係長は笑いだした。 「そうかもしれんな。しかし、この女はそんなっきあいもできないくらい、胃がいつば、だった かもわからんな」 と軽口を言った。 鳥飼刑事は、何か言いたそうだったが、そのまま黙って帽子をかむった。それも古いもので、 っそう、精彩を加えたようで ふちが歪んでいた。その帽子によって、鳥飼重太郎なる人物が、い あった。彼は踵の減った靴をひきすって出て行った。 刑事たちの出はら「たあとの部屋の空気は妙にむなしく、がらんとしていた。居残った一人二 ひばち と人の若い刑事が火鉢に炭をついだり、ときどき、係長に茶を持「て行「た。 そういう状態で昼もすぎ、窓の陽ざしが薄くなったころ、どやどやと大勢の足音が前後して闖 点大してきた。 刑事連が帰ってきたのではなく、新聞記者たちであった。 「係長さん。 xx 省の佐山課長補佐が心中したのですって。いま東京の本社から逆に知らされて、 飛びあがったところですよ」 彼らは殺到しながら、わめいた。察するところ、今朝、署から打った電報で東京の新聞社がか ぎつけ、福岡の支局に急報したらしい。 線 かかと
点 「しかし、東京からその電報を打ったことがわかってもなんにもならないね、あたり前の話たか ら。これが福岡から打ったとなると、安田がその朝、福岡にいたことが証明できるので、しめた ものだがねー と三原はさえぎった。 「東京から打ったとしてもおもしろいのですよ。その時間に安田が自身で打てるはすはないから 1 線誰か代人を頼んでいるはすです。私は、その代人が知りたいのですよ」 「安田が使っている事務員かもしれないよ」 と「それは、ありえないでしよう」 「どうしてだ ? 」 「安田が札幌に行くといって出発したのは、二十日の午後二時ごろですからね。その日に打つな らわかるが、翌二十一日の九時ごろに打ってくれと注文したら、変に思われますよ。安田という ささい 男の性格として、些細なことまで注意深いですからね。それに彼は、自分があとで調べられるこ とを十分に警戒していますよ」 問答はそれでおわった。 しかし、二三日た 0 ての結果は、都なのどの電報局も当日、そんな電報を受けつけたことがな いことが、調べにあたった刑事たちから報告された。 192
193 三原は、自分の頭をまたなぐった。 線 ( おれは、なんといううかつだろう。受信局を調べたらわけはなかったのだ ) どうもこの事件では、頭脳が硬化してしまったようだ。 三原はさっそく、札幌署に調査を依頼した。 その返事は翌日にはいっこ。 点「その電報は一月二十一日八時五十分、青森県浅虫駅より発信された」 東京でも福岡でもなかった。とんでもない、青森県浅虫温泉からた 0 た。急行で行けば終点青 森駅の一つ手前の停車駅である。 三原は意外たった。 が、よく考えると意外でもなんでもない。東京から北海道へ行く道順ではないか。彼は、八時 五十分という発信時刻に注意した。時刻表を調べると、まさに上野発急行《十和田》が浅虫駅を 発車したばかりなのた。 と 福岡署からの回答も同様であった。福岡、博多両電報局とも受けつけていなかった。 三原は、。ほかんとなった。 ( 発信しない電報が届くはずがない。々 又、どこから打ったのだろう ? ) やっ あさむし
195 点 三原は、すぐに電話をとって、上野の車掌区を呼び出した。 「もしもし。 ^ 十和田》号に乗務する車掌さんで仙台・青森間はどこの車掌区ですか ? 」 「そりや、全部うちですよ」 と、返事はこともなげたった。 三原は警視庁の車をとばして、上野車掌区に駆けつけた。 助役という人に会うと、 線「今年の一月二十日の 205 列車《十和田〉ですね。ちょっと待ってください」 と勤務表を開いて調べてくれた。 かじたに と「梶谷という男です。いま、ここにいるはすですから呼びましようか ? 」 「。せひ、お願いします」 三原は期待に胸がおどった。 呼ばれてきた車掌はまだ三十そこそこで、いかにも気のききそうな顔をしていた。 こみなと 「そうですね。電報の内容はよくおぼえていませんが、たしかに浅虫の近くの小湊あたりで札幌 の電報を頼まれた記憶があります。たぶん、一月二十一日の朝たったと思います。その前後には、 その付近で電報を頼まれた覚えがありませんから」 「その頼んだ客は、どんな特徴の人かお・ほえていませんか ? 」 三原は、どうかこの車掌の記憶にあるようにと心に祈った。
点 と 189 れることがあるからだ。それだけ遅れたら、彼は札幌駅から小樽に逆行し、そこで《まりも》を キャッチするというような芸当は不可能になる。《まりも》に乗れなかったらホームに迎えに出 た河西にわざわざその汽車で来なかったことを証明するようなものだ。 思慮深い安田は、その辺まで計算に入れて「待合室で待て」という電報を打ったに違いない。 三原の目は喜びに燃えた。 ( やった ! ) と思った。安田の小細工が、かえって、彼自身が飛行機を利用したことを証明したようなもの ではないかー 三原は、興奮して外に出た。外の陽が強烈に明るい 待てよ、と三原は思った。安田はその電報をどこから打ったのであろう ? たた 三原は、とにかく、安田の北海道行きを叩くのが先決だと思った。 ありあり 安田の北海道旅行は、いかにも、後から調べられることを予想したような手が歴々と打ってあ った。《まりも〉の車内で北海道庁の役人と会ったのもそうだが、一番いちじるしいのは、河西 を札幌駅に出迎えさせたことた。河西にきくと、それは駅に呼びつけるほどの急用ではなかった というのだ。それでは、問題の電報はどこから打ったか。三原が札幌できいたとき、河西はその
囲《まりも〉に乗ることが可能 ) 、その指定の電報はどこから打ったかを調べました。それは二十一 日の朝、《十和田〉の乗客が浅虫付近で車掌に託送した電報でした。車掌は依頼の乗客をお。ほえ ていました。その人相から xx 省の石田部長と、随伴の佐々木喜太郎という事務官であることが わかりました。佐々木事務官が電報を渡したのです。 これで、びんと来ました。乗船客名簿には石田部長の名はあるが、佐々木喜太郎の名はないの です。佐々木事務官が安田辰郎の名簿票を渡して乗船したことに間違いはないのです。この随行 うかっ 線者のことに、まったく気がっかなか「たのは、われわれの迂濶でした。後のことですが、佐々木 事務官を調べてみると、半月前から乗船客名簿の用紙を安田が用意していたというのです。 乗船客名簿の用紙は、青森から乗船するとき、受付の窓口に、ちょうど、郵便局の電報頼信紙 のように何十枚も置いてあるから、誰でも勝手に何枚も取れます。これも石田部長が安田に頼ま 点れて、部下の北海道出張者に取って来させたもの、安田はそれに自分の名を書きいれて、ふたた び石田部長に渡したのです。安田と石田の関係は後で説明しますが、安田辰郎の自筆ということ にわれわれはーっ 弓かかって困惑したが、 トリックはこんな単純なものでした。 安田の北海道行きの間題はこれで消されました。つぎは、旅客機の乗客だが、これは乗船客名 簿の裏返しだと気がっきました。有の条件が無の条件と入れかわっているわけです。 とうじよ ) きやく 百四十三人の搭乗客を、もう一度検討してみました。その中から、名簿に記載してある職業を 調べました。われわれはある目標をもっていました。それでし。ほってゆくと、五六人に縮小され
点 電報を破ってしまって手もとにないということだった。発信局名も、うつかりして見なかったと 安田は二十一日の朝、福岡を飛行機で出発した。それでは福岡局か博多局か、板付の空港から 打ったのか、いやいや、そうではあるまい。用心深い安田のことだから、万一、発信局を河西に 読まれた場合を想定して、東京から打ったであろう。それなら、羽田に飛行機が着いて、札幌行 に乗りかえるまで、一時間の待ち合せ時間があるから、その間を利用して打ったのであろうか。 線だが、これは意味がなかった。なんとなれば、羽田に着けば、札幌行が確実に定時に出ること がわかったはずだからである。定時にとべば、間違いなく札幌から逆行して《まりも》に乗れる とのだから、待合室に待たせる理由がなくなる。何度も言うとおり、河西をホームに出して、自分 の姿がまりも〉から降りるところを見せるのが、より効果的なのだ。 ここで三原は手帳をひろげてみた。彼のメモしたところによると、河西の言葉として、「その 電報は、普通電報で、たしか二十一日の十一時ごろに受け取ったと思います」とある。 二十一日の十一時ごろというと、東京・札幌間が普通で配達まで二時間を要するとして、朝の 九時ごろに打ったことになる。その時刻は一安田は板付を発した飛行機の中だ。おそらく広島県・ か岡山県の上空を飛んでいるころであろう。安田自身が東京から打っことはありえない。 それなら福岡にしてはどうか。福岡・札幌間もだいたい二時間少々とみてよいから、安田が板 付発八時前に打ったとしたら、およそ河西の手に十一時ごろ配達されるという時間は合うのだ。 19C
194 ( 車掌が、乗客から車内で依頼を受けた電報た ) 三原は直感した。 二十一日の朝、浅虫を過ぎる《十和田〉といえば、安田が乗車したと主張している列車ではな いか。これが青函連絡船 17 便によ 0 て函館から〈まりも〉に接続するのだ。 ( ああ、それではや 0 ばり安田は、主張のとおり《十和田〉に乗 0 ていたのか ! ) わけがわからなくな 0 た。調べれば調べるほど、安田の主張を裏づけることばかり出てくる。 三原が頭をかかえていると、主任が言 0 た。 「君、その電報を打ったのは、はたして安田辰郎たったろうか ? 」 と「え ? 」 三原は頭を上げた。 オしか。代人を知りたいとね」 点「ほら、君が言ったじゃよ、 三原は主任の顔を凝視した。 「そうでした。わかりましたよ、主任」 三原は勢いづいて言った。 「自分で言って忘れる奴があるか」 と、主任は声を立てすに笑った。
196 点 「そうですね。、それは二等寝台車の客でした」 「なるほど」 「なんでも、痩せて背の高い人だったように思います」 「え、痩せている ? でつぶりと肥えてはいませんでしたか ? 」 三原は、内心よろこびながら、念を押した。 しいえ、肥えてはいません。痩せていましたよ」 線車掌は記憶をしだいにとりもどしたようだった。 「それに、二人づれだったです」 と「えつ、二人づれ ? 」 「私が検札にまわったから知っています。その人が連れの人の切符もいっしょに持っていて出し ました。連れといっても、上役といった感じでしたね。少し威張っていましたよ。痩せた方は、 その人にすごく丁寧な様子が見えましたよ」 「じゃ、その、下役といった人が、電報を頼んだわけですね」 「そうです」 安田辰郎の電報の代人はわかった。その上役という男こそ、 xx 省の石田部長に違いなか った。下役というのは、お供の事務官か何かであろう。 三原は今までひとりがてんをしていた。石田部長が単独で北海道に出張していたとばかり思い
( それでは、やつばり福岡から安田は打電したのだろうか ? ) 発信局がわかるから、安田がそんな不用心なことはしないだろうと思うが、三原はいちおう福 岡署に連絡して、二十一日の市内の受付電報を調べてもらうことにした。 三原は警視庁に帰ると、主任に自分の考えを申し出た。 「そりや、 しいところに気がついたね」 と、主任は目もとを笑わして言った。 「なるほど、河西を待合室に待たせた理由はそれでわかった。福岡署にはそのように依頼しよう。 しかし、東京から安田自身が打たなくても、誰か、依頼をうけた代人が打つ、ということもあり とうるぜ」 「そりやそうです」 点 と、三原は答えた。 「それを今、言おうとしたところです。ですから、都内の電報局も調べたいと思います」 「よかろう」 そのあとで、主任は茶をすすりながら笑った。 「君は、外にコーヒーを飲みに行っては、ときどき妙案を持って帰るね」 しよう 「外のコ 1 ヒーが性に合ってるんでしようね」 三原も気が軽くなって言った。 線 191