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検索対象: 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)
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1. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

ニそれにさからって。その反対に。 ちご へ向き ) この児ひとり乗せて賜べ ( 船頭へ向く ) 。 阿闍梨「もうし、その舟に乗せてもらいたい。 船頭「ごらんなさい、これはもう帆柱を立て 船頭气児も法師も知らぬとて、なほこの舟を押して行く ( 船頭 帆を引きあげてしまった舟であります。 ですから、まだ出船しない舟におっしゃ は一ノ松へ行く ) 。 ってください。 ワキ「ああその舟寄せずは悔しき事のあるべきそ。 阿闍梨「わたくしどもは親の敵を討った者で、 あとから追手が追いかけて来る立場にあ 船頭「何の悔しくあるべきそ ( 船頭はワキ〈向く ) 、舟棹だにも忘 る者でありますので、どうか乗せてくだ でぶね さいませ。 一順風が吹いて来た時は、なにはとるるは、風に出舟の習ひなり。 もあれ、すぐ舟を漕ぎ出す、という 船頭「ことにまたそのような罪人であるなら のが舟を扱う者の習わしである。 ワキ「さてこの風は。 ば、なおさらこの舟に乗せることはでき ますまい 船頭「東風の風。 阿闍梨「仮に敵討ちを罪だとしよう、そうだ としても罪人はこのわたくしだ。たとえ ワキ「向うて西になさうそえい わたくしを乗せないにしても、この幼い 船頭「あらいまはしゃ聞かじとて ( 船頭は二ノ松へ行く ) 、なほこの者一人は乗せてください。 船頭「幼い者も山伏も、わたくしには関係な 舟を押して行く。 いこと、と言って、なおもこの舟を沖へ 押し出して行く。 阿闍梨「ああその舟を岸に寄せないのなら、 後悔することが起こるであろうそ。 船頭「なんの後悔することなど起こるはずが あろうぞ。よい風の吹いて来た時は、と るものもとりあえず、舟の棹さえも忘れ て舟を出すというのが、船頭の習わしな のである。 阿闍梨「それで、今吹いている風は。 船頭「東からの風。 謡曲集 ワキ气しばしと言へど、 船頭气留めもせず。 ワキ「しばしと言へど ( ワキは船頭へ一歩出る ) 、 おと 船頭音もせず ( 船頭は三 / 松へ行く ) 。 おひてあと 地謡气舟は波間に遠ざかれば、追手は後に近づきたり ( 子が・ワ キは中央へ出る ) 。 なに こち くや ふねさを さお

2. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

四四二 謡曲集 なにごとうリうざうら 義経の従者「さようであります。 一※現行観世流は、「まづ御思案あっワキ「何と御逗留と候ふや。 て御覧候へ」。下掛宝生流は「まづ御 弁慶「これはなにゆえか、わたくしが推測申 ざうらふ 心を静めてきこしめされ候へ」。 ワキツレ「さん候。 すのでありますが、静に名残をお惜しみ ニともに大阪市内の地名。昔は港で あった。平家追討のため屋島へ赴、 しワキ「これはそれがし推量申して候。静に名残を御惜みあってなさ 0 て、それでご逗留とお 0 しやるの た際、ここから舟出した。 であると思います。まずお心を静めてご ・ことうリう 三「 ( いづくも敵と ) 言ふ」と掛詞。 御逗留と存じ候。まづ御心を静めて御覧じ候へ。今この御らんなさい。今、このような境遇の御身 「立ち」の序。 で、そのようなことをおっしやるとは、 四※現行観世流は、この一句はワキ 身にてかやうの事は、御運も尽きたると存じ候。その上一 が謡う。 君のご運ももはや尽きたのだと思います。 五※この地謡が謡われている間に、 ほかおほかぜ とせニ その上、先年平家追討のため渡辺・福島 次のようなワキ・アイの応対がある。年渡辺福島を出でし時は、以ての外の大風なりしを、君御 を舟出した時は、たいへんな大風であっ ワキ「船頭舟を出 3 し候へ。 ふねいだ アイ「畏って候。 たのに、君はお舟をお出しになり、その 舟を出し、平家を減し給ひし事、今もって同じ事そかし。 ( 下掛宝生流・山本東本による ) 結果、平家をおほろ・ほしなさったのだ。 そして、「つれて舟をぞ出しける」の 气急ぎお舟を出すべし。 今もそれとまったく同じこと、さあ急い 時には、アイは舟を脇座に出し終わ 四※ ことわり でお舟を出しなさい。 っている。 ワキツレ气げにげにこれは理なり、いづくも敵とタ波の、立ち 六※現行観世流は「タ汐に」。 義経の従者「いやまったくこれはもっともで ふなこ , ワキは、アイに命じた後、後見座 ある、どこにも敵がいることだからと言 ぎつつ舟子ども、 でうしろを向いて着座している。 って、舟子どもは立ち騒ぎつつ、 六※しほ 五※ , ワキツレの一人が胴の間に乗る演 地謡气えいやえいやと引く汐に、つれて舟をそ出しける。 ( ワ 出もある。 地謡「えいやえいやと掛け声をかけて舟を引 十以下のアイの場面では、大鼓・ き出し、引潮とともに舟を押し出したの キに命ぜられてアイは走り入り、舟を持って出て脇座に置く ) 鼓が静かに囃す。そして、波の寄せ であった。 て来る時には急調な囃子になる ( こ こかたへさを と さお れを「波頭かの囃子」という ) 。この 舟は海上に出る。船頭は弁慶に、義経と アイは艫に乗って棹を持ち、せりふを述べる。子方は舳先に乗 しようぎ ように、囃子をアイの場面の描写音 頼朝との仲が直った後には、西国の海上 そうもとじめ り、床儿に腰をかける。ワキツレの一人は、艫に乗り、着座す 楽として用いているのは、本曲のこ の総元締を自分に仰せつけてほしいなど る。他のワキツレは、舟のうしろに着座する。アイがワキへ声 の場合だけである。 と頼む。やがて風が出て、波が押し寄せ をかけると、ワキは立ち、胴の間に乗り、着座する。アイはワ 七※以下のワキと応対のアイのせり る。船頭は懸命に舟を操る。 ふは、山本東本による。 キに声をかけ、問答となる。問答をしながら、アイは舟を漕ぐ ^ ※この一句、山本東本に欠けてい 船頭「皆々お舟にお召しください。武蔵殿に 七※ る。現行山本東次郎家の台本により も、お舟にお召しください。 アイ「皆々お舟に召され候へ。武蔵殿にもお舟に召され候へ。 補う。 えいえ船頭「ではお舟をお出し申すことにしましょ アイ「さあらばお舟をし申さうずるにて候。えいえい 九櫓を押す音。 いだ ほろぼ 一※おんこころ むさしどの ごらん かたきイふなみ ひと おん あやっ

3. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

ひと 五「 ( 仏道修行のためなれば ) 身を捨地謡气身を捨て人を助くべし ( 二ノ松へ行く ) 。 て」に「身を捨て人」を重ねた。 , シテは、一ノ松へ行く場合もあり、 三ノ松まで行く場合もある。 ワキ・ワキツレは棹を持って立ち、正面を向いて〈一セイ〉を , シテが、小袖を左腕にかけて橋が 謡う。シテの謡、地謡とあって、シテは二ノ松の高欄に寄って、 かりへ行く演出もある。 ワキに声をかけ、続いて問答をしつつ舞台へ入り、常座に立つ。 「もとの小袖は参らする」と小袖をワキへ投げ返し、ワキへ寄 って舟を引き留める。ワキは怒って子方を打つ。シテは子方へ 六※以下一一行、底本はワキの謡と表 記してあるが、現行観世流によって 寄り、膝をついて「引き立て見れば」と子方を立たせて見つめ ワキ・ワキツレの謡とした。 る。 七「 ( そこともいさや ) 知らず」と掛詞。 「舟路」の序。 しらなみ 〈こちらに舟はない、したが 0 て追ワキ气〈一セイ〉今出でて、そこともいさや白波の、この舟 ワキツレ いかけることはできないが、それに しても、わたくしの説く仏の道に心 路をや急ぐらん。 を留めて、そちらの舟を留めてほし のり いものだ、の意。「説く」「法」は「解 シテ舟なくとても説く法の、 く」「乗り」に音が通するので「舟」の 縁語。なお下掛系は、 地謡气道に心を留めよかし。 シテ气舟を得たりと説く法の、 おんふね 地謡气道に迷はぬ心かな。 流儀によっては、「道に心を留めシテ「 ( 高欄に寄 0 て ) なうなうあれなる御舟へ物申さう ( 招キ扇をす よかし」で、シテは舞台へ入る。 る ) 。 , 「なうなうあれなる御舟へ物申さ う」と述べながら、・シテが常座へ入 やまだやばせわたぶね る演出もある。 ワキ「 ( シテヘ向いて ) これは山田矢橋の渡し舟にてもなきものを、 九山田・矢橋は、ともに今は草津市 まね の西部に属する。大津・松本と向か 何しに招かせ給ふらん。 い合う琵琶湖東南岸にある渡船場。 りよじん 一 0 渡し舟を、とは申してもいない。 シテ「こなたも旅人にあらざれば、渡りの舟とも申さばこそ。 「申さばこそ」の「未然形十ば十こそ」 の形は強い否定を表わす。 その御舟へ物申さう ( 舞台へ歩み、常座に立 3 。 一ノ松で「その人買舟に物申さう」 と述べてから、シテが舞台へ入る演 なにぶね 出もある。 ワキ「さてこの舟をば何舟と御覧じて候ふそ。 自然居士 六※ さお ふな ここにはっきりと定まっているではあり ませんか。 自然居士「今日の説法はこれまでである。『願 にしくどくふぎゅうおいっさい がとうよしゅじようかいぐじよう 以此功徳普及於一切、我等与衆生皆共成 ぶつどう 仏道』。 自然居士「仏道修行のためであるから、 地」「わが身を捨てても、身を捨てようと したあの女を助けることにしよう。 ふなで 折しも舟出したばかりの人商人の舟に自 然居士は呼びかけ、ことば巧みに交渉を 開始し、小袖を相手に返して舟を引き留 める。人商人は腹立たしさのあまり、女 児を艪櫂で打つ。 人商人甲「今ここを舟出して、どこへ行くと もわからすに、白波の上にこの舟を急ぐ ことである。 自然居士「舟がなくて追いかけられないのだ が、それにしても、わたくしは仏の道を 説く者、 地謡「その仏の道に心を留めて、そちらの 舟を留めてほしいものである。 自然居士「もうし、あそこを行くお舟へ申す ことがある。 やばせ 人商人甲「これは山田・矢橋への渡し舟でも ないのに、どうしてお呼びになるのであ ろうか。 自然居士「こちらも旅人でないのだから、渡 し舟を、とは申してもいないのだ。とも

4. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

流儀によっては、子方・ワキは退 場してしまっているので、あらため て登場の囃子なく子方・ワキが登場 して、子方は脇座、ワキは地謡座前 に立ち、それから船頭 ( ワキツレ ) の 登場となる。 一※この一行、下掛宝生流による。 ニたいへん遠くまで、の意。 十『太平記』では、阿新は途中で年老 いた山伏に行ぎ逢い、その山伏の祈 りによって舟を祈りもどして乗船し、 その日のうちに越後に着いた、とな っている。 はありませんそ。とはいうものの、うし 子方は中央、ワキは常座へ出て向かい合う。ワキのせりふがあ って、子方・ワキは脇座に立つ。登場の囃子なくワキツレの船 ろからだれも続いて来ない。わたくし一 頭登場。棹を右肩に撕げる。常座に立ち、棹を左手に持ってせ 人で追いついたとしても、あの一一人はと りふを述べる。ワキは船頭に声をかけて問答となる。掛合いの もにわが身を捨てる覚悟をしている者ど 謡となると、船頭は橋がかりへ行く。子方・ワキは中央へ出る。 もである。その上、本間殿をさえやすや すと討ち取ったほどのたいへんな強者で ワキ「まづまづ舟着まで御供申さうずるにて候。 ( 子方・ワキは脇あるから、わたくしのような者は物の数 ともしないであろう。わたくしも皆々を 座に立っ ) 仲間に引き入れて、その上で参ることに 船頭 ( ワキツレ ) 「 ( 常座に立ち ) このほど風を待ち候ふところに、日 しよう。皆々お聞きください。先ほどの ばんニちおひて 山伏と幼い者とで、本間殿を討って立ち 本一の追風が吹き候ふほどに、舟を出さばやと存じ候。 退いたので、浦々より一艘も舟を出して ワキ「はや抜群に延び来りて候。またあれに出舟の候。あの舟はならないとのお達しであります。その ことをご承知ください、心得ていてくだ に乗せ申さうずるにて候。 びんせん ふなっきば 梅若、帥の阿闍梨は舟着場に来て、折し ワキ「 ( 船頭へ向き ) なうなうその舟に便船申さう。 も順風にまかせて出ようとしている舟を 船頭「 ( ワキへ向き ) 御覧候へこれは柱を立て、帆を引きたる舟に 呼びとめる。船頭は舟を返すことを承知 せす、そのまま舟を進めて行く。 て候ふほどに、いまだ出ぬ舟に仰せ候へ。 阿闍梨「まずまず舟着場までお供申すことに いたします。 ワキ「これは親の敵を討って、後より追手のかかる者にて候へ 船頭「ここしばらくの間風を待っておりまし たところ、まことにすばらしい追い風が ば、ひらに乗せて賜り候へ。 とがにん 吹いて来ましたので、舟を出したいと思 船頭「ことさらさやうの科人ならば、なほこの舟にはかなひ候 います。 三親の敵を討っというのは罪ではな 阿闍梨「もはやたいへん遠くまで逃げ延びて いはず、ではあるが、仮にこれを罪ふまじ。 来ました。またあそこに出舟があります。 だとしても、その罪人はこの山伏な ワキ气よし科人はこの客僧、よし客僧をば乗せずとも、 ( 子方あの舟にお乗せ申すことにいたします。 のだ、というような意か。 檀風 ばッくんの こかた とがにんナ さお ふなっき おんとも で あと おッて はやし でぶね にツ

5. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

七乾かしている舟。 ^ 「オノキャレ」と発音する。 九乱暴者。 一 0 「オシャル」と発音する。おっし やる。 国栖 追手甲「 ( シテヘ向き ) いかに老人、その舟は何とてうつむけては置ねてみよう。 追手乙「それがよかろう。 かれたるそ。その下が合点が行かぬ。捜いて見う。 追手甲「やい老人、その舟はどうしてうつむ けにして置かれているのか。その下が、 シテ「何とこの舟を捜さうずると申すか。 どうも怪しい。捜してみよう。 追手甲「なかなかの事。 老翁「なんだって、この舟の下を捜そうと申 すのか。 シテ「これは干す舟そとよ。 追手甲「もちろんのこと。 老翁「これは乾かしている舟なのだ。 追手甲「干す舟なりとも合点が行かぬ。そこをお退きやれ。 ( 足拍 追手甲「乾かしている舟であっても、その下 子を踏み、甲は鉾をかまえ、乙は弓に矢をつがえる ) がどうも気にかかる。そこをお退きなさ 追手甲「舟捜さう。 ( シテに向かって踏み込む ) れ、 追手甲「舟の下を捜すことにしよう。 シテ「この所にて漁をして世を渡る者そとよ。漁師の身にては 老翁「この老人は、この所で漁をして暮らし ている者であるそ。漁師の身にとっては、 舟捜されたるも家を捜されたるも同じ事。身こそ賤しう思 舟の中を捜されるということも、家捜し にツく ふとも、この所にては憎い者そとよ ( 立 3 。孫もあり曾孫をされるということも、まったく同じこ たにだに と。舟を捜そうと言うのなら、こちらに もあり ( 左手の指を折って数える ) 、あの谷々峰々より出で合ひ も覚悟がある。そなたたちは、この老人 九 て ( 左右をさし、見まわす ) 、かの狼藉人を討ち留め候へ、討ちを賤しい者と思うであろうが、この所で は人に恐れられている者であるのだそ。 留め候へ ( 両手を打ち合わせる ) 。 孫もあるし曾孫もある。さあ皆の者、あ こわだか ちらの谷々やこちらの峰々より出て来て、 追手甲「ああそのやうに声高うおしやるな。追手の武士ははや戻 あの乱暴者を討ち留めなさい、討ち留め るそ。 なさい。 追手甲「 ( 乙へ向き ) いやなうなう。 追手甲「ああそのように声高に物をおっしゃ るな、われわれはもはやもどることにす 追手乙「 ( 甲へ向き ) 何事ちゃ。 る。 追手甲「このやうな所に長居は無用、いざ戻らう。 なに おッて やさ

6. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

一公社の事においても、いくらかは 私情を交じえることができるもので ある、という意のことわざ。参考 「小大進泣々申すやう、公の中の私 と申すはこれなり。今三日の暇をた べ」 ( 古今著聞集巻五 ) 。 ニ薩摩半島をさす。 三※下掛系は「打たんとすれば」。 六「 ( せん方 ) 無み」と掛詞。 七肥前国 ( 佐賀県 ) 松浦の東方に住ん でいたという女性。大伴狭手比古は でが朝命で任那鎮定に赴く時、 これと契ったが、彼が松浦潟より舟 出したので、姫は山に登って領巾 2 を振り、いつまでも別れを惜しんだ という ( 万葉一詞書 ) 。 二五八 ことがあるのだから、せめて薩摩の地ま ワキ僧都は舟にかなふましと、さもあらけなく言ひければ、 なさけ おほやけわたくしイ ででも、どうか情をかけて乗せてくださ シテ「うたてやな公の私といふ事のあれば、せめては向ひの いませ。 ち なさけ 赦免使「こちらは情もなにも知らぬ舟人と 地までなりとも ( 揚幕のほうをさす ) 、情に乗せて賜び給へ。 て、艪や櫂を振りあげて俊寛を打とうと ろ力い ふなこ 三※ ワキ气情も知らぬ舟子ども、艪櫂を振り上げ打たんとす ( ワキする。 俊寛「さすがに命が惜しいので、またもとへ は右肩を脱ぎ、棹を振りあげる。康幀は舟に乗る ) 。 もどってそれではと、出ようとする舟の ともづなに取り付き、引き留めようとす シテ气さすが命の悲しさに、また立ち帰り出舟の ( 面を伏せて中 る。 四 とも・つな 五※と 赦免使「舟人はともづなを押し切って、舟を 四艫」 ( 船尾 ) にあ 0 て、舟をつなぎ央へ行き、舟を見る ) 、「艫綱に取り付き引き留むる ( 常座へ行き とめる綱。 深い所へと押し出たす。 五※下掛系は「揺られゆけば」。 ともづなを両手で持って引く ) 。 俊寛「しかたなくて、海に入って波に揺られ ふなびとともづな ながら、ただ手を合わせて、『舟よ、 ワキ「舟人艫綱押し切って ( ワキはともづなを切る。シテはどうと膝を「赦免使「舟よ、待て』と言うけれど、乗せて くれないので、 いて座す ) 、舟を深みに押し出す。 俊寛「カ及ばず、俊寛は、 シテ气せん方波に揺られながら、たた手を合せて舟よなう ( 居地謡「もとの波打際にひれ伏して、あの領巾 まつらさよ を振って夫との別れを惜しんだ松浦佐用 立ち、舟のほうへ合掌する ) 。 姫の嘆きも、今のわが身の嘆きにはよも やまさることあるまいと、声も惜しまず ワキ气舟よと言へど乗せざれば、 に泣していた。 しゅんくわんナ シテ气カ及ばず俊寛は、 舟からは、「やがて必す帰洛の時があろ なぎさ まつらさよひめ う、それまで待て」と声々にカづける。 地謡气もとの渚にひれ伏して、松浦佐用姫も、わが身にはよ それにかすかな希望を託して、「頼むぞ」 と返事をするが、舟からの声も人の姿も も増さじと、声も惜しまず泣きゐたり ( シオリをする ) 。 しだいに遠ざかり、ついに舟影も見えな くなってしまったのであった。 掛合いの謡があって、地謡となると、ツレ二人・ワキは退場す 謡曲集 そうづ かた六 さお いでぶね ひめ なみうちぎわ ふなびと

7. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

ニ※以下のアイと応対のワキのせり ふは、下掛宝生流による。 ニ※ ワキ「何とただいまの体を、方々も見られたると候ふや。 アイ「なかなかのこと。 ワキ「武蔵も涙を流して候。また君の御諚には、はるばるの波濤 を凌ぎ伴はれん事、人口しかるべからずとの御事、これもも っともにては候はぬか。 アイ「げにこれも御もっともなる御事にて候。 ワキ「また最前申し付けたる舟をば用意せられて候ふか。 アイ「なかなか、随分足早き舟を用意仕りて候ふ間、何時にて も御諚次第、出し申さうずるにて候。 ワキ「さあらばやがて出さうずるにて候。 アイ「畏って候。 ( アイは狂言座に退く ) ワキは立って常座へ行ぎ、せりふを述べる。ワキツレの一人が 立ち、ワキへ声をかけて問答となる。地謡となると、ワキはア イに舟を出すように命する。アイは走り入り、舟の作リ物を持 って走り出て脇座に置く。 三※しんヂうさッ 三※下掛宝生流では、このワキのせワキ「静の心中察し申して候。急いでお舟を出さうずるにて りふはない。 舟弁慶 けてお連れになるということは、人のと やかく言うことであって適当でないとの お考え、これももっともなことではあり ませんか。 船頭「まことにこれもごもっともなことであ ります。 弁慶「また、先ほど申しつけた舟を、ご用意 くださいましたか。 ふなあし 船頭「よ 。い、たいへん舟足の早い舟を用意い たしましたので、いっ何時でもおことば のありしだい、お出し申すことでありま す。 弁慶「それでは、やがて出すことにしましょ 船頭「かしこまりました。 弁慶が舟を出すことを命じようとしてい し」うりゆろ・ ると、波風が荒いので今日はご逗留との こと。弁慶は、先年平家追討の舟出の際 の風と同じ程度であるからと、出船を命 する。船頭は舟を出す。 弁慶「静の心をお察し申すことであります。 が、急いでお舟を出すことにしましよう。 ワキツレ「 義経の従者「申しあげます。 弁慶「何事でありますか。 ワキ「何事にて候ふそ。 義経の従者「君よりの仰せには、今日は波風 あら ワキツレ「君よりの御諚には、今日は波風荒う候ふほどに、御が荒れておりますので、ご逗留なさると 仰せ出されました。 レ」う・リら・ 弁慶「なに、ご逗留というのでありますか。 逗留と仰せ出されて候。 候。 いかに申し候。 なみだ かたがた つかまっ ざうら なんどき 四四一 なんどき

8. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

三紀州の熊野神社。本宮・新宮・那 智の三社があり、「三所権現」ともよ ばれる。 四五大明王の一。怒りの相をし、右 手に降魔臂の剣、左手に索 ( 捕縛の 繩 ) を持ち、背に火炎を負い、一切 の邪悪を降伏するという。 ワキのせりふがあって、子方が脇座に着座すると、ワキは船頭阿闍梨「それにさからって、反対の西風にす に声をかけて問答となる。地謡となると、ワキは船頭を祈りも るそ、えい あとざ どす。船頭は引き寄せられて、後座まで来てそのまま切戸口よ 船頭「ああ不吉なことを言う、そんなことは り退場する。 聞かないそと言って、なおもこの舟を押 おッて あと せうし し出して行く。 ワキ「あら笑止や。頼みたる舟は遠ざかる、追手は後に近づく、 阿闍梨「しばらく待て、と言うけれど : なにつかまっ さて御命をば何と仕り候ふべき ( 子方・ワキは中央で着座する ) 。 船頭「舟を留めもしない。 阿闍梨「ちょっと待て、と言うけれど : ・ それがしきっと案じ出したる事の候 ( 正面を見つめる ) 。われ 三 船頭「返事もしない。 としつきみくまの この年月三熊野の権現へ歩みを運び候ふも、かやうのため地謡「このようにして舟は波のかなたに遠ざ かって行くのであり、いっぽう追手はう かいしゃうさんじよごんげんノかんじゃう にてこそ候へ。海上に三所権現を勧請申し、ならびに不 しろに近づいて来たのである。 さッ ~ 、 くまりごんげん 帥の阿闍梨は熊野権現や不動明王に祈請 動明王の索にかけて、あの舟を祈り戻さうずるにて候。三 して舟を祈りもどそうとする。そのしる 人は立ち、子方は脇座に行き、着座する ) しがあって、風が変わり、舟は引きもど される。 ワキ「 ( 船頭へ向き ) ゃあやあその舟戻せとこそ。寄せずは祈り戻 阿闍梨「ああ困ったことだ。頼みにした舟は 遠ざかって行くし、追手はうしろに近づ さうずるぞ。 いて来る。さて若君のお命をどういたし 船頭「何この舟を祈り戻さうとや。 ましようそ。いや、わたくしが今はたと 考えついたことがあります。わたくしは ワキ「なかなかの事。 この長い年月、熊野権現へ歩みを運びま もののけ 五人に祟りをする。死霊・生霊」船頭「 ( ワキへ向き ) 山伏は物怪などをこそ祈れ、舟祈ったる山伏したが、それもまさしくこのような時の などの類。 ためなのであります。この海上に熊野三 はいまだ聞かぬよ ( 船頭は面をそむける ) 。 所権現のおいでをお願い申し、それとと をとこ もに不動明王にお祈りして、あの舟を祈 「悔むな男」で、ワキが足拍子を踏ワキ「いやいかに言ふとも悔まうそ。气悔むな男 ( ワキは船頭へ一 りもどすことにいたしましよう。 む演出もある。 阿闍梨「やあやあ、その舟をこちらへもどせ、 歩出る ) 。 檀風 おんニのち

9. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

九※下掛系は「乗らんとすれば」。 なりつねやすより たび状を見わたす ) 、ただ成経康頼と、書きたるその名ばかり開いてみて同じ筆の跡を、繰り返し繰り らいし 返し、見るけれども見るけれども、ただ 七書状を巻き包む白紙。ふつう本文なり。もしも礼紙にゃあるらんと ( 手を下ろして考える ) 、巻き 成経・康頼と書いてある、その一一人の名 と同じ紙を使用する。 そうづ しゅんくわん があるだけである。もしも礼紙にあるか ^ 僧正に次ぐ僧官。俊寛の職位。 返して見れども ( 状を裏返して見る ) 、僧都とも俊寛とも、書け しらと、状を巻き返して見るけれど、僧 もじ る文字はさらになし ( 状を二つに折って左手に持 3 。こは夢かさ都とも俊寛とも、書いた文字はまったく ない。これは夢なのか、さてもまあこれ うつつ ても夢ならば ( 右手で膝を叩き、立っ ) 、覚めよ覚めよと現なき が夢であるならば、覚めよ覚めよと、正 気を失って嘆く俊寛の有様は、そばで見 ( 両手を打ち合わせ、状を捨てる ) 、俊寛が有様を、見るこそあは ていてもまことにあわれなことであった。 れなりけれ ( 大小前に下がって着座し、シオリをする。成経は立って、 やがて時刻も移り、成経・康頼は舟に乗 ろうとする。俊寛は、せめて薩摩の地ま 状を拾い、地謡座前にもどって着座し、状を胸に插す ) 。 でと頼み、ともづなに取り付いて引き留 めるが、舟人は押し切って舟を出す。出 アイは一ノ松に舟を出し、ともづなを常座のほうへ引いておく。 へさき マも て行く舟に対して、俊寛は渚にひれ伏し アイは紬先に乗る。ワキは舟の艫に乗り、謡い出す。ツレの二 て泣くだけであった。 人は謡いながら立ち、橋がかりへ行きかかる。シテも立って、 一一人を追いかける。二人は舟の中央に乗る。掛合いの謡があっ 赦免使「時刻が過ぎては差し支えが生ずる、 て、地謡に続く。 成経・康頼のお一一人は早く、お舟にお召 ににんナ しなさいませや。 ワキ气 ( 舟に乗 0 て ) 時刻移りてかなふまじ、成経康頼二人はは成経「いつまでもこのままでいてよいという ことでもないので、他人の悲しみを見つ や、お舟に召され候へとよ。 つもこれを振り捨てて、一一人は舟に乗ろ 成経 うとする。 康頼气かくてあるべき事ならねば ( 二人は立 0 て橋がかり〈行きかか ににんナ 俊寛「僧都も舟に乗ろうとして、康幀の袂に る ) 、よその歎きをふり捨てて、二人は舟に乗らんとす。 取り付いたところ、 たもと 赦免使「僧都は舟に乗ってはならないと、 シテ「僧都も舟に乗らんとて ( 立 3 、康頼の袂に取り付けば ( 康 かにも荒々しく言ったので、 おおやけわたくし 頼の袖をとらえる ) 、 俊寛「なさけないこと、『公の私』という 二五七 流儀によっては、「覚めよ覚めよ と」で、シテは床を二度叩く。 ともづなを用いない演出もある。 俊寛 そで たた 九※ なぎさ そう

10. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

ひとかひぶね シテ「その人買舟に物申さう。 かく、そのお舟へ申すことがある。 おと なになに 人商人甲「それではこの舟を、いったい何舟 一声が高い。 ワキ「ああ音高し何と何と ( ワキはシテヘ一歩出る ) 。 とお思いになったのでありますか。 ひとかいぶね 自然居士「その人買舟に申すことがある。 ニ「 ( 人や ) 知らん」と掛詞。「音高し」シテ「道理道理、よそにも人や白波の、音高しとは道理なり。 人商人甲「ああ声が高い、なんだってなんだ の序。 ざう ひとかいと申しつるは、その舟漕ぐ櫂の事候よ。 五※ からろ 自然居士「もっとももっとも、よそながら他 三※以下一一行、現行観世流はワキッ ワキ「艪には唐艪といふものあり、「ひとかいといふ櫂はなきの人が聞くかもしれないと思って、『声 レの謡とする。 が高い』というのはもっともである。 四中国風の長い艪。 五※下掛系は「いふこそあれ」。 『ひとかい』と申したのは、その舟を漕 けむりかすみ ひとかすみふたかすみひとしほふたしほ 六一条の霞。「一一霞」は口調を整える ぐ櫂のことなのさ。 シテ「水の煙の霞をば、一霞二霞、一入二入なんどと言へば、 からろ ために続けた。 人商人甲「艪には唐艪というものがある。が、 ひとかいぶね ひがこと 七「入乢」は染物を染液にひたす度数 のこと。「一霞」に「ひとしお」の意も「今漕ぎ初むる舟なれば、一櫂舟とは僻事か ( ワキへ一歩出る ) 。 『ひとかい』という櫂はありはしないの あるので、前句と同意語を重ねる形 なに かすみ で「一入二入」と続けた。なお、「入」ワキ「げに面白くも述べられたり。さてさて何の用やらん。 自然居士「水面にけむる霞のことを、一霞一一 は「潮」に音が通じ、「水」の縁語。 ひとしおふたしお じねんこじ せッきゃうじゃ 十この、ことばたくみな受け答えは、シテ「これは自然居士と申す説経者にて候ふが、説法の場をさ霞、また一入二入などと言うのだから、 「話芸」というべきであろう。説経者 今漕ぎはじめた舟なので、一櫂舟と言っ は、当然のことながら、話術にひい まされ申す、恨み申しに来りたり ( ワキへ一歩出る ) 。 たのだ、それはまちがい力。 でた者であった。以下にも、折々、 九※ せッぽふ そのような機智に富んだ「ことばの 人商人甲「いやまことに面白く述べられたも ワキ「説法には道理を述べ給ふ、「われらに僻事なきものを。 たくみ」がみられる。 のだ。さてさてわたくしになんの用があ おんひがこと こそで ^ あなたのために興ざめにされた。 るのかしら。 シテ「御僻事と申さばこそ。とにかくにもとの小袖は参らする ありがたい雰囲気をこわされた。 自然居士「わたくしは自然居士と申す説経者 九※この一行、下掛系はワキツレの もすそ 謡とする。 ( 小袖をワキへ投げ返す ) 。舟に離れてかなはじと、裳裾を波に でありますが、あなたが説法の場を荒ら とど ふなばた しなさった、その恨みを申しに来たので シテが右手で舟を引き留める演出浸しつつ、舟端に取り付き引き留む ( 中央へ行き、左手で舟を引 ある。 もある。 人商人甲「説法の場では道理ということをお き留める ) 。 述べなさる、その点から言えば、われら はらこ ワキ「あら腹立ちやさりながら、衣に恐れてえは打たず、これにおいて咎められるようなまちがいはす 一 0 法衣。 謡曲集 三※ そ ころも せッふにワ八