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検索対象: 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服
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1. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

右の学生もそうだが、大学生ケースは一般的に言葉が豊富て、いろいろと表現してくれるの て、教えられるところが多い。そんなにわかっているのなら、自分からもっと積極的にやって 来れば、と思 , フのたカなかなかそうしてくれない 「強迫思考」の体験 軽いケースて比較的自力てやって来る人の中には、私の経験ていうと、「強迫思考」という症 状をもつ人がいる。それが受診のきっかけになって、うまくいったとい - フこともある。 強迫思考とは、「バカな考えが一人てに頭に浮かんてきて邪魔になる」といった類のものて、 ささい 些細なのだが、本人には苦しい。退却神経症の人は一般的にいって強迫的なニュアンスの少な からずある性格 ( 類強迫性格 ) なのて、ときどき些細な強迫思考を体験している。 しかし、そういう人ても何年も留年していると、次第につきあえる同世代の友人が少なくな 合 ってくる。同宿の下宿人たちもいっとはなしに入れかわって、年の若い人たちにかわる。若者場 たちは、大人からみると理解しにくいことだが、一年とか二年の学年の差に敏感て、まるて異生 人種のような言い方をよくする。ただてさえ人づきあいのうまくない彼らにとって、異人種は大 、」 6 る

2. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

歳代後半から四十歳代にかけてのエリート・サラリーマン ( 男子 ) てあることが「単なる偶然以 上の意味をもっているように田いわれる」からてある。 典型的な症例 きようだい ひとりつ子か、同胞中一人の男子てあることが多い。幼少時期は過保護に育てられるが、物 質的に恵まれての放任て、いずれにしても苦労の経験に乏しい。大学卒業まては平均以上の知 かっとう 的水準のため、受験地獄をさしたる努力なしに通過。要するに、葛藤の少ない生活史を送って 一とうとする野望はも 水準の高い生活をはじめから与えられたことて、他人を押しのけ上に立 く、それが現実にこれま合 たないが、高い生活水準や体面は保ちたいという願望やプライドは強 の て長期間実現されてきたため、ますます体面の維持を目標にしている。 ン 余裕マ あたりが柔かく、そっがなく、自分を押し出しすぎて嫌味を与えるようなことはない。 をもってスマートこ 、こ高、教養水準に固執するため一見完全主義 ( 遊ぶこともてきる。身につしナし どんよく 者かにみえるが、あれもこれもといった貪欲さや根をつめる精力性はこの人たちにはよい。 転勤、配置替えがきっかけになりやすい点ては前項のうつ病の人と同じだが、典型的なうつ こしゅう

3. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

親のどちらが引き受けるか。てきれば共同てお願いしたいものだ 家族の治療参加 一般的にいってノイローセは、その人にいささか不自然さありという警報ともいえる。多少 とも生き方の、考え方の変更が求められている。おそらく人間は誰しも、ノイローゼ未然のノ イローゼを何度も体験し、そのつど自力て、あるいは家族や友人のちょっとした助力をうけて、 多少とも軌道修正に成功してことなきをえてきた。それがたまたま、 いくつかの悪条件が運悪 く重なったため、ノイローゼと名のつく長い不適応状態に入りこむ。 何かを変えなければならない。 ノイローゼは当然個人の問題だから、正当な治療は個人に対 するものて、代表的なのは、前世紀の西欧にはじまり二十世紀のアメリカて隆昌をむかえた精 神分析、ほば同じ頃日本に生まれ、もつばら日本人専用の感のある森田 ( 心理 ) 療法。もっと他 にもいろいろの流派があるが、いずれにしてもその人が治療をうける堅い決意をもっことが条 件てある。精神分析はふつう数年という年月を要する。 家族療法はこうした個人療法の経験 にもとづいてつくり出された。個人の心の動きについて わかっていることを、家族という小集団の心の動きへと修正適用している。家族療法には効用 156

4. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

言たいが立場上口に出せないといった場合、心の中てその場面を反復体験し、怒りをあら 4 ににしている - フち一に、 たんだん生々しさが消えて いく。こういう場合のクョクョは一つの心の 争化作戦てある。これがうまくいかぬと六 一ページてあげたサラリーマンのように、 上司の叱 言をいつまても同じ強度て心の中て反復する。これは不健康てある。 第二は「心身症」の場合て、四時の方向。つまり身体化の方向へストレスを流す。日常、わ れわれは肩がこり頭痛がし、食欲がおち下痢をしといった、多様な、しかし一過性の症状に慣 れている。これもストレスの身体化だが、心身症も程度はちがうがこの方向と考えてよいだろ う。心身症はレッキとした身体の病気て、その発生に心理的ストレ スの関与の明らかな場合をいう。 もちろん心理的ストレスだけが成因のすべててはなくて、体質だ とか性格だとか物理的環境だとか年齢など、多様な要因が関係して いる。消化器系、循環器系、内分泌系どこにも出現しうるが、中年 のサラリーマンにとってよくいわれるのは、過敏生腸症状、消化器 かいようきようしんしよう 潰瘍、狭心症、心筋梗寒、高血圧、糖尿病、高脂血症等々 : 嗚呼、中年てある。 こうそく

5. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

意識しないのだが、少しても欠けると、何をしても面白くないと感じさせる。だから、これは 早期発見のためのチェック・ポイントになる。それだけてなく、もしこの楽しむ力が、日々刺 戟されることて豊かにてきる類のエネルギーてあるならば、もしそうなら、路傍の一木一草に も詩心を育くむことが精神保健につながるのだが。 進歩の感覚は。 さしよう 日常のわれわれの体験はまた、自分が時間とともに動いており、ごく些少ながら進歩してい っ 0 し」い - っ . ロ」 感覚に裏打ちされているはずてある。事実、若い人なら仕事を一カ月前に比してさえ 上手になったと感じることがてきようが、成人の生活のなかてはそんなに目に見える進歩感覚朝 それても一年前に比べると何やら経験を重ねて成長したと思える。いや、もう年て、楽 いろいろと覚えようとしてみるがほとんど忘れてしまう。けれども「歩止まり」か少々はあっ て、その分だけ大きぐはなっている。 人によっていろいろと感じ方があろうが、この進歩の感覚も精神保健上大事なもののように無 カ 思う。ときどき人は、過去をふりかえって、ひと息入れながら、進歩の度合を測るのもよい 気 とくに転勤とか、昇任の時期ともなれば、ひと息入れて再出発するのによいと思う。転勤とか無 昇任、それに転職ともなれば一層、中年者は心身ともに疲れやすい時てある。この中継点を歩

6. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

はダウンするときがくると田 5 っていた。もう限界てした。仕事をチャンとやっていたといって も、それは全力投球て、なんとかそうしていただけてす」。 この人も強迫傾向のつよい人て、きちんとしないと気がすまない人だった。 一年前に抜擢さ れて新しい大事な仕事についた。まわりは彼の一年を評価していた。しかし彼は、新しい仕事 に自分の波調が合わないと心の奧て思いつづけていた。それまての一日一日て、あるいは月々 て確実にピリオドのうてる仕事から、年単位の仕事、あるいはそもそもいっ終止符がくるかわ からない類の仕事の中に入って、調子にのれない一年だったという。自分の能力の限界につき あたった一年だったという。 右のように区切りのある局所的な仕事から、区切りのはっきりしない大局的な仕事への重点 移動は、中堅ポストへの昇進とともに必ず生じる。キチンとしないと気のすまない人の出会う合 場 ードルの一つだろう。 の この人は学校もよくてき、入社以来の十年も大過なくすごしてきた。だから失敗経験が少なマ すぎたのかもしれない。 そういう見方もてきる。 医学的にいう内因性の抑うつ・抑制にはあたらないが、外見上一点非のうちどころのないャサ ング・アダルトが実存的抑うっといってもよいような、生きる意味の消失をよく体験している。 ばってき

7. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

退却神経症の観点から この項の最後に、ちょっと専門家向きて恐縮だが、退却神経症という概念を子どもの登校拒 否症論の中に入れることによってどのような利得があると私が考えているかについて、少々述 べることをおゆるし願おう。といっても、まったくの試論てある。 文献を通覧すると、心理的な問題ゆえに学校へいけなくなる生徒を指す、いろいろの用語が 不登校、登校拒否、登校拒否症、学校恐怖症等々。 使われている。学校ぎらい、 右のうち「学校ぎらい」とか「不登校」というのが一番広い概念のようてある。このなかに いくつかのタイプが分けられるとしても、この三十年の研究史が注目しつづけてきた最も重要 ノイローゼ な群が、神経症性登校拒否 ( 症 ) てあることにおいて、諸家に異論はないだろう。 ここての神経症性 ( ノイローゼ性 ) とは、神経症性不安があるということと理解してよいたろ 合 いうまてもなく、神経症性不安は健康範囲内の不安と似て非てある。理由と対象のはっき場 こ - フい - フ不安は生 りしない不安てある。何が不安なのか、なぜ不安なのか自分にもわからない。 高 大の男にも耐えにく、 ところて、神経症性登校拒否症にはこの神経症性不安の体験され方によって二型を区別てき中 るのてはないか。つまり、不安や葛藤がいつも体験されているタイプと、いつもは体験されて

8. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

う退却とははじめから異なったものてある。 治療現場からの報告 「陰性の行動化」 彼らを治療することはてきるのか。ノイローゼてあって精神病てはないから、気持ちのもち よ - フ一つてど - フにてもなろう。そうお思いの方もあろうが、現実にはなかなかそ - フいかない。 最大のガンは、彼らが自分から積極的に救いを求めないことにある。その理山は、「退却」が行 動化 ( アクト・アウト ) ぞあって、それ自体内面の苦脳体験からの、行動による脱出という構造 をもち、したがって本人は退却しているかぎり、苦しいという体験を痛切にはもたないてすむ 合 場・ よ - フになっているからてある の 彳動化 ( アクト・アウト ) というときは、ふつうは、家庭内暴力だとか物を盗むとか性的に平生 素にない乱行をするとか、自殺をはかるといった、ヒステリーこ ( 近い、外見の派手なことがら大 カ多いのたカ、ここにあるのは無断欠勤するとか家出するとか無関心をきめこむといっこ、消 7 3

9. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

といわれる。 それから、これは必すというわけてよよ、、、、、 ーオしカ過眠と同時に「楽しい」「うれしい」といった 喜びを感じとる力がおちる。たとえば、仕事をする喜び。そもそも仕事などというものはたい へん面白いというものてはない しかし、それても私たちが毎日それをつづけるのは、うっす らとだが、仕事をする楽しさが附着しているからだと考えるとするなら、そのうっすらした楽 むみかんそう はんぶく の反復になる。こ - フなると耐えにく、 しさが消える。そうなると仕事は無味乾燥な、ごだ はよく仕事をしたものたがなぜあんなにてきたのたろう」。そう田 5 う。 快体験の希薄化 ここてちょっと、右のような「決」体験のなさについて一言はさむことをゆるしていただき たい。精神医学は「離人神経症」という喜怒哀楽が感じられないノイローゼを昔から知ってい る。ただこのノイローゼの人は、喜怒哀楽が感じられなくなり、外界がまるて実感を失って絵 葉聿日か何かのよ , フにしか感じられなくなることに強い苦痛をおばえ、なんとかしてほしいと医 者を訪れる。それほど強い苦痛てある。 ところが、ここていう「楽しい」「うれしい」の感じなさというのは、決して苦痛とは本人に りじん

10. 退却神経症 : 無気力・無関心・無快楽の克服

過度に神経質になられては困るが、今まてになく睡眠覚醒リズムの乱れるとき、御注意を。 睡眠リズムの乱れはときとして精神力の低下をさそう。何より脳を休めるのに良質の睡眠を要 することは誰もがご存じのとおりてある。うつ病のときも初期からほとんど必ずこの乱れがく る 朝の気分をバロメーター 一日の計は朝にあり、ということ。少し小むすかしくいえば、睡眠覚醒リズムの変調のない ことを確認するため、ということになる。サラリーマンならたいてい朝おきれば、まず朝刊に ・眼を通すだろうから、朝刊が面白く読めるかどうかを目印にするのはどうかと提案したことが いままて熱むに読んだ朝刊がおよそ興味ののらない紙 ある。うつ病の初期、朝の不調がくる。 切れにみえだすのを「朝刊シンドローム」と呼んてはどうかと提案したことがある。家庭の主 帚には、朝刊のかわりにお化粧をはじめ身だしなみをバロメーターとしておすすめした。月、 つものように熱むに身だしなみがてきるかどうか 物ごとを楽しむ力を大切に 文中、無快楽とか快体験の希薄化といった症状についてお話ししたが、それとの関連ていう ことてある。われわれの日常体験の際にごくうっすらとてはあるが、いつもある快感。平素は 224