえ歌・かぞえ歌・なずら ことは あまぐも たくしごとき者の歌では、。 とうして神の え歌・たとえ歌・ただごと歌・いわ ながらも言の葉の、末を心に念願し、气雨雲の立ち重なれ 御心にかなうことがあろうそと、そうは い歌をさす。一三衆生が善悪の業に ありとほし よって輪廻する、地獄・餓鬼・畜生る夜半なれば、蟻通とも思ふべきかは ( 耳をかたむけて聞く ) 。 思いながらもことばのはしばしを吟味し、 あま・も ・修羅・人間・天上の六つの迷界。 ありとほし 心に願いをこめて、『雨雲の立ち重なれ 和歌の六義と六道とを結びつけたこ シテ「雨雲の立ち重なれる夜半なれば、蟻通とも思ふべきか る夜半なれば、蟻通とも思ふべきかは』。 の説の典拠は不明。一四和歌を詠む おもしろ 業。一五「この歌、天地のひらけ初ま 宮守「『雨雲の立ち重なれる夜半なれば、蟻 は。「面白し面白し、われらかなはぬ耳にだに、面白しと りける時よりいできにけり」 ( 古今・ 通とも思ふべぎかは』。面白い面白い なふじゅ 仮名序 ) に基づく 一六「人倫ヲ化シ、 思ふこの歌を、などか納受なかるべき。 夫婦ヲ和グルコト、和歌ョリ宜シ わたくしのような歌のよくわからぬ者の 九※ そむ キハナシ」 ( 古今・真名序 ) に基づく 耳にさえ、面白いと思うこの歌を、どう 宮中の書物を管理する役所。貫ワキ心に知らぬ科なれば、何か神慮に背くべきと、 一 0 して神のお受けにならぬことがあろうそ。 之は『古今集』撰進当時、御書所預 よろづ であった。入『古今集』仮名序に、 シテ气万の言葉は雨雲の、 貫之「気づかないでおかしたあやまちである よ 0 とカ みこころ

7. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 一正月の初子騁の日に、若い女が野 同行の女「木の芽もふくらむ春、それなのに に出て若菜を摘むのは、本来は神事 雪はうっすらと降り積み、 であったが、後には初春の遊楽とな 同行の女「森の下草はまだ寒々としている。 った。生田の小野は若菜摘みの名所。 っ 里の女「山の奥では松の雪も消えていないの ニたいへんに冷える。「かへる」はシテ 气〈一セイ〉若菜摘む、生田の小野の朝風に、なほ冴えか 「反る」の意で「袂」に続く。三「霞ツレ たもと たち木の芽もはるの雪降れば花なき 同行の女「都は野辺の若菜を摘むころに、今 里も花ぞちりける」 ( 古今・春上貫へる袂かな。 はもうなっていることであろう。そう思 之 ) に基づく。 め あはゆき 「木の芽も春の淡雪に」の一句は、 ツレ气木の芽も春の淡雪に、 いをはせると行ってみたくなること。 ツレのうちの一人が謡う。 したくさ 里の女「ここはまた、もとより所も都を離れ 四「 ( 木の芽も ) 張る」と掛詞。 イ冖气森の下草なほ寒し。 た田舎。 流義によっては、〈一セイ〉を謡っ みやま 同行の女「田舎人であるから、とかくつらい た後、〔アシライ〕の囃子で舞台に入シテ气〈サシ〉深山には松の雪だに消えなくに、 り、ツレは地謡座前、シテは常座に ことも多く、かろうじて命をつないでこ ころ 七※ 六※のペ 立つ。 ツレ「都は野辺の若菜摘む、頃にも今はなりぬらん、思ひやの生田の海辺で、わが身のできる限りつ 五「み山には松の雪だに消えなくに らい仕事を続け、そのため心が晴れると 都は野辺の若菜つみけり」 ( 古今・春 るこそゆかしけれ。 六※以 上読人知らず ) に基づく いうこともなく、まだ春のけはいもない 下一一行、現行宝生流はシテ・ツレの 小野に出て、若菜を摘むのだ。 謡。七※下掛系は「今やなりぬらシテ气ここはまたもとより所も天さがる、 九※ ん」。 ^ 「鄙」に掛かる枕詞。九※以 里@放女「若菜を摘む、何人もの里人の踏ん ひなびと 下二行、現行宝生流はシテ・ツレの ツレ气鄙人なればおのづから、憂きも命も生田の海の、身の だ跡なのだろう、野には雪の消えた所が 謡。一 0 ※車屋本は「命の生田の海 わざ たくさんできている。 の」。 = 「 ( 命も ) 生く」と掛詞。 限りにて憂き業の、春としもなき小野に出でて、 里の女「雪のために道がなくなっていても 三※車屋本は「身を限りにて憂き業 の」。一三「憂き業の」を受け、「晴シテ ノ」气〈下歌〉若菜摘む、幾里人の跡ならん、雪間あまたに野踏み分けて行 0 て、たとえ道がないとし る」 ( 心が晴れる ) と掛詞。一四「 ( 小 ても踏み分けて行き、沢地にある若菜を 野に出でて ) 若菜摘む」と文意は続く。 はなりぬ。 今日摘むことにしよう。雪の晴れ間を待 「若菜摘む幾里人の跡ならむ雪間あ っていたら、若菜もあるいは伸びすぎる またに野はなりにけり」 ( 風雅・春上シテ 气〈上歌〉道なしとても踏み分けて、道なしとても踏み分 藤原為定 ) に基づく。なお、以下〈上ツレ こともあろうから。嵐の吹く森の木陰、 歌〉の終りまでは、底本に役名の表 小野には雪があり、なお寒さが冴えてい 記がないので、ツレの謡の継続とみけて、野沢の若菜今日摘まん。雪間を待つならば、若菜も て、春らしくもないが、七草は生き生き ることもできるが、現行諸流により、 シテ・ツレの謡とした。一五参考「わもしや老いもせん。嵐吹く森の木蔭、小野の雪もなほ冴えとしている。この生田の小野の若菜を摘 のざは へ謡いながら行く。 四 いくたをの あま さ

8. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

アイ「 ( 中央に着座して ) いかに申し候。ただいまの女を私宅へ送り申して候。 ワキ「一段にて候。 アイ「さてわれらの存じ候ふは、ただいまの女の、御前をもはばからず、いろいろ恨み言を申すほどに、 きづか われらも気遣ひ申して候さりながら、またかれが申す事を承れば、あはれなる事と存じ、われらごと きの者までも、そそろに涙を流し申して候ふが、何とおぼしめし候ふそ。 しんヂう ワキ「げにげに汝が申すごとく、老女が心中ちかごろ不便なる事にて候。それがしも弓取の習ひにて、名 こうた を後代に残さんためにてあるそとよ。さりながら、あまりに不便なる事にてある間、 かの者の跡を くわげんこう とむら 管絃講をもって弔はうずる間、管絃の役者を相触れ候へ。 アイ「畏って候。 せアしゃうきんだん ワキ「また一七日が間は、浦々の網をも上げ、殺生禁断と相触れ候へ。 一波打際に仮寝して、の意。「夜」の アイ「心得申し候。 序ともなる。 ニ知恵の意。人生の苦海を乗り越え、 アイ「 ( 常座に立 0 て ) 皆々承り候へ。藤戸の渡り教へたる者の跡をば、管絃講をもって御弔ひあらうずると せッしゃうきんだん 彼岸へと到達するための最高の知恵 の御事にて候ふ間、管絃の役者は参られ候へ。また一七日の間は、浦々の網をも止め、殺生禁断と仰 を舟にたとえた。 三「 ( 艫綱を ) 解く」と掛詞。 せ出されて候ふ間、かまへてその分心得候へ。心得候へ。 四『大般若経』を示す。「乗り」に音が アイ「 ( 中央に着座して ) 相触れ申して候。 通じ、「舟」の縁語。 ワキ「もっともにて候。 ( アイは狂言座に退く ) 五「金剛手、若有レ聞二此理趣一受持読 誦、殺ニ害三界一切有情「不レ堕ニ悪 だいはんにやきよう ワキ・ワキツレは正面先に向かい合って〈上歌〉を謡う。ワキ 趣こ ( 大般若経・理趣品 ) に基づく。 盛綱は『大般若経』を読み、浦の男の弔 ツレは脇座に着座する。ワキは正面先へ向き、合掌して『大艇 三界のあらゆる生物を殺しても、 にやきよう いをする。 『大般若経』を読誦するならば、地 若経』の一節を読誦し、終わって脇座にもどり着座する。 盛「いろいろと、お経を読んだり管絃をし のり 獄・餓鬼・畜生・修羅等の悪道に堕 ワキ气〈上歌〉さまざまに、弔ふ法の声立てて、弔ふ法のたりして、経を読み管絃をして弔いの声 ちることはない、の意。なお下掛系ワキツレ は、「一切有情」を「イッセイイウセ うきね 尸を立て、波打際で仮寝して、夜となく昼 い」′、じゅ イ」と発音する。 声立てて、波に浮寝の夜となく、昼とも分かぬ弔ひの、般 となく弔いを続け、大般若経を読誦する ワキが膝をついて「一切有情」と読 ともづな三 ことによって、おのずと『知恵の舟』が 誦する演出もある。 若の舟のおのづから、その艫綱を説く法の、心を静め声を ともづなを解いて『彼岸』に達するよう 下掛系では、後シテは〔出端〕で登 上げ、 にと説き、心を静めて声を上げ、 謡曲集 にや いッしちにち なんち なみだ ぶん のり なに ふびん いアしちにち

9. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 な の仮寝の夢に見て、都に馴れ親しむこと てなむ、八橋といひける」 ( 伊勢物馴れて見ん。 語九 ) に基づいて、「八橋の」を、「蜘 にしよう、仮寝の夢の中で都に親しむこ おんニそ 蛛」に音の通する「雲居」の序とする。トモ「〈着キゼリフ〉ゃうやう御急ぎ候ふほどに、これははや日 とにしよう。 一六「草枕かりねの夢にいくたびかな おんっ 従者「日を重ねて道をお急ぎになりましたの れし都にゆきかへるらむ」 ( 千載・羇 向の国宮崎とかやに御着きにて候。 ( ツレヘ向いて ) これにて 旅藤原隆房 ) に基づく。 で、ここはもはや日向の国、宮崎とかい ちちご おんたづ おんゆくへ 〈上歌〉の末尾でトモが歩行の態を う所にお着きであります。ここでお父上 父御の御行方を御尋ねあらうずるにて候。三人は脇座へ行き、 示す演出もある。 のお行き先をお尋ねなさいますよう。 マ流儀によ 0 ては、ツレ・トモは脇立「ている ) 簡素な庵室の中で、景清は静かにみずか 座に着座する。 らの思いを述べる。盲目の身となり、衰 《松門之会釈の場合は、シ シテは作リ物の内より謡い出す。地謡の〈上歌〉となると、引 えはてて、われとわが身のつらさを嘆く テが謡い出す前に、笛が特殊な〔ア 回しを下ろす。シテの景清は、作リ物の内に着座している。 のみである。 シライ〕を吹く。それを〔松門ノア しようもんひと ねんげット せいくわう シライ〕という。 景清「松の木がおのずから門の代りになって , 流儀によ 0 ては、シテは床几に腰シテ松門独り閉ちて、年月を送り、みづから、清光を見ざ いるような簡素な住いに、たずねる者と をかけている。 へいきょ あんナん あんじっ てなくひとり閉居して年月を送り、盲目 一松が門の代りになるように家の入れば、時の移るをも、わきまへず。暗々たる庵室にいたづ 四 口に生えているさま。 の身は日月の光を見ることがないので、 はだへげうこッ ころもかんだん ニ盲目の身であるためである。 らに眠り、衣寒暖に与へざれば、膚は、磽骨と衰へたり。 時の移り行くのもわからない。暗い庵室 三「暗々」と重韻。 そむ すみ にただむなしく眠って過ごし、寒暖に応 0 寒暖に応じて着替えをしないので、地謡〈上歌〉とても世を、背くとならば墨にこそ ( 引回しを下ろ の意。 じて衣の着替えもしないので、体は骨ば そでセ 五肉の落ち尽くした白骨の意から、 す ) 、背くとならば墨にこそ、染むべき袖のあさましや、やかりといってよいほど痩せ衰えている。 ひどく痩せ衰えたさまをいう。 地謡「どうせ世に背いて暮らすというのな ( 景清 ) 六墨染めの袖は、出家した者の衣。 すみそ つれ果てたる有様を、われだに憂しと思ふ身を、誰こそあら、衣を墨染めにすべきなのに、墨染め 七「 ( 袖の ) 麻」と掛詞。 「やつれ果てたる有様を」で引回し の衣を着る出家の身となるべきなのに、 そで を下ろす演出もある。 りてあはれ身の、憂きを訪ふよしもなし、憂きを訪ふよし あさましいことにも麻の袖の俗体のまま ^ 「 ( 誰こそありて ) 憐み」と掛詞。 で、やつれはてているこの有様。自分で もなし。 さえもいやだと思っているのだから、だ れあってあわれみをかけてくれようそ。 ああわが身のつらさを慰めるすべもない こと、このつらさをいやす道もないこと。 ツレ・トモはシテヘ向く。ツレ・シテの掛合いの謡があって、 トモはシテに問いかけて問答となる。問答が終わると、ツレ・ トモは後見座へ行き、うしろを向いて着座する。 とむら たれ ヒ、つ

10. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

まいと気を許して、ひとり紅葉を眺めて いたところ、人に見られたのであろうか、 たれ ^ 「 ( 誰とも ) 知らす」と掛詞。白木のワキ气われは誰とも白真弓、ただやごとなき御事に、恐れて どうしたらよかろうそ。 檀で作った弓であるが、ここでは、 維茂「わたくしは、相手がどなたともわから 「やごと」の「や」が、「矢」に音が通ず るので、その序。 ないが、ただただ高貴なお方であること 九前句の「忍ぶ」と重韻。「陸奥のし に遠慮して、そっと通ろうとしているだ シテ气しのぶもちずり誰そとも ( ワキへ向く ) 、知らせ給はぬ道 のぶもちすり誰ゅゑに乱れむと思ふ けなのである。 我ならなくに」 ( 第四句「乱れそめに 女「わたくしがだれであるとおわかりにな し」とも。古今・恋四源融、伊勢物のべの、便りに立ち寄り給へかし。 語一 ) に基づき、「しのぶもぢずり」 らぬにしても、案内をご存じでないこの ワキ「 ( シテヘ向き ) 思ひ寄らずの御事や、何しにわれをば留め給 は「誰」の序。 道のほとりで、よすがにもなろうからお 一 0 「 ( 誰ぞとも ) 知らせ給はぬ」「知 らせ給はぬ ( 道 ) 」と上下に掛かる。 ふべきと、さらぬゃうにて過ぎ行けば ( ワキは正面〈数歩出立ち寄りなさいませ。 維茂「これは思いも寄らぬおことばでありま = なんでもない様子。何事もなか ったかのような態度。 る ) 、 すこと、どうしてわたくしをお留めなさ なさけ ひとむらさめあまやど るのであろうそと、何事もなかったかの 三「一樹の陰に宿り、一河の流れを シテ「あら情なの御事や ( ワキは留まる ) 、一村雨の雨宿り、 ようにして、通り過ぎて行くと : 汲むも、皆これ多生の縁」という成 句に基づき、ここで出逢うのも前世 女「ああつれないこと、さっと降る通り雨 ワキ气一樹の陰に、 からの因縁であろう、こうして酒を を避けるために、 勧めるのに、どうしてお見捨てなさ 維茂「同じ木の陰に、 シテ「立ち寄りて、 ってよかろうぞ、の意。 女「立ち寄って雨宿りをするのも、 地謡一河の流れを汲む酒を ( シテは立っ ) 、 いかでか見捨て給地謡「同じ川の水を汲み合うのも、前世から は・つ とど たもと の因縁によるもの。縁あってここで出逢 ふべきと ( ワキへ近寄る ) 、し、 耳力しながらも、袂にすがり留む こうして勧める酒を、どうしてお見 いはき れば ( 面を伏せ、ワキの左袖に手をかけて留める ) 、さすが岩木にあ捨てになってよかろうそ、と恥ずかしい たもと ふるま、 振舞ながら袂にすがって留めたので、維 らざれば ( ワキは脇座へ行く ) 、心弱くも立ち帰る ( シテ・ワキは向 茂も、さすが木石ならぬ人の身であるか ら、心弱くも立ちもどる。ここは山路、 かい合う ) 、所は山路の菊の酒 ( シテは中央へ行く ) 、何かは苦し そのゆかりある菊の酒なら、飲むのにな んの差し支えがあろうそ。 かるべき ( シテ・ワキは向かい合って着座する ) 。 一三「木石」と同様、感情のないもの のたとえ。 一四周の穆王の侍童彭祖 3 うが深山 に流罪となり、菊の葉に経文をしる し、その葉に滴る露が落ちる谷水に よって、童顔長寿の仙人となり、七 百歳の長寿を保ったという故事に基 づき、「菊の酒」は酒の美称。しばし ば「山路の菊の酒」と連ねられる。 紅葉狩 忍ぶばかりなり。 せん。 しらまゆみ ( 女 ) 四二三