る狂女は心からの狂いである。 徴である。笛・小鼓・大妓・太鼓で演奏され、 一段か二段である。〔舞働〕には、力強い神 おそ の力を示すものと、相手に対して襲いかかる さまを表わすものとある。必ず後場で演ぜら れる。単に〔働〕ともいう。 まえおりえ・ほし 前折烏帽子 ( 装 ) 直立した大型の烏帽子の前 まけしゆらおうぎ 方を折ってすこし前に曲げたもの。「道成寺」負修羅扇 ( 作 ) 金地に波濤に沈み行く太陽を描 さねもり まっしゃずきん ただのり きよっね ほとけのはら く。「忠度」「実盛」「清経」などの修羅物の末社頭巾 ( 装 ) アイの末社神・仙人の用いる半 「仏原」のシテのように、舞を舞う白拍子が おんなくせまい 用い、また、「百万」のシテのような女曲舞、 後シテで敗死していった者たちが持つ。また、円形の頭巾である。↓田一一一〇ハー写真。 しようくんぬえ まったちき あるいは遊芸人化した物狂物の狂女たちが用「昭君」「鵺」「黒塚」などの鬼畜物の後シテ松ノ立木 ( 作 ) 「松風」「羽衣」などで正面先に かしわざきみなづきばらい かもものぐるい いる。↓「柏崎」「水無月祓」「加茂物狂」。異もこの扇を持つ。黒骨で、表裏とも同じ図柄置かれるもので、白布で巻いた立木台に松が げんじくよう である。 例なのは「源氏供養」の後シテの紫式部の霊 一本立ててある。「羽衣」の場合は、この松 まごじろう であるが、この場合も、ワキに求められて孫次郎 ( 装 ) 若い女性を表わす面。頭髪の毛書に天人の衣を表わす長絹をかける。観世流で おんなくせまいふんそう まゆ は、「松風」は丸台、「羽衣」は角台であるが、 〈クセ〉を舞っているので、女曲舞の扮装のきは、中央から眉の下あたりまでが一一本で、 こおもて 影響を受けたのであろう。 そこから乱れて四本になっている小面に比流儀によって異なり、定まっているとはいし まくら 枕 ( 作 ) 幅四寸五分 ( 一四代ン ) 、長さ一尺二寸べると、それだけ老けた感じである。歯は上がたい。また、松ノ立木にさらに藤の花房を どんす だけにあり、耳はない。金剛流で若い女性を飾りつけたものが「藤」で用いられる。なお、 ( 三六 ) 、高さ四寸 ( 一二代ン ) ほどの箱を緞子で まくらじどう 「高砂」《作物出》《八段之舞》で用いられる松 包んだもの。「邯鄲」「枕慈童」などで用いる。表わす場合に用いる。 まゆ まくらおうぎ ますかみ 枕ノ扇 ( 型 ) 開いた扇を左手に持って顔を隠十寸髪 ( 装 ) 頭髪の毛書きは大きく乱れ、眉をノ立木は、まわりに竹垣をめぐらして松を立 しわ し、仮眠をしている姿。恥ずかしさで身を隠寄せて皺を作り、額に大きなくぼみが二つあてる。 まねおうぎ したいような状態、あるいは、水中に姿を隠り、頬にも小さいえく・ほ状のく・ほみをもっと招キ扇 ( 型 ) 開いた扇の要のところを右手で持 てのひら してゆくことなどをも表わす。なお、ワキが いった特異な表情の面で、神がかりして〔神って、掌を内側にして扇を立てるように肩の 仮寝する場合は、扇を閉じて左手に持ち、扇楽〕を舞う巫女や、狂気の若い女性などが用あたりに上げ、扇をすこし手前に引くように 、わゆした後、肘をのばして扇を前に押し出す型。 いる。歯は上だけにあり、耳はない。し の先をこめかみのところにつけるようにして もみじがり 扇を持っていない左手もともに同じ型をする 面をすこし左へ傾ける。↓「紅葉狩」。 る狂女は正気にもどり得るが、十寸髪を用い 五六九 付録 ( 用語一覧 ) かんたん ほお ふ かなめ
ぎよっねうんりんいんもちづき とりおいぶねよし る。「清経」「雲林院」「望月」「鳥追舟」「吉 いるもので、白布を巻いて作った台に紅緞で主体をおいて表現されているが、他の一つは、 のしずか えぼしおり 飾りをつけ、直径一尺 ( 三〇ほどの円い板鼻の下、ロの下、あごに荒く植毛されていて、野静」「烏帽子折」などのワキがそれで、武 ぎんく に銀置を置いて鏡としたものを取り付ける。 乞食とはなっても平家の侍大将であった景清士もいれば、一般の男もいる。ワキの場合は、 楽 ( 囃 ) 舞楽の感じを表わすゆったりとした舞の強さが失われていないものとして表現されほとんどが笠をつける旅人である。なお、笠 とうじんあくじよう で、唐人や悪尉の面をつけた神などエキゾ ている。前者は主として観世流・金剛流で用を用いない「梅」のワキも旅人であるから、 ワキの掛素袍姿は旅行者を表わしているとい チックな風格をもったものに用いる。笛・ いられ、後者は宝生・金春・喜多の三流で用 しまがら あたか むじのしめ 鼓・大妓・太鼓で演奏するのを原則とするが、 いられている。また、前者は無地熨斗目の着ってもよい。なお、縞柄のものを「安宅」の すおうかみしも みずごろも シテが用いることもある。↓素袍上下 例外として太妓の入らないものもある。↓ 流の上に水衣をつけて作リ物の中に着座して おうしぎちょう ふじだいこ しようぎ しろおおくち 「富士太妓」。五段に舞い、笛は黄鐘調を基調 いるが、後者では白大口をつけて床几に腰を ばんしきがく とするが、《盤渉楽》の小書によって盤渉調かけている。歯は上下にあるものと、上だけ で演奏する場合もある。 にあるものとがある。耳はあるものとないも 神楽 ( 囃 ) 豊かなリズムをもった雅びやかな感 のとがある。 かけすおう かみしろおおくち じの舞である。笛・小妓・大鼓・太妓で奏せ掛素袍 ( 装 ) 素袍の上を白大口をつけた上には られる。小鼓が神楽特有の譜を奏し、女体の おって腰帯をしめた場合を掛素袍という。文 かしろおおくち 小けひたたれ かみしも 神または神がかりの巫女が舞う。五段に舞い 様は素袍上下のように総文様ではなく、上方掛直垂 ( 装 ) 直垂の上を白大口をつけた上には そで おって腰帯をしめた場合を掛直垂という。文 前半の三段は純粋の神楽の部分であるが、後が無地で袖や身頃の下半分の地色を変えて、 そで 半の一一段は神舞的部分となるのが定型である。やや大きめの文様を染め出していることが多様の上では、袖や身頃の下半分の地色を変え 神楽の部分は幣を持って舞い、神舞的部分は く、必ずしも素袍上下の上を転用するというて文様を染め出すことが多く、必ずしも直垂 の上を転用するというわけではない。身分の 扇を持って舞う。五段すべてを純粋の神楽でわけではない。白大口を着用することによっ さむらいえ 低い武士が正装した姿を表わしている。侍烏 舞う場合もある。 て、素袍上下よりも位が上がり、シテが用い ちいさがたな かげきょ ちゅうけい 帽子に掛直垂で小刀を身につけた姿で、必ず 景清 ( 装 ) 「景清」のシテの専用面。老い、盲 る例も多くなる。扇も中啓の男扇を持つ。 こそでそが ひためん こつじき えびらともあきら にし」、 直面で登場する。「小袖曾我」のシテ・ツレ、 目の乞食となった景清を表わすのであるから、 「箙」「知章」「舟橋」「錦木」などの前シテの しようぞん ほお しゅんえい 「忠信」「仲光」などのシテ、「正尊」のツレ、 眼は細く切られていて、頬がこけている。こ里の男、「春栄」「大仏供養」のシテの武人な らしようもん っちぐも どが用いる。ワキの場合は、明確に自分の名「土蜘蛛」「羅生門」のワキなどが用いる。な の面には二種類あり、一つは、ひげが植毛さ お、侍烏帽子に掛直垂で戦うことはできず、 れていないもので、乞食となったあわれさに 前をもっている者が掛素袍・白大口の姿とな 五四三 付録 ( 用語一覧 ) みや まる こうだん かみ かさ
仕り候ふは、かの者は親の追善のために、わが身をこの いところをそのように書かないで、蓑代 ふじゅ 衣と書いておりましたので、ちょっとお 小袖に代へて諷誦に上げたると思ひ候 ( 小袖を見やる ) 。さあ かしいことだと思っておりました。わた ひとあきびと くしが推測いたしますには、あの者は親 らばただいまの者は人商人にて候ふべし。かれは道理こな の追善のために、自分の身をこの小袖に とど ひがこと ぶん一※ 一。現行観世流は「にてはなり候ふたは僻事にて候ふほどに、御身の留めたる分にはなり候ふ代えて、諷誦のために献じたのだと思い ます。そうであるなら、ただいまの者は まじ」。 ひとあきびと ニ大津・松本 ( 大津市の東部 ) はともまじ。 人商人でありましよう。すれば、あちら に琵琶湖西岸の渡船場。古来、交通 とうごくがた が連れて行くのは道理、こちらが引き留 の要地として知られる。 アイ「人商人ならば東国方へ下り候ふべし。大津松本へそれが めようとするのは無理であります。した 「しばらく」で、シテが右手を前に 出してアイを留める演出もある。 がって、あなたが留めようとしたところ し走り行き留めうずるにて候 ( アイは立ちかかる ) 。 十説法を聴くとはなんのためなのか、 おんニ ぶん で、うまくはゆきますまい ただ理解したというだけではなんに シテ「しばらく。御出で候ふ分にてはなり候ふまじ。居士この 門前の者「人商人であるなら、東国方面へ行 もならない。法を説く者も、法を説 をんな くだけではだめなので、事の起きた くでありましよう。大津・松本へわたく 小袖を持ちて行き ( 小袖を見つめる ) 、女に代へて連れて帰ら 時にはそれに対処する行動が必要で しが走って行って、引き留めることにし あるーこのような自然居士のことば ましよう。 うずるにて候。 は、当時の人々に感銘を与えたであ ろう。 自然居士「しばらく。あなたがおいでになっ アイ「いやそれは今日までの御説法が無になり候ふべし。 三※下掛系は「今日の説法これまで た程度ではだめでありましよう。わたく なり」。 せッばふひやくにちせんにち ぜんナく しがこの小袖を持って行って、それと引 四『法華経』化城喩品にある経文。法シテ「いやいや説法は百日千日きこしめされても、善悪の二つ き替えにあの女を連れて帰ることにしま 会・説法の終りにとなえることに定 わきま あきびと んナく まっていた。訓読すれば、「願わく 1 しょ .- っ % を弁へんためそかし。今の女は善人、商人は悪人、善悪の は此の功徳を以て普く一切に及ば 門前の者「いやそれでは、今日までのご説法 きはまッ し、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜ 一一道ここに極って候ふはいかに ( 右膝を扇で打 3 。 が無になってしまいますでしよう。 ん」となる。なお、末句「皆共成仏 三※ せッぽふ ぐわん = しくどくふギふ自然居士「いやいや説法というものは、百日 道」の「仏道」を「仏道修行」と重ねた。 シテ气今日の説法はこれまでなり、 ( 合掌して ) 願以此功徳普及 シテが合掌して読誦しはじめると、 千日お聞きになっても、ただそれだけで おいッさい がとうよしゅじゃうかいぐじゃう ワキ・ワキツレは着座のまま向かい はなんにもならず、要は善悪の二つを弁 於一切、我等与衆生皆共成、 合って右の肩を脱ぐ。 別するためのものなのだ。今の女は善人、 , 地謡となってからシテが立っ演出 もある。 シテ气〈一セイ〉仏道修行のためなれば ( 立 3 、 人商人は悪人、善と悪との一一つの道が、 謡曲集 にだう こそでか つかまっ とど ごせッぽふむ
謡曲集 くにあか 背ニハ一ノ袋ヲ負フ。袋ニ容レタル シテ「垢膩の垢づける衣あり。 鬢の毛も、乱れ墨のようになって衰えや ハ何物ゾ。垢膩」ノ衣。裹ニ容レル ひち あじか つれた膚にくつつき、ゆるやかにまるみ ハ何物ゾ。粟豆ノ餉。笠ニ入ルルハ 地謡气臂にかけたる簣には、 をもった美しい二つの眉も、遠い山並み 何物ゾ。田ノ黒キ蔦一縒う。筐ニ入ル はツこ ~ 、 くわゐ ハ何物ゾ。野ノ青キ蕨薇。肩破レ を見るようであった趣を失ってしまった。 シテ气白黒の慈姑あり。 タル衣ハ胸ニ懸リ、頸壊レタル蓑ハ 百年に一年足らぬ老いの身で、頭は白髪 ゃぶみの 腰ニ纏ヘリ。衢間ニ匍匐 3 ふシ、路 となり、このような思いをすることにな 地謡气破れ蓑、 頭ニ徘徊ス」 ( 玉造小町子壮衰書 ) に ろうとは : 人目恥ずかしいわが姿で ゃぶがさ 基づく。ニ四旅などに携帯する乾燥 シテ气破れ笠 ( 笠を見つめる ) 、 食料。乾した飯がふつうだが、ここ あること。 では粟豆を材料としたもの。 おもて 0 「首にかけた袋には、どんな物を入れて 地謡气面ばかりも隠さねば。 いるのか。 一垢とあぶら。「垢膩の垢づける」 しもゆきあめつゆ は文選読。 小町「今日の命もわからない身だけれど、明 シテ气まして霜雪雨露、 ニ竹や蘆で作った、ざるに似た道具。 なみだ おさ 日の飢えのための用意にと、粟や豆の乾 たもとそで四 三水田に栽培し、地下の球茎を食用地謡气涙をだにも抑ふべき ( 正面へ数歩出る ) 、袂も袖もあらばこ したものを、袋に入れて持っているのだ。 とするもの。なお、前掲『玉造小町 ろとう置※ ゆきき 地謡「うしろに背負っている袋には、なにが 子壮衰書』には「田ノ黒キ蔦 ~ 比」とあ そ ( 左の袖、右の袖と見つめる ) 。今は路頭にさそらひ、往来の人 ( 僧 ) る。 入れてあるのか。 四強い否定を示す。 に物を乞ふ ( 笠を両手で持っ ) 。乞ひ得ぬ時は悪心 ( 笠の内を見込小町「垢ゃあぶらで汚れた衣が入れてある。 五※下掛系は「さすらひ」。 地謡「臂にかけた籠にはなにがあるのか。 六以下は、シテのせりふであるとと む ) 、また狂乱の心憑きて ( 正面へ行きかかる ) 、声変りけしか もに、第三者の立場の表現として、 小町「白や黒のくわいがある。 小町が狂乱状態になったことをも示 洋「は破れ、 らず ( 杖を捨てる ) 。 す。 小町「はこわれており、 シテは狂乱状態となってワキと問答をし、地謡に続く。シテは 地、謡「顔さえ隠すこともできないのだから、 後見座で〔物着〕をする。 小町「まして霜や雪、雨露を防ぐすべもなく、 シテ气なう物賜べ。「なう、お僧なう ( 笠を両手で持ち、中央あたり 地、謡「せめて涙を抑えようとしても、それ さえ、袂も袖も破れていて役に立たない までワキへつめ寄る ) 。 のだ。今はこうして道にさまよい、往き 来の人に物を乞い求める。乞うても得ら ワキ「 ( 着座のまま ) 何事そ。 れぬ時は、悪心が起こり、狂乱状態にな って声が変わり、異様になるのだ ( と言 シテ「小町がもとへ通はうよなう。 七このせりふで深草少将の霊が憑い ていることがわかる。 ^ ※現行観世流は「現つなき事をば申 すぞ」。 九恋の道に深く通じていて。 一 0 「五月雨の」までが、「空」に音の 通する「虚言」の序。なお「かきくれ て」は「書き」に音が通じ、「文」の縁 語。 こ た っ あか おさ あわ
みかげひもと た」 ( いちじるしいご威光 ) の意とをワキツレ气されば治まる御代の御影、日の本の名も合ひに合神天皇の五代の御孫であって、男大迹の 兼ねる。なお下掛系は「あらたまる」。 皇子と申したのであるが、本年ご即位の 三稲の異称。「種」「露」と縁語。 儀が行なわれ、継体天皇と申しあげるの 一三「待っ」の意を含み、「逢ふ」と縁 やまと みやこ 語。 一四「めぐり」は「車」と縁語。 である。 ワキ气大和の国や玉穂の都に、 一五※下掛系は「早めんや」。ただし 輿舁「そのような次第で、御代はよく治まり、 みやづく 繰返しは「早めん」。 ワキツレ气今宮造り、 君の御光は日の本という名にまことにふ , ワキが、地謡座前に着座する演出 もある。 さわしく、 ワキ气あらたなり。 , 現行の演出では、ワキツレの輿舁 廷臣「また日本の別名として適切である大和 はすぐ切戸口より退場することが多 とみくさ の、その国のモ穆の都に、 ワノ气〈上歌〉万代の、恵みも久し富草の、恵みも久し富 輿舁「今新しく宮殿をお造りになって、 ツレの持って出る花筐は、花筐だ さか しぐれ けの場合とそれに花か木ノ葉を入れ草の、種も栄ゆく秋の空、露も時雨も時めきて、四方に色廷臣「いよいよご威光はいちじるしいのであ る場合とがある。《筐之伝》の場 る。 はつもみち一三ちとせ ときは 合には、必す花を盛る。 添ふ初紅葉、松も千年の緑にて、常磐の秋にめぐり逢ふ、 万代までも久しく続く君の恵み、君の , 流儀によっては、花筐に竹の柄を みゆき つけて、ツレが担げて登場する。 恵みも久しくて富み栄え、稲も豊かに実 しぐれ 御幸の車早めん、御幸の車早めん。 ( 子方は脇座で床儿に腰をか シテが守袋を首にかけて登場する りゆく秋であって、露も時雨も時を得て、 演出もある。また、笹を持たないで あたり一面に色づきはじめた紅葉の葉。 け、ワキはその横に着座し、ワキツレは舞台後方に退く ) 登場する場合もある。シテは、唐織 いつぼう、松もまた千古不変の緑の色で の片袖を脱いだ脱下げ姿によって狂 女であることをあらわしているから、 ある。この永遠に栄える秋にめぐり逢っ 〔一声〕の囃子で、ツレの侍女と狂女の姿のシテとが登場。ッ 笹は持たなくてもいいのである。シ レは左手に花筐を持つ。シテは右手に文を結びつけた笹を持っ た今、お出かけの車を急ぐことにしよう、 テが水衣・縫箔腰巻、あるいは白練 て肩に担げる。ツレは一ノ松、シテは二ノ松に立って謡い出す。 紅葉御覧の御幸の車を早めることにしょ 壺折・縫箔腰巻といった旅装束で登 掛合いの謡の後、〈一セイ〉を謡いつつ舞台へ入り、ツレは大 場する演出もある。その場合は笠を シテは常座に立つ。シテは〔カケリ〕を舞い、常座で留 つけ、笹を必す持つ。 める。〈サシ〉〈下歌〉があって、〈上歌〉となると、シテは舞 流儀によっては、ツレも脱下げの 狂女姿で登場する。ツレの謡に「わ 台をまわる。〈上歌〉の末尾で、シテは二ノ松、ツレは一ノ松 れらは女の狂人なれば」とあるから、 へ行く。シテは笹を後見に渡し、扇を持つ。 このほうが詞章に合う扮装といえる。 一六シテは呼びかけているが、その 相手 ( 旅人 ) は舞台に登場していない。 一七物思いの種のため精神状態が異 たびびと ものぐるひ 常になっている者。 シテ气いかにあれなる旅人、都への道教へて賜べ。「なに物狂 花筐 ふ、 よろ・つよ たまほ ささ 照日の前が侍女とともに登場。物狂いの 体で、都への道を急ぐ。 照日「もうしそこにいる旅人、都への道を教 えてくださいな。なんだって、わたくし が物狂いだって。物狂いでも心に思うこ よろずよ ひかり やまと
一五『平家物語』巻四「」には、「頭 は猿、むくろは狸、尾は蛇、手 足は虎の姿なり。なく声にぞ似 たりける。おそろしなンどもおろか なり」とある。 まりこちらへ向かって来て、御殿の上に おおいかぶさった。頼政がきっとなって 見あげたところ、雲の中に怪しいものの 姿がある。 舟人「矢を取って弓につがえ、 3 「『無癶幡大菩薩』と心の中で祈念し て、十分に引きし・ほって、ひょうと放っ たところ、その矢に手ごたえがあって、 はたと当たる。『うまくいったぞ』と、 射当てた時の叫び声を上げて、猪の早太 はそのものの落ちて来る所へつつと寄っ 一六一途に昔を忘れぬ執念。 て行き、続けざまに九回刀で刺したので 一セ「なし給へ」と同意。 あった。さて火をともしてよく見たとこ 一九 なぎさあさみどりみづのかしは ろ、頭は猿、尾は蛇、足や手は虎のよう 一 ^ 「 ( 頼り ) 無し」と掛詞。「渚の浅シテ「浮ぶべき、頼り渚の浅緑、三角柏にあらばこそ、沈む な怪物で、鳴く声は鵺に似ていたのであ 緑」が、「水」に音の通ずる「三角柏」 ムえん った。恐ろしいなどと、ロで言っても不 の序。 は浮ぶ縁ならめ。 一九植物の名。その葉は先が三つに 十分なくらい、ほんとうに恐ろしい形の 割れている。一条兼良の『歌林良材』 ものであった。 地謡げにや他生の縁そとて、 によれば、伊勢神宮において占いに 僧は成仏することを勧めたが、舟人は空 用いられ、これを投げて、立てば願 シテ气時もこそあれ今宵しも、 いがかない、立たねばかなわぬとい 舟に乗り、夜の波にまぎれて姿を消した。 な あ う。「思ひ余りみつのかしはにとふ 地謡「まことにこれは世に広く知られた語 はんぜん ことの沈むに浮くは涙なりけり」 ( 続地謡气亡き世の人に合ひ竹の、 りぐさ、その妄執の一念を翻然と改めて、 古今・恋四小侍従 ) に基づくか。な うつオぶね お、底本の表記は「水のかしは」。 シテ气棹取り直し空舟 ( 棹を持って立 3 、 これをカにして成仏の身とおなりなさい。 ニ 0 前世からの因縁。 舟人「浮かぶ身となることのできるたよりも 三「 ( 亡き世の人に ) 逢ひ」と掛詞。地謡乗ると見えしが ( 正面へ一歩出る ) 、 ない。わが身があの三角柏であるのなら、 「棹」の序。 ニニ「寄る」に音が通じ、「舟」「波」と 沈むことが浮かぶためのよすがであろう シテ气夜の波に ( まわって常座へ行く ) 、 縁語。 ・カ : 地謡气浮きぬ沈みぬ、見えっ隠れ絶え絶えの ( 常座で棹を捨て、橋地「いやまことに、これも前世からの因 三九九 ける ( 三度刺す ) 。さて火をともしよく見れば ( 立ち、右手をかか あしてとら かしらさるをくちなは げる ) 、頭は猿尾は蛇 ( 左、右と下を見る ) 、足手は虎のごとく にて、鳴く声鵺に似たりけり ( まわって常座へ行く ) 。おそろし なんども、おろかなる形なりけり ( 中央へ行ぎ、着座する ) 。 〈ロンギ〉の掛合いの謡があって、地謡となると、シテは棹を 持って立ち、常座へ行き、正面を向いて棹を捨て、中入する。 よがたり いちねんノひるがヘ 地謡气〈ロンギ〉げに隠れなき世語の、その一念を翻し、浮ぶ 力となり給へ。 さを ぬえ こよひ ム みづのかしわ とら
謡曲集 おんまへ 一※このワキのせりふは、現行下掛太刀持「 ( 膝をつき ) 御前に候。 いる者を、神仏は道理によって処断して 宝生流と狂言大蔵流 ( 山本東本 ) とで れうじ くださるはずであるのこ、 冫いったいこの は、以下のようになり、太刀持のワキ「さても山伏たちに聊爾を申して、あまりに面目もなく 世には、神も仏もおいでにならないのか、 「畏って候」へ続く。 しゅ ワキ「先の山伏たちはいかほど御出 この有様ではそうとしか思えない。恨め 候ふほどに、追っ付き申し酒を一つ参らせうずるにてある 1 んであるべぎぞ。 しい憂き世であること、ああ恨めしい憂 なんちさき 太刀持「はや抜群御出であらうす き世であること。 そ。汝は先へ行きて留め申し候へ。 るにて候。 かしこまッ ワキ「汝は先いへ行ぎ、先にはあまり 富樫が酒を持って一行に追いつく。先刻 聊爾を申して候ふ間、関守所の太刀持「畏って候。 の失礼をわびるための来訪であると告げ 酒軋を持たせ、これまで参りたる 三※ られて、弁慶は招じ入れる。 よし申し、留め候へ。 太刀持「 ( 一ノ松に立って ) やれやれなかなかの事かな。最前の山伏 ばプくんおん - 一 ニ軽々しいこと。失礼 富樫「だれかいるか。 たちははや抜群御出であらうずるものを。 ( 舞台のほうを見て ) 三※以下の太刀持の独白と、太刀持・ 太刀持「お前におります。 いや、いまだこれに御座候。 強力の応対のせりふとは、山本東本 富樫「さてさて、山伏たちに失礼を申して、 による。 太刀持「 ( 一ノ松で ) いかにこの内へ案内申し候。 あまりに面目もないことでありますので、 強力「 ( 舞台口に立って ) 案内とは誰にてわたり候ふそ。 追いっき申して、酒を一つさしあげるこ 四※氏本では、以下三行、五行目の 太刀持「最前の関守にて候ふが、以前はあまりに聊爾を申して候とにしようと思うそ。おまえは先へ行っ 太刀持の「畏って候」にすぐ続けて記 あひだ されている。底本での役名は「狂言」 ふ間、所の酒を持たせ関守これまで参られて候。そのよし御てお留め申しなさい。 であり、太刀持・強力の一一役を混合 太刀持「かしこまりました。 申しあって賜り候へ。 して書いている形なので、このよう 太刀持「やれやれなかなかたいへんなことだ。 に、一一役を分け、その間に山本東本 強力「そのよし申さうずる間、それにしばらく御待ち候へ。 先ほどの山伏たちは、もはやはるか遠く によって太刀持・強力の応対を插入 太刀持「心得て候。 した。 においでになったであろうに。いや、ま だここにおいでであります。 五※以下の強力・太刀持のせりふは、強力「 ( 角で膝をつき ) いかに申し候。先には聊爾を申してあまり 山本東本による。 太刀持「もうし、この内へ案内申します。 《滝流之伝》の場合は、太刀持がワ に面目もなく候ふとて、関守のこれまで酒を持たせて参ら強力「案内とは、どなたでいらっしゃいます キへ取り次いだ後で、シテが常座へ 行ぎ、ワキと次のような問答をして 、カ れて候。 から後見座へ行く。 太刀持「先ほどの関守でありますが、あの折 ワキ「先にはあまりに聊爾を申して おんめ ごんごだうだん はあまりに失礼を申しましたので、この 候ふ間、所の酒を持たせ、これまシテ「一 = ロ語道断の事、やがて御目にかからうずるにて候。 五※ 所の酒を持たせて、関守がここまで参ら で参りて候。一つきこしめされ候 強力「畏って候。 ( シテは子が〈一礼する。子方・シテは後見座〈行れたのであります。そのことをお申しな 四※ しゅ めんぼく
なみだ 夏一一条大弐 ) に基づくか。 聞きあへぬ涙かな ( ツレはシオリをする ) 。「さりながらあまり = 幅を狭く織った布。陸奥の名産。 みのしろごろもまどほ 妻「これは夢であろうかあきれはてたこと。 三「一重」の縁語。 に心もとなき御事なれば、「いざや形見を蓑代衣、間遠に 亡くなったあの人の身の上を、聞きも終 一三「其そであり」の意に、「袖あり」の ふちばかま わらぬさきに涙が出ることだ。それにし 意を含ませた。 織れる藤袴 ( ツレは前シテのつけていた水衣を両手で持ち、ワキに見せ 一四「衣」の縁語。 てもあまりに気がかりなことであるから、 一五亡者 ( 幽霊 ) が煩悩を断たって菩提 る ) 、 さあそれでは形見を見ようと、蓑の代り えこう 0 を得るようにと勧める回向文もん にする粗末な衣の、織り目の荒い藤袴を、 幽霊よ、生死の迷界を離れ出て、す ワキ气頃も久しき形見ながら ( ワキは袖を取り出す ) 、 みやかに成仏せよ、の意。 旒僧「久しい昔からの形見ではあるが、 妻「今、取り出して、 一歌意は、陸奥の外の浜で子を呼ぶツレ气今取り出し ( ワキは袖を見つめる ) 、 旅僧「よくよく見たところ、 鳥、その鳴声というのは「うとうや 地謡「まったくそれは疑う余地もないことで すかた」。親が「うとう」と呼ぶと、 ( 妻 ) ワキ气よく見れば ( ワキはツレの持っ衣を見つめる ) 、 子は「やすかた」と答えることが、本 あった。狭布で作った薄い衣、狭布で作 けふうすごろも 曲の〈クセ〉の末尾に記されている。地謡「〈上歌〉疑ひも、夏立っ狭布の薄衣、 ( ワキはツレの前へ行き、 った薄い衣の、単のものではあるけれど 『謡曲拾葉抄』に「定家卿の歌也。夫 ひとへ も、僧の持参した袖を合わせてみると、 木集に入とあるが、『夫木抄』には ツレの持っ衣の上に袖をのせる ) 夏立っ狭布の薄衣、一重なれど みえない。『鴉鷺物語』第九「鵄追善 まさしくそのとおり、この衣の袖であっ 雀懸梓事」の「金玉の財宝にも後生を たのだ、ああなっかしい形見であること。 えこう も合はすれば、そでありけるそ、あらなっかしの形見や たすくる事なければ、子に過たる すぐにそのまま弔いをして、数々の回向 たからさらになし。『子を思ふ泪の とむら ( ツレはシオリをする ) 。やがてそのまま弔ひの ( ワキは立って、笛をするなかにも、とくに亡者の望んでい 雨の蓑のうへに、うとうとなけば、 やすかたの鳥』こそ、われも又から た、蓑と笠とを手向けたのである、蓑と みのり一四 紅の袖の露、草のかげなる身とな座前へ行き、笠を後見より受け取る ) 、御法を重ね数々の、なかに 笠とを手向けたのであった。 なむゅうれいしゆっりしようじとんしようぽだい れば、わがすがたをこそあらはさ まうじゃ 旅僧「『南無幽霊出離生死頓証菩提』。 ね」の『』の部分が、この歌の類歌亡者の望むなる、蓑笠をこそ手向けけれ、蓑笠をこそ手向 の形をしており、なんらかの関係が あるようである。なお、以下におい けけれ ( ワキは、正面先に着座して、笠を下に伏せて置く ) 。 猟師の亡霊が現われ、供養を喜び、みす て、この鳥は「うとうやすかた」とも なむイうれいしゅッりしゃうじとんしようぼだい からの重い罪科を仏のカで消減させてく 「うとう」ともよばれ、親を「うとう」、 ワキ气 ( 合掌して ) 南無幽霊出離生死頓証菩提。 ( ワキは地謡座前へ行 子を「やすかた」とすることもある。 れるようにと願う。 ニ一度卒都婆を見ただけでも、永久 猟師の亡霊「『陸奥の、外の浜なる呼子鳥、鳴 き、着座する。笠は置いたままである ) に三悪道 ( 地獄・餓鬼・畜生 ) の苦か くなる声は、うとうやすかた』。 らのがれられる、の意。「知章あ」 いつけんそとばようりさんなくどう 「卒都婆小町」などにもこの句がある。 猟師「『一見卒都婆永離三悪道』。この経文の 〔一声〕の囃子で、猟師の姿の後シテが登場し、常座に立って 善知鳥 はやし ぎよう ひとえ ふじばかま
山姥 作者『申楽談儀』に本曲についての記述があり、世阿弥当時に存した曲で ある。世阿弥作という確証はないが、『能本作者註文』『いろは作者註文』 『歌謡作者考』『自家伝抄』等は世阿弥の作とする。なお、『二百拾番謡目 録』では金春禅竹の作とするが、したがい得ない。 主題山姥の山廻りの曲舞を得意とする遊女百ま山姥が、善光寺参詣の途、 山中で山姥に会う。遊女は山姥にうながされて舞を舞う。山姥もそれに合 わせて舞い、やがて、どこへともなく去って行く。 こおもてからおり 遊女 人物ツレ 小面・唐織 すおうかみしも ワキ 従者 素袍上下 ワキツレ供人 ( 二人 ) 素袍上下 ながかみしも アイ 所の者 長上下 ふかい いろなしからおり シテ 山の女 深井・無紅唐織 やまう・は いろなしあついたつぼおり 後シテ 山姥 山姥・無紅厚板壺折・半切 備考太鼓あり。五流にある。 『申楽談儀』に、「やまふば」と記されたところがあるので、「ヤモオバ」 と発音されていた可能性がある。 謡曲集 やま うば くせま、 まんをり 一行の前に現われた山姥。右手に持っているのが、鹿背杖である。 五〇二
はうぐわん 九義経をさす。検非違使尉を「判官」れとのたまへば、「景清心に思ふやう、判官なればとて鬼ましたら、そのままお帰し申すことにい 一 0 ※ とよぶことが多く、また義経が従五 やす たします。 いのち 位下検非違使尉であ 0 たので、義経神にてもあらばこそ、命を捨てば易かりなんと思ひ、教経景清「さてその時というのは寿永 = 一年一一一月下 をさすことが多い。 しとまこ つはもの あま 旬のことであったが、平家は舟、源氏は 一 0 ※下掛系は「易かるべしと」。 に最期の暇乞ひ、陸に上がれば源氏の兵、「余すましとて = 討ちもらすまい 陸地で、両軍とも陣を海岸沿いに設けて、 ともども勝負を決めようとした。能登の 駈け向ふ ( 右のほうを見る ) 。 守教経が仰せられるには、『去年、播磨 イふひかげ 地謡景清これを見て、景清これを見て、物々しやとタ日影の室山、備中の水島、さては鵯越えに至 うちもの - ッ るまで、一度もわれらに勝利のなかった よしつね に、打物ひらめかいて ( 扇を太刀として見つめる ) 、斬ってかか ことは、まったく義経の計略がすぐれて いたからである。なんとでもして義経を ればこらへずして ( 上から下、左から右と斬りはらう ) 、刃向いた しはう 討つ計略こそもちたいものである』とお のが る兵は、四方へばっとそ逃げにける ( あたりを見まわす ) 、遁さ っしやったので、景清が心に思うには、 義経だからとて鬼でも神でもない、命を じと、 捨ててかかるならばたやすいことであろ さモう かたがた うと思って、教経に最期の暇乞いをし、 一四見苦しいぞ。なお底本の表記はシテ气様憂しや方々よ、 陸に上がったところ、源氏の兵が、一人 「さまふしや」。 さモう げんべいたがひ は・つ 一五「 ( 案の ) 内」 ( たやすいこと ) と掛地謡气様憂しや方々よ、源平互に見る目も恥かし ( 脇正面へ向 も討ちもらすまいとて駆け向かって来る。 詞。 いちにんノと あんうちもの 謡「景清はこれを見て、景清はこの様子 一六素手 t で生け捕りにすること。 いて面を伏せる ) 、一人を留めん事は、案の打物 ( 右手の扇を見つ を見て、なんとものものしいことだと言 一七『平家物語』巻十一「弓流」に、「武 こわきか って、夕日に太刀をひらめかし、斬って 蔵国の住人、みをの屋の四郎・同藤める ) 、小脇に掻いこんで ( 右手に持っ扇を右脇に引ぎつけ、左手を添 七・同十郎」とあり、景清と十郎と かかったので相手はもちこたえられず、 なにがし さむらひあくしちびやうゑ が錣を引ぎ合ったとしている。埼玉 える ) 、何某は平家の侍、悪七兵衛景清と、名のりかけ名の向かって来た兵は四方へばっと逃げてし 県比企郡川島町に三保谷という地名 まった。逃がすまいとして、 があるが、この人物の系譜実名等は りかけ、手取りにせんとて追うて行く ( 左手を前に出し、手を開 不明。 景清「見苦しいそ方々、 かぶとしころ はづ 入兜の鉢の左右とうしろとに垂ら 地謡「みつともないそ皆さん、源平互いに く ) 、三保の谷が着たりける、兜の錣を、取り外し取り外し ( 景清 ) して、首の部分を覆うもの。 見ている中で恥ずかしくもないのか、わ , 流儀によっては、「逃げのびたれ ども」で、シテは立って以下を舞う。 たくし一人を討ちとめることはたやすい ( 左手で握りしめようとする ) 、二三度逃げのびたれども ( 扇を開 景清 三「 ( 物々しやと ) 言ふ」と掛詞。 一三打ち鍛えた武器。ここでは太刀。 かみ たち おに かみのりつね たち