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検索対象: 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)
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1. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

安楽国一云々」とある。なお、謡曲「知シテ气姿が世をも厭はばこそ。心こそ厭へ。 章あ」では、この引用の「安楽国」ま ぶッたい でを音読で用いている。三『謡曲ワキ气心なき身なればこそ、仏体をば知らざるらめ。 拾葉抄』に、「華厳経日」として「一念 ぶッたい そとワ 発ニ起菩提心一勝三於造二立百千塔こ シテ「仏体と知ればこそ卒都婆には近づきたれ。 とあると記すが、『華厳経』にみえず、 『仏心法要』に「菩提心論云」としてこ ワキツレ气さらばなど礼をばなさで敷きたるそ。 の句がある ( 日本古典文学大系によ そとワ る ) 。一三※下掛系は「これもいかで シテ气とても臥したるこの卒都婆、われも休むは苦しいか。 か劣るべき」。一四善事を因縁とし て仏道に入ること。一五悪事がかえ じゅんネんはづ って仏道に入る因縁となること。 ワキ气それは順縁に外れたり。 一六提婆達多齟。釈迦の従弟で出家 ム ぎやくえん してその弟子となったが、のち師にシテ「逆縁なりと浮ぶべし。 背き、師に危害を加えようとして事 成らす、死後無間地獄に堕ちたとい ワキツレ气提婆が悪も、 う。なお、『肝心集』仏菩薩慈悲部の くわん / ん 「提婆達多之悪逆。観音サタ ( 薩垣 ) シテ「観音の慈悲。 之慈悲。周梨盤特之愚痴。大聖文殊 はんどくぐち 之智慧」は、本文に類似している。 ワキ气槃特が愚痴も、 一七観世音菩薩。大慈大悲で衆生を 一九 救済することを本願とする。入周 もんじゅちゑ 梨槃特。釈迦の弟子のなかの最シテ「文殊の智慧。 愚鈍者であったが、のち師の教化を ニ 0 イ 受け大悟した。一九文殊師利吐 ワキツレ气悪といふも、 知恵を司る菩薩。普賢とともに釈 迦に侍する。ニ 0 『維摩経』などで説シテ气善なり。 かれる「善悪不一「邪正一如」 ( 悟り の境地からみれば善悪正邪もま 0 たワキ气煩悩といふも、 く同一のものである、の意 ) を和ら げた表現。三大乗仏教で説く「煩 シテ气菩提なり。 悩即菩提」ということ。ニニ菩提樹 しし明鏡台というが、菩提はも ワキツレ气菩提もと、 ともと樹ではなく、明鏡もまた台で はない。煩悩を減した仏果も、明鏡 うゑき の曇りない真如の理も、本来、無一シテ气樹にあらず。 卒都婆小町 てがあってよかろうそ。 従僧「形はなるほど違っていないとしても、 もっている意味や功徳を与える点に当然 変りがあるのだ。 小町「それでは卒都婆の功徳とはなにか。 僧「ひとたび卒都婆を見ることによって、 永く三悪道を離れることがでぎる。 小町「一瞬の間でも菩撼を求める心を起こす ことは、百千の塔を造るより功徳がまさ るというから、人の心の功徳もどうして 卒都婆に劣ることがあろうそ。 従僧「菩提を求める心があるなら、どうして この憂き世を厭って出家しないのか。 小町「出家の姿をすることが世を厭うという ことではないのだ。わたくしは心で世を 厭っている。 僧「いや、心のない者だからこそ、仏体で ある卒都婆を知らなかったのだろう。 小町「仏体と知ったからこそ卒都婆に近づい たのだ。 従僧「それではどうして礼拝をしないで腰を かけたのだ。 小町「どうせ倒れ臥しているこの卒都婆であ るから、わたくしも休んだのだ。それが なぜ悪い 僧「それは順縁にはずれている。 小町「逆縁であっても浮かぶことができるだ ろう。 七七

2. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

六※下掛系は「これまでなれ」。 七※下掛系は「歓楽の」。 ^ 「一炊」の意をも含む。 九深く感動した時に発する感動詞。 本来、仏法僧の三宝に帰依する意。 《夢中酔舞》の場合は、シテは、「よ くよく思へば」では台より下りず、 「げにありがたや邯鄲の」の繰返しの 句で下りる。 一 0 迷いの境地を抜け出ること。 によう・こかうい こよ、 五「女御」は中宮に次ぐ位、「更衣」は地謡气女御更衣の声と聞きしは、 女御の次の位。いずれも宮中の女官 まっかぜおと 盧生「夢の中であれほど多くいた、 にようご の名称。 シテ松風の音となり ( 橋がかりのほうを見る ) 、 地謡「女御や史、その声だと聞いていた くうでんろうかく のは、 地謡「宮殿楼閣は、 慮生「今は松吹く風の音、 地「夢の中の宮殿楼閣は、 シテ气ただ邯鄲の仮の宿 ( 台の柱を見る ) 、 盧生「実はこの邯鄲の仮の宿りにすぎない、 地謡气栄花のほどは、 地謡「夢の中で栄華の続いたのは、 盧生「五十年、 シテ气五十年、 地謡「さてこの夢の間というのは、粟飯を あひだあはいひ 地謡气さて夢の間は粟飯の、 盧生「ほんのわずかの間のことである、 シテ气一炊の間なり、 地謡「ふしぎなことだ、なんとも考えにく いことだ。 地謡气ふしぎなりや計りがたしゃ。 盧生「よくよく人間というものについて考え にんげん てみると、 シテ气つらつら人間の、有様を案ずるに ( 膝をかかえて面を伏せる ) 、 地謡「人生百年の歓楽といっても、命が終 はくねんくわんらくめい ごジふねん ( 慮生 ) 地謡气百年の歓楽も、命終れば夢そかし、五十年の栄花こそ、 われば夢と同じこと。今の五十年の栄華 六※ こそ、わたくしにとってはこれ以上のも 身のためにはこれまでなり、栄花の望みもの長さも、五 のはない。栄華の望みも長命の願いも、 わうる ジふねんセ※ 十年の歓楽も、王位になれば、これまでなり、げに何事も五十年の歓楽をきわめることも、王位に まで即いた以上、この上に望むことはな 1 ッすい 一睡の夢 ( 枕を見つめる ) 、 しいやまったく何事も、一炊の間の一 うらわ なむさんぼう 眠りの夢と同じくむなしいことなのだ。 シテ气南無三宝南無三宝 ( 団扇で膝を打っ ) 。 慮生「ああそうなのだ、よくわかった。 一 0 しゅッり 地謡「よくよく考えてみると、迷いを脱し 地謡气よくよく思へば出離を求むる ( 立って台より下り、常座のほう ( 盧生 ) ようと望むわたくしが求めていた師は、 この枕なのであった。この邯鄲の枕はま へ行ぎかかる ) 、知識はこの枕なり ( 台へもどって枕を見つめ、台へ上 邯鄲 ごジふねん いッすい やど よ ひ こう

3. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

いくひさ ありあけ になる。 くことぞ。いやこれはとことわに続くの 地謡气なほ幾久し、有明の月。 シテ气いつまでぞ、 であって、 地謡气いつまでぞ、栄花の声も、栄 シテは掛合いの謡、地謡に合わせて舞う。地謡の終りに子方・ 地謡「有明の月の空に残るように、幾久し 花の声も、常磐にて、なほ幾久し、 ワキツレは切戸口より退場し、シテは飛び込むように台の上に く変わらないのである。 有明の月。 たた 上がり、臥す。最前のアイが台へ寄り、枕もとを扇で叩き、せ 《働》の場合は、「有明の月」に続 いて、シテは〔立回リ〕を舞う。 りふを述べた後、切戸口より退場する。 この世のものとも思われぬすばらしさで、 九月を擬人化した言い方。ここでは 昼かと思えば夜、夜かと思えば昼、春夏 秋冬の万木千草がいっせいに花開く。し 慮生を天上の月世界の人にたとえた。シテ气月人男の舞なれば、雲の袖を重ねつつ ( 脇正面〈出る ) 、 , 《夢中酔舞》の場合は、「月人男の かしやがて時が過ぎ、五十年の栄華も終 舞なれば」以下も、シテは台の上で わって、なにもかも消え失せ、盧生の夢 舞う。 は覚めたのであった。宿の女主人は粟飯 一 0 「月」の縁語。「雲の端は」と続き得 シテ「歌ふ夜もすがら ( 足拍子を踏む ) 、 るので、「雲の」は「羽袖」の序。 のできたことを告げる。 = 羽のように薄い軽やかな袖。 盧生「わたくしは、永遠の世である月の世界 三以下は、超現実的な天上界の栄地謡「歌ふ夜もすがら ( 角へ行く ) 、日はまた出でて ( 空を見あげる ) 、 の住人。そのような者の舞であるから、 華の状態の描写である。そしてこの よる あき 雲のように軽やかな薄い羽の袖を重ね重 非現実的な状態は、「夢」の中での光明らけくなりて、夜かと思へば ( 左へまわって中央へ行く ) 、 景としては存在し得るものである。 ねて、喜びの歌を、 シテ气昼になり、 盧生「夜もすがら歌うのである。 地謡「夜もすがら喜びの歌を歌えば、日が 地謡气昼かと思へば ( 中央に立 3 、 また昇って来て明るくなり、このように、 夜かと思えば、 シテ气月またさやけし ( 月を見あげる ) 、 一三※下掛系は「降りつつ」。 盧生「昼になり、 一四目前に四季折々の美しい光景が 地謡「昼かと思えば、 現われて。なお下掛系は「四季折節地謡气春の花咲けば、 をいは、目の前にて」。 もみぢ 盧生「また月がさやかに照っているという有 流儀によ 0 ては、「四季折々は」で、シテ气紅葉も色濃く ( あたりを見わたす ) 、 様。 シテが橋がかりへ行き、一ノ松に膝 地謡「春の花が咲いていると思うと、 をついて、「面白や」で、前の高欄に地謡气夏かと思へば ( 角〈行く ) 、 両手をのせてあたりを眺めわたす演 盧生「そのいっぽうで秋の紅葉も色濃く染ま 出もある。 っており、 シテ气雪も降りて ( 団扇をかざして降る雪を見る ) 、 シテが「春夏秋冬」で一ノ松へ行き、 「面白や」で、橋がかりのうしろの高 まへ はるな 0 ( 慮「夏かと思うと、 欄に腰をかける演出もある。 地謡气四季折々は、目の前にて ( 左へまわって脇座前へ行く ) 、春夏慮生「冬の雪も降っている次第で、 邯鄲 喜びの歌を、 うちわ め そで

4. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

三「 ( 初めなれと ) 言ふ」と掛詞。 四鼓の音。 廷臣「ふしぎなことだ、女御のご様子がなん ツレ气あら面白の鼓の声や、あら面白ゃ。 うつつ にようごおんすがた とも正気でないようにお見えになるのは、 ワキ气ふしぎゃな女御の御姿、さも現なく見え給ふは、 どのようなことであるのかしら。 女御「正気でないこそもっともなこと、綾の なる事にてあるやらん。 鼓は鳴るものであろうか。鳴らないもの ツレ气現なきこそ理なれ、綾の鼓は鳴るものか。鳴らぬを打なのにそれを打てと言ったことこそ、わ たくしのそもそも正気でないことの初め てと言ひし事は、わが現なき初めなれと、 であると、 おも イふなみ 「言えば、折しもタ暮れの波がざわざ ワキ气タ波騒ぐ池の面に、 わと音立てている池の面に、 女御 ( 地謡 ) 「さらに打ち添えられた、 ツレ气なほ打ち添ふる、 廷臣 四 ( 地謡 ) 「鼓の音がして : おんりよう ワキ气宀尸ありて。 ( ワキは地謡座前に着座する ) 老人の怨霊が現われ、「綾の鼓が鳴るも おんりよう のであろうか、打ってみなさい」と女御 〔出端〕の囃子で後シテの老人の怨霊が登場し、一ノ松に立っ かせづえ 五「藻屑となる」は、水底で死ぬとい を責めつける。女御は「悲しや」と叫ぶ て謡い出す。右手に鹿背杖をつき、打杖を腰に插す。「今ぞな のみ。 る」で常座に立ち、掛合いの謡があって、地謡となると、シテ 六年が寄ることを、「寄る」の縁で波 はツレヘ寄り、ツレを作リ物へ導き、打杖を持ってツレを責め 老人の怨霊「池水の藻屑となった老いの身な にたとえていう表現。「波」は「池水」 る。地謡が終わると、ツレは脇座に着座する。 「立ち帰る」の縁語。 がら、 七かえってその表現が不十分なこと 地」謡「ふたたびこの世に立ちもどって、執 になる。 〔出端〕 心の恨みを述べることだ。 ^ 一心に他に対して激しく怒ること。 いけみづ もくづ 怨霊「いや、恨みとも嘆きとも、ロに出して なお「瞋恚」は貪欲・愚痴と並ぶ三毒シテ气池水の、藻屑となりし老の波、 言えばかえって不十分な表現になってし シふしん まう。 〈「 ( 邪淫の恨み ) 晴れまじゃ、晴れ地謡气また立ち帰る執心の恨み、 まじゃ」と「晴れまじゃ、晴れまじゃ 地、謡「一心に相手を怒り憎む、この邪淫に ( 心の雲 ) 」との上下に掛かる。 シテ气恨みとも歎きとも、言へばなかなかおろかなる。 一 0 「心の雲」 ( 心の迷い ) と「雲水の」 よる恨み心は、晴れることがあるまいそ、 とを重ねた。「雲水の」は、行くえ定 地謡气一念瞋恚の、邪淫の恨み ( 足拍子を踏む ) 、晴れまじゃ、晴晴れることはなかろうそ、この心の迷い めぬ、という意であるが、ここでは かくして今は、水中の魔境に住む鬼の身 まきゃうおに 「水」にのみ意味をもたせたものか。 一 0 くもみづ となったのだ。 れましや、心の雲水の、魔境の鬼と、今そなる ( 常座に立 3 。 = 悪魔の住む世界。 二〇七 綾鼓 じゃいん

5. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

おと ツレ气内より答ふる事もなく、ひそかに音するものとては、 おと シテ气機物の音、 ね ツレ气秋の虫の音、 よごゑ シテ气聞けば夜声も、 五「きり、はたり、ちゃう」は機 3 をツレ气きり、 織る擬音であり、また、虫の音ねで もある。なお、「ちゃう」は「チョ・ シテ气はたり、 オ」と発音する。 ツレ「ちゃう、 シテ气ちゃう、 地謡气〈上歌〉きりはたりちゃうちゃう ( 錦木を扇で叩く ) 、きりは 男の亡霊は、さらに、仏の功徳を得るた はたおりセ めにと、三年間錦木を立て続けても恋の たりちゃうちゃう、機織松虫きりぎりす ( 足拍子を踏む ) 、つ さんげ かなわなかった恨みを懺悔の物語りとし ころも づりさせよと鳴く虫の ( 小さくまわる ) 、衣のためかな侘びそ、 て縷々と語る。 ちぐさ 地謡「、やまことに、陸奥の狭布の郡の風 己が住む野の、千種の糸の細布 ( ワキへ向く ) 、織りて取らせ ( 旅僧 ) し 習として、この土地にふさわしい布織る わざ 業の営みは、よそに比べるもののない様 ん ( 中央へ出て着座する ) 。 子であること。 〈クリ〉でツレは作リ物より出て脇座へ行き、ワキよりも上座男の亡霊「今まで申しあげたことだけでも、 に着座する。〈クセ〉となると、シテは立ち、地謡に合わせて 本来なら差し控えるべきことであった、 舞い、ツレの前に着座して留める。 それなのに、なおも昔の様子を見せよと みちのくけふ = この土地にふさわしい営み。布地謡气〈クリ〉げにや陸奥の狭布の郡の習ひとて、所からなる 地謡「お僧の仰せにしたがって、細布を ( 男の亡霊 ) たぐひ ことわざ 事業の、世に類なき有様かな ( ツレは脇座へ行き、ワキよりも上座織り錦木を立てるのであるが、千度錦木 一四七 六「ぎりぎりす」の別名。 七今の「すずむし」の古名。 ^ 今の「こおろぎ」の古名。 九「つづりさせ」 ( 綻びをつくろえ、 の意 ) は、「きりぎりす」 ( 今のこおろ ぎ ) の鳴声。参考「秋風に綻びぬらし 藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴 く」 ( 古今・雑在原棟梁 ) 。 一 0 「 ( 野の ) 千草」の意も含む。 〈上歌〉の終りに、ツレが作リ物よ り出て脇座へ行き、着座する演出も ある。 を織る業のこと。 錦木 おの 一 0 こほり 九 女の亡霊「きり、 男の亡霊「はたり、 女の亡霊「ちょう、 男の亡霊「ちょう。 地謡「きりはたりちょうちょう、き ( 男・女の亡霊 ) りはたりちょうちょう。きりぎりすやす ずむし、『つづりさせよ』と鳴く虫のこ おろぎ。いや、おまえは着物のことが心 配なのか、それなら気にするな。おまえ の住む野の千草を用いて、さまざまな色 の細布を織って、それをやることにしょ うそ。 ちたび

6. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

いてくつろぐ。 いかなる謂れなるらん。 , 《遊曲》の場合は、シテは〔早舞〕の 冒頭で一ノ松〈行き、高欄に寄。てシテ气それは西岫に、入日のいまだ近ければ、その影に隠さ 流れを見おろす。流儀によっては、 〔早舞〕が特殊な〔舞働〕に変わる。 るる ( 足拍子を踏む ) 、たとへば月のある夜は ( 月を見あげる ) 、星 , 《袖之留》の場合は、シテは〔早舞〕 うす を両袖を返して留める。 の薄きがごとくなり。 三※下掛系は、「あら面白の遊楽や」 せいやう と繰り返す。 地謡气青陽の春の初めには ( 角へ行く ) 、 一西の山峡。 かすイふべとほやま ニ五行思想で「青」は「春」に配されるシテ气霞むタの遠山 ( 遠くの山を望む ) 、 四 ので、「春」の異称。 まゆずみ みかづぎ 三「嬋娟両鬢秋蝉翼、宛転双蛾遠山地謡黛の色に三日月の ( まわって地謡座前へ行く ) 、 色」 ( 和漢朗詠集・妓女白楽天 ) の第 二句に、眉を遠山の色にたとえて、 しシテ气影を舟にもたとへたり ( 月影をさし示しつつ正面先へ出る ) 。 るので、「遠山」を受ける。 イう、よ すいチう 四「 ( 黛の色に ) 見」と掛詞。 地謡气また水中の遊魚は ( 足拍子を踏み、数歩下がる ) 、 五※下掛系は「鉤と疑ひ」。 五※ つりばり シテ气鉤と疑ふ ( 右手を上げる ) 。 うんしゃうひてう 地謡气雲上の飛鳥は ( 左手に扇を持ち替え、左手を横に上げて目付柱を見 る ) 、 シテ气弓の影とも驚く ( 水面を見て足拍子を踏む ) 。 〈月は水面に影を映すが、月そのも地謡气一輪も降らず ( 大小前〈行く ) 、 のは天より地に下ることはない、の 意。「一輪」は、ここでは月のこと。 シテ气万水も昇らず ( 小さくまわる ) 、 七「万水」は「一輪」の対語。水と同じ。 ちへんき しゆく 前句とともに、万物は、そのもの本 地謡气鳥は池辺の樹に宿し ( 正面先へ出て、右袖を返して足拍子を踏 来の姿のままである、の意。 ^ 四九〇ハー注九の賈島の詩句に基づ む ) 、 謡曲集 だ初月の宵々に、影も姿も少きは、 さいシう はっ・つきょひょひ ば七 ん いりひ よ 五〇〇 大臣は、夜の明けるころ、月の都へと去 って行く。その面影はまことに名残惜し いことであった。 地「ああ面白い舞楽の遊びであること。 さてさて月は明るいものなのに、そのな かで、まだ月の初めの宵においては、光 も弱くまた形も小さい。これはどのよう な理由なのであろう。 融「それは西の山峡に、入日がまだ残って いるために、その光に隠されるからであ る。それはちょうど、月のある夜には星 がはっきり見えぬのと同じこと。 地叫「青陽の春の初めには、 曽「タ方の霞んでいる遠山が、 まゆずみ 地「眉墨の色に見え、それは三日月の形 のようであるが : 融「その三日月の姿を舟にたとえたりもす るのだ。 地「また水の中に遊ぶ魚は : : : 。 融「水面に映る三日月の影を釣針であるか と疑う。 生「雲の上を飛ぶ鳥は : ・ 融「この三日月を弓の影かとも思って驚く。 地謳「しかし、月そのものは地に降ること はないし : 融「水もまた天に昇ることはない。 地謡「島は池のほとりの樹に宿り : 融「魚は月光のもとの波に眠る。ものみな やまかい いりひ つりばり

7. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 じゅず 流儀によっては、シテ・立衆は立 をこめ、数珠を押し揉む。 入り、シテを頂点としてその後方に二列に着座する。掛合いの って掛合いの謡を謡い、数珠を擦る。 謡があって、地謡に続く。 弁慶「さあそれでは、最期の勤めを始めよう。 えん , 《問答之習》の場合は、ワキは脇座 そもそも山伏というのは、役の行者の創 〔ノット〕 で床几に腰をかけて長刀離を持ち、 シテも中央で床几に腰をかけて金剛 えん 始したやり方を受け継ぎ、 杖を右肩にもたせかけて、シテ・立シテ气いでいで最期の勤めを始めん。それ山伏と言っぱ役の従臣一同「その身は不動明王のお姿の形をま 衆の掛合いの謡の代りにワキがシテ ンばそくぎゃうぎ ね、 に十一の問を発し、シテがそれに答優婆塞の行儀を受け、 弁慶「兜巾というのはすなわち、大日如来の える。立衆はシテのうしろに着座し そんよう ている。 立衆その身は不動明王の尊容をかたどり、 冠である五智の宝冠を模したものである。 セ※ 一※下掛系は、「勤めを始めん」まで ときん ほうくわん 従臣一同「その兜巾には十一一因縁にちなんで なし。ニ役行者え 三修験道の開シテ气兜巾と言っぱ五智の宝冠なり。 祖。文武天皇のころの人。三手本 十二の襞を作って頭にいただき、 えまんだら ジふにいんネんひだす とすべきやり方。四五大明王の一。 弁慶「金剛界の九会曼荼羅を示す柿色の篠懸 立衆气十二因縁の襞を据ゑて戴き、 右手に降魔」うの剣を、左手に縛 3 の を着、 ゑまんだら かきすずかけ 繩を持って、背に火炎を負う。修験 シテ气九会曼荼羅の柿の篠懸、 道で尊崇されていた。五「ソンニョ 従臣一同「胎蔵界の曼荼羅を表わす黒色の ウ」と発音する。お姿の意。六大日 たいざうこくしきはば、は 巾をはき、 如来・金剛薩などのいただく冠。立衆气胎蔵黒色の脛巾を穿き、 弁慶「さてまた足の八目のわらじというのは、 冠中に五智の如来の化身が存する。 やつめ わらん・つ 従臣一同「極楽の八枚の花弁のある蓮を踏ん 兜巾はこれをかたどったもの。五智シテ气さてまた八目の藁鞋は、 は、密教で仏が備えていると説く五 でいることを示したものである。 はちえふれんげふま 種の知恵。すなわち、法界体性智・立衆气八葉の蓮華を踏へたり。 弁慶「ロから出す息では阿字、ロに吸う息に うん 大円鏡智・平等性智・妙観察智・成 いきあうん とな は吽の字をとなえるという、 所作智。七※下掛系は「宝冠たり」。 シテ气出で入る息に阿吽の二字を唱へ、 従臣一同「その身がそのまま仏身である山伏、 ^ 人が前世からこの世に生まれ、死 一六 そくしんそくぶつ このように尊い山伏を、 んでまた次の世に生まれ変わる三世立衆即身即仏の山伏を、 輪廻の有様を、十二の因果関係で説 弁慶「ここで討ち留めなさるということは、 くもの。無明・行・識・名色・六処 シテ气ここにて討ち留め給はん事、 従臣一同「不動明王がごらんになって、どう ・触・受・愛・取・有・生・老死の せうらん 総称。九金剛界曼荼羅の別称。『金 お思いになるか、はかりしりにくく、 ゅやごんげんおんばち 立衆气明王の照覧計りがたう、 剛頂経』に説かれる百一一十八の曼荼 弁慶「熊野権現の御罰が当たるであろうこと ゅやごんげんごばット 羅のうち、九つを選んで一枚の紙や シテ气熊野権現の御罰を当らん事、 布に描いたもの。一 0 柿色。山伏は 従臣一同「この場でただちに、 柿色の衣を着用する。 = 胎蔵界。 大日如来を理の方面から説いた部門。立衆气たちどころにおいて、 弁慶「およそ疑いもないはずのことである。 ごち いただ ときん やつめ だいにちによらい はちす

8. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

五二〇 地謡「払おうとしない袖には霜が置き、月 の光の白さにその霜の色も消されてしま きぬた うような寒夜に、砧打つ人が打ち疲れて あしびき 手を休めている折にもしきりに砧を打っ シテ气足引の、 音がするのは、これはただただ山姥がな わざ す業なのだ。都に帰って、どうかこのよ 地謡气山廻り ( 常座へ行く ) 。 うなことを世の人々に語り広めてくださ 〔立回リ〕 いませ。いや、こんなことを思うのはや いちじゅ いちが たしゃう はり妄執のためであろうか、ただただ何 こだわ 一たまたま、ともに同じ樹の陰に宿シテ气一樹の蔭一河の流れ、皆これ他生の縁そかし。まして 事をも打ち捨てるべきなのだ。善悪に拘 り、同じ川の流れの水を汲むのも、 三※ひとふし きゃうげん って六道に輪廻する山姥が、山廻りをす 前世からの因縁によるものだ、の意。やわが名をタ月の ( ツレヘ向く ) 、憂き世を廻る一節も、狂言 ニ「 ( わが名を ) 言ふ」と掛詞。「廻る」 ることは苦しいことだ。 きぎよ すぐ さんぶつじゃういん おんなごり の序。 綺語の道直に、讚仏乗の因そかし ( 中央へ出る ) 。あら御名残 山姥は、春・秋・冬の、花・月・雪をた 三※下掛系は「わたる一節も」。 ずねての山廻りの様子を見せた後、どこ 四たわむれのことばと飾り立てたこ 惜しゃ ( 鹿背杖を右肩に当てて膝をつく ) 。 へ行ったともわからす見えなくなってし とばと。詩歌音楽などを、仏教や儒 いとま 教の立場から卑しんでいった表現。 シテ气暇申して ( 立 3 、帰る山の ( 常座へ行く ) 、 「願ハクハ今生世俗ノ文字ノ業狂言 山姥「足を引きずっての、 こずゑ 綺語ノ誤チヲ以テ、翻シテ当来世々 地謡「山廻り。 讚仏乗ノ因転法輪ノ縁トセン」 ( 和漢地謡气春は梢に ( 扇を開いて持 3 、咲くかと待ちし ( 角へ出る ) 、 朗詠集・仏事白楽天 ) に基づく。 山姥は〔立回リ〕をする。 五仏法を讚嘆すること。 シテ气花を尋ねて、山廻り ( 左へまわって大小前へ行く ) 。 山姥「一樹の陰に宿り、一河の流れの水を汲 , 《白頭》の場合は、シテは鹿背杖を 持ったまま舞い続ける。 むのも、みなこれは前世からの因縁なの 地謡气秋はさやけき、影を尋ねて ( 中央へ出る ) 、 である。ましてやそなたはわが名を口に シテ月見る方にと ( 雲ノ扇をして月を見る ) 、山廻り ( 角へ行く ) 。 出してこの世を渡る人。その人にわが名 を名のって、このように山廻りの一節を きようげんきぎよ 地謡气冬は冴え行く、時雨の雲の ( 扇をかざす ) 、 謡うことも、狂言綺語の道ながら、それ さそ がそのまま仏法をたたえることになるの シテ气雪を誘ひて、山廻り ( 左へまわって大小前へ行く ) 。 なごりお である。ああお名残惜しいこと。 りんネ 地謡气廻り廻りて ( 大小前で小さくまわる ) 、輪廻を離れぬ、妄執の山姥「お暇申して山に帰りますが、その山に 謡曲集 えて〔立回リ〕を舞い、常座で留める。シテの謡があって、ふ たたび鹿背杖を後見に渡して右手に扇を持ち、掛合いの謡に合 わせて舞い、常座で留める。 イふ・つき かせづえ しぐれ すみ まうシふ ( 山姥 ) もうしゅう

9. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 やまみづすみ , 《遊僧之舞 ~ 。》 0 場合は、「」ざ地謡气面白や山水に ( 角〈行く ) 、盃を浮べては、流に牽かるる関守たちに、油断をするのではないそ、 地謡「怪しまれるようなことをするな皆々と、 テ〈舞を所望し、テの応対があ曲水の ( 左〈まわ「て大小前〈行く ) 、手まづ遮る袖触れて、いざ 弁慶に注意されて、この山陰の一休みの 「もとより弁慶は」に続く。 シテ气衣の袖を雪かけて、 や舞を舞はうよ ( 小さくまわ「て正面を向く ) 。もとより弁慶は場で、さ 0 とまるく並んですわり、所も 山路とて、菊の酒を飲むことにしよう。 さんたふイうそうまひえんねん 地謡气払へば月の光なりけり、やれ とんどや、 ( 足拍子を踏む ) 、三塔の遊僧、舞延年の時のわか。これなる弁慶「面白いこと、山水に、 シテ气君が代は千代に八千代にさざ いはほ 地謡「面白いこと、山水に盃を浮かべると、 れ石の、 山水の ( 角〈出る ) 、落ちて巌に響くこそ ( 扇で上をさし、下ろして 盃は流れにひかれてあたかも曲水の宴の 地謡气巌となりて苔のむすまで、や れとんどや、 下を見て足拍子を踏む ) 。 よう。まず手でこれを押え、袖を触れ合 シテ气衣の袖を雪かけて、 わせて、それでは舞を舞うこととしよう。 えんねん 地謡气払へば月の光なりけり、やれシテ气鳴るは滝の水 ( 常座へ行き、酒を汲んで中央へ出て着座する ) 。 もとより弁慶は三塔の遊僧、延年の舞の とんどや、 時の花形。この山水が落ちて岩に響くの = 比叡山の三塔 ( 東塔・西塔・横川テ「たべ酔ひて候ふほどに、先達お酌に参らうずるにて候。 は、まさに延年の謡い物の、 弁慶「『鳴るは滝の水』ではないか。 = 遊芸をする僧。 0 延年の舞。「延 , キ「さらばたべ候ふべし。とてもの事に先達一さし御舞ひ候 弁慶「お酒に酔いましたので、わたくしがお 後に余興として行なわれた歌舞。 五歌謡。原義は「和歌」であろう。 酌に参ることにしました。 , 宝生流の《延年之舞》の場合は、 富樫「それではいただくことにします。つい シテ「承り候。 「落ちて巌に響くこそ」に続いて、 てはこの際、先達よ、ひとつお舞いなさ 「万歳ましませ、万歳ましませ巌か よ、亀は住むなりありうとうとうと シテ气鳴るは滝の水。 う」と入って「鳴るは滝の水」となる。 弁慶「承知しました。 〔男舞〕 六今様 ( 中世流行の歌諟 ) の一節。 弁慶「『鳴るは滝の水 : ・ 注八。 弁慶は〔男舞〕を舞う。 , 《滝流之伝》《酌掛じの場合は、 シテは常座で〈ワカ〉を謡い、続いて地謡に合わせて舞い、ワ シテ・ワキの問答はなく、「鳴るは キへ一礼して、常座で留める。 滝の水」も一度だけとなる。 酒宴も終わり、弁慶は富樫に別れを告げ、 シテ「〈ワカ〉鳴るは滝の水 ( 上ゲ扇をする ) 、 《酌掛》の場合は、「鳴るは滝の水」 一行を引き連れて陸奥の国へと下って行 で、シテは角で酒を汲み、ワキの前 へ出て膝をついて酌をし、そこから く。まことに危ういところであったが、 地謡气日は照るとも ( 足拍子を踏む ) 、絶えずとうたり、絶えずと 〔男舞〕となる。舞の初めに一ノ松へ 辛うじてのがれたのであった。 たっかゆみ 行って酒を高欄から下へ捨てる型が うたり、疾く疾く立てや ( 立衆を見わたす ) 、手束弓の、心ゅ弁慶「鳴るは滝の水、 七※ 一 0 かろ むつ

10. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

寵衰えて顧みられなくなった身にた前で留める ) 。 なしいったいいっそれを聞くことがで とえる。参考「班睫好団雪之扇、代ニ きるのだろう。 岸風一兮長忘」 ( 和漢朗詠集・納涼大 シテは常座へ行ぎ、〔序ノ舞〕を舞う。常座で舞を留めて、〈ワ 花子「せめてものことに、あの人の形見の扇 江匡衡 ) 。三扇を捨てさせた秋風 カ〉を謡う。以下掛合いの謡に合わせて舞う。 には恨みがある、の意。一三逢えば を手に取って、 別れるのがこの世の常である、の意地謡气絵にかける。 抛謡「ほのかな風の便りだけでも聞きたい の慣用句。参考「合会有ニ別離こ ( 涅 と思うのだが、夏もはや過ぎ、秋風が冷 槃経 ) 。「はじめよりあふは別れと聞 〔序ノ舞〕 ややかに吹き落ち、扇は『団雪』の名が きながら暁しらで人を恋ひける」 ( 続 ふところ 拾遺・恋三藤原定家 ) 。一四※観世シテ气〈ワカ〉月を隠して懐に ( 上ゲ扇をする ) 、持ちたる扇 ( 扇を見あるので、雪というその名を聞くだけで 流はじめ、現行諸流は「なるべし」。 も寒く寂しさがしみわたり、また、扇を 流儀によっては、「別れなるべき」 つめる ) 。 不用のものとした秋風は恨めしいものに で、シテはシオリをする。 そでみへがさね 一五不幸なわが身を思い嘆くことと、 思われるのだ。いや、考えてみると、扇 地謡气取る袖も三重襲 ( 角へ行き、扇を左手で持ち、左へまわる ) 、 吉田少将を思い慕うこととの両意を は逢うに縁があるといっても、『逢うは いろぎぬ 含む。 シテ气その色衣の、 別れ』というのだから、これももっとも , シテが大小前でシオリをして〈ク つまかねこと なことだろう。その因果応報の道理であ セ〉を留める演出もある。 地謡气夫の兼言、 一六次句に続き、扇に月の絵が描い る以上、いまさら世を恨み人を恨むよう イふぐれ てある、の意。「かける」は「欠ける」 なこともすまい。ただただ、思ってもら に音が通じ、「月」の縁語。 シテ气必ずとタ暮の、月日も重なり ( 常座から脇正面へ出る ) 、 えないわが身の上を思い続けて、一人過 現行の演出では、シテは〔中ノ舞〕 をぎ あきか・せ を舞うことが多い。 ごす班女の閨の寂しいこと。 地謡气秋風は吹けども ( ( ネ扇をして中央へ出る ) 、荻の葉の ( 下を見 一七「盛夏ニ銷き工ザル雪、年フ終フ 花子は静かに舞を舞った後、約束を守ら ルマデ尽クルコト無キ風、秋ヲ引イ る ) 、 なかった少将を恨み、扇は「逢う」に縁 テ手ノ裏ニ生なル、月ヲ蔵 3 シテ懐 / のあるはずなのにとかこつ。 中 = 入ル」 ( 和漢朗詠集・扇白楽天 ) シテ气そよとの便りも聞かで ( 角〈行く ) 、 に基づく。この詩の場合の扇は団扇 地謡「月を絵に描いた扇 : ・ ね で、これを月にたとえたもの。本曲 花子は〔序ノ舞〕を舞う。 地謡气鹿の音虫の音も ( 扇を上げて鹿の声を聞き、下を見て虫の音を聞 では、月を描いた扇を懐中にする、 ふところ ちぎ の意。 花子「絵に描かれた月もろともに、懐に隠し く ) 、離れ離れの契り、あらよしなや ( 両手を打ち合わせる ) 。 《笹之伝》の場合は、シテが〈クセ〉 持っているこの扇。 えがさね 〔序ノ舞〕を笹を持って舞い、「月を 地謡「扇も三重襲であるが、それを手に持 ( 花子 ) シテ气形見の扇より、 隠して懐に」で笹を捨てて扇を持っ っ袖も三重襲。 演出もある。 うらおもて 入「望ごに音が通じ、「月」の縁語。地謡气形見の扇より ( 足拍子を踏む ) 、なほ裏表あるものは ( 扇の裏花子「その美しい衣のような、 班女 五七 ねや