精神科病院 - みる会図書館


検索対象: 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号
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1. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

されました。 1960 年頃の人などの精神症状を解消することがあっても、精神障害者の想い はできません。しかし抗精神病や目標を実現するための支援を ロ万対数床—数床の精神科 病床は、 7 割割が削減され、薬によって、精神症状を軽減し、優先するように考え方が変わっ 今日では、人口万対 5 床前後の地域で社会生活が可能な時代にて取り組まれています。そのよ なりました。 うな支援はむしろ入院ではな 短期間入院のための病床だけに なっています。 糖尿病や高血圧症は、薬で病く、生活の場である地域によっ 削減した病床で働いていた職気は治せません。しかし薬で症てはじめて可能となります。 また先進諸国は、県立の公立 員と使用していたお金は、地域状をコントロールをすることは に移し、医療支援と生活支援を可能です。糖分や塩分を控え健精神科病院が中心でしたので、 おこなうための人材と財源に活康的な生活スタイルを維持する隔離・収容 ( 施設収容 ) から地 なら、社会生活は普通におこな域精神医療 ( 脱施設化 ) へ政策 用し、地域精神医療体制をつく 望 りしました。 えます。精神科医療も同じです。を転換しても、病院の管理者な 展 " 先進諸国で政策転換ができた以前の精神科医療は、精神疾患どからの抵抗はなく、政策転換 と の病気を治すことを最優先しては容易におこなわれました。 背景 ~ いました。そのため入院医療に 先進諸国で精神科病床の大幅 それでは、日本は、なぜ、先塘 削減ができた背景には、精神科頼り入院も必然的に長期化しま進諸国のようにならなかったの療 医療の進歩があると同時に精神す。しかし今日の先進諸国の考かについて、次回の 7 月号でみ科 精 科医療の考え方の変化がありまえ方は、病気を治すことを最優てみたいと思います。 ( うじいえのりあき ) す。抗精神病薬は、幻聴や妄想先するのではなく、病気や障害 しかも精神科病院の実態は、病が長期になればなるほど、人が本の問題と誤解されてきました。 棟に大量の詰め込みで療養環境来持っていた社会で生きていくしかし精神科病院だけでなく、 号 月 は劣悪です。 健全な能力が落ちてしまいます。 どんな施設においても長期間収 年 病棟の出入り口には、カギが また入院生活では、在院患者容すると起きやすい問題です。 施錠され簡単に外に出られない はいつも受け身で、お世話を受 3 隔離・収容の精神医療政策をと 閉鎖処遇です。 けるという立場になります。そ ね 転換 亠な 精神障害者のプライバシーものため物事を判断し、自分で決 ん み ありません。威圧的な管理体制・め選択するなどの対人関係調整抗精神病薬の本格使用によっ 虐待など、深刻な人権問題もあ能力、そして人間としてのプ一フて、地域処遇が可能になったこ とで、日本を除く先進諸国は、 りました。この問題を解消するイドも次第に落ちてきます。 1960 年代から入院中心の隔 ためにも、精神科病院中心の隔 その結果、社会生活が困難に 離・収容政策の解消は不可欠な なる「施設症」を発症します。離・収容政策を反省し、精神科 課題だったのです。 病院への長期入院は、病気本来医療と精神障害者の処遇の中心 の障害の上に、自立心を弱め社を″精神科病院 ~ から " 地域″ 会復帰 ( 退院 ) をより困難にすへ移しました。 ③施設症問題 その結果、今日では、先進諸 病院に入院すると、人が社会る二次的障害をもたらし退院を で生きていくために必要な衣食より困難にします。以前はホス国の平均在院日数は日前後に 住は、病院が提供し在院患者は病ピタリズムと言われ、精神科病減りました。そして長期入院の 院任せになります。そのため入院院の入院患者だけに起こる特有ための病床は、役割を終え廃止

2. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

。・ ' 一一療法などのショック療法がおこ なわれていました。そのため治療号 精神科医療の現状と改革の展望 月 的にみても、入院中心の隔離・収 年 昭和大学烏山病院家族会あかね会監事 氏家憲章 社会福祉法人うるおいの里・理事長 容の綿科医療 ( 施設収容 ) の時 代だったのです。 と っ それが、 1 9 5 3 年のクロ ね 《連載》第 3 回精神医療政策を見直した先進諸国 な ルプロマジン ( ウインタミン ) 、 ん み 1958 年のハロペリドール ( リ 先進諸国では、第二次世界大地域で生活することが一時的に 戦前から長い間続けてきた精神困難な精神症状を改善するためントン ) の発見、そして 1960 科病院への入院中心の隔離・収の短期入院だけとなったのです。年代に入ってからの抗精神病薬 先進諸国でこのような政策転の本格使用によって、精神科治 容の精神医療政策を、 1960 換ができた背景に何があるかみ療は精神症状をコントロール 年代以降に見直しました。 し、地域で、社会生活が可能な時 精神科医療と精神障害者の処てみましよう。 " 1960 年代以降精神科医療代に大きく前進したのです。 遇の中心を " 精神科病院 ~ から " 地域 ~ に移し、精神の病気や障が大きく進歩 ~ ①膨大な精神科病床を抱えてい 害があっても、医療支援と生活精神科医療は 1950 年代ま た先進諸国 支援によって障害者を地域で支では、先進諸国でも日本同様、治 日本と先進諸国の精神科医療 える地域精神医療 ( 脱施設化 ) 療の中心は、発熱療法・インシュ リンショック療法・電気ショックは、元々今日のような大きな格 としたのです。そのため入院は、 ン した結果、①医療費 ( 欧米諸国の医療行政は県単位 ) 差があったわけではありませ 床間題、②人権問題、の財政悪化を招いてしまったの ん。先進諸国では、前述したよ 工輛③施設症問題が発生です。 うに第一一次世界大戦前から精神 しました。先進諸国 ス 例えば精神科病院を廃止した 障害者を精神科病院へ隔離・収 床ダ床では、これらの問題イタリアのトリエステでは、精神 容する政策を積極的に推し進病ナ 科カ 4 を反省し、精神科病科病院があった時代は、トリエス め、精神科病床を増やし続けて きました。その結果 1960 年精ス床院への入院中心の隔テ県の総医療費の半分は精神科 頃には、病床数が少ないイギリお 4 離・収容政策を転換病院が占めていました。そのため ロイ したのです。 先進諸国では、医療費の増大に伴 スでも人口万対 ( 人口 1 万人あ人 の劫床 う県の財政悪化を解消するため たり ) 数床になり、多いアメ 国 1 3 に、精神科病床の大幅は避け リカやスウェーデンでは数床要メ 4 ①医療費問題 望 先進諸国の精神医られない課題になったのです。 展 と増えてしまい、現在の日本のの床 年本 の 4 療費は、日本のよう 人口万対床を大幅に上回る精 3 日 革 に一般病院と精神科②人権問題 と 神科病床の状態にありました。 イ、攵 床病院とのあいだに大当時の精神科病院は、一旦入塘 図隔離・収容の精神医療政策を 病きな格差はありませ院するとなかなか退院ができな 療 反省 ん。そのために精神科病床を大い長期入院でした。精神障害者科 神 精 先進諸国では、精神科病床を量に増やした結果、医療全体のを長期間隔離・収容することは、 大量 ( 数床—数床 ) に増や医療費を急増させてしまい、県人権上大きな問題があります。

3. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

あるのを東京の松沢病院で私は が多い。そうなると、そういう見などから守っているけれど 見たことがあります。 場合、ご家族自身も回復をするも、いざとなればご家族として 号 月 専門家は、自分たちの視点かという視点が重要になると思い外に出て訴える、そういう気持 年 ら家族像を描きがちです。「家ます。 ちは持っている」 族は治療の協力者」だといわれ これは、一つの例として私が、 この中の一つでも二つでも増 と ることがありました。確かにご「回復したご家族とは、こうい えてくる、そういう状況がご家っ な 協力を望む家族には好感すべきう方々ではないでしようか」と族の回復なのではないかと思っ ん み 見方だと思いますが、そういう いつも言っていることですが、 ています。 時に専門家が念頭に置いている 「精神症状が決して軽くない 具体的に、私としては「旅」 のは核家族とか、ご本人の問題ことはわかっているけれど希望をお勧めしたいと思います。旅 を、お父さんやお母さんが解決を持つ」「ご本人に温かく接す行というのはほんのちょっと家 してくれる、そういう力を持つるけれど、でも正しい療養を行をあけるだけのことですけど、 た家族だったということが多うようにご本人に伝えることがご本人が行くにしてもご本人が かったのではないかと思いまできる」「医療関係者には感謝家に残るにしても、いつもとは す。 はしているけれど、不安や不満違う何かがあると思います。、 今、いろいろな状況の中で、があれば率直に一一一一〕える」「本人さな一歩が人の生き方、ご家族 画一的な「精神障がい者家族」の世話をしているけれども、自のあり方を変える可能性がある は存在しないと思います。ご家分の生活設計に沿って人生を楽と思います。 族も支援を必要としていることしんでいる」「本人を世間の偏 「この子がいるから行けない」 とかい , っことではな / て、何け があると伺いました。 委ねる。今は川日以内に入院届 ないのだったら、どうしたら連私も、退院支援委員会に外部を出して 1 か月ぐらいで審査し ているのですが、 2S3 日でき れて行けるかを考える。どうしの相談支援の方が必ず入って、 ても連れて行けないのなら、そ早く退院できるようにして欲しちんと審査して、本人に医療審 の間をどうしたら、何日か過ご いと望みたいと思います。その査会が「あなたの入院は妥当だ すことができるのかを考える、外部の支援事業者が家族の支援と認めた」という結果を伝える ということが、お互いの「自立」もおこなうような仕組みを作っようにしていただきたいと思い め ます。ご家族は意向を伝えたと の一歩になるのではないかと思てもらいたいと思います。 あ いうことで、そのあとはご本人え います。 ご家族の立場・位置として それから今、保護者制度がな は、医療保護入院の同意というの人権を守る立場で病院治療に くなったあと、制度上ご家族をことではなくて、本人の意思に関わっていただけるといいと思 れ います。 どう位置づけるのかということ反して診察をする際には、診察 一て れ そ そしてご家族の回復という視 が問題になっていると思いまおよび入院についての意向をま す。 ずご家族が病院とか保健所に伝点も踏まえて、ご家族でなけれ 者 今の状況で、精神保健福祉法えておく。それで、入院が必要ば一一一一口えない提言を、これからも 上、家族をどのように位置づけとか具体的な治療については精続けていただきたいと思いま 障 神 精 るかということですが、「みん神保健指定医とかの医師に任せす。 集 ( しらいしひろみ ) なねっと」としては、「家族のる。その入院が妥当なものかど 同意を廃止」したいという希望うかは精神医療審査会に審査を

4. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

た。幸いなことに、 1 週間後の前から認知症の父親の受診に付 〈多くの人の連携〉 受診時には、さんは「気持ちき添って来られていましたか 号 月 ら、よく頑張っておられると 数日後役所に様子を聞きますが済みました」と言われ、スッ 年 と、さんはまだ何回も電話をキリした顔付きになられまし知っていた方でした。今回話さ したりしているようでしたか れるには、夫は単身赴任中で、 と っ ら、心優しい職員は、どうした 自殺を思う人には " 心配でた家事と幼い 2 人の育児を 1 人で ね な ものかと頭を悩ませていましまらない ~ で気に掛けてくれるされており、さらに、夫の両親 ん 人と、逆に " そう考えなくてい も入院中で、その病院での看病み ~ と助言する人とが必要なのと世話を担っておられるとのこ です。自殺は止めなくてはいけとでした。 ませんが、それを言って来る人 「子供が夜寝ないで泣き続け を全員閉じ込めておくことはでると、 " この子が居なければ ~ と、 きませんから。 口を塞いでしまいそうになる」 と言われます。 〈児童虐待 ? 〉 〈頑張り過き〉 その何日か後に、今度は若い それだけの事情が重なれば、 お母さんのさんが「 1 歳の子 を虐待しそうになる」と言ってそんなことを一瞬思いついても 受診されました。さんは、以不思議はありませんね。そう しようか ? お母さんは、子供 思ったことで、自分を責め過ぎ 〈保護を求める ? 〉 を手放したことで、さらに気持 てはいけません。切羽詰れば、 でも、今日はさんは私のとちが不安定になったことも考え 人間は何でも思いつくもので す。たいていの人は " 聖人一でころ〈来たから、こういう途中られます。迷うところです。 はありませんから。そしてそ経過になりました。以前、別のい〔「 ( 「 - 、 〈自分で決めている〉 れを思いついた自分を反省し過お母さんで " 子供への虐待の気 本談 ~ では、誰に本した ぎるよりも、そういう事情を変 持ち ~ を言われた人がありまし こ。ムは " その気持ちは自分でかで、自分で半分答えを決めて えて行かなければいけません。广不 いるのです。さんとさんも お子さんは保育所に入所の予定止められる ~ と伝えましたが、 ということですが、お父さんもその後、私よりも心配性の小児そうです。精神科医を選ぶ時に も、精神科医によって診断と治 老人ホームへの入所を考えませ科の先生にも相談されました。 しゅうとしゅうとめ んか ? 入院中の舅と姑につその先生は児童相談所に連絡さ療法や薬の種類と服用量が同じ いては病院に相談して、看病のれ、子供は保護されて、親子別々になることはまずないですか ら、患者さんと家族がなぜその に暮らすことになりました。 回数を減らしましよう。 お の あの時、子供を保護しなけれ治療方針なのか納得できること この日、さんは自分の気持 ら ちをひとしきり話されて、自分ば事件が起きていたのでしよう が必要です。精神科の病気は長 は頑張っている方だと、少し安か ? 一時的に保護したことでくかかりますし、患者さんと医診 お母さんは精神的に安定し、子者とが同じ方向を向いて努力す街 心されたようでした。 供を引き取ることができたのでることが大事ですから。

5. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

次に就労なども含めた生活リズんでいます。また、アンケート これらのことは、自分の気持 ムの訓練が始まります。 では多くの家族で、世間体を気ちと取り組み方によって、変え その後、個人に合った進み方、にする、人に知られたくない、 ることができるはずだという思 例えば、グループホーム、アパー 精神科に行くのに勇気がいるし 、で、私は生活しています。 トなどでの生活へと、支援のも等々の声がたくさん出されてい 私の好きな歌 とで、自分らしい生活ができるます。これが現在の私たちを取 よう訓練して卒業できるように り巻く環境です。 花 ( 由紀さおりさんの歌 ) なっています。 障害者権利条約、障害者差別花として花として、 このような施設 ( 特に精神障解消法が施行されるようにな咲かせてあげたい、 害者用 ) は、まだまだ少ない状 り、取り巻く環境が少しずつ変泣きなさい、笑いなさい、 態です。地域移行を促進するたわってきました。今こそ私たちい つの日か、いつの日か、 めにもこのような施設が全国各親が変わらなければならないこ花を咲かそうよ。 地にできるように働きかけてい とを自覚し取り組むことが必要 きたいと思います。 と思います。 過去のことを嘆いても、過ぎ 今親が変わらなければ 去った時間は取り戻せないし、 ならない 過去は変えることができませ 現在、大多数の家族が母親任ん。 せであり、母親が一人悩み苦し た。今から年前に、現在のよ立つよう、家族会に精を出してらないよう大量の薬を服薬する うな考え方や対応の仕方ができ いきたいと思っています。 ため、朝から眠い、身体が疲れ号 月 ておれば、もっと状況が変わっ る、何もやる気が出ないという 長期入院者の自立化は 年 ていたのではないかと、反省す 生活をしてきたわけですから、 「宿泊型生活訓練所」で るこの頃です。 日常生活を取り戻すには時間が と 妻が死亡後に聞いたことです っ 息子は、病院の先生の紹介で、かかります。 が、妻から私の姉のところによ「失敗したら、また帰ってきて先ず一日のリズム、次に一週な み く電話があり「主人が家族のこやり直せばいいよ」という、優間のリズム、次に一か月のリズ とをもう少し考えてくれていたしい言葉をもらい、本人も納得ムを体で覚える必要がありま ら息子も変わっていたのに」としてこの宿泊型生活訓練所に入す。 こ。ほしていたとい , っことがわか りました。 このような規律ある生活リズ り、その妻への罪滅ぼしのため 長期入院者のほとんどの人はムを家庭内で育成することはな にという思いもあって、家族会日常生活能力がありません。まかなか困難です。ですから、こ に入会しました。 ず決まった時間に寝起きし、食ういう施設の集団生活の中で育 子供のことは、すべて妻に任事をとること、掃除、洗濯、着成していくことが最善の方法だ せて仕事に熱中していた自分を替え、入浴など、日常生活がでと思います。そのことを私は、 今反省し、これからは息子のたきるようになることがスタート息子の体験を通して知ることが め、また悩み苦しむ多くの家族、です。 できました。 当事者のために、少しでも役に 病院内では、トラブルが起こ 生活リズムができてくると、 21 私と家族の手記

6. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

、ここにいるとおかしくなる、 息子が発症したのは、大学 4 すぐに入院させるようにという 年生の夏休みでした。大学の教指示で、兵庫医大の附属病院にお父さんも入院したらわかる」 という訴えを聞いた時の悲しさ 初めての入院となりました。 授から「息子さんの様子がおか 3 か月の入院後、退院し、西は、今も忘れることはできませ しい」という連絡を受け、私が ん。 名古屋に行って様子をみました宮で親と同居し、フリ 1 ター 離婚、子供の養育費問題など、 が、その時は、まさか精神病と就職という生活を繰り返してい この期間は本人にとっても家族 は気がっかず、本人の性格からましたが、私の転勤で岡崎市に にとっても、つらい人生の連続 云居しました。 くるものとしか考えることはで車 その後、就職し、結婚もするでした。 きませんでした。 息子は、その年の 5 月に就職のですが、子供が一人できた頃 父親としての反省 から、嫁の母親との関係が悪く が内定していました。ところが なり再発、再入院の生活が平成私は、家族会に平成年に入 夏ごろから、幻覚、幻聴が出始 Ⅱ年から始まっています。離婚会し、その後、研修会、講演会 め、教授が授業中に内定以外の などに参加するようになりまし 別の会社に行くように指示しても経験しています。 その後は、退院、入院を繰りた。また、多くの家族会の人と いるとして、その会社の工場、 東京、大阪のショールームを訪返して、離院 ( 逃げ出し ) するの出会いによ「て、この病気の ことも数回ありました。毎週日難しさ、社会生活の難しさなど 問するようになり、ついにし用 事事件として警察の厄介にな「曜日には必ず面会に行きましたを学び、ようやく息子の気持ち が、「早く病院から出してほしを理解できるようになりまし てしまったのです。警察から、 私と 手記、 「宿泊型生活訓練所」で 自立化をめざしています ( 愛知県 ) 高齢の親子 に戻り、自立化に向けて取り組 はじめに んでくれるとの思いで取り組む号 月 私 ( 親行歳 ) 、息子 ( 当事者毎日です。 年 歳 ) 、自立化に向けて新しい 息子と歩んだ年 生活に取り組みましたが、まだ と まだ先は長そうです。 私たち家族は、名古屋での生っ 亠な 息子は平成年末、年間の活が長かったのですが、息子が ん み 入退院の生活からやっと抜け出大学入学の年に、私の大阪への し、「宿泊型生活訓練所」に入転勤で、家族は西宮へ移りまし 所し自立化への道を歩み始めまた。ですから息子は、親元を離 した。当初は、言葉遣い、日常れ名古屋に残って、大学生活の の行動において、ようやく自立 4 年間を、寮、アパートで過ご 化への道を進み始めたと思ってすことになりました。 いた矢先、最近、忌まわしい「水 ( 注 ) 水中毒 中毒」 ( 注 ) の症状が出始め、入 統合失調症の特徴的症状、この症 状は患者の 253 割ぐらいの割合で 退院を繰り返すようになりまし 出る。過飲水から始まり、次第に飲 水量が増え、慢性の水中毒になる。 た。この病気の難しさをつくづ その結果、症状や予後を確実に悪く くと感じています。 し、場合によっては死亡につながる こともある。 まだ先は長いが、また訓練所 19 私と家族の手記

7. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

さ心 いるとうらやましく、眠がこみ も大切です。社会で生活し、仕 な中。 号 で事にも徐々に目が向いていきま上げてきます。こんなはずじゃ 猪擲←す。勿論、家族や周囲の支援はなかったのに、と涙があふれ出月 年 わ ます。 コ欠かせません。 の 私は若い頃、勉強もスポーツ 、わ扠す 、のの介 と も普通でした。勉強は得意で大 第紹日常生活 っ ん 学にも合格しました。だけどど ね み ◆群馬県フランシス家族こかでネジが外れて軌道から外な 〇 れてしまったのです。しかも精み 代 ) 〇 弟が統合失調症です。昨年 8 神分裂病という、みんなに相手 月に父が亡くなり、母が一人でにされない深刻な病気にかかっ 〇「みんなねっと」の感想 てしまったのです。 弟と暮らしています。 私はまさか自分が精神分裂病 相談を受けることが多くな 〇◆福井県小寺清隆家族元 にかかるとは夢にも思っていま り、訪問した際にみんなねっと 代 ) 〇 は読みました。組織のカってあせんでした。しかし周りの人の 姫井先生の「精神化の薬」 3 〇 誠心誠意の心尽くしに、私は何 月号、 4 月号で、現在使用されりがたいと思いました。 今後、精神障害者の財産管理かを感じ、まともな社会人とな ている薬の特徴がわかりまし に関わる事などが情報としてありました。 世の中には私のような者も助 ると良いなと思いました。 本人・家族も飲んでいる薬に けてくれる人もいるんだと感動 ついて理解が深まると思いま す。本人にベストな薬と量は、◆青森県北条本人 ( 代 ) しました。ありがとうございま 私たちは社会的立場が弱く、す。 なかなか見つけられないのです が、治療と安定の維持にはとて何もできません。健常人を見て 読者のページ 春風は傷に善く効く良薬や 太陽よ皆平等に降り注げ 常春の幸を運べし弱者にも ◆熊本県 masahi 「 0 」本人 代 ) ☆自分から逃げれば逃げるほど 生き甲斐も遠ざかるー ☆恐れは逃げると倍になるが、 立ち向かえば半分になるー ☆一瞬逃げられても一生は逃げ られないー ☆夢は逃げない逃げるのはいっとてもいい曲なんですよ。なん も自分だー というか、暑かった 8 月が終わ 詩・その他 り、ちょっとセンチな気分にな るといったメロディーなんです ◆岡山県工藤圭志本人 ( ◆匿名希望 ビリーポーン楽団の曲に「 9 よ。 月になれば」というのがあって、 病院に入院して俳句を作り、 新聞や俳句誌に投かんしていま す ◆京都府ととろ本人 ()0 代 ) 37 読者のページ ( みんなのわ )

8. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

口 ①見た目 ( 視覚 ) 、②経験則の一一 つによる側面が大きいです。特号 月 に、②が重要だと思います。例 「生きづらさ」の理解は えば、私が友人たちと約東して 6 豊かな暮らしの第一歩 いた旅行に、突然行けないこと と 日本福祉大学 になったとします。すると、友っ 事青木聖久 人たちは、心中穏やかではあり ん み ません。ですがその理由が、交 私は一昨年の 2 月より、「精神・とはいえ、本人の「生きづらさ」通事故に遭い外科を受診した、 知的障害に係る障害年金の地域を把握し、そのことを周囲の人ということがわかれば、どうで 差に関する専門家検討会」の委たちが理解できるように伝えるしようか。納得はできないとし 員を担ってきました。その中で、 ことは、簡単ではありません。ても、「現代社会では、交通事故 ずっと思っていたことがありまでも改めて思ったことは、これに突然遭うこともあるだろう」 す。それは「精神障がいのあるらのことを伝えずして、社会のという理解は得られるはずです。 本人 ( 以下、本人 ) が抱える生理解は得られない、ということしかしその理由が、精神的に不 きづらさは、わかりづらい。でも、です。 安定になって精神科を受診した、 そのことをいかに客観的に捉え、 とい , っ場ムロはど , つでしょ , つか 障害年金に反映していくかが大罎がいはわかリづらいのか「何故、このタイミングで」とか、 あるいは、「そんなことは、ある 精神障がいのわかりづらさは、 切ではないか」ということです。 はずない」等というように、多「何故、こんなに面白い冗談が一一一一〕相談していますけど、幻聴が取 れないんです。時々、恐ろしい くの人の理解は得られにくいとえるのに、一般就労に行かない のだろうか」等と思っていたも男の声で『ぶつ殺したろか』っ 一一一一口えます。 経験則とは、人が周囲の人たのです。そのような中、未だにて聞こえるんです。それが怖く て。でも、幻聴の主が本当に登 ちのことを見る時、自身の経験忘れられない人がいます。 山田さん ( 仮名、男性 ) は、見る場したら対決しないといけない が土台になって理解しようとす こわもて ることだと言えます。そのことからに強面の風貌で、肩で風をんで、鍛えたら、こんな身体に なったんです」 から、自身や身近な人が精神障切っているような威圧感があり、 さらに、山田さんは話を続け がいを体験していなければ、精できれば近づきたくない、とさ 神障がいを理解することは簡単え思える人でした。でも、実際ました。「たまに幻聴が出るとね、 に話してみると、気が小さく、喧嘩になるんですよ。幻聴の主 なことではないのです。 優しい人であることは、すぐにが本当に現れたら怖いんで、必 死になって僕も『お前なんかに わかりました。そして彼は、ソー 忘れられないェビソード と こ かくいう私も、精神科病院のシャルワーカーになって間がな負けるか』と言い返すんです」と。 る このようにひとしきり話され き い私に対して、いろいろな話を ソーシャルワーカ 1 になって 3 生 年ぐらいは、本当の意味で、精してくれるようになったのです。た後、山田さんが寂しそうに語っ と こ 「青木さん、主治医の原先生 ( 仮た内容は、未だに脳裏に焼き付 神障がいのことが理解できてい なかったです。「この人は、どこ名 ) のことは、本当に信頼していて離れません。「僕は、怖くて知 、ます。でも先生とは、何度も必死になって幻聴と喧嘩をして し、ネドカいかあるのだろうか」し 0 0

9. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

0 第 2 回医療保護入院等の在り及がありました。白川構成員か り、検討していかなければなら 方分科会 ( 4 月日 ) らは、①家族同意の問題②委員ない。③入院退院時だけでなく 第 1 回分科会では医療保護入確保の間題が語られました。 入院中こそ大事である。④一般 院の手続きが議論の中心でした 当会としては、医療保護入院医療と比較しても遅れている。 が、第 2 回では、入院中の処遇時はともかく一旦入院してしま特に、精神科医療の場合、本人 や退院時さらには入院中の意思 うと本人も家族もほどんど関与家族は医療従事者に比べ弱い立 決定及び意思表明支援が中心課できない現状を訴えようと思い 場であり、少なくとも一般医療 題とされ、中でも代弁者制度とましたが、代弁者とはそもそものように本人家族に治療方法等 精神科医療に多くの時間が割か 何かという入り口論に終始しまを十分説明をし承諾を得るよう れました。ほかに、「精神医療した。というのも構成員それぞにしてもらいたい。 審査会」について、平田豊明構れの代弁者の定義が異なってお 具体的なことは今回意見表明 成員と白川教人構成員から「精り議論がかみ合わなかったからできませんでしたので次回意見 神医療審査会制度の現状と課です。私の発言要旨は以下の通表明したいと思います。 題」と題する資料説明がありまりです。①代弁者の定義を明確 した。その中で、平田構成員か にする。②もし代弁者が、医療 ら、精神医療審査会制度の改革保護入院におけるかっての保護■東京オリ・パラ接遇テキスト には①独立性の確保②中立性の者あるいは、同意を与える家族作り 推進③専門性の強化が大事であの役割とするなら、反対であ 4 年後の東京オリンピック・ るとの指摘がありました。またる。しかし、本人の権利擁護が ハラリンピックに向けて、内閣 公的保護者制度案についても言 役割であるとするなら必要であ官房主導により、昨年の 7 月か 一気に進展をはかろうとしてい 加えて国内や海外での実践例を 知っておきたい、 ます。文部科学省においても、学インターネットで検索するため号 精神保健福祉の動き 校の教科書に「道徳」として資料の情報源も紹介しました。 年 を載せ、啓発を進める方針です こころのバリアフリーは、一般 そこで、当会では、精神保健・市民がストレスを減らし精神疾患 ■こころのパリアフリー分科会 と っ 4 年後のオリンピック、パラ精神障がいの領域で、役員や政の発生を防ぐためにも必要です。 ね リンピック開催に合わせて、内策委員に急いで意見を求め、お当会では、学校教育では人が誰でな 閣官房では国民の障がい者へのおむね、次のような内容をまとも生まれつき持っている尊厳を大み 切にしあうコミュニケ 1 ション技 理解を深め、こころの障壁を取めて分科会で表明しました。 一つは、綿疾患や精神障がい術を身に着けることも提案しまし り除くために、去る 3 月引日に について、国民の誰もが知ってい た。誰に対しても、相手の目を見 この分科会を開きました。今後、 るようにすること。一一つ目は、そて、できれば笑顔で、はっきりし 数回にわたり開かれます。 実は、年前にも、厚生労働れらの予防のためにも、誰もが良た一一 = ロ葉であいさっすること。相手 に冫力い関心をもち、声かけし、 省の検討会が「こころのバリアフ好な人間関係をつくり、心の不調 リー宣一一一口」をまとめて国内の偏見には、治療に至る前の心理的支援話をよく聴いて理解しあうこと。 除去に取り組んだのですが、綿を優先して提供すること。そのた日ごろから親しい関係ができて 障がいや精神疾患についての国め、学校教育の学習指導要領に必いれば、誰かにこころの不調が起 民の理解はなかなか進みません要事項を定め、教科書に情報を記きた時にも、周囲の人が早めに察 でした。今回は内閣官房が主体に載して、教職員や児童生徒、そのし、対処することができます。 父兄が周知するようにすること。 ( 事務局野村 ) なり、各省庁を横断的に束ねて、 ( 理事長本條 ) 3 精神保健福祉の動き

10. 月刊 みんなねっと 通巻第110号 2016年 6月号

れには同意が得られないと思い 余地があると思うのです。 るということだと思います。相 号 ます。 手を責めてしまって立場をなく 一一番目は不安から身を守って 6 してしまう、居場所をなくしてどう見て、どうとらえるか いる状態で、外に行くといろい コミュニケーションを図る上 しまったら、コミュニケーショ と ンは切れてしまうと思うのででの支援の仕方の例として、ひろ大変なことがあり、それを避 っ けるために家にいるのだろうと きこもりからの回復支援を例に ね す。 ご家族の中には、「患者さんと「て、ひきこもりをどうとら考えるのも、一つの考え方でな す。これは、不登校と言われる えるのか、お話ししたいと思い 本人と話ができなくなってい ような状態の時に、一時カウン る」とおっしやる方がいらつます。 まずひきこもりは、病気になセラーの方がそういう見方をす しゃいます。その理由は様々だ らなければ起こらなかったと考ると伺ったことがあります。 と思いますが、その中の一つに、 「つらい目に遭うことを避け える人は、病的な状態だと見え 「こうしてほしい」とか「こ , っ ならなければいけない」というると思います。病気となれば、て自分の決断で学校に行かない ことで、患者さんの立場をなく治療とか特別な訓練をして治しという、そういうことを選択で ていくものということになりまきたということは、それはすご してしまうようなコミュニケー いことだよ」と言ってあげて、 ションを取られたこともあったす。で、そう思った人は、「病 気だから病院に行こうよ」とか「だから、また行けるようにな のではないか、と思います。相 手がきちんと自分の立場を維持「〇〇に行「て訓練を受けよう」るまで、あなたの心が成長する できる時に、お互いに交渉するとか言うんですが、なかなかそまで自分の気持ちに従「て家に いていいんだよ」と言ってあげ自分から決めた生き方というのではないかと思うのです。 は、また、リ 相手の居場所を確保しつつ、 男の生き方を決め直 るということです。でもそうい うふうに言ってあげること自体すことができると考えれば、そしかもこちらも関わる、それが は、ご本人を安心させるかも知の時にはただ決定を待っているコミュニケーションということ れないけれど、現実には、 1 年のではなくて、本人の以前の決ではないかと思います。病気や 経っても 2 年経っても変わらな定自体は尊重しつつ、選択肢を障がいがあってもコミュニケー それで結局、ご本人の成長広げるという援助が考えられてションを取ることは十分に可能 なはずです。ただ症状が重い方 や経験をただ待っているだけでくると思います。 とコミュニケーションを取るの 「閉じこもってちゃいけない いいのだろうかという疑問が出 てくることになります。 よ」と言うのではなくて、「閉にはそれなりに工夫や時間が必 三番目には、自分が決めた生じこもっているのはあなたが決要なことは当然あるとは思いま めたことだから、それはそれです。 き方だという見方があると思い 私は尊重します。でも、今のあ ます。不安から身を守るという ことを本人が決めたわけです。なたの状態でできることは、他家族の立ち位置 障がいがある方の家族につい にも、こんなにありますよ」と 一一番目とど , っ ( 起 , つのかとい , っこ とですけれども、こちらは不安か、あるいは「今のあなたの状ては、今から年前までは から身を守っているというの態でやってみたいことのお手伝「患者さんも家族も紙一重だ」 と放言をする精神科の大学の教 いをしますよ」と言うことが、 は、その人がその時にとった一 コミュニケーションを取ること授もいました。そう書いた本が つの行動だと考えます。それで、 11 特集精神障がい者と家族 ~ それぞれが自立し、ささえあうために ~