率が重要になります。その経営指 標によると、病床利用率が % を号 精神科医療の現状と改革の展望 月 超える状態は、交通信号に例える 昭和大学烏山病院家族会あか会監事 氏家憲章 社会福祉法人うるおいの里・理事長 と「青信号」で経営は安泰です。年 とも % は「黄色信号」が灯り と 汪意の段階に入りますが、まだ っ 《連載》第 7 回病院存亡の危機を迎えた精神科病院 ね 経営は可能です。 8 % 台を切って ん わが国は、先進諸国で唯一、 医療政策に直結する問題でもあ % 台に入ると「赤信号」が灯り、 み 入院中心の隔離・収容の精神医ります。精神科病院の現状をみ経営は「危険ライン」に入ります。 療政策を継続している国です。てみます。 田 % 台を数年間放置すると倒産 そのため精神科病院は、自ずと の危機に陥ります。 ①精神科病院の経営指標 隔離・収容の精神医療政策の " 要 ~ となっています。ところ病院収入の 9 割前後を入院料い病床利用率の推移 がその精神科病院は、在院患者収入で占めているのが精神科病 精神科病院の病床利用率を歴 減の進行によって、その先行き院です。このため在院患者数が精史的にたどると、定床を上回る に大きな暗雲が漂い、一部の病神科病院の経営の明暗を決めて 10 % 台の時代は 19 8 6 年 院では経営危機に陥り出してい います。精神科病院の経営指標 ( 診 に終焉し、病床利用率が % 台 ます。これは、精神科病院だけ断 ) では、定床に対する実際の在の時代は年に終わりま の問題にとどまらず、国の精神院患者数の割合を示す病床利用した。そして年後半か の精神科病院は認知症を大量に床利用率の低下からみても、精 らは % 台に突入しているとい 抱え込むことで、経営破綻を防神科病院の患者数 ( 病床利用率 う実態にあります。 3s 台 ) を追求する経営は崩壊 いでいるのです。 が始まっているのです。 い認知症を除くと % の病床利 岡一番病床利用率の低い山梨県 用率 図深刻化する在院患者減の背景 は四 % 2 014 年の精神科病床定床 述べてきたように、精神科病 2013 年の全国平均の病床 数は芻万 8 千床で、在院患者数 ・ 3 % です。都道府院の在院患者の減少は、病院存 は万 9 千人です。すなわち病利用率は圏 床利用率は・ 5 % ですが、この県別でみると、病床利用率が一亡の危機が心配されるまでに進 中には 5 万 3 千人の認知症の在番高い県は富山県で・ 7 % 、んでいますが、その背景には何 があるのでしようか 院患者が入っています。他の先一番低い県は山梨県で四・ 5 % 進諸国では、認知症の人たちをです。都道府県の内訳は、 国進む在院患者のニ極化 % 台は都道府県で、 % 台 精神科病院に入院させることを 9 。 精神科病院の在院患者の減少 は県その内 % 以下は 7 県で 行っていないので、それに照ら が進んでいる背景のひとつに、 して認知症を除いてみると、在す。この状況をみるとそう遠く 院患者数は万 6 千人になり病ない時期に全ての都道府県の病新入院者の減少と短期入院化が 床利用率は・ 8 % になります。床利用率が % 台になり、しかあり、更に長期入院者の高齢化 この利用率では病院の経営は成も間 % 台突入の県が一層増えるが著しいことがあります。 1980 年頃までは、精神疾 ことは必至です。このように病 り立ちません。そのため、多く 17 精神科医療の現状と改革の展望
床を必要としない時代へと移っ来、大量の精神科病床は、精神日に至っています。 ています。入院を必要とする人と科医療費を膨らませ国家財政 ( 総 ・谷のー策の破綻 入院を提供する側 ( 精神科病床数 ) 医療費 ) を圧迫します。そのた わが国の隔離・収容の綿医療 すなわち " 需要と供給のバランス ~ め日本を除く他の先進諸国では、 196 0 年代以降の精神科医療政策は、長い間綿科病院の病床 が崩壊しました。 病床利用率の低下が深刻化しの進歩を契機に、精神科医療と精利用率が 8 % 台を維持すること によって成り立ってきました。し 神障害者の処遇の中心を " 地域 ~ ている背景はここにあります。 に移し、精神障暑を地域で支えかし精神科病院は、在院串著の減 る地域精神医療 ( 脱施設化 ) へ政少によって、病院経営が行き詰ま 国盟・谷の医療政策 入院中心の隔離・収容政策とは、策転換を行ないました。そして必り経営破綻の危機を迎えていま 精神科医療と精神障害者の処遇要がなくなった大量の精神科病す。これは、単に精神科病院だけ 望 の深刻な問題にとどまらず、入院 床を盟したのです。 の中心を精神科病院に置くとい 展 しかし日本においては、精神疾中心の隔離・収容政策が破綻して革 う政策です。そのため入院期間は 改 と いることを一小しています。 必殀に長期化し、しかも長期入患の在院患者数は、全疾患の % 状 現 次回 ( 第 8 回のⅡ月号 ) では造 院者を収容するために大量の精を占めているというのに、精神科 り過ぎた精神科病床の問題をみ療 医療費は国民医療費全体の数 % 神科病床が必要になります。 医 科 そして精神科病院は、医療的役と低く、国家財政を圧迫していなてみます。 神 精 いのです。そのためか、精神医療 割と住む場所の提供など福祉的 役割も担うことになるのです。元政策を見直すことがないまま今 患と診断されると多くの人たちは、在院患者の減少が避けられ減少する』と予測しています。 は新入院者になり、かつ一旦ない精神科病院の構造的問題が 号 月 3 隔離・収容の精神医療政策の 入院になると年単位の長期入あります。この問題を指摘して 破綻 院でした。しかも精神科病院 年 いるのが、新潟大学の染谷俊幸 の簡歳以上の高齢化の割合は、教授です。染谷教授は、日本精今日の万床は、 1954 年 と 1981 年で凵 % 程度と在院患神神経学会の機関誌「精神医学」の第 1 回綿 ~ 星実態調査の「要 者の確保は安定していました。 ( 年月号 ) の巻頭言収容者 ( 入院の必要あり ) 万な ん しかし今日では、新しく入院すで、『精神科医療施設の普及、人」を前提に構築されています。 み る人が減り入院しても短期入院精神科医の増加、薬物治療の進 1950 年代は抗精神病薬の本 です。また長期入院者の高齢化歩、社会復帰をめざす心理社会格使用前で、しかも地域に精神障 も、歳以上は % 、歳以上的治療などの総合的成果によっ 害者が住む場所も働く場所もあ は % ( 2014 年 ) と変化して、遅く生まれた人ほど精神科りませんでした。そのため精神科 ています。在院患者の " 一一極化 ~ 医療の前進の恩恵を受け、その病院にすべてを頼らざるを得な が在院患者減の要因です。 ため入院者は少なくなる』と指い時代でした。 摘しています。『 oaooo 年当 しかしこの間の精神科医療の 同在院患者減が避けられない構時と比較して社会資源が増減し進歩によ「て、今日では精神の病 造的問題 ないと仮定しても、 oaooao 年気や障害があっても地域での社 精神科病院の在院患者減が深 52030 年に、統合失調症の会生活が可能な時代になってき 刻な事態に陥「ている背景に在院患者数は半減 53 分の 1 にました。つまり、大量の科病 ( うじいえのりあき )
樹 茂 ・ : 自助グループの体験談は 本 批判は無しの言い 0 ばなし、で 連載粥回 精神科医の私も招待されて出席止められず、精神科病院に半年間 〈飲酒の体験談〉 の入院をしました。その時から断 しています。 「それが、酒が切れた時に田酒会に出席されています。 「わしは自分では『どうじゃ、 真っすぐに稲を植えたぞ』とんぼに行ってみると、稲がぐ 〈自助グループ〉 思っておって、『わしは酒を飲にやぐにやに曲がって植えられ 断酒会というのは、アルコー んでいてもちゃんと仕事ができとった。酒というものは体もう る。他のアル中とは違う』と大まく動かさんし、頭もダメにすル依存症の人たちが集まって、 酒を断っために自分たちで助け るもんよなあ」 威張りじゃった」と発表してい > さんは近くの工場に勤めな合おうという会です。薬物依存 る > さんは間歳くらいのおじい がら田んぼも作っておられたの症やギャンプル依存症は大変な さんです。 ですが、酒が切れなくなって退職病気で、服薬や精神科医との話 今日は、地域の断酒会が年 1 回の記念会ということで、町のになってしまった。それでも酒をし合いだけでは治療が難しいの です。私も、依存症の治療では バーツと嘔吐してはその場で寝 自分で治そうとする心が必要 入ってしまうしで。それを助け で、加えて、仲間と助け合う自 起こして体を拭いて寝床に運ん 助グループへの参加が必要、と で、大変でした。でも、朝起き 思うのです。この地域にも断酒 たら覚えてないんです。当たり 会はありますから、アルコール 前に会社に出勤して行くんで 依存に困っている方が受診され す。でも、そんなことが長く続 ると、本人や家族だけで悩んで けられるはずはありません。会 いないで断酒会に相談されるよ 社でも大失敗をして、アルコー うに勧めます。でも、嫌がる人 ル症の専門病院で入院治療する たちも多いのです。 ことになりました。本人は『も う絶対飲まない』と誓いますが、 〈家族の体験談〉 3 回も入院しています。ようや 夫が依存症の場合は、奥さん く断酒会に入り、今のところ断 お の もよく出席されます。長年の恨 酒しています」 ら みのこもった体験談には迫力が た。それが、代で課長になっードー【 ( 。 所 〈他人の話を聞く〉 あります。 た頃から外で飲んで泥酔して帰 「夫は酒好きで、結婚当初か りだしました。上着はどこかに 口下手で、短く終わらせる人街 ら家で晩酌を楽しんでいまし脱ぎ捨てているし、玄関でドもいます。 おマ っ ( c し 0 しげき 増本クリニック院長 みんなねっと 2016 年 1() 月号 24 1 ごロ
知っておきたい精神保健福祉の動き 特集 2 訪問看護が家庭内暴力とどう向き合うか ( 原子英樹 ) 精神科医療の現状と改革の展望 【連載第 7 回】病院存亡の危機を迎えた精神科病院 ( 氏家憲章 ) 私と家族の手記「家族が元気になるために」 (Y ・ M) 20 街の診療所からのお便り【連載 113 】 ( 増本茂樹 ) 2016 一【表紙の絵】織田信生 28 24 10 月号通巻第 114 号 5 16 ・・自助グループの体験談は批刊は無しの言いつばなし、です・・ 知ることは生きること ( 連載 1 0 回 ) 経済的支援の全体像 ~ そのニ ( 経済的支援特集④ ) ( 青木聖久 ) 真澄こと葉のつれづれ日記 ( 第 67 回 ) 34 みんなのわー一読者のページ・地域の話題 36 【お詫び】 した。正しくは、松本いく子→松本すみ子です。訂正してお詫び申し上げます。 * なお、 9 月号の表紙にも訂正があります。特集の執筆者名にまちがいがありま いたします。ご助言をありがとうございました。 ( 野村 ) 道府県 ( 政令指定都市 ) 』知事の権限と役割により強制的に病院に運ぶ」と訂正 行目から 5 行目です。「保健所が強制的に精神科病院に運ぶ」とあるところを、「『都 きました。次のように訂正いたします。訂正箇所は、 6 ページ、 2 段目の本文 3 * 8 月号の記事に、説明が不十分な箇所があり、専門家の方からご助言をいただ 知っておきたい精神保健福祉の動き / 特集 / ( 投稿 ) 私と家族の手記 / 連載 ①街の診療所からのお便り / 連載②精神科医療の現状と改革の展望 / 連載 ③知ることは生きること / 連載④真澄こと葉のつれづれ日記 / みんなのわ ( 読者のヘージ ) ほか 月刊みんなねっと ~ 毎月こんな内容でお届けします ~ ■ 2015 年一 1 2 月号 : 「あなた病気の人、私治す人」から「私も家族の一人です」となって見えてきたこと 1 1 月号 : メンバーとスタッフが協働して運営するクラブハウス 10 月号 : 高齢化する精神障がい者にどんな支援が必要か 9 月号 : 障害者差別をなくす地方条例をつくろう 8 月号 : いきいき家族会 7 月号 : 奈良県で福祉医療制度が実現 6 月号 : 本人・家族をともに支える訪問家族支援【その②】 5 月号 : 本人・家族をともに支える訪問家族支援【その①】 ・ 2014 年■ ・「月刊みんなねらと」これまでの特集の紹介・ 1 2 月号 : 戦後 70 年と障害者権利条約 ( 藤井克徳 ) 11 月号 : 日本でも本人と家族をともに支援する家族支援の実現を 1 0 月号 : 精神障がい・精神保健の正しい教育を一世界の教科書比較 ( 山田浩雅 ) 【品切れ】 9 月号 : 全科が無料になる医療費助成一地域家族会のとリくみ 8 月号 : 家族をひろげ元気にする家族相談活動ー愛知の経験から ( 木全義治 ) 7 月号 : グループホームの運営ってどうなっているの ? 6 月号 : 精神障がい者」にも交通運賃の割引を 5 月号 : 精神障がい者の「住まい」を考える一英国の居住支援から学ぶ ( 上野勝代 ) 4 月号 : 地域医療の発展をめざした「府中こころの診療所」を訪ねて 3 月号 : 精神障がい者の地域移行と地域生活を考える 2 月号 : 精神障がい者同士で結婚して 11 年目のわたしたち 1 月号 : 身体・知的障がい者と同等の交通運賃割引制度の実現を求めて ・ 2016 年・ 9 月号 : メンタルヘルスと福祉教育をめざして ( 松本すみ子 ) 8 月号 : みんなねっと「政策委員会」の取リ組み① ( 野村忠良 ) 7 月号 : みんなねっと「政策委員会」の取リ組み① ( 野村忠良 ) 【品切れ】 6 月号 : 精神障がい者と家族ーそれぞれが自立し、ささえあうために① ( 白石弘巳 ) 5 月号 : 精神障がい者と家族ーそれぞれが自立し、ささえあうために① ( 白石弘巳 ) 【品切れ】 4 月号 : 家族たからできる家族支援『家族による家族学習会プログラム』 ( 岡田久実子 ) 3 月号 : 障害者総合支援法施行 3 年後の見直し ( 本條義和 ) 2 月号 : 精神障害者と差別解消法 ( 池原毅和 ) 1 月号 : 世界から見た我が国の精神保健医療福祉 ( 長谷川利夫 ) FAX での申し込みもお受けします (FAX 番号 03 ー 3987 ー 5466 ) にお振り込みください ( この場合、振込手数料は自己負担願います ) 。 の振込用紙の場合、「 () () 1 3 0 ー 0 ー 3 3 8 3 1 7 みんなねっと」宛て さい。「通信欄」には、ご希望の号を記入してください。郵便局に備え付け 「 300 円 x 冊数十送料 80 円」の金額を巻末の振込用紙にてお振り込みくだ ・「月刊みんなねっと」のヾックナンバーのお申し込み方法・
月刊みんなねっと 2016 年 10 月 1 日発行 2007 年 7 月 24 日第三種郵便物承認 月刊みんなねっと ( 毎月 1 回 1 日発行 ) 通巻 114 号 2016 年 10 月 1 日発行 2007 年 7 月 24 日第三種郵便物承認 第 9 回全国精神保健福祉家族大会 希望が三重 ~ る ~ ピアのちかアウトリーチ・伊勢工ビ実はそれぜんぶ三重なんです ~ んなねっと三重大 ・特集・ 訪間石護か家庭内暴力とどう向き合うか ( 原子英樹 ) ・私と家族の手記家族が元気になるために ■精神科医療の現状と改革の展望 ( 氏家憲章 ) 連載第 7 回「病院存亡の危機を迎えた精神科病院」 ・知ることは生きること ( 青木聖久 ) 連載回 経済的支援の全体像、その一一 ( 経済的支援特集④ ) 日時 20 年有 21 休 ) 、 28 囹 当三重県総合文化センタ 三重県津市ー由縄豐ー 10 03 ー 1 1 1 1 三重県総合文化センタへの名沖アク、 http://www.center-mie.or.jD7äCCÆ?T 障がいのある人 58 円 参加費 3 , 000 円 学生 1 , 円 〒 514 ー 8567 三重県津市桜橋 3 ー 446 ー 34 三重県こころの健康センター内 三臥会事務局 「さんかれん」 TEL 059 ー 227 ー 1929 FAX 059 ー 271 ー 5808 0 第至 ・ M Mu : みえ ( 三画製第合第物第 ) 県立館 三重大学附第・ 小・キ物務支学校 津芸大山田線 メッセウイング・みえ 津市役所至第 国道号 三重大学 . ・ = 蓄県立 要大学 道三重県総合 文化センター 本 9 ・ 至総勢 主催 / 公坦 ) 釞全国精神保健福祉会連合会 ( みんなねっと ) 特定非営利活動法人三重県精神保健福祉会 公益社団法人全国精神保健福祉会連合会
さ、い る。病識が乏しく病院 代 な中。 す みを で へ行きたがらない子に の・ ~ 0 同 号 月 者擲ナ対して、頼みに行った 族 わ はりコ医者も連れてくれば診 年 」便る の わおすると一一一〕一つ。 み ' 9 の介 っ 警察への頼みに行っ ん と カ っ ても保健所に行ってく み 野ね : 当・。を」を第キを ださい、保健所へ行っ 〇 ん 都 ても親が頑張って病院 〇 み 〇 へ連れて行ってくださ 東 ◆ いと言う。縦割り行政 〇「みんなねっと」の感想 そのもので、家族はどうしてよ差別により、苦しみ続けること 〇◆静岡県坂部哲之家族代 ) いか分からない。保護者も高齢が多いと思います。 精神病者が健常者と同じよう 8 月号『みんなねっと政策委化し、身近に親類知人などいな 〇 員会の取り組み・下』の文中、 な事件を起こすと、テレビやネッ い場合、本当に困る。一日も早い 〇 使われない移送制度の内容は全移送制度がスムーズに行く社会トでは精神病者のことを面白お く同感です。この制度見直しに かしく、おおげさに報道します。 になることを祈ります。 ついて、現在厚労省の検討会で 確かに病気の症状により、善 審議しているとのことですが、◆福岡県有木温子本人代 ) 悪が多少判断できない状態の時 早急な具体策の立案が必要と考 7 月号『私と家族の手記』をもあると思います。でも、その えます。 事件を起こすきっかけとなる理 読んでーー 統合失調症の急性期の場合、 私たち精神障害者は病気に理由や背景は必ずあります。この 家族は驚きと同時にうろたえ解のない一部の人による偏見やようなことをきちんと理解せず 読者のページ に、精神病者を " きちがいし りませんでした。長い期間にわ持ち」がパワーを生むのです。 するのは、社会的に問題があるたって、いくら考えても、どうそのパワ 1 が社会の力となり、 社会が動いていく、それが神が と思います。病者は病者なりに、すれば助けられるのか、対策が いたとしたら考えたことなので 日々努力し、病気に負けないよ練れなくて諦めかけました。で はないでしようか うに病気とうまく付き合おうとも、今回の大きな事件が起きて、 逆に、全てにおいて全く人間 一生懸命に頑張っています。差犯人の考えていることが、神か の力というものが同じだったと 別や偏見はなかなかなくならならのお告げとは、全く逆だとい いと思いますが、せめて身近な したら、社会は混乱するのでは うことに気が付きました。 〇 人達には理解してもらい、安心 仮に、人間というものの、個々ないかということです。社会は 〇 して心おだやかに生活したいでの力が、すべてにおいて全く同成り立っていかないかもしれま わ す。 じだったとしたら、人間社会とせん。だから、様々な人がいる 投稿者のお母さんの大変さが いうものが、本当に成り立つのことが社会をつくっているのでな とても伝わってくるお話でした。 かとい , っことです。 す。弱い者の命にも非常に価値 ん 私も同じ頃に発症・診断されたの 力の強い者がいて、カの弱し があるということなのです。み で、当時の両親の気持ちも想像で者もいる。中くらいの者もいる。 き、心身ともにたいへんだった「様々な人がいるからこそ、人 地域の話題〇 : んだろうな—と思いました。 間社会というものが成り立って いるのではないかということに◆県単独医療費助成制度の請願〇み 気が付いた」ということです。書採択についての報告 日常生活 〇、一 強い者が弱い者を守ろうとす法人富山県精神保健福祉家族〇ペ ◆茨城県戸田俊明本人 ( 代 ) る。助けようとすることで、 連合会事務局長中村喜久男〇者 私は障がい者の力になりたかワーというものが生まれます。 1 年半ほど前、「富山県の精〇 ったのですが、どうしようもあ「何とかしてやりたいという気神障害者にも県単独医療費助成 、ロノし
に 2 階の部屋にいる彼は、壁を 一通り契約の説明が終わる 号 蹴ったり、床を蹴ったり、窓をと、私は彼のいる居間に行きま 3 ・利用者の様子 月 叩いたり、大声を出しはじめる。 した。彼は、テープルをプラス チックのコップでガンガンと叩年 母親からの情報では、とにか彼の部屋は穴だらけ。 く暴力行為が大きな問題行為彼の部屋で、母親が衣類の整き、大声を出していました。「何 と で、家族としては荒れ続けると理や寝具の交換を行なっているしに来た」「帰れ」「ぶつ殺すぞ」。 っ ね 警察や親類を集め、「車に乗せと、自分の部屋に入ったと暴力 私は彼の隣の椅子に腰掛け、 な 病院に連れて行く措置入院」を振るう。 自己紹介を行ないます。訪問看ん の繰り返しで現在に至るという 彼は、頻回の入退院の結果、護に週 1 回来ることも説明しま ことでした。主に母親に対する自宅でも紙おむつを着用してい す。彼は予想通り「来なくても 暴力が中心で、母親が台所にます。尿意がわからなくなって いい」「帰れ」を繰り返します。 いたのです。 立っていると後ろから蹴飛ばし 私は、とにかく彼と関係生を たり 、叩いたり、包丁を握って 横道にそれますが、彼は、す作らなきゃならないと必死でし いる後ろから包丁を引っ張る、 べての入院が措置入院で、まずた。 階段を上がってくる母親を突き入る病室が保護室になります。 これは、私の初回訪問ではよ 落とす、などケガの絶えない行そうすると、「紙おむつに抑制」く聞くことですが、彼に「今、 動を話してくれました。 がセットの治療になります。そ一緒に何かしたいことはありま 自分が母親を呼んでもすぐ対の結果が、排泄は紙おむっとい すか ? 」と聞きました。意外な 応してくれない、すぐに返事が う生活から抜け出せなくなってことに彼は「コーヒーが飲みた いました。 ないということで暴れ出す、父 い」と即答してきました。 親が仕事から帰ってきたら、急 話を戻します。 私は、母親にお願いして、コー ヒーを飲むことにしました。母入院中は看護師さん、自宅では来週も顔を出させてくださいと 親が出してきたのはインスタン母親がコ 1 ヒーを作っているの一一一口うと、「じゃあ 2 週間に 1 回」 トコーヒーの大きな瓶で、彼のです。つまり、自分の好きなとと言われます。 私は、「またコーヒーを一緒 氏名がマジックで大きく書かれきにコーヒーを飲もうとしても に飲みましよう」というと、あっ ていました。それが、入院中彼相手の都合に合わせて飲むこと さり来週の訪問が許可されまし が飲んでいたコーヒーだとすぐしかできないということです。 わかる物でした。 はじめは私がコーヒーを作り 私は彼にコーヒーを作ってもました。母親は牛乳を冷蔵庫か らおうと声をかけました。彼はら出してきて、この牛乳をコー 4 ・訪問の展開 声も出さず作ろうとします。しヒーに入れてほしいと希望しま しんせん した。 私の訪問は、彼とのコーヒー かし、彼の手は振戦が強く、コー を一緒に飲むという目標で、も ヒーカップにコーヒーが運ばれ 牛乳と、砂糖が入ったコー 」こまとんどこぼれてしまい る前し ( ヒーを訪問初回に一緒に飲むこ う一つの目的は、ストレングス ました。 とになりました。 アセスメントでした。 そのストレングス、をたくさ 彼は自分でコーヒーを入れる 私の初回訪問は契約と ( 実際 ことができなかったのです。た には彼からのサインは 2 回目のん探すことが彼との訪問が成り くさんの薬のせいで、強い振戦訪問時にもらいました ) 彼との立っ唯一のきっかけになると感 コーヒーでした。 じていました。 がでているためでした。すぐに ろれつ 彼と別れるときに「じゃあ、 彼は、呂律が回らず、話してい 彼がコーヒー好きとわかりまし たが、そのコーヒーを彼は自分また来週来ます」というと、もることがよく理解できず母親が そう一言わず頻回に通訳をしてくれました。 で作ることができないのです。う来なくてもいし ストレングス【その人の強み、興味、特技、長所 」 0 7 特集訪問看護が家庭内暴力とどう向き合うか
制度を適用する請願書」を平成事者団体及び作業所関連の団体きます。 平成年川月には、県知事選 〇年Ⅱ月幻日に県議会へ提出しと連携して要望活動を行なって 号 いたのですが、精神科関連団体が予定されており、平成四年度明 ました。同じ年のⅡ月、定例県 わ ( 特に医師会 ) が入っていなか以降の県政の基本方針の転換に 議会で審査の結果、平成年 年 の 月幻日全会一致にて請願は採択ったため、県議会や県厚生部で期待し、要望活動のレベルアッ は真剣に取り組んでもらえなかプを図る道筋を描いています。 と んされました。 っ 富山県では、実質公債費比率 った印象があります。 みところが、富山県では未だに、 ね そこで、富山けんかれんでは、の削減は着実に成果を上げてお 亠な 〇請願内容の実現に至っていない ん り、平成年度より、公債発行 〇のです。理由は簡単です。富山奈良県連の取り組みを参考に、 み 〇県では、「実質公債費比率 ( 平成早期に請願内容が実現するよう許可団体 ( 国の許可が必要な団 〇年【全国第 5 位 ) 改善」を県富山県版の福祉実現会議 ( 仮称 ) 体 ) から協議団体へ復帰の見込 設立を計画しています。重視しみです。 〇政の優先課題として、目玉とな る政策 ( 例えば、新幹線誘致等 ) ているのは、①精神科関連の全財政状況により、精神障害者 〇 に対する適用除外をすることは 以外は、新しい支出を抑制してての団体の参加、②しつかりと 許されるものではないことを、 した組織・運営体制の確立の 2 〇いるからです。 法律や各種データ等により強く 組織としての基礎体力に乏し点です。 福祉実現会議 ( 仮称 ) の設立とアピールしていきます。 い富山けんかれんでは、そのこ とを遺憾に思いながらも、平成運動の展開には時間がかかるた 年度の優先順位としては、事め、平成年 9 月の県議会から、◆松本ハウスのお笑いライブ & 務所の移転と北信越プロック研当事者団体及び医師会等と連携トークショーを開催 修会富山大会開催に注カせざるして要望活動を展開します。さ島根県精神保健福祉会連合会理事長 谷口紘一 らに県議会及び県厚生部との間 を得ませんでした。 島精連 ( 島根県精神保健福祉 請願採択後のフォローに、当で、懇談会等の開催を求めてい 会連合会 ) は、 8 月 7 日 ( 日 ) 分かりやすく場内から度々大きていても「焦らないで、だけど 諦めないで」とか、松本キック の午後、松江市の島根県民会館な笑いも起こりました。 中ホールでお笑いコンビ松本ハ トークショーの前には、観客さんにとってハウス加賀谷さん との関係は「統合失調症の加賀 ウスを招いて「統合失調症がやの皆さんの理解を助けるため統 ってきた」松本ハウスのお笑い合失調症について精神科医の島谷ではない。仲間の加賀谷が統 ライプ & トークショ 1 を開きま根県立心と体の相談センターの合失調症だ」、統合失調症を公 した。 小原圭司所長に解説していただ表したほうがいいか、しないほ うかいいかは「カミングアウト 猛烈な暑さの中、ちょうど甲きました。 〇 子園では夏の全国高校野球大また終わってから、フロアかするかしないかは、自分の生き 〇 会、それにオリンピック競技もらの質問に代え小原所長の司会やすいほうを選べばよい」など わ という松本ハウスの言葉は、精 始まり、特に甲子園では地元高で精神障がいのある本人 1 人と 校チームの対戦と重なり、お客島根県立大学看護学部 4 年の女神障がいのある人はじめ家族、な さんの入りが心配されました学生 2 人から、松本ハウスに聞あるいはすべての人に元気と勇ん が、ふたを開けると会場は満席きたいことを尋ねてもらう座談 気、希望を与えるものではなかみ に近い約人の観客で埋ま会も設けました。 ったかという気がします。〇 わ りました。 来場者の多くから「面白かっ〇 来場者には一般の人も多く今 の 亠な トークショーは、ハウス加賀回イベントの、世間に根強くあた」「来てよかった」などと喜〇 谷さんの統合失調症発症から回る精神疾患に対する偏見や誤解んでいただき、島精連の存在も〇み 復、芸能活動復活までを相方のをなくしていくという初期の目多少はできたかな、と思っ 〇、一 松本キックさんが聞き出すとい 的は、少しは達成したのではなています。 〇ペ う形で進められました。 いかと思っています。 〇諸 漫才コンビらしくところどこ また、トークショーや座談会 〇 ろに笑いもちりばめ、重い話もの中で語られた、障がいを抱え
す。電話を入れてもらうことを会ったら挨拶をする、実習生を困っている家族がたくさんいる 提案した時は、彼は電話をかけ連れて行ったら自己紹介をすけど、どんなアドバイスをして ることができなかったので、一る、電話での彼はとても丁寧なあげられますか ? 」 すると彼は、「そうは言って 緒に私の職場携帯に電話をかけ言葉で話をします。 も理由があって、話をよく聞い てもらうというトレーニングを てあげてほしい」と言いました。 ・最後に したのです。 「自分はイライラする時の理 彼は 2 年間電話を毎日私にか 由がよくわからないけど、お母 暴力は画期的に減少するとい け続けていたので、電話をかけ さんがうるさいから」と一一一口いま うことはできていません。ただ、 るとい , っことは自信があったよ うです。ただ、呂律がまわらな目の前の彼の変化は母親がびっす。暴力は立場により捉え方が い彳が、自分の名字を名乗ってくりするものであり、たくさん違うということも事実だと思い ムロ も相手は聞き取れなかったらしの変化と笑顔が母親の変化にもます。 き どちらが先かわかりません 向 いです。しかし、彼は成長してつながったと考えます。両親に 力、彼が変わると家族が変わる いて、繰り返し自分の名字を伝も余裕ができてきたのだと思い のか、家族が変わると彼が変わ勦 えて、見事に出前を取るというます。 ・内 庭 暴力というのはとても厄介なるのか。ただ、訪問看護のよう 試練を乗り越えていました。 家 護 母親曰く、今までの彼はたぶ問題行動と捉える家族と支援者な全くの他人が入ることは、何 ん、腹を立てすぐに電話を切っ側の感情がある一方で、私は彼らかの変化を起こすきっかけに 訪 ていただろうと話していましにこのような質問をしてみましなるということです。 ( はらこひでき ) 特 「あなたと同じように暴力で それ以外にも、近所の人と う彼は、その都度選挙に行ってかに頻度は減っていると思いまということもありました。 くれています。 す。しかし、暴力的な態度がな それは、以前までの人とは交 くなったわけではありません。 わりたくないという彼には想像 陰彼の変化と訪問看護 もできない行動でした。 私たちと彼は、会話をしたり、 母親が体調不良で寝込んでい 彼は訪問看護を受けることで、体を動かしたり、一緒に工夫をるときには、自分で出前を取り、 いろいろな変化を起こしました。 したり、考えたり、ピンチを共支払いをする。父親が入院中に 【彼の一一一口葉】 有したりしながら、彼の希望の母親が面会に行っているときに 「自分はよく笑うようになっ実現を積み重ねていきました。 も、自分で出前をとることを母 その結果、彼のできることが た」「訪問看護は楽しい」「イラ 親は自信を持ってお願いできる イラが減った」「いい話し相手が格段と増えたのです。 ようになりました。 新聞を読むようになった。テ できた」と言ってくれています。 出前は彼にとってハードルが 【母親の一一一口葉】 レビのドラマを集中して見られ高いことでした。まず、彼は電 「よく話をするようになった」るようになった。父親が入院し話を自分でかけることができま しつもは車で両見 「興奮や暴力がなくなった」「よたときには、、 来せんでした。たまたま私は 2 年 く笑うし話をするようになった」と行っていた病院に母親と 2 人ほど前から時に 1 日の報告電 「訪問の頻度はちょうど良いと思で、電車とバスを乗り継いで行っ話を入れてもらうということを う」「訪問を楽しみにしている」たり、一人で病院を出てしま、 ししていました。目的は彼のお昼 と言ってくれています。 母親が彼を探す場面もありまし寝予防でした。彼は、昼寝をす しかし、暴言や威圧的な行動たが、彼は通行人に駅の方向をると夜中に大声を出し始め母親 は相変わらずありますが、明ら尸 き一人で駅まで行っていたりの睡眠の妨げになっていたので みんなねっと 2016 年 10 月号 14
ました。 ようになることを願って、退院落ち着きを取り戻しました。同 を待ちたいと思っています。 じ体験をもっ家族ならではの助 現在、息子は入院中ですが、 言も参考になりました。聴いて 面会時、病院のケースワ 1 カー 本人が穏やかな生活を送るにもらうことで、初めて相手の助 さんと話す機会を持っことで、は、家族自身が元気になる必要言を受け入れることができると 息子への私の接し方について振があると思います。 つくづく感じました。 り返っています。 私は、家族会の方に気持ちを さらに、地域の支援者の方々 病気のこと、対応の仕方など、 打ち明け、聴いてもらうことでに、本人も交えた話し合いをす 今まで勉強会や研修会で学んで る機会を設けてもらいました。 きたつもりでしたが、息子のた 家族会、支援者の方のお蔭で めと思い、やってきたことが適 孤立しないですみました。家族 切ではなかったのかなと思った が孤立しないこと、これが一兀気 り、話し合いが少なかったので になる秘訣と強く感じます。 はないかなど、いろいろと感じ 家族会のみなさん、いろいろ ています。 な立場で支援してくださった支 手 今後も息子との生活は続いて 援者のみなさんに、感謝の気持 の いきますが、病を背負っていく ちをこめて、この手記をしめく家 と 息子が、日常生活にストレスを くりたいと思います。ありがと ためずに安定した生活ができる , つ。こさいました。 ますが、私たち家族もたいへんでやろうとしましたが、気力、ままに話しました。 私の話を家族会の方は黙って号 で、疲労の高まりもピークに達体力を持続させることがむずか 月 しくなってしまいました。 聴いてくれました。その後も、 するような状態でした。 年 いろいろな助言をもらったり励 主治医から、「これ以上、町 悪化の具体的なきっかけは、内会長の仕事を続けることは無まされたりして、私のこころも と っ 町内で順番にまわってくる町内理」という判断もあり、任期をようやく落ち着きを取り戻すこ ね 会長の役をめぐってのことでし 3 か月程残し、町内会長の役をとができました。家族会につな がっていなかったら、私は一人み 免除してもらいました。 息子は 1 年間、頑張るつもりで悩みを抱えたままになってい 最初、本人は「 1 年間、頑張っ てやる」と意気込んで、町内会でしたので、こうしたかたちでたと思います。 また、市の保健師さん、相談 長の仕事をこなしていました町内会長をおりる格好となり、 が、障害福祉サービス事業所へさぞや不本意だったと思いま支援事業所の相談員さんから訪 問してもらって、本人も交えた の通所で体力を使った上に、帰す。 話し合いもしました。 宅後に町内会長として文書の整 最初は、頑固に入院を拒否し このような有り様に、私も混 理、配布等こなしていましたの 乱し、どうしたらよいかわかりていましたが、息子自身の体力 で、やつばり、たいへんだった ませんでしたが、日頃のつながも限界になり、話し合いの中で ろうと思います。 息子は、手伝おうとする私のりから、まず家族会の存在が頭入院治療を受け入れ、主治医か 言葉をはねのけ、なんとか一人に浮かび、息子の様子をありのら紹介状をもらい、入院となり 一三ロ