ールに戻っていった。海。ハンから落ちたしずくが、おしつこをもらしたみたいに点々と道路にあ とをつけていった。私は、 「まあ、なんて気の毒な」 と思いながらも、おかしくてたまらなかった。駐車場がないので電車でくるようにと表示があ るのに、それを守らなかったのだから、しようがないといえばしようがない。それにもまして、 我を忘れて海。ハン姿でおおあわてで走ってきたのはすごかった。ああいう姿はそれにふさわしい ところで見るならいいけれど、ふつうの住宅地で見るとなかなかすさまじいイン。ハクトがあった。 彼らがどうなったか、その後のことは知らない。楽しい親子のプ 1 ル遊びも、レッカー移動の せいでつまらなくなってしまっただろう。しかしレッカ 1 移動は見物人にとっては心の痛まない 楽しみなのである。車をもっていかれるのはなんといっても持ち主が悪い。誰が死ぬわけでもな い。持ち主の自業自得である。レッカ 1 移動を頬をゆるめて見ている人の姿を見るたびに、 「人間って他人のほどほどの不幸が本当に好きだなあ」 とっくづく思ってしまうのである。
「これでもお母さんもかわいいこといったりするのよ」 というようになった。三カ月に一度くらいの割で、お母さんが、 「いろいろと悪いねえ」 などといたわってくれるそうなのだ。一時はいがみ合っていたといえ、そういわれると彼女だ って、何となく優しい気持ちになってくるのである。 「あの頑固なお母さんだって、気を使ってくれるようになったのよ。それなのにあいつらったら そういって彼女はキ 1 ッとヒステリ 1 を起こす。このあいつらというのは第二の問題である、 旦那の友人のことである。 「あいつらって本当に進歩がないの」 と本当に憎たらしそうである。 彼女は真面目な性格なので、旦那が友だちをつれて来たらどんなに疲れていてもちゃんと御飯 を作ってあげたり、晩酌の面倒を見たりしている。ところが彼らにとってそれがとってもうれし かったのか、それから会社の帰りだけではなく、土曜日や日曜日にまで呼びもしないのにやって 来る。彼女だって旦那が休みの日くらい二人でのんびりしたいのに、昼御飯を食べ終わってほっ としていると、突然玄関から、
いう手紙がきた。「まだあなたは若いし、チャンスは一杯あるのだから、これからも頑張ってく い ださい」などと偉そうなことを彼女への返事に書いた。 ム 本屋さんからもきた。出版社に私の本を注文してくれたらしいのだが、その出版社の人の扱い やがぞんざいだったのと、出たばかりの本だというのに品切れだといわれた、という怒りと訴えの に 私お手紙であった。私は、「出版社の不手際、誠に申し訳ありません。担当者によくいっときます いから、すみませんがもう少しお待ちください」という返事をその本屋さんあてに書いた。正直い がって、「なぜこんなことまでしなきゃなんないのかしら」と思った。 気いろいろなことはあるにしろ、まだ手紙で用が済んでいるうちはよかった。うちの電話番号は キ仕事関係の人にだけ教えているのだが、ついこの間、原稿を書いている最中に、どういう手を使 はって番号を知ったのかわからないが、二十五歳の女性から電話がかかってきた。受話器を取った た なら相手は物妻く怒っている。よく話を聞いてみたら私に怒っているのではなく、半月前に彼女を 談一方的に解雇した、会社の社長に対して怒っているのだった。彼女は興奮し切っていて、私にロ 生を挟ませることなく二十分間喋り続けた。私もいいかげん嫌になってきて、電話をしてきた理由 話を聞いた。すると彼女は、「私と同じ立場になったらどうしますか」というのである。 「私はあなたじゃないのでわかりませんねー 手 といったら、彼女はまたやめさせられた会社のことをいい続ける。しばらく何事かいっていた 113
「本部のほうからまわってきた名簿を見てかけているので、詳しいことはわからない」 ン というだけ。自分が知らない人に電話番号を知られているのは気持ちが悪い。こういろいろと 電話に悩まされると、毎日の生活のなかでも電話番号を書きたくないなあ、と思うことがしばし いばある。 このあいだ私は高校時代の女友だちと、新宿にある若者が好きそうな洋風酒場にいった。びさ れしぶりに彼女たちと楽しくお話していると、支配人らしい初老の男がやってきて、 で「業界紙の人が取材にきているのですが、店のなかの写真を載せるので、写真を撮らせてくれま 行せんか。出来上がったらさしあげますから」 の という。まわりを見渡してみたら、他の客はアベックか男の子のグル 1 プだけだった。きっと 話 快店のほうは、女性も気軽にこられる雰囲気を強調したかったのだろうし、こっちも一緒に写って 不いる写真がなかったので 0* した。住所を書いてくれというので、私の住所を書いた。すると彼 言 は、電話番号も書けという。私はなるべく、たいした関わりあいのない人には電話番号を教えた 無 に 一一くなかったが、今回は友だちも一緒だったので、いわれたとおりにしたのである。 べ十日程たって、その男から電話があった。 に「写真ができてます」 という。私がふんふんと聞いていたら、それつきり何もいわない。不気味な沈黙が流れたあと、 117
れ「こんにちはあ」 妻という悪魔の声が聴こえてくるのである。一人が来るとあとは泥沼で、マ 1 ジャンをやろうな すどととんでもないことをいい出し、いつもの飲んだくれメン・ハ 1 が集まって、ジャラジャラやり を 話始める。まさかそういうときに外に出かけるわけにも行かず、彼女は自分の予定を変更して、休 の みの日をマ 1 ジャン男たちの世話でつぶしてしまうのである。 の中には奥さんがお産で実家に帰っているのをいいことに、土曜日の午後にやって来て晩御飯を に食べさせてくれという男もいた。いったいいっ帰るのかしらと思っていても、結局は一晩泊まっ 休 て日曜日の昼頃起きてきて、三食ちゃんと食べて風呂にもはいって、深夜に帰っていったという なふとどき者だった。他人の女房も自分の女房も区別がっかない大馬鹿者である。そういうときは の部屋のカ 1 テンを開けて起こす時に、布団の中でのうのうと寝ているそいつの足を、思いっきり ふんづけてやるそうである。そのくらいしなければ彼女の怒りもおさまるまい。 思 彼らは、 利「奥さんいつもすみませんねえ」 を といいながらやって来る。しかし彼女は、 妻 人「あいつらはロではそういうことをいいながら、手土産ひとっ持ってきたことがない」 と怒る。
などと慰めたりしていたわけである。そうこうするうちにお開きの時間となり、主催者側から おみやげにと単行本くらいの大きさの紙包みを渡された。 し 「どうぞ開けてみて下さい」 ま じ い といわれたので、セロハンテ 1 プを必死ではがしながらふと横を見ると、例の帰国子女は包み の 美をわしづかみにしたかと思うと、そのままビリビリと音をたてて紙を引き裂いているではないか。 本そしておみやげを・ハッグにいれると、そのまま知らん振りしている。彼女の目の前にはぐちゃぐ うちゃになった紙が散乱したままである。私はその時、 面「外国で暮らしていた人はやることが違う」 表 と、つくづく感心してしまった。彼女の年齢からすると私よりももっと厳しく育てられた世代 にである。それがこういうことを公衆の面前でやってしまうのは、外国でずっと育ったことが影響 ん なしているのだろう。 が「包装紙はきちんとセロハンテ 1 プをはがして、しわを伸ばしてとっておくこと。いっ使うよう にになるかわからない」 れ私の母親はいつもこういっていた。万が一ビリッとやろうものなら、 装「もったいない ! 」 と怒鳴られ、母親の機嫌が悪い時はお尻を一発ぶたれた。たんねんにしわを伸ばした包装紙は、
して食べるお餅よりも、お菓子として食べるお餅のほうがずっと好きだった。海苔の香りがする 「磯辺巻き」や、チ 1 ズをのせて海苔で巻いたハイカラな「チ 1 ズ巻き」もよかったが、いちば ん好きだったのは、甘い「きなこ餅ーだった。火鉢の上の鍋の中で湯がぐらぐらと煮立ち、母親 がお餅をいれると、いてもたってもいられずに箸を手にしたまま鍋ににじり寄っていく。 「あんたがそんなに近寄ったって、お餅がすぐに柔らかくなるわけじゃないんだから、おとなし く座って待ってなさい」 いつも母親に怒られて、 「それもそうだ」 といちおうは納得してちゃぶ台に戻る。しかしやつばり鍋の中のお餅がどうなっているのか気 になって仕方がなく、しばらくするとまた何かに操られるように、箸を持ったままふらふらと鍋 ににじり寄ってしまうのだった。とろ 1 んと柔らかくなった白いお餅が、砂糖まじりのきなこの 中で、ぼてぼてとした黄色に変わるのを見ていると、猫みたいにゴロゴロと喉を鳴らしながら、 うれしくて身をよじりたくなった。ところが、 「はい、おまちどうさま」 と待ちに待ってやっと自分のお皿に配給されると、少しでも早く食べたいと思う反面、いつも ふっと箸が止まってしまう。今まで忘れていたのに、さあ、食べるぞというときに思い出すこと 238
「こんな性格の子はいったいどうしたらいいか」。両親が相談した結果、私は突然、児童劇団に 入れられてしまった。ところがそこの稽古は、全然面白くなかった。仏頂面で手を上げたり足を 上げたりしている私をみて、また両親は頭を抱えてしまったのである。するとそれを見たリズム 指導の先生が、 「ピアノを習わせたらどうですか」 とアドバイスしてくださり、私は近所のピアノ教室に行くことになったのだ。 うちの父親はジャズばっかり聞いている人だった。母親の妹は声楽をやっていた。両親は「も しかしたらこの娘は、天才的な音楽家になるかもしれない」と、親バカ丸出しで自分たちが将来 「世界的。ヒアニスト」の両親となるのを夢見た。てっとりばやくいえば、私の将来のことよりも、 いかにして将来左うちわで暮らせるかを考えていたといったほうがいいかもしれない。しかしピ アノを習いに行ったのは正解だった。どんなに外で近所の子供たちをいじめまくっていようと、 どんなに駄々をこねていようと、ピアノのレッスンの時間が来ると、・ハイエルを真っ赤な鞄に入 れて先生のところに通っていった。私の蛮行に手を焼いていた両親は、こういう姿をみて、 「これこそ娘にびったりあった世界だ。そういえば天才は子供の頃は一般社会から受け入れられ なかったもんね」 と大喜びし、つましい暮らしのなかから、中古のピアノまで買ってくれたのである。 170
月給三万円で本の雑誌社に入社。椎名誠、目 別人「群ようこ」のできるまで群ようこ黒考一一と苦労をともにし、兼業ェッセイスト から完全独立するまでを綴った初の書下ろし 山口組対一和会の抗争に女一人で突入したり ップ群ようこゲイバ 1 、競輪場、女子プロレス、エアロビク スなど人をかきわけのぞき見た体当たりルポ 平凡な生活こそ、じつはラディカルな笑いで 撫で肩ときどき奴り・肩群ようこいつばいなのだ。読めばたちまち、あなたに も愛と勇気がわいてくる爆笑コラム六十四篇 男はなぜセーラ 1 服を好む ? 宮本武蔵は見 猫だって夢を見る丸谷才一栄つばりだった ? 酒場で開陳すれば尊敬の 的となること請合いの最新エッセイ三十四篇 下駄ばきでスキ
らった、南青山のレストランだった。 る 坊「一度しか行ったことがないんですけど」 とその店のことを話すと、相手は、 い ~ 、「ああ、そこでいいです、そこで。南青山だったら何とか格好がっきますから」 は という。で、私は行きつけでも何でもない、たった一回しか食事をしたことがないその店で、 に お洒落な二千五百円のランチを食べているところを写真に撮られ、いかにそこの店を気に入って れいるかと編集者に聞かれた。そんなこといわれたって、どこがいいかよくわからなかったのだが、 いさすが編集者はプロであった。 は の「このテープル・クロス、なかなかいいですね」 腹と私に水を向ける。それについて私が、 立 「そうですね」 報 情 というと、その言葉をメモに書き込む。送ってもらった掲載誌を見たら、 メ グ「食事もおいしいし内装も素敵。テ 1 プル・クロスやナプキンもとってもかわいい」 誌 と、私が南青山のその店の常連のような、見事な記事ができあがっていたのである。 雑 私のことを知っている友だちは、その記事を読んで、 「あれでっちあげでしよ。あなたがそんなところでお昼を食べるわけないわよ」 255