《ファイヤーアゲート》を開 き、中にある腕を奪おうと する場面は形代のマシンアームに 行った技と同じで、この部分がシ チュエーションをかえた繰り返しで ある照応となっている。 図して似たような状況をつくりだす ものが、照応だ。 たとえば、何かに襲われるとして、 一方では敗北し、一方では勝利すれ ば、照応となる。照応の中心となるの が同じキャラクターである必要はな 「照対」ともいう。似たような状況を " い。読者の側がシチュエーションの 繰り返す手法。 類似を感じたとしても、結果として 「譬えば律詩に対句ある如く、彼と此 ~ そこに単なる繰り返し ( 重複 ) とは異 と相照らして、趣向に対を取るをい【 なる趣向を覚えるというものが、照 応の効果である ( 同じようなことの これに似たものとして、「重複」が【繰り返しで、バタバタと被害者が積 ある。ただし、「重複」は作者の誤りで ~ み重なっていくというものも、読者 前の趣向に似たことを後でまた繰り】の側が「またかよー」と笑いながら読 返してしまうことを指す。作者が意 ~ んでくれれば、照応なわけだ ) 。 本作はシリーズ化を想定して いたこともあり、 1 巻ですべ ての話を収束させず、とりあえずの 結構をつけるだけにしてある。カタ キとの決着も次巻以降へ持ち越し。 そうした意味ではこの一本で「おな かいつばい」とはいかなかったかも しれない。 種がある。前者は恋愛モノ、後者は ミステリに多い。 ここで留意しなければならない ことは、「予測できて期待はずれ」 「予測できなくて期待も満たされな ト鹵条 い」といった結末はオチとして失敗 だとい一つことだ。 締めくくりであり、結末。 観客の予測と期待通りに終わる ある編集者の名言を記しておこ ものと、観客の予測に反しながらも " う : ・「読者の予想を裏切ること 期待を満たして終息するもののニ ~ と、期待を裏切ることは違います ! 」 まで断じている。 とはいえ、隠微を作中にこめられ た「暗喩」「隠喩」と見做し、読者が自 身の読解によって意味を読み取るべ き「表象」と解するなら、坪内の生き た時代はもちろんのこと、以後、現在 隠微は稗史七則の中で最も難しい に至るまでの小説において盛り込ま 要素だ。馬琴自身は次のように記し【れている要素といえるだろう。 ているーーー「隠微は、作者の文外に深 隠微は、いってみれば、味噌汁に入 意あり。百年冖ももとせ〕の後知音を " れる出汁のようなものだ。これを入 俟〔まち〕て、是を悟らしめんとす」 れることで小説の味わいに深みを出 坪内逍遙は稗史七則を『小説神髄』】すことができる。ただし、入れすぎる において批判しているが、隠微につ】と坪内のいうように、作者のひとり いて、作者の身勝手な楽しみにすぎ】よがりな印象が強くなってしまう。 ず、作品価値になんら貢献しないと 晴明イヅナに葦矢というキャ ラクターが正統性を与えると いう展開は、浄瑠璃「芦屋道満大内 鑑」 ( 竹田出雲 ) から来ている。葛 ノ葉、玉藻といった名前とからうか がえるように、本作がキツネづくし なのは古浄瑠璃『信田妻』で安倍晴 明の出自がキツネとの間に生まれた 子供であったことによる。 これらが本作における隠微だ。 イヅナの強い決意と行動。 機匠としての由緒を示すア イテムを葦矢に託されることで、イ ヅナが形代の失った正統性を引き継 いだことを示した。 1 弓削を斃し、《ファイ ャーアゲート》に内職 されていたスイネの肉 体の一部を奪還する。 オチで 満足させろ ! 繰り返しを 効果的にー 物語にある 表象 フロット ポイント 02 P292 P313 P249 P262 P238 葦矢とキリネたちの 母・タマモが事件後の 状況について話す。 《ファイヤーアゲート》 森の中でキリネたちは と融合した弓削に遭遇 する。 スイネの危機に、イツ ナが駆けつけ、キリネ とともに、強力な力を 得た弓削に立ち向かっ ていくことになる。 弓削と《ファイヤーア ゲート》の融合を行っ たのが形代だというこ とが暗示される。 ィッナは形代が黒幕で あることを知る。 ィッナはキリネとスイ ネの救援に向かう。 冖葦矢はかって形代が 使っていたアイテムを ィッナに託す〕 最終決着 形代の誘惑 弓削に遭遇 駆けつけるイツナ : このあたりは、「危機」「打開策」 「かりそめの勝利「危機」「打 開策」という形でアゲサゲを意 識する。あまり繰り返すとくど くなるので適度に。 ヤマで 盛り上げる ! オダイモクに、 血を通わる ! 後のものを 前以て出す 戦いの決め手が必殺技である 場合、これまでの積み重ねで 現れるものでなければ唐突感は否め ない。そこで、クライマックスでス ィネを開き、攻撃をしかける展開の 伏線として、形代のマシンアーム や《ファイヤーアゲート》を開く場 面を使っている。同じことを繰り返 せば照応だが、過去の情報をベース に止揚した展開を入れるとき、前に あるものは伏線となる。 填したライフルを舞台上に置いて はいけない」と語っている。「チェ ホフの拳銃」と呼び慣らされる、こ の作劇理論は逆にいうならば、「後 で使うものは先に出しておく」と見 史ぜ 0 第 ることができる。 「伏線は、後に必す出すべき趣向あ これは馬琴いうところの伏線に るを、数回以前に些墨打〔ちょっと ~ 近い考え方だろう。 すみうち〕して置く事なり」 長い物語の場合、すべてを伏線と 「墨打」というのは、前もって手を】して事前に配すのではなく、前にあ 打っておくことをいう。趣向に関連【る情報の中から使えそうなものを 性のある事項を、こっそりと配して【選ぶという手法もある。展開の変化 おく。 へ柔軟に対応しながら組み直すに チェーホフは「誰も発砲すること】は、こうした伏線ではなかったもの を考えもしないのであれば、弾を装 ~ を伏線かする「廃物利用」が有効だ。 き進めるうちに別のテーマが自分の 中に現れてきたら、後者を優先する ようにいう。なせなら、書きはじめる 前に設定したテーマはあくまでも観 念的なものにすぎないからだ。ドラ マを書いていくうちにんだテーマ 「オダイモク」は「お題目」で、要する【には血が通っている、とまで笠原は にテーマのこと。 しい切っている。 オダイモクは作品に正しく向き合 笠原は脚本を書き上げたところ うことではじめて捉えられる。この で、自分が観客に伝えようとした テーマが十分に示されたかを検証す】ためには作者が〈志〉 ( 切実なもの ) を るよう、求めている。また、テーマを【持たねばならないというのが、笠原 設定して書きはじめたとしても、書・の主張である。 笠原によれば、「人物たちが最大限に ・感情を激発させ、衝突し、格闘し、一 大修羅場を呈する」場面。 クライマックスでは、そこまで観 客が抑制してきた興奮を一気に解き 放ってやることになる。そのために 山場や見せ場のこと。つまり、クラ】は、何よりも作者自身がまず感動し、 イマックス。 我を忘れるようなボルテージの高い 本筋、脇筋 ( サププロット ) を含め ~ 場面にしなければならない、と笠原 たあらゆるドラマ要素が集結する。 ~ はいっている。 笑わせるにしろ、ハラハラさ せるにしろ、その中にひとつ 『切実なもの』が貫通してい なければ、観ている側の腹 は一杯にならない。ニ度目 になると莫迦にしだして、 度目はもう観に行かない。 オィモり . っ ) っ・ 角 では『切実なもの』とは何 か、となるが、こればかりは いかなる骨法にも見当たら ない。作家一人ひとりが、深・、、。多→第第 夜ひそかに自分の胸に訊い てみるしかないものである。ドーー。 笠原和夫 [ 1927 ~ 2002 ] ヤマの展開も序破急を強く 意識して構成した。 イヅナの登場で不利な形勢が簡単 に逆転するのではなく、うまくいく かと思うとやり返されるという展開 ( 押したり退いたり ) を入れて危機 感を盛り上げていく。
ウマ、劣等感、ファーザー・コンプ レックスなど ) でもよい。 したがって、カセはアヤを生むと 同時に、オタカラ、カタキといった ものとも連動している。ひとつひと つの要素を個別に考えるのではな 敵役のことで、「オタカラ」を奪お ~ く、演繹的であれ、帰納的であれ、関 うとする側や、主人公の目的を妨げ ~ 連性を持って案出することが望ま る存在。恋愛モノでは「恋敵 ( 色】しい。主人公の抱えるカセに無関係 敵 ) 」。ただし、キャラクターである ~ なカタキをキャラクターとして配 必要はない。主人公の目的達成に対 " しても、ドラマティックな盛り上が する障害となればよいので、内部か ~ りは期待できないということだ。 ら主人公の心を侵害するもの ( トラ 作劇上は弓削がクライマック スへ向けての敵として機能す るが、物語全体を通して、イヅナと 対峙するのは形代である。カタキは テーマと密接に関わり合う存在がい 活劇やサスペンスにおいては、敵対、 する側はオタカラを主人公から奪う ( または与えない ) 。これはヒッチコッ クのいう「マクガフィン」に近い。 ヒッチコックによれば、マクガフィ ~ 月 , 玄 - 条 ンは「どんな物語にも現れる機械的な 主人公にとって、なにものにも代え ~ 要素だ。それは泥棒ものではたいてい がたく守るべきもの ( または獲得すべネックレスで、スパイものではたいて きもの ) をいう。主人公の目的であり、 い書類」であり、物語の中では重要だ 主人公に欠けているもの ( カセ ) を満た【が、あくまでも物語を進行させるため すものだ。 の道具にすぎない。 笠原はこれを「サッカーの試合にお【しかし、笠原のいうオタカラは主人公 けるボール」にたとえている。絶えず ~ のカセにつながっており、アヤを生み 取ったり奪われたりすることで、ドラ ~ 出すための象徴でもある。笠原の弁に マがどんなに波乱に富んだものであっ ~ よれば、オタカラは抽象的な〈愛〉と ても、核心部分が簡潔明快に観客に理 ~ いったものでもよい ( ただし、物語上でふ = 解される。つまり、どこを追いかけてい は主人公にとっての〈愛〉を具体的に表 し , ししカかわかるわけだ。 す「オタカラ」をつくっておく ) 。 主人公に一番大切なものとし て、本作ではヒロインの一人、 スイネをオタカラとした。骨法十箇 条的には反則だが、彼女を助けるこ と ( 自分にしかできないことを行う こと、必要とされること ) がイヅナ のモチベーションになると考えた。 形代が、覚醒したイヅナと 同じ力を持っていることを 示す部分をミッドボイントとした。 ここは物語の折り返し点であり、形 代が今後イヅナに関係してくること を暗示している。 スイネの秘密や、肉体の移 植をもっと引っ張ることも できたが、本作ではあえて早い解決 を選んだ。彼が成すべきことは悩む ことではなく、何かをしたいと考え、 決意することだと設定した。本作で は「自信を得た少年が才能を自覚的 に用いていく」ことを主眼にしてい るので、壁を前にしたストレスより は「俺 }—DLULLJU 」と呼ばれるカタ ルシスを重視している。 つまり、進退ギリギリの瀬戸際に 立った主人公が性根をみせて運命や 宿命に立ち向かう決意を示す場面 だ。笠原によれば、「ここがないと先 のドラマは視界ゼロとなり、どこに 辿り着くか観客には見当がっかなく 正念場のこと。 なってしまう」。 明智光秀が秀吉への援軍として出 ドラマが複雑化していく際に、サ 陣する際、首途の盃を前にして、突 " ンボウの場面をつくっておけば、そ 然、三方冖サンボウ〕を逆さに打ち返 ~ こで物語がどこへ向かっていくかが し「敵は本能寺にあり ! 」と叫ぶ場面】明瞭になる。 に由来する。 カョ 角 1 形代に呼び出されたイ ツナは、壊れた機装心 臓を見せられ、その特 別な力について教えら ~ ( ~ れる。 形代はイツナを仲間に 、誘うが、、、イツナはその 」・ = 言葉に危険なものを感 じ、拒絶する。 キリネは死合で弓削を 斃す。 弓削の身体を形代が直 す。ィッナはその能力 がタダユキのものと同 》一一じだと気づく。 形代とキリネが一触即 発の状態となるが、ス ィネが発作 ( 拒絶反応 ) を起こしてしまう。 ィッナは形代に促さ れ、 ~ ( 倒れたスイネを運 ぶキリネを追う。 カタキで い目的達成を阻め ィッナはキリネの隠し ていた箱に昨日の少女 の肉体をみとめる。 キリネはスイネが肉体 を奪われ、機装戦騎の 中に意識を封じられて いると教える ( 肉体の 部分が足りないため、 機械との間に拒絶反応 が起こり、スイネは苦 しんでいる ) 。 府スイネを助けたいと願 うイツナはタダユキの 協力を得て、機装戦騎 へスイネの肉体を移植 する。 オタカラを つくれ ! サンボウで 決意を描け ! ミ ポイント ドキドキ : P2 ① 4 P22 ① P229 ッ深夜、オカリナの音色 に誘われ、地下へ潜っ たイツナ。 , 打ち捨てられた機装戦 騎たちのために鎮魂の 曲を奏でるスイネに会 う。 何もできなかった自分 と機装戦騎の残骸を引 き比べ、イツナはスイ ネを助けたいとあらた ノめて決意する。 朝のカフェテリアで茂 武から弓削の失踪を聞 かされ、捜索隊として キリネとスイネが向か う。 円 6 ① 円 15 弓削の失踪 形代との対峙 心の闇読 転換となるエピソード 違いを 描く ! キャラクターを同席、あるいは立ち 聞きさせ、情報を共有させる。 こうした特徴から、日本文学研究 家の亀井秀雄はこの手法を「語りの 経済性冖エコノミー〕」と評した。馬 史可 琴も稗史七則に先座って、自作の評 事情の説明などをくどくどと繰答集『犬蛭子評判記』において、地の り返すことを避けるため、その場の ~ 文での説明が長くなることを避け 会話に参加していない人間に立ちるため、セリフで短くまとめる手法 聞きさせるテクニック。地の文では ~ を「縮地の文法」として提案してい なく、登場人物のセリフとして説明 ~ る。 。させる。 省筆の手法は物語の舞台が拡大 し、キャラクターが重要な場面に居 ) 馬琴は「作者の筆を省くが為に、 看官〔みるひと〕も亦倦〔またたいく合わすことができない際に有効だ。 しかし、この手法を頻繁に使うと、 っせ〕ざるなり」と記している。 省筆の変形としては、「偸聞〔たち】都合よく重要な情報が外部からも ぎき〕」と呼ばれるものがある。これ】たらされる展開が続いてしまい、 は、地の文で記すと長くなりがちなキャラクターが行動しながら情報 事柄を、当事者や関係者のセリフの【を得ていく形にならない。また、偸 中で要約して語らせるものだ。ま ~ 聞や「闕窺〔かいまみ〕」 ( 現場を垣間 た、その場合、キャラクターが伝聞】見る ) といった手法は御都合主義の で話を聞けば繁雑な感は否めない。 誹りを受けかねない。 そこで、当事者たちの会話にその 語りを 省く ! 派手な場面が続いたので、し んみりとした場面とした ( オ リン的な要素としても考えていた ) 。 スイネが心情を吐露することでイヅ ナの決意を裏打ちし、次のプロック へ繋ぐ。 の人は同じけれども、その事は同じ からず」「事は此彼相反冖あいそむ〕 きて、おのづらに対を做すのみ」 : わかりにくいけれど、要するに 0 同じような展開を立場を変えて繰 り返させる手法。 同じ展開であっても、シチュエー たとえば、 < がを捕える話が ションを反対のものにするテク " あったら、逆にが < を捕える話も ニック。 入れておく。こうすることでキャラ 「照対は、牛をもて牛に対〔つい〕すクターの立場の変転や、反応の違い るが如し。その物は同じけれども、】を描き出すわけだ。 その事は同じからず。又反対は、そ 形代に対してイヅナが物体 を開いて攻撃する場面から 唐突な印象を減ずるため、入学式に 同じく機匠である形代が机を展開さ せて空中に乱舞させる場面を入れて おいた。同しことを立場をかえて行 う反対の援用である。 形代は、この場にはいないタ ダユキについて言及する。こ こでサププロットとしてのタダユキ の話はカの使い方を巡る形代との対 立によって、メインプロットへ回収 される。 「力をいかに使うか」という 部分で、形代の誘惑をイヅナ の精神的な危機と見做した。 スイネの肉体が奪われた経緯 についてはキリネの独白調と した。これは会話として提示した場 合、緊張感が損なわれることや、分 量の関係での配慮による ( なので、 省筆の技法を採用したわけだ ) 。
2 2 こんなところにいてもいいの かと思っている ( 自信を持て ない ) イヅナが、スイネの専属に選 ばれてしまう。この展開によって彼 女たちの抱える問題にイヅナは否応 なく、巻き込まれていくことになる。 法。 当初、エミリは設定されてお らす、執筆時に機匠について 説明しやすいよう、あらたに盛り込 まれたキャラクター。キャラを最小 限の人数で組んでおいても実際に書 きはじめると増えていく。 タダユキはメインのキャラ クターとして本作には登場 しないが、イヅナの内側にいる彼の 存在との関係性をサププロットとし て想定している。 サププロットの構築 所詮、物語の理解などは、目の前 にある情報を受け止めることが中心 で、印象の強弱によってバッフアさ れた以前の情報で補完することで成 " 立しているにすぎない。したがって、 軸を増やせば増やすほど、理解が困・ 難になっていく。 だから、サププロットはメインの キャラクターとの関係性でつくって いくべきだし、そうでないと受け手 のほうの情報整理がうまくできなく なってしまう。サブプロットが終盤 において本筋へ回収される必要があ るのも、このためだ。 ておくことをいう。ここでいう趣向よ 今【とは歌舞伎浄瑠璃の作劇用語で、作 品の背景として選ばれた類型的な 「世界」に対し、作者が当時の事件か ら取り入れたり、創作したりして盛 り込む劇的工夫を指す。 伏線に近いが、より間接的なもの 「襯染」と書いて「しんぜん」と読む。 「襯染は下染冖したそめ〕にて、此間に【と解したほうがよいだろう。展開を 理解するための情報を事前に出して いふしこみの事なり」 重要な事柄の趣向を出すために、【おく、設定の事前説明として捉える 数回前から事物の原因や経緯を入れ ~ とわかりやすい 脇役の分担があることを常に意識せ よ、ということ。主役が脇役に、脇役 が主役になるといった形で役割を変 えることもある。これは物語上の視 点移動や、誰が中心になってそのエ 禪」史七彎 ピソードが動いていくかをちゃんと 「主客」は能楽のシテ ( 主役 ) 、ワキ ( 脇】考えるうえで、意識しておくべき原 役 ) の意味。エピソードことに主役・ ~ 則。 視点をタダユキ ( 脇役 ) とし て、イヅナ ( 主役 ) を描くこ とで、この。フロックは主客が入れ替 わったものになっていると見做して もよいだろう。 過去の物語はそのままではか なり長大になってしまうた め、場面によって展開させる手法で はなく、省筆を用いることにした。 回想的に挿入したが、一一人称を用い、 タダユキがイヅナへ語りかける形で 情感を持たせるよう配慮してある。 女教師が機装戦騎への生体移 植に言及する部分は、「謎」 に関連したことを言及する襯染の手 物語の軸を 意識する ! 事前に 情報を出す ィッナたちがいなく なった後、機装心臓が 暴走し、女教師を遅う。 葦矢の働きで事なきを 得る ( 原因がイツナの 特別な力だとわかって いる ) 。 機装心臓の暴走はイヅナの特 別な力を示す伏線でもある。 ー ' 寮住まいのイツナのも とへスイネとキリネが 押しかけ、同居するこ とになる。 機匠のオリエンテーれ「 ションでイツナはエミ リたちとともに、機装 心臓を扱う。 だが、イツナは何をし ていいかわからす、戸 惑う。 円① 3 小学生のころ、仲間は ずれになっていたイツ ナはタダユキと出会 う。 タダユキは「魔法使い」 のような力で怪我をし ていた猫を助ける。 家に車が突っ込んでき てイツナは死にかける が、タダユキは彼を助 け、自分の力を託した。 機装心臓の暴走 ィッナの過去 オリエンテーション 1 カフェテリアの P ① 19 カフェテリアで弓削は ィッナばかりか、キリ一【、 ネやスイネを揶揄す る。 ィッナはスイネを人形 とは思えないと主張す る。 弓削とキリネの対立は 死合へと発展する。 契約の儀 ( 機装戦騎を 整備する専属機匠を決 める儀式 ) 。 冖同じ新入生の機匠・ エミリが教える〕 機装戦騎・《ファイヤー アゲート》を持っ名門 機師の弓削は、キリネ に敵愾心を剥き出しに している。 、イツナは無名の機匠で ありながら、名機・ス ィネの専属に選ばれて しまう。 円 11 転換となる 工ビソード ヤフレで ー存在感を増せ ! 「稗史七則」は滝沢馬琴が記した作劇テクニック 江戸時代の手法だけど、みんなが無意識のうちに 使っていたりもする基本中の基本ー 初めての夜 オリンで 感動させる ! そこで、トラブルをつくる。これは 序破急を意識した構成 ~ 邪魔する人間が現れるという形でも・ しいし、「謎」でもいい。 プロットを立てやすいログライン < 地点から O 地点へ向かうとき、 は、中盤以降の絵 ( 何をするか、ど ~ 直接、向かわせるのではなく、地 んな場面があるか ) が出てくるもの ~ 点を経由させる。それも、 0 地点へ だ。ここに自分の泣きツボ、燃えッ向かう道がなんらかの障害で塞がっ ボといったものがあるなら、あとはているために、迂回する羽目になる そこへ向けて組み立てていけばい : 作劇とはそうしたものだ。何事 もなく、 < から O へ向かうと予定の ただ、作劇初心者のつくる物語の【消化作業にしかならない。 特徴は、「転」「結」しかないという ここで障害を突破することも地 ものが多い。「起」「承」で積み重ね ~ 点へ迂回するのと同じことだ、何も たものが「転」でひっくり返るとい ~ 起こらないことは ( そして、そこに 演出的な意味がないときは ) 描く必 う構成ができてない。常に、すとー ん、すとーんと流れていく。 要のないことだということを肝に銘 これを解消するには、「トラブル ~ じておこう。 ただし、留意すべきは、こうした をつくる」と「トラブルに決着をつ ける」を意識することだ。いってみ ~ トラブルがトラブルを起こすための れば「承」は風呂敷を広げていく過 " トラブルにならないようにすること 程。主人公が目的達成のための行動 ~ だ。あくまでも主人公の目的達成を をするだけでは、ここに波乱はない。 阻む事件でなければならない。 主人公の気持ちをいったん下げて から上げてやることで、振れ幅をつ くってやるわけだ。 失意の中にある主人公が描かれる つイ ことを、「鬱展開」といって敬遠する ト鹵条 ・読者もいるが、ヤブレの場面がない ャブレは「破れ」であり、乱調をい " と、主人公の存在感が希薄になった う。物語の途中にある失敗や危機、落】り、平板な印象を与えることになる。 ち目がこれにあたる。 ャ。フレでの気持ちを引っ張る ことで、ここをオリンとした。 する。つまり、感動的な場面という ことだ。 笠原はこれを、ヤプレの後、ヤマ の一歩手前あたりに配置するよう 提案している。 帋弘ト鹵条。冫 主人公の気持ちをャプレで落と 昔、「母もの映画」といわれた作品 ~ し、オリンをきっかけに奮い立ち、 では、母子の別れの場面で感動を盛】サンボウで決意し、ヤマへと向かう ・ : おそらく、笠原の骨法十箇条で り上げるためにバイオリンが奏で 一番効果的な配置の仕方がこの流 られた。「オリンをコスる」などとい われ、笠原の「オリン」はここに由来【れだろう。 亠豊 ャプリ 角 角 前後の。フロックをつなぐ形 メ。でひねることがこの部分の 目的。前段までで才能の片鱗を表し たイヅナだが、それでもうまくでき ないというのがトラブル。 このエピソードの目的はイヅナを 落ち込ませる ( ャプレ ) ことだが、 それだけで終わってしまうと読者に はストレスになってしまうため、暴 走のエピソードで「本当はすごいこ とができる」ということを匂わせる ようにした ( 彼自身の気持ちは上が らないが、 読者の側に一定の安堵感 を与える ) 。 これを強調するための序破急は次 の通りーーー機匠と機装心臓について の説明 ( 序 ) / 機装心臓を扱えない イヅナ ( 破 ) / イヅナの知らないと ころで機装心臓が暴走 ( 急 ) ャブレを有効に使用するな ら、転のプロックにある「心 の闇」がよいだろう。しかし、本作 では主人公を早い段階で精神的に持 ち上げてやりたいと考えていたの で、あえて承のプロックに配した。
意ガ 識リ せを メリハリと密度 【読者の興味を惹く この作品では密度とスピード感を すでに何かが起こっているところ から始めるという方法がある。会話 重視してプロットを組んでる。 最近のラノベはアニメ化なども意 ~ やアクションシーンから書き起こす 識したっくりが多いので、本作では ~ わけだ。北村想は「テンションの高い そうした傾向も参考とした。 ところから物語を始める」ことが、物 たとえば、アニメ化されたラノベ 語を面白くするコツだと語ってい 作品が「三話まで見ないと面白いか ~ る。 同時に、導入部分は「アトラクト どうか判断できない」といわれる背 景には、そこまでで第 1 巻のラスト、 ~ 〔 attract 〕に優れたものであらねば あるいは第 1 巻のクライマックス直 ~ ならない」とも記している。つまり、 前になるという配分であることは影【魅力的な書き出しとは。受け手の注 響しているのだろう。 意や興味を惹きつけるものだという ことだ。 本作でも、展開をアニメでの 35 4 話分を意識した配分とし、「起」の ~ 物語をつくり慣れていない人は、 プロックを第 1 話と見なし、これが ~ 事件を時系列に従って、そのまま書 どんな作品なのかわかってもらえる ~ いてしまうことが多い。だが、物語づ ように注意を払った。 くりは、読んで字の如く、モノを語る 】作業だ。それこそ、興味を惹くために ファーストイメージ ~ は結末から入ってもいし 小林信彦はストーリーとプロット 基本的に、読者は白紙の状態から ~ の違いについて、こんなふうに言及 している。ストーリーとは「美しい女 小説を頭から読み進めていく。 したがって、このプロックでは物 ~ 性は青年 O のフィアンセだった。 語のさまさまな情報を提示していく ~ そのに、 0 の友人 < が惚れた」とい ことが求められる。いつ、どこで、誰 ~ うもので、プロットとは「青年 < は知 が、何をする話なのか : : : しかし、こ ~ り合った女の子に惚れて、友人 0 れらが羅列的に記されていたのでは ~ に紹介した。ところがは O のフィ 退屈なものになってしまうし、情報 ~ アンセだったのである」と。 がいちどきに流れ込むと読んでいる後者は情報の順序を入れ替えて、 ~ 見せたい部分を効果的に提示してい 側の頭も飽和してしまう。 読者の興味を惹きつつ、情報を整る。つまり、これがプロットⅱ構成な 理して提示するために、可能な限り、わけだ。 エピソード化を心懸ける。 ー翠玉のチェストフレイカ呵で 解説する作劇 ロクライン 自分に自信を持てなかった少年が、 特別な存在として選はれ、 他人から必要とされる手応えを感じるようになる。 名機の専属機匠 自分にしかない特別なカ キ人公 : 晴明イツナ 冒頭にアクションシーンを配 し、この物語が「超人」と「機 械」のバトルものだということを示 した。ただし、イヅナ自身が活躍す るのではなく、彼が事態を目撃する ことで読者に世界を伝える代弁者の 役割を担わせている。 どうしても設定や背景説明を 地の文で書かねばならないと きは、分量に気をつけたい。最近の人 気ライトノベルなどを見ると、一カ 所につき、 253 ページくらいが一 般的な読者が退屈せずに読める範囲 のように思える。 主人公に焦点をあてる 主人公、ドラマの前提、背景 現状への疑問 ( 不満 ) 冊 26 問題の明確化 欠けているもの 51 ドラマ上の欲求 「骨法十箇条」は 『仁義なき戦い』の脚本家、 笠原和夫が掲げた シナリオづくりで 困ったら立ち戻る基本ー ドキドキ 冊① 1 山奥にある学園へ教 師・葦矢の車で向かう ィッナ。 機師・葛ノ葉キリネ & 機装戦騎・スイネと、 機師・黄沖の野死合を 目撃する。 周囲に違和感を覚え続 けていたイツナは、中 学卒業の日、クラスメ イトとともに入ったカ ラオケ店で機匠の力に 覚醒する。 自らの力に怯え、家に 逃げ帰ったイツナは両 親がアンドロイドであ り、本当の両親は数年 前の事故で死んでいる と知る。 アンドロイドに組み込 まれたメッセージでイ ツナは「世界の真実」を 知らされる。 学園の入学式で校長の 形代は機匠としてのカ を披露し、機師と機匠 の役目について語る。 半殺しにした黄沖を連 れ、キリネが登場。形代 へ詰問する ( 因縁あり ィッナはキリネに呼び 出され、野死合の最中 に目撃したモノについ て他言しないよう求め = られる。 ニ人きりの様子を先輩 の茂武に見られるが、 キリネはイツナが交際 の申し込みをしてきた のだといい逃れる。 感情の動き 覚醒冖数週間前〕 を 主人公に 、カセをかけろ ! クラスの女子との会話で、イ ヅナの抱える「違和感」や過 去の事故について軽く触れた。 は主人公へマイナスに作用する ファクター たとえば、身分の違う相手に寄せ る恋心はカセとして機能する。 カセから生する波乱を笠原は「ア ャ ( 綾 ) 」と呼んでいるが、効果的な カセとは「枷」であり、主人公に背【アヤをつくるには適切なカセが必 要だとも念を押している。 負わされた運命、宿命を意味する。 「コロガリ」が主人公のアクティヴ ~ カセが凡庸だとアヤがちゃちなパ 第 ' な面を強調するのに対して、「カセ」】ターンになってしまうのだ。 に初めて登場する主役や何人かの主 要人物は、最初のシーンの芝居が引 き立つように書く ( 「役」の「出」のテ ンポを考え、印象強く提示すること が重要 ) 。 コロガリは冒頭のみならず、構成 コロガリとは「転がり」であり、展全般で意識されるべきものだ。たと 開の妙 ( 主にサスペンス ) をいう。 えば、「コロガリが悪い」となれば、不 笠原によれば、「これから何が始ま ~ 自然な展開や御都合主義による話の るかと客の胸をワクワクさせ」、最初】運び、脇の筋 ( サププロット ) への深 に何の話かを端的に示唆することが ~ 入り、「コロガリ過ぎる」とは本筋だ 大事。 けが先へ先へと進んでしまうような 突然のアクション・シーンであっ状態をいう。 つまり、コロガリは受け手との間 。ても、説明は後でいくらでも入れら れるので、思い切った衝撃的シーン ~ での駆け引きであり 、いかに意表を を真っ先に持ってくる。特に、ドラマ】つくかというテクニックなのだ。 『キーマスター』は 川瀬弓鶴くんとの合作で アイディア段階からいろいろ ディスカッションして 組んでいった フロット ポイント 01 シリーズ第 1 巻を想定したけど ここしばらくで考えてきた 構成理論を盛り込むように 心懸けたから参考になると思う っ′ 4 角 このプロックの冒頭に「寄木 細工」という表現を入れたが、 これが全篇を通してのモチーフと なっていく。 この段階で、物語を引っ張っ ていく謎が、冒頭の戦いの中 で目撃した「機装戦騎の中に入って いる少女の腕」であることを示した。 キーマスター翠玉の チェストプレイカー 著者皆川ゆか・川瀬弓鶴 イラストレーターフ子 ほにきゃん BOOKS ライト ノベルシリーズ 文庫価格 : 650 円 ( 税別 )