を意に介せぬこと、加えて自分が自分について抱くイメージが尊大てあることによる。ひらた くいえばその外見は柔和て、したがって態度は決してデカくないのに、その内的自己イメージ は亠忌外にデカイからてある。 この感覚は長期留年生となった後も微妙につづく。そして例えば、「自分がほんとうにどうか しようとすれば、今の状態に終止符をうてる」という現実離れした楽観をはぐくむ。この楽観 は、第三者の心配をよそに彼に「ヌケヌケ」と留年をつづけさせるのに一つ、あずかっていよ もっともこの「ヌケヌケ」を十分に説明するためには。、 ーソナリティの分割とよぶカ動機制翹 の を考慮に入れる必要があるが、このことにはすぐ後て言及したい。 快 無 自己不確実「状態」の人 関 スチューデント・アパシーの病前生格についての入念な言及は山田和夫氏の論文にもある。無 彼は、人間的な自信のゆらぎ、強迫傾向、退却と結びつけると、どうしてもシュナイダーの「自力 気 し」い - フ。ここには強・退刑亠無 己不確実者」 ( ゼルプスト・ウンジツへレ ) という概念を無視てきない、 と敏感型の二種があり、互いが流動している。しかもこれとうつ状態との区別がっきにくいこ
輛自己愛とエゴイズムー・ガラルダ 人生論・教育 旧自己愛と献身ーーー・ガラルダ 水上勉☆ 期生きるとい、つこと 鈴木鎮一 森有正愛に生きる いかに生きるか 薊を ~ 一 ) レ」レし 1 子どもをのばすーーー・若狭蔵之助 森有正自由教室 2 者ごんること ・リノ 永畑道子 孤独を生きぬく 9 愛すること 西部邁 三浦綾子新・学問論 離けるにのための 磯部忠正爲大学でいかに学ぶかー増田四郎 4 人生 - - 渡部昇一 風間研ドイツ留学記 大恋愛 自分らしく生きるーー中野孝次 人生を励ます言葉ーー中野孝次 ひたむきに生きるーー・澤地久枝 ・エヴ . アレッ -z ー 切Ⅲりよ叭 すること ~ 右さに贈る 松下幸之助 いきいきと生きよ、ーー・手塚富雄 弸生きるための幸福論ー加賀乙彦 ☆ 黒井千次 働くとい、つこと 企業のなかで 山田雄一 黒田清 新聞記者の現場 兄小林秀雄とのーー・高見沢潤子 2 対話 岩田慶治 自分からの自由
か、四十五歳のヴェトナム戦争経験をもっ会社重役といった例があがっている。 遅ればせの青年期 ぞは、なぜ男女を間わす彼らは青年期に悩まないて、中年になって青年的悩みを露呈させる 、くつか考えられる。 のか。答はむすかしい力し 一つは「遅ればせの青年期」がこの年齢になってはじめてやってきたという考え方てある。 青年期的課題 というのは簡単にいえば自立の苦しみなのだが、たまたまその人の青年期にそれ いってみ を敢てしないてもすませられる好条件 ( 見方によっては悪条件 ) が揃っていたために、 ればカードをきらないてハスした。 たとえば経済的な裕福。長寿社会はかくしやくたる祖父が八十五歳て、父が六十歳て、自分 が三十五歳といった組合せをそこら中に見出させるようになっている。父さえ六十歳てなお〃部 屋住み〃てあれば、などて三十五歳の私に自立の課題の切迫性があろう。 ナくい稀よタレント性の持主てあることも、その外見に反し自立を遅らせる危険をもっと米 国論文などよく書いている。他人の賞讃はその人の自己愛性を満足させつづけ 元来肥大ぎ はたん みの自己愛拡大再生産させる。自己愛の破綻をこきざみに経験しておくべき青年期にそれが あえ まれ 182
これは登校拒否症の小・中学生が登校刺戟を与えられなければ、整然としているのと同じて かせ . に、が、刀 , わ あろう。しかし大学生は子供てはない。義務教育という枷の中にいるのてはない らす「大学をやめてどうする」といった脱学生の発想をもたず、いたずらに留年を重ねる。 「自分ても不田 5 義ご、、。 大学生の内省力を信じるなら、これはわざとしているのてはない。 つのまにかそうなってしま - フのた」とい - フ。 マイルドな自己分割 スプリッティング 私は右のスケヌケ性を理解するのに、近年の精神分析家が強調する「パーソナリティの分割」 ま一度 という防衛機制を援用するのが一番よいと思い、すてに第一一章てあらましを述べた。い かっとう 素描すると、彼の中のととが葛藤し合うかわりに、彼は < の状態との状態を別々にもつ。 いってみれば 勉強しなければと田 5 っている部分と、熱心に副業に専念する部分との間に、 薄い膜を介在させる。そうすることて、 << との葛藤の深刻さを避ける。精神分析家たちはこ の現象をある種のパーソナリティ障害に特有の心理機制として詳しく記述した。「境界パーソナ リティ障害」とか「自己愛パーソナリティ障生〔」がそれにあたる。 これは卓見だと私は思う。われわれもここ十余年、都会の病院てしばしばみうけるようにな 204
ンパスに出てこないことのもたらす欠陥は小さくないだろう。 ある学生が、少しよくなってきた時、友人たちの助力に感謝してこういったことが、私の印 象にのこっている。 、、、 ' : ものと田 5 ったことは今まてになかった。恥ずかしいが、今まて同 友人かこんなにありカナし 年輩の友人をどうしても競争相手以上に見ることがてきなかった。人がこんなに自分のことを 案じ、献身してくれるのをみて、自分もお返しをしなければ、と思っている、と。 もちろん右のようにいえる人の自己愛はそもそもそんなに障害されたものてなかったという 吉昏して立ち直った大学生もいた。 友人関係の希薄さを修復するという意味もあろうか、系汝 一くいという苦労 かし、本文中ても述べたが、自愛性がつよすぎると、なかなか女性に出会い ( もある。 第五は、前項て述べた「陰性の行動化」による攻撃のこと。彼らは直接の攻撃には出ないが、 誰もが ( 自分さえ ) 予期しなかった退却によって周囲の人々の期待をうらぎり、困らせるという 間接攻撃を行なう。両親や教師や友人は、この間接攻撃に耐えかねて、やがて彼を見はなそう とする。治療家の注意しなければならない一点てある。 202
ってさえ、それても休養はしたくない。さしあたっての治療がおわれば、まるてコックビット からとび出す競走車のように全力疾走することを、モットーとする。 ーン・アウト 「えっき人間」というのがある。燃焼しきってダウンする これもアメリカ由来の言葉だが、 のを ( 無意識に ) よしとする男性美学の人。しかし過労とストレスの悪循環に陥りやすく、その 過剰ともいえる自負、自信が自己管理を不能にする人てもある。 ストレス処理の三つの方向 ところて、同じ人間ても何とストレスの処理の仕方のちがうことか。年齢、匪、性格、能力、 生活水準等々の差がもちろん関与しているとしても、それにしてもいろいろてある。 私はひとまず今のところ、自分たちの知識や治療経験を下敷に、心理的ストレスを人間が発合 散するのに三つの方向がある、と考えている。まったく整理のためのひとまずの仮説てあって、 6 すてに何度か書いたことだが、もう一度簡単に述べることをおゆるマ それ以上のものてはない。 し願いオし 次ページの図はそのことを示す略図てある。まず時計の十二時の方向は、心理的ストレスをサ 「心の中て悩み」ながら解消していくやり口をあらわす。たとえば、上司から不当な叱正をうけ しっせい
「誇大自己」の心理 いま一度スチューデント・アパシ 1 論をふりかえってみる。 . アパシ 一」 , フい - フ見方」、もし」に、 ーといっても、後期青年期のモラトリアムという概念の範囲内てみてもよい程度の〃道草みの 人から、山田氏のいう〃吹きだまり〃に数年間も身をおいている学生まてあり、前者を私は「準 神経症」タイプ、後者を「境界例」タイプと、かってよんだことがある。 「準」神経症というのは、昔から知られる神経症 ( ノイローゼ ) ほどの障害てはないと思ったか らだったが、今日の知識をもってすると、軽いが自己愛。ハーソナリティ障害の人だったかもし 一寸見にはしばしば れない この人たちはつねに第三者の評価を求めてやまない性格だ 人をひきつけるスタイルをもち魅力を発散している。その人あたりの良さを好感しすぎて、実 この人たちの一見の適応の良さは、精神病 際より軽くみて「準」神経症としたかもしれない。 合 場 中心の精神病理学に慣れてきた精神科医の眼をあざむく可能性があるだろう。 の 生 そういえば、ある退却神経症の学生はこういう。 学 「何をしても、自分の欲求と社会の良しとするところがピッタリ一致していた。どうして私の大 くんだろうと何度不田 5 議に田 5 ったことか。小学校高学年の頃からそうだ 場合こんなに - フまくい
ーソナリティ障害とは 「境界パーソナリティ障害」と並んて、もう一つ「自己愛。ハーソナリティ障害」という新し、 カテゴリーを、一九八〇年に出版されたアメリカの教科書が載せていて、関係者の間てはちょ っとした話題になって今日にいたっている。この二つの新しいカテゴリーの相互関係について は、必ずしも諸家の意見は一致していないが、自己愛パーソナリティ障害は境界パーソナリテ イ障害よりは一段軽いものという見方に、私は与している。 以上、要するに退却神経症も境界パーソナリティ障害も、ともに、「アイデンティティの障害」 アンへドニア スプリッティング 「空虚感」「無快楽」 ( もしくは「快体験の希薄化」 ) そして「自己分割」の四徴候を共有している。 しかし退却神経症は、境界パーソナリティ障害のように、対人関係ての派手な乱れを示さない。 はじめから静かに引き下ってしまうから、対人関係の乱れがみえにく を困らせるにしても、陽性てはなく陰性の行動によってする。 5 自己愛パーソナリティ障害 くみ いのかもしれない。周り 114
ったと思 - フ」 人間のルールの外にいるよ - フに田 5 えた」 「俺は別 4 に 「今まて実行しようと思ってやれなかったことは ( 少し不遜ないい方ておそれ入りますが ) ひとつも なかった。それがこの年になってはじめて〃運命みの名にふさわしい困難に出会った」 「五を十にみせることのてきた、いわゆるしつかり者の自分にとうとう正体の暴露するときが いずれはそうなるはずという気持を大学生時代からすっと心の奧にもっていた」 リ・ことい , フむ理なしに生き - ん と、 - フ。誰だって「自分は特男オ」 右のような心理を「誇大自己」し ないのだが、その戯画的肥大とみていたたいてよかろう。 早すぎる老成 右のように、 しうと、しかし何だかちょっと彼らにわるい気がする。彼らはたしかに無為によ って周囲の者の期待を裏切りつづけるのだが、実際に話し合ってみると、なかなか面白い人、 思慮のある人という一面も持っている。自己分割によるどちらか一方の彼は意外に成熟してい る。み : フい - フ - 象 : フける , し」 40 ト′ \ ・一のる そういう面に注目されててあろう、スチューデント・アパシーの青年の心の中に早すぎる老 ふそん 120
自己愛パーソナリティ障害の方は、境界型ほどはなばなしい行動上の乱れの少ない点て、よ り軽度の障害のようにみえる。が、内心にはなかなか修正されにくい誇大な自己イメージをも ち、他人を愛したり他人に献身したりということがなく、逆につねに他人に賞讃され愛される かっこう ことを当然のこととして求める。 いってみれば、格好はよいが、正真正銘の〃わがまま人間〃、 わが道を行く人間てある。 この人たちの社会適応力は、ときにきわめて高い。しばしばタレント性をもっていて、それ ゆえに賞を得たり人気者になったりする。それによって自己愛はいっそう満足させられるとい はたん う悪循環が成立して、深刻な破綻がくるまてウィーク・ポイントはかくされたままにとどまる。 言ってみれば、そういう二十世紀後半型のわがままパーソナリティてある。 慧眼にも小此木啓吾氏は一九八〇年に早くも『自己愛人間』という啓蒙書を書いて、映画の 登場人物を借りながら軽妙にそういう傾向のある都会人を描写した。東京という大都会にいか にも似つかわしい ーソナリティというべきてあろうか 右のような新しいパ ーソナリティ障害論は、表面的なっき合いてはまったく整然としている しようどう インテリが、その実生活ては相当の適応障害をもっていて、そこては衝動抑制力の低下による社 会行動の乱れが主なる障害てあるような、そういう〃神経症みの存在をわれわれに教えている。 けいがん こだい 118