あれこれと言葉を模索しながら彼女が訴えようとしていた彼女の「障害」あるいは「欠点」 は、一言でいえば、彼女には世間一般の人びとにとってはまったく自明の理である常識がわか らないということだろう。「だれでも、どうふるまうかを知っているはずです。そこにはすべ てきまりがあります。私にはそのきまりがまだはっきりわからないのです。基本が欠けている のです」「私に欠けているのはほんのちょっとしたこと、大切なこと、それがなければ生きて いけないようなこと : : 」「なにかが抜けているんです。でもそれが何かということを言えな いんです。どんな子供にでもわかることなんです。ふつうならあたりまえのこととして身につ けていること、それを私はいうことができません。ただ感じるんです : : : 」 ア これと本質的に同一の「障害」を、私自身の患者は、たとえば次のように表現している。 「どこがおかしいかわからないが、どこかおかしくなる。自分の立場がない感じ。自分で自分症 し。周囲の人たちがふつうに自然にやってグ を支配していない感じ。なにかにつけて判断しこく、 いることの意味がわからない。皆も自分と同じ人間なんだということが実感としてわからな ン ケ い。なにもかも、すこし違っているみたいな感じ」そして患者は、絶えず「どうしたらいいで しよう」という質問で私に助言を求め続けているのである。 私はさきに、常識とは知識ではなく感覚の一種であり、それもいわば実践的な勘のようなも
きなかったから、こうなったのです。 お母さんがきびしくて、そして私を大事にしてくれ衵 たから。私はそれでたくさんのことを落っことしてしまいました、善とか悪とかも。わからな : 」 ( なにが善だとか悪だとかいうことがわからない ? ) 「いいえ、そうじゃありません。 たくさんのことを落っことしてしまった。それだけではありません。なにかが抜けているんで す。でも、それが何かということをいえないんです。何が足りないのか、それの名前がわかり ません。いえないんだけど、感じるんです。わからない、どういったらいいのかーーー悲しい、 一度だってちゃんとしてついていけたことがないのです。わからないけど、 卑屈な気持 : : : 。 いつも同じことです。どういえばよいのでしよう : : : 簡単なことなんです : ・ : ・わからないけ ど、わかるとかいうことではないんです、実際そうなんですから : : : どんな子供でもわかるこ となんです。ふつうならあたりまえのこととして身につけていること、それを私はいうことが できません。ただ感じるんです : ・・ : わからないけど : ・・ : 感じのようなもの : ・・ : わかりません。 家庭がなければ、そして指導が : : : 両親の指導がなければだめなんです。親がちゃんとやって みせて、いろんなことにぶつかって、自分で正しい道を見つけて、理解できるようになって : : 私はそれをしませんでした。なにもかもいいかげんだったのです。理解するということも。 いまになってやっとそれに気づいたんです。
家事の仕事もできなくなったり、間違えたりのろくなったりしていた。料理の味つけが極端にあやふやに なったばかりか、よく塩や砂糖を入れすぎたりして食べられなくしてしまうこともあった ) 「いまはも、つ、いろんなことが痛く感じられるだけになってしまいました。はじめのうちは、 痛い感じが始ったころは、いつも疑問をもっていました。年をとるとはど、ついうことか、とか なんとか。そういった言葉の意味を考えずにはいられなかったのです。それはつらいことでし た。言葉のちゃんとした意味の感覚がなくなってしまったのです。いろんなことの感じがない のです。たとえば病気とか苦痛とか日常生活とか」 ( それはけっして彼女を苦しい気持にさせるよ うな言葉のことだけではなかった。「どんな言葉でも、それが出てくるとみんなそう」なのだった ) 「そネ ア ういった言葉の意味がわかるまでのあいだ、まずはじめに痛い感じがするのです」 「まだ強く心が押えられていたときには、こんな痛さはありませんでした」 ( ちゃんとした肉体症 の痛み ? それとも心の痛み ? ) 患者は非常に迷ってためらいながら、「たぶん心の痛みの方でグ プ しようね」という。どちらなのかを決めるのが明らかに困難な様子である。「この痛みがあるか ケ ぎり、本当に晴ればれした気持になってほかの人とっきあうことができないのです。 えば会社で、私は自分のことをとても変だと思いました。人の話を聞くっていうことが重荷でプ す。言葉は聞こえます。ただ、ほかの人の話に心からはいっていくことができないのです」
今の世の中でおこなわれていることが、きっすぎるように田 5 う。こういう時は出歩いた方がい いですか、家にいた方がいいですか。 矛盾した二つの心が葛藤しているようだ。どうした らいいですか。ーー・時々いらいらする。その時はどうすればいいですか。 鏡にうつる自分 が嫌いたと、つしたらいいカ 映画を見たら画面の中に入って、自分が不在になる。帰宅 してもどこかおかしい 勉強はした方がいいですか、しない方がいいですか。 どこが おかしいかわからないが、どこかおかしくなることが一日に一、二度ある。 自分の立場が ない感じ。自分がきちんとしていないとなにもかもめちゃくちゃになる。自分で自分を支配し ていない感じ。・ーー姉の表情が苦になった。姉の表情であげあしをとられたような気がしてど きりとした。これはきようだいげんかでしようか。姉にあやまったらいいでしようか。これか らど、つやったらいいでしよ、つか。 なにかにつけて判断がしにくい = 。試験の答案を書いたあ と、友達のを見て答が違っていたので、そちらに合わせて書きなおした。そしたら実は自分の 答の方が合っていた。 主体性のないのは病気ですか、性格ですか。 周囲の人たちがふ つうに自然にやっていることの意味がわからない。皆も自分と同じ人間なんだということが実 感としてわからない。 なにもかも、すこし違っているみたいな感じ。なんだか、すべてが さかさまになっているみたいな気がする。
のです。いつも何か大切なことを忘れているような感じ。考えがまとまらなくて : : : それで落ち 着かないのです。私にはなにかがやつばり不足しているって感じ。前のように疑問に答えられ ないっていうんじゃなくて、立場がないみたいな落ち着かない気持です。自分で自分が頼れな ものごとに対するちゃんとした立場がもてないのです。籠を編む作業はできてもーーーそれ はたったの一面だけですから 、ほかの人のように、いからそこにいあわせて仕事にはいりこ むこと , ーーっまり心に落ち着きをもって、自分というものをしつかり保っというもう一方の面 が私にはないのです。いつも、大切なことを忘れているみたいです。なにもかもが中途半端 さら で。私にはいろんなことがむずかしすぎるのです」 ( いろんなものに曝されているってこと ? ) 「ええ、ほかの人よりずっと。だからものごとがきちんとしない。自分をいろんなことにあわア 例 症 せることができないんです」 の 「人間は自分の限界を知ってそれで満足し、心の安らぎをみつけなくてはなりません」 ( あなた ル は自分の限界がわからない ? ) 「ええ、だから何をしても、いつもぎごちなく、ただやっている ン とい、つだけ・。 陶器作りは楽しいのですけれど、ほかのことのほうがもっと大切です。自分 ン の判断に基いて安心するということのほうが。限界がわかるっていうことは、おとなになるつ プ てことでしよう。私はいつもほかの人と同じようにものを見ているのに、自分を主張すること
人内部の領域をはみ出した、自己と世界との関係の仕方にかかわるものだという意味を持って いる。私たちが「甘い」という場合、それに対応している味覚そのものは生理学的プロセスと して有機体の内部に属しているかもしれないが、この味覚が他の領域での「甘い」という表現 との間に共通に有している感触は、もはや有機体内部のことではなくて私たちと世界とのかか わりかたの性質である。この「甘い」において、私たちは有機体からぬけ出して、世界の中に 出で立っことになる。この世界への出で立ちかたが、砂糖をなめたときと子供を抱いた母親を 見たときとで相通じるものがあるために、私たちはどちらの場合にも同じように「甘い」とい う表現を用いうるのである。 「甘い」ということにおいて私たちが世界の中へと出で立ち、世界とかかわっているというこ と、このことは同時に、人びとがこの「甘い」という言葉の意味についての共通の理解をも ち、そこに相互了解が成立するということの根拠にもなる。私たちは、完全に有機体の内部に 生じている生理学的プロセスを、けっして他人との間で比較しあうことができない。私が「赤 味 い」と感じとっている感覚内容ヒ、他の人が「赤い」と感じと 0 ている感覚内容とが同一であ意 るかどうかは、けっして判らない。同じ砂糖をなめた場合、私と他人とが同じ味覚を感じとっ しかし、私が「甘い」といい、他の人が「廿 ているかどうかを比較してみることはできない。
いまかりに、砂糖をなめたときの味覚からの比喩や連想で、ヴァイオリンの音色を「甘い」 といったとしよう。心理学的な観点から見れば、ここにはたしかに比喩や連想と呼ばれてよい しかし本当の問題は、このような比喩や連想を可能にし 機制がはたらいているかもしれない。 ているのはなにかということである。砂糖の味覚からヴァイオリンの聴覚へと連想が進んだと するならば、この連想を渡した橋はいったい何なのか、ということである。それは要するに、 この二つの感覚に共通にそなわっているなんらかの感触、なんらかの気分のようなものであ る。砂糖をなめたときに感じとったのと同じ感触が、ヴァイオリンの音色を聞いたときにも感 じとられ、そこで私たちは私たちにとってより親しいほうの味覚的な表現を聴覚にも転用し て、「甘い」音色ということをいうのだろう。 しら 色が「白い」という場合と、場面が「白けている」という場面についても同じことがいえ る。「しらじらしい」とか「しらけている」とかいうとき、たしかに私たちはそこに「白い」 色からのなんらかの連想をはたらかせている。しかしこの連想の背後には、やはり「白い」色 の視覚と「しらけた」雰囲気の感じとの両方に共通なある種の感触があるはずである。 だから、「廿い」といってもそれは砂糖をなめたときに生理学的に生じる純粋な意味での味 覚そのものではないし、「白い」といってもそれは白紙を見たときの純粋に生理学的な視覚そ
ができない : : 自分の判断に頼ることができないのです。自分の判断にちっとも満足できませ ん。世の中についての自分の考え、生きるとはどういうことかという自分の考えなど、それが 私には不十分なのです。だから、だまって動くのをやめてしまうよりほかないのです。なにも かも私の手からすべり落ちてしまって、とてもおかしいのです」 かなり良い状態がしばらく続いて、入院していてもそれ以上の進歩が期待できなくなったの で、患者は一年あまりの人院の後、グリスマスに退院を許された。その後数カ月間は昼間たけ 作業療法に通ったのち、外来治療を続けながらパ ートタイムの家政婦をはじめた。仕事はあい 変らずおそく、しかも考えられないような失敗を何べんもしでかした。彼女の状態はたしかに 少しずつ良くなっていたとはいうものの、まだかなりの起伏を示した。 「いろんなことが、またときどきとても辛く感じられるようになりました。疑問が多すぎて : きちんとしたけじめが感じられるようになりたい : : : それを健康な人のように心で感じと って、すっきりしたいのです。それがたいせつなことなのに : ほかの人のことをどう判断 したらよいか、ものごとをどうやって確かめて、どうやって片付けたらよいのかがわからない と、頭の中が混乱してしまいます。私はそんなぐあいで、いろんなことがちゃんとできないの です」 ( 彼女は外而的にも事実そうなっていた。母親の話だと病気になるまでは難なくやってのけていた
か記憶とか、あるいは思惟、直観などといわれるような体験領域においても、現実的な経験と 非現実的な経験の区別はある。しかしここでは、現実性が私たちにとってとりわけ「現実的」 に現出してくる知覚の領域を例にとって話を進めることにしよう。 現実が真に現実的に「ありありと」、「真に迫って」感じとられるためには、視覚的にせよ聴 覚的にせよ、あるいはその他の感覚領域における現実にせよ、すべてその感覚が「手にとるよ うに」、明確に「つかみとられる」のでなくてはならない。つまりそこには単なる受動的な受 容ではない、ある能動的な努力感を伴った行為の要素が含まれている。私たちの現実性体験に は、疑いもなく一種の「手ごたえ」の印象がある。この抵抗感がなければ現実的という感じは でてこない。 しかしこの抵抗感は、実際に手で押してみて抵抗のある物体についてだけ感じられるもので はない。私たちが音楽を聞いて感じる、しばしば圧倒的ですらある現実感の中には、音という ような非物体的現象についての、やはりあきらかに一種の努力の感情をよびさます抵抗感が含 まれている。また、私が真紅の花を見ている場合、私が花そのものよりもその色の鮮明さから性 合 より大きな印象を受けるということがある。そこで私にとってなまなましい現実として体験さ れているのは、花という物体ではなくて赤という色である。私に一種の努力感をよびさます抵
んな問題にも答えられるのに人間としては劣っているなんて、いやなことですね」と彼女はい アンネはセッグスのことについてはほとんど知らなかった。初潮は一二歳ごろで、そのこと は前から母親に教わっていた。同級生たちがセッグスの話をしていても、彼女はそれには加わ ーティーなどのような、男の子 らなかった。男の子に興味を持ったこともなかった。ダンスパ と近づきになれる機会を、彼女は意識して避けた。彼女はいつも、自分はそういったことがで きるほど成熟していないと感じていた。 しかしともかくも、商業学校時代は楽しかったし、成績も悪くなかった。卒業後、彼女は父ネ ア 親から離れるために、兄が大学に通っている町で就職し、夜学で英語とフランス語を習った。 家が恋しいと思う反面、母親から独立したいという気持もあった。彼女はだんだん母親を理解症 できなくなっていた。「お母さんの考えかたは違うんです。私はそれでだめになってしまった ル プ んです」と彼女はいう。 ン ケ 兄が大学を転校したとき、アンネは別の町で家族のための住宅を見つける仕事をひきうけ ン た。彼女は非常な活躍でうまく住宅をみつけたが、それはいわば彼女が最後の努力をふりしば プ 6 ったといった感じだった。その間に両親の離婚訴訟が進行していたが、彼女にとってそれはど っ一」 0