おと ツレ气内より答ふる事もなく、ひそかに音するものとては、 おと シテ气機物の音、 ね ツレ气秋の虫の音、 よごゑ シテ气聞けば夜声も、 五「きり、はたり、ちゃう」は機 3 をツレ气きり、 織る擬音であり、また、虫の音ねで もある。なお、「ちゃう」は「チョ・ シテ气はたり、 オ」と発音する。 ツレ「ちゃう、 シテ气ちゃう、 地謡气〈上歌〉きりはたりちゃうちゃう ( 錦木を扇で叩く ) 、きりは 男の亡霊は、さらに、仏の功徳を得るた はたおりセ めにと、三年間錦木を立て続けても恋の たりちゃうちゃう、機織松虫きりぎりす ( 足拍子を踏む ) 、つ さんげ かなわなかった恨みを懺悔の物語りとし ころも づりさせよと鳴く虫の ( 小さくまわる ) 、衣のためかな侘びそ、 て縷々と語る。 ちぐさ 地謡「、やまことに、陸奥の狭布の郡の風 己が住む野の、千種の糸の細布 ( ワキへ向く ) 、織りて取らせ ( 旅僧 ) し 習として、この土地にふさわしい布織る わざ 業の営みは、よそに比べるもののない様 ん ( 中央へ出て着座する ) 。 子であること。 〈クリ〉でツレは作リ物より出て脇座へ行き、ワキよりも上座男の亡霊「今まで申しあげたことだけでも、 に着座する。〈クセ〉となると、シテは立ち、地謡に合わせて 本来なら差し控えるべきことであった、 舞い、ツレの前に着座して留める。 それなのに、なおも昔の様子を見せよと みちのくけふ = この土地にふさわしい営み。布地謡气〈クリ〉げにや陸奥の狭布の郡の習ひとて、所からなる 地謡「お僧の仰せにしたがって、細布を ( 男の亡霊 ) たぐひ ことわざ 事業の、世に類なき有様かな ( ツレは脇座へ行き、ワキよりも上座織り錦木を立てるのであるが、千度錦木 一四七 六「ぎりぎりす」の別名。 七今の「すずむし」の古名。 ^ 今の「こおろぎ」の古名。 九「つづりさせ」 ( 綻びをつくろえ、 の意 ) は、「きりぎりす」 ( 今のこおろ ぎ ) の鳴声。参考「秋風に綻びぬらし 藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴 く」 ( 古今・雑在原棟梁 ) 。 一 0 「 ( 野の ) 千草」の意も含む。 〈上歌〉の終りに、ツレが作リ物よ り出て脇座へ行き、着座する演出も ある。 を織る業のこと。 錦木 おの 一 0 こほり 九 女の亡霊「きり、 男の亡霊「はたり、 女の亡霊「ちょう、 男の亡霊「ちょう。 地謡「きりはたりちょうちょう、き ( 男・女の亡霊 ) りはたりちょうちょう。きりぎりすやす ずむし、『つづりさせよ』と鳴く虫のこ おろぎ。いや、おまえは着物のことが心 配なのか、それなら気にするな。おまえ の住む野の千草を用いて、さまざまな色 の細布を織って、それをやることにしょ うそ。 ちたび
きつらゆき きつらゆき たまっしまみようじんさんけい 〔次第〕の囃子でワキの紀の貫之とワキツレの従者とが登場。 紀の貫之とその従者は玉津島明神参詣の ワキツレの一人は太刀を持つ。正面先に向かい合って〈次第〉 旅に出る。その途中、急に日が暮れ大雨 を謡う。ワキは正面を向ぎ〈名ノリ〉を述べた後、ふたたび向 が降り、馬も進まず、困惑する。 かい合って〈上歌〉を謡う。〈上歌〉の末尾でワキは歩行の 紀の貫之「和歌の精神をわが進むべき道とし を示し、ワキツレは謡いながら脇座へ行き着座する。ワキは中 て、和歌の心の体得を目ざして歩む者と 央へ行き、せりふを述べた後、安座して「燈暗うしては」以下 して、玉津島明神に参詣しよう。 を謡い、脇座へ行き着座する。 貫之「わたくしは紀の貫之であります。わた 一和歌の精神をわが進むべき道とし て、の意。 くしはかねてより和歌の道にたずさわっ 〔次第〕 ニ和歌山市和歌浦南方にある小島。 ているのに、まだ玉津島に参詣しており 衣通を祭り、和歌の神として ワノキ气〈次第〉和歌の心を道として、和歌の心を道として、 ませんので、ただいま思い立って紀州へ 万葉時代から尊崇された玉津島神社ニ たまっしま の旅に出かけようと思います。 がこの島にあった。 玉津島に参らん。 三平安時代前期の代表的歌人。『古 貫之「夜は宿に寝て夢を結び、目が覚めれば きつらゆき 今集』撰者の一。家集『貫之集』のほ ワキ「〈名ノリ〉これは紀の貫之にて候。われ和歌の道に交はる旅に出て、起きればまた旅路をたどって、 か『土佐日記』などがある。 明けても暮れても思うは都のこと。都の 四この〈上歌〉は『閑吟集』一一 0 に採ら れている。 といへども、いまだ玉津島に参らず候ふほどに、ただいま空の月影はさそかし美しかろうと思いや き 五※下掛系は「仮枕」。 っても、その都は雲を隔てたはるかかな 思ひ立ち紀の路の旅にと心ざし候。 六「夜の関」は、夜を、物をさえぎる 五※ たになり、一面に暮れてきた空に聞こえ 関にたとえた表現。「夢」「枕」、「明 うつつ たびまくら 暮」「月」と「夜」の縁語を連ねた。 ワキ气〈上歌〉夢に寝て、現に出づる旅枕、現に出づる旅枕、るのは、人里の近くなったことを示す鐘 「夜の関戸の」は「開芒の音をもつ「明 の音。入相の鐘が響いて来るので、人里 六 せきど あけくれ 暮」の序。 夜の関戸の明暮に、都の空の月影を、さこそと思ひやる方 が近いようだ。 七都。「雲の居所」の意も含む。「月」 くもゐ へだた さとちか 貫之「ああ困ったこと、急に日が暮れ大雨が の縁語。 も、雲居は跡に隔り、暮れわたる空に聞ゆるは、里近げな 降り、その上乗っている馬までが倒れ伏 〈困惑すること。 して、どうしてよいかわからなくなりま ワキが脇座前に立 0 て、「あら笑る鐘の声、里近げなる鐘の声。 ( ワキツレは脇座に着座する ) 止や」以下を述べる演出もある。 した。これはどうしたことだ。夜は暗く せうし にはか 九どうしたらよいか、なすべき手段 ワキ「 ( 中央に立って ) あら笑止や、俄に日暮れ大雨降りて、しか雨は降り、馬は一足も進まず、どうにも がわからない、の意。 こま わきま 一 0 「燈暗数行虞氏涙、夜深四面楚歌 なすすべもない。ああ困ったことであり 声」 ( 和漢朗詠集・詠史橘広相 ) の初も乗りたる駒さへ伏して ( ワキは一二歩下がる ) 、前後を弁へ ます。 句を引ぎ、夜の暗いことの形容に用 ともしび すかうぐしなンだ たいまっ いた。「虞氏」は項羽の愛妾。 ず候ふはいかに。气 ( 安座して ) 燈暗うしては数行虞氏が涙 松明を持った宮守が登場し、この社地が はやし たち
ござ トモ「 ( ツレ・トモは向かい合って ) さてはこのあたりにては御座なげりますが、もとより盲目の身だから見た ことはない。まことにあわれなご様子と に候。これより奥へ御出であって尋ね申され候へ。 ( 二人は うかがって、なんとはなく気の毒なこと と思っているのである。詳しいことはよ 後見座へ行き、うしろを向いて着座する ) そでお尋ねなさい。 従者「さてはこのあたりではないようでござ シテのせりふがあって、地謡の〈上歌〉に続く。〈上歌〉の末 尾で、ツレ・トモは立って一ノ松へ出る。 います。ここよりもっと奥のほうにおい でになってお尋ねなさいませ。 シテ「ふしぎゃなただいまの者をいかなる者そと思ひて候へば、 景清は、わが子の声を聞きながら面影を ひととせをはり 見ることのできなかった盲目の身を嘆き、 この盲目なる者の子にて候ふはいかに。われ一年尾張の国 あえて名のりをしなかったのは娘を思う あった イうぢよあひな によし なに 親心であると述懐する。 熱田にて遊女と相馴れこの子を儲く。女子なれば何の用に 景清「ふしぎなこと、ただいまの者をだれか かめえやっちゃうあ・つ ニ本義は宿駅の長。ここでは旅宿の立つべきそと思ひ、鎌倉亀が江が谷の長に預け置きしが、 と思いましたところ、この盲目の者の子 女主人。 な でありましたとは。わたくしはその昔、 おわり 三親子でありながらなじみのない仲馴れぬ親子を悲しみ、父に向って言葉を交す。 尾張の国熱田で遊女と馴れ親しんでこの であることを悲しんで。 おもかげ 子を得た。女の子であるからなんの役に 地謡气〈上歌〉声をば聞けど面影を、見ぬ盲目そ悲しき。名の 立っことがあろうそと思い、鎌倉の亀が ぎづな 四肉親の間における断ちがたい結び つき。 らで過ぎし心こそ、なかなか親の絆なれ、なかなか親の絆江が谷の長者に預けて置いたが、親子で , 〈上歌〉の末尾で、シテが面を伏せ ありながらなじみのない仲であることを るだけでシオリをしない演出もある。 なれ ( シオリをする。ツレ・トモは一ノ松へ出る ) 。 悲しんで、ここまで尋ねて来て父に対し かわ てことばを交したのだ。 ツレ・トモは一ノ松に立って、揚幕へ呼びかける。ワキの里人 地謡「声は聞くけれどその姿を、見ること が登場して三ノ松に立ち、問答となる。問答が終わると、一同 のできぬ盲目の身は悲しいこと。名のり 舞台へ入り、ツレ・トモは脇座、ワキは脇正面に立つ。 をしないですませたわが心こそ、無情な さとびと ように見えるが実は、親子の断ちがたい トモ「 ( 揚幕へ向いて ) いかにこのあたりに里人のわたり候ふか。 結びつきによるものなのだ、つれないよ なにごよう なさけ ワキ「里人とは何の御用にて候ふそ ( 登場して三ノ松に立 3 。 うに見えて実は真の親の情なのだ。 流儀によっては、問答の終わった ツレ・トモは脇座に着座する。 一名古屋市熱田区付近一帯の称。 謡曲集 四 まう
五首を斬られる者のすわる座席。 , 道行を終えた子方・ワキが大小前 に着座する演出もある。 道行を終えたところで、従者が切 戸口より退場する演出もある。 六※下掛系は「近づき」。 「御後に立ち廻り」で、本間がツレ のうしろへまわってから脇座へ行く 演出もある。 七南無阿弥陀仏の名号を十度となえ ること。 , 流儀によっては、子方はツレの袖 を取ってツレに声をかける。 四※ただよ 四※下掛系は「波に漂ふ磯千鳥」。 梅若「梅若は父のご最期であると、聞くとと ツレ气波路漂ふ磯千鳥、 かもめね もに目の前がまっ暗になり肝がつぶれ、 , 「あはれさや増さるらん」で、ワキワキ气沖のも音を添へて ( ワキは脇正面を見やる ) 、あはれさや 心も落ち着きを失ってころんだり起きた がシオリをする演出もある。 りしながら、泣く泣くお輿のあとにつき 増さるらん ( ワキは子方を見つめる ) 。 したがって行く。 おんくび 地謡「お輿を急がせて行くうちに、浜の上 地謡气御首の座敷これなりと、輿よりおろし申せば ( 一同舞台を ( 本間 ) 野も近づいてきて : ・ すけともしきがは まわ 0 て道行の態を示す ) 、資朝敷皮の、上に直らせ給へば ( ツレ資朝「波には磯千鳥の浮かんで動いているの おんヌしろ もののふ が見え・ : は中央に着座する ) 、武士やがて立ち寄り、御後に立ち廻り ( 本 阿闍梨「沖のも同情して声を添えて鳴き、 おんジふねん おんジふねん あわれさがひとしお増さることだ。 間は脇座に着座する ) 、御十念と勧めけり、御十念と勧めけり おんくび 地上「御首をお打ち申す場所はここである ( 本間はツレに右手をさして勧める ) 。 と、輿よりお下ろし申すと、資朝の卿は 敷皮の上に正座なさる。すると一人の武 すみ おんうしろ 子方は角へ出てツレに声をかける。ワキも子方へ続いて脇正面 士がやおらおそばに近づき、御後にまわ じゅうねん へ出る。ツレは子方へ応対して、本間に声をかける。子方・ワ って立ち、では十念をとなえられよと勧 キは後見座にうしろを向いて着座する。ツレ・本間の問答があ めた、最期の十念をどうそと勧めたので って、地謡となると、本間はツレのうしろへまわり、太刀を抜 あった。 いて振りかぶる。ツレは掛絡を前に置いて、切戸口より退場す る。本間は太刀をおさめて地謡座前に立つ。 梅若は資朝の前に走り出る。資朝は帥の 阿闍梨に梅若を引き取らせ、本間に向か 十『太平記』では、阿新は資朝処刑の子方「 ( 角へ出て膝をつき ) なうみづからこそこれまで参りて候へ。 って、実はあれはわが子であると前言を 場に居合わさない ひるがえし、梅若を都へ送り届けてくれ ツレ「 ( 子方へ向ぎ ) 何とてこれまでは下りたるそ。最期は今にて るようにと頼む。本間が承諾すると、資 かたはら 朝は、思いおくことなしと言って、首を はなきそ、傍へ忍び候へ。 ( ワキへ向き ) いかに客僧まづそな 斬られる。 梅若「もうし、わたくし自身ここまで参った たへ召され候へ。 八※ のであります。 かしこまッ ワキ「畏って候。 ( 子方・ワキは後見座へ行く ) 資朝「どうしてここまで下って来たのだ。わ 三五三 ^ ※この一句、下掛宝生流による。 子方・ワキが大小前に着座する演 出もある。 檀風 六※ たち かもめ
謡曲集 一※けしき 一※現行金春流は、「空の気色かな」。 らぬ雲の気色かな。 く、もま ざうら = ※現行観世流は、「昔より天子の御シテ「おうただならぬ雲間の気色候ふよ。气 ( ツレ〈向き ) さるに 座所にこそ」。 ござどころ しうんナ ても天子の御座所にこそ、紫雲は立っと申せ、「もしもふ 三 じよう しぎに尉が住みかに ( 脇座のほうへ向く ) 、 きにん ツレ气さやうの貴人やおはすらんと、 四※現行観世流は、「舟さしよせてわシテ气舟さしとめてわが屋に行き、 が屋に帰り」。 五思っていたとおりであった。 ツレ「見ればふしぎやさればこそ ( シテ・ツレは舟より下りる ) 、 そで 六玉で飾られた冠。 シテ气玉のかうぶり直衣の袖、 七貴人の通常服。 っゅしも九 ^ 「露」は「玉」「袖」の縁語。 ツレ气露霜に引き濡れ給へども、 九「引き」は「袖」の縁語。なお現行観 世流は「しをれ給へども」。 シテ气さすが紛れぬ、 ~ 冖气御よそほひ、 きよみばら しらなみ 一 0 「 ( さも ) 清み」と掛詞。なお現行地謡〈上歌〉さも浄御原の天子とは、後にそ思ひ白波の、釣 観世流は「やごとなぎ御方とは、疑 ざを ひもなく白糸の」。 竿をさし置きて ( ツレは角へ行き、釣竿を置き、着座する ) 、そもや = 「 ( 思ひ ) 知らる」と掛詞。「釣竿」 いや の序。 いかなる御事そ ( シテは中央へ出る ) 、かほど賤しき柴の戸の、 , 流儀によっては、〈上歌〉となって おまし からシテ・ツレは舟より下りる。 しばしがほどの御座にも、なりける事よ定めなき、世の習 三柴で作った戸。貧しい山家の形 容。「しばし」と重韻。 ひこそふしぎなれ、世の習ひこそふしぎなれ ( 着座する ) 。 一三※現行観世流は「いかにせん、あ らかたじけなの御事や、あらかたじ けなの御事や」。 シテは着座のままワキに問いかけて問答となる。シテ・ツレは 三老人。 四※ なセ し すみ 一三※ つり 申し伝えている、とすると、もしかして、 考えも及ばぬことではあるが、この老人 の住いに、 姥「そのような貴人がおいでなのであろう かと、 老翁「舟を漕ぎ留めてわが家に行き、 姥「見たところ、ふしぎなことにも、思って いたとおり、 老翁「玉の冠をつけ、直衣の姿の方がおいで である。 そで 姥「その直衣の袖は露や霜でお濡れになっ ているけれども、 老翁「なんといっても他の者と紛れることの 翁「お姿。 地謡「浄御原の天皇であるとは後にわかっ たのであるが、まことに清らかなお姿で つりざお あった。それはともかく、釣竿を取り急 ぎ置いて、いったいこれはなんというこ とそ、これほどしい粗末な家が、しば らくの間の御座所にもなったとは。ああ 定めない世とはいえ、世の習わしはまこ とにふしぎなことである、この世の中に は意外なことが起こるものだ。 侍臣は老人に、この貴人が浄御原の天皇 であることを告げ、この一一三日食事をさ れていないので、なんでもよいからさし ずうお あげるようにと言う。老人夫婦は国栖魚 のうし
からたま ッ こんがうほうせき と重ねた。なお現行観世流は「唐玉シテ气金剛宝石の ( 足拍子を踏む ) 、上に立って ( 両手を開いて正面〈地謡「乙女子が、天よりの乙女が、唐玉を手 の琴の糸」。六吉野七曲坂に鎮座の に持って、玉のように美しい琴の音に引 神。「八所」とは勝手社に八神を祭る 出る ) 、 かれて、出て舞えば、その音楽によって ためか。七「 ( この山に ) 籠り」と掛 いッそく 神々も出現し、この山に籠っている勝手 詞。吉野山中の水分山に鎮座の神。地謡「一足をひっさげ ( 扇を左手に持ち、足拍子を踏む ) 、東西南北 「勝手」とともに蔵王権現に付属する。 八所の神や木守の神、さらには蔵王権現 すみ じッばう ^ 蔵王権現。吉野の蔵王堂の本尊。 も現われたまうのである。そもそも蔵王 ( 扇を右手に持 3 、十方世界の ( あたりをさし、角へ行く ) 、虚空に 役行者が金峯山で修行中に感得 とは、王を蔵すという意味であるが、 そッと ふてん したと伝えるもので、忿怒」ん・降魔ひぎゃう ここ吉野山に天子を 】。の相をなし、右手に三鈷】《を持ち、飛行して ( まわ 0 て常座〈行く ) 、普天の下、率土の内に ( 常座から権現「そのとおりに、 だいせいりき 右足を上げた形をしている。 わうゐ お隠し申した蔵王権現は、 脇座前へ行く ) 、王位をいかでか、軽ん・せんと、大勢力の ( 脇座 天女は子方より上座に着座する。 地謡「今ここに姿を現わし、たちまち姿をお 流儀によっては、天女は地謡座前に あらた をさ 着座する。 前で両袖を巻きあげる ) 、力を出し、国土を改め、治まる御代の見せになって、その天をさす手は、 九「蔵王」を訓読し、「天皇を蔵す」の 権現「膃蔵恭をさし示し、 かしこ ( 地謡 ) てんむせいたい 意を含ませた。 ( まわって常座へ行く ) 、天武の聖代、畏き恵み ( 両袖を下ろす ) 、あ地諸「地をさす手は、 , 《白頭》の場合は、シテは揚幕の内 ぎずい 権現「金剛界を示しているのだ。そして宝 ( 地謡 ) で謡い出し、「あらはして」で登場す らたなりける、奇瑞かな ( 留拍子を踏む ) 。 石の上に立って、 る。この場合に、〔早笛〕の囃子があ ってシテが登場する演出もある。 地謡「片足を高く上げ、東西南北、十方の世 《白頭》の場合は、シテは白頭に不 界を飛びまわり、天のあまねくおおう所、 動の面をつける。 いかなる地の果てまで、どこであろうと 一 0 胎蔵界。大日如来の「理」の面を 表わしたもの。 = 金剛界。大日如 王地なのだから、どうして天子を軽んじ 来の「智」の面を表わしたもの。 てよかろうそと、たいへんな威力を出し 三「金剛」の縁語。一三全世界。「十 て、この国の状態を改めて、治まる御代 方」は四方と四隅と上下。一四天の にしたのであった。その天武のめでたい あまねくおおう所の下、陸地の連続 した果てまで、の意。「普天之下、莫 御代において、われらはありがたい恵み レ非ニ王土→率土之浜、莫レ非一一王臣こ を受けるのであるが、それにしても、な ( 詩経・小雅・北山 ) に基づく。 んとあらたかな奇跡であること。 一五王の位。転じて、天皇の意。 一六※現行観世流は「治むる御代の」。 一七※現行観世流は「例墻かな」。 , 流儀によっては、シテは左袖を返 して留拍子を踏む。 国栖 かろ おとめご こん 1 ) み′力、 三四一
四〇六 謡曲集 あだちはら 一福島県北部の安達太良山の東麓く、名にのみ聞きし陸奥の、安達が原に着きにけり、安達原に着いたのであります。ああ困ったこ の原野。 と、日が暮れました。このあたりには人 が原に着きにけり。 里もありません。あそこに火の光が見え ますので、立ち寄って宿を借りたいと思 ニ※この一句、下掛宝生流による。 ワキ「〈着キゼリフ〉急ぎ候ふほどに、これははや陸奥の安達が います。 , ワキ・ワキツレが脇座で立ってい る演出もある。 原に着きて候。あら笑止や、日の暮れて候。このあたりに同行の山伏「それがよいと思います。 いおり , 流儀によっては、〈上歌〉の末尾で 野原の中の一軒の庵に、中年の女が一人、 はなく、ワキ・ワキツレが脇座に着 は人里もなく候。あれに火の光の見え候ふほどに、立ち寄 わび住いの寂しさを嘆き、この世をはか 座してから引回しを下ろす。 , 《白頭》《黒頭》の場合は、シテが なんでいる。 り宿を借らばやと存じ候。 姥あるいは痩女の面を用いる演出も 女「まことに、一人わびしく暮らす者の日々 ある。 ほど悲しいものはよもやあるまい。この ワキツレ「もっともにて候。 ( ワキ・ワキツレは脇座に着座する ) , 《白頭》の場合は、シテが縫箔着流 に縷水衣を着用する演出もある。そ ようなつらい世に飽き飽きしているのに、 シテは着座のまま〈サシ〉を謡う。 の場合、後シテの負柴にはその水衣 憂き秋がめぐり来て、夜明け方の風は身 わびびと を巻く。 にしみるけれど、心を休めることもなく、 シテ气〈サシ〉げに侘人の習ひほど、悲しきものはよもあらじ。 三「 ( 憂き世に ) 飽き」と掛詞。 昨日もむなしく暮れてしまった。このよ 四「朝明け」の転。夜明け。参考「秋来 かかる憂き世に秋の来て、朝けの風は身にしめども、胸を れば朝けの風の手を寒み山田の引 うな日常なので、日が暮れて後、夜にま 板 2 をまかせてぞ聞く」 ( 新古今・秋下 きのふむな どろむことが、せめて生きているしるし 大江匡房 ) 。 休むる事もなく、昨日も空しく暮れぬれば、まどろむ夜半 というべきか。ああはかないわが生涯で 五※下掛系は「涙なる」。 しゃうがい 五※ あること。 , 「あら定めなの生涯ゃな」で、シテそ命なる。あら定めなの生涯ゃな。 がシオリをする演出もある。 祐慶は一夜の宿を乞い、庵の中の女はい 六※下掛系では、次に、以下のよう ワキ・ワキツレは脇座に立ち、シテに問いかけて問答となる。 ったんは断わるが、ぜひにと言われて招 な問答が入り、「いかにや : ・」となる。 掛合いの謡があって、地謡となると、シテは作リ物より出て中 ワキ「これは廻国の聖なるが、行き暮 き入れる。草庵の茅莚の旅寝の床はつら 央に着座する。ワキ・ワキツレも着座する。後見が作リ物の枠 かせわ れて前後を亡糴じて候。一夜の宿 いものであった。 株輪を角に置く。 を御貸し候へ。 祐慶「もうし、この家の内へご案内申します。 ゃうち シテ「あまりに見苦しき柴の庵にて ワキ「いかにこの屋の内へ案内申し候。 女「いっこ、、どのような人ぞ。 候ふほどに、お宿はかなひ候ふま じ。 ( 車屋本 ) 祐慶「もうし主よ、お聞きになってください。 シテ「そもいかなる人そ。 七※現行観世流では、ワキ・ワキッ わたくしどもは初めてここ陸奥の安達が あるじ セ※ レ両人の謡になっている。 ワキ气いかにや主聞き給へ。われら始めて陸奥の、安達が原原に来て、行き暮れてしまって宿を借り 〈「 ( 始めて ) 見」と掛詞。 ニ※ 六※ ちのく わく あるじ かやむしろ
一 0 ※この一行、山本東本による。 = 「オトオリャレ」と発音する。 , 子方が笠・笈を取り、篠懸・水衣 をつけないで脇座へ出る演出もある。 てんまきじん けて、勇みかかれる有様は、いかなる天魔鬼神も、恐れつ べうそ見えたる ( シテは立衆をおし留めて、金剛杖を右肩にもたせか けて立 3 。 おんとほ ワキ「ちかごろ誤りて候。はやはや御通り候へ。 太刀持「急いでお通りやれお通りやれ。 ( ワキ・太刀持は囃子方のう しろへ行く。シテは後見座へ行く ) すずかけみずごろも 子方は笠・笈を取り、篠懸・水衣をつけて脇座に立ち、立衆は 脇座から大小前へかけて並んで立つ。後見座で水衣の肩を下ろ したシテは常座に立ち、せりふを述べる。子方は床儿に腰をか け、立衆は着座する。シテは中央へ行き着座する。シテ・子方 の問答があって、〈クリ〉〈サシ〉〈クセ〉と続く。 ばツ・、ん あひだ シテ「さきの関をばはや抜群に程隔たりて候ふ間、 ( 子方へ向い て ) この所にしばらく御休みあらうずるにて候。 ( 立衆へ向い て ) 皆々近う御参り候へ。 ( 中央に着座する ) シテ「 ( 両手をついて ) いかに申し上げ候。さてもただいまはあま 一三ふつうならとても考えられない つかまっ ような、不都合なしわざ。 りに難儀に候ひしほどに、ふしぎの働きを仕り候ふ事、 一四※以下、下掛系は、たとえば次の 一四※ ごうん ようである。 气これと申すに君の御運、尽きさせ給ふにより、今弁慶が 气これと申すも御果報の拙たくな らせ給ふにより、今弁慶が杖にも 当らせ給ひぬるよと存じ候へば、杖にも当らせ給ふと思へば、 いよいよあさましうこそ候へ。 かへすがヘすあさましうこそ候へ。 あ ( 車屋本 ) 子方「さては悪しくも心得ぬと存ず。いかに弁慶、さてもただ 安宅 三はなはだしく。非常に。 関を通り過ぎた後、とある山陰で一行は 休む。弁慶は先ほどの非礼をわびるが、 義経は、あの行動は凡慮から出たもので はちまんだいぼさっ はなく、八幡大菩薩のおぼしめしによる ものであろうと言う。一行はしめやかに 過去を振り返り、義経の悲運について語 り・〈ロう - 。 弁慶「先ほどの関所を、もはやずいぶん遠く 隔たりましたので、この所でしばらくお 休みなさいますよう。皆々もこちらへお いでなさい。 弁慶「申しあげます。さてもただいまは、あ まりに困難な事態でありましたので、ふ つうならとても考えられないような不都 合なしわざをいたしたことであります。 このようなことも、君のご運のお尽きな さいましたため。それで今こうして、弁 慶の杖にまでもお当たりになったのだと 思うと、いよいよあきれはててしまうこ とであります。 義経「それはまちがった考え方であると思う。 弁慶よ、さてさてただいまの機転は、と ても人間の凡愚な考えによってなされた ことではない。ただただ天のお守りくだ さったことだと思うのだ。関の者どもが わたくしを怪しいと思って、まさにわが 命の終りであったところを、とやかく是 か非かなどと論議をしないで、ただほん
小聖「特別な行法を行なっているという事情 のころの行者。修験道の祖。大和国ワキツレ「 ( 小袖へ向き ) これに御座候そと御覧候へ。 葛城山に住んで難行苦行を重ね、後、 がありますが、大臣よりの仰せとうかが じやき 吉野の金峯山 : 大蜂などを開いワキ「 ( 小袖へ向き ) これはことのほかの邪気と見えて候ふほどに、 いますので、参ることにいたしましよう。 た。一四密教で本尊とする大日如来 まずおまえは先へ行きなさい。 の、理徳の方面から顕わした部門を そと加持申さうずるにて候 ( ワキはワキツレヘ向く ) 。 胎蔵界 ( 慈悲甚深にして一切の功徳 従者「それではわたくしはお先へ参ることに おんかち を具有する ) 、知徳の方面から顕わ いたします。 ワキツレ「やがて御加持候へ。 した部門を金剛界 ( 知徳堅固にして 従者「小聖をお連れして参りました。 一切の煩悩を砕破する ) とし、両者 を合わせて胎金両部という。「胎金 ワキ「心得申し候。 ( ワキツレは笛座前に下がり着座する。ワキは大小廷臣「承知した。 両部の蜂」は、修験者がこの両部を 小聖「特別の行法を行なっているところであ 前へ行き、膝をついて祈りの準備をする ) きわめるために修行する、大峰山と りましたが、大臣よりの仰せとうかがし 葛城山をさすのであろう。一五大峰・ はやし ましたので、参りました。 〔ノット〕の囃子でワキは中央へ行き、着座して謡い出す。後シ 葛城両山を踏み分けた時にふりかか じゅず からおり った露を、極楽にあるという七宝 テは唐織をかずいて常座へ出て身を伏せる。ワキは数珠で祈り、 廷臣「夜分でありますのに、おいでくだされ、 ( 金・銀・瑠璃・玻璃・陣磔乳や・珊 〔祈リ〕となる。シテは身を起こし、ワキの祈りに対してシテ ありがとう存じます。 瑚・瑪瑙 ) 樹林の露にたとえたもの。 シテは小袖の前、ワキは脇座前に膝をついて留め 小聖「さて病人はどこにおいででありますか。 一六修験者が衣の上に着る麻の衣。 る。続いて、掛合いの謡、地謡に合わせて、ワキの祈りに対す 廷臣「ここにおいでであります。様子をごら 深山の篠 ( 叢生する細い竹 ) の露を るシテのたたかいがあって、シテは祈り伏せられて常座に安座 防ぐためのものとされた。一七「忍 うちづえ んになってください。 して打杖を捨てる。 辱」は、一切の毎辱・迫害を忍耐し 小聖「これは思いのほかのもののけのように 恨まないこと。この忍辱の心がすべ 見えますので、それではひとっ加持申す ての外障から身を守るということを、 〔ノット〕 袈裟にたとえた。「如来ノ衣トハ、柔 ことにいたします。 えんぎゃうじゃ たいこんりゃう ぎゃうじゃ 和忍辱ノ心、。レナリ」 ( 法華経・法師ワキ气行者は加持に参らんと、役の行者の跡を継ぎ、胎金両廷臣「すぐに加持をなさってください。 品 ) 。入材質の赤い木 ( 紫檀など ) しッぼう すずかけ 小聖「承知しました。 で作った数珠。一九そろばん玉のよ 部の峰を分け、七宝の露を払ひし篠懸に ( シテは唐織をかずい うに、平たく、かどの高い、大粒の にんにくけさあかき 小聖は懸命に祈る。怨霊は悪鬼となって 玉を連ねた数珠。修験者の多く用い て出て、常座に身を伏せる ) 、「不浄を隔つる忍辱の袈裟、赤木の ふたたび姿を現わし、小聖に迫る。小聖 るもので、揉むと高い音を発する。 じゅず は五大尊明王に祈願をこめ、ついに怨霊 数珠のいらたかを、さらりさらりと押し揉んで ( ワキは数珠を を祈り伏せる。 ひといの 小聖「行者は加持してさしあげようと、役の たいぞうか、 揉んで祈る ) 、气一祈りこそ祈ったれ。 ( シテは身を起こし、ワキを 行者の跡を継いで、胎蔵界・金剛界の両 おおみねかすらき 見つめる ) 部にたとえられる大峰・葛城の蜂を分け こん 1 一ら・か、
一※以下のアイの独白、およびワキ と応対のせりふは、山本東本による。 謡曲集 《真之伝》《白波之伝》の場合は、 ワキに命ぜられたアイがシテを揚幕 へ送り込む。 四四〇 おんナか ともなことであります。また、世間の者 にむせぶ御別れ ( シオリをして立っ ) 、見る目もあはれなりけり どもが思いますには、鬼神よりも恐ろし ( 常座で立ち止まり、シオリをして静かに中入する ) 、見る目もあはれ い平家をおほろぼしなさる上は、ご兄弟 しようぎ の仲は日と月とのように並び立つはずで なりけり ( 子方は脇座にもどり、床儿に腰をかける ) 。 ございますのに、 いったいどのような者 よりし J 、も なかたが 最前のアイが常座に立ち、幀朝・義経兄弟の仲違いもまもなく が讒言を申しましたのかしら、幀朝と御 仲直りするであろうなどと述べて、大小前へ行き、着座してワ 仲違いをなさって、西国のほうへお下り キへ声をかけ、間答となる。問答が終わると、アイは狂言座に なさいますこと、まことにおいたわしい 退き、着座する。 ことであります。しかしながら、もとも なごりをし とご兄弟という一体の間柄でおありのこ アイ「さてもさても、ただいま静の、君に名残を惜ませらるる体 とだから、すぐに御仲直りをなさって、 を見申し、われらごときの者までも、そそろに涙を流し申し ごぢゃう 都へお上りになるということは疑いもな て候。また君の御諚には、はるばるの波濤を凌ぎ伴はん事、 いことである。いや、言わないでもよい 人口しかるべからずとの御事、これは御もっともなる御事に独り言を申してしまった。このようなこ おにかみ て候。また世上に存ずるには、鬼神よりもおそろしき平家をとを言っているよりも、先ほど仰せつけ ござぶね ごきゃうだい られた御座舟のことを、武蔵殿にまでお 滅し給ふ上は、御兄弟の御仲日月のごとくござあるべきを、 ざんげん うかがい申してみようと思います。 いかなる者の讒一言申して候ふやらん、御仲違はせられ、西国 おんニ おんげかう 船頭「もうし、武蔵殿に申しあげます。ただ の方へ御下向なされ候ふ御事、御いたはしき御事にて候。さ いま静が、君に名残をお惜しみなさって かみ りながら上は御同一体の御事なれば、おつつけ御仲直らせら いる様子を拝見し、わたくしのような者 ごしゃうらく れ、御上洛あらうずるは疑ひもござない。い や言はれざる独までも、おのずと涙を流し申したことで ござぶね り言を申さずとも、最前仰せ付けられたる御座舟の事を、武ありますが、武蔵殿には、どのようにお しどの 思いなさいましたか。 蔵殿まで伺ひ申さばやと存ずる。 「なになに、ただいまの様子を、あなた アイ「 ( 大小前に着座して ) いかに武蔵殿へ申し候。ただいま静の、 も見られたというのでありますか。 君に名残を惜ませらるる体を見申し、われらごときの者まで船頭「そのとおりです。 も、そそろに涙を流し申して候ふが、武蔵殿には何とお・ほし弁慶「武蔵も涙を流したのであります。また めし候ふそ。 君の仰せには、はるばるの波路を押し分 じんこう ほろぼ こかた せじゃう しづか はたう ッ なみだ むさ