伝家の宝刀 - みる会図書館


検索対象: <つきあい>の心理学
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1. <つきあい>の心理学

あとがきーーーー伝家の宝刀 私は、心のふれあいがない人生は人生とはいえない、といわんばかりに筆をすすめてきた。 しかし、人間たるものここぞと思うときには、つきあいを棄て、ふれあいを断っ気力が必要で ある。つまり、〃伝家の宝刀〃を抜けるだけの気慨を内に秘めていなければならぬ。 人間、いくら円満といっても、引くに引けない線がある。その線をもたぬものはドアマット である。ドアの入口に敷いてあるマットは、人が踏みつけても黙っている。それと同じ人間に なってはならぬ。イエスがその母に「われ汝と何のかかわりあらんや」といったほどの、引く に引けない線がなければならぬ。 引くに引けない線とは何か。人間としての自分の尊厳、ディグニティがおかされたときであ る。マーチン・ \--a ・キングが黒人の先頭に立って歩いたあの自己 ( 黒人 ) に対する敬意の念、これ がおかされたときには、憤然として反逆する勇気がなくてはならぬ。つまり、心意気である。 もっとも問題は、反逆するに値する出来事かどうかの判断である。伝家の宝刀はそう簡単に 抜くものではない。〃いざというときには抜けるそ ! 〃という自信が大切である。抜けるけれ

2. <つきあい>の心理学

ども抜かない、これが理想である。抜きたいけれどこわくて抜けない、これが一番みじめであ る。 子どもを六人もかかえているので、〃伝家の宝刀第 私の父はずいぶん残念な目にあったが、 が抜けなかった。ほんとにかわいそうであった。それゆえかって私が教えていた美大の紛争 時に理事会と争ったときにも、当時会社の重役として団交で苦労していたにもかかわらず、父 は私の力になってくれた。 美大の理事長は私に友好的であったが、私にウソをついていた。学生が「大学は八王子に 移転するのか」と学生課長を兼務している私に団交の場できいた。理事長に確認したところ、 そんな計画はないという。次回の団交で私はそのとおり答えた。ところが学生は八王子に進行 中の工事現場の写真を私につきつけ、大学移転計画の事実を告げた。団交の責任者としてだけ でなく、教師としての私は、学生にあわせる顔がなかった。当時私は三十代後半であった。何 やおもて も知らされずに連日、矢面に立たされている自分に私は気づいたわけである。私は自分のディ グニティがおかされたと思った。これがやがて学生と一緒になって理事会と対立した原因であ る。 今でも私はこれが〃伝家の宝刀〃だったのか、単なる若気の至りだったのか判断がっかな

3. <つきあい>の心理学

第 7 章ー自他のイメージ・チェンジ : 1 ー自己イメージの由来 2 ー・自己のイメージ・チェンジ 3 ーー他者のイメージ・チェンジ 6 第 8 章ー過去からの解放 : ・ 1 ー分離の不安 00 2 ー竸争の心理と劣等意識 3 ー感情転移 4 ー「しつけ」からの脱却 あとがきー伝家の宝刀 179 155

4. <つきあい>の心理学

こにばーんと放り出されて生きていたのである。これから何を目的に生きていったらよいのか 誰も知らない。知っていることは、ある日ふと気づいたらそこにばーんと放り出されて生きて いた自分がいた、ということだけである。 ぎよくざ わら ベスタロッチがいったように、玉座の上にあっても藁ぶきの家にあっても等しきもの、これ が人間である。そもそものはじめは人間はお互いに東も西も知らなかったのである。ちょうど 大や猫に人生の目的がないように、人間にも人生の目的はないのである。 ではどうしたらよいか。自分で自分の人生の意味 ( 目的 ) を創造するのである。自分で創造 するとは、若干の不安と孤独に耐えるということである。つまり創造的人物とは不安や孤独に 耐える力がある人である。耐えられない人が人に依存するようになる。似て非なるふれあいを 求めるようになる。かってアメリカで起こった人民寺院の集団自殺がその例である。 に百パーセント依存していたがゆえに、リー ダーの指示に従ったのである。 ことばをかえていえば、人生の意味を創造するには、伝統。慣習・常識・人の意見・ステレ オタイプの価値観などを一度は拒否して、自分のありたいようなあり方、自分の感じたいよう な感じ方、自分の考えたいような考え方にひたりきることである。人間は人の自由を奪わない てんじようてんげゆいがどくそん 限り、自山に生きる権利があるのである。天上天下唯我独尊の気慨をもたなければならぬ。わ

5. <つきあい>の心理学

「講談社現代新書」の刊行にあたって 教養は万人が身をもって養い創造すべきものであって、一部の専門家の占有物として、ただ一方 的に人々の手もとに配布され伝達されうるものではありません。 しかし、不幸にしてわが国の現状では、教養の重要な養いとなるべき書物は、ほとんど講壇から の天下りや単なる解説に終始し、知識技術を真剣に希求する青少年・学生・一般民衆の根本的な疑 問や興味は、けっして十分に答えられ、解きほぐされ、手引きされることがありません。万人の内 奧から発した真正の教養への芽ばえが、こうして放置され、むなしく滅びさる運命にゆだねられているのです。 このことは、中・高校だけで教育をおわる人々の成長をはばんでいるだけでなく、大学に進んだり、インテリと目され たりする人々の精神力の健康さえもむしばみ、わが国の文化の実質をまことに脆弱なものにしています。単なる博識以上 の根強い思索カ・判断力、および確かな技術にささえられた教養を必要とする日本の将来にとって、これは真剣に戞慮さ れなければならない事態であるといわなければなりません。 わたしたちの「講談社現代新書」は、この事態の克服を意図して計画されたものです。これによってわたしたちは、講 壇からの天下りでもなく、単なる解説書でもない、もつばら万人の魂に生する初発的かっ根本的な問題をとらえ、掘り起 こし、手引きし、しかも最新の知識への展望を万人に確立させる書物を、新しく世の中に送り出したいと念願しています。 わたしたちは、創業以来民衆を対象とする啓蒙の仕事に専心してきた講談社にとって、これこそもっともふさわしい課 題であり、伝統ある出版社としての義務でもあると考えているのです。 一九六四年四月 野間省一 、 3 一イ