東京朝日新聞 - みる会図書館


検索対象: 啄木歌集
22件見つかりました。

1. 啄木歌集

春の雨瀧山町の三階の煉瓦造によこさまに降る ( 明治四十三年五月十六日「東京朝日新聞」 ) 君のことなど 春の夜のいたづら書におどろきぬ描きしは君に似たる顏かな つらら 雪ふかき石狩の野の都なる氷柱の窓のなっかしきかな ( 明治四十三年五月十七日「東京毎日新聞」 ) 手帳の中より 目を病める女の夜の獨唱よりも猶しめやかに春の雨降る ( 明治四十三年五月二十一日「東京朝日新聞」 ) 黒土の香 ふりそそぐ夏の光にかをり立っ黒土の香のなっかしきかな ( 明治四十三年五月二十二日「東京毎日新聞」 ) 梅雨の頃 三降りつづく梅雨の睛間の日光の眼に強きまで衰へにけり 四重げにも露はね返しゆらぎたる小雨の中の草の色かな 明 ( 明治四十三年六月十三日「東京毎日新聞」 ) ややありて れんぐわづくり

2. 啄木歌集

298 書よめば書のなかより路ゆけば路の上より可笑さ來る 褐色の皮の手袋脱ぐ時にふと君が手を思ひ出にけり その年の柿の色づく頃となり再び君が文の來しかな ( 明治四十三年四月八日「東京毎日新聞」 ) 穩かならぬ目付 乳の色の湯呑のなかの香る茶の薄き濁りをなっかしむかな ( 明治四十三年四月二十四日「東京毎日新聞」 ) 四月のひと日 泣きさわぐ幼兒とそれに怒りたる母とを見るは悲しき事かな ( 明治四十三年四月二十五日「東京毎日新聞」 ) 手帳の中より おとなしく人にしたがふ安けさを漸く知りて二十五になりぬ ( 明治四十三年五月八日「東京朝日新聞」 ) 何がなしに 暮れなやむ春のゆふべの窓近き棚にならべる罎の光りよ ( 明治四十三年五月十三日「東京毎日新聞」 ) 手帳の中より ふみ かついろ

3. 啄木歌集

つくづくと我が手を見つつ思ひ出でぬ手にかかはらぬ古き事ども 曉の街をあゆめば先んじて覺めたることもさびしきものかな はんとき 瓦斯の火を半餉ばかりながめたり怒り少しく和げるかな 親と子とはなればなれの心もて食卓に就く気拙かりけり うかれたる事もよしよし年とれば年に一日も浮かるる日なし 夏の日に蠑の融くるが如くにも我が道念の融けゆきしかな いろいろの壜がつめたく列びたる酒場の棚の白き塵かな ( 明治四十三年三月三十一日ー四月七日「東京朝日新聞」 ) 夜霧の街 うす暗き藏のなかなど怖れたる幼さをもて女を思ふ 目さませば物の煮え立っ香しぬとのみ思ひてまたも眠りぬ 若さもて飛び立っ如き心もて再び我に來よとし言ふや 忘れゐし女より來しさりげなき年賀の文のなっかしさかな 年 ( 明治四十三年四月四日「東京毎日新聞」 ) 十 四 柿の色づく頃 何處にか行きたくなりぬ何處好けむ行くところなし今日も日暮れぬ 悲しみに倦みたる時に出て歩く男に君は出逢ひたるかな

4. 啄木歌集

よとせ かへり見れば人にかくせる我が戀も早や四年とはなりにけるかな ( 明治四十四年一月「務神修養」二ノ一 ) 今年も 起されて初日を拜みまぶしがる健やかにして寢足らぬ心 ( 明治四十四年一月「野」十 ) このごろ われとわが心に負へるいろいろの負債を思ふ除夜のかなしみ 靑塗りの瀨戸の火鉢を撫でてみぬ心ゆるめる元日の朝 ( 明治四十四年一月八日「東京朝日新聞」 ) 囘憶 わが手とりかすかに笑みて死にし友その妹も病むと今日聞く ( 明治四十四年六月「學生。二ノ七 ) 歌稿より 年 四 今のうちに忘れぬうちに故鄕の村の地圖を書いて置かんと思ひ立ちたる 十 四子を叱り過ぎたきまり惡きさびしさよ ! 家のまはりの地圖などを引く 明 つひぞないこと ! 今日ひょっと子をつれて湯に行きて來ぬつひぞないこと 馬 ! 馬 ! 馬に乘りたし ! 種吉と昔かけくらをせしこともあり おひめ

5. 啄木歌集

294 御柩の前の花環のことさらに赤き色など目にのこりつつ ゆるやかに柩の車きしり行くあとに立ちたる白き塵かな 目の前にたふれかかれる大木は支へがたかり今日のかなしみ くもりたる空より雨の落くるをただ事としも今日は思はず しかはあれ君のごとくに死ぬことは我が年ごろの願ひなりしかな ( 明治四十二年十一月四日「東京朝日新聞」 ) とっくに いにしへの彼の外國の大王の如くに君のたふれたるかな 夜をこめていたみ給へる大君の大御心もかしこかりけり ( 明治四十二年十一月五日「岩手日報」 ) 明治四十三年 ( 二十五歳 ) 手をとりし日 少年の輕き心は我になしげにげに君の手とりし日より 泣きぬれし顏をよしと見醜しと見つつ三年も逢ひにけるかな かしましき若き女の集會の聲聞き倦みてさびしくなりぬ 長く長く忘れし友にあふ如き喜びをもて水の音きく 君に逢ふこの二月を何事か忘れし大事ありしごとく思ふ みひつぎ あつまり

6. 啄木歌集

341 うたがひぬ 蒲團の重き夜半の寢覺めに、 は「悲しき玩具」の、 運命の來て乘れるかと たがひぬ 蒲團の重き夜半の寢覺めに。 の原歌ではあるが、後者を著者最終の推敲・即ち完成されたものとして前者を割愛した如き場 合であり、「東京朝日新聞」に発表した、 赤紙の表紙手擦れし國禁の書讀みふけり夏の夜を寢ず あかり ことさらに燈火を消してまぢまぢと革命の日を思ひつづくる の二首が「一握の砂」再録に際し前者が「ーー・國禁の書を行李の底にさがす日」後者が「 ひてゐしはわけもなきこと」と、一見同一の作品と見えながら猶且つ、全然別箇のものとして取 扱った如きは共にその一例である。編者はこの二首を、単に推敲を経た同一作品と考えることは、 とうてい出来なかったのである。 原典の標題はなるべく尊重することとした。同じ標題下に発表された数首乃至数十首の中、そ の大半が前記の二歌集に収録されたがため、標題そのものとは多少かけ離れたような作品のみが 残されている場合にも、猶無下に棄て去るには忍びなかった。 ふみ

7. 啄木歌集

296 今日もまた捨てどころなき心をば捨てむと家を出でにけるかな やはらかに積れる雪に熱る頬を埋むる心地泣く人と寢る バルコンの欄干に凭りて酸漿を吹く娘あり銀座のタ 毒のごと夜毎呷りし酒の味その善し惡しを何日か知りにき 父母の老いし如くに我も老いむ老は疎ましそれを思へば 降れや降れやあはれ時ならぬこの雪に古き都を埋めてしかな 人皆がおのづから老ゅ奈何せむよろしく若き今を遊ばむ 宰相の馬車わが前を驅け去りぬ拾へる石を濠に投げ込む かけ きらきらと硝子の片が眼を射りぬ銀座の町の夏の靜けさ 樗の木何の用をもなさぬ木に生るべかりき少し口惜しき 心地よけに欠伸してゐる人を見てつまらぬ思ひ止めにけるかな 故鄕のかの路傍の栗の木も今は大きくなりにたるべし 長く長く忘れてありし故鄕を思ひ出でたり俄になっかし 花咲かば樂しからむと思ひしに樂しくもなし花は咲けども 靑梅の酸ゆきを吸へば六月の酸ゆき愁ひの心には沁む ( 明治四十三年三月十八日ー三十日「東京朝日新聞」 ) 眠る前の歌 あふち いかが ほづき

8. 啄木歌集

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹と戲る など『一握の砂』中、初期に属するものである。 『明星』が百号を以て終止符を打ち『スパル』が之に代って誕生したことにも明かに時代の推 移が窺われる。即ちこのことは、鉄幹の独裁政治から啄木、平野万里、吉井勇、平出修等の合議 制への発展的解消を意味するものであった。 啄木は又ここでも小説を重要視し、短歌を「遊戲気分の多いもの」として虐遇し、同人間に物 議を醸したりしたが、それは、短歌そのものを否定する意味ではなく、伝統芸術の概念に東縛さ れて何の懐疑も、革新的気魄をも示そうとしない、職業的歌人群に対する批判とレジスタンスで あった。 生活と芸術の板挾みに会い、どうにもあがきのつかなくなった啄木は、思い余った末、単に同 郷入というだけの縁故をたよって、朝日新聞の編輯長佐藤北江を訪ね、拾われて校正子となった。 最少限度の生活が約東されると必然的に周囲の事物を客観視する余裕が出て来るのは極めて自然 の成行きであろう。 この年 ( 四十二年 ) 十一月、彼は詩作に対する新らしい理念に到達し、その結論を『食ふべき 詩』と標榜した。謂う心は「兩足を地面に喰っ付けてゐて歌ふといふ事である。實生活とは何等 の間隔なき心持を以て歌ふ詩といふ事である。珍味乃至は御馳走でなく、我々の日常食事の香の 物の如く、然く我々に『必要』な詩といふ事である。」というのが、その主張であった。彼は又こ

9. 啄木歌集

( 明治四十三年三月十日「東京毎日新聞」 ) 風の吹く日の歌 明日を思ふ心の勇み生涯の落着を思ふさびしさに消ゅ いくっ 何時になり何歳にならば忘れえむ今日もおもひぬ故鄕のこと 道ゆけば若き女のあとおひて心われより逃げゆく日かな 遠方の林の上の煤煙の春の雲めくきさらぎの午後 ( 明治四十三年三月十四日「東京毎日新聞」 ) 薄れゆく日影 いさカ 移りゆく時の流行のあとを追ふさびしさにゐて妻と諍ふ かみ ただ輕く笑ひ捨てたる共昔の友の言葉の此頃身に沁む 薄れゆく障子の日影そを見つつ心いっしか暗くなりたる 語る毎さびしくなりし獨身の友も娶りぬ少し安んず ( 明治四十三年三月二十三日「東京毎日新聞」 ) 年 曇れる日の歌 十 謳長き間われに敵なし敵戀し心やうやく弛みたるかな 明 泣き飽きしありのすさびのうつけさは吸取紙に目を吸はせけり 白壁にひたに寄り添ひ泣きてゐる隣りの家の娘いたはし をちかた

10. 啄木歌集

遠方の窓の硝子の眼の如く日を射かへして蠅くが見ゅ ( 明治四十三年六月十八日「東京毎日新聞」 ) 夏の町かしらあらはに過ぎ去れるあとなし人をふりかへるかな 垢づける首うち低れて道ばたの石に腰かけし男もあるかな かかること喜ぶべきか泣くべきか貧しき人の上のみ思ふ ( 明治四十三年六月日不詳 ) 七月廿六日夜 耳けばいと心地よし耳をかくクロポトキンの書をよみつつ 二十七日朝 くにびと 邦人の心あまりに明るきを思ふとき我のなどか樂しまず 朝夕の電車の中のいろいろの顏にも日頃うみにけるかな 手帳の中より 赤紙の表紙手擦れし國禁の書よみふけり夏の夜を寢ず あかり ことさらに燈火を消してまちノ ( 、と革命の日を思ひつづくる ( 明治四十三年八月七日「東京朝日判聞」 ) 八月三日夜ー四日夜 故鄕の停車場路の川ばたの胡桃の下の紅き傘かな くるみ ふみ ふみ