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検索対象: マキアヴェッリ語録
69件見つかりました。

1. マキアヴェッリ語録

読者に 彼の思想への賛否両論の対立の歴史を調べ それは、五百年このかたくり返されてきた、 , た結果、リ 至達した結論でもありました。 非難する人々の論を簡単にまとめると、人倫の道に反する、につきます。 一方、弁護する人々はどうかというと、マキアヴェッリの生きた時代のフィレンツ工と イタリアの実状を見れば、あれはやむをえない結論であった、となるのです。 『わが友マキアヴェッリ』を書いている間も、彼の思想が後世にどう受けとられてきたか という問題の処理には迷ったのですが、結局、それにはいっさいふれないことにしました。 なぜなら、賛否両論とも、マキアヴェッリの意図したことを正確に受けとるにはたいして 役立たない、 と考えたからです。人倫の道に反し、良きキリスト者にとっては有害なる思 想と断ずるのが非難派の意見ですが、この派に属さない私でも、まあ、そうですね、と答 えるしかありません。 ただし政治とは、場合によっては人倫の道に反することもやらねばならないと言ったマ キアヴェッリの思想の独創性は、まさにこの点、つまり政治と倫理を明確に切り離したと ころにあるわけで、それを否、とするのは、正しいか正しくないかの問題ではなくて、選 択の問題になります。マキアヴェッリ的な政治の考え方を選択しなければ、否、となるの は当然でしよう。 ところが、私は、いわゆる弁護派の人々とも同調できないのです。 マキアヴェッリの生きた時代がああいう情勢であったから、ああいう思想が生れたのだ

2. マキアヴェッリ語録

。ホ。ホロ 民衆ほど軽薄で首尾一貫とはほど遠いものはないとは、テイトウス・リヴィウスの評価 であるが、他の多くの歴史家も、これと同じことを書いている。 まったく、歴史上の彼らの行動を見れば、民衆が誰かを死刑にしたのに、同じ民衆がそ の直後に後毎して涙を流す、という場合に始終出会う。 これについて、リヴィウスは次のように言っている。 「彼が死に、彼によってもたらされていた脅威が消えるやいなや、民衆は後海の念にから れ、涙を流して彼をしのんだ」 また、ヒェロンの甥のヒェロニムスの死後に、シラクサで起った出来事にふれながら、 ・次のよ一つにも聿「いた 「卑屈な奴隷か、さもなければ傲慢な主人か、これが民衆の本質であるー こうまで言われると、わたしとしても、民衆を弁護するなどという大変な仕事を、受け もってよいものかどうか迷ってしまう。これほどに厳しく非難されている人々の弁護役な ど不利も明らかで、はじめたとしても結局赤恥かいて投げ出すしかないのでは、とまで思 ってしまう。 166

3. マキアヴェッリ語録

妨げられては、実現できることでも実現できないで終ってしまうからである。 大事業を行う場合、どうしても一人物に権力が集まってしまうことになるが、それを妨 げるのが、人々の嫉妬心だからだ。 この嫉妬心をおさえこむには、方策は二つある。 第一は、それを行わなければ直面せざるをえない困難な事態を、人々に納得させること だ。誰しも難局を自覚すると、そこから脱出しようとして、自分一人の想いなど忘れ、脱 出させてくれそうな人に進んで従うようになる。 第二の方策は、強圧的にしろ他のいかなる方法にしろ、嫉妬心をもつ人々が擁立しそう な人物を、滅ばしてしまうことである。 モーゼもまた、 , 彼の考えに反対した多くの人を、殺さざるをえなかったのだ。 人々の嫉妬心が、善きことをしていれば自然に消えていくなどとは、願ってはならない。 邪悪な心は、どれほど贈物をしようとも、変心してくれるものではないからだ。 人々の心に芽生えがちな嫉妬心を克服できるかどうかは、大事業が成功するか失敗する かの、分かれ道でもある。 「政略論』

4. マキアヴェッリ語録

第二部国家篇 その理由は、自由の守護役としてならば、自由をもたないがために自由を欲している 人々よりも、すでにもっているがために、今さら奪い取るなどという気持の弱い人々のほ うが適している、とい一つことにあろう。 ただし、もてる者といえども、彼らに対しても次の注意事項を忘れてはならない 第一に、彼らの権力をコントロールする機関の設立が、必要不可欠であるということ。 第二は、もてる階級に、彼らのもっているものが失われそうだという、不安や怖れをい だかせないようにすることである。 人間にとって、もっているものを失うかもしれないという不安や布れは、新たに曻よう と思う人々のいだく欲望と、同じ結果にむすびつくものだからである。 なぜ、人々の心に自由に生きることへの強い愛着が生れてくるのか、という問し えは簡単である。 歴史上、自由をもつ国だけが、領土を拡張し経済的にも豊かになったからである。 『政略論』 、への答 137

5. マキアヴェッリ語録

第二部国家篇 ここでは、特権階級の意味をはっきりさせておきたい。 この名で呼ばれる階級に属すのは、多大な財産をもっていて、それからあがる収入だけ で充分に生活可能な人々である。彼らは、生活の資を得るために、働く必要はまったくな これらの人々は、どの共和国にとっても有害な存在である。 ご、ゝ、彼らよりもずっと悪質なのは、 いざとなればこもることのできる居城を構え、他 者の自由を左右する権力をもっている人々である。 『政略論』 特権階級の存在する国では共和制は成立しえないというわたしの考えに対し、貴族でな い者は国政にたずさわることのできないヴェネッィア共和国の例は、これに反するではな いかと一一 = 0 、つ人かいるかもしれない

6. マキアヴェッリ語録

人間にとって最高に名誉ある行為は、祖国のために役立っことである 具体的に言えば、法律を制定し、制度を整備することによって、国の改革に力をつくす 人々のことである。彼らこそ、誰よりも賞讃されてしかるべきだろう。 なにしろ、少数の人々だけがそれをやれる機会に恵まれ、その中でもさらに少ない数の 帽人間が、その機会を活用できるのであり、そのうえこの中でもほんの数人が、実現させる 人 人になるのだ。 立ロ だからこそ、人の望みうる栄光のうちでも最高の栄誉が、この最後の部類に属した人々 第 には与えられるべきである。 わたしには、この種の傾向は、それらをまねした場合の利益を考えると、残念でならな この傾向は、キリスト教の悪影響によると思う。なぜなら、古代人は、それが良くても 悪くても野望というものに相応の敬意を払ったが、キリスト教では、野望をいだくこと自 体が悪だったからである。 『政略論』 207

7. マキアヴェッリ語録

国の中で、ある特定の個人に対して、民衆が不満や怒りをもっ場合がある。 その場合に必要なのは、法的に正当なはけ口を与えてやることである。 法的に正当なはけ口をもたない社会では、民衆は不満や怒りを極端な方法で爆発させる しかなくなり、その結果は、国全体を危くする事態にさえなりかねない。 それゆえに、民衆には前もって、法的に正当なはけ口を法律化という形にして与えてお くことほど、国家の安泰に役立つものはないのである。 また、国家を動かす機会には恵まれなかったが、。 ヘンによってその方策を人類に示した跚 人々、プラトンやアリストテレスやその他の同類の人々も、人類からの尊敬を受けるに充 分に値すると信ずる。 この種の人々は、ソロンやリュクルゴスのように、現実の国家は動かせなかったが、そ れは、彼らが無知であったからではない。ただ単に、当時の情況が、彼らにそれを許さな かったのである。 『フィレンツェの今後について、メディチ家の質問に答えて』

8. マキアヴェッリ語録

誰でも知っているように、ある者は激情のほとばしるままに行動し、他の者は慎重に廩 重を重ねたうえで行動を起す。それなのに、両人とも限界をふみはずし、失敗に終ってし ま一つことが亠のる。 反対に、誤りが少なく、幸運に恵まれた人々は、時代の流れを感じとり、それに合わせ て行動して成功する。激情派か慎重派のちがいに。関係なくだ。 フアビウス・マクシムスは、ロ 1 マ人でいながら、ローマ人特有の激情と大胆さからは 離れた、慎重な闘いぶりをする型の武将であった。 この彼のやり方が成功したのは、それが時代と合っていたからである。 当時イタリアに侵攻してきたハンニバルは、ゝ しまだ若さと幸運に恵まれており、二度も ローマ軍を破ったのだが、当時のローマ共和国ときたら、精鋭軍団もなく、常勝ハンニヾ ルの前に茫然自失の態にあった。 このような状態では、フアビウスのような、慎重なあまりに行動の遅れがちな指揮官が けんせい ちょうどよいのである。敵を破ることはできなくても、敵軍の牽制はできたからだ。 しかし、フアビウスに栄誉をもたらしたこの幸運も、彼が、彼の性格に合った時代に生 れあわせたことによる。 実際、情況が変って、戦争終結のために敵地アフリカに軍を派遣したいとスキピオが主 張したとき、それに誰よりも反対したのはフアビウスであった。 120

9. マキアヴェッリ語録

第部君主篇 君主国の中でも世襲のそれは、新たに興った君主国よりも、維持する困難は少ないもの である。なぜなら先人のやってきたことを踏襲しておればよく、それとともに、不意に起 ることへの対処さえ忘れなければよいからだ。これらのやり方では対処しようもないほど の大きな異変でも起らないかぎり、人並みの力量の持主ならば必らず、受け継いだものは 維持していけるはずである。 反対に、新たに興った君主国には、種々の困難がっきまとうものなので、この種の組織 の指導者には、特別に優れた力量が求められてくる。 なぜなら、新しく指導者の地位についた者は、それをしたことによって、配下の誰かを 一傷つけないではすまないからである。この人々が、まず敵にまわる。そして、彼らだけで なく、もともとあなたの味方であった人々でさえ、その人々が期待していたようなことを り先に、新しい支持者を獲得することができるからである。 これを守らない場合、あなたの真意は人の知るところとなり、ために以前の支持者すら も失ったあげく、破滅に向って突進することになるわけだ。 『政略論』

10. マキアヴェッリ語録

第一部君主篇 むすかしい事業はないということである。このうえなく実行が困難で、実行したとて成功 はおばっかなく、実現での過程では細心の注意を必要とすることなのだ。 なぜなら実行者は、現体制下で甘い汁を吸っていた人々すべてを敵にまわすだけでなく、 新体制になればトクをするであろう人々からも、生ぬるい支持しか期待できないものだか らである。 この生ぬるさは、二つの原因から生れる。第一は、現体制を謳歌している人々に対する 恐怖感であり、第二は、異例の新しきことへの不信感によるものだ。 とはいえ、この問題を充分に論ずるには、新秩序を打ち立てようとする者が自力で行お うとしているか、それとも他者の助けをあてにしているかで分けられねばならない 後者の場合は、実行の過程で必らず障害が生じてきて、目的を達成することは不可能に なる。反対に、自力で行おうとする者は、途中でなにが起ろうと、それを越えて進むこと ができる。 だからこそ、武装せる予言者は勝利をおさめることができるのであり、反対に、備えな 「君主論』