との交流をする、家族との関係 いくことが必要だと思います。と自分の力に対する信頼の獲 では家族の支援が少なくなる、 いくら症状がよくても、ご家族得、つまり、自分は力を持って号 いるんだと自分を肯定的に見る 長い目で見て、そういう方向をの支援が増加して、一生懸命ご 年 めざせば、リカバリーという状家族が支えている中で初めて実こと、それからご家族のサポー と 態に近づくと思われます。支援現しているという状況では、やト、良き治療者との出会いし っ こ , つい , っこ 、中』との出会い ね する側も、こういう方向に向け はりリカバリーとい , っ趣匕日からしイ とをあげる人が非常に多かった ん て、いろいろな形で応援をしてちょっと外れているのではない み わけです。 かと思うのです。 病気なのですから、クロザピ 実際によくなった方、リカバ リーしているという方が回復のン治療を受けたとかリハビリを きっかけについて、どんなこと受けたとか、答えるのではない かと私は思っていたのですが、 生を言うのか、私はすごく関心が 、」 ( い石あって、昔、論文を調べたこと実際の答えは、病院で医者が 、るがあるので、それをご紹介しまやっている治療の内容ではなく て、自分も含めてみんな、誰か 亠 す。 回復した統合失調症のみなさと関わる中でよくなったと言っ ん約人に、「どうしてよくなっているところが、一番のポイン たと思うか」と聞いた結果ですトだと私は思います。 つまり、症状が取れることを けれども、その要因を分類する 含めてだと思うのですが、人とです。例えですが、私が電車のとだと私は思います。 理解をするとい , っことは、相 中で、精神障がいとおぼしき人 信頼関係を持ってコミュニケー ションを図っていくことがリカが何かしていたとして、「私は手の人を肯定することだと思う バリーするうえで一番大切なこ医者ですけどお手伝いできるこのです。よく専門家は、自分が となんだということを、よく とはありますか」と、私と初対何か一一一一口うことで思うように動い なった方々は異ロ同音に語って面の人に言っても、その人からていただくことを期待してしま うのですが、それは、なかなか いらっしやるのだろうと思いまは「うるさい、引っ込んでろ」 め す。 と言われるのがオチではないか手つ取り早いようで、現実的で 4 の と思います。私がどんな人間ではないと私は思います。ご本人 がやりたいことを理解して、そ 何をしてくれるのか、そういう お互いの居場所 ことがわからなければ、すなわれをやっていただくようにする ですからコミュニケーション れ がとても大事だと思います。コち関係ができなければ支援をしことの中で、初めて信頼関係が れ そ ミュニケーションというのは、 てもらおうという気持ちになら生まれるということが、往々に 関係を作り維持するための手段ないと思うのです。そういう意してあると思います。 家 者 コミュニケーションの技法と だと思うんです。「関係なくし味で、よい関係を作るためのコ いうのは、考え方の違う人同士 て支援なし」と私は思います。ミュニケーションが、まずは必 神 精 が、対立せず共存できるように いろんな専門技術を持っていて要であると思います。 集 コミュニケーションの一番の調整をするということではない も、その人と関係を結ぶことが 特 か。それはお互いの居場所を作 できなければ役に立たないわけ目的は、相手の人を理解するこ
。・ ' 一一療法などのショック療法がおこ なわれていました。そのため治療号 精神科医療の現状と改革の展望 月 的にみても、入院中心の隔離・収 年 昭和大学烏山病院家族会あかね会監事 氏家憲章 社会福祉法人うるおいの里・理事長 容の綿科医療 ( 施設収容 ) の時 代だったのです。 と っ それが、 1 9 5 3 年のクロ ね 《連載》第 3 回精神医療政策を見直した先進諸国 な ルプロマジン ( ウインタミン ) 、 ん み 1958 年のハロペリドール ( リ 先進諸国では、第二次世界大地域で生活することが一時的に 戦前から長い間続けてきた精神困難な精神症状を改善するためントン ) の発見、そして 1960 科病院への入院中心の隔離・収の短期入院だけとなったのです。年代に入ってからの抗精神病薬 先進諸国でこのような政策転の本格使用によって、精神科治 容の精神医療政策を、 1960 換ができた背景に何があるかみ療は精神症状をコントロール 年代以降に見直しました。 し、地域で、社会生活が可能な時 精神科医療と精神障害者の処てみましよう。 " 1960 年代以降精神科医療代に大きく前進したのです。 遇の中心を " 精神科病院 ~ から " 地域 ~ に移し、精神の病気や障が大きく進歩 ~ ①膨大な精神科病床を抱えてい 害があっても、医療支援と生活精神科医療は 1950 年代ま た先進諸国 支援によって障害者を地域で支では、先進諸国でも日本同様、治 日本と先進諸国の精神科医療 える地域精神医療 ( 脱施設化 ) 療の中心は、発熱療法・インシュ リンショック療法・電気ショックは、元々今日のような大きな格 としたのです。そのため入院は、 ン した結果、①医療費 ( 欧米諸国の医療行政は県単位 ) 差があったわけではありませ 床間題、②人権問題、の財政悪化を招いてしまったの ん。先進諸国では、前述したよ 工輛③施設症問題が発生です。 うに第一一次世界大戦前から精神 しました。先進諸国 ス 例えば精神科病院を廃止した 障害者を精神科病院へ隔離・収 床ダ床では、これらの問題イタリアのトリエステでは、精神 容する政策を積極的に推し進病ナ 科カ 4 を反省し、精神科病科病院があった時代は、トリエス め、精神科病床を増やし続けて きました。その結果 1960 年精ス床院への入院中心の隔テ県の総医療費の半分は精神科 頃には、病床数が少ないイギリお 4 離・収容政策を転換病院が占めていました。そのため ロイ したのです。 先進諸国では、医療費の増大に伴 スでも人口万対 ( 人口 1 万人あ人 の劫床 う県の財政悪化を解消するため たり ) 数床になり、多いアメ 国 1 3 に、精神科病床の大幅は避け リカやスウェーデンでは数床要メ 4 ①医療費問題 望 先進諸国の精神医られない課題になったのです。 展 と増えてしまい、現在の日本のの床 年本 の 4 療費は、日本のよう 人口万対床を大幅に上回る精 3 日 革 に一般病院と精神科②人権問題 と 神科病床の状態にありました。 イ、攵 床病院とのあいだに大当時の精神科病院は、一旦入塘 図隔離・収容の精神医療政策を 病きな格差はありませ院するとなかなか退院ができな 療 反省 ん。そのために精神科病床を大い長期入院でした。精神障害者科 神 精 先進諸国では、精神科病床を量に増やした結果、医療全体のを長期間隔離・収容することは、 大量 ( 数床—数床 ) に増や医療費を急増させてしまい、県人権上大きな問題があります。