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検索対象: 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)
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1. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

る。続いてアイも舟を持って退場する。シテは一同を見送って、 成経・康頼「なんとまあおいたわしいこと。 シオリをして留める。 われらが都に帰ったなら、よいようにお おんこと のぼ とりなし申し、その結果、やがて帰洛の ワキ〈ロンギ〉いたはしの御事や、われら都に上りなば、 成経・康頼 時が来るであろう、お心を強くしてお待 、らく おんこころ・つよ なほ よきゃうに申し直しつつ、やがて帰洛はあるべし、御心強ちなさいませ。 俊寛「『帰洛の時を待て』と言って、声を張 く待ち給へ。 りあげて呼んでいる声も遠くかすかにな っこが、はかない頼みながらそれを心待 〈「 ( 声も ) かすかなる」と「かすかなシテ「帰洛を待てよとの、呼ばはる声もかすかなる、頼みを ちにして、松の陰で、泣くのをやめてそ 九 る ( 頼み ) 」との上下に掛かる。 の声を聞いていた。 松蔭に、音を泣きさして聞きゐたり ( 右の耳へ手を当てて聞く ) 。 九「 ( 頼みを ) 待っ」と掛詞。 赦免使「『われらの声を聞いているかどう 一 0 声を上げて泣くことをやめて。 「さす」は、動詞の連用形について、 か』と言いながら、皆々は声々に俊寛に 成経・康頼聞くやいかにとタ波の、皆声々に俊寛を、 途中でやめる意を示す。 呼びかけ、 「聞きゐたり」で、シテがシオリをシテ「申し直さば程もなく、 ( 赦免使・成経・康頼 ) 「『おとりなし申したなら しながら聞く演出もある。 ば、す - ぐに , も、 一一「 ( 聞くやいかにと ) 言ふ」と掛詞。 成経・康頼气必ず帰洛あるべしゃ。 「声」にかかる形で次句の序。 赦免使「必ず帰洛のできることだ』と言 成経・康頼 えば、 シテ「これはまことか ( 居立ち、舟を見る ) 。 「頼むぞよ」で、シテが舟のほうへ 俊寛「これはほんとうか。 合掌する演出もある。 赦免使「もちろんのこと。 三俊寛のことばとしての「頼もしく 成経・康頼 成経・康頼气なかなかに。 思っているぞ」と、舟の者のことば 俊寛「頼むそ、頼もしく思っているそ。 として「待てよ」と続いての、「頼もシテ頼むそよ頼もしくて、 地謡「『幀もしく思って待っていよ、待って しく思って待てよ」と、両意をもつ。 いよ』と言う声も、姿も、しだいに沖へ 「次第に遠ざかる」で、シテが手を地謡气待てよ待てよと言ふ声も ( シテは立つ。ツレ二人・ワキ・アイ 振って舟を見つめる演出もある。 と遠ざかり、かすかに聞こえていた声も 一三「 ( 遠ざかる ) 沖」と掛詞。「声」に は退場する ) 、姿も、次第に遠ざかる沖っ波の、かすかなる声聞こえなくなり、舟の影も人の影も、消 かかる形で次句の序。なお下掛系は えて見えなくなってしまった、あとかた ふなかげ 「沖っ波に」。 絶えて、舟影も人影も、消えて見えずなりにけり ( 揚幕のほ もなく消えて、見えなくなってしまった 一四※下掛系は「跡絶えて」。 「見えずなりにけり」で、シテが右 のであった。 うを見つめる ) 、跡消えて見えずなりにけり ( シオリをして留める ) 。 手をかざして見送る演出もある。 俊寛 イふなみ 二五九

2. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

の苦しさも悲しさも忘れて鳥を追って狩 ( 虚堂録 ) 。一三「 ( 悲しさも ) 忘れ」と末の松山風荒れて、袖に波越す沖の石 ( 遠くを望む ) 、または 掛詞。萱草の別称。「生ひ」に音の しほがま をし、高繩を張って鳥を捕る。潮のさし 通する「追鳥」の序。一四勢工など干潟とて、海越しなりし里までも、千賀の塩竈身を焦がす、 引くかなたの末の松山は風が荒れ、袖を で鳥を追い立てて狩をすること。追ニニ くや むく ことわざ 波が濡らすのだが、それにもかまわず漁 鳥狩咾。一五鳥を捕えるために繩 おきあい ひがた 報ひをも忘れける、事業をなしし悔しさよ ( 両手を打ち合わせ、 に黐いをつけて高く張っておくもの。 をし、沖合や干潟、海の向こうの里まで 一六「 ( 高繩を ) さし」と掛詞。一七「 ( さ シオリをする ) 。そもそもうとう ( 杖を持 0 て立 3 、やすかたのも遠しとせずに出かける。後の世で身を し引く汐の ) 末」と掛詞。↓五九ハー注 焦がすような報いを受けることも忘れて、 しな せッしゃう 一一。歌枕。「君をおきてあたし心をニ三 とりどりに、品変りたる殺生の ( 常座へ行く ) 、 このような殺生をしたことが、今、後悔 わが持たば末の松山波も越えなむ」 むざん ( 古今・東歌読人知らず ) などから されることである。そもそもうとうやす 「波越す」を引き出す。入袖を波にシテ气なかに無慚ゃなこの鳥の、 かたという鳥は、猟にいろいろさまざま 濡らすこと。前注の歌に基づいた文 ぎぎこずゑは つくばね 飾。一〈「わが袖は潮干に見えぬ沖地謡气おろかなるかな筑波嶺の ( 脇正面〈出る ) 、木々の梢にも羽な殺生の方法がある、 の石の人こそ知らね乾くまもなき」 猟師「そのなかでも、とくに残酷なやり方で うぎす ( 千載・恋一一一一条院讚岐 ) に基づき、を敷き ( 木々を見あげる ) 、波の浮巣をもかけよかし ( 下を見、角へ捕えられるのである。かわいそうに、 ニ六 「袖に波越す」を受け、また、「干潟」 へいさ らくがん の鳥の、 に続けた。ニ 0 海を隔てて向こうに 行く ) 、平沙に子を生みて落雁の ( 下を見る ) 、はかなや親は隠地謡「なんとも愚かなこと。木々の梢に羽 あった里。三「 ( 海越しなりし里ま ( 猟師 ) でも ) 近し」と掛詞。宮城県宮城郡松 すと ( まわ 0 て常座〈行く ) 、すれどうとうと呼ばれて、子はやを敷いて巣を作るか、波の上に浮巣を作 島湾の南西端に属する浜辺。「身を るか、せめてそのようにすればよいのに、 焦がす」の序。一 = 一「ひ ( 火 ) 」を含む すかたと答へけり ( 正面を向く ) 、さてそ取られやすかた ( 足拍砂の上に子を生むとははかないことだ。 ので、「焦がす」と縁語。ニ三「 ( うと うやすかたの ) 鳥」と掛詞。ニ四「木 親は隠したつもりでも、親の声をまねて 木」の序。ニ五「頻れ波」の語があるの子を踏む ) 。 うとうと呼べば、親に呼ばれたと思って で、「波」に続く。ニ六砂原。「平沙 子はやすかたと答えてしまう。それでや の落雁」 ( 瀟湘八景の一 ) に基づく文シテ气うとう。 すかたは捕られやすいのだ。 飾。ニ七「はかなや」の序。夭「 ( 取 猟師「うとう。 られ ) 易し」と掛詞。 〔カケリ〕 , 常の演出の場合は、シテは笠の前 猟師は、鳥を追うさまや、子鳥を杖 なみだ に立って、笠を見おろし、杖で笠を で打ちすえる様子を示す〔カケリ〕 地謡气親は空にて、血の涙を ( 下がって杖を捨てる ) 、親は空にて、 打って、足拍子を踏んで〔カケリ〕を を舞う。 留めるが、《替之翔 2 》の場合は、 笠の前に膝をつぎ、両手で鳥を捕え血の涙を ( 正面先〈出て笠を取る ) 、降らせば濡れじと ( 笠を両手に 地謡「子を捕られて、親は空で血の涙を流 ( 猟師 ) かさ るようにおさえ、空を見あげて留め すがみの る。 持ち左へまわる ) 、菅蓑や、笠をかたぶけ、ここかしこの ( 笠をす、親は血の涙を空から降らすので、濡 善知鳥 ハ、、ナこ うみご そで こ すみ

3. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 九〇 ゑッテうなんし どかは」を受けて、「心なからん」と くしに邪心がないのだから、どうして神 引き立てる ) 、もとのごとくに歩み行く。越鳥南枝に巣を掛 結ぶ意から、転じて、「 ( 神の ) 心に こばほくふう かみごころたれしんりよ の受け入れてくださらぬことがあろうか、 かなふ宮人」と続けた表現。なお下け、胡馬北風に嘶えたり。歌に和らぐ神心、誰か神慮の、 と貫之が言えば、神の御心にかなう宮人 掛系は「心を受くる宮人は」。 あふ , 「かかる奇特に逢坂の」を、ワキが まことを仰がざるべき ( ワキは両手をついて拝礼する ) 。 謡う演出もある。 宮守「このような奇跡に出あって、 三五「 ( 奇特に ) 逢ふ」と掛詞。「あふ坂 ワキはシテに祝詞を読むことを頼む。〔ノット 〕の囃子で、シ 地謡「月毛の色のこの馬を引き立ててみたと の関の清水にかげみえていまや引く テは幣を持って脇正面に出て着座し〈ノット 〉を謡う。続いて ころ、ふしぎなことにも、もとのように らむ望月の駒」 ( 拾遺・秋貫之 ) に基 〔立回リ〕を舞い、常座で留める。掛合いの謡があって、地謡 づき、「影見ゆる」までが「月毛のこ 元気になって歩き出し、高らかにいなな となると、シテは地謡に合わせて舞台をまわる。 の駒」の序。三六やや赤味がかった いたのだ。和歌によって和らげられた神 みやびと のツとよ 白い毛色。 ワキ「いかに申すべき事の候。宮人にて御座候はば、祝詞を読 の御心をこうして知った以上、だれがこ まごころ 一『文選』所収の古詩「胡馬嘶ニ北風一 の神の真心を仰がないことがあろうそ。 うで参らせられ候へ。 のりと 越鳥巣ニ南枝こ ( 北方の胡地から出た 貫之は宮守に祝詞を奏上することを頼む。 馬は、北風が吹くごとに胡国を慕っ 祝詞が奏せられ、神楽が舞われ、神代以 シテ「承り候。 ( 立って常座へ行き、後見より幣を受け取る ) ていななき、南方の越の国の鳥は、 北国へ行っても木の南の枝に巣をか 来の舞歌の道がたたえられる。 〔ノット〕 ( 脇正面へ出て着座する ) ける、の意で、故郷の忘れがたいこ 貫之「申しあげたいことがあります。宮人で とを示したもの ) に基づき、馬のい のツと しらイふ三 いらっしやるのなら、祝詞を読みあげて なないたことの文飾とした。ニ楮シテ气いでいで祝詞を申さんと、神の白木綿かけまくも、 神に奏上なさってください。 の皮の繊維で作ったもので、主と たむけイふばな 宮守「承知しました。 して幣 3 とする。楙などに垂れ下げワキ气同じ手向と木綿花の、 る。三「 ( 白木綿 ) 掛け」と掛詞。「か 宮守「それでは祝詞を奏上しようと、神に供 さかき けまくも」は祝詞にしばしば用いらシテ气雪を散らして、 える白木綿を榊にかけ、 れている句なので、その縁で続けた。 貫之「同じく神の手向けになると言って、 口に出して言うのも、の意であるが、ワキ再拝す。 ここでは、とりたてて意味をもたな 白い木綿花を、 きんじゃうさいはい 四「 ( 同じ手向と ) 言ふ」と掛詞。 シテ气〈ノット〉謹上再拝 ( 幣を振。ていただく ) 。敬って白す神司魍し「細かく雪のように散らして切幣とし、 五白木綿を細かく刻んだ切幣翳を雪 はちにんやをとめ かぐらをのこ九そで に見立てた。 「一一度礼拝をする。 ( 幣を膝に立てる ) 、八人の八乙女、五人の神楽男、雪の袖を シテが中央に着座して〈ノット〉を 宮守「 ( 祝詞 ) 『謹上再拝。宮人がうやうやし 謡う演出もある。 しらイふばな ごしんたく く申しあげる。八人の舞姫、五人の神楽 六神を礼拝する時に言うことば。謹返し、白木綿花を捧げつつ、神慮をすずしめ奉る、御神託 男が、美しい袖をひるがえして舞い、白 んで奉り、再度礼拝するという意。 しんチう 七神官。 ^ 神に奉仕し、神楽を舞に任せて、なほも神忠を致さん、ありがたや ( 幣をいただく ) 。 木綿の花を捧げて、神の御心をお慰め申 はやし まうかみ・つかさ しらゆう

4. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 きてん おんか 一さっと適切な考えが出ること。 とうの下人であるかのように、さんざん いまの機転さらに凡慮よりなす業にあらず、ただ天の御加 ニ人間の凡愚な考え。 しゃうがい に杖で打って、そしてわたくしを助けた。 三まさに命の終りであ。たところ。護とこそ思へ。气関の者どもわれを怪しめ、生涯限りあり このようなやり方は、これはそなた弁慶 なお下掛系は「生涯限りなりつると はちまんだいばさっ ・せひ ころに」。 の考え出したことではない、八幡大菩薩 つるところに、とかくの是非をばもんだはずして、ただま 四「もんだふ」は、名詞の「問答」を四 の、 げにん 段活用に動詞化したもの。 ことの下人のごとく、さんざんに打ってわれを助くる、こ墅「お考えによるものかと思うのであ 0 はかりこと はちまん て、まことにありがたいことと思われる 五八幡大菩薩。源氏の守護神。 れ弁慶が謀にあらず八幡の、 のだ。 ごたくせん 地謡「いや、そもそも世は末世になったと 〈神霊が人に乗り移 0 て、その意思地謡「御託宣かと思へば、かたじけなくそ覚ゆる ( 子方はシオリ を告げ知らせること。 いうが、それでも日や月はまだ地に落ち をする ) 。 てはおられない。それなのに、たとえど のような方便であったとしても、まこと にちぐわッタ 七参考「末世なれども、さすが日月地謡气〈クリ〉それ世は末世に及ぶといへども、日月はいまだ の主君を杖で打っというしわざが、どう は未だ地に落ち給はぬものを」 ( 古活 して天の罰に当たらぬということがあろ 字本『平治物語』上・光頼卿参内の事 ) 。 地に落ち給はず。たとひいかなる方便なりとも、まさしき うそ。 ^ 「当る」は「杖」の縁語。 義経「いやまことに、『現在の身の上を考え 主君を打っ杖の、天罰に当らぬ事やあるべき。 くわ ることによって、それがどのような過去 子方气〈サシ〉げにや現在の果を見て過去未来を知るといふ事、 九現在の身の上を考えることによっ の所行に基づくものか、また未来がどの て、それがどのような過去に基づく としつききさらぎ ようになるかを知ることができる』とい ものか、また未来がどのようになる地謡今に知られて身の上に、憂き年月の如月や、下の十日 うこと、 かを推測できる。参考「因果経には、 けふ 地謡「それが今のわが身の上にまざまざと 『欲知過去因、見其現在果、欲知未来の今日の難を、遁れつるこそふしぎなれ。 果、見其現在因』と説かれたり」 ( 平 ジふょにん 知られることだ。つらい年月がわが身に ぎさらぎ 家灌頂巻・大原御幸 ) 。 子方气たださながらに十余人、 めぐり来て、この如月の下旬の今日の難 一 0 「 ( 憂き年月の ) 来」と掛詞。 ここち たがひおもて = 月の下旬。 に出逢ったのであるが、それをこうして 地謡气夢の覚めたる心地して、互に面を合せつつ ( 立衆を見わた , 「泣くばかりなる有様かな」で、子 のがれたというのはふしぎというよりほ 方がシオリをする演出もある。 す ) 、泣くばかりなる有様かな ( 面を伏せる ) 。 , 《滝流之伝》の場合は、〈クセ〉をは 義経「十余人の者はすべて、あたかも、 ぶく。なお、〈クリ〉〈サシ〉〈クセ〉 よしつねキうば をはぶく演出もある。 地謡〈クセ〉しかるに義経、弓馬の家に生れ来て、命を頼朝「夢が覚めたような心持がして、互い っゑ のが ぽんりよ まッせ わざ はうべん イ よりと・も げにん

5. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

セ※ いなづま 六以下、いずれも目に姿は見えても 3 、かげろふ稲妻 ( 見まわす ) 、水の月かや ( 下を見る ) 、姿は見 手に捉えがたい物を列挙した。「水 の月」は水面に映った月影。 れども ( 少し下がる ) 、手に取られず ( 両手を打ち合わせる ) 。 七※下掛系は「まぼろし」。 ! 働入の場合は、「手に取られシテ「次第次第に、重手は負ひぬ、 ず」の後に〔舞働〕が入る。 たけ 「弱り行ぎて」で、シテが着座して 地謡气次第次第に、重手は負ひぬ、猛き心 ( 正面へ出る ) 、力も弱 左膝をかかえる演出もある。 ^ 「 ( 昔の物語 ) す」と掛詞。 弱り行きて ( 下がって安座し、面を伏せる ) 、 シテが立ったままワキへ合掌する 演出もある。 九「 ( 賜び給へと ) 言ふ」と掛詞。「木シテ气この松が根の ( 角を見つめる ) 、 綿付」は木綿付鳥、すなわち、鶏の っゅしも こレ J 。 地謡气苔の露霜と ( ワキへ向く ) 、消えし昔の物語 ( 立ち、ワキのほう 一 0 ※現行観世流は「告げわたる」。 た イふつけ 一一「 ( 白々と ) 明く」と掛詞。 へ出る ) 、末の世助け賜び給へと ( 合掌しつつ膝をつく ) 、木綿付 流儀によっては、「松蔭に隠れけ 一 0 ※ しらしら一一 り」で、シテが左袖をかずいて膝を も告げわたり ( 立 3 、夜も白々と赤坂の ( まわって常座へ行く ) 、 つく演出もある。この場合は、法被 の右の肩を脱いでいて、左袖は常の 松蔭に隠れけり ( 膝をつく ) 、松蔭にこそは隠れけれ ( 立ち、留 ままである。 , 《替之型》の場合は、シテは二ノ松 拍子を踏む ) 。 で留拍子を踏む。 熊坂 おもで 地謡「しだいしだいに重い傷を受けてしま って、勇猛な心も強い力も弱り、しだい に弱っていって、 長範「この松の下で、 地謡「に置く露や霜のように、消えてし まったわが身の、昔語りをしたのである、 わたくしの後の世を弔って、お助けくだ さいませと言って、鳥も鳴きわたり夜も 白々と明けた赤坂の、松の陰に隠れてし まった、亡霊の姿は松陰に隠れてしまっ たのであった。 しらじら 三七九

6. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

までは行かない 立ち寄る影は鏡山、さのみ年経ぬ身なれども、衰へは老曾同然、やがて身の終りであろう。老曾の 三『後撰集』雑一の蝉丸の歌 ( 末句 森を過ぎると美濃・尾張、熱旺の浦には みのをはりあった 「逢坂の関」 ) に基づき、「知るも知ら の、森を過ぐるや美濃尾張、熱田の浦のタ汐の、道をば波タ潮が満ち、道を波によって洗われてい ぬも」までが「逢坂」の序。なお歌意 なるみがた るので、まわり道をすると、野原になり は、これが、東国へ下る人も東国か なるみがた に隠されて ( 一同三ノ松まで行き、まわる ) 、廻れば野辺に鳴海潟、 ら都へ帰る人もここで別れ、また、 鳴海潟に出た。そして八橋や高師山、三 やつはしたかしやま 知っている人も知らない人もここで また八橋や高師山、また八橋や高師山 ( シテ・輿舁は一ノ松、ワ河の国の八橋や高師山を通る。 逢うという、逢坂の関なのだ。 地謡しおみざか ( 盛を「汐見坂や橋本を過ぎ、浜名の橋を渡 一三琵琶湖から流れ出る瀬田川にか キは二ノ松、従者は三ノ松に立っ ) 。 けられた橋。一四滋賀県蒲生郡龍王 町にある。「鏡山いざたちよりて見 しほみざかニ三 盛久「旅をして、このような所までやって来 てゆかむ年経ぬる身は老いやしぬる地謡气〈ロンギ〉汐見坂橋本の、浜名の橋をうち渡り、 て、ここを見るなどとかねて思ったであ と」 ( 古今・雑上読人知らず ) に基づ さよ く。「影」と頭韻。一 = 「 ( 衰〈は ) 老ごシテ旅衣、かく来て見んと思ひきや、命なりけり、小夜のろうか、『命なりけり、小夜の中山』と と掛詞。滋賀県蒲生郡安土町の奥石 詠まれた小夜の中山はここであるとか。 なかやま 望神社の森。「衰へ」と頭韻。一〈「身中山はこれかとよ。 3 「淵瀬の変わることの多い大井川を過 の終り」の意を含む。美濃は、岐阜 うつ ふちせ おほるがは ぎて行き、波も打ち寄せる海辺を通って 県南部。尾張は、愛知県西北部。 地謡气変る淵瀬の大井川、過ぎ行く波も宇津の山、 宇津の山にさしかかり、 一七名古屋市付近の海浜。入「 ( タ 三 0 きよみがた 汐の ) 満ち」と掛詞。一九「 ( 野辺に ) 盛久「そこを越えてもまた、越えねばならぬ きよみ シテ「越えても関に清見潟、 なる」と掛詞。鳴海潟は、今はすっ 関に来る。それは清見が関。清見潟から、 うら いりうみたご かり陸地になり、名古屋市緑区とな 地謡「三保の入り海を経て旺子の浦に出て 0 ている。ニ 0 愛知県知立 ( 【市八橋地謡气三保の入海田子の浦 ( あたりを見まわす ) 、うち出でて見れ ( 盛久 ) たかね 見ると、まっ白な雪の富士の高嶺が見え、 町。一 = 愛知県豊橋市高師町の丘陵。 はしづぎよ ましろ ね ニニ静岡県湖西市白須賀町にある坂。 ば真白なる、雪の富士の嶺箱根山、なほ明け行くや星月夜それから箱根の山を越えて、なおも明け ニ三静岡県浜名郡新居町の、浜名川 暮れ旅を続けて行くうちに、はやくも鎌 にかけられた浜名の橋の西畔。古 く ( 舞台へ向かって歩み出す ) 、はや鎌倉に着きにけり、はや鎌倉 倉に着いてしまった、もはや鎌倉に着い は猪鼻駅の地。ニ四「着て」に音の通 しようぎ する「来て」の序。ニ五「年たけてま たのであった。 に着きにけり ( シテは地謡座前で床几に腰をかける。ワキは後見座にう た越ゅべしと思ひきや命なりけりさ 盛久は流転の身を振り返り、早く斬られ やの中山」 ( 新古今・羇旅西行 ) に基しろを向いて着座し、輿舁・従者は舞台後方に退く ) 。 つく。ニ六静岡県南部の、掛川市と たいと述懐する。そして土屋からみずか 榛原郡金谷町を結ぶ途中にある坂路。 らの処刑の時の近いことを聞き、許しを シテは床几に腰をかけたまま〈サシ〉を謡い出す。シテのせり どくじゅ 東海道の難所の一。「さやの中山」と 得て観音経を読誦する。夜明け方に盛久 ふがあって、ワキは一ノ松へ出てせりふを述べた後、常座へ行 同じ。「 ( 変る淵瀬の ) 多い」と掛 はあらたかな夢の告げを受ける。 きシテに声をかける。シテはそれに答え、立ってワキへ数歩出 詞。遠江とと駿河るとの間を流れ、 二七七 盛久 としへ イふしほ やま おとろ おいそ ふちせ るてん

7. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 びだりみぎ すみ ニ九「 ( 濡れじと ) す」と掛詞。 かずき、左右と行きかかる ) 、便りを求めて ( 角へ行く ) 、隠れ笠 ( 右れまいとして、菅蓑や笠をかたむけ、あ 《替之翔》の場合は、シテは「ここ かくみの ちらこちらと場所をさがして隠れるのだ かしこの」で橋がかり〈行き、以下の膝をつく ) 、隠れ蓑にも ( 立 0 て大小前〈行く ) 、あらざれば ( 角〈 が、笠や蓑は隠れ笠・隠れ蓑でもないの を橋がかりで舞い、一ノ松から高欄 越しに正面先のほうへ笠を投げ、常 だから、身を隠し得ず、なおも降りかか 行ぎ、笠をかざす ) 、なほ降りかかる ( まわって笛座前へ行く ) 、血の 座へ入る。 る血の涙によって、目もくらみ、あたり なみだ くれなゐそ 一面紅の色に染まって見えるのだが、 涙に ( 目付柱を見る ) 、目も紅に、染みわたるは ( 笠を角へ投げる ) 、 一「 ( 便りを求めて ) 隠れ」と掛詞。 かささぎ 四 ニ※下掛系は「血の涙の」。三「 ( 目 もみぢ かささギ」 それは、天の川に鵲のかけた紅葉の橋で も ) 昏くれ」と掛詞。四「天の川紅葉紅葉の橋の、鵲か ( 扇を持って常座に立 3 。 あろうか。 を橋にわたせばや七夕っめの秋を 、、、けちょう しも待っ」 ( 古今・秋上読人知らず ) シテは地謡に合わせて舞い、常座で留める。 冥途ではうとうが化鳥となって自分を苦 により、紅葉の葉または枝によって しめ、また鷹になって、雉となった自分 天の川にかけられた橋をさす。また、地謡气娑婆にては、うとうやすかたと見えしも ( 足拍子を踏む ) 、 を追いかける。このような苦しみを助け 牽牛織女のために鵲が羽を並べて橋 めいど けてう たまえと言うかと思うと、猟師の亡霊の となるという伝説があり、その羽が うとうやすかたと見えしも、冥途にしては化鳥となり ( 正面 姿は見えなくなってしまったのであった。 二星の紅涙に染まるとも考えられて くろがね いた。なお「鵲」は、「うとう」の縁で 地謡「この世ではうとうやすかたと見えた へ少し出る ) 、罪人を追っ立て鉄の ( 扇で罪人を打 3 、弭を鳴ら ( 猟師 ) 出した鳥の名。五恐ろしい悪鳥。 のも、うとうやすかたと見えた鳥も、冥 あかがね 六「 ( 肉を ) 裂く」と掛詞。七「唖いの 鳥」の意を含ませた。 ^ 羽毛の抜けし羽をたたき ( 羽ばたく ) 、銅の爪を磨ぎ立てては ( 左手を前に出途では化鳥となって、罪人を追い立てて 変わるころの鳥。飛ぶことの困難な まなこっか ししむら 鉄のくちばしを鳴らし、羽ばたきをし、 鳥の意で、これを殺した報いのため して見 0 める ) 、眼を掴んで肉を ( 左手で眼をえぐる ) 、叫ばんとす銅の爪を鋭く磨いでは眼をつかみ、肉を に立っことができないとした。 みやうくわ 裂く。叫ぼうとするけれど、地獄の激し 九鷹の「強」に対して「弱」を示す対語。れども猛火のけぶりに ( 角へ行く ) 、むせんで声を上げ得ぬは 「譬如ニ鼠会レ猫雉相鷹」 ( 新猿楽記 ) 。 く燃える火の煙のためにむせて、唖にな をしどり ったかのように、声を上げることができ 一 0 「 ( 遁れ ) 難し」と掛詞。現在の大 ( 扇で面を隠し左〈まわる ) 、鴛鴦を殺しし科やらん。逃げんと 阪府枚方齶市一帯の平野。皇室領の ない。これは、おしどりを殺した罰かし とり 狩場で桜の名所でもあった。狂言 すれど立ち得ぬは ( 笛前 00 角〈行き〈 0 ) 、抜け鳥 0 報ひら。逃げようとするけれど立 0 = とが 「禁野」 ( 大蔵虎明本 ) に、「是は河内 の国交野の郡、禁野の雉領にすま きないのは、飛び立てないでいた羽抜け 、 ( 中央へ下がって着座する ) 。 ゐ致す者でござる」とあり、また「狩カ 鳥を殺した報いであろうか。 場の雉」という成語もあって、「交 猟師「またある時は、うとうは、現世とは逆 野」「狩場」は「雉」の縁語。「またやシテ气うとうはかへって鷹となり、 一 0 に、強い鷹となり、 見むかたののみのの桜狩花の雪散る カナ 春のあけばの」 ( 古今・春下藤原俊地謡われは雉とそなりたりける ( 正面を見つめる ) 、遁れ交野の地」「こちらは雉とな 0 たのだ 0 た。もは しやば のが がさ くれない

8. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

一※「秋」は、下掛系では「春の頃」。 ニ※「妻子」は、現行観世流では「妻 や子」。 老人「もうし、そこにおいでのお僧に申しあ ワキ「何事にて候ふそ。 、とはま ことづて みちのくおんくだ れふげねばならぬことがあります。 シテ「陸奥へ御下り候はば言伝申し候ふべし。外の浜にては猟 旅僧「何事でありますか。 ニ※ ことづ し こぞ一※ 老人「陸奥へお下りでありますなら、言伝て 師にて候ひし者の、去年の秋みまかりて候。その妻子の宿 をお願い申しましよう。外の浜において みのかさたむ おんたづ を御尋ね候ひて、それに候ふ蓑笠手向けてくれよと仰せ候猟師でありました者が去年の秋亡くなり ました。その者の妻子の宿をおたずねく みの ださって、そこにあります蓑と笠とを手 む 向けて弔ってくれるようにと、おっしゃ ワキ「これは思ひも寄らぬ事を承り候ふものかな。届け申すべ ってください。 三 うはそら やす さうらふ 三証拠のない、いいかげんなことで、き事は易きほどの御事にて候さりながら、上の空に申して旅僧「これは思いも寄らぬことをうかがうこ の意。 とであります。おことばをお伝え申すこ ごしよういん 四どうして。反語の意をもっ副詞。 はやはか御承引候ふべき。 とはたやすいことでありますが、なんの 証拠もなくて申したのでは、どうしてご シテ「 ( 一ノ松に立って ) げにたしかなるしるしなくてはかひある 承知なさいましようそ。 〈「 ( この尉が ) 着」と掛詞。木曾は古まじ ( 面を伏せて考える ) 。や、思ひ出でたりありし世の、今は老人「なるほど、確かな証拠がなくては伝言 セ※ のかいがあるまい。いや、思いついたこ じよう きそあさぎぬそでと ムずごろも く麻の産地であった。「木曾の麻衣」 とがある、これは現世において最後まで は歌語。参考「とくさ刈る木曾の麻の時までこの尉が、气木曾の麻衣の袖を解きて ( 水衣の左袖を 衣袖ぬれて磨かぬ露も玉と置きけ この老人の着ていた木曾の麻衣、この袖 取る ) 、 り」 ( 新勅撰・雑四寂蓮 ) 。 を解いてお渡しすることにしよう、 セ※下掛系は「解ぎ」。 なみだそ 地謡「『これを証拠にしてください』と言っ ^ 「 ( 涙を添へて ) 賜。び」と掛詞。「裁地謡〈上歌〉これをしるしにと、涙を添へて旅衣 ( シテは袖を面 ち」に音の通する「立ち」の序。 て、涙とともに僧に与える、涙ながらに , 「涙を添へて」で、シテがシオリを に当ててシオリをする ) 、涙を添へて旅衣 ( ワキは、一ノ松へ出て、シ 僧に渡す。やがて立ち去って行く僧のう しない演出もある。 しろには、雲や煙が立ち、木の芽も萌え 九「 ( 雲や煙の ) 立つ」と掛詞。 テより袖を受け取る ) 、立ち別れ行くその跡は ( ワキは舞台へもどり 一 0 「燃ゆる」に音が通じ、「立山」の る春の立山を、はるかかなた陸奥へと僧 一 0 九 もうじゃ たてやま 縁語。 は下って行ったので、亡者は泣く泣く僧 中央に立 3 、雲や煙の立山の ( シテは二ノ松へ行く ) 、木の芽も萌 一一「 ( 木の芽も萌ゆる ) 春」と掛詞。 を見送って、そのままどこへ行ったのか、 三旅の僧。 きやくそう一三くだ ゆるはるばると ( シテはワキを見送る ) 、客僧は奥へ下れば ( ワキ 行くえがわからなくなってしまった、姿 一三奥州。 謡曲集 たびごろも こ おほ

9. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

四志度の浦東方にあったという島。 今は地続きの半島となっている。頂 上に弁財天を祭る。 謡曲集 四七八 みるめ さは 塩分を含んだふつうの海をいう。 ずるに、海松布茂りて障りとなれば、 刈り除けよとの御諚布をお召しあがりください。 三波に流れ寄せられた蘆。 従者「いやいや、そのようなためではない。 ニニ「節よ」 ( 蘆の節と節との間 ) に音が あの水の底の月をごらんになるのに、海 通するので、「流れ蘆の」を受ける。 ニ三「 ( 心なしとも言ひがたき ) 海人」 松布が茂っていて邪魔になるので、刈り シテ「さては月のため刈り除けよとの御諚かや。昔もさる例あ と掛詞。ニ四二人称の代名詞。そな 除けよとのおことばである。 リ . 、つ・み、ら′ めいしゅ か・つ た。ニ五海中にもぐって海藻や魚貝 り。明珠をこの沖にて龍宮へ取られしを、气潜き上げしも女「さては月のために刈り除けよという仰 などを獲る海人。一宍「 ( 雲の上人 を ) 見る」と掛詞。 せであるのか。昔も同じような例があっ この浦の ( ワキへ一歩出る ) 、 た。明珠をこの沖で龍宮へ奪われた時、 一透きとおっていて曇りのない珠。 あまみ みちじほ それを海底にもぐって取りあげたのもこ ニ「 ( この浦の ) 海人」と掛詞。「天満地謡气〈次第〉天満っ月も満汐の、天満っ月も満汐の、海松布 の浦の海人であった。 っ月」は満月。 みるめ 三「 ( 月も ) 満ち」と掛詞。「満汐の」は、 地」「空には満月の光も満ち、潮も満ちて、 をいざや刈らうよ。 ( 後見に海松布を渡す ) 頭韻により「海松布」の序ともなる。 空に満月の光も満ち、折しも潮も満ちて 来た。さあ海松布を刈ることにしよう。 シテは水面を見つめながら海松布を刈ろうと脇正面へ出る。ワ キはシテに声をかける。シテは常座に下がり、問答となる。子 かた 方のせりふがあって、シテはせりふを述べながら中央へ行き、 従者はこれを聞ぎ咎め、その故事を詳し 着座する。子方の謡があって、〈上歌〉〈クセ〉と続く。 く語らせる。ーーー唐から興福寺へ渡され た三つの宝のうち、面向不背の玉が海中 なに あま の龍神に取られたのを取り返すために、 ワキ「しばらく。何と明珠を潜き上げしもこの浦の海人にてあ たんかいこう 淡海公が身をやっしてこの浦に下り、海 まおとめ ると申すか。 人乙女と契りを結んで一人の子を儲けた、 ざうらふ その御子が今の房前の大臣である、と女 シテ「さん候この浦の海人にて候。またあれなる里をばあまの が語るので、房前はことばをはさみ、み ずからを名のり、なっかしがる。女は驚 の里と申して ( 脇正面へ向く ) 、 かのあま人の住み給ひし在所 いた様子で、実はわたくしもその海人の しんじゅじま 子孫、と言いさしつつ、ロをつぐむ。 にて候。またこれなる島をば新珠島と申し候 ( 正面へ向く ) 。 従者「ちょっと待て。なにと申す、明珠を水 そこ みそ たましま かの玉を取り上げ初めて見初めしによって、新しき珠島と底から取りあげたのもこの浦の海人であ ると申すのか。 書きて新珠島と申し候 ( ワキへ向く ) 。 女「はい 、この浦の海人であります。また びと の ごちゃう ためし めんこうふはい おお

10. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 なみだ 一「 ( 涙も ) 尽きせぬ」と「尽ぎせぬ ( 名思へば涙も、尽きせぬ名残三人は母〈向く ) 、牡鹿の狩場に、 残 ) 」との上下に掛かる。 ちさん いとま ニ「 ( 名残 ) 惜し」と掛詞。 遅参ゃあらんと三人は母へ膝をついて礼をする ) 、暇申して、帰 三「 ( 暇申して ) 帰る」と掛詞。「富士 野」の序。「帰る山」は越前 ( 福井県 ) る山の三人は立 3 、富士野の既の、折を得て 0 一人は足拍子 にある歌枕。 ねんらい かたきほんまうと を踏む ) 、年来の敵、本望を遂げんと三人はユウケン扇をする ) 、 たがひ しんニほのほ 互に思ふ、瞋恚の炎三人は向かい合う ) 、胸のけぶりを、富士 おろしに、晴らして月を三人は雲 / 扇をする ) 、清見が関に、 きゃうだ、 つひにはその名を、留めなば兄弟 ( シテは脇座前へ行き、五郎は一 ためし ノ松へ行く ) 、親孝行の ( シテはまわって常座へ行く ) 、例にならん、 うれしさよ ( 二人は左袖を返して留拍子を踏む ) 。 四燃え立つような激しい怒り。 五「炎」「富士」と縁語。 , 「晴らして月を」で、シテは立った ままで、五郎は膝をついて、雲ノ扇 をする演出もある。 六「 ( 月を ) 清見」と掛詞。「清見が関」 は駿河の名所。ただし、ここでは文 飾で、地名としての意味はもたない。 七「関」の縁語。 , 五郎が二ノ松で留める演出もある。 をしか かりば 三〇〇 十郎・五郎は〔男舞〕を舞う。 地謡「袖をかざして舞うその間で、袖をかざ して舞うその袖のかげで、兄弟は互いに 目で合図をして、これが最後の親子の縁 かと思うと、涙も尽きないのであるが、 尽きぬ名残を惜しみつつも、ぐずぐずし ていては御狩に遅れもしようかと、母御 にお暇を申して立ち出で、富士野の御狩 で機会を得て、長年の親の敵に対してか ねての望みを達しようと、兄弟は互いに 思いを通わせ合い、ともどもに、燃え立 つような敵への激しい怒りや胸の中のく たかね すぶりを、富士の高嶺より吹きおろす風 によって晴らして本望を遂げ、清らかな 月を見るような心境になって、結局はわ れらの名を後世に留めることになるなら ば、われら兄弟は親孝行の手本となるで あろう、それはまことにうれしいことだ、 と二人は勇み立つのであった。