3 ーーー無気力生徒の現状 思春期生徒の無気力 学校へ行かないという現象は、数の上からいえば、そんなに多くはない。 しかし、学校へ行 ってさえいればよいかというと、そうてもあるまい。親や教師は、学校へさえ行っておれば元 気ているもの、と思いがちだが、不登校にはおちいらないものの無気力の状態にいる生徒が当 合 然いる。教育とか予防とかいう見地に立っと、広く「思春期生徒の無気力」研究が必要なこと場 の 生 は申すまてもない 「青少年の活力に関する研究調査報告書」 ( 総務庁青少年対策本部一九八五年 ) とか、「大都市青高 少年の生活・価値観に関する調査」 ( 東京都生活文化局一九八六年 ) が、その点にふれるところ中 のある有意義な調査と思われるが、私の知るかぎり、東京都立教育研究所教育相談研究室の「思 右は単なる分類のための分類てはないつもりてある。治療への示唆を何がしか含むはずのも のてある。
か跳躍力に欠ける。不在てなくとも、あまりにも弱い父親てあった場合、子供はかえって架空 そうなると当然自分につ の完全無欠の父親イメージを空想のなかに作り上げるかもしれない。 いても非現実な完全無欠を求める。そして現実の学校という社会は、当然、そういう自愛的な 彼のイメージをつきくずすような出来事をもって迫ってくる ( 「完全な自己像」説 ) 。 登校拒否症の研究が日本てさかんになりだした昭和四十年前後は、精神医学の中てちょうど 家族研究 ( ファミリー・スタディ ) が盛んになりだした時期てもあった。分裂病という精神病に かかる人の家族の研究も熱むに行なわれていた。今まてどちらかというと遺伝病とみられがち たったこの病気の中に、環境による要因、とくに家族という対人環境による要因も関係してい る、という見方が広がっていた その後、分裂病の家族への研究は、最初期待されたほど治療法への貢献が生まれなかったた めに、のびなやんだ。そして家庭研究の重点はここ ) ( いう登校拒否症や思春期ャセ症に移った。 家族療法という実用につながりやすかっ・ それは、この二つが青少年の社会不適応現象だけに、 たからてあろ - フ。 家族療法の意義をたいていの両親はすぐ理解されたし、少なくとも両親のうちの一人は ( たい ていは母親だが ) 家族療法に参加することをいとわれない。核家族化がすすんだことや、中産階 152
( 38 ) ( 39 ) 鷲見たえ子ら / 学校恐怖症の研究 / 「精神衛生研究」八、二七ー五六 ( 一九六〇 ) 高木隆郎氏による 高木隆郎ら / 長欠児の精神医学的実態調査 / 「精神医学」一、一一九ー三五 ( 一九五九 ) 高木隆郎 / 登校拒否の心理と病理 / 「季刊精神療法」三、 二一八ー一一三五 ( 一九七七 ) 高木隆郎 / 登校拒否と現代社会 / 「児童青年精神医学」一一五、六三ー七七 ( 一九八四 ) 若林慎一郎 / 『登校拒否症』 ( 一九八〇医歯薬出版 ) ウォルターズ石井完一郎ら訳 / 「スチューデント・アパシー」 ( 一九六一 ) / プレーン・マッカーサー編『学 生の情緒問題』 ( 文光堂 ) 渡辺久雄・笠原嘉 / 「高学歴青年の自殺」研究への一寄与ーー理由なき自殺について / 清水将之・村上靖彦 編『青年の精神病理 3 』 ( 一九八三弘文堂 ) 山田和夫 / スチューデント・アパシーの基本病理ーー長期縦断観察の六〇例から / 平井富雄編『現代人の心 理と病理』 ( 一九八七サイエンス社 ) 山田和夫 / 大学生と性 / 笠原嘉・山田和夫編『キャン。ハスの症状群』 ( 一九八一弘文堂 ) 229
とくにむ理臨床家やケースワーカーの 層化したこと、それに冶療する側にも、女性の冶療者、 数が増えたこともあって、「家族を治療する」という考え方はひろく受け入れられはじめた。昭 和六十年代は昭和四十年代につづく、第二の家族療法プームのように思える。外国の治療法の 輸入も熱心に行なわれている。 単純すぎるな母原病″説 、、、、ナよ、と、った単屯原 ところて、今日の家族療法家の中にも未だ、母親がわるい、父親力し ( オし ぞくじ 因論をとなえる人がいるのは残念てある。俗耳に入りやすいにしても、そういう単純理論が無 益なことはすてに二十年前の研究が指摘したところてある。家族という一つの集合体を「全体 として」みる見方を開発するところにこそ現代の家族研究・家族療法の意義がある。 ファミリー・スタディ 合 、 : 。、 : 。家笶研究は、場 グループの心理学は、必ずしも今日成熟した学問になっているとはし の そのようなグループの心理学、社会の心理学に寄与てきる数少ない実証の分野と思う。と考え生 れば、わざわざ家族というグループ内から一個人をとり出して、単純至極な〃母原病み説をい高 中 - フことは逆行てあろ - フ。 にもいろいろと不安はつよかろう。お母さんの性格、生き方にいささかの難は たしかに母親
三十四年に心理臨床家・佐藤修策氏が、児童相談所来所の五例のケース・レポートを発表し、 同じ年、上記の高木隆郎氏らは京都市内の長期欠席児童についての疫学調査から、長欠者の一 部にアメリカていう学校恐怖症にあたるケースがあるとして米国文献の二、三を引用した。そ の翌年には同じく児童精神科医・鷲見たえ子氏らの研究が発表された。 高木氏の右の研究には「長欠感情」という面白い指摘がある。治療上今日も有用と思われる のて引用すると、登校しない日時がある程度をこすと、不登校の直接のきっかけ ( たとえば内気 な子が委員にえらばれてしまったというようなはっきりしたきっかけ ) が除去されてもなお登校てき ないという新段階に入る。それはここにいう長欠感情のせいてある。「長休みをした後に久しぶ せんさく りに登校・出勤するのは誰てもイヤなものて、人が皆注目し、理由を詮索するだろうと思って ーし↓ - フ」 こういうときのとりこし苦労や恥ずかしさの感情を彼は長欠感情とよんている。 合 Ⅷ吻 の 生 増えつづける傾向 ノイローゼ性の登校拒否の研究は、以後、日本てきわめて精力的に行なわれて今日にいたつ高 ている。児童精神科医てなくとも、精神科医ならおそらく誰もが一例や一一例の治療経験をもつ中 し、む理臨床家やケースワーカーの事例報告にも立派なものがたくさんあると私は思う。
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こんばい 睡眠が必要なことは日常の経験からどなたもよくご存じのところてある。疲労困憊して深夜に 帰宅したときには、厄介なことは一切イヤダ、と田 5 っていても、翌朝になれば、もういっぺん 払戦してみようという気持が湧いてくるのも、睡眠のおかげてあろう。ほんの短い午睡が、頭 をハッキリさせるだけてなく、ヤル気を回復させるのを経験された方は、中年や初老の人々の コンビュータを - フまく ってみれば畄というスー 中に少なからずいらっしやるはずだ。い 働かせるには、その人なりの、年齢相応の睡眠がいる。 食欲の有無についてはわれわれはすてにかなり注意をはらうように教育されているが、睡眠 の良し悪しについてはいま一つ関心がうすいのてはなかろうか。衣食足った今日てある。睡眠 にもう少し御注意を、と申し上げた、。 望まれる睡眠障害研究 うつ病が発症の最初期から睡眠の障害を示すことは、古くから知られていた。いつもより朝 の早い時刻に目が覚めてしまう ( 早朝覚醒 ) とか、眠りが全体に浅く、何度も夜中目が覚める ( 途 中覚醒 ) 。一九七〇年に入って終夜の脳波記録によってこれを調べる研究が出はじめ、今日すて 二定の知見が諸家によって確認されている。うつ病は単に気分が憂うつになるだけてなく、
病像が修飾されたものとみている。純粋の退却神経症とくらべると、よくなったり悪くなった りの波があること ( 少し専門的な表現をゆるしていただくなら「病相の反復性」のあること ) 、そして ときには抗うつ剤が、一時的にだが、効くこと、それから不眠や日内変動があることを挙げて 、「逃避型抑うつ」をまったく心理的な逃避とみるのは、それに たしかに広頼氏のいうように 苦しむ人たちに対して少し酷なように田 5 う。彼らの中の少なからぬ人はたしかに毎朝、理由の ない不安におそわれて寝床の中へ退却し、眠りの中へ逃げこんてしまう。そして「不思議なほ ど眠れてしまう」のてある。ただしそれは入院という環境変化て ( 少なくとも一時的には ) 消え る程度の根の深さしかない過眠てある。また小きざみな揺れがあって、日によって、週によっ て、ときには月によって比較的容易に離床てきることもある。その程度の過眠てある。 睡眠の重要性 睡眠の研究は、最近の進歩の著しい領域の一つてある。うつ病の睡眠障害だけてなく、ひろ かくせい く人間の睡眠覚醒リズムの乱れを医学的に研究する人たちが最近増えている。 睡眠が人間の精神機能にとってもつ重要生はいうまてもない。脳の機能をベストに保つのに 73 サラリーマンの場合
このノイローゼの研究に先鞭をつけたのは、先にも述べたようにアメリカの人だが、その後 1 の研究の質と量は日本の方が上だろうと思う。もちろんそれはそれだけの数の登校拒否児の発 生をみたからなのてあるが。 事実、昭和六十年代に入っても登校拒否の数はいっこうに減りそうにない。 文部省の報告書 をみると、昭和五十年前後に「学校ぎらい」は一時減少の傾向をみせたが、その後増加にうつ り、昭和五十五年以降は今まてにない高い率を示している。また、すべての長欠児童中に学校 ぎらいの占める率も年々高くなり、昭和五十七、五十八年にはついに五〇。ハーセントをこえて いる。また別の文部省の統計も、マスコミの話題になった「いじめ」や「校内暴力」は一時ほ ど多発しなくなりつつあるが、登校拒否の方はむしろ増えているという。 大規模調査とは逆に、一施設ての縦断的観察も参考になろう。児童精神科医・本城秀次氏ら のいうところては、昭和四十五年前後と昭和五十五年前後とをある大学病院外来患者て比較す ると、実数の増加 ( とくに男子に顕著 ) 、十三歳以下 ( 小学生 ) の割合の低下と十三歳以上 ( 中・ 高校生 ) の割合の増加 ( とくに女子に顕著 ) 、随伴症状として家庭内暴力の有意の増加傾向、腹痛、 頭痛の増加があったという。 一施設の統計てはあるが、だいたし 、世の治療家たちの印象と合致 しているのてはなかろ - フか せんべん
′、一」し」カタタいし J い - フ 女子学生にはない ( ? 忘れないうちにここてちょっといっておきたいのは、スチューデント・アパシーは今のとこ ろ男子大学生のノイローセたということだ。 女子には典型例をみないように田 5 う。もっとも今 のところぞあって、将来はわからない 今ても三年生て専門を決める時とか、四年生て就職か大学院かを考えねばならぬとき、さら には博士コースに入って結婚か研究かの二者択一を迫られるとき、無気力化する女子学生がか . なり・いるし J い - フ = 、も、′ \ しかし私の経験の範囲ては、一見アパシーにみえても経過を追うと、男子の場合とちがって、 感情障害、つまりうつ病に近いケースが多くなる。高学歴女性の場合については第四章てまと 合 めるつもりてある。 の 生 学 大 好転するケースも多い ては、退却神経症的大学生はどういう運命をたどるのか。原則として軽いケースのそれは悪