る。続いてアイも舟を持って退場する。シテは一同を見送って、 成経・康頼「なんとまあおいたわしいこと。 シオリをして留める。 われらが都に帰ったなら、よいようにお おんこと のぼ とりなし申し、その結果、やがて帰洛の ワキ〈ロンギ〉いたはしの御事や、われら都に上りなば、 成経・康頼 時が来るであろう、お心を強くしてお待 、らく おんこころ・つよ なほ よきゃうに申し直しつつ、やがて帰洛はあるべし、御心強ちなさいませ。 俊寛「『帰洛の時を待て』と言って、声を張 く待ち給へ。 りあげて呼んでいる声も遠くかすかにな っこが、はかない頼みながらそれを心待 〈「 ( 声も ) かすかなる」と「かすかなシテ「帰洛を待てよとの、呼ばはる声もかすかなる、頼みを ちにして、松の陰で、泣くのをやめてそ 九 る ( 頼み ) 」との上下に掛かる。 の声を聞いていた。 松蔭に、音を泣きさして聞きゐたり ( 右の耳へ手を当てて聞く ) 。 九「 ( 頼みを ) 待っ」と掛詞。 赦免使「『われらの声を聞いているかどう 一 0 声を上げて泣くことをやめて。 「さす」は、動詞の連用形について、 か』と言いながら、皆々は声々に俊寛に 成経・康頼聞くやいかにとタ波の、皆声々に俊寛を、 途中でやめる意を示す。 呼びかけ、 「聞きゐたり」で、シテがシオリをシテ「申し直さば程もなく、 ( 赦免使・成経・康頼 ) 「『おとりなし申したなら しながら聞く演出もある。 ば、す - ぐに , も、 一一「 ( 聞くやいかにと ) 言ふ」と掛詞。 成経・康頼气必ず帰洛あるべしゃ。 「声」にかかる形で次句の序。 赦免使「必ず帰洛のできることだ』と言 成経・康頼 えば、 シテ「これはまことか ( 居立ち、舟を見る ) 。 「頼むぞよ」で、シテが舟のほうへ 俊寛「これはほんとうか。 合掌する演出もある。 赦免使「もちろんのこと。 三俊寛のことばとしての「頼もしく 成経・康頼 成経・康頼气なかなかに。 思っているぞ」と、舟の者のことば 俊寛「頼むそ、頼もしく思っているそ。 として「待てよ」と続いての、「頼もシテ頼むそよ頼もしくて、 地謡「『幀もしく思って待っていよ、待って しく思って待てよ」と、両意をもつ。 いよ』と言う声も、姿も、しだいに沖へ 「次第に遠ざかる」で、シテが手を地謡气待てよ待てよと言ふ声も ( シテは立つ。ツレ二人・ワキ・アイ 振って舟を見つめる演出もある。 と遠ざかり、かすかに聞こえていた声も 一三「 ( 遠ざかる ) 沖」と掛詞。「声」に は退場する ) 、姿も、次第に遠ざかる沖っ波の、かすかなる声聞こえなくなり、舟の影も人の影も、消 かかる形で次句の序。なお下掛系は えて見えなくなってしまった、あとかた ふなかげ 「沖っ波に」。 絶えて、舟影も人影も、消えて見えずなりにけり ( 揚幕のほ もなく消えて、見えなくなってしまった 一四※下掛系は「跡絶えて」。 「見えずなりにけり」で、シテが右 のであった。 うを見つめる ) 、跡消えて見えずなりにけり ( シオリをして留める ) 。 手をかざして見送る演出もある。 俊寛 イふなみ 二五九
一 0 身を縮めて小さくなって。 = ※下掛系は「くらみ」。 「漂ひ廻る安達が原の」で、シテが 角へ行き作リ物へ向くだけで、膝を つかない演出もある。 三「轍顰」の音に類するので、「廻 る」を受ける。 一三「 ( 言ふ声はなほ ) すさましき」と 「すさましき ( 夜嵐 ) 」との上下に掛か る。 一四※下掛系は「音に立ち紛れ失せに けり」。 , 《急進之出》の場合は、シテは走り 入り、ワキが留拍子を踏む。 流儀によっては、《白頭》の場合、 最後の一句をはぶく。 マ流儀によっては、《白頭》の場合、 シテが走り入り、「残リ留」となる。 塚 黒 けて責めかけ責めかけ、祈り伏せにけりさて懲りよ ( シテが じゅず 常座へ下がると、ワキは走り寄ってシテを数珠で打ち伏せる。シテは安座 して面を伏せる ) 。 シテは「今まではさしもげに」と謡いながら、打杖を捨て、扇 を開いて持つ。ワキ・ワキツレは脇座に着座する。地謡となる と、シテは立ち、地謡に合わせて舞い、三ノ松で留める。 シテ气今まではさしもげに、 地謡气今まではさしもげに、怒りをなしつる鬼女なるが ( 立 3 、 まなこ てんち 一 0 たちまちに弱り果てて ( 正面へ出る ) 、天地に身をつづめ眼 すみ くらみて ( 下を見つめ、角で小さくまわり、扇を面に当てる ) 、足もと ただよめぐあだちはら はよろよろと ( うしろへ下がる ) 、漂ひ廻る安達が原の ( 飛びまわ って膝をつき、作リ物へ向く ) 、黒塚に隠れ住みしも ( 作リ物を見あけ は・つ る ) 、あさまになりぬあさましゃ ( 立ち、ワキへ数歩出る ) 、恥か しのわが姿やと ( 扇で面を隠す ) 、言ふ声はなほものすさまし よあらし く ( 角へ行く ) 、言ふ声はなほすさましき夜嵐の ( 舞台をまわって まぎう おと 橋がかりへ行く ) 、音に立ち紛れ失せにけり ( 三ノ松で飛び返って膝 一四※ をつく ) 、夜嵐の音に失せにけり ( 立ち、留拍子を踏む ) 。 鬼女はすっかり弱り、よろよろとさまよ い歩いた末、すさまじい恨みの声を残し て、夜嵐とともに消え失せてしまった。 鬼女「いやまったく、今まではあれほどま 地謡「いやまことに、今まではあれほどまで に、たけだけしく振舞っていた鬼女であ るが、たちまちに弱りぎってしまって、 天地の間に身を縮めて小さくなり、目は くらんで足もとはよろよろと、あたりを さまよいめぐり、『安達が原の黒塚に隠 れ住んだのもあらわになった。あさまし いこと、恥ずかしいわが姿よ』と、言う 声はなおもすさまじくあたりに聞こえ、 すさまじい声はあたりに響いていたが、 ものすごい夜嵐の音に、それはまぎれて しまい、姿も夜の闇の中にまぎれて見え なくなった、夜嵐の音とともに、声も姿 もなくなってしまったのであった。 ふるま 四一七
ワキが子方を打っ場合、実際には 扇で棹を叩くことによって表わして = 声を立てさせないために、綿を 口にかませてあって。 三※下掛系は「叫べど声の出でばこ 一三※以下六行、下掛系はせりふが 多い シテ「ああらいとほしの者や、やが て連れて帰らうするぞ心安う思ひ シテは子方へ声をかけ、子方を着座させて立ち、中央へ行く。 候へ。 ワキはシテヘ声をかけ、問答となる。シテは「命を取るとも」 ワキ「これは舟路の門出にて候ふに、 とワキの前へ行きすわりこむ。ワキ・ワキツレは大小前へ行き、 何とて聊爾なることをば承り候ふ 着座して問答をする。問答がすむと、ワキは脇正面へ行き、ワ ぞ。 シテ「さきに申すごとく、これは自 キツレは脇座へもどり着座する。 然居士といへる説経者なるが、説 一三※ふびん 法を破りこれまで参りて候。このシテ「あら不便の者や、連れて帰らうずるそ心安く思ひ候へ。 幼き者を賜り候へ。親類の方へ 返したう候。 ワキ「なう自然居士舟より御下り候へ。 ワキ「居士のこれまで御出 = でにて候 ふほどに参らせたくは候へども、 シテ「この者を賜り候へ。小袖を召され候ふ上は返し賜らうず われらが中にかたき大法の候。 シテ「その御ご法は候齲。 以下、ワキの「人を買ひ取って」に続るにて候。 く形になる ( 現行喜多流 ) 。 せうし 医困ったこと。 ワキ「参らせたくは候へどもここに笑止が候。 自然居士 なんちとが も汝が科そとて、艪櫂をもってさんざんに打っ ( ワキは子方こしもないのに。 自然居士「そちらのおまちがいであるとはち を打っ ) 。 っとも申していない。そんなことはとも むな かく、先ほどの小袖はお返し申す。と言 シテ「打たれて声の出でざるは、もし空しくやなりつらん。 った後、舟と離れてしまってはなるまい もすそ ふなばた と、裳裾を波にひたしながら、舟端に取 ワキ气何しに空しくなるべきと、 りついて舟を引き留める。 シテ气引き立て見れば ( 子方〈走り寄 0 て膝をつき、子方を立たせて見つ人商人甲「ああ腹が立っことだ。しかしなが ら、衣をつけた僧の姿にはばかられて打 める ) 、 っことはできないので、これもおまえが 悪いのだと言って、艪や櫂でもってさん ワキ气身には繩、 ざんに女を打つ。 地謡口には綿の轡をはめ、泣けども声が出でばこそ ( ュウケン自然居士「打たれても声が出ないのは、ある いは死んでしまったのかしら。 扇をする ) 。 人商人甲「どうして死ぬことがあろうそ、 自然居士「と言うので、引き立てて見たら、 なわ 人商人甲 ( 居士 ) 「女の身には繩、 地謡「ロには綿がかませてあり、そのため、 泣くけれど声がまったく出ないのだ。 自然居士の女児を返してくれという要求 に対し、人商人はいったん買い取ったも のは返さぬのがきまりだと言う。居士は 自分のほうのきまりとして、ふたたび庵 室に帰ることができないから、このまま おくむつ 連れ立って奥陸奥まで行こうと言う。命 を取るぞとおどしても居士が動じないの で、人商人はすっかり困って、居士をな ぶりものにした後に返すことにする。 じ じ なは わたくつわ ろかい おんノ うへ こかた
たなばた ひとよ 「 ( もろき ) 露」の序とした。一六牽牛地謡气かの七夕の契りには、一夜ばかりの狩衣、天の川波立なこと、いや、不吉なことを言ってしま 織女一一星の袖。一七水のほとりに生 った、あの方の命は末長いことなのだ。 うきふね あふせ える草。「天の川」に生えているとさち隔て、逢瀬かひなき浮舟の ( 正面〈少し出る ) 、梶の葉もろそれにしても秋の夜長、この月のもとで 一六 れていた。参考「天の川水陰草の秋 そで っゅなみだ ふた はとても寝ることができないので、さあ 風になびかふ見れば時は来にけり」 二つの袖やしをるらん ( 中央へ き露涙 ( まわって地謡座前へ行く ) 、 ( 万葉一一 0 一三、続古今・秋上山辺赤 さあ衣を打っことにしよう。 み・つかげぐさ 人 ) 。入水の泡。「打ち」と頭韻。 地謡「あの七夕の契りにおいては、二つの星 出る ) 、水陰草ならば、波打ち寄せようたかた ( 水辺を見まわし、 一九「八月九月正長夜、千声万声無ニ は一年に一夜だけのかりそめの出逢い 了時こ ( 和漢朗詠集・擣衣白楽天 ) 扇を開く ) 。 天の川の波が立ち隔てて、逢うかいもな に基づく。 おうせ 十前注の詩句は、以下に記す『白氏 ふづきなぬかあかっき いつらい逢瀬、もろくも落ちる梶の葉の 文集』巻十九「夜ノ砧ヲ聞ク」の第三シテ气文月七日の暁や ( 上ゲ扇をする ) 、 露のような涙によって、二つの星の袖は ・四句である。「誰たガ家ノ思婦カ秋 まさ せんせいばんせい はちげッキうげつ しおれることだ。天の川原に生える水陰 帛ヲ擣。ツ、月苦カ = 風凄さシク地謡气八月九月、げに正に長き夜 ( 正面先へ出る ) 、千声万声の、 草よ、『水掛け』という名があるのなら、 砧杵悲シム、八月九月正ニ長キ夜、 か・せけしき 千声万声了やム時無シ、応ニ天明ニ 憂きを人に知らせばや。月の色風の気色 ( 月を見あげる ) 、影泡とともに波打ち寄せて、二つの星を逢 到ラバ頭尽ク白カルペシ、一声 すごをりふし わせておくれ。 添へ得タリ一茎ノ糸」。この詩の第 に置く霜までも ( 角〈行き、扇をかざして霜を見る ) 、心凄き折節妻「それは七月七日の暁のこと、 一・二句も『和漢朗詠集』擣衣に採ら れているが、その部分はまさに謡曲 に ( まわ「て脇正面〈行く ) 、砧の音夜嵐 ( 音を聞く ) 、悲しみの声 ( 妻一「八月九月ともなれば、まことに秋の夜 「砧」の発想と同じであるといえるで 長、その長い夜に打っ千度万度の砧の音 あろう。 によって、このつらい思いをあの人に知 虫の音 ( シオリをしながら砧の前へ行く。ツレも立って砧へ寄る ) 、交 十「月の色」「風の気色」「影に置く らせたいもの。月の色、風のけはい、月 霜」は、目に見える「無色」の晩秋の なみだ 景物。 りて落つる露涙 ( シテ・ツレは砧を間にして膝をつく ) 、ほろほろの光に映える霜までもがそっとするほど ニ 0 月光。 おと 心さびしい折しも、砧の音、夜嵐の音、 十「砧の音」「夜嵐」「悲しみの声」 いづれ砧の音やらん はらはらはらと ( シテ・ツレは砧を打っ ) 、 悲しみのあまり忍び泣く声、虫の音、こ 「虫の音」は、耳に聞こえる悲愁を列 れらが入り交じって、露も涙も乱れ落ち 挙したもの。 ( 面を伏せる ) 。 流儀によっては、砧を打っ時に、 て、ほろほろはらはらはらと、いっこい 小道具の特殊な叩き棒を用いる。 ツレは正面先へ出て、シテヘ向いて膝をついて声をかける。シ どれが砧の音かしら。 流儀によっては、正面先に置かれ テの〈クドキ〉があって、地謡となると、ツレはシテを立たせ、 た砧をシテのみが打つ。 都よりの便りで、今年の秋もまた夫の帰 シテを先にして橋がかりへ行く。シテは中入し、ツレは三ノ松 , 「いづれ砧の音やらん」で、シテが らぬことを知り、妻はまったく望みを失 でシオリをする。地謡がすむと、ツレも入る。 ツレを見つめる演出もある。流儀に って心が弱り、病気になって、枯野の虫 後見が砧の作リ物を正面先に置く。 よっては、シテはシオリをする。 かりごろもあまかはなみ かち たなばた 小た
謡曲集 すいゅ 一「雨の足」の成語があるので、「雨 荒廃していることを述べる。 の雨の、足をも引かず騅逝かず、虞いいかがすべき便りも しようしよう の」を受ける。ニ「騅」は項羽の愛馬。 せうしざうらふ 宮守「名勝瀟湘の夜の雨のように、雨はし 「有ニ美人一名虞、常幸従、駿馬名騅、 なし。あら笑止や候。 ( ワキは脇座に着座する ) 常騎レ之、於 / 是項王乃悲歌伉慨、自 きりに降っており、煙寺の晩鐘にたとえ たいまっ 為レ詩日、カ抜レ山兮気蓋レ世、時不 るべき遠い寺の鐘の音も聞こえて来ない。 〔アシライ〕の囃子でシテの宮守登場。右手に松明を持ち、左 レ利兮騅不レ逝、騅不レ逝兮可二奈何一 社や寺というものは、深夜の鐘の声やお 手に傘をさす。一ノ松に立って、松明を振って、謡い出し、 虞兮虞兮奈ニ若何こ ( 史記・項羽本紀 ) 燈明の光などによってこそ、なんとなく 〈サシ〉の終りに、舞台に入り、常座に立つ。 に基づく。貫之の乗馬が伏して進ま なくなったので、項羽の故事により、 神々しい感じがして心も澄みきるもので 〔アシライ〕 その詩の一節を用いて、「騅逝かす、 あるのに、この社前を見ると燈明もなく、 四 かぐら 虞いいかがすべき」とし、「便りもな せうしゃうよる ゑんじ 神慮を慰める神楽の声も聞こえない。 し」に続けたもの。馬が動かず、どシテ气〈サシ〉瀟湘の夜の雨しきりに降って、遠寺の鐘の声も うにもなすすべがない、の意。なお、 『神は宜禰が習わし』と申すのに、宮守 なに みやてら ・ことう しんや六※ 「虞い」の「い」は漢文訓読語に用いら聞えず。何となく宮寺は、深夜の鐘の声、御燈の光なんど が一人もいないとは、なんとしたことた。 れた強意を示す格助詞か。 かみ しやとう ともしび いやいや、たとえお燈明は暗いにしても、 流儀によっては、シテは長柄傘社 にこそ、神さび心も澄みわたるに、社頭を見れば燈もなく を持つ。 まさか神のご威光が暗いということはあ 九きね 流儀によっては、シテは二ノ松で るまい。なんと怠慢な宮守どもであるこ ( 松明をかかげて社頭を望む ) 、すずしめの声も聞えす。神は宜禰 謡い出す。 と。 みやもり 一 0 ※ 三中国湖南省にある洞庭湖付近の名 が習はしとこそ申すに、宮守ひとりもなき事よ。よしよし 勝。「瀟湘の夜雨」は、瀟湘八景の一。 貫之が声をかけ、困っていることを述べ ・ことう 四瀟湘八景に「煙寺の晩鐘」があるの わくわう ぶさた ると、宮守は、この蟻通の明神の社地を で、それに基づく表現。もとより、 御燈は暗くとも、和光の影はよも暗からじ。あら無沙汰の 下馬せずに通ろうとしたことを慨嘆する。 前項とともに文飾である。五ここ 火の光で見れば、なるほど鳥居や神殿が では、宮や寺、の意。なお下掛系は 宮守どもや ( 常座に立ち、松明をかかげる ) 。 あった。知らなかったこととはいえ、ま 「宮寺には」。六※下掛系は「鈴の声」。 七神々しい感じがして。 ^ 神慮を ことに恐れ多いことであった。 ワキは脇座に立ち、シテに問いかけて問答となる。掛合いの謡 慰める神楽などの声。九神の威 があって、地謡となると、シテは地謡に合わせて舞台をまわり、 貫之「もうし、その火の光をたよりに、おう 光は、奉仕する神官のやり方でどの 常座で松明と傘を後見に渡した後、中央へ行き着座する。 力がいしたいことがあります。 ようにもなる、という意のことわざ。 一 0 ※下掛系は「見えぬ事よ」。 = 「和 宮守「このあたりにはお宿もない。もうすこ ワキ「なうなうその火の光について申すべき事の候。 光同塵」の略 ( ↓九一ハー注一五 ) 。ここ し先へおいでなさい。 やど さき は神の威光の意。三※下掛系は「曇 。貫之「この暗さでは行く先も見えないし、そ シテ「このあたりにはお宿もなし。今すこし先へお通りあれ らじ」。一三怠慢。一四「火」は松明 の上乗っている馬までが倒れ伏して、ど さき 。松明の光から人のいることを知 0 て、声をかけたのである。一 = 社ワキ「今の暗さに行く先も見えず、しかも乗りたる駒さへ伏しうしてよいかわからなくなっているので あめ はやし こま やしろ ありどおし えんじ
ちゃうがせッしやとくだい 白牛に乗り、衆生を害する一切の毒キへ打杖を振りあげ、小袖の前へ出、膝をつき、立っ ) 、聴我説者得大であること。 蛇悪龍を屈伏させるという。 地謡「もはやこれまでそ、この怨霊はこ ちゑ ちがしんしやそくしんじゃうぶつ ^ 五大尊明王の一。北方を護り、一智慧 ( ワキへ打ちかかる ) 、知我心者即身成仏 ( 常座へ下がり、安座 の後ふたたび来ることはすまい 面四臂または三面六臂で、五鈷杵 ( 煩悩を破砕し、菩提心を表わす金する ) 。 このような小聖の祈りによって、怨霊は ぼさっ 属性の法具 ) ・箭や・剣・鈴・弓・輪 心なごみ、これを救おうと菩薩も来現し はんにやごゑ などを持ち、悪魔を降伏する。 て、怨霊は成仏の身となっていった。ま シテ「 ( 打杖を捨て、両手で耳をふさぎ ) やらやらおそろしの、般若声 九五大尊明王の一。中央に配せられ ことにありがたいことである。 る。「大聖」は尊号。密教の本尊大日 如来の、一切の悪魔を降伏するためや ( ワキは中央に膝をついてシテを見つめる ) 。 地謡「行者の不動明王その他に祈る声を聞く に忿怒の相を表わしたものとされる。 をんりゃう 時には、行者の祈りの声があたりに流れ 右に降魔の剣、左に縛 3 の繩を持地謡これまでそ怨霊 ( ワキを見つめる ) 、この後またも来るまじ たので、悪鬼さながらの御息所の怨霊は ち、背に火炎を負う。 ぼさっ 一 0 不動明王に祈る呪文の続き。 ( 扇を取る ) 。 心をなごませ、それを救おうとして菩薩 注ニ。 も、忍辱の心をもった慈悲深いお姿で、 = 不動明王の衆生を救う誓いの偈。 ワキは地謡座前に着座し、シテは扇を持ち、地謡に合わせて舞 ここに現われ出ておいでになる。かくて その四か条のうちの二か条。「我が 、常座で留める。 説を聴く者は大智慧を得、我が心を 怨念を断ち悟りを開いて、成仏の身とな どくじゅ 知る者は即身成仏せん」と訓読でき ってゆくことはありがたいこと、怨霊は 地謡气〈キリ〉読誦の声を聞く時は ( シテは立つ。ワキも立ち、地謡座 る。↓四一六ハー注八。 成仏する身となっていったのである、ま あッきこころやは 三※現行観世流は「あらあらおそろ 前へ行き、着座する ) 、読誦の声を聞く時は、悪鬼心を和らげことにありがたいことだ。 しの」。 にんにくじひ 一三「般若」は知恵の意の梵語。最高 の真理の認識をいう。「般若声」は知 ( 扇をひろげ、ユウケン扇をする ) 、忍辱慈悲の姿にて ( 足拍子を踏む ) 、 一セ 徳に満ちた仏の声。ワキによってと らいげん じゃうぶッとくだっ なえられた呪文などをさすのであろ 菩薩もここに来現す。成仏得脱の ( まわって常座へ行く ) 、身と 一四怨霊 ( 御息所 ) の内部に存してい なり行くそありがたき ( 正面へ合掌する ) 、身となり行くそあ た悪鬼。そのため、怨霊は悪鬼の姿 となっていた。 りがたき ( 留拍子を踏む ) 。 一五忍辱の心をもった慈悲深いお姿 で。「忍辱」↓一一三一ハー注一七。 一六※現行観世流は「来迎す」。 一七深い怨念を断ち、悟りを開いて、 激しい嫉妬・憎悪の迷いの世界を離 脱した身。 葵上 のち きた
謡曲集 もののふぜんご 一鳥の声は暁方に男女の別れを告げワキ武士前後を囲みつつ ( 輿舁・従者はシテのうしろに立 3 、これ盛久「かねて覚悟していたことなので、左手 ねんず 知らせるものとされている。ここは には金泥のお経、右手には念珠を持ち、 この世からの別れであるが、これも も別れの鳥の声、 この命も今が限りであるから、これこそ 同じく「別れの鳥の声」である、の意。 - こオ しののめ 現行観世流は「これぞ別れの鳥の声」。 この世からの旅立ちの場であると、処刑 シテ气鐘も聞ふる東雲に、 ニ暁の鐘の音も、「別れ」を知らせる の場へと弱々しい足取りで出かけて行く。 らう ものであった。 土屋「武士どもが盛久の前後を囲んで、男女 ワキ气牢より牢の輿に乗せ ( ワキはシテヘ向いて数歩出る ) 、 三動詞「聞ゅ」は、当時、ハ行下一一段 活用とも考えられていた。「聞ふる」 みぎは の別れを告げるのではないが、この世と シテ气由比の汀に、 はその連体形。 の別れを知らせるのだからこの鳥の声も 四鎌倉の海岸由比が浜。鎌倉幕府の 『別れの鳥の声』であり、 処刑場であった。 ワキ气急ぎけり ( ワキは笛座前へ行く ) 。 盛久「島の声ばかりか鐘の音も聞こえて来 ゅめち あけぼの る夜明け方に、 地謡气〈次第〉夢路を出づる曙や、夢路を出づる曙や ( シテ・輿舁 ろう 土屋「牢の中から引き出して、盛久を牢輿に かどで は常座へ行く ) 、後の世の門出なるらん ( ワキは脇座に立ち、従者は 乗せ、 盛久「由比が浜にと、 地謡座前に着座する。シテは常座に立つ。輿舁は切戸口より退場する ) 。 土屋「急いだのであった。 すみ 地謡 ( 盛久 ) 「夢から覚め出ると明け方であった、 ワキの謡があって、シテは角へ行き、着座して経巻を開く。従 たち そしてこの夢から覚め出た明け方が、後 者は謡いながらシテのうしろへまわり、太刀を振りあげ、その 太刀をシテの前に投げ捨て、切戸口より退場する。掛合いの謡 の世へ向かうための門出なのであろう。 があって、地謡に続く。地謡の終りに、シテは立って後見座へ 由比が浜で、いざ処刑という時、太刀取 行き〔物着〕となる。 りの持っ刀は二つに折れてしまった。ま ざしき しきがはし ねびかんのんりきとうじんだん さしく、観音経の「念彼観音力、刀尋段 ワキ气さて由比の汀に着きしかば、座敷を定め敷皮敷かせ、 だんね 五※ 段壊」が具現したのだ。このことが伝わ はやはやなほ 五※下掛系は「直り給へ」。 ( シテヘ向いて ) 早々直らせ給ふべし。 、鎌倉殿頼朝公よりお召しがあり、盛 久は参上した。 流儀によ「ては、「盛久やがて」で、シテ「盛久やがて座に直り ( 角〈行き着座する ) 、清水の方はそなた シテは中央へ行き着座する。 土屋「さて由比が浜に着いたので、座を定め くわんノん て敷皮を敷かせた後、『さあ早くおすわ そと、西に向ひて観音の、御名を唱へて待ちければ ( 経巻を りなさいませ』と言えば : ・・ : 。 開く ) 、 盛久「盛久はすぐに着座して、清水寺の方角 のち カこ こし こしかき こんで
ニ※下掛系は「松風も」。繰返しも同 じ。 三宇宙の万象の真実の相。不変の理 法。 四※下掛系は「かの御経を読誦する」。 ただし、繰返しは「この : ・」。 《白頭》の場合は、後シテは白頭 しをつける。 《白頭》の場合は、シテが登場して 一ノ松に立っと、ワキが謡い出す。 謡曲集 一「 ( 絶え絶えの ) 行方」と掛詞。 , シテが棹を持って中入する演出も ある。 四〇〇 いくへ ぬえ がかりへ行く ) 、幾重に聞くは鵺の声、おそろしやすさましや、縁であるからというわけで、 舟「時も時、今宵に、 あらおそろしやすさましゃ ( 中入する ) 。 地謡「今はこの世に亡き人に、出逢ったこ すみ とである、と言ううちに、 最前のアイが常座に立ち、ワキの僧を見舞おうと述べて、角へ 舟「この者は棹を取り直して、空舟に、 出てワキの僧の姿を見つける。アイは中央に着座して、ワキの 地「乗るかと見えたが、 尋ねに応じ、幀政がを殺した時のことを語り、への供養を 舟「夜の波の上に、 勧めて狂言座に退く。 ワキは着座のまま〈上歌〉を謡う。 「浮きっ沈みつ、見えたり隠れたりし ニ※ 三 て、その行くえはほとんど見えなくなり、 みのり うらなみ みなじッさう ワキ气〈上歌〉御法の声も浦波も、御法の声も浦波も、皆実相とぎれとぎれに幾度となく聞こえるのは 四※おんきゃうどくじゅ 鵺の声、恐ろしいことものすごいこと、 の道ひろき、法を受けよと夜とともに、この御経を読誦す ああ恐ろしいことものすごいこと。 る、この御経を読誦する。 所の者がふたたび登場して、僧の求めに 応じて、幀政の退治のことを語り、 はやし 〔出端〕の囃子で、後シテのが登場し、常座に立ってワキへ の亡霊への供養を勧める。 合掌する。ワキは脇座に立ち、シテヘ合掌して謡い出す。掛合 僧は、この海辺で読経して供養する。 いの謡があって、地謡となると、シテは舞台をまわる。ワキは 旅僧「お経を読む声も岸辺の波も、読経の声 脇座に着座する。 も打ち寄せる波の音も、みな万物に備わ る真実の相のあらわれである、その真実 〔出端〕 の道を広く示している仏法を受けて成仏 五『中陰経』にあるとされている句。 いちぶつじゃうだうくわんけんふかいさうもくこくどしツかいじゃうぶつ するようにと、夜を通して、このお経を 訓読すれば、「一仏成道して法界をワキ「一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏。 観見せば、草木国土悉く皆成仏せ 読むことだ、このお経を読むことである。 うじゃうひじゃうかいぐじゃうぶつだう ん」。一仏が悟りを開くなら、よ、ド をヨシテ气有情非情、皆共成仏道。 の亡霊が現われ、その供養に感謝する。 情の草木もみな成仏できる、の意。 、・ノ、′、こ ~ 、′」しつかいじよう いちぶつじようどうかんけんほうかい 旅僧「『一仏成道観見法界、草木国土悉皆成 六訓読すれば、「皆共に仏道を成ぜ ぶつ ワキ气頼むべし。 ん」。 仏』。 セ釈迦が涅槃に入った時に集まった 鵺「心あるものも心なきものも、皆ともに 五十一一種の生類 ( 涅槃経・序品 ) 。一切シテ气頼むべしゃ。 成仏するであろう。 の生類の意。 どうしゃう ^ 悟りの境地。 地謡气五十一一類も ( 足拍子を踏む ) 、われ同性の ( 角〈行く ) 、涅に旅僧「仏のお力に頼もう。 ごジふにるい のり ぬえ ね ^ ん
シテは地謡に合わせて舞い、三ノ松へ行き、留める。 明王諸天ばかりか、山王権現はじめ神々 が現われて、神風によって善界坊を吹き みやうわうしょてんナ 払われたので、彼はカ尽きて、今後、仏 シテ气明王諸天は、さて置きぬ ( 足拍子を踏む ) 、 カ神力の盛んな日本にはもはや来るまい 地謡气明王諸天はさて置きぬ ( 正面へ出る ) 、東風吹く風に、東 と言う。その声のみ聞こえて、やがて姿 は雲の中に見えなくなってしまった。 を見れば ( 脇柱のほうを見あげる ) 、 善界坊「明王や諸天はともかくとして、 さん / うごんげん 地 3 「明王やもろもろの天部はそれはそ 一 0 比叡山の守護神。滋賀県大津市シテ「山王権現、 坂本にある日士品神社に祭る。 れとして、東から風が吹くので東のほう = 京都府綴喜郡八幡町にある石清地謡气南に男山 ( 右〈まわ 0 て常座〈行く ) 、西に松の尾、北野や賀を見たところ、 水し八幡宮。 善界坊「山王権現が、そしてさらに、 三京都市右京区にある松尾神社。 茂の ( 正面〈数歩出る ) 、山風神風 ( 正面先〈行きかかる ) 、吹き払へ地謡「南には男山の八幡、西には松の尾 一三京都市上京区にある北野天満宮。 ( 善界坊 ) ひぎゃう つばさ 一四京都市北区にある上賀茂神社と の明神、北には北野の天神や賀茂の明神 ば ( 右まわりにまわる ) 、さしもに飛行の ( そり返る ) 、翼も地に落 左京区にある下鴫神社と。 と、これらの神々が山々から吹き下ろす ( いゆみ 一五※下掛系は「神風松風」。 風に乗じて現われ、神風によってお吹き 一〈「 ( 力も ) 尽き」と掛詞。「槻弓の」ち ( 角を向いて飛びあがり、安座して両手をつく ) 、力も槻弓の ( 立ち、 は「矢」の音を含む「八洲」の序。 払いになったので、あれほどまで飛行自 やしま一八 一七日本国の別称。 一ノ松〈行く ) 、八洲の波の、立ち去ると見えしが、また飛び在であった天狗善界坊の翼も地に落ち、 一 ^ 「立ち」の序。 力も尽きて、この日の本から立ち去るか 来り ( = ウケン扇をしながら舞台へもどる ) 、さるにても、かほど と見えたが、また飛び帰って来て、それ ぶッりきしんりき に妙なる、仏カ神力 ( 中央へ出て着座し、両手をつく ) 、今より後にしても、これほどまでにすぐれた仏カ と神力、これにはとても対抗でぎない、 は、来るまじと ( ワキを見つめ、立っ ) 、言ふ声ばかりは、虚空今より後は絶対に来るまいと、言う声だ 一九※ けは空に残り、その声だけは大空に残っ に残り ( 正面先へ出て左袖を巻ぎあげる ) 、言ふ声ばかり、虚空に て、姿は雲の中に入って、見えなくなっ たのであった。 残って ( 三ノ松〈行く ) 、姿は雲路に、入りにけり ( 足拍子を踏み、 羽団扇をうしろに投げ捨て、飛び返って左袖をかすき、留拍子を踏む ) 。 一九※下掛系は「言ふ声ばかりは」。 , 《白是界》の場合は、「残リ留」とな る。 善界 すみ ナ こち ひがし 四七三 さんのうごんげん
^ ※下掛系は「名をも弔ひ」。 九※下掛系は「妙文の」。 一 0 声を出して経を読み、仏名をと なえて仏事をすること。 = 生死流転する六道の世界。 三※下掛系は「離れて」。 一三迷いのない真実の本性に帰り、 赴ぎ行く極楽浄土。 一四「 ( 恨みを ) 言ふ」と掛詞。 一五「 ( 声を ) 上げ」と掛詞。 一六功徳。 一七心の迷いから物事に執着するこ 一 ^ 遠慮がちながらも。 一九この場にふさわしい調子。 山姥 いッきよく の妙花を開く事、この一曲のゆゑならずや。しからばわらむ女であるなら、わたくしの身の上と同 九※ めうおん とむら じではありませんか。長い年月、曲舞と おもて はが身をも弔ひ、舞歌音楽の妙音の、声仏事をもなし給は して表に出してお謡いになっているのに、 りんネ きしゃうぜんしょ その主人公である山姥そのものについて、 ば、などかわらはも輪廻を遁れ、帰性の善所に至らざらん ほんのすこしもお心におかけなさってい あげろやまンば ないことを、お恨み申すために来たので と、恨みをタ山の、鳥獣も鳴き添へて、声を上路の山姥が、 おうぎ れいき ある。あなたが芸の道の奥義をきわめて 霊鬼これまで来りたり ( ツレヘ向く ) 。 名を上げ、世間の人々の間にあらゆる徳 望を得て、すばらしい花を咲かせたとい ツレ气ふしぎの事を聞くものかな ( シテは正面を向く ) 、さてはま うことは、この山姥の一曲のためではな やまンば いか。それならわたくしの身をも弔い ことの山姥の、これまで来り給へるか。 妙なる舞歌音楽によって、供養をもなさ めぐ ぎた けふ シテ「われ国々の山廻り、今日しもここに来る事は ( ツレヘ向く ) 、 るべきである。そうしてくたさったなら、 りんね わたくしも輪廻をのがれて、迷いのない わが名の徳を聞かんた第第 真実の本性に帰って赴く極楽へ、どうし て至り着かぬことがあろうそと、恨みご めなり。謡ひ給ひてさ とを言えば、夕暮れの山の鳥や獣も同情 して、ともどもに鳴声を立て添えている。 りとては、わが妄執を 上路の山の山姥の霊魂が、これここに現 晴らし給へ。 気われて来たのである。 の 遊女「これはまた、ふしぎなことを聞くもの 山 ツレ气この上はとかく辞 , の であること。さてはまことの山姥が、こ テ こまでおいでなさったのか。 しなばおそろしゃ ( シテ 山の女「わたくしが国々の山々を廻って、今 は正面を向く ) 、もし身 日という〈マ日ここに来たということは、 あ わが名の功徳を聞こうがためである。曲 のためや悪しかりなん 舞をお謡いになって、どうかわが執念を 晴らしてくださいませ。 と、憚りながら時の調 五〇九 めうくわ イふやま まうシふ 一九 とりけだもの のが こゑぶつじ たえ おもむ