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検索対象: はじめてのインド哲学
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1. はじめてのインド哲学

竜樹のアビダルマ哲学批判 紀元一世紀の中葉に、元来中央アジアの遊牧民てあった月氏族の中のクシャーナ族が、 他の月氏の部族を支配し、西北インドに侵入した。その後、このクシャーナ族のカニシカ 王 ( 在位一二九年ごろー一五二年ごろ ) が北方インドを中心とした一大帝国を建設した。この帝 国は、その規模においてかのアショーカ王 ( 在位紀元前一一六八年ごろー一一三二年ごろ ) のマウリヤ 王朝以来のものてあったが、三世紀中葉まて続いた。 この王朝のもとては、ローマとの貿易によって財が蓄積され、ギリシア・ローマの学術 の影響も大きかった。北西インドのガンダーラ地方には、ギリシア彫刻の影響を受けた仏 教美術が生まれた。 一方、南インドにおいてはアンドラ朝が勢力を得ていたが、この王朝はバラモンを保護 し、 、ハラモン中心の宗教政策をとった。 このようにして、第三期後半のインドは、北方のクシャーナ朝と南方のアンドラ朝に二 分して考えることがてきるが、新しい仏教運動が展開されるのはこのような時代において てあった。 紀元一世紀ごろ、アビダルマ哲学の整備、体系化はますます進んていたが、この運動と 108

2. はじめてのインド哲学

て唯名論が復活し、このオッカムの学説は近世初期のイギリス唯物論の先駆となった。 ようするに、西洋中世の普遍論争にあっては、普遍 ( 種、類 ) に重きを置くか、個物に重 一方、インド哲学の場合には、普遍という「法」と実体・ きを置くかか問題となった。 個物という「有法」との区別が重視されるか否かが、普遍が実在か否かの間題に加えて、 重要な契機となるのてある。 インド哲学における普遍と個物との関係が、西洋哲学におけるそ 以上見てきたように、 れとまったく同様に扱われ得るものてないことはいうまてもないが、インド哲学史を概観 する場合にも、この区別は充分有効てあると思われる。したがって、本書においても、「イ ンド的」という限定つきてはあるが、実在論と唯名論の抗争という視点をもっことにした すてに述べたように、あるシステムにおいて、属性と実体、運動と実体、普遍と個物な どの間の区別が重視され、普遍の実在性が強調されるならば、そのシステムにあっては法 と有法との区別が重視されることになる。したがって、インド的実在論においては、法と 有法との区別が強調される。 インド的唯名論の立場に立っ諸潮流に関する考察は、本書第 5 、 6 章において行いたい が、サーンキャ、ヨーガ、ヴェーダーンタのバラモン正統派と、ほとんどの仏教諸学派は、 104

3. はじめてのインド哲学

ラモン文化と抗争を続けることとなる。 よ、宇宙原理プラフマンの実在性を認めず、さらにヴェーダの ブッダの教説 ~ 権威を認めないという点ては、正統バラモンの思想とは相容れないものてあった。だが、 仏教もヴェーダーンタ不二一元論と同様に、究極的には分裂・対立・区別を超えた一如の 世界を目指す。属性とその基体、原因と結果との区別を認めないという「インド的唯名論」 の立場は、最終的には、分裂・対立・区別のなくなった世界へと人々を導くことを目指し ているからてある。 正統バラモン系および非正統系の諸哲学学派は、「哲学の水平」に対する態度によって二 分される。すなわち、属性とその基体、あるいは普遍とその基体としての個我との間に明 白な区別を置こうとする「インド的実在論」と、その両者の間に区別を認めない傾向の「イ ンド的唯名論」とに分かれた。この二つの流れのうち、インドの哲学の主流はやはり、ヴ エーダーンタ学派を中心とする「インド的唯名論」てあった。非正統の仏教も、おおむね 「インド的唯名論」に属した。 現象世界が無知によっててきたものてある ( シャンカラ ) にせよ、物質世界と個我とが神の 身体てある ( ラーマーヌジャ ) にせよ、ヴェーダーンタ学派の人々にとって、プラフマンある 1 ーに見られる下位の長方形 ( 属性 しは神 ( ィーシュヴァラ ) は実在てあった。第 6 章の図 1 2 12

4. はじめてのインド哲学

の特質を考える際には、インダス文明の影響を考慮に入れる必要がある。 インダス文明は、アーリア人が五河 ( パンジャプ ) 地方に侵入する以前に衰えてしまってい たといわれるが、現段階てはよくわかっていない ともあれ、鉄器をもちいるアーリア人 が、銅器をもちいていたムンダ人やドラヴィダ人などのインドの原住民たちを圧倒し、支 配したことは事実てある。 紀元前一五〇〇年ごろーーーあるいは紀元前一三世紀ごろーーインド・ヨーロッパ語族に 属するアーリア人たちは、ヒンドウークシュ山脈を越えて五河地方を占拠した。これ以後、 今日にいたるまて、インド文化の中核となっているのは、このインド・アーリア人てある。 彼らはギリシア人やゲルマン人と同じ祖先をもつ人種てあり、インド人の思弁の中には、 ギリシア哲学やドイツ哲学の思索の道筋と似たものが見出される。 アーリア人たちは西北インドに侵入し、五河地方を支配した後、徐々に東の方にその居 住の空間を拡げていった。彼らは牧畜を主とし、農業も一方て行っていたと推定される。 彼らの社会にあっては、宗教儀礼は決定的に重要なものてあった。 すみか しかし、彼らには後世のヒンドウイズムにおけるような「神の住処」としての寺院はな かった。神々は天に住むのてあり、神官たちは必要に応じて祭壇を造り、神々を地上に呼 んだ。儀式の後にはその祭壇は壊されるか、うち捨てられた。 ・ 4

5. はじめてのインド哲学

近代の合理的思匪をも合わせもっていた。彼の信仰はや の霊性を感じとる能力とともに、 がて、弟子のヴィヴェーカーナンダ ( 一八六三年ー一九〇一一年 ) によって受けつがれ、ラーマ クリシュナ・ミッションとして今日にいたっている。 ほかにもヒンドウー教の近代化に貢献した思想家や宗教家は多いが、第六期におけるヒ ンドウーの田 5 想家たちのほとんどは、このように「インドの近代化におけるヒンドウイズ ムの機能」という間題に関わっていた。また、この時期においても、「自己と宇宙の同一生 の経験」というかのテーマは、人々を引きつけ続けてきた。 この時期においては、キリスト教やイスラーム教などの影響もあって、「神の問題」が重 オオカヒンドウー教における神は、ユダヤ・キリスト教的神てはあり得なか 要となっ ' 」。ご、、。、 った。あくまてインド古代精神の伝統をふまえた神てあり、自己の中に存在し、かっ宇宙 とい - フ「二 の根本原理てもある神てあった。インド近代の宗教改革者たちは、自己と宇宙 つの極」を、インドの伝統を踏まえつつ、彼らがとらえなおした「神」を媒体とすること によって結びつけようとした。彼らは、自らの立場を他の宗教的伝統に従う人々に理解さ せるために、「神」の概念を中心に自らの教義を語ったのてある。 ほかにオーロビンド、タゴ ル、ガンディー 本書において扱うことはてきないが イラクのようなスケールの大きな思想家が第六期には活躍している。現在のインドには、 208

6. はじめてのインド哲学

八世紀ごろからインド社会は、回教徒の侵入によって深刻な問題をかかえていた。ヒン ドウー社会も苦しい対応を迫られたが、決定的な打撃を受けたのは僧院を中心とする仏教 勢力てあった。回教徒による僧院焼き打ちなどによって、一三世紀ごろにはインド亜大陸 から仏教は消滅する。 ところて第四期に入ると、インドては正統派バラモン系の思想・宗教のみならず、非バ ラモン系の思想・宗教にも新たな運動が台頭してくる。タントリズム ( 密教 ) の台頭てある。 タントリズムとは、儀礼とシンポルの機能を重視し、「シンポルは宗教の目的としての究 極的なものを指し示すことがてきる」という前提に立っ宗教形態てある。サンスクリット の伝統的な学間をおさめたエリートたちーーーあるいは専門家たちーーの宗教とは異なって、 宗教の専門的知識のない一般の人々も直接参加てきたところにこの宗教形態の特質がある。 またタントリズムのテーマも、ヴェーダーンタ学派のそれと同じく、宇宙原理と自己 ( 個我 ) との同一性の直証てあった。本書第 7 章「タントリズム ( 密教 ) の出現」ては、まずタント リズムの一般的性格を考察し、次にタントリズムの世界観について考えてみよう。 一二〇〇年以降の第五期および第六期においても、インド哲学の展開・発展はないわけ ーないたが、この期におけるインド哲学は、わずかなものを除けば独創的なものはな 整備したりすることに終始するもの く、それ以前の理論をいっそう精緻なものにしたり、 自己と宇宙の同一性を求めて

7. はじめてのインド哲学

インドの「希求する心」 インドの哲学は、単なる知的体系てはなくて、最終的には一つの目的の獲得を目指して 行われた行為の集積てある。 今ある自分ならぬ自分になること、今いる地点とは別の地点に到達することを目指して、 人々はその目標を見つめ、それへと いたる方法を模索した。複雑に巨大化したインドの知 的体系が、出発点にそのような「希求する心」をもっていたことを、インド哲学を考察す る際に忘れてはならない。 そこには、最初、今ある自己と周囲の世界についての現状認識 ( しオオしのか目標を見定める思考があり、さらにそこにいたる手 段について実践をともなう長い考察があったはずてある。 行為に必す伴う、現状認識 ( 世界観 ) 、目的、および手段という三つの要素については、す てに拙著『ヨーガの哲学』 ( 講談社現代新書三七ー四〇ページ ) に述べたのて、それぞれについて の説明をここてくり返すことはしないが、本書においても、知的体系と行為の関係、およ び行為を成り立たせている三要素については、前掲書と同じ立場に立ちつつ、考察の際の 基礎としこい。 ところて、希求する心が哲学しはじめ、現状の自己と周囲世界を認識しようとするとき、

8. はじめてのインド哲学

本書を書くにあたっては、とくに大に掲げる著作を参考にすることがてきた。 秋沢修一一『東洋思想』三笠書房一九三八年 ヴィンテルニツツ、『ヴェーダの文宀子ーーインド文献史第一巻』 ( 中野義照訳 ) 高野山大 学内日本印度学会一九六四年 宇井伯寿『印度哲学史』岩波書店一九三一一年 上田義文『梵文唯識三十頌の解明』第三文明社一九八七年 エリアーデ、ミルチャ『ヨーガ』 ( 一 ) ( 一 l) ( 立川武蔵訳 ) せりか書房一九七五年 レ オットー ードルフ『インドの神と人』 ( 立川武蔵・希代子訳 ) 人文書院一九八八年 梶山雄一『空入門』春秋社一九九一一年 金倉円照『インド哲学史』平楽寺書店一九七三年 金倉円照『インドの自然哲学』平楽寺書店一九七一年 定方晟『インド宇宙誌』春秋社一九八五年 参考文献 22 ろ参考文献

9. はじめてのインド哲学

そして「インド的」唯名論哲学者のチャンピオンは、何といっても竜樹てあった。アビダ ルマの哲学者、唯識思想家、さらには如来蔵思想を唱えた人々は、竜樹的な空思想を一方 に見すえ、他方にそれぞれが生きた状况に関わりながら自らの思想を構築していった。 方てはその間、空の思想あるいは縁起の思想は、否応なくバラモン正統派の考え方に影響 を受けた。 インド哲学の運動が活発だったこの時代に、仏教はその流れのただ中て育った。仏教も またバラモン正統派に影響を及ばし、「聖なるもの」への問いを促進した。各潮流が混在し て、ひとつの「インド的なるもの」として流れる底深い音が聞こえるような、そんな時代 てあった。 リ 0

10. はじめてのインド哲学

自己と宇宙の同一性の経験 しかし、どのようにしてこの小さな個体が、巨大な宇宙と本来的に同一てあると知り得 るのか。どのような方法によって泡粒ほどの大きさのわれわれが、広大な宇宙と同じ大き さのものへと いたったことを感じ得るのか。また、われわれの短い生命が、想像すること もてきないほど永い宇宙の生命と本質的に同じてあると経験てきるのか。これがインド精 神史のテーマてあった。 もっとも、インドのすべての哲学学派や神話が、個体と宇宙との同一性に関して同じよ うな世界観 ( 宇宙観 ) をもっていたのてはない。宇宙あるいは世界と自己とをどのように考 えるかについて、インドの中てさまざまな理解があり、それらの間には激烈な論争が続い てきたのてある。とりわけ大きな相違は、よく知られているように、宇宙の実在性をめぐ っててあった。ヒンドウーの哲学者はおおむね宇宙の実在性を認めたのに対し、仏教徒の 多くは宇宙の実在性を認めなかった。 自己と宇宙の同一性の経験という、インド精神のめざす到達点に関しても、各学派や神 話的伝統は微妙に異なった立場をとっている。大きく分ければ、自己の中に宇宙を収めよ うとする立場と、宇宙の中へ自己を帰入させようとする立場との二つがある。 自己と宇宙の同一性を求めて