点 - みる会図書館


検索対象: 点と線
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1. 点と線

説 ルの推理小説を書きだした、といえないこともないのである。いま鮎川哲也のことはしばらく措 き、松本清張に限っていえば、私がはしめて『点と線』を読んたとき、こりやクロフッ張りで、 しかもクロフッより新しい、と感心したものである。単行本になった『点と線』を読んだのは偶 然のことにすぎないが、以来私は松本清張の推理小説の読者となった。このことについては、 すでに私は書いたことがあるが、ここでもう一度くりかえさないではいられぬのである。たた一 言訂正しておけば、私は松本清張の作品として『点と線』をはしめて愛読したわけではないとい うことである。筑摩書房が〈太陽〉という新しい型の総合雑誌を昭和三十二年十月に創刊したと き、松本清張が起用されて、『ゼロの焦点』が連載されはじめたのである。たまたま私はその しっそう 『ゼロの焦点』を読み、新婚生活にはいったばかりの男が失踪したという発端の暗いムードに惹 かれて、毎号読みつづけたのだが、数号にして《太陽〉が廃刊となり、残念な思いをした経験が 解ある。おそらくその経験が私をして『点と線』を読ませたのだろう。その点をここに訂正してお きたい。 ここで「アリバイ破り」という推理小説の作風について一言しておけば、推理小説のポイント は真犯人は誰かにつきるわけだが、「アリバイ破り。の作品では、最初からあるいは途中から完 璧なアリバイを持つ人物が真犯人たることは暗々裡に読者に前提されているのである。つまり、 真犯人は誰かという作者と読者との知恵くらべをきそう知的ゲームとしての推理小説の建て前か らいえば、「アリバイ破り」の推理小説は変則的であって、鉄壁のアリバイをいかに探偵が歩一 223 ひ お

2. 点と線

ろしい運命が自分たちの前に待ちかまえていることなど夢にも知らない。それをまちがいなく何 時何分に一緒にプラットフォ】ムを歩かせるような工作を、どうして男女に強いることができた か。この一点が合理的に説明されない以上、『点と線』全編のプロットは、その針の穴ほどのキ どほうがかい ズから土崩瓦壊する危険もなぎにしもあらずである。 といえば誇張にすぎるが、すくなくと もその点の説明を、作者がうつかり忘れていたことだけは、指摘されねばなるまい。実をいえば、 よく出来た推理小説のキズを指摘することほど、読者の虚栄心を満足させることはないのである。 私は『点と線』を最初に《東京新聞》紙上に書評したときから、このキズについては、すでに一 度ならず書いているのだが、やはりここでも書きとめておく次第である。最こ 彳冫いたって、この 真犯人は妻と共犯関係にあることも判明するから、プラットフォームの舞台裏で、犯人の妻が顔 みしりの男女を指定の時間に一緒に歩かせる工作をするくらい、さして困難ではないともいえよ 解う。ただその点を作者は度忘れしたか思いちがいしたまでだろう。そういえば、クロフツの有名 な処女作『樽』にも論理上かなり重大なミスがあることは、今日よく知られている。 最後に、松本清張が推理小説の領域に新風をひらいた作家的必然性について、一言しておきた 。すでに文壇的処女作『或る「小倉日記」伝』に明らかであるが、松本清張は処女作以来あた ら能才をいだきながら下積みの世界に埋れねばならなかった不遇の人々になみなみならぬ作家的 関心を持ちつづけてきた。生理的な劣等感を持っていたり、社会的に孤立していたりしながら、 胸中にこの世の中をみかえしてやりたいという熱烈な現世欲をいだく、孤独で偏執的な人間の生 たる こくら

3. 点と線

点 歩と破ってゆくか、に読者の興味は賭けられているのである。作者と読者とではなく、探偵と犯 人との知恵くらべのスリルや意外性を読者は愉しなわけである。そういう「アリバイ破り」の推 理小説として、はじめて『点と線』を読んたとき、こりやクロフッよりも新しいな、と私は感、い したのである。 クロフツはフレンチ警部 ( のちに警視に昇進する ) という試行錯誤をくりかえしながら、ねば りづよく足で調査することによって歩一歩と真相に近づいてゆく凡人型の探偵を創造したのだが、 さんたん 線奇想天外な真犯人を案出すべく苦心惨澹するあまり、天然自然な人間性など苦もなく無視する偏 向のあったいわゆる本格的な推理小説に、はじめてリアリズムの新風をもたらしたといわれてい る。ほぼおなじことがわが松本清張についてもいわれよう。なぜ殺人罪を犯さねばならなかった かという動機づけにおいて、従来の本格派推理小説はともすれば人間性を無視しがちなところが あったが、松本清張は犯行の動機づけにリアリスティックな状況設定をおこなって、わが推理小 説界に文学的な新風をもたらしたのである。しかも、私がひそかにクロフッより松本清張の方が 新しいと思ったのは、犯行の動機づけをクロフツがつねに個人悪に限定しているのに対して、松 本清張は個入悪と組織悪とのミックスしたものに拡大している点である。この点において松本清 張は明らかにクロフッより新時代である。松本清張の推理小説以来、社会派推理小説という新造 語が流布されたのも、そのことに由来している。 そこで【『点と線』のどこに私が感心したかを、もうすこし具体的に解説しておきたい。推理ホ と 224

4. 点と線

点 解 『点と線』は昭和三十二年二月から昭和三十三年一月まで雑誌《旅〉に連載されたもので、推理 小説としては松本清張の処女長編である。同年四月からは『眼の壁』を《週刊読売〉に連載し、 線また、同年十月からは雑誌《太陽〉に『ゼロの焦点』を連載するなど、著者はこの三十二年度に 推理小説の長編三本の連載に着手し、あるいは完結させている。長編だけではない、『地方紙を やみ と買う女』『鬼畜』『一年半待て』『捜査圏外の条件』『カルネアデスの舟板』『白い闇』などの推理 小説あるいは犯罪小説の短編群を精力的に書きついでいる。のちに社会派推理小説とよばれるよ うになった新しい文学工コールは、実質的にはこの昭和三十二年度から開始された、というべき へきとう だろう。その劈頭を飾る秀作が『点と線』にほかならぬのである。 ところで (. 『点と線』は推理小説のなかではいわゆる「アリバイ破り」というジャンルに属す つまび る。この「アリバイ破り」というジャンルをたれがいちばん最初に工夫したのか、いま詳らかに しないが、すくなくとも「アリバイ破りーというジャンルの推理小説の秀作を多数書いた作家が、 イギリスのフリ ーマン・ウイルス・クロフツであることは、ゆるがぬ文学史的定説といっていし あゆかわてつや 客観的にはわが松本清張も鮎川哲也も、クロフツの影響のもとに「アリバイ破り」というジャン 222 説

5. 点と線

線 うれしい勘違いをされて、よけいなことを書いたように思われるかわかりませんが、じつは、 せんこう この偶然なことで、私は不意に啓示を得たのです。私は、はっとしました。頭の中に閃光を感じ たとはこのことです。二階にあがり、注文のコ ] ヒーが来ても、しばらくそれが見えませんでし たよ。 女の子は、私たちがいっしょに店にはいって行ったからアベックと間違えた。普通です。誰で もいちおうそう思うでしよう。事情を知らないから、二人でならんではいった位置から早急に判 と断したのです ) これでした。暗示となったのはー 私たちは、失礼ながらあなたをはじめ、貴署の方々もふくめて、佐山とお時とがならんで死ん 点でいるから、情死と判断してしまったのです。私は、今、それを知りました。二人は別々に違う 場所で死んたのです。死んでしまってから、二つの死体を一つところに合わせたのです。おそら く、佐山は誰かに青酸カリを飲まされて倒れ、その死体の横に、これも誰かによって青酸カリを 飲まされたお時の死体が運ばれて密着されたのでしよう。佐山とお時とはばらばらな二つの点で した。その点が相寄った状態になっていたのを見て、われわれは間違った線を引いて結んでしま ったのです。 男と女とが抱きあわんばかりにして、くつついて死んでいれば、たたちに「情死」だと認定し 207

6. 点と線

点 「ああ、電話のある事務所や自宅は電話で問い合せてもいいよ。確かに本人がその飛行機に乗っ たかどうかを念を押してきくのだ」 主任はその後で、三原を見て言った。 「しかし、これが割れても、またまだ難物があるな」 「船の方の乗客名簿ですね」 この壁はがんこにふさしてした。。 、。、、ひくともしないでいる。三原の攻撃をがっちりと受け止めて 線仁王立ちになっているようであった。 が、三原の頭には一つの暗示がかすめてすぎた。飛行機と船と、妙に名簿がまたがっているで とはなしか。両方に名簿という相似がある。・これはまたしても錯覚であろうか。共通点というとこ ろに観念が引っかかって錯誤に誘いこまれる危険はないか。 三原が変な顔をして黙ったので、主任が、 「どうした ? 」 と言った。 「あの方はどうですか ? 」 三原は逆に別なことをきいた。 「うむ。じつは咋日、検事さんに呼ばれたー 主任は低い声で言った。 174

7. 点と線

点 221 ( 注 ) 本文中の列車、航空機の時間は、昭和三十二年のダイヤによる。

8. 点と線

佐といっても、長い間、実務にたずさわってきた男で、行政事務には明るいのです。したがって、 こんどの事件にも大きな役割を演じています。その点では、参考人というよりも被疑者に近いで しような。ただ、われわれがうかつだったのは、まだ事件の当初だったので、彼の監視が十分で なかったことです。そのためいうかうかと死なれてしまいました」 たた 三原は、煙草の灰を指で叩き落して、つづけた。 「しかし、彼の死によって、助かった顔をしている者がずいぶんいますよ。じっさい、調べれば 線調べるほど、佐山の口から聞きたいことがいくらでもあるのです。ほんとに惜しい証人を死なせ てしまいました。悔んでも追っつかないくらい残念です。佐山の死は大打撃です。たが、われわ とれがくやしがっている反面、こおどりしている者があるわけです。佐山はその連中をかばって死 んだのでしようが、近ごろ、彼の死に疑惑を起しています」 点「疑惑 ? 」 「つまり、彼の死は自発的なものではなく、他から強制されたのではないか、という疑いです」 島飼は、三原の顔をしっと見た。 「何かその形跡があるのですか ? 」 「はっきりしたものはありません」 三原は答えた。 「しかし、遺書がありません。たしか連れの女にもありませんでしたね」

9. 点と線

説のネタを割るような解説は厳につつしむべきだが、さきにふれたように、この長編は「アリバ イ破り」の作品で、真犯入は途中から読者にもハッキリしてくることではあり、あえてもうすこ し具体的に語っておきたいのである。私が感心したのは、まず第一に心中というかたちに偽装し た殺人という巧みな方法であり、第二にその殺人の動機を汚職にからませた状況設定の新しさで みやぶ ある。別々に毒殺した男と女とを一緒にならべておけば、誰しもそれを偽装心中と看破ることは 困難である。男には汚職摘発の危険が迫っており、相手の女性は水商売の女ということになれば、 かんべき その偽装心中は一見完璧にちかい動機づけを持っことになる。しかも、その男女が一緒にならん で特急列車に乗りこむすがたを、たまたま女の同輩が目撃したとしたら、彼らの情死行というデ まして、その男女が心中死体として九 ータをひっくりかえすことは、ほとんど不可能にちかい ぜん 州の海岸に発見されたとき、偽装心中のお膳たてをした真犯人は北海道にいたというアリ・ハ 解 ( 現場不在証明 ) を持っているとしたら、完全犯罪にちかいその知能犯に挑む探偵の惨澹たる辛 苦は、察するにかたくない。しかし、東京と九州にわかれた二人の探偵は、その鉄壁のアリ・ハイ を、歩一歩と打ち破ってゆく。『点と線』の主眼は、いわば不可能に挑みかかるその「アリバイ 破り」のおもしろさにかかっているのである。さきにふれたように、『点と線』における犯行の 動機づけは個人悪と組織悪との二重構造になっていて、アリ・ハイづくりの共犯関係なども、その 組織悪という新しい動機づけから無理なくひきだされているのである。松本清張の『点と線』を ひとつの画期として、推理小説界にいわゆる社会派的な新風のもたらされたのも、ゆえなしとし 225

10. 点と線

線 いるではないか。河西が嘘をつくとは思えない。 いや、疑間はなかった。札幌の旅館丸惣が玄関 おうみびわこ に安田を迎えたのは、二十一時ごろなのである。しかるに《さつま》はその時刻、近江の琵琶湖 畔を走っているころであろう。この論理と現実の矛盾をどうするか。 まだある。安田の主張を強力に証明する事実が青函連絡船の乗船客名簿の記載だ。これだけで も三原の仮説を粉砕する絶対の槌たった。 が、三原の心は負けなかった。それとたたかうだけのものを彼は安田に対して抱いていた。そ れは現象では説き伏せられない安田辰郎への本能的な不信だった。 「もしもし」 車掌が来た。電車は荻窪に着いていて乗客がいなかった。三原は降りて、そこから国電に乗り かえ、もときた方へ逆もどりした。 点 ( 安田はうまく作った。構築はがっちりしているように見えるが、どこか弱い一点がある。どこ だろう ) 三原は、窓の風を顔にうけながら、目を半開きにして考えつづけた。 四十分ばかりして彼の目は急に開いて、ゆらゆら動いている車内吊りのポスターを見つめた。 しかし、ポスターは化粧品の広告で、なんの意味もない。 三原は、あのとき函館駅で乗船客名簿を繰っているうちに、 xx 省の xx 部長石田芳男の名前 のあったのを思いたしたのである。 レ」 153