のだ。そういってはじめて母に反抗した。 中、高、大学と運動部に入っており、それほど元気のない人てはなかった。 親戚に教師を業とする人が多く、高校時代から自分も教師になろうと決意していた。 自殺の前日、遠足の下見に行くと、笑って母にいっていたという。当日も平常どおり出勤。 ただし登校せず、そのまま自殺をはかる。 生きる意味の消失 青年の例も中年の例も同じてある。見事なまてに完全かっ直行の退却てある。無気力という 中間項ぬきの直行てある。一言いってくれてもよくはなかったか。そう母も思えば、友人も思 う。われわれ精神科医も田 5 う。稀にたカ糸汝 士ロ昏式を目前にして突然自殺する青年がいる。自殺 が痛烈に他人を傷つける事実を見せつける一つの例てある。 私の今まての経験によれば、この人たちは私たちのもつ「うつ病」の診断基準をみたさない けれども、しかし未来の自分に対する自信を失っている。自殺まてはかるのだから、当然そう 十年目に突然自殺をはかったある人がいう。「いつの頃からか、このまま行けばいずれ自分に まれ
こうした失踪者の行方はさまざまてある。 ごく近くのサウナや旅館に身をびそめていて、まもなく不本意にもみつかってしまうタイプ の人。車中泊をしながら、意外に自宅の近辺をぐるぐる廻っている人。 遠くの大都会て、人目にふれない仕事をしながら細々と生きている人。さすが大都会てある。 2 \ 、ら -•.Ø亠のる、らし、 彼らを隠れさせるスポットはい しかし、彼らも二、三年すると捨てた家族 に自分から手紙を出したり、あるいは家族の出した新聞広告に意外にすばやい反応を示すこと がある。帰心が熟していたのだろう。それにしても二、三年は長い。この間に仕事熱心だった 彼のことを人々は忘れてしまう。 、る。初手からの 逆に地方の目立たぬ場所て、新しい家族をつくっている人も、稀にだがし とうひこう 愛人との逃避行てはない。 目立たぬところにいるうちに、田 5 わぬ仕方て定住してしまった人て合 場・ の ある。初老の人にもある。小説より奇なり、というところか。残された家族の心は癒えぬ。 ン しかし、何といってもイヤなのは、失踪が自殺につながる場合てある。右に述べたところかマ らもある程度おわかりのように、失踪自体がただちに自殺につながることは、それほど多くはリ サ 十ノー、 さいわい自殺未遂におわった人にきくと、その時は「その場からはなれる」ことが目的て、 まれ
少なくとも典型的なうつ病とはち しかし、この退却神経症的自殺志向者はうつ病てはない。、 。。、よ、うつ病の人 がう。自殺未遂の人たちに会って話をきいた限りてはそう田 5 う。一番のち力しー この人たちは職場をはなれ は苦しいものたから、どうかしてほしいと人に救いを求めるのに、 いや求めることをいさぎよしとし れば苦しくないということもあって、人に救いを求めない ないというべきか。自分の困難を人に相談することて解決しようという相互扶助的発想をほと んどもっていないこと。結果としては自殺することて大迷惑をかけるとわかっていても、人に いろいろ相談して助けを求めるよりは、その場を自分が去ることを選ぶ。 そういえば、大学を卒業し就職する前後にも理由のない自殺がある。かってこの時期の青年 の謎の自殺を後追い的に調べてみたことがあったが、結局理由はよくわからなかった。その中 合 から一例を引用してみよ - フ。 Ⅷ吻 の 高校の先生として就職三週目、自宅から少し離れた林の中て決行。二十二歳、男性。 ン きようだい 男三人同胞の末子、おとなしい、やや内向的な人。勉強もてき病気もせすといった具合て、マ おうせい きちょうめん たいへん几帳面、責任感旺盛てあった。 手のかからない人だった。ただ間違ったことが嫌て、 一つエピソードがあった。中三の時、風紀委員となり、不良て評判の悪い子とっき合い出しサ た。そのことを知って母が注意すると、悪い子だからこそ友人になってあげなくてはならない
う退却とははじめから異なったものてある。 治療現場からの報告 「陰性の行動化」 彼らを治療することはてきるのか。ノイローゼてあって精神病てはないから、気持ちのもち よ - フ一つてど - フにてもなろう。そうお思いの方もあろうが、現実にはなかなかそ - フいかない。 最大のガンは、彼らが自分から積極的に救いを求めないことにある。その理山は、「退却」が行 動化 ( アクト・アウト ) ぞあって、それ自体内面の苦脳体験からの、行動による脱出という構造 をもち、したがって本人は退却しているかぎり、苦しいという体験を痛切にはもたないてすむ 合 場・ よ - フになっているからてある の 彳動化 ( アクト・アウト ) というときは、ふつうは、家庭内暴力だとか物を盗むとか性的に平生 素にない乱行をするとか、自殺をはかるといった、ヒステリーこ ( 近い、外見の派手なことがら大 カ多いのたカ、ここにあるのは無断欠勤するとか家出するとか無関心をきめこむといっこ、消 7 3
オふん、この無快楽は離人神経症の人の離人感 与えないとみえて、自分からは訴えられない。こ、、 情とは似て非てあろう。 むしろ、この無央楽は離人感より ( 精神病と神経症の ) 境界領域の病理としてしられる「境界 例」 ( ボーダーライン・ケース ) にしばしば出てくる空虚感に近い。この空しさの感覚については 第二章一〇八ページて触れた 無気力・無感動・無快楽と無ずくめを標語にする理由の一つは、「陰性の行動化」という ことを明示したいからてもある。一般的にいって、神経症性の不安を解消するのに行動面への 発散をもってする方法があるが、攻撃をあからさまにするとか、ギャンプルにうつつをぬかす とか、酒におばれるとかくりかえし自殺をはかるといっこ頁性 . 陽性の行動化てはなく、何 もしないという行動化もある。それも、社会生活のなかのある限定された部分て、何もしない 何もしないということが行動化の一様式としてありうることを、退却神経症は何よりもよく、 われわれに教えたともいえる。 もっとも、中・高校生の登校拒否者がときにみせる母や父のみを対象とする退行的攻撃、大 学生のアパシーの人にときにある自殺か事故かわからない妙な出来事、サラリーマンがくりか しっそう ーししカオしカこれらは退却神経症の基本からい えす小失踪といった一丁動は、もはや会性とよ、、、、。こ、、、、、
こういう人の自殺は、根の深い自傷衝動によるのてないから、何か一つ条件が欠ければ実行 この人た されない。自殺予防という立場からは、助けがいがある。しかし何度もいうように、 ちに人に訴えないという特徴がある限り、発生をゼロにすることはなかなかむずかしかろう。 先に御紹介した産業精神科医・藤井久和氏は、この種の職場の自殺について正当にも次のよ 自殺を決行直前て止まることのてきた人の話をきくと、自殺するという明確な意志のないま たんらく ま、「疲れた」「楽になりご、 オとだけて飛びおりる。短絡反応、近道反广 いというより、死に魅せ られたという方があたる。その意味ては本当の自殺といえるかどうか、と。 5 ーーー中年期の軽症うつ病 生物的エネルギーの低下 先ほどから何度も出てくるように、退却神経症は、「うつ病」とまぎらわしい点をいくつか持 っている。だから、どうしても、ここて一項をさいて、退却神経症と対比しながらうつ病につ
死ぬことをすてに考えていたわけてはないという。しかし、家人や同僚にまったくさとられな しょ - フにスーツと消えてしま , フ彼らに、自己抹消の意志がまったくなかったとは信じがたい。 日がたつにつれ次第に自殺の意志は自覚にのばり出す。 多くの人が、自殺決行まてのしばらくの時日を、おどろくべきことに、 大きな動揺なしに、 こんじよ、つ したがってまわりからけどられることなしにすごす。ときには今生の慮い出にと名所旧蹟を旅 行してまわる人もある。それを日記としてしたためる人さえいる。遺聿日も圭日く。キャッシュ カードてお金を引き出し、それがなくなる時を自殺決行の時とさだめる。 救いを求めない人たち 中年の人の自殺というと、精神科医はふつう「うつ病」を思う。未治療のうつ病、医療に何 らかの理由てのることのてきないているうつ病患者、少し早く治療をきりあげすぎた人。そう いう人の中に、自殺を突然はかるということが時々ある。 ったん冶療という軌道にのってし まうと、自殺を決行するということはうつ病ては意外に少ないのたか、右のような場合にはあ る。これは将来、もっと精神保健の知識が普及し、精神科医や心身科医も増えれば、防げる可 能性かある。
おちいるような、あるいは世をはかなまないわけにいかないような出来事に出会ったがための いんとん 一ドル一二〇円台の 退却てあり隠遁てあるなら、必ずしも精神科医のロ出しを必要としない。 時代てある。もう後もどりのてきない高度工業社会、管理社会のわが日本てある。生き馬の目 を抜くのがカプトチョウだけてはない競争社会てある。当然、理由のある退却は珍しくないだ ろフ しっそう しかし、さしたる理由なしにおこる欠勤多発、長期留年、失踪、自殺企図となると、精神科 医としてはどうしても気になる。しかも、彼らの今まてのしつかりした生き方や性格から不連 せんさく 続な、理解しにく、 し退却となると、何がこの不適応現象を生むのか、詮索したくなる。 何 新しいタイプのノイローゼ 神経症 ( ノイローゼ ) とは、御承知のように、人間が社会環境にうまく適応てきす挫折したと きにおこす心理的反応て、それが正常範囲を少しばかり ( 大きくてはない ) こえた場合をいう。経 あたりまえのことのように、われわれは毎日自分の社会生活を何とか送っている。子供は子 退 供の、学生は学生の、サラリーマンはサラリーマンの、主婦は主婦の、老人は老人の社会環境 よくもまあ、 - フまく適応して生きていること力もちろん、しばしばちょっとし ' ズ
( 38 ) ( 39 ) 鷲見たえ子ら / 学校恐怖症の研究 / 「精神衛生研究」八、二七ー五六 ( 一九六〇 ) 高木隆郎氏による 高木隆郎ら / 長欠児の精神医学的実態調査 / 「精神医学」一、一一九ー三五 ( 一九五九 ) 高木隆郎 / 登校拒否の心理と病理 / 「季刊精神療法」三、 二一八ー一一三五 ( 一九七七 ) 高木隆郎 / 登校拒否と現代社会 / 「児童青年精神医学」一一五、六三ー七七 ( 一九八四 ) 若林慎一郎 / 『登校拒否症』 ( 一九八〇医歯薬出版 ) ウォルターズ石井完一郎ら訳 / 「スチューデント・アパシー」 ( 一九六一 ) / プレーン・マッカーサー編『学 生の情緒問題』 ( 文光堂 ) 渡辺久雄・笠原嘉 / 「高学歴青年の自殺」研究への一寄与ーー理由なき自殺について / 清水将之・村上靖彦 編『青年の精神病理 3 』 ( 一九八三弘文堂 ) 山田和夫 / スチューデント・アパシーの基本病理ーー長期縦断観察の六〇例から / 平井富雄編『現代人の心 理と病理』 ( 一九八七サイエンス社 ) 山田和夫 / 大学生と性 / 笠原嘉・山田和夫編『キャン。ハスの症状群』 ( 一九八一弘文堂 ) 229
あるかもしれない。何といっても誕生直後から子供の至近距離にいた人なのだから、その影響 ほにゆう 力は無視てきない。多くの哺乳動物にくらべて明らかに早く生まれすぎたといわれる人間の赤 ん坊。そのまったくの無力さ、よるべなさに絶大の影響力をもって傍にいる母親てある。お母 さんが大事なことはいうまてもない。 しかし、お母さんが登校拒否症をつくり上げるということはないだろう。子供の側の素質、 性格もある。先にも述べた完全主義傾向のいささか早すぎる完成などは、素質的なものをぬき にしては老 / んに 。その上、高学歴志向を促す世間の潮流は、すべての母親や父親を超えた むこう側にある。自分だけが自分の子供をそのような社会の流れに反逆して独自に教育する。 結構なことかもしれないが、たぶんそれは大人の自愛的幻想だろう。 ノイローゼの原因は多元てある。学説があいまいなのてはない。 人間が適応する「現実」そ れ自体が多元て、多様な顔をもっからてある。だから、お母さんがわるい、学校がわるい式の こい - んる・ごろ - フ 評論は不毛て、同じことが父親説 ( だから、家庭に退却神経症やャセ症の人が出たからといって、 いたすらに自分を責めすぎな いよう願しオし 。自分を責めるよりも、家族療法、家族カウンセリングに参加する道を考えて しなぜなら、お母さんは子供の退却の原因てはよ : : オしカ家族療法のためにはどうしても 154