ば自己展開によって現象世界の成立を説明する方法は、後のインド哲学、たとえばサーン キャ学派 ( 一三三ページ参照 ) の基本となった。 もっとも、後世のヒンドウー教神話においては「世界を創造する神」が現れる。しかし それらの神も、世界の中に存するものとみなされ、しばしば世界と同一視されている。ュ ダヤ・キリスト教的伝統にあっては、どのような構図の中て神を世界の外に置いておくか が問題てあるが、インドの伝統にあっては、神をいかなる構造をもっ世界の中にどのよう に位置づけるかが重要な間題てあった。 「プルシャの歌」 『リグ・ヴェーダ』の中の宇宙創造に関する讃歌の中て、「プルシャ ( 原人 ) の歌」 ( 一〇・九 〇 ) もよく知られている。 一、プルシャ ( 原人 ) は千の頭、千の眼、千の足をもつ。彼はあらゆる方角から大地をお おって、それよりもなお十指の高さにそびえる。 二、プルシャは過去と未来にわたるこの一切てある。また神々の不死界も、食によって 生きるもの ( 動物 ) も支配する。 汝はそれてある一一一ヴェーダとウバニシャッドの世界
ちゅうむかろん 中無果論」と呼ばれてきた。 かの六派哲学のうち、はじめの三学派は因中有果論を、後半の三学派は因中無果論を主 張した、と大筋においてはいうことがてきる。因中有果論の典型はサーンキャ学派に見ら れ、因中無果論の典型はヴァイシェーシカ学派に見られる。 。粘土から壺が作られる 因中有果論と因中無果論のちがいを例によって説明してみよう 際、粘土は明らかに壺の原因てある。粘土が素材となって壺がてきあがったという意味て、 ここ乍りあげられない段階ては、「壺」と 粘土は壺の質料因と呼ばれる。まだ壺というす力オ ( イ 呼ぶことのてきるものは存在しないとしても、原因としての粘土の中に壺という仮想され たすがたはすてに存在していたと考えることがてきる。このようにして、原因の中にすて に結果が、そのままてはないにせよ可能態あるいは潜在的なすがたて存在するという考え 方が、因中有果論てある。 この立場ては、不滅のものが過去、現在、未来を通して存在しており、あるものが生ず るとは、その不滅のものが顕現した状態 ( ヴィヤクタ ) に入ることてあり、あるものが滅する とは、かの不滅のものが未顕現の状態 ( アヴィヤクタ ) に入ることてある。したがってこの考 ものが生じたり滅したりするよう え方ては、厳密な意味ては何も生じないし、滅しない。 に見えても、それは一つの不滅な素材の様態の変化にすぎない。 バラモン哲学の成立 9.
の基体を示す ) が、常に実線によって描かれているのはこのことを示している。ヴェーダーン タ哲学は、実体としての神 ( 下位の長方形 ) の中へと、属性としての現象世界 ( 上位の長方形 ) を引きこも - フとする傾向が強い。 シャンカラの場合 ( 図じては完全に吸収されている。「実 とくにシャンカラ 体の中へ属性を吸収させること」、これが「インド的唯名論」の考え方、 に代表される不一一一元論派の考え方てあった。 世界に「聖なるもの」としての価値を 同じ「インド的唯名論」の中てあっても、仏教的な立場てはかの二つの長方形のあり方 は異なってくる。つまり仏教徒は、根本原理プラフマンが実在てないばかりてはなく、色 や香りといった属性の基体も実在しないのぞはないかと考える。基体はなくとも、属性や 運動の集まりとして世界を説明てきるのてはないか。したがって、ヴェーダーンタ学派の 場合のよ - フに、 「属性 ( 上位の長方形 ) を基体 ( 下位の長方形 ) の中へと引きこむ」のてはなく て、むしろ「基体を属性の中へ引きこむ」ように考えるべきてはないか。唯名論者仏教徒 はこのよ - フに老ノ - んた。 ともあれ、基体を実在と考えるか否かの相違はあるが、「インド的唯名論者」は正統バラ オこの モンてあれ非正統派てあれ、ともに属生とその基体とを一元的にとらえようとしご。 215 世界の聖化の歴史
奉献の儀礼、つまりホーマは、ヴェーダ祭式の中て基本的なものてあった。これが中国を ごま 経て日本に伝わり、護摩となって残っている。ところて、古代インドてはホーマは、朝夕 ノラモン僧たちのグループによって決められた日 の火の神への奉献などの場合を除けば、ヾ 時に執行された。その目的は天界に生まれることや現世利益てあって、僧個人の精神的至 福てはなかった。 一方、仏教タントリズムは、このホーマ祭 ( 護摩 ) を自分たちの儀礼の一部としてとり入 れ、火の中て供物を焼く行為を自分の煩悩や業を焼き尽すための行為ととらえた。眼前 燃える火の中に供物を実際に投ずる行為、つまり古代以来のホーマ祭は、仏教タントリズ ムては「外のホーマ」 ( バーフヤ・ホーマ ) と呼ばれ、心の中の火によって煩悩などの「俗な るもの」を焼く行為は「内のホーマ」 ( アンタル・ホーマ ) と呼ばれた。個人的宗教実践と集 ーし、こと - ん、よ ' 甲や 団儀礼とのこのような統一は、ホーマ祭におけるのみてはなく、他の儀ネ 仏に供物の花や香を捧げる供養祭 ( プージャー ) などにおいても試みられたのてある。 シンボルが重視される すべての宗教は神話や教義をもつ。神話や教義等は必ず英雄、神、仙人たちの行為につ いて語っているが、行為は必す時間の中て行われる。したがって、行為の行われる以前と、 ほ、つけん 180
相違がよりいっそう明白になるように仕組まれた行為の型なのてある。したがって、儀礼 行為は、社会あるいは集団の生活の仕組、あるいは季節ごとの行事というかたちぞ現れた り、それらの一部となったりする。 前もって決められた日時や場所あるいは行事の次第に対して、人々は、その日が近づく につれてさまざまな準備をし、その儀礼を行う集団の中の「聖なる」気分を強めてい このようにして儀礼は、精神的至福を求める個人的宗教実践としてよりはむしろ、僧院、 血縁的共同体、部族社会における集団的行為として機能を発揮するものてある。タントリ ズムにおいては、個人的宗教実践は主として儀礼の枠組の中て行われ、儀礼のもつ「外的 な装置」の助けを借りて、その実践の活性化を目指すのてある。 一方てタントリズムは、集団儀礼の中に、それまてに諸哲学学派の中て育てあげられて きた個人的宗教実践の要素を含めることによって、集団儀礼が精神的至福の獲得にとって も有効な手段となる、と主張する。このようにして、仏教タントリズムのみならず、タン トリズム一般にあっては、精神的至福を求める個人的宗教実践と、通過儀礼 ( 出産祝い、成人 式、結婚式、葬儀など ) を中心とする集団儀礼とが統一される。その統一は、互いの長所を出 しあって、両者がともに舌性化されることを目指すのてある。 たとえば、火の中にバター油 ( バターを熱した時、浮きあがる半透明の油 ) や穀物などを入れる 179 タントリズム ( 密教 ) の出現
世親と唯識思想 『中論』の著者竜樹 ( 紀元一一ー三世紀 ) や『倶舎論』の著者世親 ( 紀元五世紀 ) が活躍した時代 すてに述べたように は、本書ていう第三期の後半にあたり、 バラモン正統派の六派哲学 の形成期てもあった。この時期、仏教哲学とバラモン哲学とは互いに批判し合いながら、 それぞれの思想を形成していったのてある。 竜樹のラディカルな縁起の立場は一応の成功を収めた。彼の『中論』を中心とした学派 ちゅうがん は後世、「中観派」と呼ばれ、その伝統はインドては仏教滅亡まて続き、中国、日本にも さんろんしゅう 伝えられて「三論宗」となった。 しかし、竜樹および中観派の方法にも、 いくつかの難点があった。その一つは、世界の 形成と構造に関して説得力のある理論をもっことがてきなかったことだ。竜樹および中観 派の哲学は、アビダルマやバラモン正統派の実在論哲学の唱える世界構造を打ちこわすこ とに努め、自ら積極的には世界構造に関する理論を提示しなかった。だが、第三期以降、 時代は仏教徒に対しても、世界の形成と構造に関する精緻な理論をもっことを要求してい こた た。アビダルマ思想もそのような要求に応えて現れた思想の一形態てはあったが、竜樹を はじめとする新興の大乗仏教徒たちによって、「インド的」実在論のレッテルを賺られてし まった。大乗仏教徒たちはアビダルマとは異なり、また空思想てもない思想の出現を望ん 12 ろ大乗仏教の興降
従来の哲学におけると同様、今日の哲学の主要間題てもある。そして、世界の構造に関わ りながら哲学者たちは、「あわよくば、世界の中に『神』あるいは『聖なるもの』を見つけ ることはてきないか」と考える。われわれは現在、世界の外に、世界を越えた創造者ある いは絶対者の存在を認めることは困難な状況にある。しかし一方て、「聖なるもの」の顕現 を希求しているのだ。 インド哲学が今日の精神状況の中て提供し得るものがあるとすれば、それは本書て述べ た、「世界の中に聖なるものを見出」してきたことてあろう。インド精神の歴史は、一貫し て世界を人間たちにとってのーーーあるいは、自己にとってのーーー世界として把握し、さら にその自己にとっての世界に「聖なるもの」としての価値を与えようとしてきたのてある。 「俗なるもの」の止減 エリ . アーデカい - フよ - フに、 「聖なるもの」の顕現は「俗なるもの」の止滅をまってはじめ てあり得る。このような「俗なるもの」の止滅の道は、インドの場合は「ニヴリッティ・ マールガ」 ( 止滅の道 ) に代表される。 ヴェーダやウバニシャッドにおいては、「止滅の道」は萌芽的なものにすぎないが、仏教 やヨーガ行者の間にあっては主要な実践形態てあった。正統バラモンの六派哲学の中ては 21 う世界の聖化の歴史
界は彼らにとっては、原子によって構成されているのてあって、原子それ自体は無となる ことはないと考えられているからだ。 しかし、ヴァイシェーシカの人々もまた、世界を創造した存在者を世界の外に認めず、 常住てある多数の原子の結びつきの変化によって世界の形成を説明する。彼らは神ィーシ ュヴァラの存在を認める。しかし、この神は実体の一つとしての我 ( アートマン ) の一形態に すぎない。つまり、世界の中にあるものだ。ヴァイシェーシカおよびニャーヤの二派は、 後世、有神論的傾向を強めていったが、 これらの実在論哲学における神も、世界の外にあ って世界を無から創造するような存在者となることはなかった。 このように、因中有果論にせよ、因中無果論にせよ、世界とその根本原因との関係に関 しては、インド哲学は、『旧約聖書』における世界創造説とは明らかに異なる考え方をして いる。世界の根本原因およびその形成を、世界の中に存するものから説明するという態度 を、インド精神はヴェーダの時代から今日にいたるまて保っている。 属性とその基体をどう考えるかーインド哲学の水平 2 「聖なるもの」を世界の外てはなくて、その中に求めようとするインドにおいては、哲学 者たちの関心は当然、世界の構造の解明に向けられた。この解明の作業においてもっとも バラモン哲学の成立
なって実在論的な立場から因中無果論を主張した。ニャーヤ学派は、主として論理学の構 因果関係に関しては同じく因中無果論の立場をとり、後にヴァイシ 築に従事していたが、 エーシカ学派と統合した。 このようにして、バラモン正統派の六派哲学は、「因中有果論」の立場の三派と、「因中 無果論」の立場の三派とに大別することがてきる。 世界はどのように生じたか 前節て述べてきたような二つの立場は、インドにあっては諸哲学学派を二分するほどに 重要なものてあるが、インドを越えて世界的視野ぞ見るならば、この二つの立場のちがい はそれほど大きなものてはない。 というのは、両者とも世界の成立の根拠を世界の外に求 めず、世界の中あるいは世界そのものに求めているからだ。 サーンキャに代表される因中有果論にあっては、すてに述べたように、根本物質プラク リティが展開してこの現象世界になったと考えられる。プラクリティ ( 原質 ) に対する第二 の原理、プルシャは、世界の外にあって世界の形成に直接関わることはせず、物質の展開 無から世界 をただ見守るだけの「観照者」てある。『旧約聖書』の神ャーウェーのように、 を創造する存在てはない。 バラモン哲学の成立
サーンキャ哲学にあっては、この不滅のものは、「原質」 ( プラクリティ ) と呼ばれる根本物 質てあり、この物質が原因と結果の関係にもとづいて時間の中て展開することによって、 この現象世界が形成される。このような学説は、展開説 ( パリナーマ・ヴァーダ、転変説 ) と名 づけられた。前述のごとくヨーガ学派は、哲学としてはサーンキャ哲学に従っており、ヴ エーダーンタ学派の説は、展開説の学説上の困難を克服するために、それを修正したもの と考えることがてきる。ヴェーダーンタ学説については、第 6 章て考察することにしたい。 ところて、粘土と壺の関係を、因中有果論とは別様に考える人々がいた。ヴァイシェ シカ学派の人々は、原因は必ず結果に先行すると考える。彼らは、原因の存在する時点は 結果の生じた時点より前てなくてはならない、 主張した。 因中有果論と因中無果論 インドては、半球体を二つます作り、その二つを合わせて壺を作る ( 図 1 ) 方法があった ずがいこっ が、この半球体は「カバーラ」と呼ばれた。このサンスクリット語は頭蓋骨をも意味する。 ヴァイシェーシカ学派によれば、このカバーラが壺の原因てある。原因としてのカバーラ が二つ合わさった瞬間に、結果としての壺が新しく生まれるのだ、と彼らは主張した。カ ーラという原因の中には、まだ壺という結果は存在しないと考えるこの立場が、「因中無