幾何学 - みる会図書館


検索対象: 異常の構造
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1. 異常の構造

ところがこれに対して、周知のように非ュークリッド幾何学というものが考えられていて、 幾何学の平行線の公準は否定される。つまりこの幾何学に この幾何学においてはユーグリッド おいては、一本の直線に対してその直線外の一点を通る平行線は存在しなかったり、もしくは 幾何学において合理で 無限に多くの平行線が存在したりするのである。ここではユークリッド茎 あったものが非合理の位置におきかえられる。唯一の平行線という公準は、この幾何学では非 幾何学において非合理であり誤りであったもの 合理であり誤りである。そしてユーグリッド が、公準としての合理性を獲得することになる。 さて、この二つの幾何学は、同一空間内においてはけっして両立しない。私たちが、日常生活 地球表面を平面と考えるかぎり , ーー・・妥当するのはユークリッ している知覚空間において、 幾何学に対しては、ただ理論的にのみ考えられうるだけ ト幾何学のみであり、非ューグリッド 空間があてがわれている。つまりこの場 で現実には経験されることのない、非ューグリッド 幾何学は、日常的には非合理以外のなに 合、日常的に合理性を占有している側のユーグリッド ューグリッド幾何学を、みずからの空間から完全に排除している。いまもし、 ものでもない非 ュクリッド空間の中で一点を通る平行線が二本出現したり、三角形の内角の和が二直角にな らなかったりしたならば、これは製図や計測が「狂って」いるからだとみなされる。 149 合理性の根拠

2. 異常の構造

このように、合理性は真にみずからと対等の力をもち、対等の世界を占有しているような非 合理を徹底的にみずからの世界から排除する。そしてそれにかわって、みずからの世界の中に は「誤り」ないしは「狂い」としての、みかけ上の「非合理」の存在を許す。しかもそれは、み ずからが「正しい」ことを明確に浮びあがらせるための「対照」としてであるにすぎない。「誤 た」ことがありうるからこそ「正しい」ことがありうる、「異常な」事態が時として生じう るからこそ、それ以外のたいていの場合は「正常」でありうるのである。このような「非合理」 は、もはや合理と真に対決する力を有しない ュークリッド 幾何学が非ュークリッド 幾何学を非現実の非ューグリッド空間に閉じこめるこ とによってこれを排除していることからもわかるように、合理が真の非合理を排除する際にロ 実とするのは、きまってその「非現実性」である。合理性がみずからの存立の根拠としている のは、まさしくこの現実性にほかならないのではないかと思われる。私たちは次に、現実性の これは私たちの第二の問いである、合理的「正常者」がい 意味についてすこし考えてみたい。 への橋渡しとなるだろう。 かなる正当性によって非合理的「異常者」の存在を拒みうるかの間い 現実性と生への意志 現実性は単に感覚的・知覚的体験 ~ こよってのみ経験されうるものではない。表象とか想像と 150

3. 異常の構造

た非合理である。合理性が合理性にとどまっているか芋り、それは真の非合理を知ることも、 それに触れることもできない。合理性が合理性にとどまろうとするならば、それはみずからの 存立を危くする真の非合理を、あらかじめ用心深く排除しておかなくてはならないのである。 合理が非合理を排除する論理は、実は合理性それ自身の本質に属しているものである。 くりかえしていうと、合理はいかなる形の非合理の存在をも認めないのではない。合理が合 と言いうるためには、合理はすでにみずからの反対概念としての 理であって非合理ではない、 非合理を知っており、その成立を前提としているのでなければならない。つまり合理は、さき にあげた「美ー醜」、「真ー偽」、「善ー悪」などの対語における意味での、みずからの反対語とし 幾何学の範囲内におい ての非合理の存在ならば認めているわけである。たとえばュークリッド ては、直線外の一点を通って、その直線と交わらない直線、すなわち平行線は一つしか存在し ないというのが合理である。もしもある直線に対して、一点を通る平行線が一本以上あったり、 幾何学の範囲内に 平行線が交わったりしたならば、それは非合理である。そしてユーグリッド おいては、この非合理は合理が合理として十分に実現されていないことを意味する。この非合 このよ、フ 理は端的にいって「誤り」である。そこでは真理がまだ真理として現出していない。 な「合理ー非合理」の対概念は、そのまま「正ー誤」の対概念におきかえることができる。

4. 異常の構造

身の知覚行為の中から生じてくるものなのである。 世界の実在を素朴に信頼するという、常識的日常性のこの錯覚は、周知のいろいろな幾何学 的図形の錯覚などのように、用心ぶかく観察したりものさしを用いて実際に計測したりするこ とによって解消しうるような性質のものではない。この錯覚は、いわば私たち自身の存在の中 に深く根をおろしていて、私たち自身の存在感と根本的に結びついているような、存在論的な 錯覚である。かりにこの錯覚を錯覚と認めて、世界の全体を私たち自身の主観的な表象にすぎ ず、マーヤのとばりにつつまれた仮象にすぎないものと考えたなら、私たちはたちまち自己の ペンハウアー的 存在の基盤が根本から崩れるような不安をおばえることになるだろう。ショー にいうならば、世界を現実として私たちの前にみせているもの、世界の実在性という錯覚を生 みだしているもの、それは実に私たち自身の「存在への意志」、「生への意志」なのである。私 たちは生きることを欲し、存在することを欲している。そして私たちの生や存在は、みずから が生きており存在していることの確かな証しを絶えず求めている。この証しこそ、世界が私た ちに向ってくりひろげている抵抗感、現実感にほかならない。 私たちがなんらかの理由で存在への意志を放棄したとき、あるいはもっと積極的に存在を拒 もうとするとき、あるいは私たちの生命力が深いところで停頓して、生への意志が活動を停止 154

5. 異常の構造

自己弛緩法 原野広太郎フロイト以後 鈴木品¯) む理・精神医学 人問関係の心理学ー早坂泰次郎膸 7 ュングの心理学ーー・秋山さと子 記憶力 岩原信九郎團ェロス的人問論ーーー小此木啓吾ュングとオカルトー秋山さと子 間言憶力を・クビリヤノヴィッチ秘密のむ里 小此木啓吾 ュングの性格分析ー秋山さと子 集中力 山下富美代催眠のすべて ・・ルクロン曲歹ク断 秋山さと子 性格 詫摩武俊うその心理学 相場均タバコ 宮城音弥 天才、ーーー創造の 性格分析 川捷之異常の心理学 相場均盟。、 福島章 ト一フフィ 人はなぜ悩むのか 岩井寛好きと嫌いの心理学ー詫摩武俊旧青年期の心 福島章 繝ノイローゼ 森崇 宮城音弥Ⅲ埴性と適性の 詫摩武俊青春期内科診療ノート 自閉症 玉井収介脈これからの〈老い〉ーー詫摩武俊躓ナルシズム 中西信男 うつ病の時代ーーー大原健士郎期「らしさ」の心理学ーーー福富護馴退却神経症 笠原嘉 Z ・・ローゼンタール 矚季節性うつ病 訓「出会い」の心理学ーー都留春夫矚正常と異常のはざまーーー森省一一 太田龍朗監訳 自己不安の構造ーーー石田春夫Ⅲ集団の心理学 森省二 磯貝芳郎腿逸脱するエロス 「ふり」の自己分析ーー石田春夫自己抑制と自己実現ーー 森省一一 福島脩美Ⅱ「別れ」の深層心理 ストレス 内山喜久雄アイデンティティの心理学ーー鑪幹八郎対人恐怖 内沼幸雄 【ーコン -z- ローール ストレス 宮城音弥跖〈つきあい〉の心理学ー国分康孝 森田療法 岩井寛〈自立〉の心理学ー・ーーーー国分康孝 5 リーターシップの 間異常の構造 木村敏 ーーー国分康孝 心理学 自己分析 チームワークの心理学ー国分康孝 池見酉次郎期 自己実現の方法 石塚幸雄贐〈自己発見〉の心理学ー国分康孝 ・べィー、刀 自己コントロールーーー成瀬悟策弸フロイト 宀呂城立日弥印れ 7 セルフ 原野広太郎甦るフロイト思想ー佐々木孝次 「ーコンー「ローール

6. 異常の構造

日本人論・日本文化論 文化人類学・民俗学 胤文化人類学の考え方ー米山俊直タテ社会の人問関係ー中根千枝 ( し・ク′ - フック′亠小ーーン 5 文化人類学 繝タテ社会の力学ーーー、中根千枝 外一山・泰半丸 - 訳 2 の世界 中根千枝 繝適応の条件 ☆ 吉田敦彦期日本人の意識構造 , ーー会田雄次 日本神話の源流 平野仁啓日本人の論理構造ーー・ー板坂元 日本の神々 市川健夫日本人の行動様式ーー荒木博之 ブナ帯と日本人 死の国・熊野 聞き手・竹村健一 豊島修クな まなざしの人間関係ー井上忠司 ☆ ノチンコと日本人ーー加藤秀俊 加藤秀俊ヾ アメリカ人 不思議の国アメリカー松尾弌之齠たべものと日本人ーー河野友美 % イギリス人と 別貞徳カレーライスと日本人ー森枝卓士 4 日本人 神崎宣武 イスラムからの発想ー大島直政物見遊山と日本人 6 食文化の中の 鄭大聲 ユダヤ人 上田和夫Ⅲ日本と朝鮮 跖中東を読むキイワードー浅井信雄 皿アラブ・ムスリムの日常生活ーー清水芳見

7. 異常の構造

するという限りにおいて、関係の異常であることに変りはない。 このような場合には、自然現象の異常や政治経済の異常とはちがって、私たち「一般人」と ともに私たちの社会を構成している人間が、その社会構成行為それ自体において異常性を示す のであるから、こういった異常が私たちに与える脅威と不安はそれだけ大きなものとならざる をえない。社会は、いわば自己の内面構造の安否にかかわる危機を感じることになる。 さきに述べた合理主義的自然観が、どのようないきさつで近代人の人間観における合理主義 に転用されるようになったのかは、むずかしい問題である。いずれにしても、可視的な自然現 象にくらべて、その奥に不可視の「こころ」あるいは「精神」を宿し、それによって動かされ るものとみなされるような人間の行動を、合理的に理解したり予測したりするということがい っそうの冒険であることは明らかである。合理性がこの領域においていっそうさしせまった不 安を抱くのは当然のことだろう。心理学、深層心理学、それに異常心理学、それらはすべて、 この不安をおおい隠して合理的法則性の支配を揺ぎないものにしようとする科学の虚構であ る。 社会が「精神異常者」に対して不安を抱くのは、かれらにおいてこの虚構がまさに虚構とし て暴露されなくてはならないからである。のちに ( 第九章 ) のべるように、社会が社会として存 17 現代と異常

8. 異常の構造

異常の構造 異常の構造 講談社現代新書 異常の構造 ・現代と異常 自然の合理性という虚構 ・常識の意味 共通感覚から常識へ ・常識の病理としての精神分裂病 精神分裂病とは ・妄想における常識の解体 世界のニ重構造 ・異常の根源 社会的存在概念としての「全」と「一」 ・きむら・びん 一九三一年、外地に生まれる。 一九五五年、京都大学医学部卒業。 現在、河合文化教育研究所主任研究員。 道元褝や西田哲学を精神医学にとりいれ、 独自の人間学を提起して注目されている。 著書に、『自覚の精神病理』ー紀伊国屋書店、『時間と自己』ー中公新書、 『人と人との間』『分裂病の現象学』ー弘文堂、 『偶然性の精神病理』ー岩波書店ーなどがある。 , ・物質的豊饒と精神の貧困が併存するこの社会の中て、 現代新書既刊より 人々のこころは、右にゆれ左にゆれて複雑な病理のモサイクを描き出す。 宮城音弥『ノイローゼ』は、現代人が陥りやすい この精神の病いの原因と治療法を豊富な具体例で 余すところなく提示し、池見酉次郎『自己分析』は、 ストレス、欲求不満など日頃の精神的不安定がひき起こす 心身の病いを、自分のカで未然に防止し、癒していく方法を、 わかりやすく教え、注目を集めている心身医学の成果を伝えている。 心理学の分野からは、相場均『異常の心理学』、詫摩武俊「性格』 南博『現代を生きる心理学』などが、有効な示唆を与えてくれる。 精神異常の世界では、「正常」な人間が、ごくあたりまえに 思っていることか、特別な意味を帯びて立ち 現われてくる。そこには、 安易なヒューマニズムに 基づく「治療」などは寄せ つけぬ人間精神の複雑さ がある。著者は、道元や西田幾多郎の人間観を 行きづまった西洋流の精神医学に導入し、異常の世界を真に 理解する道を探ってきた。本書は現代人の素朴な合理信仰や常識が、 いかに脆い仮構の上に成り立っているかを解明し、 木村敏 生きるということのほんとうの意味を根源から問い直している 「全」と「一」の弁証法 : 赤ん坊が徐々に母親を自己ならざる 他人として識別し、いろいろな人物や事物を認知し、それにともなって 自分自身をも一個の存在として自覚するようになるにつれて、 赤ん坊は「全」としての存在から「一」としての存在に移るようになる。 幼児における社会性の発達は、「全」と「一」との弁証法的展開として、 とらえてもよいのではないかと私は考えている。 分裂病とよばれる精神の異常が、このような「一」の不成立、 自己が自己であることの不成立にもとづいているのだとすれば、 私たちはこのような「異常」な事態がどのようにして 生じてきたのかを考えてみなくてはならない 0 本書よリ 木村敏 カバー写真 , : 精神病患者が描いた絵 ^ 上〉青い木・きわめて 主観的な色彩が使われている 〈下〉悪魔・ヒトデのようてもあり 危険な魔ものの舌のようにもみえる 〈背〉おばけ・患者はこんな形のお ばけに夜ごと眠りをさまたげられた 特製ブックカバー贈呈 右のマークを 2 枚集めて 封書てお送 リくたさい ( 葉書は不可 ) / クスのマーク代用も可 宛先 講談社新書販売部プ - クカバー係 講 社 現 代 書定価 = 650 円 ( 本体 631 円 ) I S B N 4 ー 0 6 ー 1 1 5 7 5 1 - 0 C 0 2 1 1 P 6 5 0 E ( 9 ) マークノーベル平和賞 3 3 ー P650 ◆◆◆◆

9. 異常の構造

み子 供カ 、は 行他 や ン問 務 や安 、供 の満 に 耐 え ら は別 て学 れ る つ変 い兄 態 、質 で送 で は な く な い趣 つ て い 、た て臆 い抱 み大 毋 て社 い本 晩 そ別 帰 た悩 。て ん就 で職 た安 す 。を る彼 な休 れ読 と し時 苦な た人 分社 に人事家 実 は だ就 考母 な っ妙 は母約 と 勤弟年 が や て き い し よ に 住 む よ つ に な っ 0 の 宅町町 で 女 は 、学 ム に め職探 し た 半 前 に っ兄関 大 を つ た の で ア ン ネ は 独 カ で の に 家 族 の め の 住 宅 を し れ は ア ネ が 無 邪 す ぎ て っ っ の 女 の 子 と し、 つ し よ に 。や っ て い け オよ い た め だ ん た た っ か オよ と た し 小 も で ま れ は る す 文寸 に 子 の ん の 疑 答 ぇ よ っ の な い を も ち 出 し の っ じ つ ま あ わ か っ た し か 親 は が な し、 ら ぎ の 場 カ ; し い と っ の も 、彼 話女対 の 悩 で あ っ 日 に リ帚 。宅 す る び に た り あ し、 に な り た い と 甲 い な が ら い反彼 面 そ れ に し き な 不 い て い く ろ げ る 庭 る ク ) だ が っ ま く ゆ か ず そ れ が 女 を ま す ま す 病 に し て し ま っ た 他 好 れ た い 知 っ ば く 時 ど き お か し オよ 質 問 を し オこ り し た イ也 ク ) 人 ち と 同 じ よ っ に 前 ふ る ま て 分 ま だ 子 知 ら な と が た く さ ん あ る と つ い た ら い 女 は に 年 則 ア ン ネ 当 時 カ : 大 学 通 っ て い オこ 町 の に し た お つ て は 動 の 面 は 目 立 っ た と ろ は な 力、 っ た と う が分味 グ ) 女 で子足 と は に違生 っ の な か と っ 感 じ を お り そ を と も あ っ を も つ て し た 活 を て た 味 は な く も と ま つ 当 時 か ら 66

10. 異常の構造

来事にもとづいて行動したり、これを日常生活の中へ持ち込だりすると、これは普通人の側 から見ると日常性の約束事を脅かす行為、日常性のルール違反として受け取られかねない。昔 からこの種の超能力者がややもすると精神異常者あるいはそれに近いものとみなされ、ある時 代には悪魔や魔女の同類として迫害されたのもそのためである。 しかし、ふつう大多数の人がこのような超心理学的能力を有していないということは、ちょ うど色盲の人が色彩系列の中のある一部についての感覚を有していないということとなんら変 るところのない、単なる偶然のいたずらである。もしも色盲の人が「正常」な色覚の人にくら べて「欠陥」を有するというのならば、大多数の人間は超能力を有する人にくらべてやはり 「欠陥」を有するということになる。この当然の帰結がふつうには認められていないのは、日 常性をかたくなに支配している「多数者正常の原則」以外のなにものでもない。 精神の異常 質的な異常の中でも、これが私たちの本来の主題である精神の異常に近づけば近づくほど、 問題は非常に複雑になってくる 9 すでにこれにきわめて近い位置にある超心理学的能力者につ いて、私たちはこれを「異常」とみなす根拠は「多数者正常の原則」以外に存在しえないこと を見てきた。それにもかかわらずこれらの超能力者は、同じように「多数者正常の原則」から