界例のうつ病という診断がつくこともある。 いずれにしても大学生女子のスチューデント・アパシーの人格水準レベルは、右のように「憂 うって苦しい」 という訴えがなされること一つからみても、男子のそれよりも一般に高いとこ ろにとまっているといえるだろ - フ。 アメリカでの治療例 高学歴女性の心理学、精神病理学となると、アメリカが何といっても先達てある。アメリカ のこの関係の書物をよむと、よくインテリ女性例が出てくる。大学生のアパシーのアメリカ版 をいろいろとさがしていたら、やっと出くわしたのがやはり女子大学生の例だった。 、大学生のアパシーのケース・レポートを諸外国の書物のなかに見つけることはむ ずかしい。考えられるその理由については次章て述べるつもりだが、ともかくやっと見つけた くつかの大学を 例が「永遠の学生」と表題された女性例てあった。永遠の学生というのは、い 渡り歩きながら、いつまても学生の身分に止まりつづけ、現実社会の荒波の中に漕ぎ出すのを 出ー ) 4 にし J い - フわ」カし 、つ頃から 延期していく人、というほどの意味てある。フロイトカいい ある言葉なのか。日本の学制ては大学をいくつも渡り歩くことはふつうてきないから、学部の せんだっ 170
あるいはその他の家族メンバ 。 0 は家族療法のカウンセラー O のカウンセラーは、まったくか 、ほとんど知らない <t の治療のため、 n(* 母さんたち ) に会う。これは意外にむずかしい作業てある。 ( お母さん ) が < ( 子供 ) についてしゃべることのすべてが逐一事実そのものと思う危険が初心の O にある。失礼だが ( お母さん ) のお話には当然の主観が入っている。その 上、 ( お母さん ) は O ( カウンセラー ) に対して個人的感情をもっ可能性もある。 わにし J - ん。は、 ( か手のタイプということ へん気が合うと思う人もあろうし、こ、、 もあろう。話しやすい人、話しにく、 ( 人。そういう印象が ( お母さん ) のロを 重くしたり軽くしたりする。過度に自責的になっている若いお母さんが、年輩 のカウンセラーの前て、自分の過去の失敗を数え上げて、自分から子供の登校 合 拒否は「母原病」だった、あの大先生の書物に書いてあったとおりだったとお場 の 生 っしやるのなど、その一例だろう。 O ( カウンセラー ) も ( お母さん ) に何らかの感情をもつ。にが手な人という高 のがある。そうすると、つ、 し宝になるつもりカまるて説教師のように雄弁中 に自分の人生論をぶったりしはじめる。カウンセラーたるための要件の一つに
病像が修飾されたものとみている。純粋の退却神経症とくらべると、よくなったり悪くなった りの波があること ( 少し専門的な表現をゆるしていただくなら「病相の反復性」のあること ) 、そして ときには抗うつ剤が、一時的にだが、効くこと、それから不眠や日内変動があることを挙げて 、「逃避型抑うつ」をまったく心理的な逃避とみるのは、それに たしかに広頼氏のいうように 苦しむ人たちに対して少し酷なように田 5 う。彼らの中の少なからぬ人はたしかに毎朝、理由の ない不安におそわれて寝床の中へ退却し、眠りの中へ逃げこんてしまう。そして「不思議なほ ど眠れてしまう」のてある。ただしそれは入院という環境変化て ( 少なくとも一時的には ) 消え る程度の根の深さしかない過眠てある。また小きざみな揺れがあって、日によって、週によっ て、ときには月によって比較的容易に離床てきることもある。その程度の過眠てある。 睡眠の重要性 睡眠の研究は、最近の進歩の著しい領域の一つてある。うつ病の睡眠障害だけてなく、ひろ かくせい く人間の睡眠覚醒リズムの乱れを医学的に研究する人たちが最近増えている。 睡眠が人間の精神機能にとってもつ重要生はいうまてもない。脳の機能をベストに保つのに 73 サラリーマンの場合
なると出現する。逆に人生後半に入り、退職を間近に意識するようになると、この神経症はお こりにくかろ - フ。要するに、社会に参加中の人ということになろ , フか 以下、性格、心理的ダイナミックス、睡眠覚醒リズムの乱れやすさの三項に分けて、個人の 側の条件 ( 成因 ) を整理してみたい。 性格について 几帳面でやや強迫的 、ま一度まと 退却しやすい人の性格については、すてに断片的には文中に何度か書いたか ( きちょうめん めると、一つには几帳面、二つに内向・敏感、第三に自愛の特徴を加えるべきか。 まず几帳面について。学生なら教科書をおばえるのに第一ページから、しかも欄外の脚註も ふくめて、てきればすべてを洩れなく完全にマスターしたい。 そうしないと自分の気がすまな サラリーマンなら念には念を入れることのてきる仕事が好きてあり、成果がはっきり眼にみ えてあらわれるたぐいの仕事が得意てある。従来の性格を標識する精神医学用語を使えば、「強 迫性をもった性格」というしかない。ただし、強迫症状 ( 強迫観念、強迫行動、ジンクスへの過度 194
のだ。そういってはじめて母に反抗した。 中、高、大学と運動部に入っており、それほど元気のない人てはなかった。 親戚に教師を業とする人が多く、高校時代から自分も教師になろうと決意していた。 自殺の前日、遠足の下見に行くと、笑って母にいっていたという。当日も平常どおり出勤。 ただし登校せず、そのまま自殺をはかる。 生きる意味の消失 青年の例も中年の例も同じてある。見事なまてに完全かっ直行の退却てある。無気力という 中間項ぬきの直行てある。一言いってくれてもよくはなかったか。そう母も思えば、友人も思 う。われわれ精神科医も田 5 う。稀にたカ糸汝 士ロ昏式を目前にして突然自殺する青年がいる。自殺 が痛烈に他人を傷つける事実を見せつける一つの例てある。 私の今まての経験によれば、この人たちは私たちのもつ「うつ病」の診断基準をみたさない けれども、しかし未来の自分に対する自信を失っている。自殺まてはかるのだから、当然そう 十年目に突然自殺をはかったある人がいう。「いつの頃からか、このまま行けばいずれ自分に まれ
囲を戸惑わせることしきりてある。 高い達成レベル この頑張りと完全主義が混然一体となると、女子学生ならてはの綿密にしてまったく遺漏の ときとして超人的と表現したいような作業量を生む。人間わざを超えるのて、そこから 当然来るべき疲労反応 しというニュアンスが彼女の無気力には必ずある。事実、疲労感、不安感、 そうしつ 抑うつ感、現実感喪失などを彼女自身自覚していて、多少とも苦痛に思っている。 そのせいてあろう、女子学生は、少々の後押しさえあれば、男子よりはずっと積極的に相談 にやってくる。そして精神科医の診断もはじめは神経症性うつ病とされることが多い。男子例 て何度か指摘したあの「ヌケヌケ」したところが彼女たちには少なくとも表面にはみられない からてある。 と合 彼女たちはたしかに一面「自分が達成しようとしててきないことなんて一つもないはず」 いう自愛的な万能感をもつが、他面「これだけしかぞきないのか」という不断の自己叱正のなの かにいる。外からみた彼女の業績達成度はきわめて高いのに、彼女自身に満足感がない。第二女 章一〇八ページて述べた「空しいという感じ」があるという人もいる。こうなると、軽いが境 しっせい ろう
か、四十五歳のヴェトナム戦争経験をもっ会社重役といった例があがっている。 遅ればせの青年期 ぞは、なぜ男女を間わす彼らは青年期に悩まないて、中年になって青年的悩みを露呈させる 、くつか考えられる。 のか。答はむすかしい力し 一つは「遅ればせの青年期」がこの年齢になってはじめてやってきたという考え方てある。 青年期的課題 というのは簡単にいえば自立の苦しみなのだが、たまたまその人の青年期にそれ いってみ を敢てしないてもすませられる好条件 ( 見方によっては悪条件 ) が揃っていたために、 ればカードをきらないてハスした。 たとえば経済的な裕福。長寿社会はかくしやくたる祖父が八十五歳て、父が六十歳て、自分 が三十五歳といった組合せをそこら中に見出させるようになっている。父さえ六十歳てなお〃部 屋住み〃てあれば、などて三十五歳の私に自立の課題の切迫性があろう。 ナくい稀よタレント性の持主てあることも、その外見に反し自立を遅らせる危険をもっと米 国論文などよく書いている。他人の賞讃はその人の自己愛性を満足させつづけ 元来肥大ぎ はたん みの自己愛拡大再生産させる。自己愛の破綻をこきざみに経験しておくべき青年期にそれが あえ まれ 182
それに精神科の敷居は高い。 んな医市に出会うかわからない。 中年女性の場合は寛容な家族と 姿 : フ そこそこの経済力があれば、彼女の少々の無気力は異常とは認知されないかもしれない いう水面下の事例は、たとえば学生診療所のカウンセラーがごぞんじかもしれない 第二の理由は、医師が他の診断名をつける可能性のあること。 たとえば「神経症性うつ病」だとか、「境界例」だとか、ときには「ヒステリ 1 」と診断する。 たしかに、私自身がこの婦人は退却神経症と診断してもよいと思う場合ても、男子例とくらべ、 おおむね次の二点て異なる。 まずは、抑うつの色彩が一段も一一段も濃く、したがって、うつ病 ( 感情病 ) という従来からあ るカテゴリーの中て考えるのにわれわれとしてはそう困らないということ 。たとえば、三十歳 代の主婦て、いっとはなく家事一般にどうしても身が入らなくなってしまった。しかし、カル チャー・センターては自分ても不思議なほど元気にしている。そういう退却性のある人が、同 時にうつ病の系列の症状をたくさんもっている。睡眠リズムの変化がある。そして何よりも、 自分から医療やカウンセリングを求めてやってこられるところが、男子の退却神経症とちがう。 もう一つ。退却するだけてなく、 いろいろと ( 平素の彼女のしそうにない ) 退行的な行動がある。 たとえば、イライラと結びついての過食。空腹だから食べるというのとは違う食べ方てある。
いて述べなければならない。 もっとも、うつ病といっても精神病といわねばならぬほど重いう まれ つ病てはない。 今日の日本の企業や役所の三十歳、四十歳、五十歳代の人に稀ならずみられる 軽症のうつ病てある。外見的にはそんなに憂うっそうにみえない紳士の、それにもかかわらず 内面的にはうつ病の症状をしつかりもっている。そういう場合てある。 よく似たところがある。朝わるくて午後から夜にかけて気分が晴れる。全般的な不安・憂う っ・無気力。それらは、程度の差こそあれ、退却神経症にも軽症うつ病にもある。似ているの 学 / 、刀市一三 吉侖を先にいえば、退却神経症は社会適応に挫折してひきさがるという逃避心理が一次 的てあり、うつ病の方は生物としてのエネルギー低下が一次的なのて、根本的・理念的にはち がった状態と考えられる。 たとえば、うつ病の人も自信を失い、仕事への意欲を失い、この世からスーツと消えてなく合 なりたいと思うのだが、それは平生の元気なときの心の張りを支えている生物的エネルギーのの ン 一つのことをクマ 水準が低くなった結果、いつもの彼らしくなく何をするのもおっくうになり、 ョクョと考えつづけ、現実から逃避的になっているのてある。 後て述べるが、このようなうつ病の心理的エネルギーの低下はたいした理由なしにおこるのサ が特徴てある。場合によっては、まったくきっかけなしに自然におこってくる。人によっては
う退却とははじめから異なったものてある。 治療現場からの報告 「陰性の行動化」 彼らを治療することはてきるのか。ノイローゼてあって精神病てはないから、気持ちのもち よ - フ一つてど - フにてもなろう。そうお思いの方もあろうが、現実にはなかなかそ - フいかない。 最大のガンは、彼らが自分から積極的に救いを求めないことにある。その理山は、「退却」が行 動化 ( アクト・アウト ) ぞあって、それ自体内面の苦脳体験からの、行動による脱出という構造 をもち、したがって本人は退却しているかぎり、苦しいという体験を痛切にはもたないてすむ 合 場・ よ - フになっているからてある の 彳動化 ( アクト・アウト ) というときは、ふつうは、家庭内暴力だとか物を盗むとか性的に平生 素にない乱行をするとか、自殺をはかるといった、ヒステリーこ ( 近い、外見の派手なことがら大 カ多いのたカ、ここにあるのは無断欠勤するとか家出するとか無関心をきめこむといっこ、消 7 3