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検索対象: 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)
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1. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

ちゃうがせッしやとくだい 白牛に乗り、衆生を害する一切の毒キへ打杖を振りあげ、小袖の前へ出、膝をつき、立っ ) 、聴我説者得大であること。 蛇悪龍を屈伏させるという。 地謡「もはやこれまでそ、この怨霊はこ ちゑ ちがしんしやそくしんじゃうぶつ ^ 五大尊明王の一。北方を護り、一智慧 ( ワキへ打ちかかる ) 、知我心者即身成仏 ( 常座へ下がり、安座 の後ふたたび来ることはすまい 面四臂または三面六臂で、五鈷杵 ( 煩悩を破砕し、菩提心を表わす金する ) 。 このような小聖の祈りによって、怨霊は ぼさっ 属性の法具 ) ・箭や・剣・鈴・弓・輪 心なごみ、これを救おうと菩薩も来現し はんにやごゑ などを持ち、悪魔を降伏する。 て、怨霊は成仏の身となっていった。ま シテ「 ( 打杖を捨て、両手で耳をふさぎ ) やらやらおそろしの、般若声 九五大尊明王の一。中央に配せられ ことにありがたいことである。 る。「大聖」は尊号。密教の本尊大日 如来の、一切の悪魔を降伏するためや ( ワキは中央に膝をついてシテを見つめる ) 。 地謡「行者の不動明王その他に祈る声を聞く に忿怒の相を表わしたものとされる。 をんりゃう 時には、行者の祈りの声があたりに流れ 右に降魔の剣、左に縛 3 の繩を持地謡これまでそ怨霊 ( ワキを見つめる ) 、この後またも来るまじ たので、悪鬼さながらの御息所の怨霊は ち、背に火炎を負う。 ぼさっ 一 0 不動明王に祈る呪文の続き。 ( 扇を取る ) 。 心をなごませ、それを救おうとして菩薩 注ニ。 も、忍辱の心をもった慈悲深いお姿で、 = 不動明王の衆生を救う誓いの偈。 ワキは地謡座前に着座し、シテは扇を持ち、地謡に合わせて舞 ここに現われ出ておいでになる。かくて その四か条のうちの二か条。「我が 、常座で留める。 説を聴く者は大智慧を得、我が心を 怨念を断ち悟りを開いて、成仏の身とな どくじゅ 知る者は即身成仏せん」と訓読でき ってゆくことはありがたいこと、怨霊は 地謡气〈キリ〉読誦の声を聞く時は ( シテは立つ。ワキも立ち、地謡座 る。↓四一六ハー注八。 成仏する身となっていったのである、ま あッきこころやは 三※現行観世流は「あらあらおそろ 前へ行き、着座する ) 、読誦の声を聞く時は、悪鬼心を和らげことにありがたいことだ。 しの」。 にんにくじひ 一三「般若」は知恵の意の梵語。最高 の真理の認識をいう。「般若声」は知 ( 扇をひろげ、ユウケン扇をする ) 、忍辱慈悲の姿にて ( 足拍子を踏む ) 、 一セ 徳に満ちた仏の声。ワキによってと らいげん じゃうぶッとくだっ なえられた呪文などをさすのであろ 菩薩もここに来現す。成仏得脱の ( まわって常座へ行く ) 、身と 一四怨霊 ( 御息所 ) の内部に存してい なり行くそありがたき ( 正面へ合掌する ) 、身となり行くそあ た悪鬼。そのため、怨霊は悪鬼の姿 となっていた。 りがたき ( 留拍子を踏む ) 。 一五忍辱の心をもった慈悲深いお姿 で。「忍辱」↓一一三一ハー注一七。 一六※現行観世流は「来迎す」。 一七深い怨念を断ち、悟りを開いて、 激しい嫉妬・憎悪の迷いの世界を離 脱した身。 葵上 のち きた

2. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 ている水においては、 一まるい鏡、の意か。なお現行観世澄鏡 ( 鏡台を正面先へ置く ) 、もしも姿を見るやと ( 中央へ下がる ) 、 流は「鏡に向って泣きゐたり」。繰返 地謡「塵がかかって曇る常の鏡とは違 ( はくどう ) しも同じ。 ゑんとんに向って泣きゐたり ( 鏡台に寄り、鏡を見つめる ) 、ゑん って、花が散りかかることを曇るという 十シテが退場し、アイの所の者が昭 べきであろうか。花にたとえられる娘昭 君のことを語るが、このような現行 とんに向って泣きゐたり ( 中央へ下がり、着座してシオリをする ) 。 の演出は本来ではなかろう。文意か 君は、散りかかっていてそれで水鏡が曇 らすれば、かっては、シテはツレと るのであろうか。思いはいよいよ増すが、 ワキは、常座へ出て膝をついたアイの所の者に、シテを連れて ともにこのまま舞台に残り、所の者 行くように命ずる。アイは、シテのうしろへまわり、シテを立 もしも鏡に映る姿を見ることがでぎるか の場面はなく、すぐ次の場に接続し たせて、揚幕へ送り込む。ワキは切戸口より退場し、ツレは脇 ていたのであろう。その際は、もち と、まるい鏡に向かって泣いていた、鏡 ろん、韓邪将は別の役者が演するこ 座へ行き、着座する。アイは常座にもどった後、立ったままで に相対して泣いていたのであった。 とになる。 昭君のことを語り、老人をいたわるようにと触れて、狂言座に マワキがアイに命ずることなく、ア はくどうは退場し、所の者が昭君のこと 退く。 はやし イはすぐにシテのうしろへ行き、シ を語り、夫婦の者へのいたわりの気持を 二声〕の囃子で昭君の亡霊が登場し、一ノ松に立って謡い出 しようぎ テを送り込む演出もある。 述べる。 す。地謡となると舞台に入り、笛座前で床几に腰をかける。 流儀によっては、シテは一人で立 昭君の亡霊の姿が鏡に映る。 って中入する。その後にアイが常座 に出て、昭君のことを語る。 昭君の亡霊「わたくしは胡国に移された、王 流儀によっては、アイが登場せす、 三※ 昭君の亡霊である。さて、父母がわたく ニ※ わうせうくんばうこん シテが退場すると、〔一声〕になる。 昭君 ( ツレ ) 气〈サシ〉これは胡国に移されし、王昭君が亡魂なり。 しとの別れを悲しみ、春の柳の木の下で , 昭君を子方が演する演出もある。 ちちはワ 昭君が、一ノ松で〈サシ〉を謡って 泣き沈んでいらっしやるのはおいたわし さても父母別れを悲しみ、春の柳の木のもとに、泣き沈み から、〔アシライ〕の囃子で常座に入 いこと。急いで鏡に姿を映して、父母に 五※ り、〈一セイ〉を謡いつつ大小前へ行 ぎ、地謡で鏡に面を映した後、床几給ふいたはしさよ。急ぎ鏡に影を映し、父母に姿を見え申姿をお見せ申そう。 昭君「春の夜の朧月のように・ほんやりとした に腰をかける演出もある。 流儀によっては、昭君は常座で謡さん。 姿をして、 い出す。 おぼろづきょ七※ 地「曇った状態ながらも鏡に姿を見せる ( 昭君 ) ニ※下掛系は「これは王昭君が幽霊な昭君气〈一セイ〉春の夜の、朧月夜に身をなして、 ことにしよう。 り。さてもみづからが父母、わらは かんやしよう が別れを悲しみて、春の柳の = ・」と地謡气曇りながらも影見えん ( 笛座前へ行き、床几に腰をかける ) 。 続いて胡国の大将韓邪将の亡霊も姿を現 なる。三※現行観世流は「王昭君の わす。その鬼のような姿に王母は恐れを かんやしよう 幽魂なり」。四※現行観世流は「悲 〔早笛〕の囃子で後シテの韓邪将の亡霊が登場し、中央に着座 なす。韓邪将は自分の姿を鏡に映して見 しみ給ふいたはしさよ」。五※下掛 する。シテ・ツレ ( 王母 ) の掛合いの謡があって、シテは立ち、 て、恐れられるのももっともと、みずか 系は、以下「見え申さん」まで、なし。 六「照りもせす曇りも果てぬ春の夜 らわが姿を恥じて立ち帰る。 鏡に姿を映す。続いてシテは地謡と掛合いつつ舞う。 ちちはワ あいたい

3. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 四四八 じゅず なぎなた くらみ、心も乱れ、どうしてよいかわか 一以下、密教で信奉する五大尊明王さらと、押し揉んで ( ワキは数珠を揉んで祈る。シテは長刀を振りあ ( 不動明王を中央に、四方に鎮座す とうばうがうざんぜなんばうぐだりやしゃ らず、手をこまねいているばかりである。 る忿怒神 ) に助力を乞う祈疇の文句。 げて子方の前へ出る ) 、東方降三世、南方軍荼利夜叉 ( 大小前へ下 亡霊は〔舞働〕を舞い、長刀を振り 「葵上」 ( ↓一一三二ハー ) など参照。 さいはうだいゐとくほッばうこんがう みやうわう ニ不動明王の持っ繩。 まわして義経一行に襲いかかる。 がる ) 、西方大威徳、北方金剛、夜叉明王 ( 長刀を振りあげて子方 , 《前後之替》《重キ前後之替》の場 チうあうだいしゃうふどう 義経は亡霊と刀で戦うが、弁慶は押し隔 合は、「祈り祈られ」以下、緩急の変 じゅずも の前へ出る ) 、中央大聖、不動明王の、索にかけて ( 長刀を持っ 化をつけて謡い、シテの動きもそれ てて、数珠を揉んで不動明王その他に祈 あくりゃう に伴う。 る。祈られて知盛の亡霊はしだいに遠ざ 手を下ろし、面を伏せて大小前に下がる ) 、祈り祈られ、悪霊次第 三※このあたりで、地謡が謡われて かり、ついに見えなくなってしまう。 あは三※ ワキ「船頭精を出 3 し候へ。 に、遠ざかれば ( 三ノ松〈行く ) 、弁慶舟子に、力を合せ ( アイは義経「その時義経はすこしも動ぜず、 アイ「畏って候。えいえい 地謡「その時義経はすこしも騒がないで、刀 みぎは ( 下掛宝生流・山本東本による ) 舟を漕ぐ。シテは舟を見つめる ) 、お舟を漕ぎ退け、汀に寄すれを抜いて持ち、生きた人に立ち向かうよ かわ という問答が交される。 をんりゃう きた ことばを交して戦いなさったので、 四以下の主語は、知盛の亡霊。 ば、なほ怨霊は、慕ひ来るを ( 長刀を捨て、太刀を抜いて舞台へ走 弁慶は義経と亡霊との間を押し隔て、刀 五「 ( 跡 ) 知らず」と掛詞。 の ッばら , 流儀によっては、シテは留拍子を で戦うのではうまくはゆくまい、刀の通 り入り、子方の前へ行く ) 、追っ払ひ祈り退け ( 子方と斬り合わせる。 踏まない。 用する相手ではないのだと、数珠をさら とうぼうごうざんぜ なんばう , 《前後之替》《重キ前後之替》《後 さらと押し揉んで、『東方降三世、南方 ワキは数珠でシテを払いのける ) 、また引く汐に、揺られ流れ ( そり 之出留之伝》《替之伝》《白波之伝》 ぐんだりやしやさいほうだいい とくほっぱうこんごうやしゃ 軍荼利夜叉、西方大威徳、北方金剛夜叉 の場合は、シテは地謡のうちに揚幕 みようおうちゅうおうだいしようふどケ 返って太刀を肩にかけてまわり、膝をつく ) 、また引く汐に ( 立ち、橋 へ退場する。 明王、中央大聖不動明王』と、不動明 さくなわ , 《白波之伝》の場合は、「跡白波と 王の索の繩に頼みをかけて祈ると、この ぞ、なりにける」が繰り返される。 がかりへ行く ) 、揺られ流れて、跡白波とそ、なりにける ( 三ノ ように祈られたため悪霊はしだいに遠ざ 《重キ前後之替》の場合は「残リ留」 である。 松で飛び返って膝をつき、立って留拍子を踏む ) 。 かって行く。それで弁慶は舟子と力を合 《後之出留之伝》の場合は、シテが わせて、お舟を懸命に漕いでその場から おんりよう 揚幕の内へ入るといったん揚幕を下 離れ、岸辺に寄せたところ、なおも怨霊 ろし、地謡が終わるとふたたび揚幕 は後から追いすがって来る。それを追い を上げてシテのうしろ姿を見せ、 「残リ留」の囃子が終わると揚幕を下 払い、祈り払っていると、怨霊は折から ひきしお ろす。 の引潮に揺られ流れ、引潮に揺られ流れ て行って、行くえがわからなくなり、海面 には白波があるだけとなったのであった。 ペんけいふなこ しほ さッく の ゅ

4. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 四三二 よりともよしつねふくわい 一※底本の役名表記は「立衆」。現行 ワキ气〈サシ〉頃は文治の初めつ方、頼朝義経不会のよし、経の者「まだ夜も深いうちに、立ち去る 観世流により、ワキ・ワキツレの謡 らッきょ のも惜しい都を、名残を惜しみつつ旅立 とした。 すでに落居し力なく、 つのであるが、先年平家追討の時の、都 ニ義経の都落ちは文治元 ( 一一会 ) 年十 をちこち はうぐわん さいこ ~ 、 からの出発とはまったく変わって、ただ 子方气判官都を遠近の、道せばくならぬそのさきに、西国の 三不和。 十余人ですごすごと、まことに親しい者 四事が決まり。落着し。 同士で舟に乗って、 方へと心ざし、 五「 ( 都を ) 落ち」と掛詞。 大※よふか なごり 義経の従者「下って行くのである。ああ行く 六※底本の役名表記は「立衆同」。現 ワキまだ夜深くも雲居の月、出づるも惜しき都の名残、 行観世流により、ワキ・ワキツレのワキツレ 雲や流れる水と同様、定めないのは人の 謡とした。 ひととせ 身の習いなのだ。 「夜深くも」と重韻。「出づる」の序。一年平家追討の、都出でには引き替〈て、ただ十余人すご弁慶者「世の中の、人はなんとでも言わ 「雲居」は「都」の縁語。 ともぶね ば一一一口え、人はなんと言おうとかまわない、 ^ 一の谷への出発は寿永三 ( 一一会 ) 年すごと、さも疎からぬ友舟の、 正月。屋島への出発は元暦二 ( 一一会 ) わたくしの心が澄んでいるか濁っている のぼくだ くもみ・つ いわしみず 年、すなわちこの都落ちと同年の二 ワキ气〈下歌〉上り下るや雲水の、身は定めなき習ひかな。 かということは、石清水の神こそご存じ ワキツレ 月。 なに いはしみづ であろうと、あらたかな八幡の宮居を麓 九「 ( 疎からぬ ) 友」と掛詞。「上り下ワキ 气〈上歌〉世の中の、人は何とも石清水、人は何とも ワキツレ から伏し拝んで、舟を進めて行けばほど る」の序ともなる。 みかげ なく、旅のつらさも消え、潮も波もとも 一 0 「上り」は「雲」、「上り下る」は「水」石清水、澄み濁るをば、神そ知るらんと、高き御影を伏し 一三※ の縁語で、「上り下るや」は「雲水」の たびごころうしほ だいもっ に引く、大物の浦に着いた、大物の浦に 序。 拝み、行けば程なく旅心、潮も波もともに引く、大物の浦着いたのであった。 一一『日本風土記』巻三に、「世別清渾」 として、「世中の人は何ともいわし 弁慶「お急ぎになりましたので、もはや大物 に着きにけり、大物の浦に着きにけり。 水すみにこるおは神そしるらん」と の浦にお着きであります。わたくしの知 おんニそ みえる。『謡曲拾葉抄』にはこのこと ワキ「〈着キゼリフ〉御急ぎ候ふほどに、これははや大物の浦に っている者がおりますので、お宿のこと を記した後、「石清水八幡の御神詠 おんやど を申しつけることにいたします。 と申伝フ云々」とある。 御着きにて候。それがし存知の者の候ふ間、御宿の事を申 三「 ( 人は何とも ) 言は〈ば言へ〉」と 義経の従者「それがよいと存じます。 掛詞。京都府綴喜郡八幡町にある石 弁慶「 ( 義経に ) まずこちらへおいでください。 清水八幡宮。源氏の氏神として武家し付けうずるにて候。 弁慶は舟宿の主人 ( 船頭 ) に宿を頼む。 の崇敬が深かった。「澄み」の序とも ワキツレ「もっともにて候。 なる。 弁慶「もうし、この家の主人はおいでであり 一三※下掛三流は「旅衣」。 ワキ「 ( 子方へ向かい ) まづかうかう御座候へ。 ますか。 一四「 ( 旅心 ) 憂し」と掛詞。 船頭「どなたでいらっしゃいますか。 ワキは常座へ行ぎ、一ノ松へ向いてアイの船頭に声をかける。 こかた ころぶんぢ かみ ぞんち ジふょにん なごり ふもと

5. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

一現行観世流は「守護神は」。 三仏法守護の八大龍王。 四人間を襲う恐ろしい魚。 く ( 正面先へ出て下を見つめる ) 、ほとりも知らぬ海底に ( まわって女「それではちょっと、その時の有様を再現 じんべんナ ふちゃう してお目にかけることにしましよう。 一人智では及び得ぬような変化 ( ~ を常座〈行く ) 、そも神変はいさ知らず、取り得ん事は不定な女「玉を取り返すようにと淡海公が頼んだ リう・き、う・ キうチう 「取り得ん事は不定なり」で、シテ その時に、かの海人が申すには、『もし り ( 足拍子を踏む ) 。かくて龍宮に至りて ( 地謡座前へ行く ) 、宮中 がシオリをする演出もある。 この玉を取ることができたなら、この御 さんジふちゃうぎよくたふ を見ればその高さ ( 右上を見あげる ) 、三十丈の玉塔に ( 目付柱へ子を藤原家の跡継ぎの地位につけてくだ さいませ』と申したところ、異論ないこ かうげそなしゅごじん 向く ) 、かの玉を込め置き、香華を供へ守護神に ( 角へ出る ) 、 ととご承知になる。それではわが子のた 四 はちリうな あく めに捨てる命、ちっとも惜しくはあるま ちひろ 八龍並み居たり ( 舞台を大きくまわって常座へ行く ) 、そのほか悪 いと思い、千尋の繩を腰に結びつけ、 ぎよわに のが おんナい いのち ふるさとかた 魚鰐のロ、遁れがたしやわが命、さすが恩愛の、古里の方『もしこの玉を取ることができたなら、 この繩を動かすことにしよう。その時は そ恋しき ( 面を伏せる ) 。あの波のあなたにそ ( 脇正面へ向く ) 、 皆々で力を合わせて、わたくしを引きあ ちちだいじん げてください』と約束し、一つの利剣を わが子はあるらん ( 数歩出る ) 、父大臣もおはすらん、さるに 抜いて手に持って、 てもこのままに ( シオリをする ) 、別れ果てなん悲しさよと ( ま 地「あの海中深く飛び入ったのである。空 なみだ の雲も海の波も一つにつながる水平線の、 わって常座へ行く ) 、涙ぐみて立ちしが ( 脇正面へ出る ) 、また思 煙っている波濤の下をくぐりつつ、漫々 あは しどじ くわん たる海中深く分け入って、この真下であ 五「薩埋」は「菩薩」に同じ。志度寺のひ切りて手を合せ ( 下がりつつ合掌をする ) 、南無や志度寺の観 っこうに底 , も、な′ v' 深 ) ろうと見るが、い 本尊は十一面観世音菩薩である。 ノんさッた 六観音の大慈悲心の加わった利剣。 音薩垣の、力を合せて賜び給へとて ( 足拍子を踏み続ける ) 、尢て、ど一」が海底ともわからぬ有様、いや 人智を超えた神力でならともかく、人の ひ りけんノひたひ リうき、らノ . はか 七「不レ宿二死屍こ ( 涅槃経 ) 、「不レ受一一 悲の利剣を額に当て ( 扇を額に当てる ) 、龍宮の中に飛び入れ力では取り得るかどうか決められないこ 死屍こ ( 華厳経 ) などに基づき、龍宮 では死人を忌み嫌うとした。 とである。それでもどうにか龍宮に到着 ば ( 角へ出て膝をつく ) 、左右へばっとそ退いたりける ( 立 3 、 ^ 「玉」と「あま ( 人 ) 」は脚韻。 し、宮殿の中を見ると、高さ三十丈の玉 ひまほうじゅ 九体が切り裂かれていて、赤く血に 染まっている。 その隙に宝珠を盗み取って ( 正面先〈行き、膝をつき、扇で玉をすをちりばめた塔の中に、問題の玉を納め 置き、香や花を供え、守護するものとし 一 0 ※下掛系は「母も空しくなり給ふ しゅ・こじんノッ と」。 くい取る ) 、逃げんとすれば守護神追っかく ( 脇正面へ行き、正面て八大龍王が並んですわっている。その 謡曲集 の 力してい

6. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

, ワキ・ワキツレは、大小前に着座合わせ、棹を捨てる ) 。 痛い目にあわせ申すぞ。 すると、肩脱ぎしていた右の袖をも 自然居士「痛い目にあうというのは、われら とに直す。 ワキ「なうわたり候ふか ( ワキ・ワキツレは大小前へ行く ) 。 の修行、捨身の行と同じこと。 ワキが「まづかうかう御座候へ」と 人商人甲「命を取るそ。 ワキツレヘ声をかけてから大小前へ ワキツレ「何事にて候ふそ。 行き、着座して袖を直し、あらため 自然居士「たとえそなたがわたくしの命を取 つかまっ て問答をする演出もある。 ろうと、絶対に下りるまい ワキ「 ( 向かい合って着座して ) さてこれは何と仕り候ふべき。 ^ ※下掛系は、「なうわたり候ふか」 人商人甲「なに、命を取ろうとあっても絶対 以下のワキ・ワキツレの問答がなく、 前行のワキの独白が「とにかくにこ ワキツレ「これは御返しなうてはかなひ候ふまじ。よくよく物に下りるまいというのでありますか。 の自然居士にはったともてあっかう ひとあきびと 自然居士「もちろんのこと。 て候。さんざんになぶって返し候ふを案じ候ふに、奥より人商人の都に上り、人に買ひかねて、 人商人甲「いや、この自然居士の扱いには、 べし」 ( 現行喜多流 ) となって、すぐ、 せッぎゃうじゃ 「いかに居士舟より御上ナがり侯へ」 自然居士と申す説経者を買ひ取り下りたるなんどと申し候ほとほと困りはてたことであります。 ( 現行喜多流 ) というシテヘの呼びか 人商人甲「もうし、おいででありますか。 けに続く。 はば、一大事にて候ふほどに、御返しなうてはかなひ候ふ 人商人乙「何事でありますそ。 人商人甲「さて、これはどういたすべきであ まじ。 りましようか。 ワキ「われらもさやうに存じ候さりながら、ただ返せば無念に人商人乙「これはお返しにならなくてはなり のち ますまい。よくよく考えますと、奥州よ 候ふほどに、いろいろになぶってその後返さうずるにて候。 り人商人が都に上って、人を買うことが うまくゆかなくて、その結果、自然居士 ワキツレ「もっともしかるべう候。 ( ワキは脇正面へ行き、ワキツレは と申す説経者を買い取って下った、など 脇座へもどり着座する ) と人が申すようなことになりましては、 われらにとって容易ならぬことでありま ワキは脇正面に立ってシテに声をかけ、問答となる。問答をし すから、お返しにならなくてはいけませ つつシテは立って常座へ行き、ワキは地謡座前へ行く。問答の えぼし んでしよう。 終りに、ワキはシテヘ寄り、膝をついて鳥帽子を渡す。ワキへ 人商人甲「わたくしもそのように思います。 一歩出て膝をついて鳥帽子を受け取ったシテは、そのまま〔物 しかし、ただ返すというのは残念であり 着〕をする。 ますので、いろいろと慰みものにして、 おんナ 九※ ワキ「なうなう自然居士急いで舟より御上がり候へ。 その後に返すことにしましよう。 九※現行観世流では、次に、 シテ「いやいや聊爾には下りまじく 候。 ワキ「何の聊爾の候ふべき。ただ御 上ナがり候へ。 の応対があって、シテの「ああ船頭 殿の」に続く。現行下掛諸流もほぼ 同様である。 十「船頭殿のお顔の色こそ : こには、 相手に対して余裕たつぶりである自 然居士の態度がうかがわれる。 自然居士 のぼ

7. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

雲の、塵積って ( 中央へ出る ) 、山姥となれる ( 両手を大きくひろげおいては、 きちょ 地謡「春は、梢に咲くことを待ちわびた、 ( 山姥 ) る ) 、鬼女が有様、見るや見るやと ( 正面先へ出て足拍子を踏む ) 、 山姥「花をたずねて、山を廻るのである。 かけ 地謡「秋は、清らかな光をたずねて、 峰に翔り ( 飛び返って膝をつき、見あげる ) 、谷に響きて ( 見おろす ) 、 山姥「月の見えるほうへと山を廻るのである。 地謡「冬は、冴え返ってゆく寒さに、時雨 今までここに ( 立 3 、あるよと見えしが ( 角〈行く ) 、山また山 ( 山姥 ) を降らせる雲が、 , 流儀によっては、シテは留拍子を 踏まない。 に ( 左〈まわ「て地謡座前〈行く ) 、山廻り ( 角〈出る ) 、山また山に、山姥「雪を催すようにと誘いながら、山を廻 , 流儀によっては、《白頭》の場合に、 ゆくへ るのである。 シテは橋がかりで小さくまわりつつ山廻りして ( まわって常座へ行く ) 、行方も知らず、なりにけり 地謡「このように山を廻ることを繰り返し、 ( 山姥 ) うしろ向きに揚幕へ入って一曲を終 える。 ( 留拍子を踏む ) 。 輪廻から離れることのできない妄執の身。 その妄執の雲が積もり積もって山姥とな ったのであるが、この鬼女の姿をあなた は見ておいでであるか、ごらんになって いるかと言って、みるみるうちに峰に飛 びかけり、その物音は谷に大きな音を立 てて、今までここにいたと思われたので あるが、山また山に山廻り、山から山へ と山々を廻って、やがて、どこへ行った のかわからなくなってしまったのであっ 山姥 ちりつもッ やまンば しぐれ

8. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

なさけ きちょう も几帳も下りてしまっている。ああなさ 央へ数歩出て、上から下へと見る ) 、情なの御事や ( 五郎はシオリをし けないこと。 て常座へ下がる ) 。 十郎ま、・こ、。 オしふ時間が経っことゆえ、う シテが謡い出すと、五郎は一ノ松へ行く。地謡があって、シテ まくいったのかと思っていたが、泣く泣 は五郎に問いかけて問答となる。 くもどって来た五郎から、事の次第を聞 一 0 「時致」と重韻。 シテ气祐成は、かくとも知らで時致が、時移りたり事よきか + 郎「祐成は、こういう仕儀とも知らないで、 チうもんノ = 寝殿造りにおいて、表門と寝殿と、中門を見やりつつ ( 五郎へ向く ) 、はやこなたへと招けば時致が出かけて行ってだいぶ時が経った との間にある門 のは事がうまくいっているのかと、中門 ( 招キ扇をする ) 、 のほうを見やって、早くこちらへと手で 招くと 三※底本に役名の表記がない。現行五郎气招かれて山の鹿 ( 五郎はシオリをしながら一ノ松へ行き、シテヘ向 観世流によって五郎の謡とした。次 五郎「招かれて五郎は、山の鹿のように、 の「泣く泣く : ・」も同様。現行観世流 いて膝をつく ) 、 地「泣く泣くやって来た。打たれても、 によって地謡とした。 親の手にした杖で打たれたことなので、 一三「泣く泣く」の序。 地謡气泣く泣く来りたり。打たれても親の杖、なっかしけれなっかしくて親のそばを離れかねゑな 一四杖で打たれても、それが親の手 によってなされた場合は、かえって つかしくて親のそばを離れきれずにいる ば去りやらず、なっかしければ去りやらず。 うれしく感ぜられる、という意のこ ことだ。 とわざ。 ごぎげんナなにござ 十郎「さて母御のご機嫌はどんなでありまし シテ「 ( 五郎を見て ) さて御機嫌は何と御座候ふそ。 ほか 五郎「以ての外の御機嫌にて、なほ重ねての御勘当と仰せ出さ五郎「たいへんご機嫌が悪くて、さらにあら ためてご勘当とおっしやったのでありま れて候。 す。 母はあらためて春日の局を通じて十郎に、 五郎のとりなしをするのなら十郎ともど も勘当である旨を伝える。十郎はこれを 聞いた後、五郎を連れて母の前に出る。 母「だれかいるか。 袖曾我 母はアイを呼び出す。アイは立って中央へ行き、母の命を受け る。シテは一ノ松、五郎は二ノ松へ行く。アイは舞台ロへ行き、 母のことばをシテヘ伝える。シテは五郎に声をかけて問答とな る。 たれ 母「いかに誰かある。 一三かせき 一 0 ごかんだう 二九五

9. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

てッちゃういきほうちづえ シテ振り上ぐる鉄杖の勢ひ ( 打杖を振りあげる ) 、あたりを払っ ておそろしゃ ( ワキ・ワキツレは常座へ行き、祈る。シテはうしろへ下 がる。ワキ・ワキツレは脇座へ下がる ) 。 祐慶たちは五大尊明王に祈り、ついに鬼 掛合いの謡、地謡に合わせて、ワキ・ワキツレは祈り続ける。 女を祈り伏せる。 地謡の末尾で、シテは常座に安座して面を伏せる。 ごうざんぜみようおう とう . ・はら・ がうざん・せみやうわう 祐慶「東方に降三世明王、 ぐんだりやしゃ 三以下、五大尊明王を勧請して祈るワキ東方に降三世明王、 同行の山伏「南方に軍荼利夜叉明王、 文句。↓「葵上」二三二・ なんばう ぐんだりやしゃ 祐慶「西方に大威徳明王、 ワキツレ南方に軍荼利夜叉明王、 同行の山伏「北方に金剛夜叉明王、 だいにちだいしようふどう 祐慶「中央に大日大聖不動明王。 ワキ西方に大威徳明王、 祐慶 ほッばう こんがうやしゃ 同行の山伏「おんころころせんだりまとうぎ、 ワキツレ气北方に金剛夜叉明王、 おんなびらうんけんそわか、うんたらた チうあう だいにちだいしゃうふだう かんまん。 けんがしんしやほっぽだいしん ワキ气中央に大日大聖不動明王 ( ワキ・ワキツレは立っ ) 。 ( 祐慶・行の山伏 ) 「『見我身者発菩提心、見我 もんがみようしやだんくしゅんちょうが ワキ おんころころせんだりまとうぎ、おんなびらうんけ身者発菩提心、聞我名者断悪修善、聴我 四薬師如来に祈る呪文。 せっしやとくだいちえ ちがしんしやそくしんじようふつ ワキツレ 五大日如来に祈る呪文。 説者得大智慧、知我心者即身成仏、即身 さくなわ 六成就・吉祥、の意。呪文の結びにんそわか、うんたらたかんまん。 成仏』と、明王の手に持っ索の繩に祈り となえる。 けんがしんしやほっぽだいしん をかけて、休む間もなく責めつけ責めつ 七不動明王に祈る呪文。 地謡气見我身者発菩提心 ( シテは打杖に左手を添えて足拍手を踏む ) 、 け、祈り伏せてしまったのであった。 〈以下、不動明王が衆生を救う誓い もんがみやうしやだんナくしゅぜんすみ ちゃうがせッしゃ の四か条。「我が身を見る者は菩提 『さあ懲りるがよい』。 見我身者発菩提心、聞我名者断悪修善 ( 角へ行く ) 、聴我説者 心を発せん、我が名を聞く者は悪を とくだいちゑ ちがしんしやそくしんじゃうぶつ 断ち善を修せん、我が説を聴く者は 大智慧を得ん、我が心を知る者は即得大智慧 ( ワキの前〈行く ) 、知我心者即身成仏 ( まわ 0 て常座へ 身成仏せん」と訓読できる。 じゃうぶッ けばく 九つなぎ縛るための繩。 行き、ワキを見つめて、数歩出る ) 。即身成仏と明王の、繋縛にか 謡曲集 一※下掛系は、以下も地謡。 ニ※現行観世流は、以下、地謡。 ニ※ ッ たりを威圧していて、なんとも恐ろしい こと。 〔祈リ〕の囃子に合わせて、鬼女は 祐慶たちを威嚇し、祐慶たちは懸命 に祈る。 と こんごうやしゃ

10. 日本古典文学全集(34)-謡曲集(2)

謡曲集 しようけい とかげニ※ 里の男「今は秋、寒々としたタ暮れに、 一一日中、日の当たらない陰地。 ( 地謡 ) 常陰も物さび ( 下が 0 て目付柱へ向く ) 、松桂に鳴く梟 ( まわって こがらし 四※ ニ※下掛系は「物さびて」。 地謡「嵐や木枯、さっと降って来る時雨。草 らんぎく きつねす 三「梟鳴 = 松桂枝「狐蔵 = 蘭菊叢こ ( 白脇正面へ行く ) 、蘭菊の花に蔵るなる、狐棲むなる塚の草 ( 塚を に置く露を踏み分けかねて足を引きずつ 氏文集 ) に基づく にしき・つか て行けば、山の日の当たらぬ陰地もさび かつら 四※下掛系は「棲むなり塚の草」。 見つめる ) 、もみち葉染めて錦塚は ( ワキへ向き、中央へ出る ) 、こ さびとしていて、松や桂の枝には梟が鳴 五「錦」は「もみち葉」と縁語。 き、蘭や菊の花の陰には狐が隠れる、と れそと言ひ捨てて ( まわって塚の横へ行く ) 、塚の内にそ入りに いうような趣の所に、狐の住みかと見え ふうふ る塚があり、その草は紅葉に染まってい ける ( 塚の横で正面を向く ) 、夫婦は塚に入りにけり ( 塚の内へ中入 たが、『錦塚はこれである』と二人の者は する。ツレは後見座へ行き、うしろを向いて着座する ) 。 言い捨てて、塚の内に入ってしまった、 夫婦は塚に入ってしまったのであった。 アイの狭布の里の者が出て常座に立ち、市へ行こうと言って、 角へ出てワキの僧の姿を見つける。アイは中央に着座して、ワ 狭布の里の者が、僧に錦木細布のことを キの尋ねに応じ、〈語リ〉をした後、一一人の供養を勧めて狂言 詳しく語り、一一人の者の弔いを勧める。 座に退く。 アイ「 ( 常座で ) かやうに候ふ者は、狭布の里に住まひする者にて候。今日は狭布の市にて候ふ間、まかり こんにちくんじゅ 出で売物を買はばやと存ずる。いつもこの市はにぎやかにござあるほどに、今日も群集をなし申さう ずるにて候。 ( 角で ) いやこれに見馴れ申さぬお僧の御座候ふが、いづくよりいづ方へ御通り候へば、 これにはやすらうて御座候ふそ。 いッけん セ※ ワキ「これは諸国一見の僧にて候。御身はこのあたりの人にてわたり候ふか。 アイ「なかなか、このあたりの者にて候。 おん - 一 ワキ「さやうに候はば、まづ近う御入り候へ尋ねたき事の候。 アイ「畏って候。 ( 中央でワキへ向いて着座する ) 1 」よう 。いかやうなる御用にて候ふそ。 アイ「さてお尋ねありたきとよ、 ワキ「思ひも寄らぬ申し事にて候へども、この所において錦木細布の子細、御存知においては語って御聞 かせ候へ。 アイ「これは思ひも寄らぬ事を承り候ふものかな。さやうの事詳しくは存ぜず候さりながら、およそ承り シテが塚の横で正面を向くことな く、中央からまっすぐ塚の内へ中入 する演出もある。 六※以下のワキと応対のアイのせり ふは、山本東本による。 七※以下のアイと応対のワキのせり ふは、下掛宝生流による。 六※ ふくろふ にしきぎはそぬり こんにツタ ごぞんぢ さうらふ かた かげち しぐれ ふくろう