11 UNIVAC のリアルタイムシステムを支えた GCS 開発物吾 し、日本では逆に独占電気通信事業者である NTT のみが、高度サー ビスを提供できたことである。この結果として、多くの NTT 直営シ ステム ( 地銀向け、信金向けリアルタイムシステム等 ) が作られ、 NTT が情報処理産業に進出する上で、他社に比べて優位に立っこと になった。 6. GCS(General Communicat ion Subsystem) GCS は UNIVAC の通信制御装置 SCS の後継装置で、 NUK の開発部門 が開発を担当し、 UNIVAC の世界標準商品として広く UNIVAC のリア ルタイムシステムを支えた装置であり、 NUK の経営にも営業面のみ ならず財政面でも大きく貢献した。 この装置の開発が切掛けとなり、 TDC(Tokyo Development center) が米国 UNIVAC も認知する存在となった意義は大きい。 GCS の開発は、 リアルタイムシステムの高度化、並びに通信技術の急速な革新に伴 い、 SCS の機能では日本での営業活動に支障をきたし始めていた問 題を、 RPM (Request for Product Modification) 制度を活用した SCS の後継装置を HCS ( 汎用 Communication Subsystem) と言う呼び名 で開発を開始したことに端を発する。 7. HCS 開発の切掛けの一つであった SCS の改造 ①三菱銀行でのオンラインシステムの検討は昭和 39 年 ( 1964 年 ) か ら開始され、昭和 41 年 ( 1966 年 ) 9 月に UNIVAC494 が内定された。 為替端末は富士通、預金窓口機器は NCR42 型が同時に内定された。 ② NUK に取って最大の問題点は、 NCR42 型を端末として接続するこ とであった。 UNIVAC の通信制御装置の SCS では、 NCR42 の接続は 不可であった。米国への RPQ (Request for price Quotation) は 納期・価格ともに NUK にとって容認出来るものではなかった。勢 い日本で改造することになり、 NCR42 用の CTM 並びに IM を日本で ニ - - ロ 329
第 5 部ユニバックあれこれ にスビレーンは、 RPM による HCS の開発を了承したのみでなく、 HCS を米国 UNIVAC の標準商品に格上げする可能性に関する検討を行な うことを示唆した。 UNIVAC は、当時電気通信機器として " CSP" の 開発を行っており、 csp 以外の scs の後継機種の開発計画は持って おらず、例によって csp の開発は予定より遅れており、加えて CSP に対するマーケティングの評価は scs とソフトウェアの互換性が全 くなかったこと等より極めて悪く、したがって scs と完全にプラグ コンパチプルな HCS を NUK が開発していたことは、渡りに船であっ たと思われる。 具体的な要求は、開発中の HCS を UNIVAC Engineering Standard に 則って再設計することであった。 17. UNIVAC Engineering Standard に準拠した 再設計の検討 (HCS から GCS へ ) スピレーンのこの件に関するアクションは非常に早く、昭和 48 年 ( 1973 年 ) 3 月には開発 / 製造部門より 3 名のエンジニア ( アルメ、 ラザール、ニコス ) が来日し検討が開始された。来日した 3 名は非常 に前向きに HCS を UNIVAC 標準商品に持ち上げることに熱意を持って いたので、検討は非常にスムースに行なわれ、短期間で再設計の方 向付けに関し両者の合意を見ることが出来た。 UNIVAC Engineering standard に完全に準拠する開発は NUK にとって初めてのことであ り、これに付帯する業務が予想以上に大変であった。 ① HCS の米国での接続テスト HCS を UNIVAC の標準商品に持ち上げる一環として昭和 48 年 ( 1973 年 ) 7 月下旬に米国 UNIVAC のローズビル開発センターで、 UNIVAC 1 100 システムとの接続テストがおこなわれることが決まり、田中、 森分がローズビルへ出張して HCS の接続テストを行なった。その際、 340
第 8 章商品開発 末に秋元は大変な苦労をすることになってしまった。 8. 2 GCS 通信制御システム ( 1 ) 背景 IC 化の潮流にも拘わらず、 UNIVAC の主力機種である通信制御装置 は SCS(Standard Communication Subsystem) というトランジスタ ダイオードの旧型装置でこれに変わる装置の開発計画はなかった。 オンラインが普及し、システムに接続する回線数が増えるに従い、 scs の価格並びに設置面積は UNIVAC 1100 システムの競争力の足を 引っ張り始めていた。 さらに接続端末は多岐に渡り、通信プロトコルも種類が増えていた。 これら装置の接続をソフトウェアで対応するのは、その開発工数も さることながら、処理パフォーマンスの問題もあり、通信制御装置 での対応が嘱望されていた。 ( 2 ) HCS 通信制御に関する問題点を解消する目的で、 NUK 開発部は SCS の IC 化に対する検討を内々進めていた。当初、 HCS(HighPerformance communication system) の名称でプロトタイプを作成し各種テスト に入ったが、 UNIVAC ( スペロニ ) からの干渉が日に日に強くなり、 その対応に頭を悩ませていた。 ( 3 ) RPM こうした背景のもと、国鉄から地域間急行列車貨物情報管理シス テム ( UNIVAC490 システムで稼動していた ) のアップグレイドの要求 が出され、他社との競合入札になってしまった。 NUK は UNIVAC494 で新システムを提案していたが、客先の要望仕
第 5 部ユニバックあれこれ も M IL スペック ( 軍用規格 ) の 54 シリーズがあり信頼性はあると評価 し、 T I 社製 IC を採用することにした。 このことは後に TI 社 74 シリーズのラインアップが充実し短期間 でデファクトスタンダードとなったこと、 HCS が GCS として UNIVAC 標準商品となったときにも UNIVAC から何のコメントもなく採用さ れたことからみてもこの選択は正しかったと思われる。 9. HCS 開発の背中を押した国鉄 RPM ①国鉄の地域間急行貨物情報 (FOCS) のリアルタイムシステムは UNIVAC490 を 2 台設置し、昭和 43 年 ( 1968 年 ) 10 月には地域間貨 物急行 86 本を対象に約 100 台の端末を使用した貨物予約のシステ ムが稼動していたが、設置場所 ( 丸の内 ) が手狭で scs の大きさが 制約となりシステムの増強の障害になっていた。これの解決手段 として、より小型の SCS の RPM が出されていたが、時期的な問題 もあり、客先はフロントエンドコンヒ。ュータ (N-2200-400) で、通 信機能の拡大を行なう決定を行なった。 ②国鉄のコンテナ貨物情報システム ( EPOCS ) は、昭和 42 年 ( 1967 年 ) 10 月より NEAC 2200-100 で運用されていたが、コンテナ流動 の多様化によるシステムの深度化に対応できず、昭和 45 年 ( 19 70 年 ) に新システムの検討が開始された。このシステムの RFP に答え るためには、 SCS の機能では不可であり、新機能を実現できる SCS の RPM が 1970 ( S45 ) 年、国鉄プロジェクトより提出された。 10. 国鉄 RPM への対応開始 SCS の I C 化は、予てより満を持して開発部が準備を進めていたプ ロジェクトでもあったので、早速、田中、清水良二郎、森分を中核 に仕様の検討に入った。仕様の検討に当たっては、単に国鉄の RPM への対応ではなく、以下の点からも将来の拡張性も考慮に入れた。 332
1 1 UNIVAC のリアルタイムシステムを支えた GCS 開発物語 昭和 47 年 ( 1972 年 ) 7 月から全社的に行われた TECHNICAL SYMPOSIUM の研究論文発表に繋がっている。 12. HCS プロジェクトの開始 scs の IC 化装置は、 HCS ( 汎用コミュニケーションシステム ) と命 名された。この装置は UNIVAC 標準製品である scs を置き換える可能 性のある製品となるので、 AAD(Asia Africa Division 米国 UNIVAC 社の日本担当部門 ) の了解をとる必要があった。 AAD のテクニカル ディレクタ、スペロニ氏は国鉄の UNIVAC494 新規 2 台が絡む商談に 関わることなので、国鉄 RPM を了承した。この時の話し合いで、 HCS の H を汎用とするのは General に通じるので、 Highspeed と呼ぶこ この HCS の RPM 開発プロジェクトの立ち上げを聞き付けた営業よ りの問い合わせが相次いだ。 HCS の開発の進行状況と、営業の反響 等を考慮し、秋元貞元開発部長は HCS を将来 NUK 標準商品に持ち上 げることを前提にプロジェクトを進める決心をし、昭和 46 年 ( 1971 年 ) 4 月、この旨開発部隊に指示を出した。 NUK 標準商品とするためには、国鉄 RPM 仕様では汎用性に欠ける ため、新たに CTS-Standard と CTA-Standard を開発する必要があり、 これらの論理設計は小林晃が担当し、森分がデバッグを分担して開 発を行った。 13. 大型基板の採用 HCS では通信回線 1 回線のコントロールを 1 枚の PCA ()r i nt ed Circuit Assembly : 基板にパーツを乗せたものを言う ) で行うことを 基本としたため従来の開発部が使用していた PCB(Printed Circuit Board ) 基板のみではスペースが不足するため大型基板を採用するこ ととした。 335
11 UNIVAC のリアルタイムシステムを支えた GCS 開発物語 ータ内蔵の通信制御装置の開発を行っていた。 scs と csp コン・・ピュ との比較検討の結果、日本の市場の要望を満足させるためには、 ESI アドレス方式を持っ scs の路線が正解との結論に達した。 (csp はポ ーリング方式で ESI 機能は持っていなかった。 ) この結論に基づき scs をベースとした開発の可能性に関する検討を開始した。検討に 当たって、田中は次の 3 点を目標として掲げた。 *NTT の回線接続条件を満足すること * 32 回線 / キャビネットで製造原価 500 万円 * 開発期間 1 年 この目標を達成するためには、コンポーネントの化は必須であ り、国内で入手可能な IC コンポーネントに対する調査研究が開発部 内で開始された。 昭和 44 年 ( 1969 年 ) 3 月 1 日に、森分芳男が技術本部から開発部に 移籍され田中のグループに配属された。森分は昭和 37 年 ( 1962 年 ) 入社で担当機種は UNIVAC Ⅲでべテラン技術者だったが、 UNIVAC 1100 シリーズ並びにオンラインシステムの経験はなかった。それに も拘らず UNIVAC 1100 のロジック図とコミュニケーションの世界に 放り込まれたことになる。当時の開発部では自分が担当する開発業 務に必要とする知識は自分で勉強し身につけることが当然と考えら れていた。 IC の選択では、当時の開発部では OUK 9000 シリーズのペリフェ ラルの開発が主であったため 6V の DTL を使用していたが、世の中で は 5V の TTL が主流となりはじめており UNIVAC でも電源ピンが 9000DTL と互換の TTL を特注し何種類か標準品として用いていた。 然しながら世間では TI 社の 74 シリーズ TTL が主流を占めつつあ ったが、当時は未だ民生用部品はコンピュ ータ用部品としては信頼 性に欠けると思われていたこともあり、どちらを HCS の Logi c のコ ンポーネントとして採用するかで大変悩んだ末、最終的には TI 社に 331
第 3 部拡張 様に応える為には通信制御装置の機能を大幅に拡大する必要があり、 通信制御機能に対する膨大な RPM が出されていた。この RPM の実現 は SCS では不可能であり、 HCS をベースとする改造で対応せざるを 得なかった 規模の大きなシステムのセールスが絡んでいただけに、スペロニ もこの RPM を認めざるを得なくなり、この RPM 製品は GCS(Genera1 Communication System) の名称で製造され納入された ( 4 ) GCS これが突破口となり UNI VAC の了承も取り付け、 0UK で生産される ことになり、同社の経営にも貢献した。昭和 50 年 ( 1975 年 ) の 2 月 には UNIVAC の標準製品としてワールドワイドへの輸出も開始された。 昭和 55 年 ( 1980 年 ) 1 月には OUK による生産出荷 1000 台が達成さ れている。 ( この当時の詳細については、第 5 部「 11U Ⅵ VAC のリアルタイムシステムを支 えた GCS の開発物語」を参照ください。 ) 8.3 バンガード (Vanguard) 並びにマッ /X—(MAPPER) バンガードは先駆、先鋒を意味する開発渾名であり、製品として は U Ⅵ VACIIOO / 60 で発表された。世界初のマイクロプロセッサを複 数使用した斬新な構造の、物理的にも当時としては非常に小さく纏 められたシステムで、 NUK の社員の期待は非常に大きかった。 また、バンガードという呼び名にも共感するものがあり、日本で はあえてバンガードという名前を全面に出して発表し、大々的なマ ーケットキャンペーンを繰り広げた。同時にマッパーと言う簡易言 語のエンドユーザー向けのパッケージを発表し、バンガードの新し いアプリケーションとして販売活動を展開した。 128
11 UNIVAC のリアルタイムシステムを支えた GCS 開発物語 なることで解決をみた。また、基板メーカーとしては当時その第 1 人者と目されていた凸版印刷が引き受けてくれることで解決した。 ③モジュールの新規設計 大型基板の採用により当時開発部で使用していたモジュールを構 成する部品が使用できないため新規にモジュールを部品 ( コネクタ、 PCA ガイド、 PCA ハンドル等 ) から開発することとなった。 HCS の構成はホストコンピュータと通信制御部のなかだちをする CTCI 、 CTC2 の 2 枚の大型基板と通信制御用大型基板 CT ( 1 回線 1 枚 ) 32 枚と通信インタフェース (CI) 32 枚からなる。 CT は 2 つの外部と の接続が必要でありその 1 っ CTC との接続は統一された信号とヒ。ン アサインでバックボードを基板化することに成功した。然し、 32 回 線のワイヤオア ( 複数のデバイスからの出力をワイヤーで接続し 1 つのデバイスの入力にする回路でワイヤーのみで OR の論理回路を 構成するものをワイヤオアと呼ぶ ) のレシーパ・ドライバと平行した 長い信号線の相互干渉の解決には苦労したものの最終的にはドライ バ / レシーバ間を流れる電流値の最適化が、 T I 社が新たに出した Low-Power IC により解決された。もう 1 つの接続は通信回線部との 接続であり、多種の回線に対応しかっ CT の種類を最小にするため c I を別基板とすることでサイズは 9000 標準基板と同じとした。別 基板となった CI は CT 上にバックボード用コネクタと直角の位置に 殳けられたコネクタで CT と接続し通信ケープルで外部に出すこと となった。この形態は非常にユニークでありモジュールの設計は大 変だったと想像される。これ等の問題解決に当たっては田中のアイ デアとその実現のための実行力が大であった。 14. テストべンチでの HCS ロジックの接続テストを開始 scs では、 1 回線を制御する回路は一つのモジュールの半分を占め ており、バッケージの数で 20 枚位を占めていたが、 HCS では IC 化 337
8 UNIVAC 1050 リアルタイム物語 井出進、斉藤剛伸、水野孝三 9 私の U Ⅲ VAC 物語ー SCS の改造まで 加藤重信 1 0 メモリーズオプ UNI VAC 418 濱窪侔 著者紹介 あとがき 参考資料 第 5 部著者略歴 大石完ー 12 コンピュータ周辺機器技術に携わって 赤須通雄 11 UNIVAC のリアルタイムシステムを支えた GCS の開発物語 目次 285 305 309 317 350 360 362
11 UNIVAC のリアルタイムシステムを支えた GCS 開発物語 大介長より表影を受ける 25. GCS の出荷台数 物第、査分第当、ま物、水 1. 、中道、秋朝をを まをされたら名 昭和 55 年 ( 1980 年 ) 1 月には、 OUK 生産出荷 1 , 000 台達成式典が行 なわれている。 最終的な輸出総台数は、 1,500 台を突破しており、国内設置分を 含めると 2 , 000 台は軽く上回っている。 GCS の OUK 並びに NUK への貢献度は、営業面のみならず財政面で も非常に大であった。とりわけ OUK 工場稼働率の向上、工数単価の 低減等が GCS のみならず OUK から NUK への全ての製品仕切り価格の 低減に寄与したところは大であった。 ( 注 : 文章中の HCS と GCS は、実際には明確に区別されていない時期があった が、 NUK の RPM によるものは HCS とし、 UNIVAC 商品は GCS と表記してい 349