AKIYAMA NETWORK オユー、チョモランマなど約 40 点を展示。 林朋房「高山植物・花の写真展」 >9 月 15 日 ( 金 ) ~ 28 日 ( 木 ) 10 時 ~ 20 時 ( 最終日は 14 時まで ) 東京・銀座の富 昭和 2 2 年 日本山岳写真協会写真展 士フォトサロン ( 銀座ファイブ 2F 、谷 03 ー に設立され 「 2006 山・われらをめぐる世界」 雪解けとともに咲くチン 3571 ー 9411 ) た全日本山 >9 月 1 日 ( 金 ) ~ 7 日 ( 木 ) 10 時 ~ 20 時 ( 最 岳写真協 グルマや数 終日は 14 時まで ) 東京銀座の富士フォ 多くの高山 会。毎年 9 月 トサロン ( 谷 03 ー 3571 ー 9411 ) 国内外 の花たちな 、、をはト ' に開かれる の四季の山岳景観や、山野の動植物など 写真展は会 ど、夏山を、 歩きながら をモチーフ 員作、公募 出会った咼 作あわせて 400 点弱の作品が並べられる。 をにした写真 山植物の ぞみル洋窄など 1 5 0 点 く問い合わせ〉全日本山岳写真協会谷 ー、あまりの作 写真展。 12 枚で構成する組写真展。 03 ー 3634 ー 8030 品を展示。 フォトクラブ樹想 3 人展 志水哲也写真展 会員作以外 「称名滝一日本最大の滝を完全解明ー」 「森は語る」 、一にも、一般 から公募した優秀作が展示される。今回 >9 月 2 日 ( 土 ) ~ 10 月 1 日 ( 日 ) 9 時半 ~ 17 時 A10 月 2 日 ( 月 ) ~ 7 日 ( 土 ) 10 時 ~ 19 時 ( 最 ( 9 月 4 日、 11 日、 19 日、 25 日は休館日 ) 特別出品として皇太子殿下の撮られた写 終日は 1 7 時まで ) 東京・銀座のギャラ リーアートグラフ ( 中央区銀座 2 ー 9 ー 14 写 富山県立山町の立山カルデラ砂防博物 真 1 点も併せて展示される。 館 ( 容 076 ー 481 ー 1363 ) 大判写真を使 く問い合わせ〉日本山岳写真協会谷 & Fax 真弘社フォトアート銀座内、谷 03 ー 3563 ー 0372 ) 大判カメラで日本の森に挑む」 って称名滝の秘めたる本質をカメラマンの 03 ー 3261 ー 3292 視点で表現。 4 段 350m の大滝の全貌を解 をテーマに 『サバイバル登山家』写真展 明。加えて昭和 36 年に行われた称名滝総 70 歳を過ぎ with 丸山剛・梶山正 て森と大判 合学術調査についても展示。 9 月 24 日には ギャラリートークも行う。 >9 月 2 日 ( 土 ) ~ 9 月 24 日 ( 日 ) 10 時半 ~ 21 カメラに興 時東京・渋谷のモンベルクラブ渋谷 味を持った 茂出木協子写真展 仲間 3 人で 店 5F サロン ( 谷 03 ー 5784 ー 4005 ) 無料 「天空への道・魅せられてヒマラヤ」 「岳人」編集部員でもある服部文祥が、 森を撮り歩 登山記『サバイバル登山家』 ( みすず書房 >9 月 7 日 ( 木 ) ~ 20 日 ( 水 ) 10 時 ~ 18 時 ( 最 く写真クラ 終日は 15 時まで ) 東京・四谷のシグマ 刊 ) をまとめたことを記念して、その内容を ブを結成。日本各地の森を約 2 年間で十 数カ所訪ね木々の醸し出す美しさ、生命 ラボ四谷フ 写真で紹介。実際の登山シーンを切り取 った迫力ある作品や、岩魚の捌きかた、サ 力など表現。 ォトギャラリ ー ( 新宿区 バイバル食糧になる山菜の紹介、豪雪の 第 27 回の会「白い烽」写真展 黒部での雪 三栄町 7 番 >9 月 8 日 ( 金 ) ~ 20 日 ( 水 ) 10 時 ~ 18 時 ( 木 地シグマラ 洞生活など 曜休館 ) 愛知県・名古屋市の名古屋 ポ四谷営 サバイバル 富士フォトサロン ( 日土地ビル 2F 、容 052 ー 業所 B 1 F 、 の実践を説 谷 03 ー 5269 ー 2877 ) ヒマラヤに魅せら 203 ー 5263 ) 山岳写真家の白旗史朗 、明する写真 氏を中心に集まるアマチュア写真家の会 れ、通い詰めている茂出木さんの作品展。 よど。企画 展として楽 の定期写真展。 「心に映る山々」 しめる。写真展開催中のみの特別写真パ 「チョモランマへの道」 第 14 回日本山岳会 ンフレット『サバイバル登山家 photos 』 (A4 アルバインフォトクラブ写真展 小川誠写真展 判、 16 頁 ) を 500 円で販売。また、期間中 >9 月 20 日 ( 水 ) ~ 10 月 1 日 ( 日 ) 10 時 ~ 18 時 の 9 月 6 日 ( 水 ) の 19 時 ~ 20 時 30 分にトーク >9 月 28 日 ( 木 ) ~ 10 月 4 日 ( 水 ) 10 時 ~ 18 時 ( 最終日は ショーを開催 ( 無料 ) 。 ( 最終日は 15 時まで。日曜・祝日休館 ) く問い合わせ〉モンベルクラブ渋谷店谷 東京・神田のオリンパスギャラリー ( 谷 03 ー 1 7 時まで、 月曜休館 ) 3292 ー 1934 ) A2006 年春に公募隊でチ 03 ー 5784 ー 4005 東京・四 ョモランマ 2006 全日本山岳写真展 に挑んだ山 谷のポート 山々へのいざない 岳写真家・ レートギャ ラリー ( 新 小川誠さん >9 月 6 日 ( 水 ) ~ 11 日 ( 月 ) 10 時 ~ 19 時 ( 9 日 宿区四谷 1 ー 7 日本写真会館 5 F 、容 03 ー の記録写真 は 10 時 ~ 18 時、 11 日は 10 時 ~ 17 時 ) 3351 ー 3002 ) 日本山岳会の写真好き 東京・池袋の東京芸術劇場 5F 展示ギャラ 会期中は毎 のメンバーによるフォトクラブの定期写真 山岳に関する写真、自然の写真 展。今回は日本山岳会のマナスル登頂 50 をとおして相互の親睦と写真技術の向上、 日 1 4 時から 写真文化の普及発展の一翼を担うべく、 周年記念展。 小川氏が展示作品の解説を行う。チョー 175 GALLERY 。山々 ) 松い 天空への道 茂出木協子写真展 魅せられてヒマラヤへ 年日 ! 00 ~ 旧 : 00 い 00 ) シクマッ谷フートギャタ丿
富士の見える山・冊 この秋に登りたいお勧めの 写真と文Ⅱ工藤隆雄 「あっ、富士山だ」 山に登って初めてそう呟いたのは、今から三十年も前、 八ヶ岳の稜線に辿り着いた時だった。まだ私がニ十歳、 学生の頃だった。 それ以来、山で富士を見るのが楽しみになり、その姿 をよく探した。元気な時、富士山は凛として見え、仕事 に疲れている時は「頑張れ」と励ましてくれた。 四十代、私は病に倒れ、未来がないものと思った。し かし、幸い健康を取り戻し、再び山に登ることが出来た。 すると、富士が見え、「あきらめるな」と相変わらず励 ましてくれた。 私に元気を与え続けてくれた富士山の魅力を多くの人 と分かち合いたい。拙著「平成富嶽百景」の中からお勧 めの富士の見える山山を紹介しよう。これからは空 気が澄み、絶好の富士見登山が出来る季節になる。今年 はいくつの富士を見られるたろうか ある年の秋、台風一過、北岳の稜線で迎えたご来光。雲ひとっ ない空だった。富士山の左に見える湖は、山中湖と思われる
上・北千里ケ浜から久住山をめざす。火山ガスに注意 下・最後のピーク沓掛山を越えれば下山口の牧ノ戸峠まであとわずか 久住山山頂から扇ケ鼻分岐を過ぎ ると、ナベ谷が紅葉に包まれていた い瞳のようで、目を転じると祖母な噴気がシューシューと音を立て 山や阿蘇山、そして今夜泊まる赤ながら青空に向かって昇っている。 屋根の法華院温泉山荘が見える。 砂原をケルンに導かれて南へ進み、 久住分れに達した後、石ころの急 山のいで湯を満喫して 坂道を踏んで久住山山頂に到着。 翌日は久住山へ ここからも絶景を堪能しよ、つ。と あくる日も、欲張って早朝から くに阿蘇山方面の雄大さは何度見 風呂に入った。オープンデッキにても見飽きることはない。 出ると坊がツルには、つつすらと霧 山は雲つく裾野は広い が立ち込め、大船山の山頂だけが 何処が久住のはてだやら ちょこんと望まれた。 野口雨情 日本屈指の高原を見晴るかした 朝食を済ませ、宿の裏手の坂道 を登って北千里ケ浜に上がると、 後は、終着地の牧ノ戸峠へと歩を 景色は一変。硫黄山からは真っ白進めよう。 1 山口時。 前山れキ 手火分ス ⑨山住山る 0 也は住巻ス 船久登力 谷ゲに久圧の 大重か 5 4 場雨際、がル 胡訐九駅 8 4 役。の場彩 時原腑 町う一丁水色カ 山一 よ彳と方 泉者重え通レの土 大、山 ル日皿長 九備をイ赤池 本 6 ッ院 を浜訃のケ 分豊四 か華 。日谷 キャンプ場一合 坊去 5 幻 1 寒里ル雨 坊がツル一 プ 物防千ノ、旬 雨ケ池越び小屋ン 歇日田断山ワの北、ヤ中 、法華院温泉、ゲ ( 2 日ま横主 7 7 、 イ 9 ・な亠レ 丿ド旬 ~ 里岳 崩壊地 ( 。州久 0 4 ス主ンと刀 山分分駅九撕平谷一 '(j 望ネ 登 3 4 朴 0 と朴か一 o 丿 1 中湯タ容プ標坊展 0 久住分ル 九時時後 71 後、ン所で道。大新 避難小昏一合 田タ - 日ジ′ ~ 原計計泉 9 2 . ビ - 久者 = = 。戸 , 山ジ総込れ、田山 一西千里ケ浜 原口た大 鼻△鼻 日日華牧—, 営ス峠図長田朝道。・ ケケ 扇扇 8 . 、法例←珠ハ戸形・竹・込・」 7 ) 0 玖井ノ地せ。 ス也いが見 分 4 行スの牧万わ 1 イ < 日夕 驪吸レの下 ノ亀 = 5 合 1 ヾ 材考間時通 。りい・ド崩ス葉 O 取参時臼交 日間帰行問 7 アのガに紅は 大崩ノ辻 黒岩山 △ 1503 平治岳△ 1643 1745 . ・ 星生山 、 - △ - 、、ナベ谷 沓掛山 1786 1503 1791 / 96
「今日に限って」の声。七人中三名 が持ってこなかったことが判明し た。夜の山道をへッドランプで下 るのは、そ、つやさしくはない。ま して一一人に一つしかないのだ。足 元の悪い所は一人すっ照らし、と 山でも日常でも粗忽者を自認す 七、八年前の秋、霙線沿線の になく、廩重に降りた。 るわたしには、失敗は数限りなく滝子山に登った時のことだ。湯ノ 結局、退に出たのは八時頃だ ある。 沢峠までタクシ 1 で入り、滝子山 った。一気に緊張が解け、「よか 高校山岳部時代の生意気盛りの から初狩駅に降りる五時間半ほど った、よかった」で握手。 時にはかなり危険なこともした。 のコ 1 スである。 それでも反省は残った。何度も 沢など知りもしないのに丹沢の沢 天気はみごとな秋晴れで滝子山山に行っているメンバーであり、 へ行き、進退きわまったすん、裸では展望を存分に楽しんだ。あと夏の北アルプスも一緒に登ってい 足で滝を降り・るとい、つ危ないこと は檜平を経て初狩駅まで約一一時間 る。 をしている。 半。 「天気はいいし、日帰りなので・ : 山岳会に入ってすぐの山行で 檜平を過ぎ、やや急な下りが続 は、集合時間を一一一時間、間違え く。ここで、一人がズルッと足を 「難しいコースではないし、今日 た。まだ週休一一日ではなかったこ滑らせ、足首をひねった。幸いな ろで、前日入って翌朝登る、とい ことにゆっくりなら歩けるとのこ 確かに日帰りで、ばっちり晴天、 う山の常識を理解できず、土曜日 とで、応急処置をして下り出す。 と条件がんば、雨具やビバ 1 ク の夜九時集合を日曜日の朝九時と 普通なら、あと一時間も降りれば 用具など「今日だけはいらないか したためだ。先輩たちは新人車週に出るという地点だった。 な」などという気がチラッと出た への思いやりから終電まで待ち、 途中、日没になる前にヘッド一フりもする。これが悪魔の誘惑、怖 わたしは何の疑問も持たす翌日昼 ンプの思をしようとしたところ、 いところだ。 過ぎまで駅でポケーツと待ってい 数人から「すみません、つい」 秋は気温や日の長さが急激に変 た。自慢じゃないがこの手の失敗 はいくらでもある。 部ル一一がド出 登山を仕事にするよ、つになって 、いカ新 崎に入現、かな難京 ー部に。とる少東 からは年間一一〇〇日くらい、いろ 岳会む山いの「 ー山岳込ので人に」 いろな方と山を登っている。楽し いことがほとんどだが、時には 〔て絵 9 鮭楽き。嶝る・ 0 「うーん」と考えさせられる失敗 に遭遇す・ることもある。 仲間がねんざして、下山途中で日没 夜道を照らすヘッドランプは一一人に一つしかなく 〇樋口英子 ガイド中の樋口さん わってい / 桑卞節である。この日が は必す入れます」 八月であったなら、同じことが起 最後は笑って終わったが、全員 きてもヘッドランプなしで十分対がそう肝に銘じた山行だった。 応できただろう。 その時のメンバ 1 とは、その後、 季節の変化に対して不用意な油「ヘッドランプはいつでもどんな 断が、ひとつのアクシデントをさ 山でもザックの中に」がム旦一一口葉に らに拡大させてしまうこともある なった。当然のことだが予備電池 という体験だった。 も必要。だが、ザックに入れつば 忘れてきた一人が言った。 なしで、いざという時に使い物に ならなかった、とい、つこともある。 「ほんとはね、今日はいっ『ヘッ ドランプ出して』って言われるか、 電池の残量チェックを怠ると新た ドキドキしてた。これからはおに な失敗を作り出すので、これも要 主意だ。 ぎり一個減らしてもヘッドランプ き一 で / ソ′こ プ一丁 全ン撕 、 . 、 41 を安ラを 、ド着 レ」か ざ - っ吊 いろ非 日帰り登山でもヘッドランプは。 蒲の電池も忘れずに 162
ギチ リン ヤル 庭マ 園の - で冠第を、 し変わってくる。そこではダケカ 部側だけでなく反対の高瀬側の斜 ンバの黄色とナナカマドの紅色が面は、バックに槍、穂高、硫黄岳 主体で、山と渓谷の秋を彩ってい の山並みをひかえて、ここならで る。特に鷲羽岳、三俣蓮華岳は黒 はの秋を展開している。 例年だと紅葉中に一一度ほど新雪 が来て、全員下山の十月中旬頃に は根雪になる。その前に水晶小屋 が、次に雲ノ平山荘が小屋じまい をしてスタッフ全員が三俣山荘に 集まる。この時ほど誰もがしんみ りとくつろいだ気持ちになる時は ない。それは一シ 1 ズンをやり遂 げた達成感と、この深山の空気が もたらすものであろうか。そして また、下山の朝は誰もがこの源流 の山々と山小屋に惜別の情をいだ きながら伊藤新道を経て湯俣に向 かう。途中約一一一十回の徒渉を繰り 返して湯俣に着くと、そこはちょ うど紅葉の真っ盛りである。 水晶岳にかかる虹。雲ノ平・ ギリシャ庭園付近から 日日 いとう・しよういち 昨年 60 周年を迎えた三俣山荘の オーナーで、山岳写真家。学生時 代、ジェットエンジンを研究し、終 戦を機に三俣山荘、雲ノ平山荘、 水晶小屋、湯俣山荘を開設。 10 年かけて伊藤新道を開き、登山者 を見守ってきた。著書に「黒部の 山賊』『山小屋はいらないのか』 ( 共 著 ) 、『雲ノ平黒部源流の山々』 写真集『ヨーロッパアルプス、白 き峰々』「白夜のフィヨルド』など P R 0 F は E
秋山 2006 を写そう ! ( 手持ちのデジカメで山ートマ 1 ト。 スポ 1 ッ横浜本店▽各回 1 千円〈問し 、合わせ・申し込み〉〒 389 が八べ気。 る 2 へ登った感動を ! ヱ 9 講座 ) “川月片 〈問い合わせ・申し込み〉東京新聞▽講師は中山建生氏。教材として ー 2601 長野県飯山市照岡 15 〈獅食陽き 門 / 1 日 ( 火 ) から毎月第三火曜日の絽時サンシャインシティ文化センタ 1 谷『雪山に入る 101 のコッ』を使用。 ー新なべくら高原森の家内 Z 飲飲キ何カ 分、時分、 6 回の講座◇ 03 ー 3987 ー 2381 、ファク〈問い合わせ・申し込み〉石法人信越トレイルクラブ事務局 ををとう参 ・・ー 2888 、ファク 「山楽写真講座」山とネイチャーをス 03 ー 3987 ー 2387 、 http: 井スポーツ横浜本店谷 045 ー 50 谷 0269 ー 酒獅駟し。 写真で楽しも - っ ! ( プロ写真家が一、、、、w耋ミ(0を記も.com/、c三(譬e、、 http://www.ibs- ス 0269 ーー ーー 2 2 88 、 http: おい葉気四 、し紅曼まも谷 眼レフ、中判カメラをマンツーマン //www.s・trail.net で屋。 ishii ・ suports. co.jp し お邯自 ー石井スポーツの雪崩講習会 指導する山岳・自然言講座 ) “川 ル可昼竰での字 雪崩ビーコンの机上講習と実習信越トレイル 第回わたしの尾瀬 奏て金文 E 月幻日 ( 火 ) から毎月第四火曜日の の可る字伴め十 トレイルフェスティバル 2006 フォトコンテスト れ文の初 3 〉 時分、時分、 6 回の講座。▽川月幻日 ( 土 ) 時、片時、机上 月せ上 屋さ十一 催はタトわ 座とも受講料 6 カ月で 6 回 1 万学習とピ 1 コンの実習・入門編▽昨年 7 月に総延長キ。におよぶロ四季さまざまな表情をみせてくれ 字字開夜ギンは合 2600 円。山での実習費は別途。川月日 ( 日 ) 時、片時、複数埋ングトレイル「信越トレイル」の一る尾瀬。本コンテストは魅力に満ち 講師は斉藤誠。会場は啝只・池袋の没者捜索のレベルまでの実習・応用部が運用開始された。この信越トレた尾瀬を広く紹介するとともに、貴十今そなな開什 サンシャインシテイワ 1 ルドインポ編▽神奈川県横浜市の石井イルを中心に、信越トレイルトレッ重な尾瀬の自然を見直し、自然保護 キングと全国トレイルサミットを柱への関心を高める目的で、企画されと。発表は月上旬に、応募者に直 た風宿ブ営 にしたトレイルフェスティバル 2 0 たもの。テーマは「風景」の部、接通知するほか、総合テレビ ルんでイの 06 が開かれる。▽ 9 月日 ( 土 ) 「動植物」の部、「人」の部、「保護」の地域放送番組、また前橋放 一も線ラ期 タえ祕冬 、幻日 ( 日 ) ▽日はバックパッの部の四つ。それぞれの視点からと送局のホームページで。なお入賞作 ス「のれ厳 ーノ 0 カーの加藤則芳さんと歩く信越トレらえた作品を募集している。作品はは返却しない。応募締切は川月引日。 年し厳聰る 用 イルトレッキング ( 参袈 3 千円 ) 。四ッ切りカラープリント ( ワイド四入賞作は群馬、福島、新潟、壅只を 利近風楽 幻日は信越トレイルの起点でもあるツでも可 ) で未発表の作品に限る。はじめ各地で@:言〈展を開催する。 は・水 0 ' 月・か 長野県飯山市斑尾高原内のコースを作品は平成十七年以降に撮られたも〈応募先〉〒 3 71 ー 855 5 群 で天岳花 荘の 8 歩くショ 1 トハイク ( 9 時 5 時、ので、「人」葆護」の部の場合デジ馬県前橋市元総社町 189 5 望評が一八 参袈 1 千円 ) と全国トレイルサミタルカメラで撮影した作品も可 ( こ前橋放送局「尾瀬フォトコンテスト」 岳。なム生 6 ーー 1712 、〒 赤るき一も。 ット。会場は長野県飯山市斑尾高原の場合程度でプリントアウトし係容 すでホっ定谷 スキー場内レストラン「ハイジ」たものを提出、なお被写体に人が含 、 60- ーー 8 【 088 ←島旧不緇島市北 あ施のい予 に実羽荘。を 「 ( 第ハ ~ っ第第 ( 肥時、時、 1 千円 ) ▽トレイまれる場合は本人の承諾が必要 ) 。五老内町 1 ー 5 Z 福島放送局 線も中日望 稜年功天信幻天 ルサミットではゲストに田部井淳子各部門ともひとり三点まで。応募資「尾瀬フォトコンテスト」係谷 02 主 0 念岳配明 氏、則芳氏、中村達氏を迎える。格は問わない。作品の裏面に必要事 4 ー 535 ー 1191 、〒 951 ー サミット後交流会をエ疋 ( 3 千円 ) 。項を記入した応募票を添付。応募作 8 508 新潟県新潟市川岸町 1 利みか月合 新潟放送局「尾瀬フォト ッ第 ( 第第 ~ 申し込みは所定の用紙に記入し、事は原則として返却をしないが、返却 岳肪貶い 一 ~ ッ物」務局まで、締め切りは 9 月日。宿を希望する場合は応募時 0 切手相当 0 、一テスト」係 0025 ー 230 ー 赤厳呂泊力業什 g 1 ワ」ワ 3 ーー 0 ワ」ワ】 LO 泊手配も一緒に受け付けてくれる。分を張った返信用封筒を同封のこ 174
私のまわりで起きた秋の失敗 空気が澄んた秋の山に登るのは気持ちいいが、気温の変化が激しく、日の長さもつるべ落としに短くなるこの季節、 うつかりミスが、とんでもない危険を呼んでしまうこともある。 経験豊かなみなさんに、「秋たからこそ」の失敗談を語ってもらおう。 写真Ⅱ星野秀樹、渡辺幸雄、安藤眞、丸山剛 ころで、また道を見失い、行った り戻ったり。何カ所かで「仕迫 , 一 と登山道との区別がっかす、昼間 だったら何でもないはすの道に随 分と頭を使った。この時代には、 まだまだ山仕事で山に入る人も多 かったのだ。また、この大菩薩北 中学校一一年の時だから、今か時頃には大菩薩峠に着くはずで、 面は多摩川水系の啝都水源林」 ら三八年前のこと。晩秋の十一月 旧大菩薩峠の避難小屋で仮眠し、 して、水源巡視の道もしつかりし 末、大菩薩に向かった。メンバ 1 翌日は牛の寝通りを歩くつもりで ていた。だから、ヘタをすれば登 は同級生三人。みんな、同じ程度 山道以上に確かな仕事道が多く、 の登山経験と登山の知識だった。 夜の道を歩くのは初めてだった。 奥多摩 ( 当時は氷川 ) 駅から丹しばらくは退をたどり、登山道とて、いやすかった。 その先でも、ノーメダワという 波山村に向かい、そこから丹波大 に入るところで最初の道迷いをし ところで判断に迷った。何回か行 菩薩道を夜中に登ろうと最終バス た。行って戻って、「やつばり、 ったり戻ったりをして疲労した。 に乗った。満天の星空の下、丹波ここが入り口だ」と山に入った。 でも、真っ暗なはすの夜の山が、 のバス停で降りたのは八時をまわ 山に入れば一本道のはすが、マリ っていたと思う。深夜の一時か一一 コ川という小さな流れを渡ったと意外と明るいこと、遠くのところ 十一月の東京近郊で予想外の雪 寒くて眠たかった初めての夜登山 〇山田哲哉 秋山登山講座 中学 2 年当時の山田氏。 3 月に八ヶ岳で どころに集落の灯が見えることが 当時の出卞生は真面目だったか 、つれしかった。 らまで起きているは \ 本格的な登りが始まる頃、ポッ 日付が変わるころには睡魔が襲っ リと雨が落ちてきた。今のような てくる。本格的な雨に打たれて寒 確実な雨具はなく、ポンチョとい さがつのり、眠気と寒さで震えな う、ザックごと被れるビニ 1 ル雨 がら歩いた。いっしか綿のスポー 具が主流だった。これは蒸れにく ッシャツはシットリして防寒の用 はなさなくなっていた。 く、防水も確かだが、横や下から の雨には無力だった。 「おい、雨が白くないか ? 」 市ものが山大 野く、部登、る スだ多て 都名、プ所奥っ o 」、とがル場の思 谷京 東翫ク頃と や風。好 6 て生山 てド育で入中 まつも 0 学の 阜 イ生れ何とには 山や山でä鮏蔀 2 158
秋山 2006 ・ l—ウォーキングスタジオ仙台渡市で開催される五葉山写真展のた所定の場所に搬入すること。最優秀 とから、クレジットカ 1 ド決済を望 上杉“仙台車耳葉区上杉 3 ー 3 ー 2 めの作品を募集している。募集して作品ほか、優秀作品数点を選出・表 む声があったという。 1 上杉 Zco ビル、谷 022 ー 2 いる作品は五葉山や五葉山周辺の自彰する。 カ 1 ド決済端末を置いたクレジッ 、 6 ニ . ーーら / 11 ワ 。営業時間はⅡ時、然を題材にしたもの ( 被写体が五葉〈問い 合わせ〉〒 022 , ー 0005 ト会社ではカ 1 ドが利用できる日本 四時、日曜・祝日定休。 一高い場所だとしている。 山、または五葉山皿自然公園内で岩手県大船渡市日頃市町阿字石橋 ・ウォーキングスタジオ大阪撮影したものであること ) 。作品は五葉山自然倶楽部事務局・中嶋敬治 社団法人日本山岳ガイド協会の 本町 " 大阪市中央区備後町 4 ー 3 ープリントのみで、モノクロ・カラ 1 谷 & ファクス 0192 ー 八ヶ岳自然ふれあい集会 2006 6 アスティナ御堂筋本町、谷 06 ー を問わない ( デジタルフォトも可 ) 。 6226 ー 0791 。営業時間はⅡ大きさは四ッ切り限定。一人 3 点以 全国の山岳・自然ガイドが蓼科温 第 6 回写真撮影会・自然観察会 時、四時、日曜・祝日定休。 内で、他コンク 1 ルでの入選作は応 泉に集い、交流会、会議、研修会等 花畑日尚氏と尾瀬を歩く 募できない。作品は原則返却されな を行う。その記念イベントとして、 第 3 回五葉山写真展のための ( 返却希望の場合は着払い宅急便▽ 9 月日 ( 土 ) 、日 ( 日 ) ▽ 地元ガイドによる八ヶ岳自然ふれあ 作品募集 で返却 ) 。作品名・指名・説明のメ尾瀬・見晴十字路の原の小屋とその誉 い登山を開催する。地一兀の山を知り 岩手県の名山五葉山の山麓・大船モを添付して、川月 2 日絽時までに周辺▽ 3 万円 ( 2 泊 5 食付き、宿 つくしたガイドとの登山、コンパス 泊は原の小屋 ) 、人程度▽中判んは豊富だ。 ナビゲーション & 講習会、懇 カメラのマミヤオ 1 ピーでは希望者大阪店の営業時間は間時半、加時親会での各地の愛好者やガイドとの 七出楽の >h - カ一」ゞ にマミャ中判カメラを無料で貸し出 ( 日曜・祭日は川時、四時半 ) 。 交流、山の温泉などの魅力が満載。 カ山 0 してくれる。希望者は申込書にその〈問い合わせ〉石井スポーツ▽ < コース【蓼科山登山と自然観 可タ狩凰 でてコ鳳 旨記入する。撮影会への参加希望者大阪店谷 06 ー 6344 ー 5225 察、川月 2 日 ( 月 ) 、 3 日 ( 火 ) 、 施理キや はます電話で申し込む。 3 人、 2 万 4 5 0 0 円▽コー て境ゅ 富士山登山も 実を調し環 〈問い合わせ・申し込み〉原の小屋 ス【天狗岳、縞枯山登山と自然観察、 キャッシュレスに 無キ応安自 8 谷 09 、 0 ーー 8q0 ワ〕 1 ーー 8 ワけ 1 4 、檜 1 月 1 日 ( 日 ) 、 3 日 ( 火 ) 、人、 をたにもの ー 20 富士山の八合目で営業する本八合 3 万 5800 円▽ O コース】八ケ 一枝岐村連絡所谷 0241 ー 08 目富士山ホテルに、今年七月からク岳南部縦走と自然観察、 9 月日 とで都会 か賞開 5 レジットカード決済端末が設置され ( 土 ) 、川月 3 日 ( 火 ) 、肥人、 7 万 翡禾ー・日 ー石井スポーツ大阪店 円▽コース【ナビゲーション技 移転 & リニューアルオープン のでをの植も屋 本八合目富士山ホテル ( 谷 055 術と技術講習会、川月 3 日 コまれコ山会 「石井スポーツ」大阪店が、 ー 0237 ) は富士山の八合 ( 火 ) 、 4 日 ( 水 ) 、人、 2 万 2 千 ノく高明可 キ劇スの鳳 大阪駅前第 1 ビルから大阪駅前第 2 目 ( 標高三四〇〇 ) で営業する山円 ( 当会会員 1 万 9 千円 ) ▽申し を辺 でで定っ周よせ ビルに移転、また福岡天神店も店内小屋で、四五〇人が宿泊できるほか、込み方法は申込書をファクスするか 屋同ま屋甦わ る小歴合 一一一 . ~ をリニューアルした。山の専門店と飲料水や携帯用の酸素の販売、食堂郵送し、同時に参加費を振り込む。 しての商品ラインナップに加え、旅も運営されている。年間八〇〇〇人申し込み締め切りは 9 月日。 鳳かてめ一 〈問い合わせ・申し込み〉〒 160 行やウォーキング、防災用品まで品の登山者が宿泊し、外国人も多いこ ・山小屋伝言板 、」 0
三平峠から一ノ瀬へ向かう途中で [ 尾瀬におけるクマに出会う場所の傾向 ] ①樹林の中・・・く早舂〉ブナの木に登って若芽を食べている / く秋〉ブナやミズナラの木に登って実を食べている ②山すそ・・・湿原でミズバショウの実などを食べている ③笹が茂っているところ・・・く 6 月 ~ 7 月〉タケノコを食べている ④川の近く・・・尾瀬ヶ原の中で、川の周りが林のようになっているところの付近で、 木道を横切っていくクマが目撃されている 尾瀬ヶ原ではクマがよく ヨシッポリ田代の注意看板 目撃されるポイントに鐘 を設置している。通行す る前に鳴らすことで、ク マに人間の存在を知ら せると同時に、ハイカー 自身に注意を喚起する ことを目的としている CAUTION!I BEAR 日光置立公第第第一 ※なお、過去 2 度の人身事故が起きたヨシッポリ田代では、クマのオ 活動が盛んな時期 ( とくに 6 月 ) に、重点的に監視を行っている。そ の結果、危険と判断された場合に木道の一時通行止めなどを行う「 こともある。現場の看板などの指示にしたがうこと。 ◎財団法人尾瀬保護財団では、 尾瀬でのツキノワグマによる事故を防止するために、 主に次のような取り組みをしている。 ・ツキノワグマ目撃情報の収集と公開 ・行政、土地所有者、 山小屋などで構成される 「ツキノワグマ対策会議」の運営 ・ツキノワグマ対策マニュアルの作成と運用 ・尾瀬でのツキノワグマ生息状況の調査 ・ク御池へ 大白沢山与作岳 燧裏林道 三条ノ滝・ 1933 △ △ 1942 燧岳 景鶴山 2356 △ 2346 温泉小屋今温泉新道 笹山合 / ・ 2004 / 赤田代・ カッパ山東電小屋、ミ 538 △ 1822 ・ ョッピ橋 尾瀬ヶ原 . 、 、、 - 尻を 八海山△ 沼 ・墮代白小沼、、 - 、ド、峠 砂湿景、尾瀬沼、合長へ . 小屋 牛首分 三平卞蔵 上田代 龍宮 十字路、 ! 沢 ! 研究見本園 ) - 今 三平峠 1760 ヂ道、・皿伏山人 ・・・・山、山の第 / ) い△ 1885 至仏山 ノーピジタ - センター ーノ瀬 6 、オモジロ山 2228 △・ アヤメ平 .... : 小至仏山 △・ ・積中原山士 △ 2162 鳩待峠 \ 合 1969 十 り / 士見下へ / / 御池へ↑ 、、尾竸 第、ビジター △ 1953 ススケ峰 岳ケ倉山 私にとっては、三度目の尾瀬と タ 右キ活士先ンなる。最初に来たのは、大学の体 呆い里す せ一育実技「ワンダーフォーゲル」の ン 彦記と護れ 合宿だ。そのとき足に履いていた のは、今は亡き母から譲り受けた 引瀬 本研マ し。のグ取 6 問尾キャラバンシューズで、一「 = 一年 橋は団ワに る一 すタ前に母自身が尾瀬に来るために買 「 g セったものだった。山歩きにはまっ ( タたく無縁の母が尾瀬にあこがれた 期年ン画れ 、 / ド左一 5 セ企ま マ団ジ 第一は生ク財ヒのは、「夏が来れば : ・」のあの歌の 護鼻 さの ~ ン在年 の保のせいだったらしい。一一度目に来た 仁も団年ヒ現 レ」財 6 刀ロ攵か四 智護 0 瀬任瀬尾瀬のは、たしか就職した年で、やは 類る保。尾こ りそのキャラバンを履いてきた。 心 ) " * ん瀬員で主 安あ職まタ課 以上は、多少こじつけめいてい るが、″尾瀬は母と娘をつなぐ〃と いう一一例である 路十 = 水 字代水清 さて、翌日は朝から雨が降る中、 十田清大 宮下大 = 白砂乗越をへて尾瀬沼へ。広い湖 面を前にどっかりと燧岳が座り込 0 5 3 4 む眺めは、前日の漠々とした尾瀬 戸 屋瀬待い ヶ原とはがらりと違った雰囲気だ。 首温分分 3 峠対照的な一一つのエリアを連続して 平 日間ス 8 味わえる自然の庭園として、尾瀬 時 2 時 0 2 1 倉 0 1 1 3 岳が日本人に愛されているのも、つな 気蹴下 0 ケ 」通田燧ずける。でも、ここが決してやわ ではない野生が息づく場所である 山△ 5 = 分間越 7 7 4 ケ 1 蹴時関 2 い瀬 4 0 尾ということも、忘れてはならない 卅収駅容 2 2 へき 1 寺、、 ノ田 0 2 のだ。 湖畔を回って三平下に着くころ の般 2 = 時沼田田課 o . 日椒吩図には雨も上が。ていた。宿で作。 205 ピ 3 分 = 4 ・画団てもら 0 た大きなおにぎりを食べ 1 ・イ時行時わ村護 ながら、私は一一十数年ぶりの尾瀬 2 岳 < 日夕分い・合岐保 ケ < 材考 0 路 5 通 ( い枝瀬 ジ笠 o 取参に字計交 0 問檜尾 1 に別れを告げる 1917 ! △白尾山 △荷鞍山 2024 2003 《王 122
山 仲間が聞く。大粒の雨と思って そこまで行こう。でも、このシ 1 の中に、峠の A. ) 顔のないお地も十分にあった。 登 の 朝も雪は降り続いていた。クタ いたのがみぞれになって、白っほ ズン初めての雪の中、足元も滑り蔵さん、そして介山荘という山小 朝 早 クタだったが、 雪の中を歩けるこ い粒がポンチョをたたく。やがて やすく、眠気もあって、なかなか屋が現れた。お金の余裕はまった 、いま ーレ とがうれしくて、大菩薩嶺を往復 風の音がして、ポンチョをめくる。 進まない。寒さもこたえたが、下くなかったが、旧峠の避難小屋ま み し、転げるように小菅に下った。 そして風の音が本格的に強くなっ 着の上に直接セ 1 タ 1 を着てみた で行く力は全然ないので、小屋の も 今となっては無茶なことをした たところで、フルコンバ小屋 ( 今 ら、これは正解で、ちょっと元気扉を叩いた。午前一一時を過ぎてい 冷る のれ ものだと思っ。十一月の山と雪は、 では地名だけが残っている ) に着が出てきた。 た。「いないのかな ? 」と思うこ 朝見 当時の僕には結びつかなかった。 「ミ いた。ここは小屋といっても、ト 山で予想外に出合ってしまった ろ、懐中電灯の灯が見えた。 で氷 山薄 タン屋根があるだけの「小屋掛け」 雪は怖かったが、都会育ちの中学 「ど、つした ? 」 しかし、この時期、これらの山で / ・ ) 秋道 ( 仮小屋 ) 。壁がないので、みぞれ生にとっては、珍しいものでもあ は降るとしたら雨と雪の可能性が その声を押し退けるよ、つに、中 半々。実は最も判断の難しい時期 は情けなく入り込む。とても に入った。コタッに火が入れられ、 る。怖いような、興奮するような、 意だ。自分のわすかな経験から得 であることを、この経験で知った。 じゃないが眠れる場所ではない。 おまけに激しい眠気に襲われなが とにかく裸に近いで潜り込ん た「知識」ではなく、山の「現実」 それでも、一〇分ぐらい、みんな で泥のように眠った。 ら、不思議な心地で歩いていった。 都会の季節感覚 A 」山の実際の季 を情報収拾することの大切さをか ヘッドランプの前を降りしきる雪 でうたた寝をした。 翌朝、小屋のオヤジにこっぴど節とのギャップ。都会では紅葉の みしめた。 いっしか、みぞれは雪に変わっ は、経験の乏しい僕にとっては文く叱られた。外には一一〇を超え気配もない十月上旬に、北アルプ これ以降、都会の季節成」山に て登山道を白く覆い出した。もつ、 字通りの吹雪に思われた。 スの稜線では最初の冠雪を見るこ る積雪があり、もっと時間がかか 持ち込むことは少なくなった。そ 次の休憩は大菩薩峠だ。なんとか、 やがて、ゴ 1 ゴーと鳴る風の音 っていたらル 1 トを見失う可能性とが多い。特に晩秋とは注 して、ザックの底にツェルトが必 す入るようになったのはこの時か らだ。また、ガイドとなってから は、ふだんは少々の雨でも実行し ている登山を、四月と十一月だけ は、あいまいな天候の時には中止 る 降氏 することが多くなった。それもこ ・がで田 」一雪泉山 の時の「痛い目」のおかげと思っ にの左 ている。 月前 秋山は、思わぬ雪と出合った、 9 手 」岩 気 樹氷を見た、などと、自分の狭い よ岳目 常識を打ち破る意外性が魅力だ。 しかし、山歩きの途中で直面する ーるの そんなハプニングは、厳しい現実 山も しレ」 でもあるということを忘れないで 高こ「 61 レ、 0 0 3 159