けいじじようがくてき ハニシャッドの時代ては、形而上学的な知によって直観することのてきる宇宙原理と考え られていた 一方、アートマンは、ウバニシャッドの哲人たちがプラフマンの対極へと置 べく見つけ出した術語てある。 「アートマン」とは、元来は気息を意味したが、自己、自身、本来、自我などを意味する ようになった。ヴェーダ本集や梵書の中ては、「アートマン」はまだ宗教的、哲学的に重要 な概念としては登場していない。自我あるいは個人我の意味ての「アートマン」が重要な 宗教的意味をもつようになるのは、ウバニシャッドの時代においててある。ゥパニシャッ さいし ドの哲人たちは、伝統的な祭司たちの根本原理てあったプラフマンの教説と、その祭司た ちとは異なった集団において用意されつつあったアートマンの教説とを結びつけて、両者 を彼らのシステムにおける「二つの極」としてとらえなおしたのてある。 万物はプラフマンである ゥパニシャッドにおいて、プラフマンと宇宙 ( 世界 ) そのものとはどのような関係にある のか。初期の代表的ゥパニシャッドてある『チャーンドーグヤ・ウバニシャッド』 ( 三・一四・ 一 ) は、「実にこの一切万物はプラフマンてある」という。ヴィンテルニツツがいうように、 この考え方はウバニシャッドの基本思想てあるが、どのような意味て世界はプラフマンな
紀元前八ー七世紀ごろになると、儀礼を中心とするバラモン僧たちの勢力が徐々に衰え てくる。また人々の心の中ては、宇宙の根本原因についての関心がますます大きくなる一 方て、ひとりひとりの人間の精神的至福の追求が重要な課題となっていった。人々はヴェ 新しい道を選ばうと ーダを中心とする儀礼中心主義に対する疑問をもはや隠すことなく、 、頁は、このような新しい道を選んだ人々の した。「ウバニシャッド」と呼ばれる一連の聖典委 思弁の跡てある。 こ , て口 - んること ゥパニシャッドの運動がなぜこの時点て始まったのかという問いに はてきない。が、インドはウバニシャッドの時代において、二〇世紀ドイツの哲学者ャス ースの主張する「軸の時代」に入ったのかもしれない。 ースは、紀元前数世紀から紀元前後のイエス・キリストの時代ごろまてを「軸の ャスパ 時代」と名づける。この時代にブッダ、ソクラテス、孔子、イエスといった巨人たちが出 現し、今日のわれわれにとってのもっとも貴重な宗教的・精神的財を唱えたというのてあ る。ゥパニシャッドもまた、いささか古めかしいやり方においててはあったが、「個として の人間」が究極的に望む宗教的財を示していたことは確かてある。 ゥパニシャッドの基本思想
うに、自らの思想体系をヴェーダの伝統の終局として位置づけている。この場合の「ヴェ ータ」という語は、広義にもちいられている。一般にヴェーダ聖典は、祭記を説く祭事部 宇宙の根本原理に関する哲学などを説く知識部とに二分されるが、前者にはヴェーダ 本集 ( 狭義のヴェーダ ) やプラーフマナ ( 梵書 ) が、後者には主としてウバニシャッドが属す る。ヴェーダーンタ学派は、知識部のヴェーダ、すなわちゥパニシャッドの思想を新しい 時代 ( 第三期後半 ) の状況の中て解釈し直そうとした。 ゥパニシャッドの哲人たち、たとえば、ウッダーラカは、プラフマンが宇宙 ( 世界 ) の原 パリナーマ・ヴァーダ ) 因てあり、世界はその結果と考えご。 オこれは、一種の展開説 ( 転変説、 てあり、唯一無二の実在たるプラフマンからこの世界が生まれ出てくるという考え方てあ る。しかし、ウバニシャッドにおけるプラフマンと現象世界との関係に関する考察は充分 なものてはなく、詳細な考察は後世の哲学者たちの手にゆだねられた。 世界成立・構造論の祖、サーンキャ哲学 ゥパニシャッドの後、宇宙の根本原理と世界のド題 ( 引ことりくんだ学派として、まずサー ンキャ学派がある。第三期 ( 紀元前五〇〇年ごろー紀元後六〇〇年ごろ ) に入ると、自然に関する 認識の発達にともない、 世界の成立と構造に関する統一的な知識体系が求められるように バラモン哲学の展開ーー - ヴェーダーンタ哲学 1 5 5
まとまりあるものてあることによってアートマンてある。ゥパニシャッドの哲人たちがフ ラフマンと対峙するものとして選んだアートマンという語は、全体 ( プラフマン ) に対する個 という対極の意味を明らかに含みながら、そしてすべての事物に存するという日常性をも ったまま、一方てプラフマンと同一の聖性をも表現しうる語として育っていった。 ある個所に使われている「アートマン」という語が、「聖なる」原理としてのプラフマン と等しいアートマンなのか、単に「ひとつのものの自体」という意味のアートマンなのか とのようなもの ( アートマン ) にもプラフマンという宇宙 という区別は大した間題てはない。、、 の力がみなぎっており、その力が、どのように小さなものの「自体」をも「原理としての アートマン」へと、まったく , 容易にその価値を高めるーーー・つまり、聖化する また、この聖化の時間においても、アートマンはやはりごく素朴に「そのもの自体」ても あるからだ。 最初期の代表的ゥパニシャッドてある『チャーンドーグヤ・ウバニシャッド』は、哲人 シャーンディリヤの教説を、次のように述べている。 意を本質とし、生気を本体とし、光明をそのかたちとし、 ( 中略 ) 一切万有を保持し、語 なく、愛着もなきもの、それが心臓の内部にあるわがアートマンてある。その大きさは たいじ 汝はそれてある一一ヴェーダとウバニシャッドの世界
なった。紀元前一二五〇年ごろー一一五〇年ごろと推測されるカピラは、このような状况に対 応した哲学者の一人てあり、サーンキャ学派の祖と考えられる。この学派は他のインド哲 学の諸学派に先んじて、世界の成立と構造に関する理論を樹立した。 この学派は、因中有果論にもとづく展開説 ( 転変説 ) を主張した。 すてに述べたように、 つまり、「原質」 ( プラクリティ ) と呼ばれる根本物質が自己展開をしてこの現象世界となった という。この学派は、原質のほかに霊我 ( プルシャ ) という原理を立てるが、この原理はか の原質の自己展開を見守るのみてあり、自らは宇宙創造には関与しない このようにして、サーンキャ哲学においては、世界の素材としての自然と、精神として の霊我は分離されてしまった。ゥパニシャッドにおいてプラフマン ( あるいはアートマン ) に 属していた世界創造の力が、サーンキャ哲学ては原質すなわち自然にのみ属することにな ったのてある。そして一方の霊我は、「聖なるもの」としての価値は得たものの、宇宙精神 の資格を失ってしまった。 。芹ぐが、「聖なる」フラフマンとい - フ サーンキャ哲学は、ウバニシャッドの展開説は受ナ恍、 原因から「俗なる」世界が生まれるという考えは、おそらく宗教実践の体験から否定した。 プラフマンが世界の質料因ぞあり、同時に動力因てもあるゆえに、両者が限りなく同て というゥパニシャッドの考え方も否定した。サーンキャ学派の人々は、実践上の必 1 ろ 4
・ : 三 000 年前の、神への讃歌「リ インドの「希求する心」・ ・「プルシャの歌」・ ・「宇宙開闢の歌」・ グ・ヴェーダ」・ 深まる哲学的思索ー「アタルヴァ・ヴェーダ」 : : : 梵書と森 林書の出現 : : : 聖典ゥパニシャッドの誕生 : : : ウ。ハニシャッド の基本思想 : : : 万物はプラフマンである : : : 物にしてエネルギ : プラフマンとアートマン : : : 麦粒よりも小さく、世界よ アートマン原理の導入 : : : わたしの心臓の内部 . り・も大い のアートマンこそ 第 3 章仏教誕生ーブッダからアビダルマへ・ : ブッダ 非正統派としての仏教 : : : 宇宙も自我も存在しない : の縁起説 : : : 自己否定の果てに現れる「聖なるもの」・ ダルマの思想運動 : : : アビダルマの縁起説
わたしの心臓の内部のアートマンこそ 一切のものはプラフマンてある。同時に、一切のものという総体は、ひとつのまとまり てあることによって、アートマンてもある。一方、カ ( エネルギー ) としてのプラフマンは、 一切のもののうちに働いており、その意味て「神が霊魂てある」ように、プラフマンはア ートマンてある。シャーンディリヤは逆の方向から「わたしの心臓の内部に存するアート マンがすなわちプラフマンなのだ」と結論づける。 ゥパニシャッドの哲人たちが、明確な思想軸 ( 水平 ) を設定した上て、その軸の対極に位 置するものを、目をみはらせるようなダイナミズムて結びつけたその方法は、インド哲学 にとっていわば至宝となった。 プラフマンとアートマンとの同一性を明言する表現は、これまて述べた以外にもウバニ ちよくせつ シャッドには散見されるが、いずれの場合もきわめて直截に断言している。たとえば、 「このアートマンはプラフマンてある」 ( 『プリハド・アーラニャカ・ウバニシャッド』二・五・一九、 四・四・五 ) 、 「わたし ( アートマン ) はプラフマンてある」 ( 同『ウバニシャッド』一・四・一〇 ) 、 なんじ 「汝 ( アートマン ) はそれ ( プラフマン ) てある」 ( 『チャーンドーグヤ・ウ。ハニシャッド』四・八以下
インド精神史の時代区分 パラモン正統派 時代区分 BC2500 年 ・インダス文明の 第 1 期時代 BC1500 バラモン中心主『リグ・ヴェーダ』 第 2 期義の時代 初期ゥパニシャッド BC500 は仏教などの非正 第 3 期統派の時代 AD600 ヒンドウイズム 第 4 期興隆の時代 1200 イスラーム支配 下のヒンドウイ ズムの時代 1800 ヒンドウイズム 第 6 期復興の時代 非正統派 仏教開教 ジャイナ教開教 「中論』 「倶舎論』 初期のマンタ、、ラ 「大日経』 カ 、ン シアマ イヴフ アガラ シャンカラ ラー・ ~ ーヌジャ マドヴァ シャイヴァ・シッダーンタ インド仏教亡ぶ 第 5 9
のようなものてあれ、それが一つのまとまりあるものとして理解されれば、それはその本 体あるいは自体 ( アートマン ) をもつ。それがアートマンの第一の意味てある。また「アート マン」という語は、宗教的には宇宙我プラフマンと同一視され、神秘的直観によってのみ 把握されることのてきる「聖なる」原理を指す。だが、サンスクリットの文中てはそのよ うに宗教的価値をもたない用法の方が圧倒的に多い ゥパニシャッドの哲人たちが、自分、自己、それ自身などを意味するもっとも一般的な たいじ 五ロズヾ フラフマンと対峙するもう一方の原理の名称として選んだことは注目すべきことて ある。というのは、どのようなものにも必ずアートマン ( 自体 ) は存在するからてある。一 つのものがまとまりある「閉じられたもの」として現れるならば、それは必す「小さな全 体」てあり、そのようにそれは「アートマン」をもっている。そして、個々のものがその ようにアートマンをもっていることをまた、それ ( 個々のもの ) はアートマンてある、ともい うのてある。 麦粒よりも小さく、世界よりも大きい 一切のもの ( 万有 ) は、その総体自体も、ひとつのまとまりてあることによってひとつの アートマンてある。と同時にその中に存在する個々のそれぞれのものも、ひとつひとつの
たちあるものの背後に潜むカてあって、かたちあるものとして現れることはないはずてあ り、それならば「一切万物はプラフマンてある」てはなくて、「一切万物にプラフマンは存 している」と述べられるべきてはないか。 フラフマンが自ら展開するエ プラフマンが宇宙の原理、カてあることは否定てきない。。 ネルギーをもつものだ、という解釈をウバニシャッドも受けついている。しかし一方、「万 物がプラフマンてある」との主張は明確てある。プラフマンはエネルギーてあるとともに、 ものなのか。 ( ししカえることがてきる。すなわち、「ウバニ このような疑問は、斤ロ学的には大のようこ、、。 シャッドては、プラフマンは世界を構成するかたちあるもの ( 質料因 ) てあると同時に、世 界という装置を動かす力 ( 動力因 ) と考えられたのか」と。 もちろんゥパニシャッドの哲人たちが、このような問いを哲学の問題として意識的に論 じたわけてはない。「質料因」とか「動力因」という明確な哲学的概念も、ウバニシャッド には現れていない。むしろ、ウバニシャッドの哲人たちは、その二つの考え方のどちらか に決めてしまわない、あるいは両方を含むような態度をとっていたようだ。そこにこそウ ハニシャッド思想の特質があり、またこのような考え方は、インド哲学における主要な学 派の基本的な態度となった。