着 - みる会図書館


検索対象: 半径500mの日常
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1. 半径500mの日常

力などといわれようものなら、天にも昇る気持ちになった。 の 当時私たちは既製品などまず買ってもらえなかった。特に小学校の低学年までそうだった。う こ 工ちにお金がなかったのも理由のびとつだが、店で売っているのは主にとっておきのおしゃれ着ば こかりだったような記憶がある。友だちもふだんはお兄さん、お姉さんのおさがりを着ていた。い る 着 とこからまわりまわってきたスカ 1 トをはいた子。お兄ちゃんがはいていた、ヒザのところに穴 に 新のあいた長ズボンを、おばあちゃんが縫い直して半ズボンにして、弟がはいているなんて、あた を 服りまえのことだった。既製服をふだん着ている子なんて、クラスでほんと一人か二人だった。私 は母親が縫ってくれた服も嫌いじゃなかったが、既製品を着ている子がうらやましくて、そのウ 省 仮サを晴らすため、ちくりちくりといじめたものだった。 読そしてこの『あなたがもっと美しくなるために』を読んでいて、母親が子供に作っただけでは を なくて、かっては女の人のほとんどが「自分の着るものは自分で作っていた」ことをあらためて ク プ知らされたのである。たとえばシンプルな襟なしのワンピ 1 スを作っておいて、替えカ一フ 1 をつ 1 を作るときにはあとで仕立てか けかえれば新鮮な気分で着ることができるとか、新しいオー ス えることを考えてデザインを決める。二年ごとに仕立てかえれば、六年間に三度新しい形が着ら の かれるなどというのは、そのためのアドバイスである。私は編み物だけは好きなのでやるのだが、 手編みのセ 1 ターに関しても耳の痛いことが書いてあった。「昨年も着ていたものをまた今年も 181

2. 半径500mの日常

「あたし運動なんか大嫌い」 の という。 着 水 い 「どうして」 な 「あたし、体弱いの」 だ ま 私は彼女と十九年以上っきあっているが、そんなこと初めて聞いた。朝いちばんにデ。ハ 1 トの い 1 ゲンセ 1 ルの人込みの中に突進していくあの根性と、いいものを買うまでは絶対に妥協しな いで、ワゴンの中をひっかきまわし続けるには、なみなみならぬ執着心と体力がいると思うのだ かが、本人は、 け「すぐめまいがするの」 と平然としていっているのだ。嫌というものをむりやりひつばりだして、倒れられたら困るの よでこの案は取りやめである。相手がいなければならないテニスなどもちょっと面倒だ。あれこれ 泳 考えた結果、自分一人で気楽にできて運動量の多いものといったら、水泳くらいのものなのだ。 水 プ私は自慢ではないが、体型的に絶対沈まない自信がある。平泳ぎはできないけれど、別にオリン アピックに出るわけじゃないから、ばた足でも背泳でもともかく泳いでいるだけで運動になるはず ェである。 となると問題は水着である。運動しにいくんだから何でもいいじゃないかといわれそうだが、 165

3. 半径500mの日常

れているから、体型がこうだから何を着ても似合わないというのではなくて、デザインを選びさ 着えすれば、ちゃんと体型をカバ 1 できるんだなあと納得できるのだ。 水 い 似合わない水着と体型をカバーしてくれる水着とでは、見た感じが全く別人のような印象を受 な 越けるものさえあった。私は体型を目立たせたくないから、変にデザインに凝るよりも、スク 1 ル ま水着や競泳用水着のように、水着の原点みたいな型のほうがいいのではないかと思っていたのだ が、この雑誌のグラビアを見たらそうではないようだ。だれにでも似合いそうで、実は欠点をあ たらわにしてしまっていた。ずん胴の人は特に悲惨だった。あれはもともとプロポ 1 ションのいい っ 人だけに似合うもので、あちこちに難ありの人には、ちょっと小細工がしてあるもののほうが、 よ け目をごまかせていいということも、この雑誌を見てわかったのである。 心「なるほど」 よ 私は深くうなずいた。そしてこの水着選びの話を、体が弱いといって私の誘いを拒絶した友だ し ちに話した。すると彼女は、 水 プ「本当に運動したい人は、いちいちそんなこと考えてないわよ。泳いでいれば腕とか足しか見え アないんだから。運動をしたい人は水着を買うより先に、スポ 1 ックラブに足を向けるんじゃない 工の」 シ という。しゃなりしゃなりとホテルのプールサイドを歩くのではなく、ガッ。ハガッ。ハと泳ぐの 167

4. 半径500mの日常

と訴える。しかしハイレッグ水着を着てかっこつけていても、よく見たらかみそり負けができ 思たりしていたらみつともないではないか。それよりも何の心配もなく、隠すべきところはきちん と隠してくれる水着のほうが、よっぽどいいではないのといっても、泳ぐのが目的ではない彼女 着としては納得できないらしいのだ。つまり自分のスタイルには自信がある。世の人々に見ていた グだきたい。しかしそれを邪魔しているのが「毛」なのである。 レ イ - 私は女性週刊誌で読んだ話を彼女に聞かせた。「黒いハイレッグを着て彼とプ 1 ルにいったら、 行『糸がほぐれている』といわれて引っ張られた。しかしそれは剃り残しの毛だった」とか「友だ 最ちと泊まりがけで海にいき、明日はハイレッグを着ようねと相談して寝た。夜中に変な気配がす るので起きてみたら、友だちが背を丸めて十円玉二枚を使って必死に毛を抜いていた」など、笑 せうに笑えない悲惨な話が続々と寄せられているのである。 に話をきいて彼女も少しは考え直したようだが、まだハイレッグへの思いをたち切れないでいる ん らしい。何でこんな事までしてああいった水着を着たいのかわからない。「腋も剃るなら下も剃 そ 故れ」という簡単な間題ではないのではないか。なぜ人体の毛のあり方を無視した水着が次から次 でヘと出てくるのか、ホントに理解できないのである。 て っ 149

5. 半径500mの日常

私の目の前には四方八方から、まるで千手観音が何人もいるかのように、次から次へと手が伸 びてきた。すばやく品物をつかんで手元にひき寄せたかと思うと、パッと放り投げる。その放り 性投げたものを別の人がキャッチする、といった具合だ。満員電車にもそれなりの秩序があり、不 根 慣れな人がいると調子が狂うのと同じように、私の存在も周囲の人々にとってはとても迷惑みた に 理いだった。 れ「ちょっと、いいですか」 浮ポサッとつっ立っているだけの私の背後から、中年女性が声をかけてきた。 い 早はいと返事をする前に、彼女はぐいと体をねじこみ、とうとう私ははじき出されてしまった。 に友人は右腕を品物の山の中につっ込み、左腕には何着ものプラウスやスカート、・ハンツが確保し る けてある。やつばりこの場に来た以上、何か戦利品を持って帰らないと来たかいがない。私はあま でり乗り気じゃないまま、適当に手をつっ込んで、プ一フウス二枚とその袖にからみついていた e シ 会ャッ一枚を引きずり出した。どれも私の好みではなかった。それをまたぐいっと山の中に戻し、 ン ゲ今度は方向を変えて引きずり出した。まあまあ納得できるプ一フウスが姿をあらわした。冷静にな ってまわりを見回すと、他人の持っているものがとってもよく見える。この山の中にどうしてあ んないいものがまざっているのか不思議なくらいだった。気を許すとショルダー・ハッグを引っぱ 127

6. 半径500mの日常

て い た の で あ っ た な に う れ し い な ん て 私 た ち っ て 何 て か わ い ら し い の か し と 十 四 歳 と 四 十 歳 は 目 尻 を げ 211 ポン・ジョヴィ、少年隊とーっ屋根の下に泊まってルンルン。我らは中年純情隊 ジ頂 、食 び今 上少 、隊 民続 度子 ァ ノレ が 同 じ く ら い 何 で こ ん な に う れ し い ん オど ろ う と い 気 し た し か こ ん な こ と で こ ん と い 牙 ) れ る と と て も う れ し い 冷 静 に な つ て み る と 同 部 屋 に 泊 ま 、つ た ん な ら と も か く わ っ す ご い あ る 朝 も そ こ そ こ に 私 た ち は 部 屋 に 戻 り 東 に い る 友 だ ち に 電 話 を カゝ け て 自 慢 し て や っ た 私 オこ ち 豆頁 に . 血 が 上 り 国 立 族 学 博 物 館 に 行 っ て 感 激 し . た こ と な ど ぶ っ と ん て・ し ま っ た の で ポ ン ョ ヴ ィ と 少 年 と け て 同 じ 屋 根 の 下 に 泊 、つ た の は 私 た ち く ら い の も の だ わ と 有 天 で あ る こ れ で 五 歳 の に 自 慢 て き る 私 た ち 再 姪舞度 い が っ た 友 だ ち は キ ヤ 1 ツ は 年 隊 よ たる っ 通 人 の 男 い か た 着 ン ゾ ル プ た し ト リ と I A T N E N 0 H S に 中 背 へ こ そ と け い ろ よ き ろ き と ら か 誰 は た て ろ む た が 子 な う そ 夫 丈 が 身 半 - ド の じ 感 う い と そ し て ま た 次 の 日 の 朝 ロ ビ 1 に 降 り て い つ ら 昨 日 の た ち よ 若 く い か に も ・つ

7. 半径500mの日常

「本当に想像力が貧困なんだから」 彼女はブップッいっている。どうも理由は他にあるらしい。よく話をきいてみると、彼女のア 。ハ 1 トの二階に住んでいる女子大生二人が夜な夜なドンチャン騒ぎをして眠れないというのであ 畷る。そのア。ハ 1 トは世田谷区の住宅地の中にあり、六畳二間と八畳の台所にバス・トイレという 二人暮らしだ 0 たら充分の広さである。びどいときには十人位の人間が集ま 0 て深夜の酒宴をく 女りひろげているというのだ。その女子大生二人というのも別に服装も化粧も容姿も普通のごく平 の 階凡な風体で、あんなにギャ 1 ギャ 1 と大ぎするようには見えないらしい。 広「それがね、連れこんでるのが全部男なの、全然そんなことするように見えないのよ。だからよ 日けい恐ろしいね」 のそういえば私たちのころは見るからにあばずれという感じの女の子がいてみんなが敬遠したも せのだけど、今は本当に誰が何をやってんのか全然見当がっかないからこわいのだ。髪の毛をピン ピン立てて鎖をジャラジャラつけた男の子が年寄りに席を譲ったり、きちんとした身なりの若い を 人男が我れ先にと空席を陣取ったり : : : 本当に見かけで人を判断できない時代になってきた。 の 月その子たちの蛮行が連日続くにつれ、近所の人々が怒り、夜どれだけ騷いでどれだけうるさか 婚ったかというのを毎日ノ 1 トに書いてそれをつきつけ、静かにするか出ていくのかはっきり結着 新 をつけようと緊急町内会で決まったのであった。そこで白羽の矢が立ったのが彼女である。理由 199

8. 半径500mの日常

洗濯機がやってくれるので、私がとりたててやることはない。皿洗いは家事のなかでも一番好き だ。いくらやっても飽きることがない。よく料理を作るのは好きでも跡片づけは嫌いという人が いるが私はその反対で、いくらでもお皿は洗うから、そういう人は毎日料理をしに来てほしいと 思ってしまうのである。 ひとり暮らしをして九年になるが、料理は進歩する気配が全くない。それどころかますます手 抜きが目立ってきて惨憺たるものである。当初は、ひとりで暮らせばいままでやらなかった料理 もきちんとするだろうと自分自身に期待し、鍋、釜、包丁、まな板などを買い揃え、料理の本も しこたま買い込んでこれから頑張ろうとした。しかしそれは見事にムダになった。九年間やって みてどうしても好きになれないことがわかったのだ。 今では買い込んだ鍋、釜もその半分くらいしか使うことがなく、ほとんどは棚に入れられたま まである。そのうえ包丁、まな板を使うのも面倒くさくなって、このごろは料理用はさみで切れ るものはどんどん切っている。無器用な外国人方式である。あのおっかない料理人の結城貢先生 にみつかったら、私などどなられる前に首を絞められるだろうと思うくらいに手を抜いている。 別に板前さんではないのだから、包丁さばきなんてどうでもいいと割り切るようになってしまっ たのだ。 味をみるのもすべて適当だから、その日によって出来、不出来の差が激しい。まずくても捨て

9. 半径500mの日常

こんなことをいっても全く自慢にも何にもならないのだが、私は家事が非常に苦手である。掃 除機は一日おきにかけるが、本棚のほこりなどは目についたところしか取らない。背伸びしない と見えないところはすべて無視する。私は身長が百五十三センチしかないから、天井に届く棚の ほぼ半分は、ほこりにまみれていることになる。私は目につかないから全く気にならないのだが、 背の高い友だちが来ると、 「ここにほこりが溜っているよ」 と指摘されていつも恥をかく。 洗いものは結構何でも好きである。洗濯は洗剤をいれてほうっておけば、特売で買った二槽式 デブは嫌だしガンも嫌。悩みは 尽きぬ、ひとり暮らしの食生活

10. 半径500mの日常

にすぐ名前を覚えてもらえて、とっても役に立っているそうである。たまに彼女の本名を忘れて 「ホ 1 ナーちゃん」と呼ぶ人もいるそうだが、それでも彼女は「はあい」と元気に返事をして仕 事に励んでいる。私はミッキ 1 吉野といわれた高校の三年間をできるなら消し去りたいと思って いる。やはりあれは屈辱的なことだった。しかし彼女はそれを逆手にとっている。それも仕事の 役に立っと喜んでいるのだ。なるべくミッキ 1 吉野にみえないように苦心していた私と、何とい う違いだろう。私は卑屈だった当時を思い出して、 「なかなか今の子はしぶとい」と感心してしまったのであった。