ヨーガ - みる会図書館


検索対象: はじめてのインド哲学
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1. はじめてのインド哲学

ちの所作が格別「聖なる」電荷を帯びていて、そのために儀礼の参加者は、その儀礼の象 徴意味を経験することによって「聖なるもの」 ( ( オ , こ、ごり得る、と前提されている。 したる、あるいは「谷 さて、タントリズムの儀礼、実践においては、「聖なるもの」へと、 なるもの」の中に「聖なるもの」を出現させるためのエネルギーは、主としてヨーガによ って生み出される。 ヨーガの歴史は、前半期と後半期に二分てきる。拙著『ヨーガの哲学』 ( 一六ページ ) にす てに述べたように、紀元前七、八世紀にはインド人たちは特殊な精神生理学的な訓練によ って、ある種の神秘的体験を得ることが可能だと知っていたようだ。 仏教の開祖ブッダは、古代におけるすぐれたヨーガ行者てあった。古代のヨーガ行者た ちは、心作用を統御・止滅させる手段としてのヨーガを重んじ、いわゆる超能力は少なく タント とも主たる目的てはなかった。ヨーガの伝統はインドにおいて間断なく続いたが、 リズム興隆期にヨーガもまた明らかな変化を経験し、ヨーガの歴史は後半に入った。その 変化は、ニヴリッティ・マールガからプラヴリッティ・マールガへの変質と呼びうるもの てあった。 紀元六、七世紀まてのヨーガを「古典ヨーガ」と呼び、それ以降、主導的になるヨーガ を「タントラ・ヨーガ」と呼ぶことがてきよう。今日、日本や欧米て広く実践されている 190

2. はじめてのインド哲学

ハタ・ヨーガは、一一 ー一二世紀以降に確立されたものてあり、タントラ・ヨーガの一種 ぞある。 古典ヨーガは、実践者の心の作用を統御し、さらにそれを止滅させようとする。一方、 タントラ的ヨーガは心の作用を止滅させたり、鎮めたりするという方向にてはなくて、活 性化、増強するという方向に働かせる。古典ヨーガては、心作用は否定されるべき「俗な るもの」ぞあり、それが寂滅へと導かれた結果、「聖なるもの」としての智恵あるいは神が 顕現する。 それに反して、タントラ的ヨーガては、む作用は、少なくとも古典ヨーガにおけるよう には「俗なるもの」として否定されることはなく、むしろ肯定さるべき「聖なる」心的・ 宇宙的エネルギーの活動と考えられた。タントリストたちは、心の作用のエネルギーを変 質させて、眼前に立ちあがる神あるいは仏たちへと作りあげる行法 ( 成就法 ) に多大な関心 、、、こ・はたらきなのてあると を寄せた。タントリズムては、行者の心作用は本来、仏のす力ナ いう前提があり、それゆえにこそかの行法は実践可能となったのてある。儀礼のシンポリ ズムと心作用に対する積極的評イ ( 面こ助けられて、行者たちは「促進の道」 ( プラヴリッティ・ マールガ ) を「聖なるもの」へと向かった。 しず 191 タントリズム ( 密教 ) の出現

3. はじめてのインド哲学

ます、サーンキャ哲学およびヨーガ哲学において典型的な「止滅の道」の哲学的表現が現 すてに見たように、サーンキャ哲学はこの現象世界を、原質 ( プラクリティ ) の展開 ( パリ ナーマ、転変 ) によってかたちづくられたものと考える。この学派は、原質とは別に霊我 ( プ ルシャ ) という原理を立てる。霊我は原質の展開を見守るのみてあって、現象世界の形成に 直接にはたずさわらない。「私が行為する」とか「これは私のものだ」というような日常の 意識も、原質の働きにほかならない。原質の「汚れ」を清めることによって修行者は純粋 精神の智、つまり霊我の光に接したときに解脱が得られる。このようにサーンキャ派にと って、現象世界は止滅さるべき「俗なるもの」なのてある。 ヨーガ学派、少なくとも「古典ヨーガ」と呼ばれる第三期のヨーガ学派は、サーンキャ 哲学に依存している。ヨーガ行者たちは、むの作用を統御し、ニヴリッティ・マールガに 従うことによって、原質の働きを止滅させる。すると、霊我の光がヨーガ行者に輝くのて ある。この場合も、サーンキャ哲学におけると同様、原質の展開より成り立った現象世界 は、負の価値、すなわち「否定さるべき俗なるもの」としての価値をもっている。 仏教徒がニヴリッティ・マールガに従うことはいうまてもない。竜樹に代表される空思 想は、ニヴリッティ・マールガ、すなわち「俗なるもの」を否定して「聖なるもの」の顕 2 16

4. はじめてのインド哲学

がてきる。しかし、行タントラに属する経典は数が少なく、続いて現れてきた第三のヨー ガ・タントラ経典が七、八世紀以降盛んに編纂された。 ヨーガ・タントラの代表は、『金剛項経』 ( 七世紀末ごろ ) てある。唐りを得ることを究極の 目的とすることは『大日経』と同じてあるが、密教的ヨーガの行法がさらにいっそう重視 される。行タントラとヨーガ・タントラの主要な相違の一つは、両タントラの主尊てある 大日如来をどのように考えるかにある。つまり、「神」をどのように規定するかにあるが これについては麦ほど述べることにしょ - フ ともあれ、『大日経』と『金剛項経』は、仏教タントリズムの主要な経典の二代表てあり、 九世紀のはじめ空海は、中国に渡ってこの二経典およびそれぞれのマンダラ図箭者にもと づいた胎蔵〔界〕マンダラと後者にもと づいた金剛界マンダラ ) を中国より将来したのてある。 第四の無上ヨーガ・タントラは、インドにおいては八、九世紀から一三世紀ごろまての 期間において流行したものてある。この種のタントラのいくつかは漢訳され、日本にもそ れらの漢訳が伝えられてはいる。しかし、日本においては、この第四のタントラの実践形 態はほとんど存在しなかった。なお一三世紀以降も片ノ 、。、ーレ、チベットにおいてはこの種 のタントラは盛んに実践された。 無上ヨーガ・タントラは、さまざまな意味て理解しにくく、また誤解を受けやすい。腕 171 タントリズム ( 密教 ) の出現

5. はじめてのインド哲学

( 臂 ) が幾本もあり、脚もまた幾本もあり、奇怪な顔の尊格が同じようなすがたの女神 ( 妃 ) を抱いている、といった仏がこれらのタントラに登場する。 これはある人々には、仏教が「堕落した」あるいは「似ても似つかぬものになってしま オし。たしかに、無上ヨーガ・タントラの仏教は、行タントラ った」よ - フに映るかもしれよ、 オカそれが仏教の「堕落」てあるかど やヨーガ・タントラのそれからは変容している。ご、、。、 うかを決めることは本書の任務てはない。 無上ヨーガ・タントラの歴史は、ますます勢力を増してくるヒンドウイズ ム、さらにはインド侵入の手を休めない回教徒たちとの抗争の歴史の上にあったことは間 いがない。無上ヨーガ・タントラの理解のためには、当時のヒンドウイズム、とくに性 カ崇拝派 ( シャクティズム ) の理解が必要なのてある。 インド精神史の一つの到達点 タントリズムの構造は実に複雑てある。というのは、今述べたように、タントリズムは インド精神史の結論、少なくとも一つの到達点に達したものてあり、それに先行するさま ざまな形態を統一、総合しようとするからだ。明らかにヴェーダ祭式のもっ儀礼形態もタ ントリズムの主要な要素の一つてあるし、ウバニシャッドの哲人たちが求めた宇宙原理の 172

6. はじめてのインド哲学

二、ヨーガ Yoga 三、ヴェーダーンタ Vedänta 四、ミーマーンサー Mimämsä 五、ニャーヤ N yäya 六、ヴァイシェーシカ VaiSesika の六派てある。 これらの六派は通常、一と二、三と四、五と六という三つのグループに分けて考えられ る。それぞれの二つの学派の関連が密接だからてある。一のサーンキャ哲学は二のヨーガ 学派の理論的基礎となって、行法を重視するヨーガ学派を支える役目を果たしている。ヴ エーダーンタとミーマーンサーは、哲学的には異なった考え方をもっているか、ヴェーダ の伝統を重んするなど共通点が多い。五のニャーヤは論理学派、六のヴァイシェーシカは ー一二世紀以降は統合 自然哲学を発展させた学派てあるが、両者は姉妺学派てあり、一 されて一つの総合学派となった。 哲学上の観点からいってさらに重要な区別は、一から三まての前半のグループと、他の 三学派との間にある。サーンキャ、ヨーガ、ヴェーダーンタの三学派は、インド的意味て バラモン哲学の成立

7. はじめてのインド哲学

二、行タントラ 三、ヨーガ・タントラ 四、無上ヨーガ・タントラ てある。この分類の基礎は、すてにインドにあったが、一三世紀のチベットの仏教学者プ トンが確立して以来、タントラの歴史を語る場合にはこの四種への分類が一般にもちいら れている。 第一の所作タントラは、祭壇の作り方とか仏への供養の仕方とかいうような、儀礼の所 作あるいは呪文を主として述べている。年代的には五世紀ごろから編纂されはじめたと考 そ・はこどうじしようもん ふくうけんじゃく そしつじ えられ、『蘇悉地経』『蘇婆呼童子請間経』『不空羂索経』などがこの初期のタントラ経典 群に属する。この段階ては、仏教が自らのシステムの中に儀礼をとり入れようとしている にとどまり、仏教の本来の目的てある精神的至福を、その儀礼によって得ることがてきる とい , フ田 5 相 5 はまたわない。 第二の行タントラの代表は、七世紀の成立と考えられる『大日経』てある。この経典て は、儀礼、ヨーガの実践、シンポリズムなどが統一されており、究極的な目的は悟り、す なわち成仏を得ることだ。仏教タントリズムは、この経典によって確立されたということ 170

8. はじめてのインド哲学

アーラヤ識の特質 サーンキャ哲学は、すてに述べたように、因中有果論の立場をとった。『三十頌』の世親 は、しかし、認識と認識との因果関係に関しては、サーンキャの場合のようには「因の中 に果がある」とは考えない。『三十頌』は、原因と結果との関係をかぎりなく接近させる。 ( しナナこのように、原因と結果との区 この考え方は後世、「因果同時」と表現されるこ、こっこ。 別あるいは時間差を極力なくすことによって、『三十頌』の世親は、サーンキャ的な展開説 に陥ることを避けると同時に、アビダルマ的な実在論的因果関係から自らの説を区別する ことがてきたのてある。 このようにして唯識哲学は、一人の個体の認識からとらえられた世界ーー自己空間と自 己時間の世界ーーーが、無意識の次元をも含んてすべて認識てあるという。その認識の内容・ 乍用そのものが残り、その 表象がすべて止滅したとき、かたちや表象作用をもたない認識イ 表象を伴わない認識は、一種のヨーガによって清められ、やがて智恵となる。この智恵こ ゆがぎようは そ、唯識哲学の求めるものだ。唯識学派は、「ヨーガ・アーチャーラ派」 ( 瑜伽行派 ) とも呼 ばれた。「アーチャーラ」とは行、実践を意味する。このように、唯識哲学は世界構造に関 する理論てあるばかりてはなく、心作用を浄化して智恵へと昇華させるヨーガの行法に関 127 大乗仏教の興隆

9. はじめてのインド哲学

手 / ド哲学 はじめて , 現代新書既刊よりーーー同著者による『ヨーガの哲学』は、 世俗を捨て、「精神の至福」をもとめる方法ヨーガのもつ「哲学」を考える。 服部正明『古代インドの神秘思想』は、 初期ウバニシャッドを中心に、アートマンとプラフマンの実相を解明する。 またインド精神史の華、仏教については、 定方【成『空と ~ 我』が、竜樹の逆説などを通して言語のもっ限界と可能性をさぐり、 竹村牧男『「覚と「空」』が、 シャカによる誕生から衰亡にいたるインド仏教の歩みをたどる。 一方、本書の背景となる歴史全般については 近藤治不ンドの歴史』がくわしく、 インド哲学と並ぶ西欧哲学全体を概観したものに、 新田義弘『哲学の歴史』がある。 イ ン 学 立 武 自己と全宇宙との合一をめざし、三 000 年の「聖なる」思索を一ゞ 重ねたインド。壮大にして精緻な . 7 精神のドラマを、一巻に凝縮する。 立川武蔵一 自己が宇宙と合一するー , ・ーインド精神が一貫して求めたものは、 自己と宇宙 ( 世界 ) との同一性の体験であった。 世界を超越する創造神を認めないインドの人々が求めた「神」は、 世界に内在する神、あるいは世界という神であった。 一方、インドは自己に許された分際というものを知らなかった。 つまり、自己は限りなく「大きく」なり、「聖化」され、宇宙 ( 世界 ) と同一と考えられた。 もっとも、宇宙との同一性をかちとるために、自己は時として「死」んだり、「無」となる必要はあった。 しかし、そのことによって自己はその存在の重みをますます増したのである。 自己も宇宙も神であり、「聖なるもの」である。 自己と宇宙の外には何も存在せず、宇宙が自らに対して「聖なるもの」としての価値を与える、 すなわち「聖化する」のだということを、何としても証したいという努力の過程が、 ・本書より インド哲学の歴史にほかならないのである。 はしめてのインド哲学 ! = 。目次より ・自己と宇宙の同一性を求めて ・汝はそれである ・プラフマンとアートマン ・麦粒よりも小さく、世界よりも大きい ・仏教誕生 6 ・自己否定の果てに現れる「聖なるもの」 ・バラモン哲学の成立 1 ・大乗仏教の興隆 0 ・言葉の多元性を止減させる ・マンダラーー宇宙と自己の同一性の直証 ・男性原理と女性原理 2 ) ・世界の聖化の歴史 3 8 0 円 6 ・たちかわ・むさし 一九四ニ年、名古屋生まれ。名古屋大学文学部卒業後、 ト大学大学院に留学、 o-c ・取得。名古屋大学文学部教授を経て、 現在国立民族学博物館教授。専攻はインド学、チベット学。文学博士。 著書に『西蔵仏教宗義研究第一巻・第五巻ー財東洋文庫、「曼荼羅の神々」ーありな書房、 『空の構造」ー第三文明社、「女神たちのインド」ーせりか書房、 "The St 「 uctu 「 e 0 → the Wo 「 ld ョ Udayanas ReaIism ー・ Re ミ e 一ーなどがあるほか、 本新書にも「ヨーガの哲学』がある 2 講談社現代新書 特製ブックカバー物呈 - ・ - 一。・ ものマークを 2 枚集めて ーくたさい ( 葉書は不可〉 封書でお送 ) パックスのマーク代用も可 宛先 | 」・ 講談社新書販売部プ「・クカバー係 マークアジアの「豊攘の渦」 講談社現代新書 カット〔〔」クリシュナ神宇宙

10. はじめてのインド哲学

インドの「希求する心」 インドの哲学は、単なる知的体系てはなくて、最終的には一つの目的の獲得を目指して 行われた行為の集積てある。 今ある自分ならぬ自分になること、今いる地点とは別の地点に到達することを目指して、 人々はその目標を見つめ、それへと いたる方法を模索した。複雑に巨大化したインドの知 的体系が、出発点にそのような「希求する心」をもっていたことを、インド哲学を考察す る際に忘れてはならない。 そこには、最初、今ある自己と周囲の世界についての現状認識 ( しオオしのか目標を見定める思考があり、さらにそこにいたる手 段について実践をともなう長い考察があったはずてある。 行為に必す伴う、現状認識 ( 世界観 ) 、目的、および手段という三つの要素については、す てに拙著『ヨーガの哲学』 ( 講談社現代新書三七ー四〇ページ ) に述べたのて、それぞれについて の説明をここてくり返すことはしないが、本書においても、知的体系と行為の関係、およ び行為を成り立たせている三要素については、前掲書と同じ立場に立ちつつ、考察の際の 基礎としこい。 ところて、希求する心が哲学しはじめ、現状の自己と周囲世界を認識しようとするとき、