298 書よめば書のなかより路ゆけば路の上より可笑さ來る 褐色の皮の手袋脱ぐ時にふと君が手を思ひ出にけり その年の柿の色づく頃となり再び君が文の來しかな ( 明治四十三年四月八日「東京毎日新聞」 ) 穩かならぬ目付 乳の色の湯呑のなかの香る茶の薄き濁りをなっかしむかな ( 明治四十三年四月二十四日「東京毎日新聞」 ) 四月のひと日 泣きさわぐ幼兒とそれに怒りたる母とを見るは悲しき事かな ( 明治四十三年四月二十五日「東京毎日新聞」 ) 手帳の中より おとなしく人にしたがふ安けさを漸く知りて二十五になりぬ ( 明治四十三年五月八日「東京朝日新聞」 ) 何がなしに 暮れなやむ春のゆふべの窓近き棚にならべる罎の光りよ ( 明治四十三年五月十三日「東京毎日新聞」 ) 手帳の中より ふみ かついろ
よとせ かへり見れば人にかくせる我が戀も早や四年とはなりにけるかな ( 明治四十四年一月「務神修養」二ノ一 ) 今年も 起されて初日を拜みまぶしがる健やかにして寢足らぬ心 ( 明治四十四年一月「野」十 ) このごろ われとわが心に負へるいろいろの負債を思ふ除夜のかなしみ 靑塗りの瀨戸の火鉢を撫でてみぬ心ゆるめる元日の朝 ( 明治四十四年一月八日「東京朝日新聞」 ) 囘憶 わが手とりかすかに笑みて死にし友その妹も病むと今日聞く ( 明治四十四年六月「學生。二ノ七 ) 歌稿より 年 四 今のうちに忘れぬうちに故鄕の村の地圖を書いて置かんと思ひ立ちたる 十 四子を叱り過ぎたきまり惡きさびしさよ ! 家のまはりの地圖などを引く 明 つひぞないこと ! 今日ひょっと子をつれて湯に行きて來ぬつひぞないこと 馬 ! 馬 ! 馬に乘りたし ! 種吉と昔かけくらをせしこともあり おひめ
用のある人のごとくに家を出で上野の山に來て落葉踏む 子のために買ひしおもちゃの機關車をもてあそびたる朝のひと時 ( 四十三年十二月「ス・ハルー二ノ十一 I) ヒ一ニチクルシクナリヌアタマイタシキミノタスケヲマッミトナリメ ( 明治四十三年十二月二十六日宮崎大四郎宛 ) 明治四十四年 ( 二十六歳 ) っと暗き小路を出でて街燈を見あげし女下谷の女 つるはし 眞夜中の電車線路をたどり來て鶴嘴を打っ群をおそるる 寂寞として東京の夜の更けし頃あ、、かの話聲何を語るぞ ( 明治四十四年一月「秀才文壇」十一ノ一 ) 方角 謀叛気の起る夜ほどわがいのち惜しき時なしかなしき時なし ( 明治四十四年一月「創作」二ノ一 ) 今年も 今年こそ何か気味よき事せむと今年も誓へり元日の朝
春の雨瀧山町の三階の煉瓦造によこさまに降る ( 明治四十三年五月十六日「東京朝日新聞」 ) 君のことなど 春の夜のいたづら書におどろきぬ描きしは君に似たる顏かな つらら 雪ふかき石狩の野の都なる氷柱の窓のなっかしきかな ( 明治四十三年五月十七日「東京毎日新聞」 ) 手帳の中より 目を病める女の夜の獨唱よりも猶しめやかに春の雨降る ( 明治四十三年五月二十一日「東京朝日新聞」 ) 黒土の香 ふりそそぐ夏の光にかをり立っ黒土の香のなっかしきかな ( 明治四十三年五月二十二日「東京毎日新聞」 ) 梅雨の頃 三降りつづく梅雨の睛間の日光の眼に強きまで衰へにけり 四重げにも露はね返しゆらぎたる小雨の中の草の色かな 明 ( 明治四十三年六月十三日「東京毎日新聞」 ) ややありて れんぐわづくり
216 ばんこう 晩江の春を雲ぞ美しきとけなばとけよ消ぬべき者か ( 明治三十五年七月二十五日小林花鄕宛 ) 血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらひここに野に叫ぶ秋 ( 詩燈 ) ( 明治三十五年十月第三「明星」五 ) 花祕めて袖に愁ひの高き夢とはなる影に吾戀しるよ ( 明治三十五年十月十七日細越白螽宛 ) 夢はかくて戀はかくしてはかなげに過ぎなむ世とも人の云はば云へ ( 菊あはせ ) 雨の香を鳩の羽に見る秋の堂紫苑さびしく壁たそがるる ( 草紅葉 ) ( 明治三十五年十一月第三「明星」六 ) 秋韶笛語 裂かば花に碎かば琴の夢追ふ子追うて旅する命の秋よ 天琴に誰かよき音の幸守らむ秋掩ふ雲にわかれて去ぬる 裝ひては花の香による蝶の羽秋はれの笛によろしき ( 明治三十五年秋日誌「秋設笛語」序より ) 若き我れにふるべき鞭のつよき神れゆくを笛によみすや 神を仰ぎ道なる花にはぐれきょ何地向きてぞ我れ歩むべき ( 明治三十五年十月三十日日記 )
明治三十六年 ( + 八歳 ) 賀状に 不圖それて何地去にけん幸の魂うつろなる身に春めぐり來ぬ ( 明治三十六年一月一日細越毅夫宛 ) 新扇 この闇にこの火と共に消えてゆく命と告げば親は泣かむか ふぎよう この無興いはば雪ふる破れびさし暮るる光の淡きに似たり このおきな筆を立てては虎のごと髯は少女のとめ針のごと ( イプセンの像に ) ほほけては藪かけめぐる啄木鳥のみにくきがごと我は痩せにき ( 明治三十六年七月「明星」卯七 ) うつろより惱みもてくる影の如秋は吾頬の痩に人りけり ( 明治三十六年八月二十五日小林茂雄宛 ) 星寒う落葉思ひを亂す夜や「秋」は吾頬の痩に入りけり たま 花びらや地にゆくまでの瞬きに閉ぢずもがもか吾靈の窓 うらぶれや心の憂さは拂ひかねほ、けし頬に秋の蠅うつ ( 明治三十五年十二月一日日記 )
294 御柩の前の花環のことさらに赤き色など目にのこりつつ ゆるやかに柩の車きしり行くあとに立ちたる白き塵かな 目の前にたふれかかれる大木は支へがたかり今日のかなしみ くもりたる空より雨の落くるをただ事としも今日は思はず しかはあれ君のごとくに死ぬことは我が年ごろの願ひなりしかな ( 明治四十二年十一月四日「東京朝日新聞」 ) とっくに いにしへの彼の外國の大王の如くに君のたふれたるかな 夜をこめていたみ給へる大君の大御心もかしこかりけり ( 明治四十二年十一月五日「岩手日報」 ) 明治四十三年 ( 二十五歳 ) 手をとりし日 少年の輕き心は我になしげにげに君の手とりし日より 泣きぬれし顏をよしと見醜しと見つつ三年も逢ひにけるかな かしましき若き女の集會の聲聞き倦みてさびしくなりぬ 長く長く忘れし友にあふ如き喜びをもて水の音きく 君に逢ふこの二月を何事か忘れし大事ありしごとく思ふ みひつぎ あつまり
125 きみ わかれ來て年を重ねて こひ 年ごとに戀しくなれる 君にしあるかな いしかりみやこそと 石狩の都の外の きみ 君が家 林檎の花の散りてやあらむ 長き文 みたびき 三年のうちに三度來ぬ よたび 我の書きしは四度にかあらむ りん 1 」 なが みとせ われ ふみ はな とし
215 ( 明治三十五年 ) 羊よぶ調みだれぬ野の中の古江のあたり桃の花散る あららぎ 鞍壺に櫻かっ散る森の下道塔高く月出でにけり 森の水に墨染衣名を云はずうしゃ經の手涙にぬれぬ ( 明治三十五年三月「盛岡中校校友會雜誌」三 ) にしき木 にずり タ雲に丹摺はあせぬ湖ちかき草舍くさはら人しづかなり 甍射る春のひかりの立ちかへり市のみ寺に小鳩むれとぶ ( 明治三十五年三月「盛岡中學校校友會雜誌」三 ) がくしょ 音を高み樂所の春の玉椿律は亂れてそとちりにけり たまのを せうきよく 駒ながらたどる瀟曲の春をはや笛の玉緖に花散 春なれや櫻のにしき紅き中に市の花人花もよひする ( 明治三十五年五月十七日赤林虎人宛 ) 春ならず紅きもとめん花もなし終なる里をいづち知れとか あけ 雲消えし澱みの底の水いか に紅なる色の影もあらずや ( 明治三十五年七月二十日小林花鄕宛 ) とはむ花紅きあらねどひたすらに訪ひ來ん君をたのしとまたむ ( 明治三十五年七月二十日細越毅夫宛 ) くさや
つくづくと我が手を見つつ思ひ出でぬ手にかかはらぬ古き事ども 曉の街をあゆめば先んじて覺めたることもさびしきものかな はんとき 瓦斯の火を半餉ばかりながめたり怒り少しく和げるかな 親と子とはなればなれの心もて食卓に就く気拙かりけり うかれたる事もよしよし年とれば年に一日も浮かるる日なし 夏の日に蠑の融くるが如くにも我が道念の融けゆきしかな いろいろの壜がつめたく列びたる酒場の棚の白き塵かな ( 明治四十三年三月三十一日ー四月七日「東京朝日新聞」 ) 夜霧の街 うす暗き藏のなかなど怖れたる幼さをもて女を思ふ 目さませば物の煮え立っ香しぬとのみ思ひてまたも眠りぬ 若さもて飛び立っ如き心もて再び我に來よとし言ふや 忘れゐし女より來しさりげなき年賀の文のなっかしさかな 年 ( 明治四十三年四月四日「東京毎日新聞」 ) 十 四 柿の色づく頃 何處にか行きたくなりぬ何處好けむ行くところなし今日も日暮れぬ 悲しみに倦みたる時に出て歩く男に君は出逢ひたるかな