インド哲学を新書のかたちて書くことがてきるというのは、インド哲学の研究に従事し てきたものにとっては、めったにないチャンスだと思える。そのような機会に恵まれたこ とに感謝している。 本書を書くにあたっては、紙幅の関係上、インド哲学の扱ってきたいくつかのテーマの うち、もっとも重要と思われる「自己と宇宙の同一性の経験」の問題に焦点をあてた。本 カ叙述の順序をほば時代順とし、インド哲学 書はいわゆるインド哲学史概論てはない。、、。、 史上の重要な人物や論書については触れるようにして、インド哲学史入門としての役目を も果たすようにむがけた。 本書の内容は、名古屋大学文学部における一九九一年度の「インド哲学史概説」と重な るところが多い。期するところあって一九九二年春にわたしは名古屋大学から国立民族学 博物館に職場を移した。したがって、本書はわたしの名古屋大学における最後の年の講義 内容を伝えるものとなった。 本書の執筆中、名古屋大学インド哲学講座助教授和田壽弘氏との歓談の中て啓発される 亠のし」が、 ) さ あとがき 2 21
インドの哲学は、現代においてどのような意味をもっているのか。これが本書の答えよ うとする問いてある。その答えを求めつつ、インドの哲学を概観したい。 しかし、この問いは、答えようとする者の生きている場を無視して答えられる問いては ない。今日、インド人として自国の伝統の中に生きている者が、その伝統の現代的意義を 間う場合と、わたしのように日本人として仏教的伝統を受けている者が、仏教・ヒンドウ ー的伝統の今日的意義を問う場合とは、その問い方も答えそのものも異なるはずてある。 さらに、ひとりひとり、 問い問われるその人間が生きている状況によっても、細かな差異 か生ずるだろう。 わたしはここて、インド哲学の歴史をてきるかぎり正確に述べたいと思うが、本書はい わゆるインド哲学史概論てはない。 インド精神のもっとも重要なテーマてあると考えられ る「自己と宇宙の同一性の経験」を中心軸としてインド精神史を追いつつ、そのテーマが、 わたしにおいてどのような現実的意味をもつのかをさぐることが、本書の第一の目的てあ る プロローグ
が多かった。インド田 5 想史の理解のためには、これらの時期の哲学・思想の考察を欠くこ しかしながら、本書ては紙面の関係上、終五、六期については終 とはもちろんてきない。 章の初めて簡単に触れるにとどめたい。 世界という神 一」の a-6 - フに、 インド精神史は六つの時期に分けられるが、インド精神が一貫して求めた ものは、自己と宇宙 ( 世界 ) との同一性の体験てあった。世界を超越する創造神を認めない インドの人々が求めた「神」は、世界に内在する神、あるいは世界という神てあった。 つまり、自己は限りなく「大 方、インドは自己に許された分際というものを知らなかった。 宇宙との同一性を きく」なり、「聖化」され、宇宙 ( 世界 ) と同一と考えられた。もっとも、 かちとるために、自己は時として「死」んだり、「無」となる必要はあった。しかし、その ことによって自己はその存在の重みをますます増したのてある。 自己も宇宙も神てあり、「聖なるもの」てある。自己と宇宙の外には何も存在せず、宇宙 が自らに対して「聖なるもの」としての価値を与える、すなわち「聖化する」のだという ことを、何としても証したいという努力の過程が、インド哲学の歴史にほかならないのて ある。
たカ数千年の歴史 シャンカラやラーマーヌジャのような哲学者はいないように田 5 える。ご、、。、 がインドの人々の中に生きていることは、わずかな期間インドを旅行する者にても感じら れる。 世界に内在する「神」 インドの精神史を六期に分けてその時代の精神の特質を見てきたが、インドの全精神史 を通じていい得ることは、インドが世界から超越した創造者の存在を認めなかったことて ある。インドは、世界の根本原理あるいは究極的存在としての神を、世界の中に、または 世界そのものに求めてきたのてある。 第一期「インダス文明」はしばらくおくとして、第二期「ヴェーダとウバニシャッド」 において、われわれはそのような傾向をはっきりと見ることがてきる。『リグ・ヴェーダ』 の「宇宙開闢の歌」ては、「唯一のもの」が展開してこの世界となると述べられており、同 じく『リグ・ヴェーダ』の「原人歌」ては、原人 ( プルシャ ) の上部四分の三が本質界てあ 、下部四分の一が現象界てあるといわれている。 『リグ・ヴェーダ』に続いて編纂された『アタルヴァ・ヴェーダ』においても、世界の中 心あるいは「宇宙軸」としての巨大な柱 ( スカンバ ) が述べられており、この柱と宇宙原理 209 世界の聖化の歴史
現代日本に生きる一個人たる「わたし」の問題として、仏教・ヒンドウー的伝統の意義 を見出すことは、インド精神の伝統を私的なことがらに解消してしま - フことを意味しない。 「インド的伝統の現代的意義」一般が、個々人を離れて存在するわけてはないのだから。そ して「わたし」がとりこむことのてきる広さと深さに応じてのみ、インド精神はその広さ と深みを見せてくれるだろう。 わたしに、読者ひとりひとりの何ほどかを担う力があり、わたしのとりこむインド精神 が、その豊かさのてきる限り多くを、実際ここて見せてくれることを切に願っている。 にな プロローグ
佐保田鶴治『ウバニシャッド』平河出版社一九七九年 シュトラウス、オットー『インド哲学』 ( 湯田豊訳 ) 大東出版社一九七九年 辻直四郎『ヴェーダとウバニシャッド』創元社一九五三年 長尾雅人『中観と唯識』岩波書店一九七八年 中村元『インド思想史』 ( 第二版 ) 岩波書店一九六八年 服部正明『古代インドの神秘思想』講談社一九七九年 平川彰『インド仏教史』 ( 上 ) ( 下 ) 春秋社一九七四年、一九七七年 前田専学『ヴェーダーンタの哲学』平楽寺書店一九八〇年 松長有慶『密教の歴史』平楽寺書店一九六九年 村上真完『インド哲学概論』平楽寺書店一九九一年 山口益『般若思想史』法蔵館一九五一年 ルヌー、 *-a ・ / フィリオザ、・『インド学大事典』 ( 一 ) ( 一 I) ( 三 ) ( 山本智教訳 ) 金花舎一九 八一年、一九七九年、一九八一年 Basu,M. , F ミミき e 、ミ ls 、 the I? 70S 、 Ta ミミ s , Mira Basu publishers, Calcutta, 1986 Hiriyanna, M. , 0 ~ 、ミミ es 、ミ ~ P 、 os を , George Allen 年 Unwin, Bombay, 1973 224
タントリズムの時代背景 第 6 章の冒頭て述べた七世紀後半にはじまるインドにおける諸王朝乱立の時代は、一二 〇〇年ごろまて続く。六四七年にハルシャ王 ( 戒日王 ) が没すると、彼の王朝の首都てあっ たカナウジには、プラティ、 ーラ王朝が建てられた。インド中央のデカン高原にはチャー ルキャ朝、その南にはパッラヴァ朝が勢力を得た。またビハールやべンガル地域のインド 東部ては、。、 ーラ王朝 ( 七三〇年ごろー一一七五年 ) が長期間、勢力をたもち続けた。 ところて、回教徒はすてに八世紀には西北インドに侵入していたか、その後も彼らの侵 入は続き、一二〇六年にはインドにおける初めての回教徒による統一王朝が成立した。い わゆる奴隷王朝 ( 一二〇六年ー一一元〇年 ) てある。これ以後、一九世紀まて回教徒のインド 支配が続くのてある。したがって、われわれの時代区分ていう第四期 ( 六〇〇年ー一二〇〇年 ) は、グプタ王朝崩壊後の諸王朝乱立の状態が、回教徒の統一王朝によって終息するまての 期間てある。 ところて、第四期においては、それ以前とは異質な思想あるいは宗教が勢力を得た。そ のような思想・宗教形態は、仏教、ジャイナ教、ヒンドウイズムに現れた。つまり、汎イ ンド的思想・宗教てあった。われわれはこれを「タントリズム」 ( 密教 ) と呼んている。この 166
インド六派哲学 ノラモン哲学者たちの いわゆる「第一二期」の中葉、つまり、紀元後一世紀ごろからは、ヾ 間て哲学諸学派形成の動きが盛んとなり、紀元四〇〇年ごろまてにはバラモン正統派の諸 哲学学派の体系が整備された。いわゆる「インド六派哲学」の成立てある。もちろんこの 後にも、インド哲学の理論はさまざまなかたちに展開していくのてあるが、今日われわれ が「インド哲学」と呼んている形態の実質的基礎は、この第三期後半に築かれた。これは 正統バラモンを中心とした文化が、第四期に復興する過程の前段階と考えることがてきょ この時期のバラモン哲学の主要関心事の一つは世界の構造てあったが、これは第三期前 半にすてに活躍していたアビダルマ仏教の哲学者たちの関心事てもあった。アビダルマの 哲学者たちと同様、第三期のバラモン哲学者たちも、有限個の基礎的カテゴリーの組合わ せによって世界の構造を説明しようとした。 インドの多様な哲学的諸理論、諸学派の主張がほば出そろったのは、前述のとおりイン ド精神史の第三期後半、インド六派哲学の成立の時期てある。その六派とは、 一、サーンキャ Sämkhya
宇宙原理プラフマンの再評価 中央集権国家てあったグプタ王朝の勢力は五世紀末に衰えた。それに伴って、中央の文 化の伝統を担った人々は地方にのがれ、中央の文化と地方との抗争あるいは混交が盛んに きようど 行われるようになった。四八〇年ごろから匈奴 ( フン族 ) がインドに侵入し、六世紀中葉ま てインドはこの異民族の侵入に苦しんだ。七世紀には戒日王 ( ハルシャ ) が統一国家を建設 するが ( 六〇六年 ) 、彼が六四七年に没した後はインドは諸国家乱立の時代に入る。 紀元四七六年、西口ーマ帝国が亡ぶとローマの貨幣とインドのそれとの等価関係がくず れ、インドの商業資本もふるわなくなった。やがて農村を基盤とした伝統的な勢力が台頭 してくる。諸国家乱立が続く中、バラモンの哲学者たちは仏教などの非バラモン主義から 多くのことを学びながらも、古代のヴェーダの伝統を復興させようとした。 インドの正統バラモンの哲学は古典ゥパニシャッド以来、今日にいたるまて宇宙原理プ ラフマンに関わっている。プラフマンに対して個我 ( アートマン ) あるいは世界がどのような 、、ラモン哲学のもっとも重要な間題ぞあった。正統派六派哲 関係に ~ のるかし J い , フこし」かノ 学の中て、プラフマンに関する思弁を代表する学派はヴェーダーンタ学派てある。 この学派は、「ヴェーダ・アンタ」っまりヴェーダの終わり ( アンタ ) という名称が語るよ 1 ろ 2
手 / ド哲学 はじめて , 現代新書既刊よりーーー同著者による『ヨーガの哲学』は、 世俗を捨て、「精神の至福」をもとめる方法ヨーガのもつ「哲学」を考える。 服部正明『古代インドの神秘思想』は、 初期ウバニシャッドを中心に、アートマンとプラフマンの実相を解明する。 またインド精神史の華、仏教については、 定方【成『空と ~ 我』が、竜樹の逆説などを通して言語のもっ限界と可能性をさぐり、 竹村牧男『「覚と「空」』が、 シャカによる誕生から衰亡にいたるインド仏教の歩みをたどる。 一方、本書の背景となる歴史全般については 近藤治不ンドの歴史』がくわしく、 インド哲学と並ぶ西欧哲学全体を概観したものに、 新田義弘『哲学の歴史』がある。 イ ン 学 立 武 自己と全宇宙との合一をめざし、三 000 年の「聖なる」思索を一ゞ 重ねたインド。壮大にして精緻な . 7 精神のドラマを、一巻に凝縮する。 立川武蔵一 自己が宇宙と合一するー , ・ーインド精神が一貫して求めたものは、 自己と宇宙 ( 世界 ) との同一性の体験であった。 世界を超越する創造神を認めないインドの人々が求めた「神」は、 世界に内在する神、あるいは世界という神であった。 一方、インドは自己に許された分際というものを知らなかった。 つまり、自己は限りなく「大きく」なり、「聖化」され、宇宙 ( 世界 ) と同一と考えられた。 もっとも、宇宙との同一性をかちとるために、自己は時として「死」んだり、「無」となる必要はあった。 しかし、そのことによって自己はその存在の重みをますます増したのである。 自己も宇宙も神であり、「聖なるもの」である。 自己と宇宙の外には何も存在せず、宇宙が自らに対して「聖なるもの」としての価値を与える、 すなわち「聖化する」のだということを、何としても証したいという努力の過程が、 ・本書より インド哲学の歴史にほかならないのである。 はしめてのインド哲学 ! = 。目次より ・自己と宇宙の同一性を求めて ・汝はそれである ・プラフマンとアートマン ・麦粒よりも小さく、世界よりも大きい ・仏教誕生 6 ・自己否定の果てに現れる「聖なるもの」 ・バラモン哲学の成立 1 ・大乗仏教の興隆 0 ・言葉の多元性を止減させる ・マンダラーー宇宙と自己の同一性の直証 ・男性原理と女性原理 2 ) ・世界の聖化の歴史 3 8 0 円 6 ・たちかわ・むさし 一九四ニ年、名古屋生まれ。名古屋大学文学部卒業後、 ト大学大学院に留学、 o-c ・取得。名古屋大学文学部教授を経て、 現在国立民族学博物館教授。専攻はインド学、チベット学。文学博士。 著書に『西蔵仏教宗義研究第一巻・第五巻ー財東洋文庫、「曼荼羅の神々」ーありな書房、 『空の構造」ー第三文明社、「女神たちのインド」ーせりか書房、 "The St 「 uctu 「 e 0 → the Wo 「 ld ョ Udayanas ReaIism ー・ Re ミ e 一ーなどがあるほか、 本新書にも「ヨーガの哲学』がある 2 講談社現代新書 特製ブックカバー物呈 - ・ - 一。・ ものマークを 2 枚集めて ーくたさい ( 葉書は不可〉 封書でお送 ) パックスのマーク代用も可 宛先 | 」・ 講談社新書販売部プ「・クカバー係 マークアジアの「豊攘の渦」 講談社現代新書 カット〔〔」クリシュナ神宇宙