Ⅳ 4 / れ r ーい〃 こにもウェストンの足跡が ! ウェストンの幻の山を退す 新潟県青海町の断崖・親知らず子知らず。北アルプス 保福寺峠 が日本海に落ち込む場所であり、北アルプスの起点でも あり、終点でもある。ウェストンは 1894 年 ( 明治幻年 ) に日本の屋根、北アルプスと南アルプスを北から南へ横 長野県上田市から松本にいたる旧道に保福寺峠がある。 断する計画を立て、まずは大蓮華 ( 白馬岳 ) 登山の手始 沓掛温泉と四賀村の穴沢温泉の中間地といえばいいだろ めとして「親知らず子知らず」を訪れた。それを記念し うか ? この地はウェストンカ舸度も通過した峠で、彼 て、親不知コミュニティー広場のウェストン像前で「海 が最初に日本アルプスを眼前にし感動し、その後のアル のウェストン祭」が開催され、近くの白鳥山 ( 1 7m ) プス探訪のキッカケともなった地である。それは来日の まで記念登山が行われる。 2 年後、 1891 年 ( 明治幻年 ) 、彼が浅間山登山の後上田経 青森ウェストン祭が三戸郡新郷村で毎年 7 月開催され 由で松本に出ようとしたときのことである。 る。式典のキッカケは 1 開 2 年 ( 明治年 ) 、青森県を襲 「午後 6 時に海抜 13 測 m の山頂に着いた。 ( 中略 ) あの連 った大凶作であった。その災害を聞いたウェストンは 峰の全景がはじめて眺められたが、その景観にわれわれ 募金を集め、食料生活物資 の心はひきつけられた。 ( 中略 ) その壮麗さにはただ驚 などを届けるため戸来村 嘆するばかりだった。 ( 中略 ) ーっの大きな障壁のよう ( 現・新郷村 ) を訪れた。 スの 新 に、西の方の前面にそびえていた。高さ XX ) m ないしそ にトウ これに感謝し、彼の精神を れ以上の雪襞のある尾根や気高い峰峰が、落日に映えた あンエ 後世に伝えるための式典 オパール色の空を背景に紫の輪郭も鮮やかにそびえてい 有ト 0 る。日本のマッターホルンである槍ヶ岳やペニンアルプ ウェストンは天竜川下り スの女王ワイスホルンの縮図を想わせる優美な三角形の ウ青 や富士川下りも好んだよう ェ海が 常念岳 ( 後略 ) 」 ス町開 だ天司日の渓谷美と舟下り ト提催 現在、「日本アルプス絶賛の地」の碑がある。 ン供さ 0 さにしその青 らしさを世界に紹介した。そ 左・イ尉畠寺峠にある のリ点をたたえ、是予県飯田 「日本アルプス絶賛の地」の碑 市では天司日ウェストン祭が了 ( 松本市四賀支所提供 ) 毎年開かれている。 下・保福寺峠から眺める日本アルプス ウェストン一表 ( 松本市四賀支所提供 ) 年代 ・第 1 回目来日 ( 1888 年 ) 白根山、富士山、阿蘇、祖母山など 1890 年 ( 明治 23 年 ) , ( 幺の山散 中房温泉 上・中房温泉の露天風呂を楽しむ 下・中房温泉から燕岳へも登った 有明山、中房温泉、燕岳、 槍ヶ岳、奥穂高岳 槍ヶ岳、焼岳、霞沢岳、 奥穂高岳、白馬岳 1912 年 ( 明治 45 年 ) 、ウェストンは夫人を伴い燕岳登 立山、ザラ峠越え、針ノ木峠、 山口・中房温泉に宿泊している。彼が泊まった「菊の間」 1914 年 ( 大正 3 年 ) 燕岳、大天井岳 が今も残され、多くの人の注目を浴びる。中房温泉は文 政 4 年百瀬茂八郎氏が湯治場として開いたもの。以後、 ・参考文獻 : 旧本アルプス登山と探検】「日本アルプス再」 ( ともに平凡社刊 ) 、 永田鉄山、大町桂月、朝香宮、秩父宮、皇太子殿下ら有 「日本アルプスの登山と探検」 ( 岩波書店刊 ) 、「知られざる W ・ウェストン」 ( 田畑真一著、信濃毎日新聞社刊 ) 、 「私のウェストン追跡記」 ( 田畑真一著、山と瀑谷社刊 ) 、旧本百名山」 ( 深田久弥著、新潮社刊 ) 、 名著名人にも愛されている秘湯だ。 中津川市、高千穂町、松本市匹賀村、糸魚川市青橋町などの資料など 主な山やエリア 碓氷峠、浅間山、保福寺峠、徳本峠、 槍ヶ岳、鳥居峠、御嶽山、木曽駒ヶ岳、 1891 年 ( 明治 24 年 ) 天竜川下り、富士山 富士山、平湯峠、乗鞍岳、笠ヶ岳、 安房峠、徳本峠、槍ヶ岳、赤石岳、 1892 年 ( 明治 25 年 ) 富士川下り 恵那山、天竜川下り、富士山、針ノ木峠、 黒部川、ザラ峠越え、弥陀ヶ原、笠ヶ岳、 1893 年 ( 明治 26 年 ) 安房峠、徳本峠、穂高岳、保福寺峠 親知らず、子知らず、大蓮華山 ( 白馬岳 ) 、 笠ヶ岳、常念岳、御嶽、身延山、 富士川下り 1894 年 ( 明治 27 年 ) ・第 2 回目来日 ( 1902 年 ) 1902 年 ( 明治 35 年 ) 北岳 1903 年 ( 明治 36 年 ) 奈良田峠、早川谷、甲斐駒ヶ岳 地蔵岳、鳳凰山、地蔵仏、北岳、 間ノ岳、仙丈岳、北沢峠 1904 年 ( 明治 37 年 ) ・第 3 回目来日い 911 年 ) 1912 年 ( 明治 45 年 ) 1913 年 ( 大正 2 年 ) 137
- : ′こ 4 プイ・第を一まー・ 澄み切った空に峻峰が映える。八 方尾根上部からの五竜岳と左奥 に鹿島槍ヶ岳の取耳峰が見える 後立山連峰の秀峰群 主稜線からの展望を満喫 北アルプス◎八方尾根から唐松岳、五竜岳へ 写真・文 = 高橋良行 黒部渓谷越しに望む剱岳 紅葉が山稜を彩り 後立山が華やかさを増す 上だ 尉れ の朝第 機動力を活用して 秋のアルプスを堪能 後立山連峰のほば中央に位置す る唐松岳と五竜岳を巡る山旅は、 北に白馬三山、南に秀峰・鹿島槍 ヶ岳、黒部渓谷を挟んで剱岳や立 山連峰と、素晴らしい景観に恵ま れる。秋、その山岳景観はより引 き立ち、紅葉の山稜が彩りを添え て華やかさを増す。そして冬を迎 える厳しい顔も : : : 。長くこの山 域を撮影していても、毎回、大き な期待感を持って歩き始める 起点の白馬駅からバスで八 方で下車する。山麓駅からゴンド ラとリフトを乗り継いで八方池山 荘の建つ第一ヶルンまで上がる。 さっそく白馬三山がその優美な姿 黄葉のダケンカンバ越しに 優美な白馬三山方面を望む 32
1 km その時期になると、群者でにぎわう。 ま / 夜 一一十六夜山、この変わった山名は、 峰だ六 主に江戸時代、旧暦の正月と七月の一一 山か。 十六日に村人たちが集まり、飲食を共 にして月の出を待った「二十亠ハち」 らくる か歩れ という行事がここで行われていたこと ロり現 , ー ~ 一 ( ~ 単西くと に由来する。ちなみに道志には秋山一一 つる ネゆす 十六夜山という山があり、同じ行事を ン。く行 行っていたよ、つだ。 下山は山頂から矢多沢に向かって下 : んお」」ごを翆道がしど の坂てた 洋第ロ急りを る。一部急坂になっているところもあ第す るので注意が必要だ。約一一時間で都留「 釜登らをの 左し、は 泉の矗待ちの湯に着く。 。「」志村へ、 4 - 菜畑山 正 御 東沢倉東峰破ー 今西△ー 今倉山 登山口 ? 西沢 ネ 沢 - ち ン 戸一待 9 蕉 ン へ 駅 市 菅 ` 都 矢多沢 戸沢 ` 赤坂へ都留市 富士山と北岳、日本第一位と一一位の山を 同時に見られる南アルプスの女王 3033m ・山梨県南アルプス市、富士山からの距離 仙丈岳 南アルプスの北部に位置する山で、 る甲斐駒ヶ岳の荒々しく男性的な山容 山梨旧爾アルプス市と長野県長谷村のと対照的な山である。 境にある。遠くから見ると、緑色のビ この山に入るには、一一通りのが ロードの衣装を纏っているように見えある。一つは、駅からバスまたは ることなどから南アルプスの女王と呼タクシ 1 で広河原まで入り、広河原か ばれている。また、夏は高山植物も豊らさらにバスで北沢峠に入る幺。し 富なことで知られている。間近に聳えかし、南アルプスス 1 パ 1 林道は土砂 ニ十六夜山 1297 赤岩 1450 △ 崩れなどで交通規制が行われ、通行止 下山は小仙丈岳を経由して約一一一時間 めになることがあるので注意が必要。かかる。長い距離である。休ますに下 もつ一つは長谷村から入る幺。 ると膝を痛める可能性があるので三〇 長谷村の仙流荘または戸台口からバ 分に数貧度休むようにした方がよい。 スに乗り北沢峠に入る。最寄り駅は伊樹仆市に入ると、北沢峠は近い。ここ 那市駅または伊那北駅である。山麓に からバスに乗り、広河原あるいは仙流 は山小屋が数軒あるが、高度順応のた荘方面に向かう。 めにも北沢峠にある山小屋で一泊する E 山 とよいだろ、つ。 児△ ス林府 双 2 翌早朝は日の出前から大平山則か 〔一長←河甲 ら重幸新道を歩き始める。しばらく樹 平長ー 4 南ス 大 東 仆市で展望がきかないが、やがて北 合滝丈 5 ル に甲斐駒ヶ岳が見えるようになり、樹 / 大仙沢一 △小 2 丈カ 仙 仆市から抜け出る。馬ノ背ヒュッテを 留・烽ニの谷谷の 経て仙丈小屋の前に立てば山頂はもっ 馬ノ背 ロ東 , ち課 ( 日 西・間待 すぐだ。歩きづらい登山道をゆっくり 馬ノ背ヒュッテ 行ル山時月 仙丈避難小屋叩△ー み留歩いて行く。 急ネ倉臼蕉業ち 分今赭行待み 山頂からは富士山と北岳が見られ る。日本の日譽同峰と一一位の山を同時に イ , 2 5 間富芭 ) 年 , タ分間 0 時 , 先、新 見られるのである。山頂からは八ヶ岳、 級ス 8 時 中間一ス 烽いせ泉新の ( 西山ス合鮴霙アルプス、北アルプスなど贅沢な ◎コバ < 行考 ( ロ ) 夜ヾ ・帰・翌分 ・市登十湯・・。場・ 〈。日合展望を楽しめる。 仙丈岳山頂から望んだ富士。右に見える山は 日本第ニ位の山、北岳 ケ 甲岳をき こケ陟陟 窈向 カ ) に 上右 自然たつぶりの裏筑波を堪能し、 都心越しの富士を見る 877E ・茨城県真壁町、桜川市、富士山からの距離 筑波山 関東平野の東側、茨城県にある山で ープウェイなどで開発され、お世辞に 万葉の古から「西の富士、東の筑波」も静かな山とはいいがたい。観光客は と親しまれて来た山である。しかし、訪れるが、山歩きを楽しもっという人 現代、山の南東側はケープルカー、ロ には敬遠される山になっている。 ↑仙流荘へ 大平山荘 DATA ◎中級 ・歩行時間 1 日目約 10 分、 2 日目約 6 時間分、合計約 6 時間 40 分 ・参考コースタイム J 日中央本線甲府駅 ( バス 2 時間 ) 広河原 ( バス分 ) 北沢峠 ( 10 分 ) 大平山荘・泊 ( 2 時間 30 分 ) 馬ノ背ヒュッテ ( 1 時間 20 分 ) 仙丈岳 ( 分 ) 小仙丈岳 ( 分 ) 五合目 ( 1 時間分 ) 北沢峠 ( バス 25 分 ) 広河原 ( バス 2 時間 ) 甲府駅 ・問し哈わせ先南アルプス市観光商工課谷 0 ・ 2 ・ 1111 、南アルプス 市観光協会谷 0 5 ・ 2 図・ 42 図、長谷村観光協会谷 0 5 ・・ 318 ・日帰り温泉南アルプス市営みどりの郷くっさわ ( 谷 055 ・ 2 ・ 2020 、 バス停芦安から徒歩分、 7 月 ~ 10 月はバス停沓沢入り口から徒歩分 ) 、無 休 ( 11 月 ~ 5 月、 9 月水曜休み ) 。南アルプス市営金山沢温泉 ( 谷 055 ・ 2 ・ 、バス停芦安から彳分、 7 月 ~ 10 月はバス停沓沢入り口から徒歩 5 分 ) 、 7 月 ~ 10 月無休、 12 月中旬 ~ 3 月旬火曜イ木み ・ 5 万分の 1 の地形図「市野瀬」 142
@2 穂高連峰の展望を楽しみ 、、日宀 ランプの山小屋かり冫勿佰へ 穂高橋から左の林道を進み、 道標に従い焼岳登山道に入る 北アルプス◎上高地から焼岳、中ノ湯へ 写真・文 = 渡辺幸雄 北ア唯一の活火山・焼岳 荒々しい山頂と 山麓の紅葉の林て 深まりゆく秋を味わおう 鬱蒼とした森から峠沢に出 ると荒々しい焼岳と対面する
右上・白沢ぞいに紅葉の谷 剣ズリの岩峰 を進むと紅葉ノ滝が・・・ 右下・木の間越しの紅葉ノ滝、 魚止ノ滝が続く 左上・広葉樹の道を落ち葉 紅葉が映える を踏み締めて上がる 白い花崗岩の山稜 北アルプス◎白沢登山口から餓鬼岳へ 写真 = 丸山剛文 = 丸山尚代 タケカンバの黄葉に白い花崗岩 まるで別世界に飛ひ込んたようた 朝日が当たる剣ズリの岩峰。雲が上がり姿を見せた 36
1 , ゞ 当こ三気 0 3 まらをしゞ 紅葉とハイマツの急斜面から登った地点から青く輝く三ノ池を見る ご来光の後は雲海と、被写体は無限。遠く乗鞍岳と穂高の山並み。八合目から 上・中央アルプスとその奥に南アルプス 下・九合目付近から山腹の紅葉を望む らすガスにつつまれていた。 小屋に戻り紅葉の状況を聞くと、 御嶽山の写真や資料をどうぞと持 ってきてくれた。話し込むうちに アルバイトの女性かと思っていた 若い人は女人堂支配人の奥さんで あることかわかった。アルバイト が縁で嫁いだとのこと。御嶽神社 で挙げた結婚式の貴重な写真まで 見せていただき、感動、感動の連 続だ。夕食の後は、茅野から来た ーティーが持ってきたチベット お上産のお茶を飲みながら同宿の 人々と山の話で遅くまで盛り上が った。これが山小屋のよさかと思 いなから深い眠りについた。 翌日は央晴、御嶽山をはじめ雲 海から抜け出た中央アルプスの山 々が美しい。草紅葉の斜面に点在 する紅葉の彩りと御嶽山の岩峰に 目を奪われながら三ノ池に向かう。 眼下には開田高原が広がっている 紅葉の彩りとナナカマドの真っ赤 な実を前景に御嶽山の雄姿を撮影 後、崩壊した沢や桟橋を慎重に越 えて外輪山の一角、三ノ池避難小 屋へ。静かな山道から三ノ池に降 りると、ご夫婦と思われる二人の 登山者に出会う。紅葉とハイマッ の急斜面を登った地点から三ノ池 が眺められ、その背後には八ヶ岳 連峰が連なっていた 荒涼とした平坦地に無数のケル
秋山 2006 季節 ) 」とに紹介される一一〇本の富そういう環境の中に生を受け、成 士山を巡るプラニングで、豊かな緑長してきた著者にとって、山も川も に染まり、花を愛で、湖を巡る旅にそして海に対しても、特別の思いを 夢を膨らませる。麓には温泉も多く、抱くのは自然なことだ。そして北ア コンパクトな花のポケット図鑑は峰に向かう。セラックが切り立ち、露天風呂から雄大な富士を望み、土ルプス北部の山を中心に、これまで ひと目で見分ける 320 種 山のよきパートナーになりそうだ。 クレバスが深淵を開く「墳墓の山」地のものを食す。 長年にわたって深く濃 / 、山とかかわ ハイキングで出会う花 での悲劇を乗り越え、由木は山頂を ドライプからご来光、冬富士登山ってきたのだろう。 ポケット図鑑 雪崩路 目指す。 まで、ここには遊び心を満たしてく 「東京を基準とした情報も文化も、 増村征夫著 本書は、出版社の創業六〇年を記れるものがあり、汲めども尽きぬ自も、ついいと言うほどあふれている。 文庫判六六〇円 四六判一八九〇円 念して発刊された。丁寧な登山の描然の妙味がある。お札に登場する富日本海岸、そして母なる黒部を基点 一新潮社刊谷ー 3266 ー 5111 三一書房刊容ー 3812 ー 313 写と山岳会や山岳雑誌など周辺事情士山の話も興味深い。 としたときの北アルプスの魅力と 似ている花どうしを並べて、その も的確。能の世界や男女関係なども、誰もが同時に見つけながら「ほは、それが本書のテーマである」と、 違いをイラストで指摘して、ズバ 日本理工大学士山岳会の由木四郎物語の中にしつかり織り込まれた本ら ! 富士山」と口に出してしま、つ型行の意図を一小す。 見分ける。収録されるのは花の色別は、リ 1 ダ 1 としてに遠征する。格小説。 大きな存在感。 前半はエッセイ編。立山初登頂 に六系統に分類した三一一〇種。ハイ登山隊は頂上には達したものの、由 富士山は、どこの山へ行ってもその思い出、剱岳頂上の錫杖頭の周 ほらー・富士山。 キングでよく見かける花を選んで掲木の後輩が遭難死した。 の方向を探してしまう、心にかかる辺初登頂についての考察など八編 載。花の形やガク片の数、花弁や鋸帰国した由木は、仲間の沙沙俊介伊藤フミヒロ、松倉一夫著 山なのだ。 が収まる。 <LO 判一四七〇円 歯など、短く的確なコメントでそれの妹綾と、亡くなった後輩の妹、日 後半Ⅱの山行記編には、鍬崎山や 富山湾岸からの北アルプス ぞれの花の特徴をつかむ。 野夏子との間で揺れるが、立て続け示新聞出版局刊谷 03 ー 6910 ー 立山川溯行、毛勝三山縦走など一〇 2 5 2 7 佐伯邦夫著 一年の大半を花を訪ねて歩いていに家族を失った夏子と最終的に結ば 編がある。 四六判一九九五円 る著者は「花を訪ね、花に出会うこれる。しかし、直後の綾の自殺は、本書はいろいろな切り口で富士を どの稿も山に対する思いが伝わっ とは、たとえば赤ちゃんを抱かせて由木の新婚の喜びに冷水を浴びせとらえて豊富な写真 A 」ともに紹介しナカニシャ出版刊容 075 ー 723 ー てきて充分な読み応え。 0111 もらったときに思わず自分が笑顔にる。 た紀行ガイド。 岩崎元郎の新日本百名山 なるよ、つに、とても心地よいのです」↑ロな予兆を感じながらも、由木山頂を目指すのはもちろん、寄生富山県魚津市は富山湾岸の町であ 登山ガイド上、下 という。そんな著者のやさしい心が は、夏子とやはり同期の阿形大知と火山に登り、この山を囲む周辺のる。屏風のよ、つに連なる北アルプス 岩崎元郎著 伝わってくるコラムも見所。 ともに、アンデスの未踏峰チュルバ山々から富士を仰ぐ。 が日々の生活とともにある。 <l-n 判各一六八〇円 山と溪谷社刊谷 03 ー 6234 ー 16 宙湾岸からの O つな 一中高年の登山プームの昨今、その 年齢層による山の事故も絶えない。 イ出ホ ひ′ そこで著者は「山を低くすればトラ 遠足案を。富士山麗を見る・歩ぐ、撮る【み一、 佐 プルも減少するのでは」と、新日本 BOOKS をい 1 ツ 1 ー 0 いつ 1 ・ 1 第・ 新満文 鶩蝗者 篠崎博
第→勾い 俣 斜 北アルプスの中心部、三俣蓮華 岳の北にはほば四キ。四方の溶岩台 地、雲ノ平がある。その周囲を取 り巻くよ、つに東西南側を黒部源流 本流が、北側を支流の岩苔小谷が 深く切れ込んで流れている。さら に、その外側を、水品、鷲羽、三 俣、黒部五郎、薬師等の名山が取 り巻いている。 ざっとこの地域を総称して黒部 源流地帯と呼ぶ。このような変化 に富んだ地形に加えて植生にも富 んでいるこの地域の秋は、ひとき わ趣の深いものがある 雲ノ平では夏の間はとかく涸れ がちだった池溏も水を湛え、その 周りを取り巻くイワイチョウの葉 は鮮やかな黄色を呈する。この黄 色の草原とハイマツの緑によって 雲ノ平の大半は彩られ、その中に ナナカマドの紅色と形のよい火山 岩が点在する。 この頃の雲ノ平は人影が少なく、 時折、草原を駆け巡るキツネの親 子を見たり、天気の変わり目には 台地の地形にそって霧が静かに這 って行く有様や、太郎平の彼方に 沈む夕日を受けて立つ見事な虹を 見ることもしばしばである 源流の谷間から周囲の山々にか けては紅葉の様子も雲ノ平とは少 1 5
色づく森をぬけて籾糠山をめざす とはかけ離れた爽やかな朝を迎え、 天気は快晴の予感。そして心配し ていた紅葉も、高度を上げるにつ れ彩りが増し一安心 天生峠は飛騨北部、合掌造り集 落として有名な白川村と河合村と の境にあり、峠から飛騨の匠伝説 が伝わる天生湿原や、原生林の渓 谷、湿原を有するブナの尾根を登 もみぬか り詰め、籾糠山に達する 籾糠山は標高約一三〇〇の天 生峠まで車で上がれるため歩行時 間も短く、豊かな自然をゆっくり 楽しむことができる。春の湿原と 花、秋の原生林の紅葉は美しく、 また、山頂からの北アルプスの 展望も素晴らしい。 私たちはそんな籾糠山のブナの 紅葉に期待し、さらには合掌集落 の散策やどぶろく祭り、白水湖畔 の露天風呂など欲張った楽しみを 思い描き、ますは籾糠山登山へと 出発した。 カラ谷から登り 木平湿原へ下る 天生湿原から籾糠山一帯は天生 県立自然公園として整備が進み、 峠には広い駐車場と、トイレかあ る。峠から南に進み小さな流れを 横切って谷沿いを抜けると、オレ ンジ色に染まった天生湿原に出た。 湿原を半周したところで斜面を下 89
イ第 : 当をド 槍・穂高の展望をひとり占め 彩り豊かな静寂の峰々に心躍る 北アルプス◎新穂高温泉から鏡平、双六岳 写真 = 梶山正文 = 薩摩友子 雄大な峰々を映す鏡平の池沼群 双六岳の山稜は紅葉も鮮やかた さあ、出発 ! 新穂高温泉か 登山口の温泉も魅力。 ら蒲田川左俣林道へ入る こは奥飛騨の湯処だ わさび平小屋の前には居心地の よいイスとテーブルがあり、美味し そうなリンゴと野菜も魅力的。お 風呂と布団の幸せな一夜だった 左俣林道は紅葉には早かったが、おしゃべりと道草を楽しんだ @1 一者を を : 第をトを 見えるか、見えるか : 槍の穂先が顔を出した 登山口で、私はかなり興奮して いた。ニュ 1 ジ 1 ランドの一〇カ 月におよぶ山旅から帰国して間も なくであり、久々の日本の山歩き に、い躍っていたのだ。今回の山の 相棒、初心者のてらやんも大変に 興奮していた。紅葉の時期になる と何度となく目にする「鏡平の池 に映る槍や穂高と、周りを彩るダ ケカンバやナナカマドの紅葉」の 写真。今回は、その風景を自分 の目で確かめられるのか ! という 期待と不安、そして、てらやんの 20