若葉 - みる会図書館


検索対象: 日本語の作文技術
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1. 日本語の作文技術

51 修飾の順序 ③もえる若葉に雨が豊かな潤いを与えた。 ④もえる若葉に豊かな潤いを雨が与えた。 ⑤豊かな潤いを雨がもえる若葉に与えた。 ⑥豊かな潤いをもえる若葉に雨が与えた。 さて、どれが最も自然で読みやすいだろうか。もはや「多少の差」とはいえす、読みやすさ・ わかりやすさに「かなりの差」を認めざるをえないだろう。①だと「雨がもえる : : : 」となって、 これが雨だからいいものの、 一瞬「もえる」は「雨」を受けるかのような感じを受けなくもない。 たとえば「太陽」だったらますますそうなるだろう。そうした誤解を一瞬たりとも与えすに、読 む順に自然に理解できるものは、④か⑥である。この二者で優劣を決めれば④であろう。しかし この④と⑥の差は、さきの「初夏の雨が」の比較の場合のとの差と同じことである。したが ってこれは、「初夏の」を除いた結果とは関係がない。 次に、こんどは「もえる若葉」の「もえる」を除外して、語順を比べてみる。 ①初夏の雨が若葉に豊かな潤いを与えた。 ②初夏の雨が豊かな潤いを若葉に与えた。 ③若葉に初夏の雨が豊かな潤いを与えた。 ④若葉に豊かな潤いを初夏の雨が与えた。 ⑤豊かな潤いを初夏の雨が若葉に与えた。

2. 日本語の作文技術

念のためにもうひとっ別の例をあげてみる。これは阪倉篤義氏がその著書『日本文法の話』で 出している文例だ C 初夏の雨がもえる若葉に豊かな潤いを与えた。 これもガ・ヲ・ニの三つの格助詞を使って述語「与えた」を補足している。語順をいろいろに 変えてみよう。 O 初夏の雨が豊かな潤いをもえる若葉に与えた。 O もえる若葉に初夏の雨が豊かな潤いを与えた。 もえる若葉に豊かな潤いを初夏の雨が与えた。 国豊かな潤いを初夏の雨がもえる若葉に与えた。 の豊かな潤いをもえる若葉に初夏の雨が与えた。 とこ もちろん多少の差は感じようが、決定的にどれがわかりやすいと決めることはできない ろが、この中の「初夏の雨が」から「初夏の」を除いて、単に「雨が」とし、語順を比べると次 のようになる。 ①雨がもえる若葉に豊かな潤いを与えた。 ②雨が豊かな潤いをもえる若葉に与えた。 うるお

3. 日本語の作文技術

⑥豊かな潤いを若葉に初夏の雨が与えた。 こんどはどうか。さきに最も自然だった④が、明らかに変調子となったことが理解できよう。 自然に読めるのは②と⑤であり、さらに加えるとすれば①である。ではもうひとつ、「豊かな潤 いを」から「豊かな」を除いてみる。 ①初夏の雨がもえる若葉に潤いを与えた。 ②初夏の雨が潤いをもえる若葉に与えた。 ③もえる若葉に初夏の雨が潤いを与えた。 ④もえる若葉に潤いを初夏の雨が与えた。 ⑤潤いを初夏の雨がもえる若葉に与えた。 ⑥潤いをもえる若葉に初夏の雨が与えた。 決定的に悪いのは⑤と⑥、良いのは①と③である。ほかに②でも抵抗は少ない。 以上、かなりくどく実例をあげてきたが、こうした実験から何がいえるのかを引きだしてみよ う。これまでにあげてきた実例について、述語に対する修飾関係を、例によって構造式風に一小す と次のようになる。 〔第一例〕

4. 日本語の作文技術

ろが、「若葉」に対してたとえば「三角の」という言葉をもってくると、「三角の若葉」というも のも論理的には可能だけれども実際にはなじみにくい。それでも若葉となれば四角や三角や円 形やいろんな形があるから、少しはあるかもしれない。不可能ではない。少なくとも接点はあ る。 しかしもっと極端にして、たとえば「バカな」という単語を考えてみよう。すると「バカな若 葉」というふうにはいえないので、どう考えても重なる領域がなくなってしまう。 しかし「バカな」がたとえば「男」に対してであれば、とたんに親和領域が広くなる。「もえ る」も「男」に対しては同様だが、「みどりの」は無理になる。 ( みどりの服の、といった別の意 三角の ハ力な 若葉 若葉

5. 日本語の作文技術

さて、「初夏の雨が : ・ : 」の文例を検討中に保留しておいた件があった。それは次のような比 較である。 ④もえる若葉に豊かな潤いを初夏の雨が与えた。 ⑩豊かな潤いをもえる若葉に初夏の雨が与えた。 @もえる若葉に豊かな潤いを雨が与えた。 ⑤豊かな潤いをもえる若葉に雨が与えた。 さきに@と⑤とでは、 @ の方が優ることがわかったが、それは④と⑧でも同様であった。この 原因は何であろうか。別の例で考えてみよう。 太郎さんが 木ヒ日 . 〔に ↓けがをした。 ナイフで これは「けがをした」という述語に、たいして長短の差のない三つの修飾語がかかっている。 明らかに自然な語順は 太郎さんがナイフで薬指にけがをした。 太郎さんが薬指にナイフでけがをした。

6. 日本語の作文技術

初夏の雨が もえる若葉に↓与えた。 潤いを こうしておいて、これらの中で「自然で読みやすかった語順」を改めて拾ってみると、次の通 りである。 私がふるえるほど大嫌いなを 〔第二例〕私の親友の o に ( 紹介した ) もえる若葉に 〔第四例〕豊かな潤いを 雨が 〔第六例〕 〔第五例〕 初夏の雨が 若葉に ↓与えた。 豊かな潤いをゝ ( 与えた )

7. 日本語の作文技術

初夏のみどりが / 照り映えた。 もえるタ日にゝ つまり「もえる : : : 」の方を次のように先にするという前述の結論となる。 もえるタ日に初夏のみどりが照り映えた。 そして「与える」という一「ロ葉は、これにつながるべき他の言葉ーー「雨」「若葉」「潤い」との 間に強い親和関係がなければならないのに、これでは「翻訳調」でなじみが弱くなる。しかし 「照り映えた」であれば「タ日」や「みどり」との間の親和度はかなり強いから、日本語として のすわりもよろしい すなわち、第四の原則として ④親和度 ( なじみ ) の強弱による配置転換 という問題が明らかになった。ただし、たとえばこの例でいうと「もえる若葉」 これは一 種の慣用句に近い。このことは、手垢のついた紋切型を使えということではない。「もえる若 葉」という表現が初めて使われたときは新鮮だったかもしれないが、もはや一種の慣用句に近づ いている。だから詩人は慣用句的な使い方を避けたがって、たとえば若葉なんか燃えてないんだ、 あれは叫んでいるんだとして「叫ぶ若葉」というような表現を使い、そこに新鮮な独自の言葉が

8. 日本語の作文技術

というようなことは、文法的には可能だけれど、実際はありえない。だいたい「与えた」とい う言葉が成り立つのは、「人間」 ( または動物 ) が「物」を「与えた」ようなときにほば限られる。 反対に「物が人を与えた」ということは、文法的には可能だけれども、普通はないことだと。そ うすると「与えた」という言葉が相手として選び得る言葉は、案外せまいものになってくる。 ろんな言葉が論理的には可能だけれども、実際にはそんなに何でも選べるわけではない。「与え た」にくつつく言葉とは、たくさんある言葉の中で案外少ししかない。「雨が潤いを与えた」とい う言い方は日本語として不自然な表現である。「物」が「物」を与えている。翻訳調だ。この場 合「与えた」なんて一一 = ロ葉を使わない方がいいのではないかということを林暢夫氏は主張している のである。 これは重要な指摘だと私も思う。ここで「与えた」が問題とされたようなことは、実は他のす べての言葉にも言えるのではないか。要するに、日本語に限らず、あらゆる言語のあらゆる単語 には、それぞれ独得の親和度 ( なじみの範囲、接合関係 ) があるのだ。それを無視すると「ヘン な文章」や「ヘンな会話」になってしまう。たとえば「若葉」という単語の親和度を考えてみよ 、つ。「もえる」や「みどり」とはど、つだろ、つか もえる若葉 みどりの若葉 どちらも強い親和度がある。しかし、もし二つのどちらがより一層強いかというと、「若葉」

9. 日本語の作文技術

53 修飾の順序 を↓紹介した。 こゝ 〔第二例〕 が 私がふるえるほど大嫌いなを↓紹介した。 私の親友の 0 に 〔第三例〕 初夏の雨が もえる若葉に↓与えた。 豊かな潤いをゝ 〔第四例〕 雨が もえる若葉に↓与えた。 豊かな潤いをゝ

10. 日本語の作文技術

上空に 花子の風船が 針の先のような小さな点となって となり、「針の先のような小さな点となって」を冒頭に置いてもよくなる。したがってあくま で長短に大差ないもの同士としてこれまでの例から考えてみると、まず、 を↓紹介した。 こゝ この三者は、重要性やら状況やらが平等であり、対等である。ところが、 初夏の雨が もえる若葉に↓与えた。 豊かな潤いをゝ となると、長短問題や格助詞の点からは三者平等だが、内容の意味するところが平等ではない。 たとえば「初夏の雨」が全体の中で占める意味は最も重く、大きな状況をとらえている。しかし 「豊かな潤い」。 よ、「初夏の雨」という状況の中での小さな状況であり、「もえる若葉」のさまざ ↓消えていった。